健康情報: 1月 2011

2011年1月13日木曜日

柴胡加竜骨牡蛎湯 と うつ(鬱)(その3)

《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
26.柴胡加竜骨牡蛎湯湯 傷寒論

(傷寒論)
傷寒八九日,胸満煩驚,小便不利,讝語,一身尽重,不可転側者,本方主之(太陽中)



現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
精神不安があって驚きやすく,心悸亢進,胸内苦悶,めまい,のぼせ,不眠などを伴い,あるいは臍部周辺に動悸を自覚し,みぞおちがつかえて便秘し,尿量減少するもの。
本方は動脈硬化,高血圧に起因するノイローゼおよび小児の神経症に繁用されるが,通常あまり衰弱しておらず,比較的体力のある状態において目標欄記載の症状に使用されるものである。衰弱して軟便あるいは下痢気味の虚弱者の神経衰弱には本方は不適で,この場合は柴胡桂枝干姜湯あるいは桂枝加竜骨牡蛎湯を考慮すべきである。また本方は平常強健な人の脱毛症にしばしば奇効を発揮する。青年,中年以降の精力減退もしくはノイローゼには大柴胡湯と共によく用いられるが,この両者の鑑別は本方適応症状は神経症状が著明で胸部または腹部における動悸を自覚するのに比べて,大柴胡湯適応症状は前者よりみぞおち周辺が硬く張って,便秘症状も一層甚だしいものである。本方を服用後下痢の著しい場合は柴胡桂枝湯と合方して,本方の1回の服用量を減すか,あるいは大黄を配合しない他の適明な処方に転方すべきである。


漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
本方は比較的体力あるものの神経症状や,高血圧,動脈硬化および精力減退などに起因するノイローゼに繁用されるが応用のポイントとして精神不安,胸部や腹部の動悸,便秘,以上の三つの症状があればまず応用できる。
(1) 心臓疾患 通常心臓に器質的な変化は認められないが,動悸,心悸亢進,胸部圧迫感,胸内苦悶などを自覚し,著しい不安感あるものによく適応する。この症状に似て虚弱な体質のものには桂枝加竜骨牡蛎湯,衰弱して盗汗,微熱,軟便下痢などを認めるものには柴胡桂枝干姜湯を考慮すればよい。
(2) 高血圧症,動脈硬化症,本方が適するこれらの疾患は,疾患そのものよりそれに伴うノイローゼが目安となり、従って血圧も測定のたびに変動が大きいといった傾向がある。なお胃部のつかえが著しく,ひどい便秘で腹部の動悸を自覚しないものには,大柴胡湯を考慮する。
(3) 精神神経病 比較的体力があるにもかかわらず,わずかな精神ショックを気にし,精神不安,不眠,動悸,便秘を訴えるものによい。これに関連してかかりやすい脱毛症や青年,または中年以降の性的ノイローゼや陰萎に用いられ,奇効を奏している。
(4) バセドウ病,体力あるものの,一見して眼球がとび出ており,心悸亢進や便秘を訴えるものに,本方の適応する例が多い。
(5) 腎臓疾患 浮腫は認められないが尿量減少して便秘し,神経症状が著明で血圧が上昇するものに適するが,頭痛,のぼせがあるものには桃核承気湯も考慮する。


漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○柴胡加竜骨牡蛎湯の原方には黄芩のない処方と黄芩のある処方の二方があるが,私は黄芩のあるものを用いている。また原方には鉛丹が配剤されているが私はこれを除いている。また時には甘草を加えたり,大黄を除いたりして用いることもある。癲癇には芍薬,釣藤,黄連などを加えて用いることもある。羚羊角も加えた方が良いが,これの本物が入手困難であり,またたいへん高価なため,この頃は用いない。柴胡加竜骨牡蛎湯の腹証は大柴胡湯と同じように上腹部が膨満し,胸脇苦満もあり,しばしば臍部で動悸が亢進していることがある。便秘の傾向がなければ大黄を去って用いる。
○この方は神経症,血の道症,精力減退,陰萎,心臓肥大症,心臓弁膜症,高血圧症,動脈硬化症,不眠症,神経性心悸亢進,癲癇,バセドウ氏病などに用いられる機会がある。

漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○傷寒(熱病)では発熱後数日たってなお熱があり,胸脇苦満があって,いわゆる脳症をおこし,意識混濁してうわごとをいったり,全身が重く苦しく,ねがえりもできず,尿利が減少するもの。
○雑病(無熱の慢性病一般)では,熱がなくても小柴胡湯や大柴胡湯の腹証に似て,季肋下や心下が硬く張り,腹診するとその部分に抵抗や圧痛をみとめ,また臍傍の動悸が亢進している。心悸亢進,めまい,頭痛,頭重,感,のぼせ,不眠,易疲労,不安,煩悶,憂うつ感,神経過敏や朦朧感,集中困難,記憶,記銘力減退(もの忘れ),物事に対する興味喪失などの精神経経症状を呈し,便秘や尿利減少の傾向があるもの。
○類聚方には小柴胡湯の証で,胸部や腹部の動悸が亢進しては煩躁驚狂,大便が秘結して尿利が減少するものとある。煩躁は苦しみもだえること,神経症で動悸,めまいの発作(不安発作)を呈して,今にも死にそうに苦しみさわぐのは,一種の煩躁である。驚狂は狂躁状態を呈し,あばれ狂うことで,てんかんの発作や精神病の興奮状態,ヒステリー発作などに相明する。
○柴胡加竜骨牡蛎湯の腹証は腹部の緊張がよい筋肉質のものと,いわゆる蛙腹で膨満しているが軟弱気味のものがある。後者の場合には時に軽度の心下部振水音を呈するものがある。これは用方経権にいう水飲のあるものであろう。

漢方治療の実際〉 大塚 敬節先生
○この処方の用いる患者は肥満していて,上腹部が膨満し,胸脇苦満があり,臍部で動悸が亢進し,興奮しやすく,驚きやすく,めまい,動悸,息切れなどを訴える。便秘の傾向がある。
○方輿輗では小柴胡湯,大柴胡湯,柴胡姜桂湯,柴胡加竜骨牡蛎湯をあげて次のようにのべている。「癲狂,驚悸,不寝,好忘の症でも,胸脇にかかる者は右の四方を症に随ってえらんで用いるがよい。この外にこれらを例として,柴胡別甲湯の類,或は後世家ならば逍遙散,抑肝散などの類を広く用いる。後世家は柴胡姜桂湯の処へ逍遙散を用い,大小柴胡湯の処はおおかた抑肝散を用いる。以上の四方の内で,動悸を治する者は柴胡加竜骨牡蛎湯である。柴胡姜桂湯を用いるような動悸で,この方を用いても効のない時は格別に胸満煩驚がなくても柴胡加竜骨牡蛎湯を用いてよく動悸のおさまるものである。また柴胡加竜骨牡蛎湯を用いて効のある程の動悸には必ず多少の胸満,煩驚の症がそろうものである。柴胡姜桂湯と柴胡加竜骨牡蛎湯とはよく似ていて,動悸が主である。胸満煩驚の証は姜桂湯にもあるけれども,姜桂湯の方は虚証で,竜骨牡蛎湯の方は実証である。」
○饗英館療治雑話「この方を癇症やて癲狂に用いてしばしば効を得た。前に云う通り当通の病人は気鬱と肝鬱の病人が10中の7,8である。肝鬱の募ると癇症となる。婦人はわけても肝鬱と癇症が多い。この場合を会得すれば当今の雑病の治療も困難ではない。傷寒論では胸満,煩驚,小便不利の者に用いてある。この数症の中で胸満が主症で,煩驚,小便不利が客証である。ひっきょう胸満するから自然と胸中が煩する。煩するから精神が不安で事にふれて驚くようになる。気が胸に上って結ばれるからそこに鬱積してめぐらない。それで小便の不利がおこる。それ故にこの方を用いる標準は胸満である。もちろん大小便が通じわるく,煩驚があれば正面の証である。さて癇症は色々の証をあらわす病で,夜床につくと,眼に色々のものがみえたり,みだれ気が臍の下からせめ上って呼吸が促迫して脚気衝心のようになり,発作のたびに手足がひきつれ,ひどい時は痙病のように,そりかえる。夜間たまたま眠ると種々の夢を見,種々の症状を現わす。このような場合に胸満,煩驚,小便不利があれば必ずこの方を用いるがよい。


漢方診療の実際〉 大塚,矢数,清水 三先生
本方は大柴胡湯或は小柴胡湯の如くにして,心下部に膨満の感があり,腹部特に臍上に動悸を認め,上衝,心悸亢進,不眠,煩悶の状があって驚きやすく,甚しい時は狂乱,痙攣等の症状を呈するものに用いる。多くは便秘,尿利減少の傾向がある。本方中の柴胡,黄芩は特に胸脇部に働き,解熱,疎通,鎮静の効がある。竜骨,牡蛎は鎮静的に作用し,胸腹の動悸を鎮め,心悸亢進,不眠,驚狂等の神経症状を治する。桂枝は上衝を治し,茯苓は尿利をよくし,半夏と共に胃内停水を去る。茯苓はまた竜骨,牡蛎と協力して心悸亢進を治する。大棗,生姜は諸薬を調和して薬効を強化する。大黄は腸管を疎通し,消炎かつ鎮静の効能がある。本方は以上の目標に従って,神経衰弱症,ヒステリー,神経性心悸亢進症,陰萎症,癲癇,動脈硬化症,脳溢血,慢性腎臓炎,心臓弁膜症,バセドウ病,小児夜啼症,老人の慢性関節炎,火傷後の発熱等に用いられる。


漢方処方解説〉 矢数 道明先生
体質的には実証の方で,大柴胡湯と小柴胡湯との中間程度ともいうべき,胸脇苦満,心下部の抵抗がある。心下部に膨満の感があり,腹部とくに臍上の動悸を認めることが多く,腹部大動脈の亢進による腹部神経症状がある。すなわち,上衝,心悸亢進,不眠,煩悶等の症状があり,驚きやすく,あるいはいらいらして怒りやすく,気分が変わりやすく,落ちつきを欠き,甚だしいときは狂乱,痙攣の症状を呈する。小便不利,便秘の傾向がある。また一身尽く重く,転側すべからざるとあることにより,動作不活発,体を動かすのが大儀であると訴える疲労感,浮腫や麻痺のあるものに用いられる。脈は緊張強く,跳動する傾向がある。


漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
運用 1. 煩驚の神経症状を目標にする。
煩驚とは,煩と驚とに分けて考えるとよい。煩はわずらわしいことで,何でも気にする。色々と気を遣う,煩悶するなどの意であって,一つの原因乃至刺戟に対して幾つもの回答反応が出てしかもそれを判定統一することが出来ずにいる状態である。驚はおどろくだが,煩驚とは驚きやすいことで,或は原因乃至刺戟に対して過大な反応を示す状態である。刺戟に対する反応が速くてその間に意志的に刺戟の価値を判別したり心構えを作る余裕がなくて直ちに反応してしまう。それ故官覚的刺戟,例えば物音,光などに対しては特に敏感である。例えば電話のベルにハッとしたり,マッチの火にびっくりしたりするなどである。驚けば動悸する。そういう風に気苦労が多いから夢見ることも多く,不眠にもなる。神経症状が強いから劇しいときは譫妄や脳症や癲癇を起こすこともある。傷寒論太陽病中篇「傷寒8,9日,之を下し,胸満煩驚,小便利せず,譫語,一身尽く重く転側すべからざるもの」はこの状態を述べたものである。8,9日間続けて下したのではなく,8,9日目に下剤の適応証になった時機に下したのだが,素因的に気動性があるので,下したために裏気が動き且つ下虚に陥る。裏気が動く結果気の上衝を起し,胸に迫り,胸満感と煩驚と譫語を呈する。気上衝と下虚とにより小便不利となり,小便に出るべき水分は上衝に伴い表に浮んで身重となり,転側すべからざるに至る。転側すべからずとは自分でも動けないし,人に助けて貰っても動けないとの意である。それは程度が強いことを示すもので,一身尽くに対応するものだ。この条文の意を運用して先ず神経症状に使うことは前述の通りだが,その他ヒステリー,神経衰弱,神経質,神経性心悸亢進症,心臓性喘息,心臓弁膜症,狭心症,バセドウ氏病などで胸部圧迫感と動悸を目標に,眩暈,不眠症,夜啼き,耳鳴等,動脉硬化症や高血圧症で神経症状があるものなどに頻用する。(後略))


運用 2. 身重く転側すべからずの状態に用いる。
その状態は浮腫でも,麻痺でも四肢疼痛でも起り得るから,腎炎,ネフローゼ,萎縮腎,肝硬変症,心臓脚気などで浮腫,心悸亢進,腹動などのあるもの,脳溢血で半身不随を起し,或は浮腫を伴い,或は腹動のあるもの,慢性関節リウマチで腹動や心臓弁膜症を兼ねているものなどにも使う。浮腫に使う処方は多いが腹動があれば本方の決定を誤ることはない。


類聚方広義〉 尾台 榕堂先生
○狂病,胸腹動甚しく,驚懼人を避け,兀座(ぼんやりしてすわる)独語し,昼夜眠らず,或は猜疑(そねみうたがう)多く,或いは自から死せんと欲し,床に安からざる者を治す。
○癇症,時々寒熱交作,鬱々として悲愁し,多夢少寝,或は人に接するを悪み,或は暗室に屏居し,殆んど労瘵(肺結核)の如きを治す。狂癇二症,亦当に胸脇苦満,上逆,胸腹動悸等を以て目的と為すべし。癲癇,居常胸満上逆し,胸腹動有り,毎月二,三発に及ぶ者,常に此方を服して懈らざれば,則ち屡々発するの患なし。


古方薬嚢〉 荒木 性次先生
胸の中一杯につまりたる気持し,気落ちつかず,驚きやすく,小便の出悪く,うわごとのようなことを云い,からだの中がだるく,重くして身動きもならぬもの。大病中に此症を発するものもあり,また平常の気鬱が亢じて此症を生ずる者もある。便通は大概秘し勝なり。


蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
これまた大柴胡湯方中において,竜骨四両牡蛎五両を加えたるものなり。すなわち,大柴胡湯の症にして,胃口より胸中に多く飲を蓄えて,その飲の激動するを鎮むる薬なり。故に本論にも胸満煩驚,小便不利とあり,胃口より胸中には飲を蓄えて胃中には燥屎実熱を蓄うるの症なり。




『大塚敬節著作集』 第七巻 薬方・薬物篇
柴胡加竜骨牡蠣湯方について

柴胡加竜骨牡蠣湯方は『傷寒論』中にあって,最も異論の多い方剤である。目下私の手許にある書物について調べてみても、次のような異説がある。即ち、『宋版傷寒論』にあっては、次の十二味からなっているが、成本では黄芩がなくて十一味である。
柴胡加竜骨牡蠣湯方
柴胡四両 竜骨 黄芩 生姜切 鉛丹 人参 桂枝去皮 茯苓各一両半 半夏二合洗 大黄二両 牡蠣一両半熬 大棗六枚孽

我が国の先哲は左に表示するように、宋版に従うもの、成本に従うもの、或いは小柴胡湯加竜骨牡蠣とするもの、大柴胡湯加竜骨牡蠣とするもの等があって、浅学な私のようなものは、そのいずれに従うべきか、惑わざるを得ないのである。

宋版(十二味にして、黄芩のある方)に従うもの

橘南谿(『傷寒論分註』)
謹みて按ずるに成本に黄芩あり、他本に無きは恐くは脱するならん、今十棗湯の例によって之を考ふるに、方後に右十一味の下に大黄あるを曰ふ、則ち上の所謂十一味中に黄芩あるを知るなり。(筆者按ずるに、成本に黄芩ありというは、恐らくは宋版に黄芩ありの誤りならん)
丹波元簡(『傷寒論輯義』)
難波抱節(『類聚方集成』)
木村博昭(『傷寒論釈義』)
奥田謙蔵(『皇漢医学要方解説』)

成本(十一味、黄芩のない方)に従うもの
香川修庵(『小刻傷寒論』)
吉益東洞(『類聚方』)
内島保定(『古方節義』)
中西惟忠(『傷寒論辨正』)
雉間子炳(『類聚方集覧』)
宇津木昆台(『風寒熱病方経編』)
浅田宗伯(『薬場方函』)

宋版十二味の方に、更に甘草を加えて十三味とすべしと論ずるもの
尾台榕堂(『類聚方広義』)
柳田子和(『傷寒論釈解』)
此本、小柴胡湯、しかも方中甘草なし、然れども方名に甘草を去るを曰はず、方後に云ふ、本云ふ柴胡湯、今竜骨等を加ふと玉函に云ふ、本方は柴胡湯内に竜骨牡蠣黄丹桂枝茯苓大黄を加ふるなり、今分って半剤を作ると、而も亦甘草を去るを言はず、是を観れば、則ち甘草なき者は、蓋し歴年の久しき、必ず之を脱するならん、十二味に作るは、後人甘草なきに従ひ、之を改むるなり。
湯本求真(『皇漢医学』)

小柴胡湯に竜骨牡蠣を加うべしとするもの
山田正珍(『傷寒論集成』)
按ずるに方名に柴胡加竜骨牡蠣湯と曰う。則ち小柴胡湯方中に於て二物を加ふべきなり。しからずんば加字義を失す。今此方に鉛丹桂枝茯苓大黄の四味ある者は、仲景氏の本色に非ざるなり。方後に先づ諸薬を煮て後、大黄を入れ、又び切ること碁子の如くすの文、煎法中に在る者、論中に再見することなし。倍々其真方ならざるを知るなり。外台に此方を千金翼より引きて、傷寒論より引かず。亦以て証すべし。劉棟云ふ、大柴胡湯方中に二品を加ふるなりと、非なり。説、前の柴胡加防止用湯の条に見ゆ。
及川東谷(『傷寒論古訓伝』)
旧本、伝来の方は、蓋し禁方の古に非ず、故に小柴胡湯方に於て、更に竜骨牡蠣各三両を加え、以って家伝となす。詳に方意握機伝に見ゆ。
川越大亮(『傷寒脈証式』)
按ずるに此方、態度備はらざるなり。蓋し後人之を他書より偸竊して、之を此に充つるものか。本条、顕に柴胡加竜骨牡蠣湯と曰ふ。則ち方の隊伍する所、既に方名に即して弁ずるに足る。豈、他の按を容るるを俟んや。柴胡は乃ち小柴胡湯なり。竜骨牡蠣は今其斤両を脱す。然りと雖も之を救逆湯に徴すれば、則ち当に竜骨四両牡蠣五両なるべし、而して其煎法及び服法の如きは則ち当に小柴胡湯の法に従ふべきのみ。

※「骨竜牡蠣は今其斤両を脱す。」の骨竜は竜骨の誤植と思われるため、訂正した。


原元麟(『傷寒論精義』)
此方名づけて柴胡加竜骨牡蠣湯と曰ふ、則ち小柴胡湯中に於て、竜骨牡蠣を加ふ、是れ本論の通例なり。今、此方、竜骨、牡蠣ありと雖も他薬材多種、特に小柴胡湯中に、竜骨牡蠣を加ふるのみに非ず、則ち命名其例に戻る、且つ分量も亦其例に合はず、後人の杜撰贋造たるや疑なし、宜しく旧本、伝来の方は、蓋し禁方の刪去すべし。

大柴胡湯に竜骨牡蠣を加うべしとするもの
白水田良(『傷寒論劉氏伝』)、和田東郭(『蕉窓方意解』)
浅野元甫(『傷寒論国字弁』)
右の方後人に出る者なり。凡本編の方、加を以って称する者は、本方に一二味を加る者なり。諸方の例皆然り。然るに此方大柴胡湯に芍薬枳実を去り、他の六味を加る者にして大柴胡湯と大に異なり。何んぞ柴胡加竜骨牡蠣湯等と云ふことを得んや、是名正しからざる者にして、後人に出ること審なり。今諸方の例に従ひ、且其主症による時は、大柴胡湯に竜骨牡蠣の二味を加る者疑なし。

邨井琴山(『類聚方補遺』)
按ずるに、当に小柴胡湯証にして胸腹動ある者なるべし。此方本、胸満煩驚小便不利譫語一身尽く重く転側すべからざる者を治す。法に依って、方を按じ証を按ずるに則ち此方、茯苓大黄桂枝鉛丹の預るところなし。而るに煩驚の急迫有り、柴胡湯の名あって、然も今甘草なき者は何ぞや。又命じて之を柴胡加竜骨牡蠣湯と謂ふ。茯苓桂枝大黄鉛丹の名なし。又曰ふ本、柴胡湯今竜骨等を加ふと云ふ。然らば愈是れ小柴胡湯方内に竜骨牡蠣を加ふる者なり。


※「又命じて之を胡柴加竜骨牡蠣湯と謂ふ。」の胡柴は柴胡の誤植と思われるため、訂正した。

武藤直記(『方極図説』)
柴胡加竜骨牡蠣湯、小柴胡湯証にして胸腹及臍下動ある者を治す。小柴胡湯方内に於て竜骨牡蠣各三両を加ふ。

右の諸家のうち、難波抱節、中西惟忠、宇津木昆台の如きは、柴胡加竜骨牡蠣湯は柴胡竜骨牡蠣湯と改むべきであると主張する。宋版若しくは成本に従うものが、かくの如き説を立つるに至るは当然のことと思われるが、われわれ臨床家にとっては、加の字の有無いかんよりも、その薬味が問題である。
さて、われわれは右の諸説のうち、いずれに従うべきであろうか。机上の考証だけでは医の学問は落第である。いずれが正しいかは、実地に患者に応用した上でなければ決めることは出来ない。そこで私は或いは宋版に従い、或いは成本に従い、或いは尾台氏説に従い、それぞれ効力を試験することにした。が、ここに一つの問題に逢着した。それは私の技術がいまだ未熟なるが故に、処方分経英案f正しいのにかかわらず、方証石合わざるが故と、効果のないものがあったのではないかということである。かくの如き場合はもちろん相当にあり得ることである。故に私は相当の成果を収め得た患者のみを材料として、次のような表を作った。左の患者は病名は異なるが、いずれも胸満煩驚を主目標としたものである。


長井○セ(四十二歳) 産後五十日目。胸満、動悸、浮腫、咳嗽、時々湯の如きもの子宮より下る。小便をこらえると出にくくなる。全身あちらこちら痛む(患者の訴えをその順序のまま記載した。以下同じ)。脈緊にして数、貧血を証明する。
第一週 成本方去鉛丹(効果顕著)

河西○シ(四十二歳) 慢性腎炎兼動脈硬化症。頭重、脊がこる、めまい、動悸、時々不眠、動悸のする時は余計に胸が張る。小便一日四、五回、量も普通。大便一日一行(ただし残る気味あり)。時々身体が火の如く灼ける。月経は正調、息切れがあり。驚きやすい。血圧最高二六〇。
第一週 成本方去鉛丹(効果顕著)
第二週 以下同方


瓜○と○子(四十四歳) 子宮内膜炎。腹が張って肛門のの方へつる。白帯下が多量に下りる。包下の止まるという漢方の薬を某所で貰って飲むと、余計に下りたので服薬を中止したことがある。小便頻数。大便一日一行。月経は毎月あるが三日位で量は少ない。頭重、腰部寒冷の感あり。右肩こり、右手が痛む。心下部は膨満して抵抗あり、よく問診するに、呑酸嘈囃の症状もあることと判明す。殊に胸部の膨満ある時は他の症状の増悪することも分かった。
第一週 成本方去鉛丹(効果著明)
第二週 宋版去鉛丹加甘草(飲みやすいが、効力は前回のものより劣るという)
第三週 成本方去鉛丹(効果著明)
第四週 成本方去鉛丹(全快せりという)


○○きよ(四十歳) 慢性腎臓炎。小便が出そうで行ってみるとタラタラと出るだけである。腹が張ってくると余計に小便の出方が悪く、腹の張ることの少ない時は、すべての症状の具合がよい。両足の膝関節が痛む。放屁があれば気持がよいが、一杯溜っているようで思うように出ないので苦しい。頭痛、めまい、動悸、息切れ、耳鳴りがあり、大便一日一行。月経正調。診ると左側腹部が板のように硬くて胸脇の部と腸骨窩の部とが殊に膨満している。
第一週 成本方去鉛丹大黄(今までのいかなる薬よりも効ありという)
第二週 宋版方去鉛丹大黄加甘草(飲みやすいけれど、効果は前方より劣る如しという)
第三週 成本方去鉛丹大黄
第四週 成本方去鉛丹大黄
第五週 同方(便秘し、嘔気を訴う)
第六週 成本方去鉛丹(大便一日二行、効果著し)


鈴木○ち(三十四歳) バセドウ氏病。
成本去鉛丹を用う。


大塚○ん子(十三歳) バセドウ氏病。毎日三十七度二、三分の発熱、盗汗、動悸、便秘、不眠、怒りやすくて周囲のものが困る。肩こり強し。小便は少ない。甲状腺肥大を証明する。眼球は光沢があってやや突出す。
第一週 宋版方去鉛丹加甘草(便通があってから肩こりと動悸は減じ、安眠出来るようになった)
第二週 同方(それ以上よくならず)
第三週 同方(それ以上よくならず)


鈴○○直(三十四歳) 神経衰弱症。天気の悪い時は頭が重い。心悸高進があって、疲労しやすい、手足は冷えやすい、耳こり、肩こりがある。夢が多くて定眠出来ず。大便は硬くて、三日に一行。鼻がつまる。胸満を証明す。
第一週 成本方去鉛丹(効果著し)
第二週 同方に甘草を加う(効果著し)
第三週 以下同方、その後二ヵ月にして久しぶりにて妻に懐胎せしめ得たり。


高○○(二十歳) 神経衰弱症。疲労しやすく、安眠が出来ない。動悸があり、時々顔が赤くなる。食欲少なく、身体がだるくて何にもしたくない。
第一週 宋版去鉛丹(効果著明)
第二週 同方(全快)


津久○○七(三十二歳) 神経衰弱症。頭重、不眠、性欲減退、夢精、根気なし。胸満あり。
第一週 宋版去鉛丹(効果著明)
第二週 同方加甘草(続いてよし)
第三週 同方(続いてよし)


高○○り(二十七歳) 神経性心悸高進。胸満と心悸高進。毎日医師にカンフルを注射して貰っている。床にあること十ヵ月、食欲はあるが便秘をする。小便少なし。
第一週 宋版方去鉛丹(注射の必要なし。安眠を得、歩行し得るに至る)
第二週 同方(続いてよし)


岩○正(二十九歳) 神経性心悸高進。動悸、息切れ、めまい、肩こり、口渇なけれど小便多し。朝食はすすまない。胸が張って苦しい。大便は一日一行。医師から心臓弁膜症の初期だと診断されてから、いつ心臓麻痺を起こすかも知れないという不安で、一人で外出するのが恐ろしい。
第一週 宋版加甘草去鉛丹(著効あり、心悸を感ぜず、朝食が食べられるようになる)
第二週 同方加甘草(腹はすいて食欲あり、食べるとおいしいが、吐きそうな気持になる)
第三週 小半夏加茯苓湯(嘔気止んで気持よし)


佐藤○太郎(十八歳) 脚気。胸満、心悸高進、浮腫、便秘、小便の量少なし。指先、足、唇が痺れる。
第一週 宋版去鉛丹(著効あり)


以上十二例はことごとく去鉛丹として用いた。老医の口伝に柴胡加竜骨牡蠣湯の鉛丹は去って用うべしとあったし、浅田宗伯の如きも去鉛丹として用いているので、その例に倣ったのである。元来鉛丹は劇薬であるし、今日の薬理学の教えるところによれば鉛丹の中器を起こす恐れがあるので、僣縦ではあるが去鉛丹とした。次の二例は始め去鉛丹として用い、後に鉛丹を入れて用いた報告である。


佐○○二(二十歳) 心臓弁膜症。心悸高進、息切れ、胸満、食欲普通、大便一日一行。
第一週より第七週まで、成本方去鉛丹として用いた。普通の仕事では支障のないまでに心悸高進、息切れは軽快したが、激しい労働には堪えない。よって、これは鉛丹を入れないためにかくも長くかかるのであろうと考え、第八週目に鉛丹を入れた。その翌日より少し胃部に不快感を覚え、後六日目より嘔吐を訴え、飲食、薬物ことごとく吐き出すに至った。この症状は服薬中止後五日間も続いて、ようやく鎮静した。


雄○○○(四十二歳) 頭眩と耳鳴りが主訴である。臍部に胸満がある。
第一週 成本方去鉛丹(ややよろし)
第二週 同方(非常によろし)
第三週 同方(少しまた元へ返りたる如し)
第四週 同方(よろしけれどさっぱりせず)
第五週 同方に鉛丹を入れる(翌々日より胃部に嘔気を訴え、胃中不和の感あり、日を追うて激しくなる)

※臍部に胸満?  臍部に膨満の誤植か?

右の二例は鉛丹を入れるまでは軽快しつつあったが、鉛丹を入れてから、消化障害のため投薬不良に陥ったのである。『本草綱目』には、「鉛丹は微寒にして毒なしと云い、吐逆、胃反、驚癇、癩疾を治成、熱を除き、気を下す」云々とあり、内島保定なども竜骨牡蠣鉛丹神気を収めて驚を鎮め茯苓心気を助けて能津液を通行す、大黄瘀熱を逐いて譫語を止む、桂枝陽気を行らして身重きを解す、故に種々交り出るの邪つきざるものを治することを知る。又婦人瘀血を兼て動気甚だしくして大便通ぜず、心志安からざる者、此方を用いて数効あり」といい、宇津木昆台も鉛丹は血気を鎮圧するを以て主功とすといい、これらの先哲はみな成本の方に従い鉛丹を去らずして用いて効を収めているから、右の二名の患者が消化障害を起こしたのを直ちに鉛丹のためだと断定する前に、私は更に方と証と相合わざるが故に消化障害を起こしたのではないかということをも考えねばならない。また鉛丹を入れないで用いた十二名の患者の中にも、二名が胃中不和、嘔気を訴えたことがあるが、それは極めて軽度で、鉛丹を入れた場合よりはお話にならない程短期間で、かつ軽微であった。葛根湯、越婢湯等を用いる場合にも、証に適中しない時は、往々消化障害を起こすことがある。しかし鉛丹を入れた時のような激しい症状を起こしたことは一回もない。鉛丹を入れた時の症状はどうしても中毒という感じがしてならないのである。証と方とが合えば鉛丹を入れても中毒を起こすことはないであろう。あたかも附子を用うべき証の患者には、一日量六・〇から一〇・〇の附子を用いても中毒を起こさないが、その証のない患者には、一日量〇・三を用いても激しい中毒を起こすが如くに。しかし鉛丹を入れなくても効果のあつ言た以上の患者には、成本や宋版の柴胡加竜骨牡蠣湯を用いずとも、和田東郭等の唱える如く、大柴胡加竜骨牡蠣湯でよかったのではないかとも考えられる。或いは小柴胡湯加竜骨牡蠣湯でよいのかも知れない。成本方若しくは宋版方から常に鉛丹を去って用うるならば、むしろ、始めより鉛丹のない方を用うるのが至当ではないかとも考えられる。かくて、目下の私は、宋版や成本の柴胡加竜骨牡蠣湯方を否定せんとするのではないが、既に和田東郭や、斎静斎や浅野元甫等が大柴胡加竜骨牡蠣湯を用いた如く、また浅田宗伯が柴胡加竜骨牡蠣湯去鉛丹として用いた如く、また山田正珍、及川東谷、川越大亮、原元麟等が小柴胡加竜骨牡蠣湯として用いた如く、鉛丹のない方を試用せんとするものである。最近私は、大柴胡加竜骨牡蠣湯をもって、蓄膿症患者で神経衰弱症の症状あるものを治すことに成功した。私は未だ小柴胡加竜骨牡蠣湯を用いたことはない。既に宋版方や成本方に甘草を加えることによって、かえってしばしば効力の鈍くなることを患者から聞かされている。私としては、大柴胡加竜骨牡蠣湯方に加担するものである。しかし、小柴胡加竜骨牡蠣を用いた先哲が、大柴胡加竜骨牡蠣湯を用いた人より多いらしいから、将来機会があれば、この方も試用してみたいと考えている。最後に私は、宋版或いは成本の柴胡加竜骨牡蠣湯を去鉛丹とせずに用いられている方々の経験談と教示を待つ次第である。


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