19.桂枝湯 傷寒論
桂枝4.0 芍薬4.0 大棗4.0 生姜4.0(乾1.0) 甘草2.0
(傷寒論) (金匱要略)
○太陽病,発熱汗出,悪風脉緩者,名為中風,(宜本方)(太陽上)
○太陽病,頭痛発熱,汗出悪風,本方主之(太陽上)
○太陽中風,陽浮而陰弱,陽浮者熱自発,陰弱者汗自出,嗇々悪寒,淅々悪風,翕々発熱,鼻鳴乾嘔者,本方主之(太陽上)
○産後風,続之数十日不解,頭微痛悪寒,時々有熱,心下悶,乾嘔汗出,雖久陽旦証続在耳,可与陽旦湯(産後)
○太陽病,外証未解,脉浮弱者,当以汗解,宜本方(太陽中)
○脉浮者,病在表,可発汗,法用本方(太陽中)
○太陽病,外証未解,不可下也,下之為逆,欲解外者,宜本方(太陽中)
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
頭痛,発熱(微熱)して悪寒し,自然に発汗するもの。ただし,神経衰弱などの疾患には微熱がなくても応用できる。
目標にしたがい,感冒の初期や軽症の感冒,または虚弱者や老人の感冒で,微熱の初期や軽症の感冒,または虚弱者や老人の感冒で,微熱,さむけ,頭痛がとれず,発汗剤を用いないのに自然に汗ばむものに,よく適応する。桂枝湯は「衆方のもと」と言われ,多くの加味,加減方がある。本方と麻黄湯を等量に合方したものを桂枝麻黄各半湯(桂麻各半湯)と称し,ヒフ疾患の治療に貴重なものである。すなわち皮フ炎や皮フ掻痒症,ジンマ疹などで外見的所見は少ないが,掻痒感や神経症状の著しいものに偉効がある。本方を構成する芍薬の量を,増量したものが次の桂枝加芍薬湯で,本方に竜骨,牡蛎を加えたものが,桂枝加竜骨牡蛎湯,また前方の桂枝加芍薬にアメを加えると,小建中湯になり、いずれもわずかな加味加減によって全く異なった疾患の治療に用いられ,それぞれの治療効果があることはまことに興味深い。本方を単独で応用する機会は少ないが,妊婦の微熱や産婦の産褥熱,考人の疲労回復などに用いると卓効を奏する。
〈漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○桂枝湯は「傷寒論」の最初に出ている薬方で,頭痛,悪寒,発熱という症状があって脈が浮弱であるものに用いることになっている。このような症状のあるものを「傷寒論」では表証があるとよんでいる。
○桂枝湯は風邪の初期によく用いられるが,永い間,さむけや微熱がとれず,他に大して異常を発見できないときにも用いてよいことがある。
○麻黄湯や葛根湯を用いて汗が出たが,それでもなお,熱とさむけがとれないとき,桂枝湯を用いてよいことがある。この場合,脈が浮弱であることが一つの目標になる。
○桂枝湯には強壮の作用がある。古人は気血のめぐりをよくして,陰陽を調和する作用があると考えた。
○桂枝湯は体力の充実している人よりも,衰えている人に用いる機会が多い。
○名古屋玄医は,桂枝湯にいろいろの薬を加味して頻繁に用いた。彼は病気は陰陽の不調和によって起るから,これを桂枝湯によって調和すればよいと考えた。
○桂枝麻黄各半湯は桂枝湯と麻黄湯とを一つにした薬方で,麻黄湯で発汗をはかるには,脈が弱すぎるし,それかといって桂枝湯では薬力がたりないということころを目標にして用い識。
○桂枝麻黄各半湯は風邪のこじれたものに用いることがある。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○脈が浮弱で,悪寒して発熱するもの。このとき頭痛したり,のぼせたり,身体が痛んだり,自然に発汗しやすかったりする。
○熱が出たとき,発汗剤をあたえて汗をかいたが,悪寒が去らず,脈は以然として浮弱のもの,また汗が出て一時よくなったが,夕方になるとふたたび熱が高くなり,ひどく悪寒がしてふるえが,ちょうどマラリアのような場合にも用いる。このときも脈は浮弱である。
○下痢したあとで,大便が正常になってから身体が痛むもの。
○以上はたいてい熱病の初期で,このほかはっきりとした原因がわからず,いつまでも悪寒発熱がつづき,脈が浮弱なものによい。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
太陽病の冒頭の薬方で,外感に用いる場合は,脈は浮弱で,悪寒,悪風,発熱,頭痛,自汗,身体疼痛というのが目標である。また気の上衝があり,乾嘔,心下悶のあることもある。自汗は服薬前に自然に汗のあるもので,虚弱体質のものに用いられることを示している。気血,栄衛が調和せず,表が虚して熱のあるもの,あるいは気の上衝するものを治すので,舌には変化がない。腹症は特記すべきことはないが,腹壁が薄く緊張することもある。
〈漢方診療の実際〉 大塚、矢数、清水 三先生
本方は血行を盛んにし,身体を温め,諸臓器の機能を亢める効果があるので,広く諸疾患に応用される。応用の第一としては感冒であるが,その場合の目標は悪寒,発熱,頭痛,脈浮弱,自汗が出る等の症候複合である。この浮弱と自汗が出るという症状は,桂枝湯が葛根湯や麻黄湯に比較して,虚弱体質に用いられることを示すものである。即ち表の虚が桂枝湯で表実が葛根湯,麻黄湯の証である。桂枝湯の腹証は必ずしも一定しないが,脈弱に相応したもので,決して強壮充実した腹ではない。本方の主薬は桂枝であるが,桂枝,生姜は一種の興奮剤で血行を盛んにし身体に温感を生じ,悪寒発熱を去り,諸臓器の機能を亢める。芍薬は桂枝の作用を調整するものと考えられる。また甘草と組んで,異常緊張を緩和する効があって能く拘攣を治し,疼痛を緩和する。甘草,大棗,生姜は矯味薬に兼ねるに滋養剤の意味がある。桂枝湯の応用は応冒,神経痛,リウマチ,頭痛,寒冷による腹痛,神経衰弱,虚弱体質,陰萎,遺精等である。
〈漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
構成:衛気を整える桂枝と栄気を整える芍薬とを主薬にして表に於ける栄衛の不和によって起る表虚熱,又は気の上衝を治す。この処方を使う機会は少い。
運用 1. 脉浮弱で汗が出ている熱病
感冒その他の急性熱病の初期軽症で,「太陽病,頭痛,発熱,汗出で悪風するもの。」(傷寒論太陽上)を目当にする。脉の浮弱,汗出が特徴で,若し脉緊,汗が出ていなければ麻黄湯という風に脉と汗とが鑑別点になる。そして此以外は症状がないことを必要条系とし,若し例えば首すじや肩が張れば桂枝加葛根湯,関節が痛めば桂枝附子湯,下痢などすれば桂枝人参湯というように処方が変って来る。
運用 2. 気の上衝を治す。
他に何ともないのにただ胸又は頭の方へ何かが衝き上げて来るような感じ,脉を打ってくるような,緊張してくるような感じの時に使うと指定されているが,実際にそういう場合に出遭うことは殆どなく,治験例も報告されていない。むしろ上衝によって起った鼻血や汗っかきに使うことが多い。鼻血の場合は,発熱,頭痛,汗出で悪風など運用1.に挙げた症状があって同時に鼻血を出すとき,全然発熱症状がなく,のぼせる感じ,頭痛,衝き上げて行く感じなどがあって鼻血が出るとき,脈は必ず浮弱,のどちらかである。この場合も矢張り,他に症状があれば別の処方になる。例えば小建中湯は全身的に虚弱であるか,或は虚労の症状がある。麻黄湯は脉緊,桃核承気湯は脉緊で鬱血症状や小腹急結などがある。多汗症に使うのは有熱で頭痛があり,汗が出ている時で,運用1.と同じだが,無熱の時でも他に何の症状もないのに汗っかきというのを狙って使う。汗は目をさましてい識時に出る場合に使うのであって,盗汗にはほとんど使わない。多汗症で類証鑑別を要するのは桂枝加黄耆湯,黄耆建中湯,小建中湯,柴胡桂枝干姜湯,苓姜朮甘湯などである。
運用 3. 下痢した後で身体が痛むもの。
身体が痛むのは運用1.と同じ表証であるが,下痢後という点で一寸桂枝湯が思い出せないことがある。原典には「傷寒,医之を下し,続いて下利を得,清穀止まず。身疼痛するものは急に当に裏を救うべし。後身疼痛,清便自調するものは急に当に表を救うべし。裏を救うは四逆湯に宜しく,表を救うは桂枝湯に宜し。」(傷寒論太陽上)
「吐利止み而して身痛休まざるものは当に消息して其外を解すべし。宜しく桂枝湯にて少しく之を知すべし」(傷寒論霍乱)の様に記載している。この場合に指示が宜しとなっているから必ずしも桂枝湯に限ったことはなく,桂枝加附子湯の類方でも見合せて使うべきことが知られる。以上の外にも特殊な運用法があるが使われた例が殆どない。
〈漢方の臨床〉 第10巻 第1号
桂枝湯の構成 竜野 一雄先生
(内容)研究の目的―旧説の回顧と其の批判―桂枝湯の適応証―構成の分析―傾斜と展開―まとめ
研究の目的
桂枝湯は衆方の祖(類聚方広義頭註)であるといわれているにも拘らず,これを原方のままで臨床に使った例が極めて稀なために桂枝湯の方意なり構造なりに対する研究も殆ど関心が持たれていなかった。それは裏返していえば方意が把握されないから臨床への応用もおろそかにされていたということにもなるし,原方の理解がいい加減だから加減方の理解も浅薄にならざるを得ないことにもなる。
私は各処方がどうして構成されたかとの問題に対して大きな興味を覚えているので,先ず比較構造の簡単な桂枝湯を分析してみて,更にそれを手がかりに各方の構造の分析にも及ぼうとし,すでに若干の成果を得ている。本稿に於ては
桂枝湯の構成には如何なる必然性があるf
甘草大棗生姜を組入れた意義
特に薬物の気味とどんな関係か
処方構成に於ける一般的な原則があるか
などに重点を置いて考察したい。
旧説の回顧とその批判
古人の説が妥当で我々を納得させるのに充分であるならそれを正しとし,それに従うべきだが,果して問題は解決されているであろうか。
註釈書の代表をなす傷寒論輯義を見ると医宗金鑑を引用している。少々煩わしいが和訓すると
「名づけて桂枝湯というは君に桂枝を以てすればなり。桂枝は辛温,辛はよく発散し,温め衛の陽を通ず。芍薬は酸寒,酸によく収斂し寒は陰営に走る。桂枝は芍薬に君たり。これを発汗中に於て汗を斂むるの旨を寓す。芍薬は桂枝に臣たり。これ営を和するの中に於て衛を調ふるの功あり。生姜の辛は桂枝を佐けて以て表を解す。大棗の甘は芍薬を佐けて中を和す。甘草の甘は内を安んじ外を攘ふの能あり。用ひて以て中気を和す。即ち以て表裏を調和し且つ以て諸薬を調和す。桂芍の相須,姜棗の相得を以てし,甘草の調和を藉り,陽表陰裏,気衛血営並び行ぐりて悖らず。これ剛柔相済して以て相和するなり」
さすがに多紀元簡先生が幾許ある註釈書の中から代表的な良説として引用したほどあって,よく整ってはいるが私にはかなり隙きがあって決して万全の説とは思えない。
1,太陽中風云々(拙著原文和訓口語訳傷寒論の太陽上166以下これにならう)の場合の桂枝湯の説明としてはこれでよいが,しかし例えば煩(太陽上139,太陽中173)や気上衝(太陽上129)或は医宗金鑑のこの条の鼻鳴乾嘔(太陽上126)ですら説明するに足りない。すなわち桂枝湯証の各種の場合を凡て含めた全般的な説明にはならない。
2,各薬間の関係や全体への関係はある程度は説明されているが,全体としてのつながりがつかめていない。
3,大棗の甘は芍薬を佐けるといっても,桂枝湯の場合なぜ他の甘薬でなく特に大棗を使う理由はどこにあるのか,すでに甘草の甘があるのにそれだけでは不充分なのか,いや大棗が芍薬を佐けるという説さえも独断である。芍薬を佐けるのはむしろ甘草であるべきことは例えば芍薬甘草湯,芍薬甘草附子湯,四逆散,小建中湯などで立証され,その反対に炙甘草湯などは桂枝湯からわざわざ芍薬を抜いてい識ではないか。生姜にしても甘草にしてもこれと同じようなことが言える。例えば中気を調和し諸薬を調和すというならばなぜ凡ての処方に入っていないのか。要するになぜ大棗や甘草を入れたかの必然性に手が届いておらぬのである。このことはつまる所気味、薬能及び桂枝湯そのものがまだ充分に理解されていないことを示すことに外ならぬ。
4,桂枝を君とし生姜大棗を使とするのはよいが,芍薬甘草を臣佐とする明理論の説はいただきかねる。これは芍薬を臣,甘草を佐とすべきだ。第一,臣は臣,佐は佐であって臣佐を兼ねてよいはずがあろうか。ただ各種註釈書に於いて君臣佐使を明記したのはともかくも明理論だけだから,その点は大いに買うべきである。
問題は一歩前進して成無己先生が論拠とした至真要大論に迫る必要がある。
素問の中には鍼灸,養生,道家その他各種の流れの医学が混在しているが,中でも特異なのは運気説であって,これは明確な篇次をなして,素問の本流とは截然として区別できるものであり,恩師故富士川游先生をはじめ医史学者,素問研究家はひとしく後人の追加編入であることを認めている。江戸古方派は素問そのものを否定してかかっているが,特に運気に至っては現在の中医学研究家の殆ど誰もが顧ることはないであろう。それにも拘らず私が敢えてこれを取組み格闘している所以は運気が中国思想の根幹をなす一つの大きな流れであるのと,臨床的にもかなり大きな意義がくみ取られるからである。
至真要大論は運気各篇の中でも全体のまとめをなしているので殊に重要な篇で,正に大論の名に背かぬもので,薬能に関しては此篇と廿二の蔵気法時論は最も大切な篇である。
しかしながらこれを傷寒金匱の各処方に該当させて検討すると一致するものもあるが一致しない場合もある。桂枝湯などは大部分一致するが最もかんじんな主薬に於て一致しないことは前述の通りである。
よって至要大論は信ずべくして拠るべからざることを知った。一般原理としては認められるが,実際問題として個々の場合につ感て対処しなければならぬのである。だがこの篇は処方の構成,薬能の応用に関しては極めて示唆に富み,これを度外視しては臨床的にも不都合なことが多いので,ただ専らこれに拠りこれに束縛されることなく,反ってこれを媒介にして個々の場合,具体的な例について考えるようにしたら大過はないであろう。
桂枝湯をはじめ麻黄湯,葛根湯などがすべて辛苦甘の薬で構成されているのはなぜだろうかなどということを考える場合にはこの篇の重さを改めて認識するするであろう。
最近著わされた註釈書として杉原徳行先生の漢方医学傷寒論編と森田幸門先生の傷寒論入門の両書には桂枝湯を構成の面から追及していないので素通りすることによう。
桂枝湯と適応証と作用
処方の構成を研究する前提として桂枝湯の適応証を考察することが必要である。
第1類 外表の熱虚或は虚証
脉浮,浮弱,発熱,悪風,悪風寒,頭痛,身疼痛,自汗等はすべて表証であり,熱を伴うときは表の熱虚証であり,無熱のときは表虚証である。
脉浮は病が外表にあることを示すが,病理的には衛生が虚して締りが悪くなったために浮んで来たものと解釈する。
脉陽浮而陰弱はたとえば寸口で脉をとるなら軽く触れると浮,強く押すと弱との意で,陽脉も陰脉も虚していることを示している。もし表熱がなければ陽脈は沈になるはずだ。
発熱は三陰三陽ともに現われるが,脉浮もしくは悪風寒と共にあるときは表証とする。発熱は陰気の不足によって起るもので,これが陰脉虚に対応し,薬物としては芍薬が適応する。
桂枝湯の証は普通は悪風といわれるが、太陽上126の桂枝湯本条に於てすでに濇々悪寒,淅々悪風といっている位だから悪寒もあるはずである。
弁脉法33の「脉浮にして数,浮を風となし数を虚となす。風を熱となし虚を寒となす。風虚相搏つときは則ち酒淅として悪寒す」によると中風でも悪寒が起るものと考えられる。悪寒は陽虚によって起る(弁脈法3,25)
桂枝湯は中風で悪風し,麻黄湯は傷寒で悪寒するとの俗説があるが,麻黄湯も葛根湯も悪風といい,大青竜湯は中風でありがなら悪寒する。
悪寒しているときに風にあたれば余計気持が悪いから当然悪風を伴う。悪風しているときに寒さにあたっても悪寒は起こらない。寒が内に入れば続発的に新たに悪寒を起すことはある。そうしてみると桂枝湯の証の場合も悪風寒するときと悪風だけのことがあると思われる。悪風は表虚によって起る症状で,知覚過敏の場合と知覚鈍麻の場合とがある。
頭痛は上の陽虚,陽虚による邪の陽盛,陽虚による陰盛,気上衝などで起る。桂枝湯証は陽虚を起す原因が足る太陽膀胱経の変動にある。足の太陽膀胱経は頭から項背を通るので頭項痛,腰背強るのだ(傷寒例80,素問31)
身疼痛の身は全身何処でも起る意を含めており,身疼痛は気血表虚の症状である。
自汗,この場合は表の陽虚,衛虚又は衛強によって起る。
以上はみな表虚の症状である。しかし表の中にも陰陽があるが,桂枝湯の証は陽虚ばかりでなく陰虚も共にある。陽虚のために衛気虚し,陰虚のために栄血虚が起っている。陽虚には桂枝,陰虚には芍薬が使われる。
桂枝湯の証には表証ばかりでなく外証というのがある(太陽中158,160,161)
外と表とは同じものではない。内外にはいろいろな取り方があるが,ここでは外は体制で経絡の在る所,内は内臓で蔵府の在る所とする。外に表裏があって,それにもいろいろな取り方があるが,ここでは陽経在る所を表,陰経が在る所を裏とする(素問五王註)外,表を陽とすれば内,裏は陰になる。
表 三陽経
外 経絡
裏 三陰経
内 臓府
従って表というときは三陽経だが外というときは三陰三陽六経を指すことになる。では桂枝湯は太陽病ばかりでなく陽明経にも太陰経にも用いられるのであろうか。その通りで,陽明病331,354,360,太陰病394,厥陰病491に歴然とした用例がある。
普通は陽明病でも太陰病でも脉浮等の表証があれば発表すると説明されているが,その表証とは陽明病や太陰病なのか太陽病なのかを明示した註釈書は殆どない。これは陽明病或は太陰病なのである。その他用例はないが少陽病でも少陰病でもかまわない。すべて病が外に在るかぎりは発表するのである。
傷寒例82によるとこの三(陽)経はみな病を受けて未だ府に入らないものは汗すべきのみという。府に入らないとは病が外の経に在る意味で,太陽病だろうが陽明病だろうが少陽病だろうがみな汗すべきなのだ。しかし病が府に入って来たら陽明病は大黄剤,少陽病は柴胡剤が行くことは言をまたない。
三陰経の方は傷寒例85に三陰はみな病を受けてすでに府に入ってしまった場合は下すべきのみという。そうするとまだ府に入らぬ場合は病が外の経に在るだからやはり発汗すべきである。ただし陰経は裏に在るものでもし陽気が盛んで表熱が陰経に波及したときに限り発汗するのであって,もし陰寒が有余なら附子を以て経を温むべきである。例えば少陰病でも脉が浮なら発汗すべきだが,脉細沈(少陰403)とか脉微(少陰404)のときは発汗してはならない。
「少陰病,脉細沈数,軽為在裏,不可発汗」(少陰403)と,この書き方をよく味ってみると少陰病でも脉細沈数の場合には発汗してはならぬという限定を示していることがわかる。もし少陰病は例外なく発汗してはならぬというなら少陰病不可発汗と記すべきであろう。現に少陰病,之を得て23日,麻黄附子甘草湯にて微しく汗を発す(少陰420)という条文がある位だ。少陰病は附子剤を以て温め微しく汗を発するのが原則で,桂枝湯を使う場合もあり得るがそのケースは稀たという風に考えるべきであろう。
要するに病が外の経に在るかぎりは発汗するが,三陽経の表なら桂枝湯を以てし,三陰経でも表なら桂枝湯を以てするが,病が裏に入ったときは附子剤を以てするというのが原則になる。そういう意味で桂枝湯は病が外に在るときでも特に表に在るものに対して使うと規定することが出来よう。
なお三陰三陽六経の位置は四肢と躯幹に於とでは並び方が違い,四肢に於ては図1のごとく,躯幹に於ては図2のごとく配置されている。
第2類 栄衛の虚を補う
自汗(太陽上126,127,131,太陽中169,170,213,陽明331)は第一類の表熱のときにも出るが,無熱でも党成2又は衛強で出ることもある。
汗は心の液(34難,49難,素問23,霊枢78)というが,それは心臓から汗が出るという意味ではなく,心臓から血液が送り出され,その血液から汗が生成されるという意味である。心は血を生ずというのと関連させて考えればそれがわかる。血液から作られた汗を汗孔(漢方では玄府といい,腠理に在る)から外へ排出する機能を営むのが衛である。衛は腠理の開閉を主り(霊枢47)熱すれば腠理が開き栄衛が通じ汗が大いに泄れる(素問39)のが表熱の場合で,そのほか無熱でも表の陽気が虚すと衛も虚して腠理が開き汗が出る場合があり,また衛生が働きすぎて腠理が開き汗が出る場合もある(前述の条文,桂枝加附子湯証など参照)
このほかに発汗は体温の調節を司っている三焦殊に上焦と肺が関係している(霊枢10,36,81,素問62)
表の陽虚であり陽の衛虚で起る自汗に対しては陽気を補う桂枝が使われる。それと同時に栄血の虚を補うために芍薬も必要である。
煩,発汗して煩が解せぬもの(太陽上139,太陽中173)は表の熱がまだ残存しているからで,その熱は栄衛を虚させるから栄衛を補うことによって煩も自ら去るようになる。やはり桂枝芍薬の主る所である。
妊娠(金匱妊娠390)に使うのも栄虚を補う目的からであろう。婦人は陽脉より陰脉の方が盛んなのが生理的だが(19難)陰脉小弱になっているのは妊娠して栄血が不足しているからで,芍薬を主としてこれを補う意である。
第3類 膀胱の陽虚
桂枝湯は気上衝を治す(太陽上129)気上衝とは腎の陽気が虚して相対的に腎の陰気が盛んになり,衛脈を通って上方に衝撃的に上衝し,腹動や頭痛を起してくるものである。腎の陽気は膀胱に在るから膀胱の陽虚といっても同じことになる。桂枝湯は外に於ては足の太陽膀胱経の変動(前記傷寒例80)の太陽病に使う処方である。病邪が経に随って府の膀胱に入ったときも亦使うことができる。桃核承気湯証の太病病解せず,熱膀胱に結びというのを見ると太陽病の熱が府の膀胱に入ることがわかり,太陽膀胱経と膀胱との関係を知るよすがになるであろう。もし気上衝が著しくなれば奔豚病桂枝加桂湯の証になることは人の知る所である。
第4類 肺気の変動
桂枝湯の本条(太陽上126)に鼻鳴乾嘔雇証がある。鼻鳴は読んで字のごとしで鼻が鳴るのだが,鼻語るで鼻がクスンクスンするのも鼻鳴だし,鼻息が荒いのも鼻鳴にとれる。いずれにしても鼻は上気道で肺への出入口にあり,呼吸器の一部をなし漢方的には肺に属するものである(素問4その他)。
肺は呼吸作用をいとなむが,漢方では肺は気を司ると表現している(32難その他)のは呼吸作用ばかりでなく気に関するすべての機能を肺が統括して感ることを示している。
鼻鳴は肺の変動によって起ったものである。
乾嘔は金匱の産後病407にもあるが,胃から物か出ずにただゲーッと込上げて来る声だから気に属し,従って肺の変動に属する症状である。
故に鼻鳴乾嘔は共に肺の変動に属する症状で,それがどうして桂枝湯の証に入っているのであろうか。
肺は皮毛を主ること(素問4その他)肺と皮膚は共に直接外気に触れ,共に呼吸作用を営ること,発生学的に外胚葉性のものであること,肺も表も共に陽に属することなどを考えると肺と表との関係が深いことがわかり,臨床的にも治療的にはしばしば同価値的取扱われている。性状的に関係の深い器官に於ては一方の変動が他の一方に伝りやすい。桂枝湯の場合も表の変動が肺に伝るが,肺そのものの病変ではないからただ気の変動が起るだけで,それが鼻鳴乾嘔の症状として認められるのである。
桂枝湯は衛の陽虚を補うが,その衛は肺から起っているものであり(霊枢18,難経32)気味からみても辛温で辛は肺に入るから桂枝に肺の陽気を補う作用があることが考えられるのである。生姜も同様である。
桂枝湯証が肺気の変動に与ること一つの傾斜と見られるか,後に述べる葛根湯,小青竜湯,桂枝去芍薬湯など肺の病変に対して桂枝湯が展会されて行く契機をその中に包蔵していることが明かにされるのである。
第5類 胃虚への傾斜
桂枝湯の内に心下悶(金匱産後病407,太陽下286)と不能食(金匱妊娠病390)の証があり,これは言うまでもなく胃虚症状で,それに対しては桂枝湯の中の甘草大棗生姜が作用することは容易にわかるのである。
しかし問題点は表を治す桂枝湯証になぜ胃虚症状が出てくるのかということであり,それを解くことが桂枝湯の中に甘草大棗生姜を組入れた意義の解明に役立つかも知れぬということである。
外邪は腠理から侵入し経に入ると経を一巡する。その順序は定型的には太陽,陽明,少陽,太陰,少陰,厥陰で傷寒論の編次はこの順になっている。六経をめぐり尽すと再び太陽経に戻るか或はそのまま府に入ってしまう。
六経を一巡するのに定型的には6日若くはその倍数の12日を要するので,太陽病頭痛7日以上に至り自ら愈ゆるものはその経をめぐり尽すを以ての故なり(太陽上122)といわれており,太陽の次には陽明に行くから,もし再経をなさんと欲するものは足の陽明に針し,経をして伝えざらしむるときは則ち愈ゆ(同上)というのである。足の陽明は胃経でその府は胃である。「傷寒2,3日,陽明少陽の証足れざるものは伝わらずとなす」(太陽上119)は初伝の場合を指したもので,やはり太陽から陽明に伝ることを述べている。
それゆえ陽明胃に伝ることを予防するには胃気を補い丈夫にしておく必要があり,それでこそ甘草大棗生姜を加えた目的がわかってくるのだ。この外にも甘草大棗生姜を加えた別の意義があるが,それは改めて後に述べる。
桂枝湯構成の分析
桂枝湯の原始形態は桂枝芍薬の二味であったろう。更に遡れば桂枝が邪気をはらう咒術的民間薬であったことは疑いない。桂枝は孔子の時代にすでに知られていた咒術的薬物だった。それに気血を調える意味で芍薬が加えられたのであろう。生姜甘草大棗を加えて桂枝湯の形態をなしたのは恐らくは漢代であろう。
桂枝の気味は辛温,桂枝湯に於ける桂枝の作用は既述の通り表の陽虚,衛虚,腎の陽虚,肺の陽虚を補い,それらによって生ずる各種の表証,気上衝等を治す。その桂枝湯の加減方,類方にあっては更に多くの作用が認められる。
芍薬の気味は苦平で陰虚,栄虚を補い,また血虚によって起る筋急疼痛を治し,桂枝湯の加減方,類方に於ては更に多くの作用が認められる。
桂枝湯に於ては表の陽虚陰虚,衛虚栄虚を補うのが主眼であり,桂枝を主薬とし芍薬を臣薬とすることに何等異論をさしはさむ余地はない。
甘草の気味は甘平,一般に甘味の作用として緩和があるので諸薬の調和,気上衝,身疼痛,乾嘔等急迫症状の緩和作用は諸註釈書に説かれている通りである。
その他甘は血に行くので芍薬を助けて血虚による各種症状を治し,甘味は辛味と共に発散する通性があるから桂枝と共に肺の陽気を補い,甘味は中を補うから,大棗と共に胃虚を補い,この点でも芍薬の作用を助けている。
栄衛は脾胃から発生するのだから脾胃を補うことは栄衛を補うことにもなり,その意味で芍薬甘草大棗の作用は桂枝湯に於いて重要な役目を演じていることを看過してはならない。決して単なる味付けではないのだ。また甘草は胸の陽気を補うが肺から衛,心から栄を生じていることを思えばやはりここでも栄衛の運行を助けていることが知られるのである。
大棗の気味は甘平,緩和,補胃,補血の作用があることは甘草と同じだが,心肺を補い潤す作用がある点が甘草と異る。桂枝湯の加減方,類方に於て大棗が特にその作用を担当する例が多い。例えば桂枝去芍薬湯の胸満,炙甘草湯の肺萎悸,当帰四逆湯の脉欲絶等々がこれである。
生姜は気味旨温,その性能は陽,肺に行き気逆気痞を治し,水湿を燥かし,寒を温める。
よって桂枝湯に於ては桂枝を助けて衛の陽気をめぐらせ,風寒去り,乾嘔の気逆をしずめ,辛は腎の燥きを潤すか台故に太陽経から膀胱に熱が伝り腎の陽虚によって気上衝を起さんとするものに対してよく桂枝を助けてこれを治す作用があるものと考えられる。苓姜朮甘湯や甘草乾姜湯に於ける乾姜がよく腎の陽気を補うことを思えば腎に対する生姜の作用も亦諒解できるであろう。
その上,桂枝湯の味は甘く,酒客嘔家にこれを禁じている位だから,甘味が胃になじみ胃の気痞を起さんことを生姜で予防する意味を兼ねている。
以上の各薬は桂枝湯内に於てそれぞれ各個の持つ全機能を発し,場合によって例えば桂枝なら或るときは主として衛虚を補い,或るときは主として腎の陽虚を補う等それぞれの場合に応じて特殊機能を主として或は兼ねて作用せしめるのであって,決して一つの作用しか呈しないという風に狭く見てはならない。それなればこそ一処方が各種の場合に広く運用され得るのである。古方家は処方の運用を専ら経験によってつかもうとしたが,その経験を裏付け,また運用範囲を予見せしめるためには理論的に分析して処方の本質をつきとてめおいてこそ始めて自由な含みのある境地に立つことが出来よう。
桂枝湯を構成する各薬の気味を案ずるに,辛苦甘,温平の気味より成り,辛を主薬していることが知られる。
辛苦甘温平の処方はひとり桂枝湯のみならず,葛根湯,麻黄湯,小柴胡湯,真武湯,苓姜朮甘湯,苓桂朮甘湯等々傷寒金匱を通じて約40方を数えることができる。その他辛苦甘なれども寒平,寒温,寒温平の処方を挙げれば60方に達する。
然らば味の構成上辛苦甘はどんな意味がありどんな一般性があるのだろうか。
素問(5,74)に気味,辛甘発散を陽となし,酸苦涌泄を陰となすとある。これによって考えるに陽の辛甘が多いので陽虚を補うのを主とし,且つ陰を補って調和を図るというのが主目的になると思われる。葛根湯,麻黄湯,真武湯等みなこの趣意を帯びている。
しかしながら一般的にみると辛苦甘といえども桂枝湯類のごとく桂枝の辛を主薬とする場合と麻黄湯,小柴胡湯のごとく麻黄柴胡の苦を主薬とする場合と,葛根湯,真武湯,苓桂朮甘湯のごとく葛根,茯苓の甘を主薬とする場合とではその間に自ら違いを生ずるものであって,苓桂朮甘湯のごとく桂枝を含みながら桂枝を主薬とせず茯苓の甘を主薬とするが如きは,真武湯のごとく附子を含みながら附子を主薬とせず茯苓の甘を主薬とするが如き,各処方によって方意と構成上から辛苦甘のうちどれかに重要性,主体がかかっているかによって違いが生じてくるのである。辛苦甘より成ることに共通普遍性はありながら,またその中に特殊性個別性を生ずることを見落としてはならない。況んや辛苦甘の構成であっても気の温平と寒平,寒温,寒温平とではそこは又差違を生ずてくることを銘記せねばならぬ。
辛は肺,苦は心,甘は脾に入るから辛苦甘の処方はすべて肺心脾に作用するというと必ずしもそうでない。桂枝湯は前述のごとく肺心脾にも入るが,むしろ肺の気衛,心の栄血,脾の栄衛胃虚等に作用する面の方が主であるし,腎の陽虚にも作用するのである。そうすると辛苦甘をただ肺心脾だけに作用すると考えるのは誤りで,もっと辛苦甘の味そのものが持っている各種の作用を追及しなければいけないことになる。事実は味は五行全部に作用するのであって,例えば苦は心のみならず肺,肝,脾,腎にも作用するのだから事柄は非常に複雑になる。いわば五行中に五行があるのだ(類経図翼1)
このことを胸にたたんでおいてもう一度素問の七四至真要大論を読んでみる。
成無己先生が引用したのは風淫の場合だが「司天の気,風淫の勝つ所,平ぐるに辛涼を以てし,佐くるに苦甘を以てし,甘を以てこれを緩め,酸を以てこれを瀉す」「諸気在泉,風内に淫するときは治するに辛涼を以てし,佐くるに苦を以てし,甘を以てこれを緩め,辛を以てこれを散す」の二条に拠ったことがすでに誤りであった。成無己先生は桂枝湯証は中風だから風が原因と見て考えたのだが,至真要大論の運気に於ける風は厥陰肝を侵すのが本来であって太陽病ではないのである。それは運気の厥陰の病をよく読めば気が付くことである。風の場合,運気では主薬が辛涼になっており,桂枝は辛温だのに成無己先生は辛だけとって涼を削ってしまったのは故意か曲解である。いや辛涼という前に厥陰風の条に拠ったことが大きな誤りであって,これは風陽寒に拠らねばならぬのである。
太陽は腎の陽,寒は腎の陰,つまり寒が強くて腎の陽気を傷った場合である。腎の陽は言うまでもなく膀胱であり,足の太陽膀胱経を侵して太陽病になるのである。
「寒淫の勝つ所,平ぐるに辛熱を以てし,佐くるに甘苦を以てし,鹹を以てこれを瀉す」と,正にそれに拠るべきである。
成無巳先生が引用した風内に淫すればということからしておかしい。なぜなら桂枝湯は外の傷れであって内に淫したものではないからである。この点でも寒淫の勝つ所の方が正しい。殊に風内に淫すればと風淫の勝つ所の二条を引いて桂枝湯という一処方を分割すべきではなく,病が外に在って経を侵せば風淫所勝とし,病が内に入って府を侵せば風淫于内の場合というように区別して扱うべきものであって,両者を混ぜ合して同格もしくは同次元に扱ってはならぬ。この点成無己先生の大きなミスであった。弘法も筆の誤りのたぐいだが,先生がこのような方法論を示して下さったお蔭で私も至真要大論に拠ることを知ったのだから感謝にたえない。
ここで一つの問題があるが,それは寒淫所勝の条は素問新校正及び類経の註によると寒淫于内の条と同じであるべきで寒淫所勝の条は誤りだというのである。寒淫于内の条は「治するに甘熱を以てし,佐くるに苦辛を以てし,鹹を以てこれを写し,辛を以てこれを潤し,苦を以てこれを堅む」である。だがこの説はおかしい。私は至真要大論の文のままで宜いと思うが,その理由を述べるには相明ひろく運気にわたって説明しなければならぬので今は已むを得ず割愛するが,その理由の趣旨は寒淫所候とは事情が違うということに尽きる。
素問及び類経の註は基礎を5行と素問22蔵気法時論においている。例えば寒淫所勝に対しては類経に「辛熱は以て寒を散ずるに足る。苦甘は以て水に勝つべし。鹹を以て之を写するは水の正味はその写に鹹を以てすればなり」とし,風淫于内に対しては「風を木気となす。金はよくこれに勝つ。故に治するに辛涼を以てす。辛に過ぐれば反ってその気を傷ることことを恐る。故に佐くるに苦甘を以てす。苦は辛に勝つ。甘は気を益すなり。木の性は急,故に甘を以てこれを緩む。風邪勝つ。故残辛を以てこれを散ず。蔵気法時論に曰く,肝を急を苦しむ。急に甘を食して以てこれを緩む。肝は散を欲す。急に辛を食して以てこれを散ずとこれこの謂ひなり」と。
類経は素問の註釈書としては非常にに探れた親切な本で教えられる所がすこぶる多いが,賛同しかねる所も少くない。この条の註にしても一応整っているが桂枝湯など実際の処方分析に当っては不都合や矛盾が起る。例えば芍薬の苦は決して水に勝つために在るのではなく,また桂枝の辛が木を傷ることを恐れて予防的に加えたものではないのだ。ただ気味の扱い上について示唆に富んでいるのでこれを土台にしてその上に考えを進めて行けば宜いであろう。
傾斜と展開
桂枝湯が衆方の祖といわれるのは外邪が表に中ったときに使う代表的な処方の一つであり,外邪はそれから内外に転々と流伝してきて千変万化の像を呈するもこれを桂枝湯の立場からみると或は虚実に,或は寒熱に,或は内外に,或は気血水の変化に於て各方面にテーゼ,アンチテーゼの関係をなすものゆえ桂枝湯を以て座標の軸とした意図がわかるのである。
もう一つは桂枝湯には他の方剤に類を見ないほど加減方や類方が多いのであって,それを以てしても桂枝湯の重要性を謳い上げるだけの価値がある。
加減方類方に於ても桂枝湯の土台に乗って作用するものであって,実は桂枝湯そのものの内に各種の加減方に発展すべき契機が内蔵されており,これを傾斜と称することは前に述べた通りである。ここに改めてそれを具体的に例を挙げて述べよう。加減方を知ることは逆に桂枝湯の本質を窺い知ることにもなるのだから。
傾斜と展開は桂枝湯の構造と病理と適応証の三面から考察すべきだが,便宜上これを二つに分けておく。
A 構造上から
加桂 腎の陽虚から気上衝,奔豚に及ぶ。桂枝加桂湯がそれである。
去桂 桂枝湯から桂枝を抜いて考えると脾胃に行く処方になる。それに茯苓,朮を加えて桂枝去桂加茯苓白朮湯ができる。この場合の小便不利は桂枝による排尿障害ではなく尿生成障害だから茯苓を加えたものだ。
加芍 芍薬による脾虚,栄虚が出てくる。桂枝加芍薬湯,桂枝加大黄湯,建中湯類
去芍 芍薬を抜くと辛甘の薬ばかりになり専ら陽の部位に作用して陽虚を補うこととなる。桂枝去芍薬湯の胸満,桂枝去芍薬加附子の胸満微悪寒,桂枝去芍薬加麻黄細辛附子湯の気分,桂枝去芍薬加皂莢湯の肺痿,桂枝去芍薬加蜀漆牡蛎救逆湯,桂枝甘草竜骨牡蛎湯の火邪火逆(これは腎の陽虚からも云える),炙甘草湯の肺痿,悸などはみなこの類である。
加棗 胸に行き心血を補うものが多い。当帰四逆湯,当帰四逆加呉茱萸生姜湯,炙甘草湯
B 病理と適応証の上から
表虚 桂枝加葛根湯,括蔞桂枝湯,桂枝加黄耆湯,桂枝加附子湯,桂枝加芍薬生姜人参湯をはじめ大部分の処方がその意を蔵している。
肺気変動 桂枝加厚朴杏仁湯の喘,桂枝去芍薬湯の胸満,小青竜湯の喘咳等
栄血の虚,脾虚 桂枝加芍薬湯,桂枝加大黄湯など。
栄衛の虚 虚労の小建中湯,黄耆建中湯,当帰建中湯
自汗 桂枝加附子湯の脱汗,桂枝加黄耆湯,黄耆建中湯の盗汗
煩 肌熱によるもので,桂麻各半湯の痒み桂枝加黄耆湯の黄汗,これは黄耆芍薬桂枝苦酒湯,お乗着桂枝五物湯に展開する。
身疼痛 桂枝附子湯,更に白朮附子湯,甘草附子湯,その裏の烏頭桂枝湯,桂芍知母湯など
筋急拘攣 桂枝加葛根湯,括蔞桂枝湯,桂枝加芍薬生姜人参湯,桂枝加芍薬湯,更に芍薬甘草湯
心下悶 胃虚によるもので,桂枝去桂加茯苓白朮湯の心下満微痛,更に真武湯に発展する。
気上衝 腎の陽虚によることは度々述べた通りだが,桂枝加竜骨牡蛎湯,桂枝去芍薬加蜀漆牡蛎竜骨救逆湯,桂枝甘草竜骨牡蛎湯,桂枝加桂湯から進んでは苓桂甘棗湯,苓桂味甘湯等に至る。
まとめ
桂枝湯の構成についてはなお多くの探求すべき問題を残しているであろう。例えば服用法の熱稀粥(これはただ体を温めるばかりでなく,やはり胃を補う意味がある)臨床的にみて処方構成と脈や腹証との関係,発汗,発表,解肌の相互関係(肌中に経,血脉が在る)麻黄湯や葛根湯を服用して発汗せずに利尿して病が解すことがあるが,恐らく桂枝湯も同様であろう。その理由は汗と小便との相対的関係も
勿論だが,桂枝の膀胱に対する排尿促進作用があるからである。
この小稿の要点を表示して結論に代えることにする。
症状 | 病理 | 薬 | 物 | の | 主 | 治 | |
桂 | 芍 | 甘 | 棗 | 姜 | 作用 | ||
脈浮弱 発熱、悪風寒 頭痛、身疼痛 自汗 | 外表の 陰陽虚 熱 栄衛の虚 | 太陽表の陽気 | 陰血 | 外表の陰陽虚を補う 発表 解肌 | |||
自汗 煩 | 栄血虚 衛気虚 | 衛気 | 栄血 | 血 | 心血 | 気 | 栄衛気血の虚を補う |
気上衝 | 腎の陽虚 | 膀胱 | 腎の陽虚を補う | ||||
鼻鳴 乾嘔 | 肺の陽虚 | 肺 | 肺 | 肺 | 肺心(気血栄衛)の虚を補う | ||
心下悶 不能食 | 脾(胃)の 陽虚 | 脾 | 胃 | 胃 | 胃 | 脾の陰虚、胃の陽虚を補う |
『漢方診療の實際』 大塚敬節・矢数道明・清水藤太郎著 南山堂刊
桂枝湯
本方は血行を盛んにし、身体を温め、諸臓器の機能を 亢める効果があるので、広く諸疾患に応用される。応用の第一としては感冒であるが、その場合の目標は悪寒・発熱・頭痛・脈浮弱・自汗が出る等の症候複合で ある。この脈弱と自汗が出るという症状は桂枝湯が、葛根湯や麻黄湯に比較して虚弱体質に用いられることを示すものである。即ち表の虚が桂枝湯で表実が葛根湯・麻黄湯の證である。桂枝湯の腹證は必ずしも一定しないが、脈弱に相応したもので、決して強壮充実した腹ではない。
本方の主薬は桂枝である が、桂枝・生姜は一種の興奮剤で、血行を盛んにし、身体に温感を生じ、悪感発熱を去り、諸臓器の機能を亢める。芍薬は桂枝の作用を調整するものと考えられ る。また甘草と組んで異常緊張を緩和する効があって能く拘攣を治し、疼痛を緩和する。甘草・大棗・生姜は矯味薬に兼ねるに滋養剤の意味がある。
桂枝湯の応用は感冒・神経痛・リウマチ・頭痛・寒冷による腹痛・神経衰弱・虚弱体質・陰萎・遺精等であるが、なお次の加減方を参照されたい。
『漢方精撰百八方』
52.〔方名〕桂枝湯(けいしとう)
〔出典〕傷寒論、金匱要略
〔処方〕桂枝、芍薬、大棗、生姜各4.0g 甘草2.0g
〔目標〕
1.感冒のような状態で、脈をみると、浮いていて弱く、さむけがして熱もあり、くしゃみが出る。
2.熱が出て頭痛がし、脈は浮いていて弱く、汗が自然ににじみ出て、さむけもある。
3.以上のような病状のものに、間違って下剤を与えてはならない。
4.どこにま以上を発見することができず、ただ時々熱が出て、その時に汗が出るような患者。
5.熱があって頭痛がし、六、七日も便秘していても、小便が澄明で著色していないもの。
6.頭痛、発熱、さむけがあって、脈にも力があり、麻黄湯で発汗せしめたところ、一旦軽快し、また気持ちがわるくなって、脈が浮いて速いもの。
7.熱があって、からだが痛み、さむけのある患者を誤って下剤で下したところ、下痢がやまなくなり、たべたものがそのまま下るようになった。こんな患者には先ず四逆湯を用い、下痢がやんでのちも、からだの痛む時に、桂枝湯を用いる。
8.つわりで、頭痛がし、時に熱が出て、のどは少し乾くが食事がまずいというもの。
9.産のあとで、永い間、少し頭痛がし、さむけもし、時々熱も出て、みずおちが苦しく、吐きそうになり、汗も出るようなもの。
〔かんどころ〕熱のある場合は、脈が浮いていて弱く、さむけがするのを目標とし、その他の雑病では、からだが虚弱で、疲れやすく、脈が浮いて大きく力がないという点に眼をつける。
〔応用〕感冒、神経痛、腹痛、下痢。
〔附記方名〕桂枝去芍薬湯(けいしきょしゃくやくとう)
〔出典〕傷寒論
〔処方〕桂枝、大棗、生姜各4.0g 甘草2.0g
〔目標〕脈促、胸満のもの。
〔かんどころ〕脈が速く、腹から胸に何かが上がってくるようで、胸がいっぱいになった状。
〔応用〕神経症
大塚敬節
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
4 表証
表裏・内外・上中下の項でのべたように、表の部位に表われる症状を表証という。表証では発熱、悪寒、発 汗、無汗、頭痛、身疼痛、項背強痛など の症状を呈する。実証では自然には汗が出ないが、虚証では自然に汗が出ている。したがって、実証には葛根湯(かっこんとう)・麻黄湯(まおうとう)などの 発汗剤を、虚証には桂枝湯(けいしとう)などの止汗剤・解肌剤を用いて、表の変調をととのえる。
各薬方の説明
4 桂枝湯(けいしとう) (傷寒論、金匱要略)
〔桂枝(けいし)、芍薬(しゃくやく)、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)各四、甘草(かんぞう)二〕
本方は、身体を温め諸臓器の機能を亢進させるもので、太陽病の表熱虚証に用いられる。したがって、悪寒、発熱、自汗、脈浮弱、頭痛、身疼痛な どを目標とする。また、本方證には気の上衝が認められ、気の上衝によって起こる乾嘔(かんおう、からえずき)、心下悶などが認められることがある。そのほ か、他に特別な症状のない疾患に応用されることがある(これは、いわゆる「余白の證」である)。本方は、多くの薬方の基本となり、また、種々の加減方とし て用いられる。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、桂枝湯證を呈するものが多い。
一 感冒、気管支炎その他の呼吸器系疾患。
一 リウマチ、関節炎その他の運動器系疾患。
一 そのほか、神経痛、神経衰弱、陰萎、遺精、腹痛など。
ホルモン剤を使った後や壊病の時にも使う。
桂枝湯の加減方
(1) 桂枝加桂湯(けいしかけいとう) (傷寒論、金匱要略)
〔桂枝湯の桂枝湯を六とする〕
桂枝湯でおさまらないほど強い気の上衝に用いられる。本方は、のぼせ、腹痛、上逆(気が下部より上部に衝き昇り、不快を感ずる状態)などを目標とする。
(2) 桂枝加葛根湯(けいしかかっこんとう) (傷寒論)
〔桂枝湯に葛根六を加えたもの〕
桂枝湯證で、項背拘急が強いものに用いられる。
(3) 桂枝加黄耆湯
〔桂枝湯に黄耆三を加えたもの〕
桂枝湯證で、自汗の度が強く、盗汗の出るものに用いられる。
布団が黄色くなるほど汗が出る(黄汗)
(4) 桂枝加厚朴杏仁湯(けいしかこうぼくきょうにんとう) (傷寒論)
〔桂枝湯に厚朴、杏仁各四を加えたもの〕
桂枝湯證で、喘咳を伴うものに用いられる。
桂枝加厚朴杏子湯(けいしかこうぼくきょうすとう)が本来の薬方名。
(5) 桂枝加竜骨牡蠣湯(前出、順気剤の項参照)
(6) 桂枝加附子湯(けいしかぶしとう) (傷寒論)
〔桂枝湯に附子○・五を加えたもの〕
桂枝湯證で、冷えを伴うものに用いられる。したがって、腹痛、四肢の運動障害、麻痺感、小便が出にくいなどを目標とする。そのほか、小児麻痺、産後の脱汗(ひん死の状態の多汗をいう)、筋痙攣、半身不随(脳出血などによる)にも用いられる。
桂枝湯にしてはやや脈が弱く、
桂枝湯にしては寒気や倦怠感が強く、
足が抜けるようにだるく投げ出したいような場合に桂枝附子湯用いる(蓮村幸兌先生)
桂枝湯にしてはやや脈が弱く、
桂枝湯にしては寒気や倦怠感が強く、
足が抜けるようにだるく投げ出したいような場合に桂枝附子湯用いる(蓮村幸兌先生)
(7) 桂枝加朮附湯(けいしかじゅつぶとう) (本朝経験)
〔桂枝加附子湯に朮四を加えたもの。〕
桂枝加附子湯證に、水毒をかねたもので、水毒症状の著明なものに用いられる。したがって、関節の腫痛や尿利減少などを呈する。本方は、貧血、頭痛、気上衝、脱汗、口渇、四肢の麻痺感(屈伸困難)・冷感などを目標とする。
(8) 桂枝加苓朮附湯(けいしかりょうじゅつぶとう)
〔桂枝加朮附湯に茯苓(ぶくりょう)四を加えたもの〕
桂枝加朮附湯證で、心悸亢進、めまい、尿利減少、筋肉痙攣などを強く訴えるものを目標とする。本方は、苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)(後出、駆水剤の項参照)、真武湯(しんぶとう)、甘草附子湯(かんぞうぶしとう)(いずれも後出、裏証Ⅱの項参照)などの薬方の加減方としても考え られる。
(9) 桂枝附子湯(けいしぶしとう)
〔桂枝湯の芍薬を去り、附子○・五を加えたもの〕
表証があり、裏位に邪のないもの(したがって、嘔吐、口渇がない)で、身体疼痛し、寝返りのうてないものに用いられる。本方は、甘草附子湯證 (後出、裏証Ⅱの項参照)に似ているが、骨節に痛みがなく、ただ身体疼痛するだけのものに用いられる。また、本方は桂枝加朮附湯よりいっそう重症のリウマ チなどに用いられる。
中川良隆先生の口訣「足が抜けるようにだるい状態に桂枝附子湯」
中川良隆先生の口訣「足が抜けるようにだるい状態に桂枝附子湯」
5 桂枝加芍薬湯(けいしかしゃくやくとう) (傷寒論)
〔桂枝湯の芍薬の量を六としたもの〕
本方は、桂枝湯の表虚を治す作用が、芍薬の増量によって裏虚を治す作用へと変化している薬方である。本方に膠飴(こうい)を加えたものは、小 建中湯(しょうけんちゅうとう)(後出、建中湯類の項参照)であり、裏虚を治す作用が強い。したがって、本方は虚証体質者に用いられるもので、腹満や腹痛 を呈し、腹壁はやわらかく腹直筋の強痛を伴うものが多いが、ただ単に痛むだけのこともある。下痢も泥状便、粘液便で水様性のものはなく、排便後もなんとな くさっぱりしない。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、桂枝加芍薬湯證を呈するものが多い。
一 下痢、内臓下垂の人の便秘、腸カタル、腹膜炎、虫垂炎、移動性盲腸炎その他。
桂枝加芍薬湯の加減方
(1) 桂枝加芍薬大黄湯(けいしかしゃくやくだいおうとう)
〔桂枝加芍薬湯に大黄一を加えたもの〕
桂枝加芍薬湯證で、便秘するもの、または裏急後重の激しい下痢に用いられる。
6 桂枝麻黄各半湯(けいしまおうかくはんとう) (傷寒論)
〔桂枝湯と麻黄湯の合方〕
表証である悪感、発熱、頭痛があり、汗が出ないが体力は弱く、虚実の中間のものに用いられる。汗が出ないために、皮膚がかゆく感じられるものを目標とすることもある。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、桂枝麻黄各半湯證を呈するものが多い。
一 感冒、気管支炎その他の呼吸器系疾患。
一 皮膚瘙痒症、じん麻疹、湿疹その他の皮膚疾患。
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