健康情報: 6月 2010

2010年6月28日月曜日

康治本傷寒論 第六十条 少陰病,下利清穀,裏寒外熱,手足厥逆,脈微欲絶,身反不悪寒,其人面赤色,或腹痛,或乾嘔,或咽痛,或利止,脈不出者,通脈四逆湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、下利清穀、裏寒外熱、手足厥逆、脈微欲絶、身反不悪寒、其人面赤色、②或腹痛、或乾嘔、或咽痛、或利止、脈不出者、通脈四逆湯、主之。
  [訳] 少陰病、下利清穀し、裏寒外熱し、手足厥逆し、脈は微にして絶んと欲し、身は反って悪寒せず、其の人の面は赤色、②或いは腹痛し、或いは乾嘔し、或いは咽痛し、或いは利は止むも脈は出でざる者は、通脈四逆湯、これを主る。

  この条文も第1段と第2段に分れていて、最後の通脈四逆湯主之はその両方にかかり、第2段は或……或……という形をとっている点で第五九条(真武湯)と全く同じであるが、少陰病篇にこの形式の条文がふたつ存在することはおかしい。内容を検討するとわかることは、この病状は厥陰病なのである。したがって厥陰病の治剤である通脈四逆湯の正証とその変証を述べたものになるが、それを冒頭に少陰病としているのは何故であろうか。
 少陰病は生命力がかなり減退しているために、裏位の病邪が内位へ、外位へ、表位へと影響を与えやすい状態になっている。したがって病位という面から見ると、少陰病の激症(変証)は厥陰病と同じであり、緩急の相違しかないためにこれを少陰病篇に入れていると見ることができる。
 『講義』三七一頁で「四逆湯証の一層激甚なる者、即ち少陰の極にして」といい、『解説』四四二頁で「少陰病で重篤な症状を呈するもの」というのは論究が不充分である。『集成』で「此れ亦少陰、厥陰の兼病なる者、寒邪太盛、陽気虚脱せるなり」というのは用語の使い方がよくない。『弁正』では「此れは蓋し其の少陰に始まり厥陰に薦むの転機を見さんと欲す」と述べているが、この条文は厥陰病の激症をのべていることを見落している点で駄目である。
 下利清穀とは『解説』に「食べたものが消化しないで、そのまま下痢すること」とあるように、胃と腸が寒冷(つまり内寒)になったために消化力を完全に失っている状態である。清は「かわや」のことで、俗に圊とも書く。穀は食物のこと。『講義』では「下利、清穀は二句なり」と言っているのは、第五五条(桃花湯)の下利、便膿血と同じ形式であることである。
 条文の最初に下利清穀という症状をあげているということは、この状態が太陰病(第四九条)からも、また少陰病(第五八条第五九条)からも、それぞれ悪化して導びかれたものであることを示している。即ち陰病の系列を図示すると次のようになる。

裏位
―――――→―――――→少陰病
白虎湯
    
陽明病    陰病              厥陰病―――――→死  (第43条の図に続く)

大承気湯
―――――→―――――→太陰病
内位


破線の所で陽病が陰病に変ることを示している。陰病は下から上に進むことを原則とするのであるから、破線より下は本当は上向きに書くべきであるが、図として見悪くなるために下向きに表現した。この図は三陰病に明確な病位があることを示したものであり、「三陰病は病の緩急を示すだけである」というこれまでの定説を否定するためのものである。

 裏寒外熱については色々な考え方がある。
①『講義』では裏を消化管のあたりを指すとしているのだから、下利清穀が裏寒であり、身反不悪寒、面赤色が外熱であるという。
②『解説』では裏を内臓一般を指すとしているのだから、「体内が冷えて、外表が熱している」ことになり、下利清穀、手足厥逆が裏寒にあたり、身反不悪寒、面赤色が外熱にあたる。『入門』も成無己も同じ見解である。
 この二種の解釈で共通していることは、裏寒外熱の具体的症状がその句の前後に表現されていることになり、『集成』で「裏寒外熱の四字は其の因を説くなり。其の証を説くに非ざるなり」ということに一致していることである。この説の最大の弱点は、四字からなるこの句はなくても良いことになる点である。もうひとつの弱点は、具体的症状を述べた文章の中間にこの四字が置いてあることである。そしてこのような解釈をする人達は、裏寒外熱の前に清穀下痢という句が置いてあることについて何も考察していない。例えば『解説』に「少陰病で、不消化便を下痢し、からだの内は冷え、外は熱し、手足は冷え、云々」というように。
③私は裏寒外熱という特別な表現をした句が文章の途中に置いてあることを重視して次のように考える。この条文の第1段は「少陰病、下利清穀、裏寒外熱」、でそのすべてが表現されているという解釈である。 
 下利そのものは内寒に属する症状である。そして手足厥逆、脈微は裏寒の症状であり、身反不悪寒、面赤色は外熱の症状であるという見方になる。したがって第1段は内寒と裏寒外熱によって生じた病状であることになる。このように解釈してはじめてこの奇妙な句の配列の意味か明らかになり、裏寒外熱という句が必要欠くべからざるものとなるのである。
 手足厥逆は四肢が先の方から冷えてくること。厥は①つきる、②のぼせる(足が冷え、頭がのぼせる)という意味のあることが諸橋大漢和辞典に出ている。厥陰病の厥は①の意味であり、ここでは②の意味である。
 脈微欲絶は少陰病の激症である脈微細よりも一層悪化していることを示している。『入門』では心臓血管機能不全を来しているという。
 身反不悪寒は、少陰病は熱感がなく、悪寒が強いのが原則であるが、ここでは厥陰病という陰病の極地であるから、反対に悪寒せず熱感がでてくる。その状態は身熱(微熱)であるから「身反って」と表現したのである。
 其人面赤色は、今まで自覚症状を列記していたのに、顔色は自分ではわからないから、その病人はという表現で、他人が見て顔色が赤いのがわかると言ったのである。鏡を使用して自分で見たとしても、論理的には鏡の中の他人を見ているのである。
 『弁正』と『講義』では「其人の下に恐らくは或の一字を脱せん」として、面赤色を第2段に入れるべきであると主張しているのは間違いである。
 第2段は第1段の激症をのべたものであり、これを『講義』のように兼証とみたり、『集成』のように「兼る所の客証なるのみ」とみることは間違いである。腹痛、乾嘔、咽痛は水分代謝異常(水毒)が加わったり、他の部分に影響が及んだりしていることを示しているし、利止むも脈が出ないのは、普通であれば下痢が止むことは良い方向に進むことであるから脈状は好転したものとなるが、ここでは脈微欲絶よりもさらに悪化しているのだから激症なのである。


甘草二両炙、附子一枚生用去皮破八片、乾姜三両。
右三味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。

 [訳] 甘草二両炙る、附子一枚生、用うるには皮を去り八片に破る、乾姜三両。
     右の三味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服す。


第六二条の四逆湯と薬物の順序に相違がある理由はよくわからない。甘草は附子の毒性の解毒作用があること、甘草乾姜湯の意味があり、第一一条のその条文は附子による中毒症状と一致していることから、附子にこれを配合することの重要性がわかる。また附子と乾姜の配合は陰寒の治療に最も有効なものである。





『傷寒論再発掘』
60 少陰病、下利清穀 裏寒外熱 手足厥逆 脈微欲絶 身反不悪寒 其人面赤色、或腹痛 或乾嘔 或咽痛 或利止脈不出者 通脈四逆湯主之。
   (しょういんびょう げりせいこく りかんがいねつ しゅそくけつぎゃく みゃくびにしてぜっせんとほっし みかえっておかんせず そのひとめんせきしょく、あるいはふくつう、あるいはかんおう、あるいはいんつう、あるいはりやみみゃくいでざるもの つうみゃくしぎゃくとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で 下利清穀し、裏寒外熱すなわち、手足は厥逆し、脈は微で絶せんとしているのに、身はかえって悪寒せず、その顔は赤色を呈しているようなものは、通脈四逆湯がこれを改善するのに最適である。そのようなもののうち、あるものは腹痛し、あるものは乾嘔し、あるものは咽痛し、あるものは下痢が止まっても脈の出ないようなものがあるが、このようなものもまた、通脈四逆湯がこれを改善するのに最適なのである。)

 少陰病 でというのは、全体的な状態としては、歪回復力(体力あるいは一般生活反応あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味です。
 下利清穀 とは、食べたものが消化されずにそのまま出てくるような下痢のことです。消化能力がかなり減退していることを意味するわけです。
 裏寒外熱  とは、裏に寒(邪気あるいは病気の原因)があり、外に熱があることです。「裏」と「外」については既に第17章3項において論述し、「寒」については既に第17章4項において論述しておいた如くです。すなわち、裏 とはものの裏面を意味する言葉で、人体について言えば、「消化管およびその近辺の身体部分」を指すのです。外 とはあるものを基準として、それよりも外方を意味する言葉で、この「原始傷寒論」では、裏を基準にして使用された言葉ですので、裏よりも外方のことを意味することになります。すなわち、表だけでなく、裏よりも外方にある。裏でも表でもない部分(後の世の人の考えでは、半表半裏と言われる部分)までも一緒にして、外と表現されていることになります。
 この裏寒外熱という言葉は、そのあとの手足厥逆脈微欲絶身反不悪寒其人面赤色という症性が 伝来の条文 の中に出ていたのを見て、この著者の考え方に従えば、手足厥逆脈微欲絶が裏寒の症状であり、身反不悪寒其人面赤色が外熱の症状であるわけです。このように見ることによって始めて、症状を表現する語句の間に、何故に突然「裏寒外熱」という「高級」な概念を表現する句が出てくるのかという問題が解決されることになります。
 手足厥逆 とは、四肢が末梢の方から冷えあがってくることです。かなりの程度の末梢循環不全のあることを意味するのでしょう。
 脈微欲絶 とは、脈が微細で、今にも絶えてしまいそうな状態のことです。もし脈が滑であるならば、手足が冷えていても、白虎湯が適応である場合があり、この事については、後に第65条で示されています。
 身反不悪寒 とは、手足が冷えて、脈が絶えそうになっていたら、悪寒を感じてもよさそうであるのに、悪寒を感じないでという意味です。
 其人面赤色 とは、その人の顔色が赤くなっているということです。体内が完全に冷え切ってしまっているわけではなく、やはりそれなりの熱があるからでしょう。
 或腹痛、或乾嘔、或咽痛、或利止脈不出者 とは、それぞれの症状が更に加わっている状態を言っています。それだけ重症になっていると見てよいでしょう。
 以上のような病態がすべて通脈四逆湯の適応病態なのです。
 四逆湯および通脈四逆湯の命名に関しては、既に第13章16項において詳述しておきましたので、興味のある方は是非、参照して下さい。



60’ 甘草二両炙 附子一枚生用 去皮破八片、乾姜三両。    右三味 以水三升煮 取一升二合 去滓 分温再服。
    (かんぞうにりょうあブルぶしいちまいしょうよう かわをさりはっぺんにやぶる かんきょうさんりょう。みぎさんみ みずさんじょうをもってにて、いっしょうにごうをとり かすをさり わかちあたためてさいふくす。)

 この湯の形成程程は既に第13章16項で考察した如くです。すなわち、四逆湯(甘草乾姜附子湯)に更に乾姜が増量(一両半だけ)されると具合の良いような臨床経験があって、(甘草乾姜附子+乾姜)、後に乾姜の生薬配列上の位置が最後にずれてきたのです。四逆湯の時の乾姜は一両半でしたが、通脈四逆湯の時は乾姜が三両になっていて、しかも、生薬配列では乾姜が最後になっているので、このような事が推定されるわけです。生薬配列に注目することがいかに重要であるかは、こんな事からも分かるというものです。
 なお、四逆湯の本来の条文は、この通脈四逆湯の条文の前半部分(或のある所まで)であったのではないか、と推定されるのですが、それらについても既に第13章16項の所で論述してありますので、興味のある方は、その部分を参照してみて下さい。




康治本傷寒 論の条文(全文)

2010年6月26日土曜日

康治本傷寒論 第五十九条 少陰病,腹痛,小便不利,四肢沈重疼痛,自下利,或欬,或小便利,或不下利嘔者,真武湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、腹痛、小便不利、四肢沈重疼痛、自下利、②或欬、或小便利、或不下利、嘔者、真武湯、主之。

 [訳] 少陰病、腹痛し、小便利せず、四肢は沈重疼痛し、自下利す、②或いは欬し、或いは小便利し、或いは下利せず嘔する者は、真武湯、これを主る。

  この条文は第1段と第2段に分れていて、最後の真武湯主之はその両方にかかり、第2段は或……或……という形をとっている点で第二六条(小柴胡湯)と全く同じであることから、この条文は第1段で少陰病の正証を示し、第2段でその変証を論じたものであることを推定することができる。
 腹痛は胃内停水と胃寒のあることを示している。そしてこの胃寒は裏寒によって引起されたものであることを次の小便不利、四肢沈重疼痛で示している。
 小便不利は『講義』では「水気停滞の候なり」というが、腎の炎症によるものである。四肢沈重疼痛は『解説』四四○頁に「四肢が重く、だるく痛むをいう」とあり、これは水毒(水気停滞)によって生ずる症状である。
 自下利は『講義』で「水気動揺の候なり」とし、『入門』三九二頁でも「下利の原因が腸だけの病変によるのではなくて、水分代謝が原因である場合である」と説明しているが、私はそうではなく、胃と小腸、即ち内位に冷えが生じたためであると思う。その冷えは裏寒から来ていることは当然である。
 則ち第1段の諸症状は裏寒と胃内停水によって生じたものである。少陰病は裏寒をもととするが、水分代謝異常を伴う必要であるので、これをもって少陰病の正証とし、同時に真武湯の正証ともしているのである。
 第2段の欬は胸部の水毒によって起り、小便利は裏寒によって腎膀胱が冷えた時に起り、不下利と嘔は内寒の程度が小さく、胃内停水が動かされた時に時る。いずれにしても裏寒と水分代謝異常によって生じたものであるから、この程度の変証は真武湯で治療させることができる。
 『入門』では「水気というのは太陽中篇の小青竜湯の証に於ける如く、心下に水気ありといって、心窩部に水振音を聞く場合を指す場合もあるが、本条では心臓血管機能不全、或いは腎臓機能障害、或いは低栄養状態等が原因して来る潜在浮腫及び顕在浮腫をいうのである」と説明しているが、この条文で胃内雑水の存在を否定する根拠は何もない。『入門』で「患者の体質によって嘔気を発する場合もある」と言うならば、これは胃内停水の存在を示すものである。


白朮三両、茯苓三両、芍薬三両、生姜三両切、附子一枚炮去皮破八片。
右五味、以水八升煮、取三升、去滓温服七合、日三服。

 [訳] 白朮三両、茯苓三両、芍薬三両、生姜三両切る、附子一枚炮じて皮を去り八片に破る。
     右の五味、水八升を以て煮て、三升を取り、滓を去り、七合を温服し、日に三服す。

 白朮と茯苓の組合わせは胃内停水、水分停滞、腎の炎症を作用をもち、生姜も胃内停水、嘔吐を治し、健胃作用ももつ。芍薬は鎮痛、強壮作用をもち、炮附子は強壮、鎮痛、利尿作用をもち、五種の薬物が相互に関連して共力作用を発揮するように選んで用いてある。
 康平本ではこの処方を玄武湯としており、『解説』では玄武湯が正しいとしているが、これについては第二五条ですでに説明しておいた。



『傷寒論再発掘』
59 少陰病、腹痛 小便不利 四肢沈重疼痛、自下利 或欬 或小便利 或不下利嘔者 真武湯主之。
   (しょういんびょう、ふくつう しょうべんふり ししちんちょうとうつう じげり あるいはがいし あるいはしょうべんりし、あるいはげりせずおうするもの しんぶとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で、腹痛し、小便が十分に出ず、四肢は重苦しくだるく痛み、自ら下痢するようなものは、真武湯がこれを改善するのに最適である。そのようなのののうち、あるものは欬し、あるものは小便が十分に出るし、あるものは下痢などはせずに嘔するものがあるが、このようなものもまた、真武湯がこれを改善するのに最適なのである。)

 少陰病 でというのは、全体的な状態としては歪回復力(体力あるいは一般生活反応あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味です。
 腹痛 とは、とにかく現象として腹が痛むことです。
 小便不利 とは、とにかく現象としては小便の出が十分でないことです。個体病理学の立場では、血管内水分の減少があるためか、それとも、腎臓への血流がじゅうぶんでないためか、などが考えられます。実際には、色々の場合があるかもしれません。
 四肢沈重疼痛 とは、四肢が重苦しく、だるく痛むことです。個体病理学の立場では、四肢に水分が過激に偏在する場合もあれば、反対に欠乏する場合もあり得ると考えていくわけです。実際には、どちらの場合もありそうです。簡単に「水気の停滞」と決めつけてしまわない方が良いでしょう。
 自下利 とは、下剤など使わす、自ずから下痢の生ずることです。個体病理学の立場では、胃腸管内での水分の排出がその吸収をはるかにこえている状態とみるわけです。このような状態が長くつづけば、体内水分はますます減少し、歪回復力(体力あるいは一般生活反応)はそれだけ減退していくことが予想されます。従って、真武湯のように、下痢をとめ、水分をまず体内にとどめて、血管内水分の減少も改善して、その結果、利尿がついてくるような作用を持った薬方は、こういう場合、最も適応する薬方になり得ることが十分に納得されます。
 或欬 とは、今迄のような基本的な病態があって、なお咳する場合を言うわけです。個体病理学の立場では、胸部に水分が過剰に偏在していると考えておいてよいでしょう。真武湯で利尿がついてくると、そのような欬も消失していくことが予想されます。
 或小便利 とは、小便が十分に出ていることであり、小便不利の状態よりまだ軽症の状態と考えてよいでしょう。
 或不下利嘔者 とは、胃腸管内での水分の排出過剰の部分が、通常は下痢となる筈であるのに、下に行かず上にのぼってきて嘔する状態となったものであると、個体病理学の立場では、解釈することになります。このような状態も真武湯による利尿によって改善されていくと考えることが出来ます。このような状態も真武湯による利尿によって改善されていくと考えることが出来ます。
 現象に対する説明は色々あるわけですが、出来るだけ、「前近代的な用語と概念」を使わずに、統一的にしかも近代人の言葉で説明していくことが大切であ識と思われます。それが筆者の望む「近代漢方」ですので、そういう立場で「傷寒論」も「再発掘」しているわけです。どこまで成功するかわかりませんが、やるだけやっていくのみです。


59’ 白朮三両 茯苓三両 芍薬三両 生姜三両切 附子一枚炮去皮破八片。
   右五味、以水八升煮 取三升 去滓 温服七合、日三服。
    (びゃくじゅつさんりょう ぶくりょうさんりょう しゃくやくさんりょう しょうきょうさんりょうきる ぶしいちまいほうじてかわをさりはっぺんにやぶる。みぎごみ みずはっしょうをもってにて、さんじょうをとりかすをさり、ななごうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

 この湯の形成過程については既に第13章14項において考察した如くです。すなわち、(白朮茯苓) 基が生薬配列の最初にきていますので、その利尿作用を通じて、各種の異和状態を改善することが最も強く意図されていることがわかります。次の 芍薬 は体内に水分をとどめる基本作用の他に腹痛や四肢痛を改善する局所作用があります。更に、 生姜 は水分を体内にとどめる基本作用の他に嘔吐や下痢を改善する局所作用があります。この上に、強力な「水分の体内への保持作用」という基本作用の他に鎮痛、利尿、止瀉作用などの局所作用を持っている 附子 が追加されているわけです。結局、腹痛、下痢、嘔吐、四肢痛などを利尿を通じて改善する生薬構成の湯であることが分かります。
 生薬構成の面からみますと、この湯は桂枝去桂加白朮茯苓湯の生薬構成から、 甘草 と 大棗 という二つの甘味の生薬を除いて、 附子 を加えているものです。古代人が実際にこの湯を創製した時は、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯(芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯)が基になっていたのではないかと推定しています。
 なお、真武湯の湯名の由来についても既に第13章14項で考察しておきましたが、これについて述べますと、余りにも長くなりますので、割愛いたします。興味のある方は第13章14項を参照して下さい。





康治本傷寒 論の条文(全文)

【コメント】
『傷寒論再発掘』
p.451
すなわち。(白朮茯苓)基が → すなわち、(白朮茯苓)基が に訂正(読点→句点)

2010年6月23日水曜日

康治本傷寒論 第五十八条 少陰病,下利,白通湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、下利、白通湯、主之。

 [訳] 少陰病、下利する者は、白通湯、これを主る。

 この条文も前と同じように下利の次に脈沈者という句を入れると意味がはっきりする。
 宋板、康平本ではこの条文の次に「少陰病、下利、脈微者、白通湯、云々」という条文があるから、『集成』では「下条に由ってこれを考えれば、此の条は下利の下に脈微者の三字を脱せり」という。この脈微について、『解説』四三七頁では「脈がわかりにくいほどかすかにうつもの」とし、『入門』三九○頁でも「微脈は心臓搏動の力が衰弱したときに現われるので、有るが如く、無きが如き脈である」というように、衰弱の程度を強調した解釈は正しくない。第五一条の少陰之為病、脈微細の脈微であり、第四三条(白虎加人参湯)の背悪寒の微はほとんどわかりにくいほどかすかな悪寒ではないように、弱いが確実に搏動がわかるものでなければ少陰病とは言わない筈である。私が脈沈と言うのはそういう意味である。
 裏寒がもとになっていて、その寒邪が胃をはじめとする内位を冷やした時に下利という症状が起るのである。『講義』三六六頁に「蓋しこの下利は陰寒恣に裏(消化管)を侵し、精気閉塞するの致す所」というのは誇大にすぎる。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)一七八頁に「これ陰寒盛んにして陽気虚し、腎火は衰微して水を制すること能わずして致す所」という程度に解釈するほうがよい。


葱白四茎、乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片。
右三味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。

 [訳] 葱白四茎、乾姜一両半、附子一枚生用うるには皮を去り八片に破る。
右の三味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服す。

 乾姜の量は康治本、貞元本、永源寺本は一両半、宋板、康平本は一両となっている。
 主薬の葱白(ネギの偽茎の白い部分)は寒をちらし、血行障害と下利を治す作用をもつ。乾姜と附子の組合わせは温めて陰症を治す。毒性の甚だ強い生附子を用いているのは、それによる中毒症状を緩解する作用をもつ乾姜を配合しているからである。
 処方名の白通に二説がある。
①『集成』には「白通は人尿の別称、此の方は人尿を以て主と為す。故に白通湯と云うなり。後漢書の載就伝に云う、就を覆船の下に臥し、馬通を以てこれを薫ずと。註に馬通は馬の矢(糞)なりと云う。……此れに由ってこれを考えらば通は乃ち大便の別称、今加うるに一つの白の字を以てするは其れ小便たるを示すなり」という。そして病人に人尿を使用していることをかくすために白通と称したという。事実宋板と康平本の白通加猪胆汁湯という処方には人尿五合を用いている。
②『解説』四三八頁には「白通は葱白のことである。山田正珍や山田業広は白通を人尿にあてているが、私はこれを葱白とする説に賛成である」という。『集成』に「方有執、程応旄の諸人は皆云う。葱白を用いて白通と曰う者は其の陽を通ずれば則ち陰自ら消えればなりと。果して其の言の如くなれば則ち橘皮を直ちに皮と書いて可なるか。杏仁は単に仁と曰いて可なるか、大い笑うべし」という。
①の説が正しいであろう。

『傷寒論再発掘』
58 少陰病、下利者 白通湯主之。   (しょういんびょう げりするもの びゃくつうとうこれをつかさどる)
   (少陰病で、下痢する者は甘草湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文をそのまま漫然と読んでいきますと少陰病であって、下痢するものはどんなものでも、白通湯が良いのであるというように解釈してしまう可能性がありますが、現実の問題として、そのように解釈するのは当然おかしいと思われます。むしろ、「下痢」以外に症状としては何も書いていないという点から考えて見ますと、下痢が主体であって、その他に特別な症状のないような状態で、体力がかなり減退しているような基本病態(少陰病)には、白通湯が良いのである、と解釈した方が良いように思われます。
 白通 というのは何かということについて、それは「人尿」であるという説と、「葱白(ネギの偽茎の白い部分)」であるという説とがあるようですが、筆者は葱白で良いと思っています。その理由は以下の如くです。
 1.湯の命名法の原則から言えば、白通が人尿であると言うためには、生薬配列の最初に人尿がきていなければなりませんが、それがありません。脱落しているのであるとすれば、それを証明しなければなりません。それも不可能です。
 2.葱白の白をとって、白通の白にしているとすれば、湯の命名法の原則に反しないことになります。ただしこの場合は、生薬名と下半分のみを湯名に採用していることになりますが、こんな事が許されるものかどうかということが問題になります。そこで、この「原始傷寒論」を調べあげてみましたところ、許されることが判明しました。すなわち、梔子豉湯を見てみますと、香豉という生薬のうち、その下半分の「豉」だけが生薬名に採用されているのです。
 3.白通の「通」がいかなる意味が中々むずかしいことですが、馬通が馬の矢(糞)のことであり、通が大便の別称であるとすれば、白通湯というのは、葱白という生薬の使用を特徴として、大便の通利を改善する湯というような意味の薬方ということになります。茯苓四逆湯や半夏瀉心湯などに似て上半分が生薬名、下半分が機能表示名という薬方であることになります。

56’ 葱白四茎 乾姜一両半 附子一枚生用 去皮破八片。
   右三味、以水三升煮 取一升二合 去滓 分温再服。
   (そうはくよんけい かんきょういちりょうはん ぶしいちまいしょうよう かわをさりはっぺんにやぶる。
    みぎさんみ、みずさんじょうをもってにて いっしょうにごうをとり かすをさり わかちあたためてさいふくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章16項で述べた如くです。すなわち、乾姜附子湯に葱白の特殊作用を期待してつくられたのであると思われます。血管内水分の激減を改善する基本作用と下痢などを改善する局所作用をもっている 乾姜 (第16章25項参照)と強力な「水分の体内への保持作用」という基本作用と下痢などを改善する局所作用をもっている 附子 (第16章17項参照)との配合である 乾姜附子湯 には、かなり強力な「体内水分保持作用」と「下痢改善作用」のあることが推定されます。その上に葱白が使用されていて、「少陰病での下痢の改善」に活用されているのです。多分、古代人は何らかの機会に、葱白 が下痢の改善に有効であることを知ったのであり、それがこの白通湯の形成に利用されたのであると推定されます。
 「原始傷寒論」では、附子 が生のまま使用される時には必ず乾姜が一緒に使用されています。誠に興味あることです。桂枝加附子湯や真武湯など生姜を含むものも、芍薬甘草附子湯や附子湯の如く生姜を含まないものでも、附子は生でなく炮じられてから使用されています。どうしてこのような差があるのでしょうか。乾姜には生附子の中毒症状を緩解する作用があるからであると信じている人もいるようですが、これは少し単純すぎる感じがします。実証されるまではその結論を保留するとして、もっと他に説明はないものでしょうか。
 一番はじめに乾姜附子湯が創製された時、生附子が用いられ、その後、乾姜附子湯を基本にして、白通湯も四逆湯も通脈四逆湯も茯苓四逆湯も形成されていったからである、というのが筆者の考えている説明です。湯の形成過程から考えた方が多分、正しいでしょう。

康治本傷寒 論の条文(全文)

【コメント】
恣に ほしいままに

2010年6月21日月曜日

康治本傷寒論 第五十七条 少陰病,咽痛者,甘草湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、咽痛者、甘草湯、主之。

 [訳] 少陰病、咽痛する者は、甘草湯、これを主る。

 この条文も前と同じように咽痛の次に脈沈者という句を入れると意味がはっきりする。咽痛は陽病とくに温病のときによく現われるが陰病にも現われる症状であるから、咽痛して脈が沈であるものは少陰病であると解釈しなければおかしなものになる。
 『講義』三六二頁に「此れ少陰病と言うも、唯その類証にして病勢もまた緩易なり」とし、『入門』三八五頁に「本条は少陰咽痛の軽症の治法を論ず」、『解説』四二九頁に「感冒で悪感発熱を訴えて、咽の痛むものは多くは太陽病であるから葛根湯、葛根湯加桔梗石膏などを用いるが、軽症の感冒で、発熱がなく、ただ咽に痛みだけを訴えるものには甘草湯を用いる。この場合、咽が急迫状に強く痛むものもあるが、疼痛がそんなにひどくないものもある」というように簡単な内容の条文のように解釈されている。
 しかし私は猩紅熱のような病気のごく初期に該当することではないかと考えている。『家庭に於ける実際的看護の秘訣』(築田多吉著)三三三頁に「急に振りついて高熱を出し嘔吐するのが多い。一-二日の間に全身に赤い疹が出て、顔は充血しウルシにかぶれた様になります。顔は赤くなるが奇妙に口のまわりだけは蒼白いです。舌ははれてイチゴの様になり、咽喉は初めから腫れて赤くなり痛む。発疹が少ないか、または出ない先には咽喉病と間違う事があります」とあるのがそれである。この条文を軽症にみるのはその拡大解釈なのではないだろうか。


甘草二両。
右一味、以水三升煮、取一升二合、去滓、温服七合、日三服。

 [訳]甘草二両。
    右一味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、七合を温服し、日に三服す。



『傷寒論再発掘』
57 少陰病、咽痛者 甘草湯主之。
   (しょういんびょう いんつうするもの かんぞうとうこれをつかさどる)
   (少陰病で、咽が痛むようなものは、甘草湯がこれを改善するのに最適である。)

 少陰病 でというのは、全体的な状態としては、歪回復力(体力あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態ではという意味です。
 咽痛 とは、口の奥の部分で、食道、気道に通じ、声帯のある所までのあたりに、疼痛を感じることです。
 結局、この条文は、全体的に見て、体力の減退している状態で、咽痛のある人は甘草湯を服用するのが良い、という意味であることになります。咽痛などというものは、陰病に限らず陽病の時にもおきるわけですが、敢えて少陰病としているのは何故でしょうか。
 少陰病というのは、歪回復力がかなり減退しているわけですから、個体病理学の立場でこれを考える時、一般的には、体内水分が減退している状態と考えることが出来ます。そういう状態の時には、「血管内への水分の貯留作用」を持っている 甘草 (第16章3項参照)を投与することは、誠に理にかなっていることでもあり、局所作用の面から見ても、甘草は咽痛の改善に良いと思われます。
 実際臨床の場合、甘草はそれほど体力の減退していない状態でも十分に使用されますので、よほど血圧でも高くなりやすい人は別として、陽病の時の咽痛の改善に活用されても、それほど害になるとは思えません。すなわち、条文に「少陰病」と書いてあるからと言って、それだけにしか使えないと考えるべきものではありません。むしろ、最適な場合を言っているのであると理解しておいた方がよいように思われます。

57' 甘草二両。
   右一味、以水三升煮 取一升二合 去滓 温服七合 日三服。
   (かんぞうにりょう。
    みぎいちみ、みずさんしょうをもってにて、いっしょうにごうをとり かすをさり、ななごうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

 この湯の形成過程と言っても、これは単味の生薬のままですから、あまり複雑なことはないわけです。むしろ、この生薬が他の生薬と一緒になって、色々な湯を形成していくことが多いので、それらに関する原則的な事柄を考察しておいた方が有益であろうと思われますが、それらについては既に第13章1項において十分論述してありますので、興味のある方はそれを参照して下さい。


    
康治本傷寒 論の条文(全文)

2010年6月19日土曜日

康治本傷寒論 第五十六条 少陰病,吐利,手足逆冷,煩躁欲死者,呉茱萸湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、吐利、手足逆冷、煩躁欲死者、呉茱萸湯、主之。

 [訳] 少陰病、吐利し、手足逆冷し、煩躁して死せんと欲する者は、呉茱萸湯、これを主る。

 この条文も前と同じように煩躁欲死の次に脈沈者という句を入れると意味がはっきりする。
 吐利は『講義』三六○頁に「嘔吐し且つ下利するなり」とある。手足逆冷は『入門』三六八頁に手足が「末端より中心部に向かって次第に冷却すること」とある。成本では手足厥冷となっているが意味に大きな相違はない。
 煩躁第一一条で説明したように甚だしく燥であることで、手足をしきにり動かして全身で苦しむ状態で、陽病の場合と陰病の場合とがある。いずれにしても激症で、ここでは陰病の場合である。
 欲死は『講義』では「其の煩躁の激甚なるを形容せるの語に過ぎず」とある。『入門』三八三頁に「煩躁を訴えて、今にも死するが如き苦悶を覚える」と説明しているのがよい。
 以上の症状を呈した場合には、傷寒論では第六○条と第六三条で示されている如く、これを厥陰病というのである。しかし脈が沈である場合には厥陰病ではなく少陰病と見てさしつかえない、という意味になる。
 裏寒をもともととする少陰病で、このような症状を現わすのは何が原因になっているかについて諸説がある。
①『講義』では「陰寒激動して虚気心胸に迫り、其の病勢暴急なる者」という。しかしこの説明では厥陰病と同じになってしまう。
②『入門』では「本条」の煩躁死せんと欲するは、急性心臓衰弱のときと同様の苦悶を伴って煩躁するのであるが、これは神経性、且つ一時的のもので、真に器質的及び機能的の障害に因るのと異るから、苦悶の状は如何程甚だしく、煩躁すること狂乱の如くであっても、決して死証でない」と説明しているが、何故に神経性の激しい症状を現わすかについては考察されていない。
③『弁正』では「手足厥冷、煩躁欲死者は既に是れ厥陰病にして全く是れ四逆証なり。而して今標して少陰病と曰い、呉茱萸湯を以てする者は蓋し其の始りなり」という。はじまりならば四検湯を与えれば良いのである。
④『集成』では「其の因を原ぬれば則ち胃中虚寒にして飲水淤蓄し、陽気これが為に閉され、因って乃ち厥逆する者なり」という。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)でも「其の実は本証の重みは嘔吐に在り。下利ありと雖も必ず甚激ならず。手足逆冷と煩躁は乃ち嘔吐の繁激に因って致す所、真陽絶せんと欲する四逆の煩躁とは根本において同じからず。嘔吐は寒邪胃を犯し、胃中虚冷せるに由る。故に呉茱萸湯を用いて寒を駆い、胃を温め、逆を降し、嘔を止む」と説明している。これが正しい。
 体質的に虚弱で胃内停水のある人が寒邪をうけて胃寒を引起し、下利を生じ、気が上衝して嘔吐、心煩、心悸、頭痛等を起したものである。
 「呉茱萸湯は嘔吐、気逆を以て主となし、四逆湯は下利、厥逆を以て主となす」という説明が一般になされているが、区別点を教えるだけでなく、何が原因でそのような相違が生じたかを考えなければならない。

呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚擘、生姜六両。
右四味、以水七升煮、取二升、去滓、温服七合、日三服。

 [訳]呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚く、生姜六両切る。
    右の四味、水七升を以て煮て、二升を取り、滓を去り、七合を温服し、日に三服す。

 康治本、貞元本は生姜六両となっているが、永源寺本は生姜六両切となっていて、これが正しい。
 呉茱萸は温めて寒を去り、気逆、嘔吐、胃痛を治す作用をもち、人参、生姜が配合されてその作用が甚だ強化されている。『金匱要略』の乾姜人参半夏丸と同じ性格の処方である。



『傷寒論再発掘』
56 少陰病、吐利 手足逆冷 煩躁欲死者 呉茱萸湯主之。
    (しょういんびょう、とり、しゅそくぎゃくれい、はんそうしせんとほっするもの、ごしゅゆとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で、嘔吐したり下痢たりし、手足は末端から冷えてきて、今にも死ぬかと思われるほど、もだえ苦しむような者は、呉茱萸湯がこれを改善するのに最適である。)

 少陰病  でというのは、全体的な状態としては、歪回復力がかなり減退してい識ような状態でという意味です。
 吐利 とは、嘔吐したり下痢したりという意味です。実際の臨床の経験では、下痢よりもむしろ嘔吐の方が呉茱萸湯の適応病態には多いように感じます。
 手足逆冷 とは手足が末端の方から冷えてくることです。末梢の血液循環が一時的に悪化するからと思われます。
 煩躁欲死者 とは今にも死ぬかと思われるほどの 甚だしい煩躁(もだえ苦しみ)の状態をこのように表現しているのです。呉茱萸湯の適応する典型的な症例に一度でも遭遇してみれば、この言葉の表現がいかにぴったりしているか、ということが良く分かる筈です。
 筆者は、いかんともしがたい激烈な頭痛と甚だしい嘔吐とが、月に一~二回、発作的におきてくる患者に、呉茱萸湯を投与して、大変、よかったことを経験しましたが、この人の場合、下痢こそありませんでしたが、いかにもこの条文にぴったりであると感じたものでした。

56' 呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚擘 生姜六両。
   右四味、以水七升煮、取二升、去滓、温服七合 日三服。
    (ごしゅゆいっしょう にんじんにりょう、たいそうじゅうにまいつんざく、しょうきょうろくりょう。
    みぎよんみ、みずななしょうをもってにて、にしょうをとり、かすをさり ななごうおんぷくし、ひにさんぷくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章16項で考察した如くです。すなわち、苦味の強い 呉茱萸 という生薬と、やはり少し苦味のある 人参 という生薬が、口あたりを良くし、胃におさまり易くする作用を持った(生姜大棗)基と一緒に煎じられているというのが、この呉茱萸湯の基本的な姿です。人参は嘔吐や腹痛や食欲不振などを良く改善します。従って、それが (生姜大棗) 基と一緒にせんじられるような試みがなされてもよいと思われます。一方、何らかの機会に呉茱萸が嘔吐の改善によいことが知られたとしますと、これもまた、(生姜大棗)基と一緒に煎じられるような試みがなされてもよい筈と思まれます。その後、これら二つの湯の合方が試みられるとすれば、次のようなことがおこってきます。すなわち、(呉茱萸生姜大棗)湯と(人参生姜大棗)湯とが一緒に煎じられる時は、共通生薬後置の原則(第13章2項参照)によって、(呉茱萸人参生姜大棗)湯が創製されることになります。はじめは、生姜が三両使用されていたのですが、臨床的な必要性から更に三両追加され、(呉茱萸人参生姜大棗生姜湯)というものがつくられ、伝来の条文群にはあったのでしょうが、「原始傷寒論」が著作された時、その生薬配列は呉茱萸人参大棗生姜と短かくされ、その最初の生薬の名が採用されて、呉茱萸湯と命名されたのであると推定されます。


『康治本傷寒論要略』
第56条 呉茱萸湯
「少陰病吐利手足逆冷煩躁欲死者呉茱萸湯主之」
「少陰病、 ①吐利し②手足逆冷し③煩躁して、死せんと欲する者、呉茱萸湯これを主る。」

 ①②③の症状は厥陰病の典型的な状態を示している。③の煩躁は熱のために苦しくなって、身体がもだえること。この人はもともと胃内停水が強かったのではないかと考えられる。少陰病は裏寒で打乗:
 その寒は容易に内位に影響を与えるから胃内停水も寒水となり、内寒となる。この患者は内寒裏寒の病態となってまさに厥陰病と同じような症状を呈することになる。
 宋板-11-16条:少陰病、吐利し、煩躁四逆する者は、死す。
少陰病でも、厥陰病と同じ症状を呈することがあるということは納得できる。


             呉茱萸
   補虚し      人参     胃を温め
   胃を益する   大棗     嘔気を治す
             生姜



  
薬理作用
効能・主治
駆虫・抗菌・中枢神経興奮 呉茱萸 温裏・止痛・行気・胃痛・腹痛・頭痛・嘔吐・冷え症
中枢興奮と抑制・疲労回復促進・抗ストレス強壮・男性ホルモン増強・蛋白質・DNA・脂質生合成促進・放射線障害回復促進・心循環改善・血糖降下・脂質代謝改善・血液凝固抑制・コルチコステロン分泌促進・抗胃潰瘍・免疫増強作用 人参 滋潤止喝・健胃整腸・強壮・鎮静・鎮咳・鎮喘・煩渇・嘔吐・心下部不快感・食欲不振・下痢・全身倦怠感・煩躁及び心悸亢進・不眠・気喘・呼吸促進
肝臓保護作用・筋収縮力増強・抗アレルギー・補脾胃・精神安定作用 大棗 鎮静・健胃・利尿・食欲不振・腹痛・下痢・頸項の強ばり・臓躁・九竅を通じ身中の不足を補う
発汗解表・温中止痛・解毒作用 生姜 胸満・発汗解表・温中止嘔・散寒・止咳嗽・風湿痺を逐う・健胃整腸・利水


臨床応用
全身に寒飲となり吐き下し、煩躁し、手足厥冷し、重病な状態を呈するものに用いる。
①急に頭痛・嘔吐・煩躁するもの
②偏頭痛で発作時は目くらみ、手足厥冷し、冷汗出、脈沈遅のもの。
③嘔吐の癖のあるもの
④涎沫を吐く癖のあるもの
⑤食餌中毒の後、嘔気・乾嘔の止まらぬもの
⑥蛔虫症で嘔吐し、涎沫を吐くもの
⑦胃酸過多症で、呑酸・頭痛・嘔吐のあるもの
⑧尿毒症で嘔吐・煩躁するもの
⑨子癇で嘔吐・煩躁するもの
⑩吃逆
⑪脚気衝心
⑫慢性頭痛・発作的に頭痛・嘔吐・眩暈を起こすもの
 その他虚脱・昏倒・脳腫瘍・薬物中毒等に応用される。
                        (漢方処方解説 矢数)

(コメント)
『康治本傷寒論要略』の人参の効能・主治が
滋潤止喝 となっているが、滋潤止渇の誤植か?

 
康治本傷寒 論の条文(全文)

2010年6月14日月曜日

康治本傷寒論 第五十五条 少陰病,下利,便膿血者,桃花湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、下利、便膿血者、桃花湯、主之。

 [訳] 少陰病、下利し、膿血を便する者は、桃花湯、これを主る。

 この条文も第五四条と同じく少陰病の変証のひとつであるから最後に脈沈が省略されたものとして読まなければならない。この解釈は第五八条まで同じである。
 冒頭の少陰病を「少陰病に於いて下利し云々」と読めば、この条文は単純なものであるが、下利は陽病にも陰病にも起りうることであるから、脈が沈のときは少陰病の変証であると読めば、裏寒から生じた変証となり、この文章が生きてくる。
 下利は消化管における症状であるから内位に属し、膿血を便すとは『講義』三五七頁に「粘液および血液相交われるものを謂う」とある。
 『入門』三八一頁に「膿血便を排するのは、大腸に有熱炎症病変があるためであるから、これを裏熱と称するのであるが、患者の消化器が体質的に虚弱であるか、或は病毒が甚だしく激烈であるときは、病人は少しも発熱せず、最初から循環障害、及び意識障害を起し、脈は沈細となり、但だ寝んと欲する少陰の証候複合を現わし来って、便に膿血を混ずるときは、本来は炎症性病変に因るものであっても、これを裏寒と称するのである」とあるのがそれで、ただ『入門』では消化管(胃と腸)を内という立場をとっているのであるから、この文章中の裏熱、裏寒は内熱、内寒としなければ意味が通らない。
 陰病のときは病気に対する抵抗力が極度に落ちているので、裏位の病気もすぐに内位に影響を及ぼして下利を起すのである。そして大腸に影響がでると膿(粘液)と血(血液)を混じた便となる。
 このように考えないで、少陰病の症状が表裏内外にわたることを少陰病に一定の病位はなく、あるものは緩急だけであると今までは定義しているわけである。体力が落ちているから他の部位へ波及しやすいだけであって決して少陰病の部位が不明確なのではない。『講義』では便に膿血が混ることについて「此れ即ち腸内に於ける湿熱の為に粘膜糜爛するの致す所」と述べているが、この根拠がわからないし、治療するための薬物から見ても納得できない。『簡明中医辞典』(一九七九年、人民衛生出版社)七一七頁の膿血痢の項にも「多くは積熱薀結に因って血化して膿となり致す所」となっていて、湿熱とはなっていない。
 『集成』ではこの条文は「今の痢病に係わり、決して傷寒に非ざるなり。金匱要略の下利篇に此の証、此の方あれども少陰の目なし。かつ外台の桃花湯の下に崔氏方書を引いて傷寒後の赤白滞下にて数なきを療す。徴すべし。意うに是れ雑病論中の文、錯乱成て此に入る者のみ」と論じているが、裏寒が内寒を引起す意味がわからなかったのであろう。

赤石脂一斤一半全用一半篩末、乾姜一両、粳米一升。
右三味、以水七升煮、米熟湯成、去滓、内赤石脂末、温服七合、日三服。

 [訳]赤石脂一斤 一半は全きを用い一半は篩いて末とす、乾姜一両、粳米一升。
右の三味、水七升を以て煮て、米熟湯成れば、滓を去り、赤石脂末を内れ、七合を温服す、日に三服す。

 赤石脂一斤の下の一半全用一半篩末の八字は細字双行になっている。赤石脂を煮るとき塊を用いる(全用)という意味はわからない。
 米熟湯とは米がどろどろになった煎液という意味である。ところがこの句を前の句の煮の字とつづけて、「米を煮て、熟さしめ、湯成れば」と読む人がいる。これは宋板、康平本で煮米令熟となっているからである。これでは何時三味を煮るのかわからない。康治本の表現は合理的であり正しい。
 赤石脂は別名を桃花石というのでそれを処方名に用いている。赤石脂は収斂、止血、止瀉作用があり、乾姜は温めて寒を除き、止血作用があり、粳米は温めて止瀉作用がある。


『傷寒論再発掘』
55 少陰病、下利 便膿血者 桃花湯主之。
    (しょういんびょう、げり、べんのうけつのもの とうかとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で、下痢し、膿血便を排出するようなものは、桃花湯がこれを改善するのに最適である。)

 少陰病 でとは、前条と同じく、全体的な状態としては、歪回復力(体力あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味です。この後に出てくる条文でも、すべて全く同様です。
 下利 は下痢の意味です。特にむずかしく考えることもないでしょう。
 便膿血 と言うのは、粘液と血液がまじりあった便を排出することです。
 結局、全体的に体力が減退した状態で、下痢し、粘液と血液のまじりあった便を排出するような者には桃花湯がよいということになると思われます。

55' 赤石脂一斤 一半全用一半篩末 乾姜一両、粳米一升。
   右三味 以水七升煮 米熟湯成、去滓、内赤石脂末、温服七合 日三服。
   (しゃくせきしいっきん いっぱんはまったきをもちい、いっぱんはふるいてまつとす、かんきょういちりょう、こうべいいっしょう。 
    みぎさんみ みずななしょうをもってにて、べいじゅくとうなれば、かすをさり しゃくせきしまつをいれ、ななごうをおんぷくす。ひにさんぷくす。)

 一半全用・一半篩末 の部分は細子で双行になっています。赤石脂の半分は篩いにかけて末の部分を用い、半分は塊のまま(全用)を用いるということですが、なぜこのようにするのか、後に少し考察してみましょう。
 米熟湯 とは米がどろどろになった煎液という意味です。この所は、「米を煮て、熟さしめ、湯成れば」という読み方もありますが、これでは「右三味」が文章の上で浮いてしまうことになりますので、既に第41条の所でも読んだように、「米熟湯なれば」と読んでいくことにしました。この方が合理的であると思われるからです。また、『宋板傷寒論』や『康平傷寒論』では「右三味、以水七升、煮米令熟、去滓……」となっていて、やや不合理な書き方になっています。確かに『康治本傷寒論』の記載の方が合理的であり、正しいものであると筆者も思います。
 この湯の形成過程は、既に第13章16項で考察した如くです。すなわち、膿血便は色々な病態で生じてくるものですが、そのうちのある種の病態で、赤石脂(別名は桃花石)が有効であることが、何らかの機会に知られたのでしょう。やがて、下痢を止める作用のある 乾姜 と一緒にされるようになり、更に下痢をとめ、体内の水分欠乏を改善する作用のある粳米が追加されていって、結局、赤石脂、乾姜・粳米という生薬配列をもった湯が創製されるようになったのであろうと推定されるわけです。
 『康治本傷寒論』が著作された時、この湯の生薬配列の最初の赤石脂の別名が 桃花石 であったので、その名をとって、桃花湯とされたのであると思われます。
 なお、赤石脂の粉末の方は粘膜の表面にひろがって、胃腸管粘膜の保護作用があ識と思われますので、出血をおこしているような粘膜の保護には良いのかも知れません。粉末を服用する指示が出ているのも納得のいくことです。しかし、塊のまま煎じる(全用)のはなぜでしょうか。あまり細かい粉末状のものを煎じると、折角、煎液中に出てきた各種の成分を吸着してしまうような働きがあるので、大きな塊のままで煎じて、この吸着作用をすくなくし、また、赤石脂から溶け出ていく何かの成分を利用しているのではないでしょうか?ただし、これらの事も初めからこのように考えてやったのではなく、全く経験的にやっていて、それで具合がよかったので、その後はそのようにしているというのではないでしょうか。
 もしも経験的にこうなったのだとすれば、以下のような過程が一番考えられ易いでしょう。すなわち、初めは、赤石脂の粉末のみを乾姜と粳米の煎液で服用していたのですが、後にその粉末も入れて煎じてみたところ、色々と具合の悪いことがわかって、次には塊のみを乾姜や粳米と一緒に煎じ、粉末はその三者の煎液で服用するようになった、というような過程です。これならば、十分に起こり得た事柄と思えるのですが、確実に説明する方法が今はないようです。読者の想像をかきたてるヒントの一つにでもなればいいと思って、敢えて述べておくことにしました。




『康治本傷寒論要略』
第55条 桃花湯
「少陰病下利便膿血者桃花湯主之」
「少陰病、下痢し、膿血を便する者は、桃花湯之を主る」


 宋板「少陰病、二三日より四五日に至り、腹痛し、小便不利し、下利やまず、膿血を便する者、桃花湯これを主る。」〔宋板-11-27〕


 「下利止まず、膿血を便する」は大腸の症状であるから太陰病であるが、自覚症状の腹満がなくて下利の起きる時には少陰病と見なしている。従って冷えを感じたりして体力が減じはしめている。
 その時に桃花湯を用いるのである。


 薬理作用

 渋腸止瀉・止血生肌作用     赤石脂     黄疸・泄利・腸澼・膿血・陰蝕・
                               下血・癰腫・疽痔・悪瘡・頭瘍・
                               疥瘙

 温中・回腸・温肺化痰・解     乾姜       胸満・咳逆・上気を治し、温中・
 毒・循環促進・健胃止嘔・               止血・汗を出し、風湿痺を逐う
 昇圧作用                        ・腸澼・下痢・昇圧・乾嘔・吐下・
                               排尿異常・腰痛・子宮出血


 滋養・強壮・抗腫瘍作用     粳米        止渇・下利・体力低下・煩渇を
                     ウルチ米     除き・胃を調え・気力を益す


臨床応用
 少陰病で遷延した赤痢や大腸炎で、すでに熱なく、衰弱の傾向があって、手足冷え、腹部も軟弱で痛み、頻々として下痢し、膿血を下し、裏急後重はなく、脈沈細遅のものを目標。赤痢・大腸炎の遷延性のもの・直腸潰瘍・直腸・痔瘻・肛門炎・肛門潰瘍等虚寒の証に応用する。(漢方処方解説 404p 矢数)

康治本傷寒 論の条文(全文)

2010年6月5日土曜日

康治本傷寒論 第五十四条 少陰病,身体疼,手足寒,骨節痛,脈沈者,附子湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
少陰病、身体疼、手足寒、骨節痛 脈沈者、附子湯、主之。

 [訳] 少陰病、身体疼き、手足寒く、骨節痛み 脈は沈なる者は、附子湯、これを主る。

『入門』三八○頁では冒頭の少陰病という句を「少陰病に於いて」と読んで「本条も亦発病の頭初より少陰の証候複合をもって現れ来る」と解釈しているが、ここに表現された症状の病人が私は少陰病ですがと言って相談に来るのではなく、症状を尋ねた後に、この病人は少陰病であるかないかを医者が判断を下さなければならないのである。この条文の症状は第一五条(麻黄湯)の太陽病の症状に似ていて判断に述う程でもあるので、脈診で最後の決断を下さなければならなくなり、脈沈者という句が最後に置いてあるのである。従って「少陰病に於いて」と読むことは間違いなのである。『解説』四二三頁で「少陰病でからだが痛み云々」と解釈していることも同様に正しくない。即ちこの条文は第五二条第五三条と読み方を変えなければならない。ということは、この条文は少陰病の変証であることを示したものとな識。
 身体痛は『弁正』に「一身手足これを身体と謂う」とあるのがよく、それが痛むのは陽病でも陰病でもあり得る症状である。
 手足寒も『弁正』に「其の人、自ら其の寒を覚ゆるを謂う」とあるのがよく、悪寒の一種と見ればこれは陰病であることを示す。しかし典型的な悪寒ではないので疑問として残しておく。
 骨節痛は骨節とは節々のことであるから、節部が痛むのは水毒によるものである。しかしこの症状は陽病にも陰病にも起る。
 そこで陰陽は脈によって決定するほかにないので、脈診をして沈であるから陽病でないことがはじめてわかったのである。
 脈沈である陰病であるからと言って直ちに処方がきまるのではなく、水毒が関与しているという認識が加わってはじめて附子湯主之となるのである。処方中の白朮、茯苓の組合わせと附子、芍薬の鎮痛作用がこの場合問題になる。

 この条文は、少陰病が裏寒という認識だけでは処理できないことを示したものである。裏寒即ち腎の障害がもとになって水分代謝の異常から種種の症状を引起すのである。
 『講義』では症状の説明をした後で「此れ皆陰寒の為す所なり、これを附子湯の主治と為す」とし、『解説』と『入門』でも「…は裏寒の症であるから附子湯の証である」としているが、水毒にふれないでこの条文の症状を理解することはできない筈である。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)では寒湿凝滞によって起きた症状であることを論じているし、『漢方診療の実際』三三四頁に本方は「神経痛、リウマチ並びに急性熱性病の経過中に使用することがある」とあるのを見れば一層明らかである。



『傷寒論再発掘』
54 少陰病、身体疼、手足寒、骨節痛 脈沈者 附子湯主之。
    (しょういんびょう、しんたいうずき、しゅそくさむく、こっせついたみ、みゃくちんのもの、ぶしとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で、身体がずきずき痛み、手足が冷たく感じ、節々が痛み、脈が沈であるものは、附子湯がこれを改善するのに最適である。。)

 少陰病 でという意味は、定義条文第51条でそのおおよその姿を示している如く、要するに歪回復力(体力あるいは抵抗力)がかなり減退しているような全体的な状態であって、というようなことです。
 身体疼 というのは、手足を含めて身体全体のうずく感じを言うわけです。
 手足寒 というのは、自分自身の手足に冷えを感じることです。
 骨節痛とは、節々すなわち関節に痛みを感じることです。
 脈沈というのは、指を深く圧してようやく触れるような脈です。その人の体質的な差で、沈の人も浮の人もある筈ですが、このような条文に書かれている時は、その人のいつもの時よりも脈が沈になっている状態を表現して、体力(歪回復力)が減退していることを意味していると解釈しておいてよいでしょう。これを個体病理学の立場で考察してみれば、血管内の減少している状態と考えてよいと思います。こういう場合は一般に、まず体内に水分をとどめて、血管内水分の減少を改善してのち、おのづから利尿がついてく識ように作用する薬方(和方湯)が適応となるわけです。附子湯は和方湯のうちの一種です。附子も芍薬も人参も体内に水分をとどめる作用を持った生薬ですし、白朮も茯苓も勿論同様な作用を持った生薬です。附子や芍薬や白朮は鎮痛作用を持っていますので、附子湯が種々の痛みを伴った病態の改善に活用されるのも、十分に納得されることです。



『康治本傷寒論解説』
第54条
【原文】  「少陰病,身体疼痛,手足寒,骨節痛,脉沈者,附子湯主之.」
【和訓】  少陰病,身体疼(ウズ)き痛み,手足寒(コゴ)え,骨節痛み,脉沈なる者は,附子湯これを主る.
【訳文】  少陰の中風(①寒熱脉証 沈微細 ②寒熱証 手足厥冷 ③緩緊脉証 緩 ④ 緩緊症 小便自利) で,身体重く痛み,骨節疼痛する場合は,附子湯でこれを治す.
【解 説】  この条は,太陽傷寒の麻黄湯証との症候が類似しているが,寒熱の違いのあることを脉で論じています.そして“寒”の場での痛みは附子が主ることを示しています。



証構成
  範疇 肌寒緩病(少陰中風)
 ①寒熱脉証   沈微細
 ②寒熱証    手足厥冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
   イ骨節痛(附子)
  ロ身体疼






『康治本傷寒論要略』
第54条 附子湯
「少陰病身體疼手足寒骨節痛脉沈者附子湯主之」
「少陰病、身体疼き、手足寒く、骨節痛み、脈沈なる者、附子湯これ を主る」


 (15条)「太陽病、頭痛発熱、身疼腰痛、骨節疼痛、悪風無汗、而して喘する者麻黄湯これを主る」


 目前の患者が、身体があちこち痛がって、節々が痛いと訴えた時は、この両状を思い浮かべる。陽病か陰病か判断に苦しむ時、最後に置かれている脈状で判断するのが傷寒論の立場である。脈沈であれば 附子湯と診断できる。

附子湯の漢方病理(長沢元夫先生)
 麻黄湯の身体腰痛・骨節疼痛は、水毒が関与している。同じように陰病でも同じ症状を起こすということは水毒が関与していると考えられる。
 即ち附子湯は裏寒と水毒が関与しているという認識が必要である。
 千金方の附子湯(附子・芍薬・桂心・甘草・茯苓・人参・白朮)は濕痺、即ちRA・神経痛で身体が痛く折れそうな気がするとか、肉に針や刀を刺しこまれたような痛みがある時に使う処方である。つまり附子湯の鎮痛作用をよりもっと強くするために鎮痛作用の強い桂心と甘草を加えた形をとっている。

           附子
       温補
           白朮      裏水  
       利水
 温補       茯苓             鎮痛

           芍薬
     補気
           人参      健胃




臨床応用
 感冒・流感等で脈沈・背部悪寒するもの・惡寒するもの・神経痛・筋肉RA・関節炎・関節RA・湿疹・蕁麻疹・下腹冷痛・腹膜炎・ネフローゼ・浮腫・腹水・口内炎・舌赤裸無皮状・舌乳頭消失・腰冷痛・腦溢血・半身不随・妊娠腹痛・知覚麻痺・脊椎弯曲・両脚攣急・嚥下困難・冬期冷水により手の掻痒を訴えるもの。(漢方処方解説 492p 矢数)


(コメント)
『康治本傷寒論の研究』
p.276 漢方診療の実際は、本来は、漢方診療の實際

【参考】漢方診療の實際よる附子湯の解説
附子湯(ぶしとう)
 附子○・五~一・ 茯苓 芍薬各四・  朮五・ 人参三・
 本方は真武湯の生姜の代りに、人参を加えたもので悪寒・手足の寒冷等を目標とすることは、真武湯と同様であるが、此方は下痢に 用いることは少く、却って身体の疼痛・関節痛等に使用する。脈は沈んでいるものが多い。
 本方中の人参は、朮・附子と組むことによって、疼痛を治 する効がある。
 神経痛・リウマチ並びに急性熱性病の経過中に使用することがある。

『漢方診療の實際』は、現在は絶版。
現在はその改訂版である『漢方診療医典』がある。


『康治本傷寒論解説』では、身体疼を身体疼痛としている。
原文は、痛の文字は無い

湿=濕
脳=腦
悪=惡
実=實


康治本傷寒 論の条文(全文)