健康情報: 10月 2010

2010年10月31日日曜日

柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう) の 効能・効果 と 副作用

《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会 
28.柴胡桂枝干姜湯(さいこけいしかんきょうとう) 傷寒論

柴胡6.0 桂枝3.0 括呂根3.0 黄芩3.0 牡蛎3.0 乾姜2.0 甘草2.0

(傷寒論)
○傷寒五六日,已発汗,而復下之,胸脇満微結,小便不利,渇而不嘔,但頭汗出,往来寒熱,心煩者,此為未解也,本方主之(太陽下)

現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
衰弱して血色悪く,微熱,頭汗,盗汗,胸内苦悶,疲労倦怠感,食欲不振などがあり,胸部あるいは腹部(臍部周辺)に動悸を自覚し,神経衰弱気味で不眠,軟便の傾向があって尿量減少し,口内がかわいて,から咳などがあるもの。
本方は小柴胡湯を用いる症状より更に衰弱した症状に用いられる。従って強健な人とか硬便で便秘する場合には無効である。婦人の自律神経不安定症状あるいは更年期障害で咽喉に異物感があって,から咳する場合は半夏厚朴湯を,冷え症で尿意頻数の場合は当帰芍薬散を,頭痛,のぼせと共に立つくらみする場合は苓桂朮甘湯を考慮すべきである。心臓疾患で喘鳴を伴なった呼吸困難と共に浮腫は著しいが,本方適応症状より衰弱していない時は木防已湯がよい。胸内圧迫感が少なく,頭痛,のぼせ,耳鳴などを伴なう時は桂枝加竜骨牡蛎湯を一時使用するか,あるいはこれを併用するとよい。本方を服用してもなお食欲不振,疲労倦怠感あるいは盗汗がとれない場合は補中益気湯を試みるとよい。また軟便あるいは下痢の続く場合は五苓散あるいは半夏瀉心湯との合方を考慮すべきである。

漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
本方は小柴胡湯,柴胡桂枝湯柴胡加竜骨牡蛎湯などの症状に似て,衰弱が激しく体力が消耗して神経症状が著明なものに応用する。従って上記消耗性疾患でブドウ糖,ビタカン・リンゲルなどが対象になるような重篤な症候群が認められるものに適し,微熱がとれず口唇部や口内がかわいて流動食を摂取するも,胃腸機能が悪く消化不良性の軟便や著色した小量の尿を排出するもの。また心臓が衰弱しても脈も弱く,胸部や腹に動悸を自覚し,精神不安その他の神経症状が著明なものによい。
類証の鑑別,胸内苦悶,胸腹部動悸,神経症状,食欲の減退などについて柴胡加竜骨牡蛎湯および,桂枝加竜骨牡蛎湯に類似するが前者柴胡加竜骨牡蛎湯は比較的体力があって便秘するものを対象とし,後者の桂枝加竜骨牡蛎湯は虚弱な体質であるが衰弱の徴候がなく,消耗性の熱や口乾,軟便下痢などを認めないものに応用する。また貧血して動悸,息切れ,弱い脈,熱感などで炙甘草湯と類似するが,本方は衰弱に伴う諸症状および弱脈であり,炙甘草湯は不整脈,脈の結滞が主で便秘を伴うものに応用されている。
合方 本方は主として心不全や肝肥大に伴う腹水や浮腫,尿量減少などに五苓散と合方することが多い。


漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○柴胡桂枝干姜湯は柴胡姜桂湯ともよび,また略して姜桂湯とも言い,小柴胡湯や柴胡桂枝湯を用いる場合よりも更に虚弱なものを目標とする。したがって胸脇苦満も軽微で季肋下をさぐっても抵抗や圧痛を証明できない場合が多い。一体に腹力が弱く,心下部で振水音をきくことがある。また臍部で動悸の亢進をみとめることがある。血色も悪く,口が乾き,息切れ,動悸を訴える。盗汗が出ることもある。脈も弱い。

○この方は柴胡加竜骨牡蛎湯の虚証に用いるものであるから,柴胡加竜骨牡蛎湯の条下を参酌するがよい。

○姜桂湯は肺結核のほか,婦人の血の道症,神経症,心臓弁膜症などにも用いられる。

○姜桂湯の中の括楼根の代りに土瓜根を売る店がある。前者はキカラスウリの根であり,後者はカラスウリの根である。まちがえのないように注意しなければならない。土瓜根にはいやな苦味があって,これを用いると嘔吐を催すことがある。しかしこの頃は土瓜根を苦くないように製法してごまかすものもあるからやっかいである。

○肺結核で盗汗のやまないものには姜桂湯に黄耆茯苓各3.0を加え,せきのひどいものには五味子を加える。また動悸,息切れの甚しいものには呉茱萸1.0,茯苓3.0を加えて用いることもある。


漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○小柴胡湯に準じ,しかも身体虚弱で体力が衰え,あるいは長年の病気で衰弱しているもの。そこで胸脇が痞えて苦しく,往来寒熱,あるいは微熱があり,食欲がなく,さむけが強く,頭痛,咳,盗汗などがあり,患者は痩せ型で貧血気味,疲れやすく動悸や息切れしやすく,時に腹痛がおこり,尿利が減少することがある。特徴は顔面や頭部から汗が自然に出やすく,口乾や軽い口渇があり,胸部の動悸が更新している。脈も腹も緊張が弱く,腹部には胸脇苦満がある。たた胸脇苦満はたいてい軽いものである。

○細野史郎氏は自身の経験から,柴胡姜桂湯の適応症をつぎのようにのべている。
(1) 蒼白い顔色でいかにも寒そうに見え,また寒いと訴える。
(2) 肩がこるものが多く,その肩こりは柴胡桂枝干姜湯以外治るものがない。
(3) しかし,心臓の代謝機能障害のないものには効かない。
(4) 腹証の特徴は胸骨の剣上突起よりやや上部の中庭の部分に圧痛をみとめる。その他いわゆるもち肌の人が多い。体質は必ずしも虚弱とは限らない。

○橘窓書影に「時々悪寒,面熱し,舌上赤爛,頭昔出で,心下微結,腹満,小便不利,腰以下微腫あり,これ血熱,畜引(水毒)を挟む故なり,柴胡姜桂湯加呉茱萸茯苓を与う。」とある。

○村井大年口訣に「姜桂湯,赤胎の舌(あかむけ)の鹿の子まだらに白く付くあり,又舌がこわれてものがしみるものあり」とあって舌が赤く荒れること果言っている。

○金匱要略に「柴胡姜桂湯は瘧(おこり,マラリアのような病気)で寒多く,微しく熱あり,あるいは寒くして熱せざるを治す」とある。

○類聚方に「小柴胡湯証にして,嘔せず,痞せず,上衝して渇し,胸腹動あるもの」「按ずるに頭汗出ずるは,これ衝逆なり」とある。(痞は胃に食物が停滞して心下に痞えること。上衝は上へつきあげる症状)

○治痢功徴篇:下痢が長い間止まず,あるいは下痢が止んで,脈が数で,食欲がない。あるいは下痢が止んで,脈が数で,食欲がない。あるいは口渇があって腹中に動悸があるものは柴胡姜桂湯がよい。

○丹波家方的:喘息でさむけがして熱があり,胸部の動悸がはげしいもの。

○方輿輗:耳鳴りで,動悸が上がって耳にひびくもの。

○処方筌蹄,淋瀝:腹診すると腹じゅうに網のように動悸があり,小便が淋瀝するもの。婦人帯下があって小便が淋瀝するものによい。

○古家方則:長い間,赤白帯下を患って痩せて力がなく,往来寒熱して渇するものを治す。


漢方診療の実際〉 大塚、矢数、清水 三先生
本方は柴胡加竜骨牡蛎湯証のようで,体力が弱く,脈腹共に力のないものに用いる。患者は一体に貧血症で心悸亢進,息切れ,口乾があり,或は往来寒熱の状があり,或は乾咳があり,或は頭汗,盗汗があり 大便は軟く,尿利減少の傾向あるものに用いる。本方証の舌は一定せず,白苔のこともあり,舌乳頭が消失して一皮むけたような紅いものもあり,また舌に変化のないものがある。方中の柴胡,黄芩は主として胸脇部に作用し,解熱,疎通,鎮静の効がある。括楼根は滋潤,止渇,鎮咳の効があり,牡蛎は鎮静的に働き,また桂枝と協力して胸腹の動悸を治し,かつ盗汗を止める。乾姜は温薬で,組織の機能を鼓舞亢進させ,甘草は諸薬を調和し,健胃の効がある。以上の目標に従って本方は,諸熱性病,肺炎,肺結核,胸膜炎,腹膜炎,マラリア,或はマラリア様熱疾患,神経衰弱,血の道,不眠症,心悸亢進症,脚気等に用いられる。


漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
構成:小柴胡湯に似て桂枝があるから気の上衝があり,乾姜があるから裏寒の状態があり,半夏がなく,括楼根があるから水分の代謝障害は乾燥状態で,牡蛎があるから下虚,腹動,上衝,小便不利があることが考えられる。畢竟,本方部位は小柴胡湯でも気が下虚し,熱により気上衝し上部に仮熱を生じ,体液は減少するが,熱と上衝につれて上部に洩れる状態である。これを症状について見ると次のようになる。
運用 胸脇微結し,頭汗,口渇,腹動する。
「傷寒5,6日,已に汗を発し,而して復た之を下す。胸脇満,微結,小便利せず,渇して嘔せず,ただ頭汗出で,往来寒熱,心煩する者はこれ未だ解せざるなり」(傷寒論太陽病下篇)汗を発しとか之を下しとかは決して出鱈目に書いてあるのではなく,大切な意義があるのを見落としている人がある。汗を発すれば表の実は取れているか,或は虚に陥っているかであり,下した後は裏実が取れているか,或は裏虚に陥っているかである。この場合は表虚と裏虚を兼ねてただ中部胸脇だけが微結しているのだ。胸脇満は胸脇部位に自覚的に膨満感或は他覚的膨隆が認められることで,その部に気が実していることを物語っている。微結は微しく結するで,結とは気と水とが集結している時によく使われる言葉だが,他覚的には微結は脇下の腹壁が軽度に薄く緊張しているのが認められる過ぎない。そういう状態では小柴胡湯に似て往来寒熱も起り得る。然し小柴胡湯のようには緊張せぬから嘔は起らない。下虚のために腹動がしばしば認められる。腹動とは腹部大動脉の搏動亢進で,気の上衝がここから起っているので併せて熱が未だ解せないからその熱のために上方に向って気の上衝は起り,頭汗となったり頬部紅潮になったりする。心煩も一つはそのためで,小柴胡湯にも心煩があるが,それは胸脇苦満に伴う充塞性のものであるのに対して柴胡桂枝干姜湯は熱気上衝によるのが主になっている。発汗したり,下したりした後だから,当然,体の水分は外に出て,体内の水分は減少している。そのために腹動も促されるのであり,小便も不利するのであり,渇も起るのである。殊に小便不利は小便は気が下るにつれて出るのだから,その気が上衝状態に在って下らないから,水分不足と共に小便不利を起すようになる。頭汗は仮熱が上にあり,気上衝につれて水分が下に出て行かずに上方に出て行く状態である。それが上方に出ないときは盗汗と成て殊に上半身に出るようになる。この病理は組合せた薬物の個々の薬能と照合せれば一層明らかになるであろう。往来寒熱の一様態として「瘧,寒多く,微しく熱有るもの,或はただ寒して熱せざるもの」(金匱要略瘧病)がある。寒は悪寒,熱は発熱の意。臨床的には小柴胡湯とほぼ同様の病名に対して使われる。ただ小柴胡湯よりは虚して裏寒上衝がある場合だが,その内でも多く現われる症状は疲労性で脉が弱く皮膚が乾き,頭汗,口渇,腹動,軽咳,食欲不振である。これらの症状は全部揃うことを要せず,ただその状態と若干の症状の組合せがありさえすればよい。その他弛張熱を目標にして小柴胡湯よりも虚したマラリア,肺結核,腎盂炎,るいれきなどにしばしば使い,微結を目標にして結核性腹膜炎の腹膜肥厚硬のあるもの,胃酸過多症(牡蛎のアルカリも有効になる)急性腎炎,ネフローゼ(弛張熱,浮腫,小便不利を伴う)に使う。また処方の構成が柴胡加竜骨牡蛎湯に近い所から同湯の証に似て虚したヒステリー,神経質,神経衰弱などで急にのぼせて肩が凝り,肝癪を起すような者。殊に婦人の多く使う。その他頭汗,口渇を目標に頭部又は上半身湿疹にも使う。鑑別すべきは小柴胡湯より柴胡桂枝干姜湯の方が虚していたり,所謂ひねになっている。寒多く,熱少しも参考になる。口渇,頭汗は小柴胡湯にもあるが著明でなく、腹動はない。肋骨弓下の緊張も,小柴胡湯は著明だが柴胡桂枝干姜湯は軽微で,時には認め難い位のこともある。
<小建中湯> 脉が弱いときに微熱,胃痛,盗汗,口渇,心悸亢進,息切れなど個々の症状が共通するので紛わしいこともあるが,小建中湯では小便自利,本方では小便不利,小建中湯には頭汗も腹動もない。

<真武湯> 虚している状態,熱発軽咳などの肺結核の時には紛わしいが真武湯には頭汗,口渇、腹動,心下微結はない。

炙甘草湯> 重症の肺結核で高熱,皮膚乾燥,盗汗,心悸亢進,咳などがあ識時には鑑別を要する。炙甘草湯にも口渇,腹動がある。炙甘草湯の方は呼吸促迫,心臓部搏動も著明で全体の虚と枯燥が強度で何となく騒がしい動揺性の状態で脉も浮虚になっている。その他梔子豉湯,茵蔯蒿湯など一部の症状は共通するものがあっても全体的に症状の組合せが違うから鑑別は容易である。


漢方処方解説〉 矢数 道明先生
胸部が微かに実し,表に熱があって裏に寒があり,水分不足をきたして枯燥し,気の上衝がある。本方は発汗して表が虚し,下したために裏が寒に陥ったものである。発汗と瀉下によって体内の水分が欠乏し,尿量が減じて渇してくる。表熱が残って裏の気が上昇し,水分欠乏のため全身に発汗せず,ただ頭汗だけが出る。本方は柴胡加竜骨牡蛎湯と似ているが,体力は弱く,貧血性で,脈腹ともに力のないものが目標である。主訴として心悸亢進,息切れ,口渇があり,あるいは往来寒熱の状があり,あるいは乾咳,頭汗,大便軟く,尿利減少の傾向がある。舌は一定せず,白苔のこともあり,舌乳頭が消失して一皮むけたような紅いものもあり,また舌に変化のないものもある。


類聚方広義〉 尾台 榕堂先生
労瘵,肺痿,肺癰,瘭疽,瘰癧,痔漏,結毒,梅毒等久しきを経て癒えず,漸く衰憊に就き,胸満乾嘔,寒熱交作,動悸,煩悶,盗汗,自汗,痰嗽乾咳,咽乾口燥,大便溏泄,小便不利し,面血色無く 精神困乏して,厚薬(味の濃い薬)に耐へざる者は此の方に宜し。


勿誤薬室方函口訣〉 浅田 宗伯先生
此方も結胸の類症にして,水飲心下に微結して,小便不利,頭汗出る者を治す。此の症骨蒸(結核熱)の初期,外感よりして此の症を顕する者多し。此方に黄耆,別甲を加えて与うるときは効あり。高階家にては別甲,芍薬を加えて緩痃湯と名づけて,肋下 或は 臍傍に痃癖(結核性腹膜炎の硬結)ありて,骨蒸の状をなす者に用ふ。此方は微結が目的にして,津液胸脇に結聚して五内に滋さず。乾咳出る者に宜し。(中略)又此方の症にして左脇下よりさしこみ,緩み難き者,或は澼飲の症に呉茱萸,茯苓を加えて用ゆ。又婦人の積聚水飲を兼ね時々衝逆,肩背強急する者に験あり。

日本東洋医学会誌〉 第8巻3号 小倉 重成先生
(中略)
位:少陽の変位で陽虚証。本方に傷寒5~6日とあるのが丁度病の少陽位にあることを示していると考えられる。
脈:浮弱,沈弱,動脈硬化症を伴う時はその程度に応じた硬脈を呈することもある。
舌:苔なくやや乾燥気味のことが多い。熱症状のない時は多くは湿潤している。
腹:傷寒論に「已に汗を発し,而して後之を下し」とあるのは(必ずしも発汗,瀉下を経なくとも)体力の相当の消耗を思わせ、従ってこれが脈にも現われ,腹は軟弱に傾いている。多くは右季肋下部に僅微な抵抗をふれ,左に対し多少の不快感を伴う(胸脇満微結)が胸脇苦満程強くはない。また腹部の軟弱なため季肋下部の抵抗をふれぬこともある。臍上悸はあることの方が多い。胃部振水音はないことの方が多いが認められることもある。
自覚症
(1) 季肋部に窮屈感を覚える。時には胃部痞感を伴う。
(2) 口燥,渇,尿不利,従って浮腫を伴うこともあ音¥
(3) 頭汗,盗汗等発汗は概して上半身に多く,逆上して顔が赤く,逆に下肢は冷えることが多い。しかし顔色も貧血気味のことも多い。また自汗は必発ではない。
(4) 少陽位の発熱である往来寒熱(弛張熱)を伴う。
(5) 自他覚的に胸部腹部に動悸を覚えることが多い。
(6) 煩悶,焦燥,物に驚きやすい。(後略)


<漢方の臨床> 第4巻第12号
柴胡桂枝干姜湯の関する2,3のことども  坂口 弘 先生

中庭・鳩尾の圧痛
柴胡桂枝干姜湯の云う処方は中々魅力ある処方である。胸脇満微結し往来寒熱,心煩あり,下虚して上衝,頭汗,腹動などを生じ,体液損乏して小便不利,渇を呈するのが姜桂湯の証だと云われる。和田正系氏は本方投与の決定的目標としては「面に血色乏しきこと,盗汗,特に頭汗著明なること,而して最後に重要なるは脈搏の微弱細数にして如何にも無力性なることではないかと思う」と述べられている。
然し頭汗などはそう何時でも出てくるものではなし,面色悪しきこと,脈微弱細と云うことは本方に限らず弱った患者には見られることであって中々本方の決定はむつかしい。
熱心に診察して動悸や頭汗,渇,小便不利などを確めて姜桂湯を処方して一向に効果がなく、反って瓜呂根の為に嘔気を来したりするのに,動けない結核の軽人に話だけ聞いて,投与したのが奇効を奏するという皮肉なことになることも屡々あった。
腹証は僅かの胸脇苦満と臍上の動があげられている。然し臍上の動も必ずしも姜桂湯証とは限られないし,胸脇苦満も更に広範囲にあるものであるから決定的証としてはそれ程有用でない。私共はこの他に本方の腹証として相当確実なるものに気付いて日常便利している。
それは鳩尾・中庭の圧痛である。指尖を肋骨弓線へ入れてゆくと胸骨下端あたりで、比較的小範囲の,然し極めて敏感に反応する圧痛点を証明する。この圧痛は膻中の圧痛,そして更に背部の心兪辺り殊に左の心兪の圧痛,硬結及び自覚的なこりや痛みと屡々結びつくのである。この圧痛点が姜桂湯証に特有のもののように思って本方を使ってみると意外に応用範囲が広まり,又効果も確実の様である。
大体鳩尾・中庭や膻中は心の募にあたり,心下部にあり,心臓ノイローゼの如き疾患に屡々圧矢を呈する所であり,之が心兪と結びつくのであるが,心兪の反応は膈兪辺迄及ぶこともある。
さてこの様にして使用した姜桂湯の適当証に肩に痛みがある。
肩胛関節の痛みで上肢挙上困難がある場合巨闕の針で運動が可能になることがあるのは針灸をやる人はよく経験するところである。従って五十肩の場合に前記の圧痛が出現し易いのであろうが、これを目標として,特に他の姜桂湯の症状がないのに意外の効果がある。(中略)

姜桂湯患者の性格
姜桂湯の圧痛点がノイローゼの圧痛点に一致することを述べたし,又疲労の場合に同じ様な反応の出ることも述べたが、姜桂湯は確かにノイローゼ,神経衰弱疲労の有力な治方である。
この場合姜桂湯が効く患者に共通の特徴があるように思う。この性格は神経症や神経過敏を目標とする時のみならず,肩こりその他の場合に用いる時も或程度目標となるように思う。
それは気をよく使う性質であり,所謂苦労性とか心配性であるが、何か事がある。たとえばこの様な患者は多くは婦人であるからお客があると非常に張切って生々と活躍するが,客が帰るとガックリと疲れて,頭痛や肩こりや動悸不眠等種々の訴えを持つようになるのである。又外出先では元気であるのに家へ帰って来ると急に疲れて,2,3日寝込むと云った具合である。つまり外界の刺戟に対しては極めて活発なる反応態度をとるが,この刺戟がなくなると内部緊張は一度に緩んで,劇しい疲労を感じるのである。この特徴も本方証を決定するのに可成役立つ様に思う。



漢方診療の實際』 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう)
本方は柴胡加竜骨牡蠣湯證のようで、体力が弱く、脈腹共に力のないものに用いる。患者は一体に貧血症で、心悸亢進・息切れ・口乾があり、或は往来寒熱の状 があり、或は乾咳があり、或は頭汗・盗汗があり、大便は軟く、尿利減少の傾向のあるものに用いる。本方證の舌は一定せず、白苔のこともあり、舌乳頭が消失 して一皮むけたような紅いものもあり、また舌に変化のないものがある。
方中の柴胡・黄芩は主として胸脇部に作用し、解熱・疎通・鎮静の効がある。瓜呂根は滋潤・止渇・鎮咳の効があり牡蠣は鎮静的に働き、また桂枝と協力して胸腹の動悸を治し、かつ盗汗を止める。乾姜は温薬で、組織の機能を鼓舞亢進させ、甘草は諸薬を調和し、健胃の効がある。
以上の目標に従って本方は、諸熱性病・肺炎・肺結核・胸膜炎・腹膜炎・マラリア或はマラリア様熱疾患・神経衰弱・血の道・不眠症・心悸亢進症・脚気等に用いられる。



『漢方精撰百八方』
68.〔方名〕柴胡桂枝乾姜湯または柴胡桂姜湯(さいこけいしかんきょうとう又はさいこけいきょうとう)
〔出典〕傷寒論、金匱要略
〔処方〕柴胡6.0 桂枝、括呂根、黄芩、牡蛎各3.0 乾姜、甘草各2.0
〔目標〕自覚的 句渇、口燥、頭部発汗或いは盗汗があり、疲れやすく、尿利渋滞し、ときに往来寒熱、心悸亢進、咳嗽、心気鬱滞等がある。
他覚的
脈 やや弱、浮弱、浮細、ときにやや沈。
舌 やや湿潤し、微白苔か、苔なし。
腹 腹力は中等度又はやや軟で、両肋骨弓下、とくに多くの場合は右肋骨弓下に、弱度の抵抗と圧痛とを認め、臍上又は臍下に腹大動脈の搏動を著明に触れる場合が多い。
〔かんどころ〕頭部に汗出で、ねあせも出でて、疲れやすくて、のどかわき、臍上悸ありて、小便少ない。 〔応用〕
1.急性熱性病がやや日を経て、やや疲労衰憊にかたむいたもの。
2.肺炎、胸膜炎、肺浸潤等で、微熱が去らず、盗汗、口渇の傾向のあるもの。
3.マラリア様疾患で、寒戦は甚だしいが、発熱は顕著でないもの。
4.胃酸過多、胃カタル
5.脚気
6.中耳炎
7.ネフローゼ
8.低血圧症
9.ノイローゼ
10.神経性心悸亢進症
11.結核性腹膜炎
12.フルンケル
13.血の道症
〔治験〕本方は極めて応用範囲の広い薬方である。少陽期柴胡剤のうちの最も虚状のつよいものであって、諸症状は柴胡加竜骨牡蛎湯証に似て、ただそれが総体的に虚状をつよくしたもの、言い換えれば、柴竜湯と表裏の関係にあるものということが出来る。本方はあまりに頻用されるので、一々例を挙げたらきりがない。類聚方広義の本方に関する頭注は、短文よくその要を尽くしているので、次に引用しておこう。 「癆痎(肺結核)、肺痿(肺壊疽)、肺癰(腐癈性気管支炎)、癰疽、瘰癧、痔漏、結毒、黴毒等、久しきを経て兪えず、漸く衰憊に就き、胸満、乾嘔し、寒熱交わりも作り、動悸、煩悶し、盗汗、自汗し、痰嗽し、乾咳し、咽乾、口燥、大便溏泄し、小便利せず、面に血色なく、精神困乏し、厚薬に耐えざるものは、此の方に宜し」。
藤平 健



漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
6 柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう) (傷寒論、金匱要略)
〔柴胡(さいこ)六、桂枝(けいし)、瓜呂根(かろこん)、黄芩(おうごん)、牡蠣(ぼれい)各三、乾姜(かんきょう)、甘草(かんぞう)各二〕
本 方は柴胡姜桂湯(さいこきょうけいとう)と略称される。柴胡加竜 骨牡蠣湯證に似ているが、表裏が虚し、半表半裏のみ微結しており、気の上衝があるものに用いられる。したがって、疲労しやすく胸脇苦満は弱い。本方は、頭 汗、不眠、口渇、尿量減少、心悸亢進(動脈、腹動)、精神不安、息切れ、咳嗽、軟便などを目標とする。
〔応用〕
柴胡剤であるために、大柴胡湯柴胡加竜骨牡蠣湯のところで示したような疾患に、柴胡桂枝乾姜湯證を呈するものが多い。特に神経系の疾患に適応するものが多い。


(益田総子)
当帰芍薬散の効く人が、長く病気をしている場合には、柴胡桂枝乾姜湯を加えるととても良くなることが多い。



【参考】
うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html

慢性肝炎に使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2008/12/blog-post_24.html

2010年10月28日木曜日

女神散(にょしんさん) の 効能・効果 と 副作用

『臨床応用 漢方處方解説 増補改正版』 矢数道明著 創元社刊
110 女神散(にょしんさん) 安栄湯〔浅田家方〕
 当帰・川芎・香附子 各三・〇 桂枝・黄芩・人参・檳榔・ 各二・〇 黄連・木香・丁香・甘草 各一・〇 大黄〇・五~一・〇(通じのある人は大黄を去る)

応用〕気をめぐらし、気を降し、鬱を散じ、血熱をさます。更年期における精神安定剤の役目を果たし、主として血の道症・更年期障害・産前産後の諸神経症によく用いられる。

目標〕上衝と眩暈とを目標とする。更年期血の道症で、虚実半ばし、血熱のあるものによい。また産前産後に起こった自律神経症候群で、のぼせとめまいを主訴とするものによい。脈も腹もそれほど虚していない。

方解〕当帰・川芎は血を順らし、よく血を補い、桂枝は上衝を治し、木香は諸気を降し、鬱を散ず。丁香はよく気をめぐらし、香附子は気を開き、檳榔は胸中の滞気を行らす。白朮・人参・甘草は脾胃を補い、黄連は心胸間の邪熱をさまし、黄芩は裏の熱を清解する。

加減方〕白朮・香附子を去り、萍蓬根・芍薬・地黄・沈香・細辛を加えて清心湯と名づける。

主治
 勿誤薬室方函に、「血症、上衝、眩暈スルヲ治ス。及ビ産前産後通治ノ剤ナリ」とあり、
 勿誤方函口訣には、「此方ハ元安栄湯ト名ケテ、軍中(戦線にて)七気(神経症)ヲ治スル方ナリ。余ガ家ニテ婦人血症ニ用イテ特験アルヲ以テ今ノ名トス。世ニ称スル実母散、婦王湯、清心湯ナド皆一類ノ薬ナリ」とある。

鑑別
 ◯加味逍遥散23(血の道症(○○○○)頭痛(○○)眩暈(○○)・虚証で程度が軽い。)
 ◯桂枝茯苓丸37(上衝(○○)眩暈(○○)・実証で下腹部瘀血あり)
 ◯釣藤散99(神経症(○○)頭重(○○)眩暈(○○)・肩こり、高血圧)


治例
 (一)血の道症(更年期鬱病)
 五六歳の主婦。患者は一見放心症態で、自ら容態を訴えない。附添いの夫の述べるところによると、従来は一家中で一番の働き手であったが、一年前から気持が悪いといってふさぎこみ、だまりこくって、箒一本手にしなくなった。鬱病のように一室に閉じこもることが多くなり、その他の訴えとしては、頭重・のぼせ・めまい・肩こり・寒けなどで,大学病院で神経衰弱といわれ、電撃療法をすでに三三回もやったが治らなかった。
 栄養もよく、顔色は赤い方で、健康そうに見える。脈は沈で、心下部硬く、臍上水分穴のあたりに動悸が亢ぶっている。
 更年期障害の血症で、上衝・眩暈を主訴とするものとして、女神散を与えたところ、一ヵ月で気分ひらき、五ヵ月で全くもとのようになった。(著者治験、漢方百話)


『漢方精撰百八方』
105.〔女神散〕(にょしんさん)

〔出典〕浅田家方 〔処方〕当帰、川芎、桂枝、白朮、黄芩、香附子、梹榔 各3.0 木香、黄連 各2.0 人参、甘草 各1.5 大黄1.0 丁香0.5

〔目標〕体質的に余り特徴がなく、瘀血の徴候もはっきりしないが、多くは月経異常のある婦人や産後、流産のあとなどに起こった神経症状に用いる。
 症状は大抵、慢性、頑固で、長い間、不眠頭痛、頭重感、めまい、動悸、のぼせ、腰痛などに悩まされている。そして、精神不安があって気分が憂鬱である。
 不眠のあるときは、芍薬を加えるとよい。

〔かんどころ〕体質が中ぐらいか、それ以上に強い人。神経症状は一定で、余り変化せず、一つ二つの訴えをいつまでも頑固に固執する傾向がある。 〔応用〕血の道、神経症、ヒステリー、更年期障害、精神病

〔治験〕患者は28才の婦人。薬剤師
 2年前に初めてのお産をした。そのとき無痛分娩の目的でノブロンを注射したら、それ以来、手足が無感覚となり、頭の中に灼熱感や頭痛がおこり、常に頭が重くて何かものを被ったような感じがするという。注射の為ばかりではないだろう。
  初めは目もはっきり見えないような感じだったが、1年ほどして、ようやくものが見えるようになった。しかし、相変わらず頭がぼんやりして、考えがまとまら ないというのが主訴である。本人は、お産が初めてなので、お産の後はこんなものかと思っていたという。しかし、最近になって病気と気づき、近所の医師にか かったが、はっきりせず、出身大学の教授に紹介されてきたのである。
 からだは中肉中背、脈は沈んで細く小さい。腹は左の腹直筋が少し拘攀しており、くびすじの筋肉がこり、腰背部の志室のところに圧痛がある。月経は産後順調でない。
 これに、症状の変化がなく、訴えが少ないことを目標に、女神散去大黄(便通が順調なので大黄を除いた)を与えた。
 すると1週間目には効果が出てきて、少しずつ頭がはっきりしてきた。そして2ヶ月で全治した。                                   山田光胤


『漢方処方応用の実際』 山田光胤著 南山堂刊
189.女神散(浅田家方)
 当帰,川芎,桂枝,白朮,黄芩,香附子,梹榔各3.0,木香,黄連各2.0,人参,甘草各1.5,大黄1.0,丁香0.5

 〔目標〕  体質的にあまり特徴がなく,体力中ぐらいかやや弱い婦人,瘀血の徴候もはっきりしないが,たいていは月経に異常がある.産後,流産のあと,人工中絶後 などによくおこる神経症状である.
 症状はたいてい,慢性,頑固で,長い間 不眠,頭痛,頭重感,めまい,動悸(心悸亢進),のぼせ(上逆感),腰痛 などになやまされ,精神不安があり,気分が憂うつである。
 不眠には,芍薬を加えるとよい。

 〔説明〕  ある一定の神経症状を,頑固に固執してあまり変化をみせず,一つか二つの訴えをいつまでも続ける傾向が特徴である.
 体質的には,あまり虚弱な人にはむかない.薬味の上で,黄連,大黄 などがあるのは,このことを示している.

 〔参考〕   勿誤薬室方函口訣には「血症,上衝,眩暈を治す.及び産の前後通治の剤なり」とあり,同方函口訣に「この処方はもと安栄湯といい,軍中七気を治する方 なり.余の家,婦人血症に用いて特験あるを以て今の名とす.世に,実母散,婦王湯,清心湯といっているものは,みな一類の薬なり」とある.これによると, 本方は婦人に用いるだけでなく,武士が戦場で,鎮静剤として用いたことがわかる.

 〔応用〕  血の道,神経症,ヒステリー,更年期障害,分裂病,その他の精神疾患.

 〔鑑別〕  加味逍遥散の項 参照.
 1) 加味逍遙散 女神散と最も近似した処方は 加味逍遥散 である.ただ この方は,女神散より虚証で,体力のない婦人である.一見肥満型にみえても,筋肉が軟らかくてしまりがない人である.
 症状も,同じように訴えが多いが,しかし この方は症状がいろいろに変化するのが特徴である.女神散が一つの症状に頑固に固定するのと大いに異なるところである.

  2) 抑肝散,抑肝散加陳皮半夏 女神散の証が,慢性沈潜的であるのに対して,興奮的,亢揚的なものに 抑肝散 の証がある.この場合は,両側の腹直筋が 攣急しているものか多い.また 反対に無力性で沈潜的なものは抑肝散加陳皮半夏の証がある.この場合は腹証に特徴があって,左の臍傍から心下部に至って, 激しい動悸が触れる.ところが大塚氏は,こういう場合でも,抑肝散でもよいことがあると発表している.

 3) 治血狂一方 女神散の証は,意識は正常で,常人と意思が疎通するものであるが,意識が病的になって,正常と思えないものは本方である.妄想,幻覚,昏迷 などの精神症状があるものには本方を用いる.

 〔症例1〕  地方へ行くと,どこの部落にも,たいてい一人ぐらいは長年ねたり起きたりしている,ぶらぶら病いの中年婦人がいるものである.医者は,「たいしたことはない,あなたの気のせいだ」といって,あまり相手にしてくれない.
 わたしが医学生のころ,埼玉県秩父のある町で,歯科医をしている友人にたのまれ,その近所の婦人のところへ,義父を案内して往ったことがある.
 30歳代の婦人は,たいしてやつれてもいなかったが,10年も前から,ほとんど臥たきりで,自分用のとき以外は起き出さないといっていた.訴えは,頭痛とめまいで,これは その付近の名のある医故にみんな診てもらったが,治らなかったということであった.
 患者は,中肉中背で,少し色黒のほうだった.このとき 父は女神散を投与した.すると3ヵ月ぐらいで患者は床を上げ,ぼつぼつ仕事をしはじめた.

 〔症例2〕  以上の例をみて,わたしは女神散の用い方を覚えた.
 2年前,初めてのお産をしたという28歳の婦人が来院した.その人は薬剤師で,恩師の薬学部教授に紹介されて,わたしをたずねて来たのであった.
 出産のあと,頭がぼんやりとして,思考力がさっぱりなくなってしまった.はじめは 誰でもこうなるのかと思っていたが,家族に注意されて病気らしいと気づいたという.
 中肉中背で,余り神経質そうに見えない婦人だった.脈も腹も特徴がないので,女神散を投与した.すると2ヵ月程ですっかり元気になった.





『病気別 症状別 漢方処方』 矢数道明・矢数圭堂著 主婦の友社刊

女神散(浅田家方)

処方 上帰・川芎・白朮・香附子各3.0g 桂枝・黄芩・人参・檳榔子各2.0g 黄連・木香・丁香・甘草各1.0g 大黄0.5~1.0g(通じがある人は大黄を去る)
 気をめぐらし、ウツを散じ、血熱を冷ますもので、更年期における精神安定剤の役目を果たし、血の道症や湿年期障害、産前産後の諸神経症に用いられるものです。
 のぼせとめまいを目標として、更年期のウツ病などに応用されます。

治った実例
 血の道症(更年期ウツ病)を女神散で治した
  56才の主婦。患者は一見放心状態で、みずから容体を訴えようとしません。付き添いの夫が話したところによると、従来は一家じゅうでいちばんの働き手でし たが、1年前から気持ちが悪いといってふさぎ込み、黙り込んで、ほうき一本手にしなくなったということです。そして、ウツ病のように一室に閉じこもること が多くなりました。
 その他の訴えとしては、頭重、のぼせ、めまい、肩こり、寒けなどで、大学病院で神経衰弱といわれ、電撃療法を受けましたが、治りませんでした。
 栄養もよく、顔色は赤いほうで、健康そうに見えます。脈は沈んで、心下部がかたく、へその上に動悸が高ぶっています。
 更年期障害の血証で、のぼせとめまいを主訴とするものとして女神散を与えたところ、1ヵ月で気分が開き、5ヵ月で全く元のようになりました。




『-考え方から臨床応用まで- 漢方処方の手引き』 小田博久著 浪速社刊

女神散(浅田宗伯)
 当帰・川芎・白朮・香附子:三、桂枝・黄芩・人参・檳榔:二、黄連・木香・丁香・甘草:一、大黄:〇・五~一。

(主証)
 脈虚でない。のぼせとめまい。

(客証)
 更年期の精神不安。頭重。

(考察)
 下腹部瘀血、女神散より実 → 桂枝茯苓丸。
 高血圧 → 釣藤散。
 虚証、訴えに変化 → 加味逍遙散



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック』 桑木 崇秀著 創元社刊
女神散 <出典>浅田家方(明治時代)

方剤構成
 人参 白朮 甘草 黄芩 黄連 当帰 川芎 桂枝 香附子 檳榔子 木香 丁香 大黄

方剤構成の意味
 人参・白朮・甘草は人参湯から乾姜を除いたもので,これに心下痞を治す黄芩・黄連の組み合わせ,血のめぐりをよくする当帰・川芎の組み合わせ,芳香性健胃薬(気のめぐりをよくすると漢方では考える)である香附子・木香・丁香などを加えたものである。桂枝もこの場合,芳香性健胃薬として期待されているが,特にのぼせを下げる薬として方剤中重要な地位を占めている。檳榔子も健胃薬であり,香附子は気をめぐらすとともに調経作用(月経を調える作用)もあり,当帰・川芎の作用を助ける。大黄は便秘のない場合は除いて用いる。
 この方剤は苓桂朮甘湯から茯苓を除いて他を加えたと見ることもできるように,めまいやのぼせを主目標に構成されており,人参湯が適するような体質で,心下痞や胃内停水があり,気のめぐり・血のめぐりがともに悪い場合に適した方剤と言うことができよう。

適応
 胃アトニーのある虚弱体質者の更年期・産前産後の諸神経症,ことにめまい。






『漢方 新一般用方剤と医療用方剤の精解及び日中同名方剤の相違』
 愛新覚羅啓天・愛新覚羅恒章著 文苑刊

168 女神散(別名女神湯、安栄湯)
《勿誤薬室方函》

[成分]:当帰3~4g、川芎3g、人参1.5~2g、白朮3g、甘草1~1.5g、桂枝2~3g、丁子0.5~1g、木香1~2g、香附子3~4g、檳榔子2~4g、黄芩2~4g、黄連1~2g、大黄0.5~1g

[用法]:湯とする。1日1剤で、1日量を3回に分服する。

[効能]:補血健脾、理気解鬱、清熱通便

[主治]:血虚脾弱、気鬱不暢、発熱便秘

[症状]:疲労倦怠感、眩暈、頭痛、抑鬱、四肢の冷え、胸悶、食欲不振、吐き気、腹脹、便秘、月経不順など。舌苔が薄黄、脈が微数。

[説明]:
 本方は補血健脾と理気解鬱と清熱通便の効能を持っており、血虚脾弱と気鬱不暢と発熱便秘の病気を治療することがてきる。
 本方に含まれている当帰、川芎は補血行血し、人参、白朮、甘草は補気健脾し、桂皮、丁子は温中降逆し、木香、香附子、檳榔子は理気解鬱し、黄芩、黄連、大黄は清熱通便する。原著では桂枝を用いており、桂枝は温経通陽する。
 本方は血の道証を治せる。血の道症とは、月経、妊娠、産後、更年期などの女性のホルモンの変動に伴って現れる精神不安やいらだちなどの精神神経症状が主な症状となる病気である。
 本方は大黄がなくでも、白朮を蒼朮に替えても厚生労働省には許可されている。本方は'74年に厚生省が承認したものより、桂枝を桂皮に替え、方剤名を女神湯から女神散に変えている。また、白朮を蒼朮に替えても許可することが増やされている。
本方は日本の漢方薬で、医療用漢方方剤と保険適用薬でもある。
 臨床応用と実験研究は張麗娟:女神散対更年期失眠的療效、国際中医中薬雑誌 2005 28(3)。
童建明、等:女神散対中枢神経系統的影響(第2報)-女神散対摘除卵巣並経薬物処理的小鼠脳内神経逓質的影響、国外医学・中医中薬分冊 1999 22(6)。今井純生、他:女神散をアトピー性皮膚炎に応用した2例、日本東洋医学雑誌 2000 50(6)。岩崎鋼、他:女神散の高齢者における抗うつ効果、和漢医薬学雑誌 2002 19(別冊)。
 血虚脾弱と気鬱不暢と発熱便秘の型に属する胃炎、腸炎、常習便秘、貧血、産前産後の神経症、月経不順、更年期障害、うつ病などの治療には本方を参考とすることができる。


【参考】
うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html


女神散 使用上の注意改訂情報 (平成19年1月12日指示分)

2010年10月25日月曜日

加味逍遙散(かみしょうようさん) 効能・効果 と 副作用

《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集 中日漢方研究会 
11.加味逍遙散(かみしょうようさん) 万病回春
当帰3.0 芍薬3.0 白朮3.0 茯苓3.0 柴胡3.0 甘草2.0 牡丹皮2.0 梔子2.0 乾生姜1.0 薄荷1.0

現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
頭重,頭痛,のぼせ,肩こり,倦怠感などがあって食欲が減退し,時々便秘するもの。
主として中年以降の,更年期様の不定愁訴を訴えるものに賞用されている。前項に記載のとおり本方が適応する症状は当帰芍薬散料,桂枝茯苓丸料,小柴胡湯に部分的に類似している。即ち,特に壮実体質でないやや貧弱または中間のもので,貧血または冷え症の体質で,神経症状を伴うものに応用するがおおむね次のような自覚的症状を訴えることが多い。
◎貧血様または貧血症であるにかかわらず,背部や上半身に熱感を自覚したり,あるいはのぼせて,ときに顔面が紅潮する。
◎貧血様体質で四肢倦怠感,頭痛,頭重,めまい,肩こり,不眠などを訴え,取越し苦労したり興奮したりするもの。
◎当帰芍薬散料適応症状が認められるが,同方が胃にもたれて気分がすぐれないと訴えるもの。
◎神経症状が著明な貧血,冷え症体質で,のぼせたり,月経周期がくるいやすいので便秘するが桃核承気湯不適なもの。
◎以上各項の症状がある者の慢性湿疹及びヒフ掻痒症にも応用する。
本方はこのように当帰芍薬散証で神経症状の強いもの,あるいは胃症状を訴えるものに用いてよく奏効する。

漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
虚弱な体質の婦人が手足が冷えやすいのに,ときどき全身があつくなり,よく肩がこり,疲れやすく,頭痛,頭重感,めまい,心悸亢進(動悸),不眠などを訴えて,精神不安,憂うつ感,などの精神神経症状があり,あるいは微熱がつづき,大抵の場合は月経異常を伴うものである。月経異常としては,月経不順,月経寡少,暗赤色の血塊やコーヒー残渣様の経血が下りるものなどがある。患者は痩せ型の婦人が多いが,中には肥満型の人もある。しかし,肥っていても筋肉は軟弱で,いわゆる水ぶとりのような形である。脈も腹部も緊張が弱く,腹証としては軽度の胸脇苦満がみられることも少なくない。梧竹楼方函口訣には「此の方は婦人一切の申し分に用いてよくきう。此方の目的は,月経不調,熱の往来もあり,午後になるとよく逆上して両頬が赤くなり,労症にでもなりそうなもの(衰弱ぎみのもの)によくきく。すでに咳嗽甚だしく,盗汗があり,痩せて,素人目にもはっきり虚労(結核のようなもの)となったものではおそい。また婦人の性質が肝気亢りやすく,嫉妬深く,すでに顔を赤くして目をつり上げ,発狂でもしそうになるものによい。男子に転用するには,平生癇癪持で,何かというと怒りやすく,激怒しては血を吐いたり,鼻血を出したりすることが月に3,4度もあるようなものに用いる。」と記してある。


漢方治療の実際〉 大塚 敬節先生
疎註要験「血風の症に加味逍遙散または四物湯に荊芥を加え用いることあり,かゆきこと甚しき者によし。」とあり,血風は今日の蕁麻疹の類である。
療治経験筆記に「身体掻痒とは周身かゆくなりて後には血の出るほど掻くてもまだあきたらず思うて掻く,是を身体掻痒という。一症には敗毒散或は川芎茶調散の類よけれども,これにて効なきときは加味逍遙散に効あるなり。」又同書に「男子,婦人,からだ中にひぜんのごとくなる者,周身にすき間もなくでき,甚だかゆく,なんぎをよぶものあり,この類には多くは血風,血疹などと心得て,敗毒散に加減をし,或いは発表の剤を用感て汗をかかせ,或は薬湯へ入れてみたり,その外種々さまざまなことをすれども一向に効なくて困りはてる病人あり,予この症を治して大効をとりしこと度々あり。加味逍遙散に四物湯を合方して用いること是れ至って秘事なり。」とある。加味逍遙散に地黄と川芎を加えると加味逍遙散合四物湯となる。


続漢方百話〉 矢数 道明先生
加味逍遙散は婦人血の道症に用いられることが最も多く,その応用目標は,全体的にみてやや虚証の体質で貧血気味,脈も弱い方で,腹は虚張ともいうべきもので,胸脇膨張しているが充実感が少ない。小柴胡湯その他の柴胡剤は強きに過ぎ,駆瘀血剤を用いるごとき抵抗や圧痛もない。自覚症状が極めて強烈で,身体熱感,灼熱感,さむけ,のぼせ,顔面紅潮,足冷,心悸亢進等の血管運動神経症状と頭痛,耳鳴,眩暈,不眠,嗜眠,怒りやすく,不安動揺等の精神神経障害様症状があり,また悪心,食欲不振,便秘等の消化器症状があり,かつ疲労感,脱力感を特に自覚するものである。本方は肝気の欝滞といわれていた自律神経失調症を調整し,いわゆるトランキライザーのごとき作用を有するものと考えられる。本方は虚証体質者の血の道症(更年期障害)の外,月経不順,流産や妊娠中絶後,卵管結紮後等に起こる血の道症(諸神経症状),不妊症,肺結核初期症候,尿道炎,膀胱炎,帯下,産後口内炎,湿疹,手掌角皮症,肝硬変症,慢性肝炎,癇癪持ち等に広的応用されるものである。


漢方処方解説〉 矢数 道明先生
本方は少陽病の虚証で,病は肝にあるといわれている。すなわち小柴胡湯の虚証で,胸脇苦満の症状は軽く,しかも疲労しやすく,種々の神経症状をともなうものを目標とする。主訴は四肢倦怠,頭重,眩暈,不眠,多怒,逍遙性熱感(ときどき定めなき灼熱感がくる。)月応異常,午後の逆上感と顔面紅潮が起こり,また背部に悪寒や蒸熱感,発汗等を起こすというものなどを参考とする。


勿誤方函口訣〉 浅田 宗伯先生
この方は清熱を主として,上部の血症に効あり。故に逍遙散の症にして,頭痛面熱肩背強ばり,鼻出血などあるものに佳なり。また下部の湿熱(尿不利をともなう熱,主として淋疾性のもの。)を解するもので,婦人淋疾,竜胆瀉肝湯などより一等虚候の者に用いて効あり。又男子婦人遍身に疥癬の如きものを発し,甚だ痒く,諸治効なきもの此方に四物湯を合方して験あり。華岡氏は此方に地骨皮,荊芥を加えて鵝掌風(手掌角化症)に用ゆ。又老医の伝に,大便秘結して朝夕快く通ぜぬと云う者,何病に限らず此方を用いれば,大便快通して諸病も治すと云う。即ち小柴胡湯を用いて津液通ずると同旨なり。


漢陰臆上〉 百々 漢陰先生
此方は婦人の一切の申分(訴え,神経症状の訴え)に用いてよく効く。いまより数十年前は,世界の医者は,婦人の病というと,ほとんどこの処方を用いた。此方の目標は,月経が不調になって熱のふけさめがあり,午後になると逆上して両頬が赤くほてるというものによい。或は婦人の性質が肝気亢り易く(怒りやすく神経質になって)嫉妬深く,火気逆衝して顔面赤く,径つり上り,発狂でもしかねまじき症によい。男子でも肝癪持ちに用いてよい。


漢方処方解説〉 矢数 道明先生
1958年9月北京「全国医業衛生技術革命経験交流大会」で肝硬変に対する漢方療法の報告があり,その中で早期治療法として,第一に掲げられているのが丹梔逍遙散(加味逍遙散のこと)である。すなわち本方は「肝硬変の比較的初期で,脇下疼痛(肝疝痛),肝腫大,腹張り,口乾口苦,頭痛、小便黄,あるいは衂血,牙齦出血などがあって,まだ腹水のない場合によい。」というものである。


蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
これまた小柴胡湯の変方なれども小柴胡湯よりは少し肝虚の形あるものにして、補中益気湯よりは、一層手前の場処に用ゆる薬と心得べし,一層手前とは補中益気湯ほどに胃中の気うすからざるをいうなり。故に方中参耆を用いず,その腹形は心下痞鞕し,両脇もまた拘攣すれども,さながら小柴胡湯の黄芩半夏と組み合わせたるなどを用いては,いま少しするどにて受け心あしきゆえ,少しく剤にやわらぎをつけて,当帰,芍薬,柴胡,甘草の四味にて心下両脇をむっくりとゆるめ,薄荷にて胸膈胃口を開き,白朮,茯苓にて胃中の水飲を下げて水道に消導するの意なり。本方に牡丹皮,山梔子を加へて加味逍遙散と名づく,これにては肝腎の虚火を鎮むるの趣意と心得べし。総じて牡丹皮はもっぱら血分をさばく薬なりとして瘀血のことには多い用いたれども,ただ一通り血分の薬とのも心得ては,いま少し穏やかならずしてわざに取ること不自由なり。そのゆえは八味丸の症などの瘀血にあずかることなきをもって知るべし。(中略)
考えてみるに加味逍遥散を用ゆべきものも見症はさまざまにて一定せざれども,まずその一端を挙げていうときは,婦人の産前,産後,口舌赤爛するの症など,この方を用いて治るものあり。この症は肝腎の虚火が心肺にせまるともいうべきものなり。しかれどもその脈腹は全体のところ,とくと逍遥散あたり,前の候ありて,その上にぜひとも牡丹皮,山梔子を加えて用ゆべき模的あるにあらざれば,用いて益なしと知るべし。(後略)


当荘庵家方口訣〉 北尾 春甫先生
此の方は和剤である。病をしっかりと治す薬でなく,和してよい薬である。病後の調理によいのである。牡丹皮と山梔子を加えて加味逍遥散という。牡丹皮は血熱を冷まし,瘀血を去る効があり,山梔子と共に血熱をさますのである。


漢方診療の實際』 大塚敬節・矢數道明・清水藤太郎著 南山堂刊
逍遙散(しょうようさん)
本方は婦人の所謂虚労や血の道に 用いるもので、四肢倦怠を覚え、頭重・眩暈・不眠・逍遙性熱感・月経異常等を目標とする。神経質にして体質の虚弱な婦人が、午後上逆して顔面紅潮し、背部 に蒸熱感を覚えるものがある。本方の治するところである。本方は小柴胡湯の変方と見做すべきもので、小柴胡湯よりは胸脇苦満の症状が軽く、しかも疲労し易 く、種々の神経症状を伴うものによい。また婦人の虚労症及び肺結核の軽症のもので、微熱・咳嗽・肩凝り・喀血・衂血などあるものによいことがある。しかし 進行性または開放性で胸部所見の著明なものには用いてはならない。
本方中の当帰・芍薬は欝血を去り、柴胡と共に鎮静作用がある。白朮・茯苓・甘草は健胃と利尿の効がある。薄荷は清涼の意で、また生姜と共に他の薬剤の吸収をよくする。
本方は以上の目標に従って、血の道・神経衰弱・ヒステリー・不眠症・肩凝り・月経不順・肺結核症・皮膚病等に応用される。

【加味逍遙散
】(かみしょうようさん)
本方に牡丹皮・山梔子各二・〇を加えて加味逍遙散と名づけ、逍遙散の證で、肩凝り・上衝・頭痛等著明で、やや熱状の加わるものに用いる。また虚弱者で、大 黄・芒硝等の下剤の適当せぬ便秘に用いて奇効がある。本方は当帰芍薬散料が胸にもたれて気分がすぐれず、小柴胡湯と合方したいと思うようなものによい。  本方に地骨皮・荊芥各二・〇を加えて、皮膚病ことに所謂水虫・手掌角化症に応用する。


『漢方精撰百八方』
96.〔加味逍遥散〕(かみしょうようさん)
〔出典〕女科撮要

〔処方〕当帰、芍薬、柴胡、朮、茯苓 各3.0 薄荷1.0 甘草、牡丹皮、梔子 各2.0 生姜1.0

〔目標〕虚弱な体質の婦人が、手足が冷えやすいのに、ときどき全身があつくなり、よく肩がこり、疲れやすく、頭痛、頭重感、めまい、心悸亢進(動悸)不眠などを訴えて、精神不安、憂鬱感などの精神神経症状があり、或いは微熱がつづき、多くの場合、月経異常を伴うものである。月経異常としては、月経寡少、暗赤色の血塊やコーヒー渣様の経血が下るものなどがある。
患者は、痩せ型の婦人が多いが、中には肥満型の人もある。しかし、肥っていても、筋肉は軟弱で、いわゆる水肥りのような形である。
脈も、腹部も、緊張が弱く、腹証として軽度の胸脇苦満がみられることも少なくない。

〔かんどころ〕百々漢陰の梧竹楼方函口訣に、「この処方は婦人一切の申し分に用いてよくきく」と書いてある。要するに、婦人がしじゅう、あっちが痛い、こっちが悪いと、つぎつぎ苦痛を訴えるものをいっている。しかも、現代医学的には、殆ど病変がみとめられないものは、本方の適応症である。

〔応用〕冷え性、虚弱体質、亜急性発熱、神経性発熱、月経不順、月経困難、帯下、各種の婦人科疾患、婦人血の道、神経症等

〔治験〕43才、婦人、腎盂炎
1ヶ月半前から、かぜをひいて、そのあと熱が少しも下がらない。熱は38.5℃ぐらいが半月ほどつづいたので、ある病院でみてもらったところ、腎盂炎だといわれて入院した。  しかし、熱は37.2℃ぐらいまでは下がったが、それ以上よくならず、その上頭痛がひどく、動悸がしやすく、腹痛もあって臍のあたりが引きつれるように痛い。腰も背中もときどき痛む。のぼせて、便秘をする。顔色はさほど悪くないのに、ひどく痩せて、ねたきりになり、いまにも死にそうな気がするという。
脈は浮弱で、腹部は肉付き少なく、両側の腹直筋が拘攀し、右に僅かに胸脇苦満があり、心下部に振水音もみとめられる。この患者に先ず柴胡桂枝乾姜湯を与えた。胸脇苦満を目標に、熱を下げるため、一番弱い柴胡剤を用いたのである。しかし、10日飲んでも全然よくならなかったので、加味逍遥散に変えた。これで、30日ばかりですっかり元気になった。
山田光胤




漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
柴胡剤
柴胡剤は、胸脇苦満を呈するものに使われる。胸脇苦満は実証では強く現われ嘔 気を伴うこともあるが、虚証では弱くほとんど苦満の状を訴えない 場合がある。柴胡剤は、甘草に対する作用が強く、解毒さようがあり、体質改善薬として繁用される。したがって、服用期間は比較的長くなる傾向がある。柴胡 剤は、応用範囲が広く、肝炎、肝硬変、胆嚢炎、胆石症、黄疸、肝機能障害、肋膜炎、膵臓炎、肺結核、リンパ腺炎、神経疾患など広く一般に使用される。ま た、しばしば他の薬方と合方され、他の薬方の作用を助ける。
柴胡剤の中で、柴胡加竜骨牡蛎湯柴胡桂枝乾姜湯は、気の動揺 が強い。小柴胡湯加味逍遥散は、潔癖症の傾向があり、多少神経質気味の傾向が ある。特に加味逍遥散はその傾向が強い。柴胡桂枝湯は、痛みのあるときに用いられる。十味敗毒湯荊防敗毒散は、化膿性疾患を伴うときに用いられる。

7 加味逍遙散(かみしょうようさん) (和剤局方)
〔当帰(とうき)、芍薬(しゃくやく)、柴胡(さいこ)、朮(じゅつ)、茯苓(ぶくりょう)各三、生姜(しょうきょう)、牡丹皮(ぼたんぴ)、山梔子(さんしし)各二、甘草(かんぞう)一・五、薄荷(はっか)一〕
本方は小柴胡湯證を虚証にしたような感じであり、柴胡剤と駆瘀血 剤を合わせ持った薬方である。胸脇苦満は軽く、瘀血による神経症状を伴うもので、神経症状が強くなって潔癖症の異常と思うほどのものもある。また、くどく どと症状をのべるものに、この證を認めることがある。本方は少陽病の虚証で、頭重、頭痛、めまい、上衝、不眠、肩こり、逍遙性熱感(ときおり全身に灼熱感 が起こる)、心悸亢進、月経異常、四肢の倦怠感および冷えなどを目標とする。
〔応用〕
柴胡剤であるために、大柴胡湯のところで示したような疾患に、加味逍遙散を呈するものが多い。特に神経系の疾患には適応するものが多い。
その他
一 月経不順、月経困難、帯下、更年期障害、血の道、不妊症その他の婦人科系疾患。




『漢方医学十講』 細野史郎著 創元社刊

逍遥散・加味逍遥散

合方と後世方の必要性について
以上、瘀血を治す薬方の虚と実の代表として、当帰芍薬散と桂枝茯苓丸の二方についてごく簡単に触れてみた。この二つが具われば一応こと足りるのであるが、しかし実際の臨床にあたって応用するとなると、そうたやすいことではない。この二方にも、単に駆瘀血薬だけでなく、すでに述べたように気や水に作用する薬物が組み合わされているが、それは、たとえ瘀血が主たる原因となって生じた疾病でも、病変は身体の諸臓器に及ぶものであり、単に駆瘀血剤だけでなく、他の薬方との「合方」が必要な場合も決して少なくないからである。
瘀血の症状群の場合に、骨盤内の内分泌系の臓器の変化により、間脳、大脳にまでその影響が及ぶことは既に述べたが、その結果、感情や自律神経の失調症状があらわれる。このような状態を漢方医学では「肝」の病と解している。この「肝」は生殖器や泌尿器と関係が深く、肝系は陰器をまとい、生殖器に影響を及ぼすと言われる。そして、瘀血の主な徴候である左下腹部の抵抗と圧痛は、右の季肋下の圧痛・抵抗(胸脇苦満)(第三講で詳述)と関連のあることが多い。また更年期障害を呈する年代はしばしば「肝虚」に陥るものである。つまり瘀血の治療にあたっては「肝」に対する考慮を忘れてはならないのである。
したがって桂枝茯苓丸なり当帰芍薬散なりを病人に用いる場合に、実際において、肝の治療薬である柴胡剤を合方しなけらばならないことが多い。たとえば小柴胡湯(第三講で詳述)は「熱入血室」の治療薬であり、広い意味での駆瘀血剤とも言えるのであるが、小柴胡湯の合方では実証に過ぎて、ぴたりとゆかぬことが多い。

註記〕「熱入血室」の『傷寒論』条文
「婦人中風七八日。続得発熱。発作有時。経水適断者。此為熱入血室。其血必結。故使如瘧状。発作有時。小柴胡湯主之。」〔太陽病下篇〕
(婦人中風七八日、続いて寒熱を得、発作時あり、経水適断つ者は、これ熱血室に入るとなすなり。其の血必ず結す。故に瘧状の如く、発作時あらしむ。小柴胡湯之を主る。)

すなわち、古方の薬方は簡潔で、効果もはっきりするが、その合方をもってしてもなお現実にぴったりとしないことがある。この場合に後世方の薬方がわれわれの要求を充たしてくれることが多い。
そこで、後世方の薬方である『和剤局方』の逍遙散を引用し、述べてみた感と思うわけである。

逍遙散(しょうようさん)



〔和剤局方〕 〔細野常用一回量〕
当帰 Angelicae Radix 一両、苗を去り、剉む、微しく炒る 3.0g
芍薬 Paeoninae Radix 一両、白煮 3.0g
白朮 Atractylodis Rhizoma 一両 2.0g
茯苓 Hoelen 一両、皮を去り、白煮 4.3g
柴胡 Bupleuri Radix 一両、苗を去る 1.7g
甘草 Glycyrrhizae Radix 半両、炙って微しく赤くす 0.3g
薄荷 Menthae Herba
0.8g
生姜 Zingiberis Rhizoma
0.8g

右為麄末。毎服貳銭。水壹大盞。煨生薑壹塊。切破。薄荷少許。同煎。至柒分。去滓。熱服。不拘時候。(右麄末と為し、毎服貳銭、水壹大盞、煨みたる生薑壹塊、切り破いて、薄荷を少し入れ、同じく煎じて柒分に至り、滓を去り、熱服すること時候に拘わらず。)

*
構成生薬のうち当帰・芍薬・白朮・茯苓については既に述べた。柴胡については第三講(小柴胡湯の項)で、甘草・生姜については第二講(桂枝湯の項)で詳述することにする。
*

その主治は次の如く説かれている。
「治。血虚労倦。五心煩熱。肢体疼痛。頭目昏重。心忪頬赤。口燥咽乾。発熱盗汗。減食嗜臥又血熱相搏。月水不調。臍腹脹痛。寒熱如瘧。又治。室女血弱。陰虚。栄衛不和。痰嗽潮熱。肌体羸痩。漸成骨蒸。」(血虚労倦、五心煩熱、肢体疼痛、頭目昏重、心忪頬赤、口燥咽乾、発熱盗汗、減食嗜臥及び血熱相搏ち、月水不調、臍腹脹痛、寒熱瘧の如くなるを治す。また室女血弱、陰虚して栄衛和せず、 痰嗽潮熱、肌体羸痩し、漸く骨蒸となるを治す。)

右の主文を『万病回春』や『医方集解』『衆方規矩』などの書物を参考に意訳してみると、これは後世方的な思想である臓腑論の病理を加味して説明しているものと考えられる。
すなわち、「五臓六腑のなかの“肝”と“脾”の血虚(これらの臓器を循行する血液が少なく、ためにそれらの臓の機能が不活発となる)があり、肝と脾の働きが完遂できず、疲れてきて、手掌、足の裏、それに胸の内がむしむしとして熱っぽくほめき(五心煩熱)、身体や手足が痛み、頭は重くてはっきりせず、眼はぼんやりとして、胸がさわぎ、頬は紅潮し、口中が燥く、身体がほてって盗汗が出て、食欲も減じ、すぐ横になって体みたがる、などという容態のものや、瘀血のために月経不順があり、臍のあたりや下腹が張り、痛んだり、ちょうどマラリヤででもあるかのように熱くなったり寒くなったりするようなもの、また室女(未婚の若い女性)で、身体が虚弱で、貧血性で、身心と調和もできかね、咳や痰が出て、ときどき全身手足のすみずみまで、しっとりと汗ばむように熱くなり(潮熱)、あたかも肺結核を患っているかのように漸次痩せてくるというようなものを治す」と言うのである。
このような病状は、小柴胡湯というよりも、むしろ補中益気湯を用いる場合に近いもので、逍遙散はこの両者の中間に位するものと考えられるが、ことに婦人の気鬱、血の道症(第四講、柴胡桂枝湯の項参照)、婦人科疾患から起こったと思える諸種の病症に多く用いられる。また昔、肺尖カタルと呼ばれた状態で、ごく早期で進行性の病状でないものに用い現れる機会もある。だから昔は、婦人の病には必ず本方を用いて効果をおさめたものであると言い伝えられている。
なお浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』に説くとおり、本方は小柴胡湯の変方とも考えられるが、当帰、芍薬、白朮、茯苓と組まれているところは、さらに当帰芍薬散を合方した意味合いもある。しかもこれは、小柴胡湯より黄芩、半夏のような比較的鋭い薬効の薬味を去り、人参、大棗のような小柴胡湯証で咳のひどいときに用いにくいものも入っていない。したがって本方は、小柴胡湯ではかえって咳嗽が増悪するおそれのあるような場合に用いられるし、また小柴胡湯よりももっと虚証のものに用い得る。殊に大切なことは、本方が当帰芍薬散から川芎のような作用の鋭い薬味を除き、他の駆瘀血生薬を含むことで、身心が衰え、ノイローゼ気味で神経質な訴えの多いものに用いられる理由である。また小柴胡湯に比すれば、胸脇苦満の症状は弱く、心身が疲れやすい虚弱な人に用いられる。
そこで本方は、昔から、小柴胡湯と同様に、「和剤」と言われ、病気の大勢はおさまったが、さてそれからぐずついて、なかなかうまく治り切らないという場合に、「調理の剤」という意味で用いたり、また補剤、瀉剤を誤って用い過ぎたりしたときにも応用成てよいものである。地黄を用いたが胃にもたれた、下痢をして調子が悪いというようなものにもまたよく用いられる。(地黄は滋潤の力は強いが、胃の悪い人、胃の弱い人には、もたれることが多い。この場合、乾地黄を用いると、熟地黄より、そのもたれは少ない)。小柴胡湯の虚証といっても、人参、黄耆を含む補中益気湯を用いるほどの虚証ではない。
すでに述べたように、本方は婦人の薬方とも考えられていたくらいで、平素より神経質な虚弱な体質の人で、内分泌系の不調和や自律神経系の不安定状態にあり、世に言うところの血の道症の場合に用いられるのである。
その症状は、常に頭が重く、眩暈(めまい)があったり、よく眠れなかったり、手足が冷たく、非常にだるい、月経の異常がある。また寒けがしたり、熱くなったり、殊に午後になるとのぼせて顔、殊に頬が紅くなってくるような症状もあり、背中がむしむしとして熱感を覚えると訴えることもある。
このような症状群は、当帰芍薬散や桂枝茯苓丸の適応を思わせるところもあるが、神経質な症状を治す点では、本方が遥かによく奏効する。
また、当帰芍薬散を用いて胸がつかえ、その他いろいろ副作用の起こってくる場合に、本方または本方に山梔子を加えると胃にもたれることが少なく、用いやすいものである。大塚敬節先生は「胃潰瘍などの胃病患者で、心下部がつかえて胃痛のあるときなどに、山梔子・甘草の二味を用いて良い効果がある」と言われたことがあるが、先生は山梔子を上手に使っておられた。

加味逍遥散
逍遥散に牡丹皮と山梔子の二味を加えたもの(山梔子については第十講参照)

本方は「腎の潜伏している虚火を治す」といって、清熱(熱をさます)の意味がある。ただし本方は虚弱な患者に用いることが多く、虚火をさますのであるから、瀉剤である牡丹皮に注意して、前述(29項)のように三段炙りを用いるのである。

〔註〕虚火について
火は本来、実邪によるものであるが、虚した場合にも火の症がくる。すなわち疲れたときに、ほてったり、のぼせて熱くなったりするのがそれで、これを虚火という。ことに「腎」は水と火を有するが、腎水が虚して燥くと、腎の火(命門の火)が燃え上がって、臍のところに動悸がしたり、のぼせたりする。これを「腎の虚火が炎上する」と言う。肺結核の熱などもこれに属し、腎の虚火によるものである。
*

以上の応用目標に次いで、本方の適応症を疾患別に要約しておこう。

適応症
〔1〕 ノイローゼ、憂鬱症で、前述のような瘀血症状の加わったもの。
浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』によると、「・・・・・・東郭(和田東郭を指す)の地黄・香附子を加うるものは、この裏にて肝虚の症、水分の動悸甚だしく、両脇拘急して思慮鬱結(くよくよ思いわずらう)する者に宜し。」とあり、百々漢陰の『漢陰臆乗』によると、『・・・・・・また婦人の性質肝気たかぶりやすく、性情嫉妬深く、ややもすれば火気逆衝して面赤く眦つり、発狂でもしようという症(ヒステリー症)にもよし、また転じて男子に用いてもよし、その症は平生世に言う肝積もちにて、ややもすれば事にふれて怒り易く、怒火衝逆(のぼせ上って)、嘔血、衂血(鼻血)を見るし、月に三、四度にも及ぶというようなる者には、此方を用いて至って宜し。」とある。
また、気鬱から起こる鳩尾(みずおち)あたりの痛みや乳の痛みなどを訴えるものに気剤である正気天香湯などがいくような場合に用いることもある。

〔2〕月応不順、月経困難症
それが肝鬱症を伴うときに特効がある。北尾春圃は「婦人の虚証の帯下、諸治無効のものに、異功散を合してよし」と言う。

〔3〕肺結核
むかし肺尖カタルと言われたごく初期の症状で、進行性でなく、軽症のものに用いる機会がある。月経不順、午後の発熱、のぼせ感、頬の紅潮等が目標となる。

〔4〕婦人の肥満症(内分泌障害性のもの)に川芎・香附子を入れて用い、数週間に一〇kg前後も減じたことがあるが、多くは長く続服する必要がある。

〔5〕婦人の慢性膀胱炎に用いることもある。

〔6〕産前後の人の口舌糜爛などに、血熱と見て、本方に牡丹皮・山梔子を加えて用いるとよい。

〔7〕皮膚病で諸薬の応じないものに奇効のあることがある。婦人、ことに肝鬱症を伴ったときに、多く効果がある。更年期で春秋の季節の変り目に、頸部、顔面にできる痒い湿疹に効き、ニキビによいことがある。疥癬のようなものには加味逍遙散合四物湯で特効のあることが多い、と『方函』に書かれている。また加味逍遥散加荊芥地骨皮にて鵞掌風(婦人科疾患と関係ある手掌角化症)を治すのに用いる。

〔8〕肝鬱症に伴う肩こり、頭重、不眠症、便秘(虚秘ともいわれる軽症のもの)などにも甚だよいとされている。

逍遙散・加味逍遥散の治験例

〔1〕 女子、二十九歳
長身で痩せぎす、皮膚の色が悪く、艶もなく、顔は蒼白く、額には青筋が見える。見るからに神経質そうな人で、内気で言葉つきはおとなしく、ゆっくりだが、自分の気持ちははっきりと言う。
以前より脱肛があり、子宮後屈症であるが、妊娠しやすい。本年初めより早産や人工流産をした。
本年九月十九日初診であるが、「昨年四月二十八日、急に左の頸部リンパ節炎に罹り、三七・五度の熱を出した。手術により、四日間ほどのうちに次第に熱は下がった。ところが念のためにと抗生物質の注射をされたが四〇度の熱が出た。これを中止して三七・五~三八度の熱がまる一年つづき、本年五、六月頃から三七・三度くらいになって今日に至っている。」という。
その他の患者の苦痛は大したことはないが、疲れやすく、眠られぬ夜が多い。常に頭が重く、ときに頭痛がし、肩が凝ったりする。手足は冷たく、また冷えやすく、冷えると必ずのぼせがして顔が赤くなる。以前はよく動悸がしたが、最近はそれほどではなく、ときどきちょっとしたはずみにある。またフラッとすることもある。月経は順調で一週間つづく。食欲はよくない。便通は一日一行。
以上であるが、「三七・五度前後の熱をとって欲しい」というのが主訴である。
本人は、内臓下垂を伴い、易疲労性と自律神経失調症状が目立っている。
脈は沈小弦、按じて弱く、疲労時に現われる労倦の脈状である。
舌はよく湿り、うすく白苔がある。
胸部では、右側鎖骨下部と、これに対応した右側上背部に無響性(結核性のものは有響性)の小水泡性ラ音を聴き、この部の撮診が少しく陽性。また両側僧帽筋上縁から項部にかけて筋肉の緊張が強い。
腹部は全般に軟らかく、特に膝の上下の部は力が抜けている。心下部は部厚く感じ、按圧すると腹内に向かって少し抵抗感(軽度の心下痞鞕)があり、臍上部辺で動悸を触れるが、本人は自覚しない。
レ線による所見は、右上肺野に弱い浸潤陰影があり、赤沈は平均一一・五mmである。
以上の所見により、加味逍遥散を与えた。服薬後好転し、眠りも腹の工合も良くなり、一年余も続いた熱も二週長続服した頃から平熱となり、ラ音も消失した。三~四ヵ月も続服するうちにまるまると太ってきた。
これは、服薬後すみやかに好転し、見事に著効を示した例である。

〔2〕 女子、三十三歳
本年十一月初診。昨年二月頃ひどい坐骨神経痛に罹り、全く動けなかったが、諸治無効の状態のまま半ヵ年を経過した。それでも九月頃からは、何が効いたともなく少しずつ動けるようになった。しかしまだすっきりせず、注射、超短波治療などを続けている。
既往症としては、娘時代からたいへんな冷え症で、腰以下が冷え、ことに膝から下が激しい。ときどき水の中にでも浸っているかのように冷え切ることさえある。また毎月、半月間ほど月経のために苦しむが、ことに始まる十日間くらい前から気分が重く、イライラして怒りっぽく、知覚過敏となり、のぼせたり、肩が凝ったり、頭痛、筋肉痛が起こり、胃腸の調子も悪くなったりする。睡眠も妨げられがちで、夜中に気が滅入ることが多い。月経は七日間、量はごく少なく、痛みを伴う。毎月あるが、この人は月の半分以上も種々の苦痛があり、月経のために振り回されながら不愉快に生きていると自らも言っているが、適切な表現である。
また「生来胃弱で、胃アトニー、内臓下垂があり、胃重感、胸やけ、ゲップなどの苦痛がある時期もある。食欲はあり、肉や甘いものが好きだが、ときどきちょっとした食べ過ぎで前記のような胃の症状が起こりやすい。便秘しがちで、小便は多い方である」と言う。
病人は三十三歳の至極神経質なインテリタイプである。二人の子供があり、頭の使い方も言葉つきもテキパキしていて、すらっと細く、肉づきは中くらい、二年前から八kgほど痩せたそうである。
脈は沈小緊。左尺脈は特に弱い(腎虚)。
舌は普通以上に大きいが、厚みはうすい。色ややや貧血性で少し黒味を帯びている。舌縁には歯形が深く刻まれ、よく湿っている。舌苔はない。
さらに特別な所見としては、爪床の色に瘀血色があり、歯齦が赤黒く、皮膚も顔もいったいに普通の色合いの中に変な煤けたような色調がある。ことに眼の周囲では黒味が強い。眼瞼の下にはやや浮腫があり、手は冷たく、平常はひどく湿潤している。
腹部は全般に軟らかいが、右側に僅微な肋弓下部の抵抗があることと、胃の振水音、レ線所見などから胃アトニー、内臓下垂症のあることが明らかである。
なお左側下腹の深部に小児手掌大の強い圧痛のある場所があり、さらに臍の左下部、左大巨の穴あたりに、ときに触知できるやや長形で鳩卵大くらいの境不明の抵抗がある。昔の医者が「疝」の他覚的所見といっていたものである。
以上のことから、生まれつき弱く、神経質で、内分泌系の機能上の平衡失調が病因だと思える。しかし漢方的には陰虚証の瘀血、水毒があり、また少陽病証の胸脇苦満も僅かにある。
こんなことから当帰芍薬散合苓桂朮甘湯加柴胡黄芩から出物した。もちろんこれで甚だ良好ではあったが、いろいろ苦心をして当帰建中湯小柴胡湯加香附子蘇葉や十全大補湯加附子合半夏厚朴湯などでも全般的に言って好調とはなった。しかし、どうしても今一歩というところで、「月経に振り回される人生」から抜け切れるというところまでは行かなかった。
このような調子で約五ヵ年を経過してしまった。ちょうど九月中頃のこと、或る機会に肝腎虚の脈状や症状のあること、ごく僅かながら胸脇苦満のあ識こと、つつしみ深い人であるのに、ややもするとヒステリー状になり、子供を叱りつけることもあるなど、あまりにも『局方』の逍遙散の主治に合致することの多いのに気が付いた。
そこで逍遥散を試みたところ、日ましに調子がよくなり、ついに今一歩の苦しみからもほとんど解放されるようになった。このような調子で、その後数ヵ月のあいだ快適な生活を送り、なお加療を続けている。 

〔3〕女子顔面黒皮症、三十三歳
本年十一月一日初診であるが、真黒い顔をした痩せた人で、いかにも恥しそうに、おずおずと、聴き取りにくいほどの低い声で訴えて来た。
五年前、お産をして間もなく、右の頬に肝斑(直径二~三cmほどもある斑)ができたが、ホルモンやビタミンCの注射などを受け、半年くらいで治った。ところが去年の秋ぐち、顔が一面に痒くなったので皮膚科を訪れると、ビタミンB2の不足のためだと言われ、その治療を受けた。そのうちに顔全体が次第に赤くなり、それがひどくなって、ついに黒く変色してきた。その後、黒味は幾分うすらいだが、この夏ごろからまた赤くなってきた。
現在は或る病院の皮膚科に転じ、女子自面黒皮症と言われ、ビタミンB2とCの注射をしてもらっている。今のところ痒くはないが、顔の皮膚がガサガサして、ときどきのぼせて顔がカッとなり、ことに温まるとひどくなる、とのこと。
なお、手足の冷えがあることと便秘気味のほかに苦痛はなく、食欲はあり、よく眠れるという。
顔は両眉以下全面が赤黒い面でも被ったようで、その他の部分から際立っている。その赤黒い部分の皮膚は、全体に小さいブツブツが湿疹のようにあり、ことに左の頬から口角を回って口の下の部分一体にひどくなっている。
脈は小弦弱。少しく数である。
舌は、苔はなく赤味が強い。よく湿っている。
腹は胸脇苦満がかなりある。右腹直筋が肋骨弓から臍のあたりまで攣急している。左側下腹の深部にほぼ直径五cmくらいの、かなり強い圧痛のある部分がある。
以上の所見から、小柴胡湯合当帰芍薬散料加荊芥連翹玄参を用いてみた。
一週間後、顔の様子は好転し、のぼせも消失、腹候は改善され、腹直筋攣急は消失し、胸脇苦満も右下腹部の圧痛も軽度になっていた。このようにして数週間が過ぎ、顔の赤みは消え、黒味もややうすらいでいた。
ところが十二月六日のことである。カゼをひいてから一週間ほど休薬しているうちに、また顔が痒くなり、荒れはじめ、手足も冷たく感じるようになったと、いかにも残念そうに話した。
私もひどく心を動かされて、よせばよいのに、首より上の悪瘡に用いる後世方の清上防風湯に転じた。これで一時的に好転したようだったが、皮膚病の治療の場合の通有性(どんな転方でも、その直後、必ず一時的に奏効するケースがある)で、後はかえって悪くなった。
十二月二十三日来院したとき、やさしく容態を問うと、心の中のイライラを剥き出しに近頃の夫の過酷な仕打ちを訴え、シクシクと泣きながら、最近は気分が非常に憂鬱になり耐えがたいものがあると言う。
月経の異常はないが腹候が初診のときと全く同じに悪くなっていた。
そこで、『和剤局方』の逍遥散だと考え、浅田の『方函口訣』の加味にならって、四物湯を合方し、さらに香附子、地骨皮、荊芥を加えて与えた。こんどはたいへんよく効き、数週間を経て、顔面、腹候とも漸次改善され、心も平静となり、一時は死を考えたほどの苦しみも日増しにうすらいで、希望が湧いてきたと喜ばれた。

〔付〕 逍遥散・加味逍遥散の鑑別
以上で逍遥散および加味逍遥散の応用について、その大体を述べたが、両者の鑑別を簡単に言うと、牡丹皮・山梔子を加えると清熱の意が強まる。しかもそれが上部に効くときと下部に効くときの二つの場合がある。上部に効く場合は、上部の血症すなわち逍遥散症で、頭痛、面熱紅潮、肩背の強ばり、衂血(鼻血)などのある場合であり、後者の場合は、下部の湿熱すなわち泌尿器生殖器疾患、ことに婦人の痳疾の虚証、白帯下にも用いる。湿熱でも悪寒発熱つよく、胸脇に迫り、嘔気さえ加わるようなものは本方よりも小柴胡湯加牡丹皮山梔子がよい。
なお本方は、小柴胡湯合当帰芍薬散に近く、それよりもやや虚証のものと考えてよいが、実証の場合、すなわち小柴胡湯合桂枝茯苓丸に比するものは柴胡桂枝湯とみてよいかと思う(柴胡桂枝湯については第四講で述べる)。

頭註
○合方(ごうほう)-二つ以上の薬方を組み合わせて一方とすることをいう。この場合、重複する薬味はその量の多い方をとるのを原則とする。但し水の量は増量しない。

○肝-漢方医学の肝は、現今の肝臓のみではない。肝は血を蔵すと言い、またその経絡は陰器をまと感、生殖器系、内分泌系等に関係すると同時に将軍の官と言い、気力は肝の力により生じ、怒ったり、癇癪を起こしたりするのも肝の作用だと言われる。つまり下垂体間脳の作用を多分に含むものである。
老人はしばしば「腎虚」になるが、腎虚に至るまでの更年期・初老期には「肝虚」を呈しやすい。

○熱入血室(熱血室ニ入ル)-血室を子宮と解したり、血管系統を指すと考えたり、いろいろな解釈があるが、『傷寒論」の小柴胡湯の条文に出てくるこの血室は「肝」と解すべきであろう。

○中風-急性熱病の軽症のもので、感冒の如きもの。(81頁註詳述)

○寒熱-ここでは悪寒と発熱を言う。

○瘧(ぎゃく)-マラリアの如き熱病。

○『和剤局方』-宋の神宗の時、天下の名医に詔して多くの秘方を進上させ、大医局で薬を作らせたが、徽宗の代になって、その時の局方書を陳師文等に命じて校訂編纂させたのが『和剤局方』五巻である。この書はまず病症をあげて、それに用いる薬方と応用目標を示してあるので、頗る便利であり、広く世に用いられ、日本の医家にも利用された。現代日本の「薬局方」の名称もこれからとったものという。

○心忪-驚き胸さわぎする。

○血熱-月経不順、吐血、鼻出血、血便、血尿、発疹など血の症状と熱が相伴ったもの。

○骨蒸-体の奥の方から蒸されるように熱が出ることで、盗汗が出るのを常とする。

○『万病回春』(全八巻)-明の龔廷賢の著(五八七)。金元医学の延長線上に編集された臨床医学の名著。基礎論から各論に亘り、治方を論じたもの。

○『医方集解』-清代の汪昂によって著された(一六八二年)名著。主要処方九九一方(正方三八五・付法五一六)を取上げて類別し、詳しく注釈したもの。常用の方ほぼ備わるものとして広く流布した。同じく汪昂には『本草備要』その他の著がある。

○『衆方規矩』-曲直瀬道三(一五〇七~一五九四)によって書かれ、その子玄朔によって増補された処方解説の名著。後世方を主として常用する重要処方を集録し、それぞれの運用法を詳述したもので、江戸時代には広く医家に利用された。(道三については167頁に詳註)

○補中益気湯(弁惑論)
人参・白朮・黄耆・当帰・陳皮・大棗・柴胡・甘草・乾生姜・升麻
小柴胡湯の虚証に用いられ脾胃の機能が衰えたため、食欲不振、手足や目をあけていられないようなだるさを訴える者に用いる。

○浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』-宗伯(一八一五~一八九四)は幕末から明治前半まで活躍した近世日本漢方を総括した最後の漢方医。学・術ともに秀で政治的手腕もあり、多くの門人を育て、多数の著作を残した。初め古方中心であったがのち後世方をも包含して浅田流と称せられ、縦横に薬方を駆使するに至った。その代表的薬方を網羅したものが『勿誤薬室方函』て、それを臨床的に解説したものが『同口訣』である。

○和剤-汗・吐・下の法を禁忌とする場合の治療薬方。小柴胡湯は三禁湯と言い、これら汗・吐・下の法を禁忌とする場合に和して治す和剤の代表である。

○調理の剤-病気治療の仕上げのための養生を「調理」と言い、そのときに与える薬方。古方ではそういう場合、調理の剤として柴胡桂枝乾姜湯、後世方では補中益気湯などがある。

○命門の火-前漢時代の古典である『難経』(三十六難)には、腎には二葉があり、腎が左に命門が右にあって、腎は陰をつかさどり水に属し、命門は陽をつかさどり火に属すとされている。現代の漢方で言う腎はこれら両者を包含したものを指す。○経穴の「命門」は督脈に属し、第二、三腰椎棘突起間にある。

○和田東郭(一七四四~一八〇三)-初め竹生節斎、戸田旭山について後世方を学び、のち吉益東洞の門に入ったが、東洞流とは別に一家をなした。大きくは折衷派の中に数えられるが考証派の弊に陥らず、臨床に主力を注ぎ、名医のほまれが高かった。彼の医学は誠を尽し、中庸を尊び、簡約を宗とする実践的医学であったことは、その著作-『導水瑣言』『蕉窓雑話』等によっても知ることができる。『傷寒論正文解』もむつかしい考証などは一切省略して臨床家の立場であっさり解説している。

○水分(すいふん)-経穴の名。腹部正中線上、臍のすぐ上方に位する。

○百々漢陰(一七七三~一八三九)-京都の人。皆川湛園の門に学び後一家を成す。瘟疫論に詳しく、『校訂瘟疫論」をはじめ『医粋類纂』など多くの著作があるが、『漢陰臆乗』は疾患別に治療を述べ、薬方の解説がしてある。

○正気天香湯(医学入門)
香附子・陳皮・烏薬・蘇葉・乾姜・甘草

○北尾春甫-大垣の人、京都で開業、脈診に秀で、後世派の大家と中川修亭に推賞された。『桑韓医談』(一七一三)『察病精義論』『提耳談』「当荘庵家方口解』などの著がある。

○異功散(局方)
人参・白朮・茯苓・甘草・橘皮・大棗、生姜の七味(四君子湯に橘皮を加えたもの)。

○血熱-熱の一種で、熱の症状と血の異常を起こしてくる。

○『方函』-浅田宗伯の『勿誤薬室方函』を指す。

○ラ音-ラッセル音の略。聴診器で胸部または背部における呼吸音を聴くとき、正常の肺胞音と異なる異常な雑音をいう。

○撮診→第三講詳述。

○腎虚(じんきょ)-「腎」の生理機能が衰えた状態。一般には、目まい、耳鳴、腰や膝のだる痛さ、性機能の減退、脱毛、歯のゆるみなどの症状を来たす。

○大巨(たいこ)-臍と恥骨結合上縁との間を結ぶ線の上から五分の二の点から左右に水平に約四センチ外方にある経穴(ツボ)。

○疝(せん)-腹部・腰部・陰部などに激痛を起こす病。

○肝腎虚-「肝」と「腎」の生理機能が衰えた状態を指すが、実際の臨床では、或る種の高血圧症、神経症、月経困難症などの疾患に見られ、めまい、耳鳴、頭痛などを来たす。

○肝斑(かんぱん)-頬に比較的境界の明瞭な黒褐色の色素沈着を生ずるもの、中年以後の女性に多い。

清上防風湯(回春)
防風・荊芥・連翹・山梔子・黄連・黄芩・薄荷・川芎・白芷・桔梗・枳殻・甘草

○四物湯(局方)
当帰・芍薬・川芎・地黄
金匱要略の芎帰膠艾湯から阿膠・艾葉・甘草を除いたもので、補血薬(当帰・芍薬・地黄)と活血薬(川芎)から成り、血虚の状態に使われる代表方剤である。

○清熱-清はさますの意。

○湿熱-湿と熱とが結合した病邪をいう。そのほか尿利の減少を伴う熱を後世派では湿熱と称し、また湿邪に関係ある熱、たとえば黄疸、リウマチなどを湿熱という場合もある。


山梔子(さんしし)
アカネ科(Rubiaceae)のクチナシGardenia jasminoides ELLIS. またはその同属植物の果実を用いる。イリドイド配糖体のgeniposide,gardenosideなどやカロチノイド色素(黄色色素)のクロチン、その他β-sitosterol, mannitol などを含む。
山梔子の薬能は、『本草備要』に「心肺の邪熱を瀉し、之をして屈曲下降せしめ、小便より出す。而して三焦の鬱火以って解し、熱厥心痛以って平らぎ、吐衂・血淋・血痢の病、以て息む。」とあり、一般には、消炎、止血、利胆、解熱、鎮静などの働きがあり、特に虚煩を治すとともに、吐血、血尿、黄疸などに応用する。
薬理実験では、geniposideのアグリコンであるgenipinに、胆汁分泌促進、胃液分泌抑制、鎮痛などの作用が認められるほか、クロチンのアグリコンのクロセチンに実験的動脈硬化の予防作用が認められる。このように、利胆作用については一定の証明がなせれているが、その他の消炎や鎮静などといった作用を裏づけるには不充分で、今後大いに実験を進めていかなければならない薬物である。



【参考】
うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html

2010年10月17日日曜日

半夏厚朴湯 と うつ(鬱) 効能・効果 と 副作用

《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
63.半夏厚朴湯 金匱要略
 半夏6.0 茯苓5.0 生姜4.0(乾1.0) 厚朴3.0 蘇葉2.0

(金匱要略)
○婦人咽中如有炙臠,本方主之(婦人雑病)
○胸満心下堅.咽中帖々,如有炙肉,吐之不出,呑之不下,本方主之(婦人方中)

現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
 精神不安があり,咽喉から胸元にかけてふさがるような感じがして,胃部に停滞膨満感のあるもの。通常消化機能悪く,悪心や嘔吐を伴うことがある。
 本方は咽喉にヒステリー球様のものがあってふさがる感じがするとか,あるいは咽喉から胸部にかけて異物感やつまるような感じを伴った諸症状に応用されるが,自覚症状をくどくど訴えても,内科的な所見が著明でなく、「神経のせい」だと言われるような症状には劇的な効果を発揮することが多い。なお以上の症状に倦怠感や食欲不振を伴う場合は小柴胡湯を合方する。また自律神経不安定症状あるいは更年期障害で,胸内苦悶があって疲労倦怠感が著しく,頭汗,盗汗などがある時は柴胡桂枝干姜湯が,冷え症で尿意頻繁な時は当帰芍薬散が,頭痛,立ちくらみがあるときは苓桂朮甘湯が適する。本方適応症に似て頭痛がひどい場合は香蘇散がよい。半夏瀉心湯,茯苓飲との鑑別は,これら二方の適応症状には咽喉の異物感はなく,他方本方適応症状には前記二方のそれに見られる胃部のつかえが認められない。本方服用後口渇を増し,浮腫を生ずる時は五苓散で,食欲減退や胃部重圧感を訴えるときは安中散,香蘇散,柴胡桂枝干姜湯,小柴胡湯,半夏瀉心湯,平胃散,補中益気湯などで治療するとよい。気管支喘息の強い発作時に本方を投与すると更に苦痛を増すことがあるから,このようなときは麻黄剤を投与しておき,発作が鎮まってから本方を与えるとよい。


漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
 本方は体格,栄養ともに悪くヤセ型の体質で そのうえ,神経質,きちょうめん,小心でうつ病的傾向があって,物ごとが気になるもので平素胃腸や気管が弱く,食欲不振というより食細いほうで,不眠,頭痛,頭重などを訴え,絶えず不安感や恐怖感が去来し,自分で自分を病的に過大評価して,クドクドと自覚症状を訴えるが,内科的には著明な所見がなく神経のせいだ,と言われるようなものによく適応する。漢方では本方適応症を咽中炙臠(いんちゅうしゃらん)または梅核気(ばいかくき)と呼び,胸部や咽喉あたりにヒステリー球様異物感や痞塞感を自覚するが,レ線やガストロカメラによる異常も認めないものが対象になる。こんな自覚症状をもつものの中には,ガンノイローゼや更年期神経症などの精神不安を,さらにつのらせることが多く,これが悪循環的に胃腸機能を悪化させたり,喘息発作の誘因となって消化器症状や,神経症状の不定愁訴になつて現われやすい。化学薬品ではこの種の薬品にトランキライザー製剤があるが,本方は一時的に患者の気分を大きくして不安感を除去すると言う狭義のものでなく,消化器,呼吸器など虚弱な内臓や体質を改善しながら,不定愁訴を除去する作用がある。

類似症状の鑑別
 半夏厚朴湯 咽喉や胸部の痞塞感と精神不安
 桂枝加竜骨牡蛎湯 胸腹部の動悸と精神不安
 甘麦大棗湯 不眠と精神興奮
 抑肝散加陳皮半夏 胸腹部の圧迫感と神経症状
 柴胡桂枝干姜湯 衰弱に伴う胸腹部動悸と神経症状
 香蘇散 軽度の咽喉,胸部痞塞感,頭痛と神経症状


漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○のどにあぶった肉のきれが附着しているような感じで,それを呑みこもうとしても呑み込めず,吐き出そうとしても出ないというのがこの半夏厚朴湯を用いる目標である。この感じはヒステリー球ともよばれているものである。

○半夏厚朴湯はめまい,発作性動悸,のどのつまる感じ,とり越し苦労,不安感などを訴える神経症の患者に用いるほかに,胃下垂症,胃炎などでむねにつかえるものにも用いる。また風邪ののちに声が嗄れたものにも用いる。小柴胡湯合半夏厚朴湯,大柴胡湯合半夏厚朴湯は気管支喘息によく用いられる。和田東郭は気鬱からきた月経の不順をこの方で治したという。

○半夏厚朴湯は理気剤とも呼ばれている。気うつを散じ,気のめぐりをよくする効があるからである。

○ひどく衰弱している患者や腹部が軟弱無力で脈にも力のない場合には半夏厚朴湯を用いてかえって疲れることがあるから注意しなければならない。



漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○スタイルのよい痩せ型の人に多い証で,胃腸が弱く,皮膚や筋肉の緊張が悪い虚弱体質の人で,軽い鼓脹,腹満感などがあり,咽喉に物がつまったような,塞ったような感じのいわゆるヒステリー球を訴えるものである。脈は沈んで弱く,腹部には胃内停水のあることが少なくない。また気分が憂うつで不眠,動悸,めまい,頭重感などの訴えや,精神不安があり,甚だしいときは不安発作(動悸やめまいが突然激しくおこり,今にも死んでしまいそうな不安を覚え,大さわぎをする状態)をおこす。

○適応する人は体質的にも性格的にも繊弱で,身体の緊張が弱く,性格も気が小さくて敏感で物事にこだわりやすく,僅かな身体の変調を敏感に感じとってそれらが気になり,何か重大な病気ではないかと心配する。こういう人が胃アトニー症や胃下垂症などで軽度の身体症状を感じるとそのことをひどく気にやみ,つぎつぎと症状をみつけて拡大解釈し,次第に神経症の病像を形成してゆく。本方はこのような場合に,胃内停水を去って胃腸の機能を整え,気のうつ滞を散じて気分を明るくし,精神の安定を得る効果がある。

○本方の目標である咽喉の塞閉感は梅核気とか,咽中炙臠という。梅の核や焼肉が,咽喉にひっかかった感じであるが,実際には何もないので吐いても何も出ず,のみ込んでも楽にならない自覚的な症状である。~我々も何かにひどく思いつめたり,腹立ちのやりばがなかったりしたときに,一時的に経験することである。

○本方の腹証は,虚証にちがいないが,人参湯,四君子湯ほどは虚していない。特徴は,心下部が膨満して,僅かに痞鞕を呈するものによく効果がある。反対に軟弱無力で,心下部に甚だしい振水音を示すようなときは,本方はあまり効かないようである。


漢方診療の実際〉 大塚、矢数、清水 三先生
 本方は気分の鬱塞を開く効がある。胃腸が虚弱で,皮膚,筋肉は薄弱で弛緩し,軽度の鼓腸,腹満感を訴え胃内停水のある者などに適する。脈は浮弱,或は沈弱 を通例とす。このような体質の者はとかく小心で気分の鬱塞を来しやすい。本方は古人が梅核気とよんだ症状で咽中の塞がる(ヒステリー球)如き自覚症を目標 とする。この症状は神経症状(気疾)とも考えられるが,また胃腸状態よりも影響されるものと考える。故に本方の治する気分の鬱塞と胃腸症状とは別個のも のではなく,互いに関連がある。更に進んで考えれば胃腸症状のみではなく、それの背景となる所の本方に就てのみではなく,すべての薬方に就ても同様であると云える。本方の応用としては胃腸虚弱症,胃アトニー症に用いられる。平素腹部膨満感を訴え,他覚的にもガス膨満を認める者,食後の胃部停滞感、或は悪心のある者に用いて効がある。気疾に用いるとすれば,前記の如き体質で気分の鬱塞する者,諸種の恐怖症,ノイローゼに宜しい。  本方の薬物中,半夏と茯苓は胃内停水を去り,悪心・嘔吐を治し,体液の循流を調整する効がある。厚朴は腹満・鼓腸を治し,気分の鬱滞を疎通する。蘇葉は軽 い興奮剤で気分を開舒し,胃腸の機能を盛んにする。生姜は茯苓,半夏に戮力してその効を助け,胃腸の機能を盛んにして停水を去り,嘔吐を止める。 本方は諸種の疾患に応用される。例えば気管支炎・感冒後の声音嘶嗄,喘息,百日咳,妊娠悪阻,浮腫等であるが,前記の如く一種の病的全身状態(これを半夏厚朴湯の証と云う)を基本として現われた場合に用いられる。


漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
 (構成) 半夏,茯苓,生姜は停水を駆る薬物(勿論その働き方はそれぞれ違うが)半夏,厚朴,生姜,蘇葉は痞えた気を開く薬(働き方はそれぞれ違う)従ってこの処方は停水があって気が痞えている所に使うことが判る。停水は胃内でも体表でもよい。痞えは咽喉部でも精神的な気鬱でもよい。本方はそうした症状を目標にして使う。

 運用 1. 咽喉部の異常感
 咽喉部といっても実際に咽喉のこともあり食道のこともあり,大体咽喉部から胸骨裏面の辺にかけて,何か物が痞えている感じ,引懸っていて吐こうとしても吐けず,呑込もうとしても呑込めず,或はむずむずする感じ,或はいらいらする感じ,或は咳払いしたいような感じ等異物感,刺戟感を訴える。金匱要略には之を「婦人,咽中炙臠あるがごときもの」(婦人雑病)と表現している。何も婦人とは限らず男子でも構わない。女性的体質でもいうべき虚証であればよい。尤もこの頃は女性でも男性を凌ぐ体質体格者が出ているが,漢代の通念としての女性体質と解しておく。咽中に炙った肉が引っかかっているような感じとの意である。この状態を気痞と称している。このような自積症状によって臨床的には貧血性,冷え症,しばしば胃部拍水音を証する脉沈又は弱の虚証の人で神経質,咽頭炎,咽喉炎,気管支炎,肺結核,喘息,声帯浮腫等の気道呼吸器病や,神経性食道狭窄症,バセドウ氏病,悪阻などに本方を使うことが頗る多い。

 運用 2. 気鬱
 気痞を局所的知覚的なものから精神的なものに転用すると気鬱になる。晴々しない物思い,何か気になる。滅入る。引込み思案,人に会うのが億劫,一人で居たい,話をしていると穴底へ引ずり込まれるような落ち込むような感じがする。憂鬱症などいろいろな場合があ識が気鬱に総括される。但し半夏厚朴湯の証の人が悉く気鬱だと思ってはいけない。時には反対に非常におしゃべりであり乍ら,それが言足りないような感じ,発想が発言より先行して痞えるというような場合に本方を使う。大体咳払いは言わんと欲して言えざる潜在意識の表現のことがあるのだ。そこに身体的には局所的な咽喉部狭窄感となり,精神的には気痞なのである。

 運用 3. 虚証の浮腫で咽喉部に異常感があるもの。
 虚証の人で脉弱く,胃部拍水音や小便不利の傾向があり,浮腫を主訴とするが,咽喉部に運用1のような異物感を覚えるものに使う。「問ふて曰く,病名水に苦しむ。面目身体四肢皆腫れ,小便利せず,之を脉するに水を言はず,反って胸中痛み,気咽に上衝し,状炙肉の如しと言ふ。当に微欬喘すべし,審かに師の言の如し。その脈何の類ぞやと」(同書水気病)ここに半夏厚朴湯の応用範囲が殆ど凡て網羅されているといってよい。浮腫,小便不利,胸中痛,咽異常感,欬喘等が之である。次に右この問に対して師の曰く云々と病理の説明があるが省略する。浮腫は腎臓病その他どんな場合でも差支えない。また陰嚢水腫に用いた例もある。咽頭声門の浮刺ゆ,肺水腫でもよい。右に挙げた症状がいろいろ組合せで(例えば咽喉部異物感,咳,胃部拍水音とかのように)現われたものに本方を用いる。


漢方処方解説〉 矢数 道明先生
 咽中炙臠(焼いた肉のこと,またシャランとも読む)というのは,咽喉または胸骨の裏のところに,焼肉の一片か,あるいは梅干しのたねのようなものが,引っかかっているような感じられる異物感,刺詞感のことで,これをのみこもうとしても下がらず,吐き出そうとしても出ないという特有な症状をさしているものである。個人によって感じ方にいろいろあるが,咽がふさがるとか,むずむずする,いらいらするとか,せき払いしたい気持というように訴えることもある。しかし咽中の異物感がみな本方証とは限らない。多く貧血性,無力アトニー型で冷え症で,疲れやすいという虚状体質のものが多い。しかし貧血,無力,腹部軟弱の甚だしいものには注意を要する。その神経症状として特有なものは気分が重くて何とも晴ればれしない。気分がふさいで,谷底に沈むようなめいるような気持であるという。そして孤独を好むものである。咽中異物感のほか,動悸,浮腫,咳喘,胸痛,気鬱,尿利減少等がある。脉は多く沈弱,腹壁は一般に軟弱で,心下部に拍水音を証明することが多い。


勿誤方函口訣〉 浅田 宗伯先生
○此の方は局方に四七湯と名く,気剤の権輿(ものの始め)なり。故に梅核気(梅のたねがのどにつかえたような病状)を治する のみならず,諸気病(神経症)に活用してよし,金匱,千金に据えて(決定して)婦人のみに用ゆるは非なり。婦人は気鬱多き者故,血病も気より生ずる者多し。
○一婦人,産後気舒暢せず,少し頭痛もあり,前医血症として芎帰の剤を投ずれども治せず,之を診するに脈沈なり,因て気滞生痰の症として此方を与ふれば不日にして愈ゆ。血病に気を理する亦一手段なり,東郭は水気心胸に畜滞して利しがたく,呉茱萸湯などを用て倍通利せざる者,及び小瘡頭瘡内攻の水腫,腹脹つよくして小便甚だ少き者,此方に犀角を加えて奇効を取ると云ふ。又浮石を加えて膈噎(食道狭窄,ガンの類)の軽症に効あり。雨森氏の治験に,睾丸腫大にして斗の如くなる人,其の腹を診すれば必ず滞水阻隔して心腹の気升降せず。因て此方に上品の犀角末を服せしむること百日余,心下開き漸々嚢裏の畜水も消化して痊ゆ。また 身体巨瘤を発する者にも効あり。此の二証に限らず凡べて腹形尽く,水血に毒の痼滞する者には皆此方にて奇効ありと云ふ。宜しく試むべし。


蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
 易簡方に喜怒悲思驚憂恐の気結,痰涎をなし,かたち破絮の如く,あるいは梅核気の如し,咽喉の間にありて,吐いても出でず,飲み下そうにも下らず,これ七気のなすところなり,あるいは中脘痞満の気,舒快せず,あるいは痰涎壅盛の上気喘息,あるいは痰飲,節にあたるによって,嘔逆悪心を治す。しかしてよろしくこれを差すべしウンヌン。
 考えてみるにこの方,中脘痞満手をもって按ずるに,心下鞕満,上は胸中にせまり,気のんびりとせず鬱悶多慮の症に用ゆべし,既にこの如く心下鞕満すれども,芩連剤の苦味にておすべき症にてもなく,また芍薬,甘草,膠飴などの甘味にてゆるむべき症にもあらず,ただ心下閉塞するによって,胸中中心下に飲を畜え,あるいは嘔逆悪心をなし,あるいは,痰涎壅盛気急,あるいは咽中つねに炙臠の如きものあるように覚えて,咳すれども出ず,飲み降しても下らざるように覚ゆるなどの症あり。これみな心下痞鞕はなはだしきゆえ,かえって淡味の剤を用いれば,蓄飲にもさしさわらずして,痞鞕早く緩むものなり。この手段たとえば幕にて鉄砲をうくるが如くにて,いわゆる柔よく剛を制するの理なり。この方蘇葉軽虚にして胸中心下を理し,半夏の辛温,胸中心下の飲を疎通し,厚朴の不苦不甘の味わい,茯苓の淡白にくみして,心下の飲を下降し,下も水道に消導するなり,後世に至って生姜,大棗を加うること,無方の口癖同然にてことごとく従うべきことにもあらず,この方の如きは渋白をもって主とするものなれば,大棗を用いること,然るべからずやむことを得ずんば生姜を加え用いることは苦しかるまじ。また考えるに当今の医流,ややもすれば心下を診ずること意を用いず,ただ咽中炙臠あるの言ばかり標的とし,咽喉不利の症にあえば,一概にこの薬を用ゆ,妄投というべし。咽中不利のもの牡蛎,呉茱萸の類,あるいは甘草,干姜の類にて治するものあり,ただ心下痞鞕は同じ状に見ゆれども,よく腹診に熟すれば,各々に区別せらるるものと心得べし,必ずしも金匱の言に拘泥すべからず。

※破絮(はしょ):ほぐれた綿、口内炎
※痰涎壅盛(たんぜんようせい,たんせんようせい):呼吸器系に痰や涎が澱んで盛んなこと。


〈漢方と漢薬〉 第5巻 第6号
半夏厚朴湯に就て 大塚敬節先生 

 1.諸言
 半夏厚朴湯は金匱要略の婦人雑病織中に見え,古今を通じて運用の多い薬方の一つである。和剤局方及び易簡方では此方を四七湯と名け,三因方では,大七気湯と呼び,医方集解では七気湯,外科百効では薬磨湯と称しているが,半夏厚朴湯の古名であり,運用名である。
 半夏厚朴湯は勿誤方函口訣に云へる如く,気剤の権輿である。気剤の気は七気の気と同じ意味であるが,然らば此の気とは何を指したものであらう。
 古方四大家の一人である後藤艮山は万病は一気の留滞によって生ずる。故に治法の要道は順気にありと論じ,門人香川修庵の医事説約には巻頭に順気剤を掲げ,吾が門は順気を以って治療の第一義となすと提唱した。現在吾々の如き漢方医家の門を叩く慢性病患者には,長年月医治を受けて効なく,さりとて病勢が進行して死ぬるでもなく,又快癒するでもなく,徒らに神経のみを鋭らして医治の無効を嘆ずる者が相当多いが,これ等の患者は全部と云ってもよい程に順気の薬方を投ずれば数日乃至数週にて驚くべき効果を見るのである。昆山の一気留滞論も亦むべなるかなである。
 気の解釈は古来議論の多い処であるが,吾々臨床家は疾病の診断治療に役立つ様に之を理解すればよいのである。小柳博士によれば,気の原形文字は气で,雲の如きものが,むらむらと蒸しわき上る形象を示したものであると云ふ。傷寒論では気上衝,気上って胸を衝く等の言葉が使用せられている。三因方では何故に半夏厚朴湯を大七気湯と名づけたかと云ふに,七気の病を治するが故である。七気とは何であるか。曰く,喜,怒,憂,思,悲,恐,驚これである。三因方の七気の証治の条下を見ると,此の七情の動きによって,七気乱れて生ずる処の症状を次の如く述べている。少しく冗漫に互るが,半夏厚朴湯を運用する上の重大な資料となるから,之を和譯して引用する。

 夫れ喜びて心を傷る者は自汗し,疾く行くべからず,久しく立つべからず,故に経に曰く,喜ぶ時は則ち気散ずと。
 怒りて肝を傷る者は上気忍ぶべからず,熱来りて心を盪し,短気絶せんと欲して息するを得ず,故に経に曰く,怒る時は気撃つ(一に上るに作る)。
 憂ひて肺を傷る者は心系急に,上焦閉ぢ,栄衛通ぜず,夜臥安からず,故に経に曰く,憂ふる時に気聚ると。
 思ひて脾を傷る者は,気留りて行かず,責聚中脘に在りて飲食することを得ず,腹脹満し四肢怠惰す,故に経に曰く思ふ時は気結すと。
 悲みて心胞を傷る者は,善忘人を識らず,置物の在る処,還た取ることを得ず,筋攣四肢浮腫あり,故に経に曰く,悲しむ時は気急なりと。
 恐れて腎を傷る者は,上焦の気閉ぢて行かず,下焦回り還りて散せず,猶豫して決せず,嘔逆悪心す,故に経に曰く,恐るる時は精却くと。
 驚て胆を傷る者は,神帰する所なく,処定まる所なく,物を説て意らずして迫る,故に経に曰く,驚く時は気乱ると。七つの者,同じからずと雖も一気に本づく,蔵気行ざれば鬱して涎を生じ,気に随って積聚し,堅大にして塊の如く,心腹の中にあり。或は咽喉を塞ぎて粉絮の如く,吐して出でず,嚥みて下らず,時に去り時に来り,発する毎に死せんと欲す。状神霊のなす所の如く,飲食を逆害す。皆七気の生ずる所,成す所,之を治するに各方あり。

 以上が『七気の証治』の中の論であって,その次に七気湯と大七気湯の方が見えている。七気湯は半夏,人参,桂枝,甘草からなり,金匱要略の半夏湯に人参を加へたもの。大七気湯は既に述べた如く,半夏厚朴湯である。

 2.半夏厚朴湯に関する経文
 婦人咽中炙臠あるが如きは半夏厚朴湯之を主る。
 半夏一升 厚朴三両 茯苓四両 生姜五両 乾蘇葉二両
 右五味,水七升を以って,煮て四升を取り分温四服す
 日に三,夜一服す。

 〔註〕 咽中炙臠あるが如しとは,咽中に炙った肉の切片の附着している如く感ずるを云ふ。後世では之を梅核気と云ひ今日では之をヒステリー球と呼ぶ。いづれも言葉こそ異なれ同じ意味である。かくの如き症状の患者は男子より婦人に多い。故に婦人の二字を冒首したものであるが,現今では男子にも可成り屡々見られる症候である。千金要方では『半夏厚朴湯は,胸満心下堅く,咽中帖々として炙肉あるが如く,之を吐けども出でず,之を呑めども下らざるを治す』とあって,半夏厚朴湯の腹証として,胸満心下堅の五字を挙げているが後述する如く本方証には,かかる腹証のものが勿論あるが,また然らざるものもある。而して之を吐けども出でず,之を呑めども下らずと云ふ形容は,ヒステリー球の症状を実によく表現している。
 半夏厚朴湯の方は,半夏,厚朴,茯苓,生姜,乾蘇葉からなっていて,乾蘇葉は乾紫蘇葉である。而して私が日常使用している分量は次の如く,経験薬方分量集に準拠している。
 半夏3.0 茯苓生姜2.0 厚朴1.0 蘇葉0.8
 右1回量

 3.先輩の論説,治験
 以下半夏厚朴湯に関する先輩の論説と治験とを列挙するが親しみ易い本邦のものを始にをくことにした。

1. 蕉窓方意解に曰く
 按ずるにこの方は中脘痞満,手をもって按ずるに心下鞕満,上み胸中に迫り,気舒暢せず,鬱悶多慮の症に用ゆべし。既に此の如く心下鞕満すれども芩連の苦味にておすべき症にてもなく,又芍薬甘草膠飴などの甘味にてゆるむべき症にもあらず,唯心下閉塞するによって,胸中中心下に飲を蓄へ或は嘔逆悪心をなし,或は痰涎壅盛,気急或は咽中に炙臠の如きものあるように覚えて,喀けども出ず,嚥めども下らざるように覚ゆる等の症あり。是れ皆心下痞鞕より発するの症なり。心下痞鞕甚しき故反て淡味の剤を用ゆれば,蓄飲にも碍らずして痞鞕早く緩むものなり。此の手段は譬へば幕にて鉄砲をうくるが如くにて所謂柔よく剛を制するの理なり。此の方蘇葉軽虚にして胸中心下を理し,半夏辛温胸中心下の飲を疎通し厚朴不苦不甘の味ひ,茯苓の淡薄にくみして心下の飲を下降し,下も水道に消導するなり。


2. 蕉窓雑話に曰く
 鳩尾さきへ強くこり聚りて其腹形大柴胡の症と見ゆるようなるものにして,大柴胡よりは軽くあしらはざればならぬと云ふ時,半夏厚朴湯に川芎を加へ用てよく胸膈心下をすかすものなり。

3. 東郭腹診録に曰く
 疝気にて陰嚢腫るるに半夏厚朴湯加犀角にて治したることあり。

4. 時還読我書に曰く
 梅核気を治するに半夏厚朴湯に浮石を加へ用ひて最も奇験あり。先教論の経験なり。

5. 北山支松曰く
 嘔吐膈噎食下らざる者は,半夏厚朴湯加海浮石

6.方櫝弁解に曰く
 胸痛甚しく忍ぶべからざるものに,半夏厚朴湯の木香益知莎草を加ふることあり。

7.求古堂方林に曰く
 半夏厚朴湯主治通り余家,諸気鬱よりして膈噎の如き症之を用ひて効を得。本症の膈は不治の者也。又積聚にて胸下鞕くして夜も夢家く,兎角物事を気に掛ける症などに用ゆ。その内腹拘急強きは回青飲を合して用ゆ。

8.古方括要に半夏厚朴半湯を次の諸症に用ゆ
 喘息,発する時渇なく,只冷汗流るる如き者に宜し。
○子懸の者,胎気和せず,心腹脹満して疼痛するに宜し
○乳岩外科,塊を抜て後ち,症に従ひ此湯も亦用ゆべき也。
○妊娠悪阻を治す。

9.勿誤薬室方函口訣に曰く
 半夏厚朴湯,此方は局方に四七湯と名く。気剤の権輿なり故に梅核気を治するのみならず,諸気疾に活用してよし。金匱,千金に据て婦人のみに用ゆるは非なり。蓋し婦人は気鬱多き故,血病も気より生ずる者多 し。一婦人,産後気舒暢せず少しく頭痛もあり。前医血症として芎帰の剤を投ずれども治せず。之を診するに脈沈なり。気滞により痰を生ずるの症とし,此方を与ふれば不日にして愈ゆ。血病に気を理する亦一手段なり,東郭は水気心胸に蓄滞して利しがたく,呉茱萸湯などを用ひて倍々通利せざる者及び小瘡,頭瘡,内攻の 水腫,腹脹つよくして小便甚だ少き者には,此方に犀角を加へて奇効を取ると云ふ。又浮石を加て膈噎の軽症に効あり。雨森氏の治験に 睾丸腫大にして牛の如くなる人,其腹を診すれば必ず滞水阻隔して心腹の気升降せず,因って此方にて上品の犀角末を服せしむること百日余,心下開き漸々嚢裏の水も消化して痊ゆ。また身体巨瘤を発する者にも効あり。此二証に限らず,凡べて腹形あしく,水血二毒の痼滞する者には皆此方にて奇効ありと云ふ。宜しく試むべし。

此方局方四七湯ト名ク氣劑ノ權輿ナリ故ニ梅核氣ヲ治スルノミナヲズ諸氣疾ニ活用ソヨシ金匱千金ニ据テ婦人ノミニ用ルハ非也蓋婦人ハ氣鬱多者故血病モ氣ヨリ生スル者多シ一婦人產後氣舒暢セズ少シ頭痛モアリ前醫血症トソ芎歸ノ劑ヲ投スレトモ不治之ヲ診スルニ脉沉也因氣滯生痰ノ症トソ此方ヲ與レハ不日
10.聖剤発蘊に曰く
 半夏厚朴湯,胸状平にて大がかりなり,胸下に飲を蓄へ咽中にひらくと引かかる物あり。此病人必ごまかれた声になり目と鼻の間から声の出る様にて鼻中の障子とれたかと思ふほどなり。是れ則ち炙臠あるが如き者の候なり。此方後世の方書に四七湯と名づく。陳無択は大七気と号して三因方に載す。気鬱,結聚,痰涎,状破絮の如く,咽喉の間に在り,喀けども出でず,嚥めども下らず,及びち中脘痞満上気喘急する者を治すとあり。此れ中脘痞満と云が字眼なり。咽中の炙臠ばかりを的にして,此方を用ゆる故,効を奏せざる者多し。凡そ諸方其験なき者,皆其の肯綮を得ざるの失にて方を罪すべき者に非ず。一説に水腫,脚気にて腫れ上部に多く,按じて見るに堅くして手に随て起る者,此の方の蘇葉を蘇子に代へて用て効ありと云ふ。

11.湯本能真先生曰く
 余嘗て十歳の女児,咳嗽頻発,短気し,汗出ること雨の如く,尿利頻数,尿後尿道微痛するに,半夏厚朴湯二分の一を与へて奇効を得たり。


12.瀧松柏曰く(和漢医林新誌第62号)
 府下京橋区高代町八番地,三浦清十郎妻花,年二十一本年四月分娩後,児枕痛(後陣痛)を患ふ。三旬余を経て愈ゆ。後肩背浮腫,心下悸,胸脇苦満,手甲不仁,頭暈,飲食,味なし。咽中時々芒刺あるが如く,之を吐せども出です,之を呑めども下らず,遍身漐々汗出で,面色酔へるが如く,煩悶絶せんと欲す。此の如き者,日に一発,八丁堀北島町の洋医,橋爪某を延て之を治す。二旬寸験なし。更に衆医に転ずと雖も亦毫効を見ず。偶治を予に請ふ。余之を診するに,脉微細,舌上便溲共に常の如し。余即ち断じて梅核気の一症となし,直に半夏厚朴湯を作りて之を与ふ。僅三日,病勢頗る軽快す。尚ほ前方を服せしむることを一閲月,而して諸症始て平,更に調ふること数日にして全く安きを獲たり。

13.奥田謙三先生曰く
 予嘗て急性扁桃腺炎に罹り,咽中炙臠あるが如しを目標に此方を用ひて著効を得たることあり。

14.叢桂亭医事小言に曰く
 一士人の婦,一日急に積を患ひ,飲食口に入らず,夜中予が門人を引く。脈平穏なり。只一滴の水咽喉に下れば煩躁死せんと欲して腹満す。仍薬食とも進むべからず,門人帰来て予に方を問ふ。予も言を以て考へ,喉痺に非ずや云へば否なり。咽痛はなし。是れを看守の人に問ふに昨日くさの餅を食して後発す。初め一医官之を治して却てはげしと云ふ。門人曰ふ,思ふに滞食に得たるならんとて,中正湯を与へんと云に任せて,薬を與へしむ。次日に至りて願くは予をして診せしめんことを乞と。即ち其家に至り問へば前夜一医官の薬を飲ば,咽喉に下りかね吐するも出でず大いに発汗して煩悶す,門人の薬飲めば斯くの如くは甚しからず,稍苦痛薄きに似たり。夫も只一滴を以て喉を潤すのみ也と,湯水ともに与れば心下逆満す。故に苦痛なからしめんと只守て居ると云ふ。診するに異状なし。仍て水を与へて試むるに,喉を下ると噎るが如く嗆するが如し。鼻孔へ出るやと問ば嘗て其事なし,暫く苦んで漸くにくだると見えたり。当人に問へば痛は無し。何か咽中に在る心地を覚ふ。看病人は三四人集て心下を撫で背を按じて共に汗を流す。皆云ふ,心下へ逆上する物ありと,其嗆する勢にて腹気引張るなり。兎角喉中の病なりと喉腭をみるに又異なし。殆ど処方に窮す,先づ半夏厚朴湯を与へ小快を得たり。更投三四日を経て本復す。

15.橘窓書影に曰く
 狭山候臣,三好蝶兵,年四十余,嗝噎を患ふ。食道常に物ありて硬塞するが如し。飲食此に至れば悉く吐出し,支体枯柴,其人死を决す。余診して曰く,心下より中脘の間に凝結頑固の状なく,病方に食道にあり,且つ年強壮に過きず,何ぞ必しも手を束ねて之を望まん。因て半夏厚朴湯を与へて其気を理し,時々化毒丸を用ひて其の病を動盪し,兼ぬるに大推節下間より七推節下の間に至るまで毎節炙すること七,八壮,五,六日を過ぎて咽喉の間,火の燃ゆるが如きを覚ゆ。試に冷水を呑むに硬塞の患なく,是より飲食少く進み,病漸く愈ゆ。

16.三因方に曰く
 大七気湯,喜怒節ならず,憂思を兼并し多く悲恐を生じ,或は時に振驚して蔵気平ならざるを致し,憎悪発熱,心腹脹満し,傍ら両脇を衝き,上りて咽喉を塞ぎ,炙臠あるが如く吐嚥すれども,皆七気の生ずる所を治す。

17.易簡方に曰く
 四七気湯,気結んで痰涎をなし,状破絮の如く或は梅核気の如く,咽喉の間に在って喀けども出でず,嚥めども下らず,又中脘痞満,気舒快せず或は痰涎壅盛,上気喘息或は痰飲中節嘔吐悪心を治す。(中略)

 4.半夏厚朴湯証
 半夏厚朴湯は如何なる症状を標的として用ゆべきであるか。以上の諸説を綜覧して,その規準の大略を述べよう。
 半夏厚朴湯証の患者は所謂働き盛りの男女に多い。即ち三十歳より四十歳位の人が一等多く罹る。これは緒言の処で述べた如く七情の気を乱す様な境遇即ち激烈な生存競争裡に生活している人が多いからであろう。患者の体質には一定の型はない様に思はれる。肥満した人でも痩せた人でも栄養のよい人でも悪い人でも同じく半夏厚朴湯証を呈するのである。但し胃内停水を証明し得る人は可成り多く,心下痞満,心下痞鞕を訴へる者は多い。脈も一定していない。沈のものあり,浮のものもあり,細のものもあり沈と云ふ状況である。但し大体に於て緊張の弱い脈を呈することが多い。舌は湿濡している者が多い。苔は全くないが,あっても薄い白苔の程度である。若し厚い白苔がある様な時は,茯苓飲を合方として用ひている。臍上の動悸は著明でないものがある。大便は大抵一日一行若しくは一日二行のものが多く,便秘する者は稀れである。小便は自利の者多く,殊に寒い目に逢ふと近くなる。又心悸亢進等の発作を起した時には五分間或は十分間位の間隔を置いて水の様な澄明の尿を多量に排泄する。手足は一段に冷へ易い傾向の者が多い。咽中炙臠と云ふ症状は必発のものではなく,全然これを訴へない者もある。又咽中炙臠の変形として胸中や心臓部に異常感を訴へるものもある。但し咽中炙臠の状があるからとて,この一症を以って直ちに半夏厚朴湯証也の断定してはならない。なんとなれば咽中炙臠が苓桂朮甘湯の如きもので癒る場合もあるから。次に目眩は本方証の患者に頻発するが,その他頭重,気分が重く晴々としない,何となく不安である,身体中処を定めず動悸がする等の症状は重要な目標である。なほ治験第四の項で述べた如く患者が頗る用意周到であると云ふことも亦本方証を認定する上の参考資料である。
 私は右の如き徴候を目標に半夏厚朴湯を使用しているが,若し平素常に脈数にして心悸亢進のある者,例へば前述のバセドウ氏病の如き患者には桂枝甘草竜骨牡蛎湯を此方に合方して用ひている。一体に平生は脈数ならずして,発作時のみ数脈となり,小便も亦頻数となる場合は,半夏厚朴湯を単方として与えることにしている。


※易簡方:(宋)王碩 撰
※莎草(しゃそう)(香附子のこと) 1 ハマスゲの漢名。 2 カヤツリグサの別名。
※陳無択(ちんむたく):陳言(ちんげん) 『三因方』、『三因極一病原論粋』、『三因極一病証方論』
※溲ソウ、いばり:水にひたす、<解字>「水」+音符「叟」ソウ:細長く水をたらしてぬらす 


漢方診療の實際』 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
 半夏六・ 茯苓五・ 生姜四・ 厚朴三・ 蘇葉二・ 
  本方は気分の鬱塞を開く効がある。胃腸が虚弱で、皮膚・筋肉は薄弱で弛緩し、軽度の鼓腸・腹満感を訴え胃内停水のある者などに適する。脈は浮弱・或は沈弱 を通例とする。このような体質の者はとかく小心で気分の鬱塞を来し易い。本方は古人が梅核気とよんだ症状で咽中の塞がる(ヒステリー球)如き自覚症を目標 とする。この症状は神経症状(気疾)とも考えられるが、また胃腸状態よりも影響されるものと考える。故に本方の治する気分の鬱塞と、胃腸症状とは別個のも のではなく、互に関連がある。更に進んで考えれば胃腸症状のみではなく、それの背景となる所の本方の適する一種の病的全身状態が考えられる。この事は本方 に就てのみではなく、すべての薬方に就ても同様であると云える。
 本方の応用としては胃腸虚弱症・胃アトニー症に用いられる。平素腹部膨満感を訴え、他覚的にもガス膨満を認める者、食後の胃部停滞感、或は悪心のある者に用いて効がある。気疾に用いるとすれば、前記の如き体質で気分の鬱塞する者、諸種の恐怖症・ノイローゼに宜しい。
  本方の薬物中、半夏と茯苓は胃内停水を去り、悪心・嘔吐を治し、体液の循流を調整する効がある。厚朴は腹満・鼓腸を治し、気分の鬱滞を疎通する。蘇葉は軽 い興奮剤で気分を開舒し、胃腸の機能を盛んにする。生姜は茯苓・半夏に戮力してその効を助け、胃腸の機能を盛にして停水を去り、嘔吐を止める。
 本方は諸種の疾患に応用される。例えば気管支炎・感冒後の声音嘶嗄・喘息・百日咳・妊娠悪阻・浮腫等であるが、前記の如く一種の病的全身状態(これを半夏厚朴湯の證と云う)を基本として現われた場合に用いられる。


『漢方精撰百八方』
45,〔方名〕半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)
〔出典〕金匱要略
〔処方〕半夏8.0 厚朴3.0 茯苓、生姜各4.0 乾蘇葉2.0
〔目標〕証には、咽中に炙臠あるが如く、或いは嘔し、或いは心下悸するもの、とある。
 咽喉内にあぶり肉の小片が付着しているような感じがあり、嘔吐、動悸、浮腫、尿利減少、咳嗽等の水毒症候と神経症状とがある者で、脈浮弱、又は沈細のものに適用される。
 弛緩性体質の者で神経症的傾向があり、平素胃腸虚弱の者、心下部は膨満する傾向の者。
〔かんどころ〕第一の目標は咽中炙臠感であろう。梅核気とも言う。咽中に何かひっかっかったような感じである。ヒステリー症状でもこれがあるし、痰が出にくい咳嗽状態でもおこる。弛緩性体質で神経症的傾向があるものにおこりやすい。
〔応用〕応用範囲の広い薬方で、神経症状を主目標として用いる場合と、水毒症状を主として用いる場合とあるようである。単方でも用いられるが、合方でもよく用いられる。
(1)食道狭窄及びその類症、胃症状が伴うことが多い。真性の食道狭窄にはあまり効果がないように思う。
(2)ヒステリー性咽喉絞窄感、ヒステリー球が下から昇ってきて咽喉につまる感のものには著効があることがある。神経質で胃症状のあるものが多い。
(3)咽頭及び気管のカタル症状、のどがいらいらする、檪ったい感じを目標にする。
(4)気管支炎で咳嗽が劇しく、痰が切れにくくて比較的濃い場合、小柴胡湯との合方で用いて著効を得る時がある。
(5)嗄声、疲労して声が嗄れたり、声を使いすぎて嗄れたりする場合に用いる。ポリープや声帯に異状がある時は効かないようである。
(6)妊娠嘔吐。匂いに敏感な場合は、小半夏加茯苓湯の方がよく用いられる。
(7)百日咳、喘息、これには小柴胡湯との合方で用いられることが多い。大人の喘息で、大柴胡湯と合方して著効を得ることがある。
(8)胃腸虚弱証、胃アトニー、神経性胃炎。神経症的傾向のあるもので胃症状を訴えるものにはよく奏効する。?気が出やすくて心下部につかえ、胃部膨満感があるが、案じてはあまり固くなく、蛙の腹状の者に効果があるように思う。
(9)神経症、沈うる傾向のあるものに効果的のように思う。時に桂枝茯苓丸を兼用する。 伊藤清夫


漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう) (金匱要略)
 〔半夏(はんげ)六、茯苓(ぶくりょう)五、生姜(しょうきょう)四、厚朴(こうぼく)三、蘇葉(そよう)二〕
 
気 のうっ滞している時に使われる代表的薬方である。本方の応用範囲は広く、咽喉部から胸部にかけての異常(不安)を訴える程度のものから、咽中 炙肉感を現わすものまである。また、自分の思っていることが思うようにいえず、気持ちばかりが強くなり、したがって、気分が塞がり、人と会うのが恐ろしく なり、孤独を好むようになるものもある。本方は、胃腸が虚弱で胃内停水があり、動悸、浮腫、喘咳、胸痛、腹満、めまい、頭重感、尿利減少などを目標とす る。
 〔応用〕
 つぎに示すような疾患に、半夏厚朴湯證を呈するものが多い。
 一 神経衰弱、ヒステリー、憂うつ症、不眠症、神経質その他の精神、神経系疾患。  一 食道狭窄、食道痙攣、気管支炎、気管支喘息、咳嗽、咽頭炎、声帯浮腫、肺結核、肺気腫その他の食道および呼吸器系疾患。 
 一 胃アトニー症、胃下垂症その他の胃腸系疾患。 
 一 血の道、悪阻その他の婦人科系疾患。 
 一 陰嚢水腫、腎炎、ネフローゼ、小便不利その他の泌尿器系疾患。 

2010年10月5日火曜日

桂枝加竜骨牡蛎湯 と うつ(鬱)

《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
18.桂枝加竜骨牡蛎湯 金匱要略
桂枝4.0 芍薬4.0 大棗4.0 生姜4.0(乾1.0) 甘草2.0 竜骨3.0 牡蛎3.0

(金匱要略)
○夫失精家,少腹弦急,陰頭寒,目眩,髪落,脉極虚芤遅,為清穀亡血失精,本方主之(虚労)
○脉得諸芤動微緊,男子失精,女子夢交,本方主之(虚労)

現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
 神経症状があり,頭痛,のぼせ,耳鳴などを伴って疲労しやすく,臍部周辺に動悸を自覚し,排尿回数多く尿量増大するもの。
 本方は平素よりあまり強健でない人の一時的性欲亢進がもたらす衰弱と異常興奮によく用いられる。咽喉がかわき,神経症状の著しくない陰萎には八味丸がよく,胸や脇腹が重苦しく,尿量減少し,やや軟便気味で下腹部に動悸を感ずるときは柴胡桂枝干姜湯の方が適当である。筋骨質で便秘がちな人には無効で,柴胡加竜骨牡蛎湯などを考慮すべきである。なお本方を長期服用(3ヵ月以上)すれば虚弱体質の円形脱毛症に奇効を得ることがある。本方を服用後,悪心,下痢する場合は半夏瀉心湯で治療できるし,また柴胡桂枝干姜湯あるいは補中益気湯に転方すればよい。

漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○桂枝湯に竜骨と牡蛎を加えたもので,精力減退,疲労を主訴とするものに用いるが,夜尿症,遺精,神経症,不眠症などに用いる。陰茎,陰嚢が冷えるというものや,髪がぬけて困るというものに用いて効を得たことがある。
○桂枝加竜骨牡蛎湯証では足が冷えて,のぼせるという症状を訴えるものがある。臍部で動悸が更新し,下腹部で腹直筋が突っぱっているものがある。脈は浮大で弱いものと,弦小のものとある。
○足が冷えてのぼせ,ふけが多く困るというものに,この方を用感て効を得たことがある。
○大学の入学試験を受けるため,猛烈に勉強している学生に,この方を長期間呑ましたことがある。これを呑むと疲労の回復が早く,よく勉強ができるといってよろこばれた。

漢方治療の実際〉 大塚 敬節先生
○方読弁解に「健忘,狂癇,不眠,いずれも腹中拘急,動悸たかぶるものに桂枝加竜骨牡蛎湯を用ゆべし。」

○長沙腹診考は「一書生,年20ばかり,気欝閉,短気(呼吸促迫)ことに甚し,診するに上逆して胸腹に動あり,桂枝加竜骨牡蛎湯を与えて治す。」とある。

○方輿輗に「桂枝加竜骨牡蛎湯は,およそ小建中湯の証で動悸のたかぶるものに用いる。この動悸は胸から腹にあるものである。この症には遺精などがありがちであるが,癇にこの方を用いるときは,遺精を目的にせずに動悸を目標にしてやるものである。しかしみぞおちがふさがるから多くは遺精がある。この証は虚証の癇証である。富貴,安佚の人に多くあるものである。さて心中煩悸という症状は小建中湯にもあるけれど,この方の心中煩悸のところへ小建中湯を用いてみるに,わるくはないが効はない。この証には不眠,往来寒熱,夜夢みることが多い,という症状などもある。本方は今云う癇症に多くあるもので健忘でも狂癇でも不眠でも,腹中が拘急して動悸がたかぶるものに用いる。いずれ小建中湯の証で動悸のたかぶる処にゆくものと心得てよい。動悸がさほどないものには小建中湯がよい。」

  ※安佚(あんいつ):気楽に過ごすこと。何もせずに、ぶらぶらと遊び暮らすこと。また、そのさま。安逸

○遺精,早漏,性欲減退などによく用いられる。

○西山英雄氏は“鬼交の診療例”を漢方の臨床誌4巻5号に発表し,38才の未亡人で強度の疲労を主訴とするものにこの方を用いて著効を得た例を報告している。その中で患者は「実は先生,時々熟睡中に相手は誰か判らないが,交接していて,オルガスムスに達して驚いて目を覚ます。そんな時は両手を胸に置いて,固く誰れかを抱きしめているような感じです。その翌日は店に立って居れない位,疲れるのです。何んとか,これが起らないように治してほしい。」とのべている。

○浅田宗伯は小児の遺尿にこの方を推奨している。勿誤薬室方函口訣に曰“此方は虚労,失精の主方なれども,活用して小児の遺尿に効あり。故尾州殿の老女60年余小便頻数一時間五,六度上厠,小腹弦急して他に症状なし,此方を長服して癒ゆ”とある。

○精力減退,疲労を主訴とするものに用いるが,夜尿症,遺精,神経症,不眠症などにも用いる。陰茎や陰嚢が冷えるというものや,髪がぬけて困るというものに用いて効を得たことがある。足が冷えて,のぼせるという症状を訴えるものがある。足が冷えて,のぼせ,フケが多くて困るというものに,この方を用いて効を得たことがある。私はこれを遺尿症に用いる時は臍部の動悸の亢進と神経質で物に感じやすい点やねぼけるというところに注目している。

漢方処方応用の実際〉 山田光胤先生
 体質虚弱な人が,痩せて,顔色が悪く,神経過敏になり,微熱があったり,疲れやすく,手足がだるく自汗や盗汗があり,胸や腹の動悸が亢進し,気分は憂うつで,物忘れして,夜眠れず,さ細なことに驚き,婦人は月経が不順になることがある。また性的過労,インポテンツ,遺精,夢精,夢交などがあったり,夜尿症や脱毛症になることもある。脈は弱く,遅い。腹証は,腹壁がうすく,みぞおちがくぼみ,腹直筋が攣急し,殊に臍下でひどくひきつれているが,下腹部は力がなく軟弱無力である。

漢方診の実際〉 大塚,矢数,清水 三先生
 本方は性的過労,陰萎,遺精等に用いて元気を回復させる効がある。腹証としては屡々,腹直筋が拘攣し,腹部の動悸が亢進する。神経衰弱症,チック病に脈証、腹証に注意して応用する。本方はまた小児の夜尿症に用いて奏効することがある。竜骨,牡蛎は心悸亢進,神経の異常興奮を鎮め,固精の効がある。

漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
 運用 1. 性的神経衰弱
 「夫れ失精家,小腹弦急,陰頭寒え,目眩,髪落,脈極虚芤遅なるを清穀亡血失精となす。脉これを芤動微緊に得。男子は失精,女子は夢交」(金匱要略血痺虚労)(中略)
 家とは年中やっている人という意味だから一ぺんや二へんでは家とは云えない。小腹弦急は下腹がぴんと張っていること,きゅっと引締っていること。即ち下腹部直腹筋若しくは錐体筋の収縮を意味する。筋肉は実しても緊張するし虚しても緊張する。虚して緊張する場合はきゅっと引締って筋ばっているように感じ,併かも深部には力がない。陰頭寒は亀頭が冷たく感じること。目眩は目がちらちらする,まぶしい,しょぼしょぼする,めまい,などの意にとれる。脉の極虚,芤,遅などみな虚脉である。清穀は下痢清穀の略で現代的術語では完穀下痢と称し,食べたものが消化せずにそのまま出てしまうこと。亡血は貧血ぐらいの意。脉の動は腹部大動脉の搏動がたかまった時によく現われる脉,夢交は夢に交るとの意,男子には夢精に相当する。臨床的に古方家は胸腹動と小腹弦急を最も重要な目標にしている。それがあれば確かに目標にしてよい所見である。胸腹動とは胸がどきどきしたり,臍辺では腹部大動脉の搏動が亢進していることである。尾台榕堂先生は「禀性薄弱の人,色欲過多なるときは則ち血精減耗し,身体羸痩,面に血色なく身に微熱あり,四肢倦怠,唇口乾燥,小腹弦急,胸腹の動甚しく,其窮るや死せずして何をか得たん。此方を長服し厳に閨房を慎み保嗇調摂するときは則ち以て骨を肉とし生を回らすべし。婦人心気鬱結,胸腹の動甚しく,寒熱交作,経行常に期をたがい,多夢驚惕,鬼交漏精,身体漸く羸痩に就き,其状恰も労療に似たり,孀婦室女情慾妄りに動きて遂げざるものに多く此方に宜し。」(類聚方広義)と詳細に懇切に適応症を述べており,この方面の使い方としては凡そ之に尽きている。必ずしも金匱及び類聚方広義の症状が一々全部揃うことを要せず,その内の特長ある若干のものが組み合されていれば本方を使うことが出来る。例えば,遺精,夢精等が主訴で腹動少腹弦急するもの。陰萎強直症(プリアピズム)で少腹弦急し或は脉右の如きもの,或は腹動あるもの。面色凄蒼目凹み光り,しかも空ろの如く。体を動かすこと大儀で手足ほてりだるがり,刺戟に敏感であり乍ら直ぐ疲れてしまい。脉右の如きもの,必ずしも遺精等あるに限らず。頭髪脱けやすく,或は脱毛症,或は禿頭症,或はふけ多く,或は腹部少腹弦急,或は脉右の如く,或は全身症状右の如きもの。(中略)

 運用 2. 虚証で動悸や興奮しやすいもの。
 不眠症,興奮或は健忘症,銘記力薄弱,或は感受性がたかく感情もろく,或は所謂癇がたかぶり,甚しければ狂状の如きものなどで,脈又は腹証前記のもの。バセドウ氏病で,心身共に興奮し易く,或は心悸亢進,多汗,或は驚き易く,あるいは反対に鬱々として疲れ易きもの。自律神経不安定症で肺結核の軽症経過中などに時折見られるが,神経質で心悸亢進,腹動或は諸所に動悸を感じ,不眠,焦燥,刺戟性のもので脉動弱,微弦等を呈するもの。要するに本方は腎虚火動又は下焦を制することが出来ぬ状態に対しても本方を用いる。従って必ずしも肺結核の意味ではないが上虚即ち肺虚や心虚の症状があるときにも本方が使えるわけである。

 運用 3. 下に漏れる症状
 遺精もそうだが夜尿症,前立腺肥大症や萎縮腎で小便近きもの,帯下など凡て締りがなくて下に漏れる症状を対照にして本方を使う。全身的又は脉,腹証を参照して使うべきである。区別を要するのは八味丸である。


漢方の臨床〉5巻1号
桂枝加竜骨牡蛎湯について 大塚敬節先生

 虚労
 桂枝加竜骨牡蛎湯は,金匱要略の血痺虚労病脈証の部にみられる方剤で,血痺には黄耆桂枝五物湯を用い,虚労には桂枝加竜骨牡蛎湯の他に、天雄散,小建中湯黄耆建中湯八味腎気丸,薯蕷丸,酸棗仁湯大黄蟅虫丸が用いられ,附方として炙甘草湯と獺肝散が出ている。
それでは虚労とは如何なる病状のものかと言うに,金匱要略には,「夫れ男子平人,脈大を労となす,極労も亦労となす」とあって,特に病気らしい訴えのない男子でも,脈が大であれば労であり,またひどく脈が虚して力がなければ,また労であるといっている。この場合の大の脈は,これを重按すると底力のない,外だけに張り出した脈のことであろう。だから,一体に,脈が大きくても力がなければ,労でありまたひどく虚して力のない脈も亦労の徴候である。
 なお虚労の徴候として,金匱要略には,次のようにのべている。
 「男子面色薄き者は,渇及び亡血を主どる。卒に喘悸し,脈浮の者は,裡の虚なり。」
 「男子,脈虚沈弦,寒熱なく,短気裡急,小便利せず,面色白く,時に目瞑衂を兼ね,少腹満す,此れ労之を使らしむとなす。」
 「労の病たる,其脈浮大,手足煩し,春夏劇しく,秋冬癒え,陰寒え精自ら出で,酸削,行く能はず。」
 「男子,脈浮弱にして濇なるは子なしとなす。精気清冷。」
 以上の条文によって,労または虚労とよばれた病気が,今日の肺結核ではなくて虚弱体質または,性的無気力或は所謂神経衰弱等を指したものであることがわかる。

 原文の解釈とその批判
 さて,桂枝加竜骨牡蛎湯は,これらの条文をうけて,次のように,その脈証をのべている。
 夫失精家小腹弦急陰頭寒目眩一作目眶痛髪落脈極虚睫芤遅為清穀亡血失精脈得諸荘動微緊男子失精女子夢交桂枝加竜骨牡蛎湯主之
 ところが,この文章は,どこに句読をつけるべきか,どのように理解すべきか,これを仔細に検討してみると,いくつかの疑問にぶつかる。
 右の条文を一つの文章として解釈すべきか,二つの文章に分けるべきか,三つの文章に分けるべきか。また註釈文が本文に挿入されたという立場をとるべきか。更に天雄散の主治が同時にのべられているとすべきであるか。また「脈虚芤遅」と「脈得諸芤動微緊」を如何に解釈すべきか。問題は仲々複雑である。
 名古屋玄医,山田正珍,福井楓亭,和久田叔虎,吉益南涯,宇津木昆台,湯本求真先生の諸家は一つの文章として解釈している。
 多紀元簡,喜多村寛,浅田宗伯の諸家は,二つの文章に分けて解釈する立場をとっている。
 後藤慕庵,辻元崧庵の諸家は三つの文章に分けて解釈する立場をとっている。

     ☆  ☆  ☆

 山田正珍は「夫」の字と,「芤遅」より「夢交」までの24字を刪去すべしといっている。そこで,「失精家は小腹弦急芤,陰頭寒く,目眩,髪落つ,脈極虚たるは桂枝加竜骨牡蛎湯之を主る」だけを,金匱要略の正文であるとした。
 和久田叔虎は,腹証奇覧翼で,「脈極虚芤遅為清穀亡血失精」の12字を註文とみなして,次のように解釈している。


     ☆  ☆  ☆

 「夫れ失精家,小腹弦急,陰頭寒,目眩,髪落,脈極めて虚芤遅なるを清穀亡血失精と為す。脈之を芤動にして,微緊なるに得れば,男子は精を失し,女子は夢に交る,桂枝加竜骨牡蛎湯之を主る。」

 これの註釈は,
 凡そ脈に虚芤遅の三証を極めてあらわすは,下利清穀か,亡血か,失精か,此三病の中の脈証の例なりとなり。虚は場所ありて物なきの義にて浮大にして根のなき脈をいう。芤は,中のうつろな脈をいう。遅はおそき脈,三脈ともに気血の虚に属して,陽気の衰えたる脈証なり。脈得以下を,此方の脈証に取るなり。言こころは,以上の脈例に就て言うときは,其三脈の中にて之を芤動にして微緊なる方に得れば,失精夢交の脈となり。失精は夢に交て精を失すなり。男女を別つは互交にして,其実は一なり。小腹弦急。つよくすじばること弓弦の如きをいう。其証小腹にあるものは,下虚の候にして,気血の不和なり。失精あるも是によるなり。陰頭寒。目眩。髪落。并に皆衝逆の候にして,不降の気すくなく,陽気下部に旺ぜざるなり。髪落もの。皆上実にして,瘀血頭部にあつまるによるなり。脈極虚遅芤為清穀亡血失精の12字は脈例をいう斜挿の文なり。言こころは動は,関上にありて上下に首尾なき脈といえり。蓋,臍上の築動之と応ずるものなるべし。此方虚寒の意なし。微緊にして遅ならざるゆえんなり。」
 以上を約言すれば,性的神経衰弱の人では,下腹部がひきつれ,外陰部が冷え,目まいがして,髪がよくぬけるようになる。このような人で,脈が芤動で少し緊であれば,桂枝加竜骨牡蛎湯の主治である,というのである。
この原文の中,脈極以下亡血失精までは,桂枝加竜骨牡蛎湯の証ではないという立場をとっている。この場合,「極」の字をを「脈が極めて虚す」という意味にとらないで「極めてあらわす」としているが,これではよく意味が通じない。次に「諸」の字を「これを」とよまして,「凡そ」の意味に解釈している。これについては,問題が残る。また芤動微緊を一つの脈状にとって,芤動で微し緊の意味にとっている。ところが,芤動が一つの脈で,微緊が一つの脈だとする説も,芤,動,微,緊の四つの脈だとする説もある。果していずれが正しいであろう。また失精も精を失するとよむのは,まだよいが,夢交を夢に交じわるとよむよりも交を夢むとよむべきではないか。

 湯本求真先生は,「皇漢医学」に,この腹証奇覧翼の説を全面的に引用している。
 金匱要略国字解でも,その読法は,前者と大同小異であるが,「諸」を「脈,諸芤動微緊を得るは」とよましている。

 宇津木昆台は古訓医伝の風寒熱病方緯篇で,次のように説明して,この文は桂枝加竜骨牡蛎湯と天雄散との二つの証治を併せてのべたものだとしている。
 「これより本条にして,失精の者を示したるなり。さて失精に数種あり。独り下元の虚脱より来るのみと思うべからず。先ず薛己が医案にも,七種の失精を載せたり。其文に曰,愚按ずるに,四あり,心を用い,度を過し,心,腎に摂せずして致す者なり,色慾を遂げざるに因って精気位を失し,精を輸して出づる者あり,色慾大過,滑泄して禁ぜざる者あり,年壮に,気盛んにして久しく色慾なく精気満溢する者あり,小便出ること多くして禁ぜざる者,或は小便に出でずして,自ら出で,或は茎中出でて痒痛して,常に小便せんと欲する者ありと言う。始の四種と,後の小便に従うて出ると,小便に従ずして自ら出ると,茎中痒痛との三種を合して,七種になるなり。又寝るに臨んで,食に飽くときは,遺精するあり,又夢は交合して遺するあり,心下充盛の者,この証を患る者多し。又曰,おおむね夜ねるときはなはだ暖なるときは則ち遺す。陽道,物に著くときは,則ち遺す。睡次,側臥して一足を縮めて,物に着かしむることなきときは則ち免ずべしと言えり。これ亦,夢遺の則にも,陽道,物に着きて遺すると,着ざれども色情を夢中に発して遺することあり。少壮鰥居の人,慾念に因て満溢するはさして害なし。律僧には暴食して,夢遺する者至て多し。明朝,犢鼻褌を竿に付て,表向にて常任の主僧に示す。主僧,湯を輸して,浄浴せしむるなり。此等は病とは言えども,暴食をなし,且つ慾情を抑えて,夢中に発する者なれば,これ亦大なる害なし。唯,世情に辛苦経営し,功名を成んと欲して,学術技芸に精神を凝してより,陽気上に迫り,陰血下に亡びて,発する所の者は大に害あり。これは色慾に心を用るにあらず,只水火の升降あしくして,気血の不順より為す所の失精なれば,急に治を施さずんば,必ず死地に陥る者なり。よいよい診別して,危を救うべし。又色慾過度し,下元大に虚して,ますます慾情の盛なる者は,白昼に覚えず脱精する者あり。此等は下部のしまりなしと雖も,慾火の上逆より脱精する者にして,俗に云腎虚の者は,この証多し。
余,平素三種の虚乏を説けり。先ず腎虚したるものは,頻に色慾を好み,脾胃虚の者は,大に食物を貪ぼり,貧乏したる者は,頻りに表を張て外見を衒う。これ俗情に於て片寄処ありて,川立は川で果ると云諺の如く,挽回し難き者と見えたり。前車の覆る,後車の戒とすることを忘るべからず。さて,ここに挙る所の者は,下部力なく上迫して,上下通暢を失うてより来る者なり。これもと精魂を砕き,或は房慾の過度によりて,小腹の気血和せず,故に小腹弦急するなり。これ下部の陽気暢びずして,亡血より来る弦急なれば,陰茎,頭,ひやひやする様なるを以て,陰頭寒と言り,寒の字はひやつくを病人の覚ゆるを言,右の如くに,気血下部を栄養すること能わざれば,必ず心胸以上に,虚気上突するにつけて,上部の血も気も迫りて行らず,故に目眩髪落するなり。目眩は気の変,髪落は血の変なり。さて上下共に気血用をなさず,大に衰えたる証なれば,内外共に陽気のしまりなくして,脈状も十分に衰たる故に,極て虚芤遅と言り内は胃中の陽気絶んとして,清穀となり,血分寒凝して,下部のしまりなきより,亡血,失精に及ぶなり。且,下元大に虚して,失精に及ぶのみならず,腰以下痿躄して,大小便ともに,遺失に至る者多し。其上腰以下寒冷にして甚しき者は不仁し,覚えのなき者あり。この証は八味丸,またはこの天雄散等のかかる者なり。同じ証にても,脈の虚芤の上に,動微緊を得る者は,上逆の気勝て,水気も共に上に動躍する故なり。この諸芤動微緊の諸の字は,一切の虚労はこの脈をあらわす者は,上迫して下部和せず,男子ならば,失精するに至り,女子ならば,夢交すると言意なり。男子は慾情動くときは,火逆上逆するのみならず,陰頭に精汁を漏すなり。女子は陰汁は常に出る故に,別に失精することなくして,慾情動けば,夢に交るばかりなり。余屡々女子に夢交の事を究問するに,寡婦慾情に堪えずして夢交するは,精汁の満溢と同証なり。然れども,男子の如く漏精することなく,唯其精内に凝結して,小腹より陰中に引て,弦急疼痛する者多し。其疼痛至て堪え難く見ゆるなり。又娼婦に淫腹と俗称して,小腹の急痛に堪え難き証あり。これは淫精,膀胱,血室の辺に凝結したるなり。花街の者杯は常のことなれば、酸醤皮、和名ほうづきの皮を煎じて服すれば,頓に治するなり。ここの女子の証には,虚実あれば,よくよく診別すべし。失精夢交の証に,脈の虚芤遅と芤動微緊と,少しく上下の軽重あれば天雄散と桂枝加竜骨牡蛎湯との差別をとくと弁ずべし。其外八味丸小建中湯の類,各主たる証あり。さて,桂枝加竜骨牡蛎湯の方意を察するに,気逆上衝して,水気の上に動躍する勢を和すれば,下部に気血めぐりて失精夢交の証やむなり。謂う所の南風を得んと欲すれば北牖を開けの意あり。また天雄散の証は,下部主となりて,気逆上衝する故,清穀亡血の下部を目当にして力を入るれば,上は自ら和するなり。大小便も遺失し,腰以下の痿躄するまでも,皆この天雄散の証なり。(下略)」
 このように,昆台の解説は,親切丁寧であるが,問題は,「脈弦虚芤遅」と「脈得諸芤動微緊」の解釈である。昆台に随えば,極は脈が極めて虚して芤遅であるとの意であるとし,極は,虚の副詞とし,虚を芤遅の形容詞として解釈している。即ち芤遅の脈が極度に虚しているのは,清穀,亡血,失精の徴であるというのである。また諸の字を一切の虚労の意にとっているが,これは文法上から,無理なこじつけのようにとれる。また芤動微緊を一つの脈状と考えて,この上に虚の字を加えて解釈しているが,この場合の微は緊の形容詞で,少しの意にとるべきである。もし微脈の意にとれば芤動と微緊とは相反する脈になるから一つの脈状とは考えられない。
 次に,吉益南涯と,石北溟は,ともに,このように問題になる脈状を,一切後人のざん入として削り去っている。しかも,夫失精家の四字までも削っている。即ち南涯の金匱要略釈も北溟の金匱正弁も,この条文を,次のように訂正している。
 「少腹,陰頭寒,目眩髪落,男子失精,女子夢交,桂枝加竜骨牡蛎湯主之,天雄散亦主之。」
 このように,脈の部分を後世人のざん入として削ることは,たしかに一つの見識であるが,夫失精家を削っておいて,男子失精女子夢交を残したことは,何如なる理由によるものであろう。この北溟も,その序文によると吉益東洞の流れをくむ人である。
 さて以上は,金匱要略の原一を一条としてよんだ人達である。
 次に多紀元簡は,金匱要略輯義で「今,程本に依って,二条に分つ」として,「夫失精家より亡血失精」までを一条とし,「脈得より主之」までを一条として二条に分ける立場をとっているが,自己の見解をのべることを遠慮してりる。
 浅田宗伯は,元簡に随って,二条に分けてはいるが次のように一条として説明している。
 「夫れ失精家とは,腎精を失う人を謂う。小腹弦急,陰頭寒く,目眩,髪落つ等は,即ち精脱し血枯るるの致す所,蓋し失精家の小腹に於ける弦急は,桃核承気湯の少腹急結と少しく相似て大いに異る。蓋,其症,常に少腹より陰頭に引きて弦急し,且つ昼夜色を思いて戈を立つる者是なり。男女正に同じ。女は夢交と言って精を謂はざるは,男子と文を異にするのみ。是れ陰吹正に喧すしく,玉門は閉ず,時に自ら精を漏らす者,之を用いて効あり。芤は浮大即ち微の反,動は鼓撃,即ち緊の反,蓋,芤動と微緊は自ら是れ二脈,即ち上文に「脈大を博となす,極労も亦労となす」の意。故に諸と言う。諸は凡なり。限らざるの辞,尤氏は以って一脈となす者は非なり。」(原漢文)
 宗伯は,芤動微緊は,芤動と微緊の二つの脈であるとし,この二脈はともに虚労の脈であると説明している。ところが,「脈極虚芤遅」については,全く言及していない。故意に知らない風にしているのか,後人のざん入だと考えて黙殺したのか,そのあたりの事情がはっきりしない。とにかく,「脈極虚芤遅」の五字の取扱いは,仲々むつかしい。
 後藤慕庵は,「夫失精家より髪落」までを一条,「脈極より失精」までを一条,「脈得より主之」を一条とし,清穀,亡血,失精は皆虚労の致すところで脈を同じくして,証を異にするものだ。また芤,動,微,緊の四つの脈は,いずれも虚候の脈だとしている。
 以上長々と諸家の説を陳開したが,どの説も,十全のものはなく隔靴掻痒の感をまぬがれないのは,なぜであろう。

 桂枝加竜骨牡蛎湯の証
 桂枝加竜骨牡蛎湯証の考察するには,金匱要略の条文の理解から着手しなければならない。ところが,この原典の解釈が,前篇でみられるように,支離滅裂では,どの説にも随うことができない。私は昭和17年3月より拓殖大学漢方医学講座修了生の方々のために,約半ヶ年にわたって,金匱要略の講義をしたときも,また昭和26年に,和訓金匱要略を執洋した時も,前記諸家と同じような誤をおかしてきた。
 その後私は,この条文の中で,一番難解な「脈極虚芤遅為清穀亡血失精,脈得諸芤動微緊」を「脈極虚芤遅を清穀,亡血となす。失精の脈は,諸を芤動微緊に得」とよんでみた。すると,この一節がすらすらと理解できた。即ちこの一節は,清穀亡血の脈とある。ところが,前記の諸家は,「清穀亡血失精となす」とよんでしまったために,全くわけがわからなくなり,混乱に陥ったのである。
 同じ虚労でも,清穀(完穀下痢)や亡血(貧血)の時は,脈が極虚芤遅であるが,失精の時は脈が芤動微緊であるというのが,この一節の意味である。また「諸」の字が,諸家の間で問題となり,「もろもろ」とよまして,寸,関,尺のもろもろの脈だといい,またもろもろの虚労の意だといい或は,「凡」の意だといい,一定しない。けれども,諸は「これ」とよんで,之の意味にも用いられて来たので,私は,「これ」とよむことにしている。だから「諸」の字には特別の意味はない。
 そこで桂枝加竜骨牡蛎湯の原文を康平傷寒論の書式にならって,書き改めると,次のようになる。

 夫失精家,小腹弦急,陰頭寒,目眩痛,髪落,失精
                 一 作目眶痛 男子失精女
 脈得諸芤動微緊,桂草加竜骨牡蛎湯主之。
 子夢交 脈極虚芤遅為清穀亡血

 これを和訓すると
 夫れ失精家は,小腹弦急し,陰頭寒え,目眩,髪落つ,失精の脈は,これを芤動微緊に得,桂枝加竜骨牡蛎湯之を主る。
 目眩を一本には目眶痛に作る。男子は失精,女子は夢交は,失精の註文で,脈極虚芤遅を清穀亡血となすは,芤動微緊の脈の註文である。
 これを意訳すると,失精家で,下腹部のひきつれる感と外陰部の寒冷感,めまい,頭髪の脱落などの症状があって,脈が芤動で,少し緊を帯びている場合は,桂枝加竜骨牡蛎湯の主治である。ただし,めまいの代りに目のいたむことがあると書いてある本もあり,男子では失精であるが女子では夢交となる。また同じ虚労でも,脈が極虚芤遅であれば,完穀下痢や出血多量による貧血の結果であるから,失精による虚労と区別しなければならない。眶は,まぶたまたはひとみの両方の意味がある。私はこの症状にヒントを得て,この薬方を眼精疲労に用いて,著効を得たことがある。
 これから,この薬方腹証についてのべなければならないが,金匱要略の条文を「清穀,亡血となす。失精の脈は云々と」読んだのは,私の創見と思いきや,さにあらず,すでに,私が日頃,尊崇する山田業広が,とうのむかしに,「失精の脈は云々」とようでいる。私は,これを九折堂読書記の中に発見し,私の読法が,私だけの独断の結果ではなく,私の最も新頼する業広の読法と全く一致することを知り,欣快にたえないのである。そして,先哲の残してくれた尊い業跡に,いまさらながら感泣する次第である。
 さて,失精家の精を,精液,精汁の意にとるのが,いままでの通説であるが,臨床にあたっては,一般精力の浪費による虚労をも,失精家と考えた方がよい。小腹弦急は,下腹がひきつれることであるが,八味丸証の小腹拘急との区別はむつかしい。陰頭寒は,陰茎の先端の冷えることであるが,陰嚢の冷えるのも,目標になる。
 桂枝加竜骨牡蛎湯の腹証としては,金匱要略では,「小腹弦急」をあげているだけであるが,我国の先哲は,これを更に次のように布延している。
 腹証奇覧翼では,第一図にみられる通り,これを「図の如く臍上中脘の辺に動気つよく,小腹に弓弦を張りたる如く引きはるものあり。常に衝逆(のぼせ)目眩(めまい)の患ありて,上実下虚,上熱下寒,脈虚芤なるもの,桂枝加竜骨牡蛎湯の証なり」と説明している。
 聖剤発蘊は,東洞の方極に随って,「桂枝湯の証にして,胸腹動ある者を治す」といい,「桂枝湯の胸腹にして動ある者なり,竜骨は臍下の動を主治すと云いながら,此の方の如きは桂枝の上衝につれて動ある故,臍上より胸中へかけての動多く見ゆべし。さて腹中動ある者は,本論に謂う所の失精夢交の証があるうちなり。柴胡姜桂湯のつく者にも得て失精の証があるものなり。さて此方は,後世,失精家或は火逆の証に聖薬の様に謂うことなれども元来桂枝湯の胸腹が備った上にて,胸腹の動ある者に非れば用て効なし。所以は何ぞ。胸脇苦満して腹部の毒,両挺なる者にて,胸腹動有り,失精夢交或は灸祟(灸たたり)にて大に煩躁するは柴胡加竜骨牡蛎湯のつく場合なり。又若証にて上衝あれば柴胡姜桂湯のつく者多し。皮相に眩して其の真を失すること勿れ。さて,此の方の主治,岩淵氏方極附言に,胸腹の下に及び臍下の三字を補入す。竜骨臍下の動を主治するに因てなり。余を以て,之れを観れば畳長に似たり。既に胸腹と謂う唯臍下は腹に非ずや。方極の主治の如きは簡明にして意味通暁せんことを貴ぶ。」と説明している。
 村井先生腹候弁では「桂枝加竜骨牡蛎湯の腹は,臍下弦を引張たる如く筋立りんとはってびくびく少し動気ある者,臍上水分下脘のあたり動気甚強し。」といい,東郭腹診録では「此腹証は臍下へ弓の弦を張りたる様にひくひくとすこし動気ある者なり。臍上水分上中脘の辺動気甚強し。又按に小腹急強の言筌にのみ泥むべからず。臍下気満たず,軽きは水分,神闕,重きは中下脘に至て動気あり,房事の後の腹候と同じ」と説明している。
 このように,桂枝加竜骨牡蛎湯の腹証を論ずる諸家は,臍辺の動悸の亢進を重視している。このような傾向は,吉益東洞がその著薬徴で,「竜骨,臍下の動を主治するなり,旁ら驚狂,失精を治す」と論じ,桂枝湯に竜骨,牡蛎を加えたこの薬方は,「桂枝湯証にして胸腹動ある者を治す。」のだと定義したため,東洞の流を汲む人たちばかりでなく,他流の人たちまでも,胸腹の動を重要視するようになった。しかしこの動悸も必発の症状ではないからとて,この薬方の証ではないということにはならない。しかしこの動悸も必発の症状ではないから,この腹証がないからとて,この薬方の証を否定してはならない。

 先哲諸家の経験
 (1) 腹証奇覧翼
 失精家のみならぐ,所謂虚労,鬱証,赤白濁,小児の胎驚,夜啼,客忤,驚癇等,証に従って試効あり。或は故なくして頭髪脱尽すること麻風の如くなるものに試験すと。愚謂亦証に随うにあり。

 (2) 方輿輗
 桂枝加竜骨牡蛎湯,此条専ら,脈を以って,失精夢交を論ずるに似たれども,其症は上文に己に之を詳かにせり。合せ観て脈証を具備すべし。動とは鼓にして力あるが本義なり。然れども芤と熟するときは力無くして,動ずるなり。凡そ文辞はつかいようにて,種々はたらきあるものなり。緊は急の義なり。然れども微字熟するときは,血液栄せずして其柔を失するなり。其意,譬へば,木液なくして枝勁きが如きなり。吐衂篇に衂家汗すべからず,汗出づれば必ず額上陥り,脈緊急と云うも同意なり。さて方下に失精の脈法殆んどせども,此病は腹にして候うが第一捷径なり。凡 臍上,水分の地,くぼみて坑をなし,或は臍下ぐさぐさしたる中に弦急を見はし,又臍辺に一種の動気あるべし。此動は意を以って之を求むるときは,言はずして自ら喩るべし。
 
 (3) 病因考備考 遺精
 一男子あり,三十余歳,前病を愚う。一月中遺せざるの夜,十日を過ぎず,気乏色青く,数里を歩する能はず。身少しく労れ,動すれば連夜遺精す。医を易うること数人にして愈ず。治を家翁に請う。翁,諭して官務を辞せしめ,桂枝加竜骨牡蛎湯を作りて之を与う。数月の後,動気稍伏し,遺精従って減じ,今四十歳,未だ全くは愈えず。又一男子あり,年五十ばかり,平日,多汗明暗の処を畏る。之に遺精脚弱を加え,腹部力なし。かくの如きこと五,六年,而かも元気未だ甚しくは衰えず,脈も亦悪候なし。蓋し諸の過酒,房労に得るなり。余処するに桂枝加竜骨牡蛎湯を以ってす。此ろ余薩摩の出水邑を過ぎ,邑医某,余に請いて之を診するなり。後,数月,医人某書を以って来り告げて,服薬後,諸症稍除くと云う。

 (5) 勿誤方函口訣
 此方は虚労,失精の主方なれども,活用して小児の遺尿に効あり。故尾州の老女年60余,小便頻数1時間5,6度上厠,小腹弦急して他に症状なし。此方を長服して愈ゆ。

 (6) 和漢医林新誌第69号 滝松柏
 東京府下,高代町8番地,三浦清十郎,食客鵜殿葆なる者,齢而立に垂々とし,一奇疾を患う。茲に2年,其症たる陰頭寒を覚え,夏秋の交尤も甚し。衆医を延き之を治す。皆以って淋疾となす。技を尽し,術を窮めて,寸験を見ず。本年10月朔を以って,治を余に請う。之に診するに,脈浮緩にして力あり,飲啖,舌胎常の如し。胸腹少しく築動あり。飲頭を熟診するに,異常なし。只上厠の際,小便利すと雖も,残瀝滴々絶えずと云ふ。余,猪苓湯を与ふるに効なし。因って陰頭を撫擦するに,冷にして水嚢を探るが如し。是に於て,竊に意うに,陰頭冷の一症かと,試みに桂枝加竜骨牡蛎湯を服せしむむこと2日,患者頗る快を呼ぶ。尚を前方を持重すること10有余日,会々余帰省の期,迫るを以って,方書を授けて客路に就く。家に帰るの時,飛簡あり,直に披きて之を閲む。鵜殿葆の謝牘なり。未条詩を載す。神方を明論して病魔を攘うの句あり。余以って病の全愈を知り,益々古方の妙私議すべからざるを信じ,広く大方の君子に告ぐと云うのみ。(後略)



 
 




※ 減耗(げんこう,げんもう):減ること。また、減らすこと。
※ 窮る(きわめる)
※ 驚惕(きょうてき):驚き恐れること
※ 蟅虫の「蟅」は、本来は、庶が上で虫が下。表示できないため代用。
※ 裡:裏の異体字
※ 福井楓亭(ふくい ふうてい),1725-1792
※ 和久田 叔虎( ワクダ ヨシトラ;わくた しゅくこ), 1768-1824
※ 後藤慕庵(ごとう ぼあん):元文元年(1736)~天明8年(1788)。後藤椿庵の子。後藤艮山(後藤左一郎)の孫。
※ 辻元 崧庵(つじもと すうあん、安永6年(1777年) - 安政4年3月6日(1857年3月31日))は、江戸時代末期の幕府医官。名は昌道、号は冬嶺(とうれい)、通称は崧庵(すうあん)。幕府医学館考証派の有力な儒医。
※ 鰥居(かんきょ) 独居の老人。「鰥」は、魚が目を瞑らないように「目が冴えて眠られない」有様。
「鰥」という漢字がある。魚偏に四に水の字だが、四は目であって、つまり魚に目と水で「眔・なみだ」の旁で「やもを」と読む。 「やもを」とはつまり連れ合いに先立たれた男のこと。
※ 犢鼻褌(とくびこん):褌には犢鼻褌(とくびこん)と言われるものが ある。史記の司馬相如伝に「相如身自着犢鼻褌、与保庸雑作(相如身に 犢鼻褌を自着し、保庸(雇用人)と雑作をす)」と書かれているのが見える。 晋代の注釈には、三尺の麻布で作り、形は犢(こうし)の鼻のごとくである と書かれている。幅24.5cm、長さ70cmの布でできるものといえば、 越中ふんどし風のものであるにちがいない。
 褌や犢鼻褌は、上半身はだかやそれに近い姿で働く労働者が身につける ものである。
※ 酸醤皮 酸漿根のことか?
※ 牖:訓(まど;窓) 音(よう)
※ 石北溟 金匱正辨
※ 客忤(きゃくご):小児が突然外からの刺激、たとえば、大きな物音・知らない人・見慣れない物を見て驚き怯え、顔色が青くなり・軽度のケイレン・水穀下痢・涎沫を吐すなど、驚癇のような症状をあらわすもの。
※ 捷径(しょうけい):1 目的地に早く行ける道。近道。 2 目的を達するてっとり早い方法。早道。近道。
※ 一七七八 安永七奥書 亀井南冥 病因考備考
※ 竊に ひそかに
※ 攘う はらう




漢方診療の實際』 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊

桂枝加竜骨牡蠣湯
 本方は性的過労・陰萎・遺精等に用いて元気を回復させる効がある。腹證としては屡々腹直筋が拘攣し、腹部の動悸が亢進する。神経衰弱症・チック病に脈證、腹證に注意して応用する。本方はまた小児 の夜尿症に用いて奏効することがある。竜骨・牡蠣は、心悸亢進・神経の異常興奮を鎮め、固精の効がある。



『漢方精撰百八方』
99.〔桂枝加竜骨牡蛎湯〕(けいしかりゅうこつぼれいとう)
〔出典〕金匱要略
〔処方〕桂枝、芍薬、生姜、大棗 各3.0 甘草2.0 竜骨、牡蛎 各3.0

〔目標〕体質が虚弱な人が、神経過敏になり、痩せて、顔色が悪く、微熱があったり、疲れ易く、手足がだるくなったり、胸腹の動悸が亢進したりして、下腹がひきつれ、或いは腹直筋が攀急する。  また、性的疲労、インポテンツ、遺精、夢交、或いは夜尿症などがある場合もある。  この場合、気分は憂鬱で、些細なことに驚きやすくなり、婦人は月経不順となることも多い。

〔かんどころ〕虚弱な人の神経過敏、ことに心悸亢進、腹証に胸脇苦満はみられず、腹直筋が攀急していることが多い。

〔応用〕神経症、不眠症、性的神経衰弱その他

〔治験〕1年10ヶ月 女児、小児不眠症(神経症の疑い)  生来虚弱、外来の刺激に過敏で、かぜをひきやすく、胃腸をこわしやすい。しかも、病気になるとなかなか治らず、いつまでも長引くので、年がら年中医者通いをしている。  この養女が1ヶ月ばかり前から、夜眠らなくなった。両親や同胞が眠ってしまうと、一人で寝床から出て、何かいたずらをしている。しかし、別に機嫌も悪くはない。午前1時頃になると、ようやく眠るが、朝は4時頃には起きてしまう。それなのに、昼寝もしないと親が訴えた。  病児は、身長・体重ともに平均より小さい。外見にも脈にも特徴がないので、腹診しようとすると、泣きわめいてどうしてもみせない。  診察によっては、証がつかめないので、次のように考えて処方を決めた。病児は前から、かぜをひいたときは桂麻各半湯か桂枝湯がよくきき、胃腸カタルのときは小建中湯を用いて効果があったので、そこで、同じ桂枝湯加減法で、且つ神経症状のあるものに用いるのは、桂枝加竜骨牡蛎湯がよいと考えた。分量は成人の1/3量とした。  この処方を与えると、その晩からよく眠るようになったが、3日目からは、やや早く眠る程度にもどってしまった。しかし、3週間目頃から再び早く眠るようになり、1ヶ月後には、夜、熟睡するようになった上、昼寝もするようになった。  更に面白いことには、それ以来、身体がすっかり丈夫になって、めったにかぜもひかなくなった。  爾来、4年半経つが、幼女は今も丈夫で、たまにかぜをひくぐらいである。しかし、どんなときでも、私の漢方薬以外はのまないという。                                   山田光胤



漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
桂枝加竜骨牡蠣湯(けいしかりゅうこつぼれいとう) (傷寒論)
 〔桂枝(けいし)、芍薬(しゃくやく)、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)各四、竜骨(りゅうこつ)、牡蠣(ぼれい)各三、甘草(かんぞう)二〕

  本方は、桂枝湯(後出、表証の項参照)に竜骨、牡蠣を加えたもので、腹部の動悸が亢進するなどの神経症状や性的衰弱の症状を呈する。したがっ て、腹直筋の拘攣、腹部の動悸、神経過敏、興奮しやすい、疲れやすい、盗汗、頭髪が抜ける、物忘れする、不眠、遺精などを目標とする。

 〔応用〕
 つぎに示すような疾患に、桂枝加竜骨牡蠣湯證を呈するものが多い。
 一 神経衰弱、ヒステリー、不眠症その他の精神、神経系疾患。
 一 小児の夜啼き、小児痙攣その他の小児科疾患。
 一 そのほか、脱毛症、夜尿症、遺精、夢精、陰萎など。


【参考】
うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html