49.大柴胡湯 傷寒論
柴胡6.0 半夏4.0 生姜4.0(乾1.5) 黄芩3.0 芍薬3.0 大棗3.0 枳実2.0 大黄1.0~2.0
(傷寒論)
○傷寒発熱,汗出不解,心下痞硬,嘔吐而下利者,本方主之(太陽下)
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
みぞおちが硬く張っており,胸や脇腹にも痛みや圧迫感があり便秘がひどいもの。耳鳴,肩こり,食欲不振などを伴なうこともあるもの。
本方は小柴胡湯と並ぶ代表的処方で,総体的に充実体質に多く現われる症状には(上記の)病名の如何を問わずよく用いられる。本方は所謂マネージャー病で4,50才の壮年初老で,外見上体格もよく骨格も太いが,胃腸および肝臓機能が衰え,高血圧,ノイローゼ,不眠,疲労感,視力あるいは精力が減退するなど用いてよく奏効する。また高血圧,動脈硬化の予防として服用すると体質を改善するが,高血圧,動脈硬化でのぼせ,不眠が甚しい時は三黄瀉心湯を合方し,精神不安,動悸が著しい場合は柴胡加竜骨牡蛎湯に転方するとよい。また脂肪ぶとりでみぞおち周辺部が硬く張っていない人には防風通聖散が適する。気管支喘息で慢性に経過し,他の治療法で効果がない時,本方と半夏厚朴湯とを合方して長期間服用させるとよい。本方は通常便秘のひどい症状に応用するが,充実体質で悪心,嘔吐,腹痛を伴なった慢性下痢で,時には便秘することがあるような場合に用いると排便状態を調節する。但し下痢が甚だしい時は五苓散を合方する。本方を服用後腹痛あるいは下痢が著しくなれば柴胡桂枝湯あるいは小柴胡湯に転方すべきである。なお腹痛が止らない場合は平胃散を試みるとよい。
〈漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
(前略) 視診上,首囲,肩幅,胸囲,肋骨角ともに大きいが肝機能や胃腸機能が衰え,消化不良,胃のつかえ,肝臓部周辺の圧迫感,下痢や便秘,食欲減退や疲労を訴えるなど,外見上は体格もよく骨格も立派であるが,自分の健康に不安をいだいているものに応用すればよい。また酒や美食が過ぎて贅肉がついてきたり,皮下脂肪が沈着していわゆる中年太りになり,疲労,不眠,肩こり,耳鳴り,その他の精神不安があって血圧が気になったり,あるいはノイローゼにおちいり精神的過労やimptentiaになるなどの,マネージャー病といわれるものに適する。本方は小柴胡湯とともに広範囲に応用されているが,前記疾患のほかに肝炎,胆嚢炎,胆石症,黄疸など肝臓疾患に著効をもっているが,その目安は胃部の著しいつかえと,左右側胸部から背部にかけて圧迫感を自覚し,便秘を伴うものに応用する。
類証鑑別 高血圧,動脈硬化,脳溢血,半身不随などに応用する場合,三黄瀉心湯と似ているが,三黄瀉心湯は末梢血管が充血の傾向があって,のぼせ,頭痛,不暑などが著しく胸脇部所見がない。また柴胡加竜骨牡蛎湯も大柴胡湯に類似するが,この方は胸部や腹部に動悸があって,精神不安が大柴胡湯に比べて著しく,胃部のつかえや胸脇部の所見が緩和な傾向がある。小柴胡湯は本方適応症状の緩和なものと解釈してよいが,小柴胡湯は高血圧症状の現われることが少ない点が比徴といえる。
〈漢方診療30年〉 大塚 敬節先生
○みぞおちがつまったように感ずるのを心下急という。小さい袋に無理に物をつめこんだ感じである。この部を圧すと,息苦しく,痛みを訴える。これも大柴胡湯の患者によくみられる症状であるが,もっとも大切な腹証は胸脇苦満である。胸脇苦満というのは胸から脇にかけて物が充満しているような苦しい感じをいうのであって,他覚的にこれを診断するには,患者を,足を伸ばさして,静かに仰臥せしめ,医師は右の拇指を季肋下に押し込むようにして診察する。または中指と示指と薬指を揃えて季肋下を探るように按圧してもよい。もしこの部に抵抗と重苦しい感じ,または圧痛を訴えるなら,これを胸脇苦満があるという。胸脇苦満が著明に現われているときは,季肋下が膨隆していて,一見しただけでその存在を知ることができる。肝の肥大,胆嚢の肥大なども胸脇苦満として現われるが,これらの内臓の肥大と関係なしにも胸脇苦満は存在する。胸脇苦満の本態は何であるか,この発現はどのような機転によって起るか,この点については,まだ明らかにされていないが,漢方の診証としては,もっとも大切なもので,柴胡剤を用いる重要な目標である。
○大柴胡湯を用いる大きな目標は胸脇苦満と便秘であるが,胃癌,肝臓癌,腹膜炎,バンチ氏病などで,季肋下に抵抗と圧痛をみとめることがあるが,このさい患者がひどく衰弱していて,脈に力がなければ虚証になっているから大柴胡湯で攻めてはならない。
○大柴胡湯を用いる範囲は広く胆嚢炎,胆石,肝炎,高血圧症,喘息,蕁麻疹,湿疹,蓄膿症,円形脱毛症,常習便秘,胃炎,脳出血,肥胖症などにはこの方を用いる機会が多い。
○乳幼児には大柴胡湯証は少い。
○大柴胡湯の大黄の量は加減して用いる。
1日分0.5ぐらいでもよい人もあれば5.0から8.0も必要な人もある。また場合によっては大黄を除いて用いてよいこともある。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
小柴胡湯証に準じ,それより体力の充実した実証に用いる。このさい腹部が膨満し,ことに上腹部が固く張り,胸脇苦満は他覚的にも自覚的にも著明で,胸内の苦痛煩悶を訴えるものが多い。傷寒(熱病)では発病してから数日経ったときで,なお体温上昇がつづき,しかも,その熱型は往来寒熱の状態となり,悪心,嘔吐が激しく,舌に黄苔を生じて乾燥し,食欲が減少して,便秘の傾向が強いとき,脈は沈んで遅く力があり,腹部は心下部の抵抗,圧痛が強く,ときに腹直筋の緊張をみとめる。雑病(無熱の慢性病)では,上腹部が膨満して季肋下に抵抗圧痛のあるいわゆる大柴胡型の,体格が頑丈体力のある人の種々な症状に用いられる。ただ虚実の判定は,外見のみによるものではないので,一見大柴胡湯型ではない人にも,本方が適応することがある。
○気管支喘息で実証のものに,半夏厚朴湯と合方するとよく,糖尿病,高血圧症で蛋白経のあるものには地黄(4.0~6.0)を加えるとよい。
○古家方則 大柴胡湯,大黄牡丹皮湯,右二証は陰茎腐爛して欠脱し,膿少なく出血多き者は両湯互に服して可なり。
○方輿輗 大人,小児の眼疾に柴胡の症多し,其候専ら胸脇に在り,大柴胡聖剤なれども必ずしも此の一方に拘らず,証に随って諸柴胡剤を選用すべし。
○髪の脱るは肝火の致す処にて瘀血にあらず大柴胡甘草か又は四逆散によし。(和田腹診録)円形脱毛には本方加牡蛎または小柴胡湯加牡蛎が著効を奏す。
○腹証奇覧翼 大柴胡加甘草湯は周身(全身)豊満膨張(ふとりすぎ)の者を治す。
〈漢方診療の実際〉 大塚、矢数、清水 三先生
本方は少陽病から陽明病に漸く移 らんとする者に用いる。即ち小柴胡湯より更に実証で,その症状がすべて激しい場合であって殊に悪心,嘔吐が甚しく,胸脇心下部の鬱塞感が激しく,舌は多 く乾燥して黄苔のつくことがあり,そして小柴胡湯証よりも肥満充実した体質で脈腹共に更に力があり,上腹角は広く腹筋の緊張を触れ,便秘がちの者を応用目標とする。処方に就て云えば小柴胡湯と比較すると生姜の量が多い。これは悪心,嘔吐が甚しいからである。枳実と芍薬がある。枳実は苦味健胃剤で,芍薬と共に心下部の緊張並びに鬱塞感を去る。大黄は熱を腸管に誘導すると共に瀉下の力がある。大柴胡湯には人参と甘草が無い。これは大黄,枳実,芍薬,の苦味を以て激しく心下部の鬱塞を打破しようとするが故に緩和剤の配合を減じたのである。
本方の応用は小柴胡湯に同じであるが,その他,神経衰弱,喘息,脚気,痢疾,胆石,黄疸,癲癇,高血圧症,脳溢血等に用いられる。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
実証で症状がすへて激しく,体質的には肥満あるいは筋骨たくましく,充実緊張したものが多い。脈は沈実で遅く,腹部は上腹部が広く,心下部に厚みがあって緊く緊張し,季肋下部を圧迫するも凹まないほどのものが常である。したがって 自覚的には 胸脇部に 緊張感,痞塞感,疼痛などが起こり,便秘の傾向があって,内部に気が充塞して外に張り出さんとする勢いがあるというものである。そのため便秘あるいは下痢,嘔吐,喘息などがあり,精神的には外に向かって高声でどなりちらし癇癪を起こしやすいという傾向がある。また胸元が張っていて,バンドや帯をしめると苦しいと訴えることが多い。
〈漢方の臨床〉 第1巻 第1号 大塚敬節先生
漢方の処方の中で,柴胡を主薬とする,いわゆる柴胡剤は日常最も頻繁に用いられる重要な方剤である。大柴胡湯はこれらの柴胡剤中でも特に応用範囲の広い処方で,近代医学で難治とせられている疾病が,大柴胡湯で好転或いは全治に至る例をしばしば経験する。 漢方の先哲名医は,疾病の診断治療に肝の機能障害を重視し,和田東郭などは,所詮は肝と腎の二臓の変調に帰するとして,肝腎の機能の調整に重点を置いた。大柴胡湯が肝の障害による諸病に効顕のあることは,古人が既に喝破しているが,われわれの臨床経験もまたこれを裏書きしている。しかし大柴胡湯についての近代医学的の研究は,これから始まらんとしているところで,本稿は主として古人の論説及び筆者の経験を土台として執筆した。
原典の指示
大柴胡湯の適応症,応用例等をのべる前に,先ず原典である『傷寒論』及び『金匱要略』に現われた文章について簡単な解説を加えておく必要がある。 「太陽病,過経十余日,反って二三之を下し,後ち四五日,柴胡の証仍(なお)ある者には,先ず小柴胡湯を与う,嘔止まず,心下急欝々微煩する者は未だ解せずと為すなり,大柴胡湯を与えて,之を下せば則ち愈ゆ。(太陽病,中篇)」 この章は太陽病で病勢がすこぶる緩慢に経過して,発病十余日を経て漸く小柴胡湯の証より大柴胡湯の証に及ぶものを論じて,この二湯の相違と治療の順序とを示したものである。過経の二字は後人の註釈文で十余日を指している。心下急の急は物の詰まった感じで,心下部が張って堅くて,抵抗圧重感のあるのを云い,大柴胡湯の場合にみられる腹証である。欝々微煩は,小柴胡湯証の「黙黙飲食を欲せず心煩」よりもその程度が甚しい。 さて本文の意味は,太陽病に罹って十余日を経た頃は,病邪が裏に入って陽明裏実の証を呈する頃であるが,この場合は病邪の侵攻が緩慢で十余日を経た頃に,まだ少陽病で小柴胡湯の証を呈していたのである。ところが,医師がこれを陽明病と誤認して承気湯の如き下剤を用いて下すこと二三回に及んだのである。反ってとあるのは下してはならないものを下したからである。 このようにして柴胡の証を誤って下し,その後四五日を経ても,なお依然として病邪が柴胡の位置即ち半表半裏を去らない者には,先ず小柴胡湯を与える。これを与えても嘔吐が止まず,心下急,欝々微煩のものは小柴胡湯の力が足りなくて未だ邪が去らないのであるから,これには更に大柴胡湯を与えて,之を下せば愈るのである。先に大柴胡湯を与えずに,先ず小柴胡湯を与え,次いで大柴胡湯を与えたのは,先ず小建中湯を与えて,次いで小柴胡湯を与えたと同じ順序で『傷寒論』の治療法則の一斑を示したものである。 即ち小建中湯と小柴胡湯と較べると,前者が補剤であるから,そのいずれを与えるべきかに迷うときは,先ず補剤で補い,それで癒らぬときに,これより力の強い即ち瀉剤に近い小柴胡湯を用いるのである。 これと同じく小柴胡湯と大柴胡湯とでは,後者が瀉の力が強く,前者は後者に較ぶればむしろ補剤に近い緩和な薬であるから,そのいずれを用ゆべきかに迷うときは,先ず小柴胡湯を用い,それで癒らぬときに大柴胡湯を用いるのが順序である。即ち補を先にして瀉をあとにするのである。補といい,瀉と云うのも,程度の差であるから,以上の三方を虚実の順にならべると,小建中湯,大柴胡湯となるので,小柴胡湯は小建中湯よりも瀉に働くけれども,大柴胡湯よりは補に働くということになる。大柴胡湯には大黄が配剤されていて,瀉下の働きがあり,少陽病であって陽明病に近接し或いは陽明に属する場合に用いる。ところが『傷寒論』の大柴胡湯の方には大黄がない。そこで方後に「若し大黄を加えずんば,恐らくは大柴胡湯と為さず」とあって,大黄の必要な所以を附記している。 「傷寒十余日,熱結んで裏に在り,復(かえ)って往来寒熱する者には大柴胡湯を与う。但(ただ)結胸して大熱無き者は,此れ水結んで胸脇に在ると為すなり,但頭に微(すご)しく汗出ずる者は大陥胸湯之を主(つかさど)る。(太陽病,下篇)」 この章は傷寒にかかって十余日を経て,大柴胡湯証になるものと大陥胸湯証になるものとをあげて,これの弁別を論じている。往来寒熱は少陽病の熱型であるから,傷寒にかかって十余日を経た頃は,熱が裏に入って陽明病となり,往来寒熱の状はなくなるはずである。 ところがこの頃になっても往来寒熱の状があるから復ってという。復の字は古くは覆とも書き,覆は反の意にも用いられたので,ここでは反の意である。このように熱が裏に結んでも往来寒熱のあるものは,邪が全く裏に入ったのではなく,半分は少陽に半分は陽明にあって,陽明病になりきったのではないから,白虎湯を与えずに大柴胡湯を用いるのである。与うとあって之を主ると云わないのは,これを与えて後の証の変化を待つのである。ここに熱結んで裏に在りというのは,あとの水結んで胸脇に在りに対比している。ここには往来寒熱のみを目標にして大柴胡湯を与えるように書いてあるが,これは他の症状を省略したものである。ところが往来寒熱せずして,但結胸して体表に熱のないものは,これは熱結ではなく水結が胸脇に在るからである。この場合は身体の他部には汗がなく,ただ頭に少し汗が出るものである。これは大陥胸湯の主治である。この頭汗は大陥胸湯に特有な症状ではなく,大柴胡湯証にもしばしばみられる。 傷寒後には脈沈たり,沈なる者は内実となす,之を下せば解す,大柴胡湯に宜し。(弁可下篇) 傷寒の発病初期は脈が浮となり,日数が経つと沈となる。これは一般論で,例外は沢山ある。沈で充実した脈ならば内実の候であるが,沈で弱であれば裏の虚である。内実の場合は大柴胡湯,大承気湯などで下すべきである。宜しとあるのは大柴胡湯に限らないからである。 之を按じて心下満痛する者は,此れを実となすなり,当に之を下すべし,大柴胡湯に宜し。(金匱要略) 大柴胡湯証にしばしばみられる症状であるが,心下部の膨満と圧痛とだけで大柴胡湯を用いるのは早計である。必ず他の症状を参照して決定しなければならない。 ○ 以上は原典の指示であるが,皮相的な見方をすれば,これらの一つずつは大柴胡湯の単なる応用例のようにみられる。しかし抽象的な事象を具体的な例をあげて表現することは中国文化の特質であるから,これらの例を通じて大柴胡湯の証を掴むように工夫しなければならない。古人が一隅を示して三隅を知らしめたものだといったのは,この間の消息を伝えたものである。 なお『傷寒論』に「傷寒発熱汗出でて解せず,心下痞硬して嘔吐し下痢するものは大柴胡湯之を主る」の一章があるが,心下痞硬して嘔吐,下痢するものには瀉心湯類,人参湯などを用いる場合が多く,大柴胡湯証としては比較的まれな例であることを追記しておく。
応用目標
〔腹証〕 大柴胡湯を応用するさいには,先ず腹証に眼をつけるがよい。古から柴胡腹と呼ばれる一種の腹型がある。この柴胡腹は柴胡剤を用いる目標となる。 柴胡腹というのは,心下部から季肋下にかけて膨隆した一種の腹証で胸脇苦満と呼ばれているが,この胸脇苦満に似ていて,そうでないものがあるから,診察にあたっては注意しなければならない。 最も定型的な大柴胡湯の腹証では,古人が鳩尾とよんだ部位,即ち俗にみずおちというところが硬くて膨隆し,圧を加えると痛を覚えて,息詰る感じがあり,それより左右の季肋下に沿ってやや膨隆して抵抗があり,この部に圧痛を訴える。この圧痛は右側に現われることが多く,左側は抵抗を感じても圧痛のないものが多い。ところが肥満して皮下脂肪の多い患者の場合は,往々にしてこの抵抗が深部にあるために,見落すことがある。これとは反対に皮下脂肪の少ない人が,故意に腹筋を緊張せしめている場合には,胸脇苦満でないものを胸脇苦満と見誤ることがある。一般に腹直筋を棒のように堅く触れる場合には,胸脇苦満がないのに,これを胸脇苦満と診断するから注意しなければならない。胸脇苦満があっても抵抗が季肋下に限局することなく,腹部全体に拡がって膨満抵抗を証明する場合は往々にして大承気湯の腹証に紛らわしいことがある。また瀉心湯類の心下痞硬が大柴胡湯の腹証に紛れることがある。このことについて山田業広は『温知医談』第十二号で,「柴胡瀉心之別」と題して次のようにのべている。 柴胡と瀉心を用るに二方とも心下痞硬の症あれば甚だ別ちにくきことあり,先年同藩家老大河内友左衛門,上毛高崎より東京に移りて後,余が薬を服す。其の証一年に三四度位ずつ気宇欝して引立たず,心下も微く痞硬す,いつも半夏瀉心湯を投ずるに効あるようにて了々たらず,四五十日を経ざれば全愈へず,高崎より来りし同僚に彼地居住の時は何等の方を処せられたりやと問いしに,いつも半夏瀉心の外に的当の方なしと云う。その頃例の通り発したり,熟察するに心下の底にぐっとつまりたる処あり,普通の心下痞硬,硬満などとはすこぶる異なり,因て心下急鬱々微煩とはこれならんと考えつき,大柴胡湯を処したるに四五日にして奇効あり,十余日にて出勤せり,説文に急は褊也とあり,褊とは小児の衣服を大人の着したる如くゆきつまり,きゅうくつたることなり,これにて心下急の文を始て了解せり。 次に問題になるのは,柴胡剤は左の胸脇苦満には効くが,右の胸脇苦満には効がないという説である。目黒道琢,和田東郭,山田業広,浅田宗伯などはこの説を支持している。これに反して,荻野台州,清川玄道は右の胸脇苦満にも効のあることをのべている。筆者も清川玄道等の説を支持する。左にあるものにも効くこと勿論である。
〔脈証〕 大柴胡湯証の脈は沈実或いは沈遅にして力のあるのを正証とするが,必ずしもこれに拘泥するを要しない。有持桂里は癰疽で大柴胡湯証を現わす場合には,脈が多くは弦数になるといい,治痢軌範では下痢で大柴胡湯証を呈する場合には脈が弦数になるといい,浅田宗伯は瘟病で大柴胡湯証を呈する時に,脈が沈細になることをのべている。『一夕話』では手の脈に眩惑せずに,大柴胡湯で下してよいとしている。 私の経験では脈大にして力のあるものにも,大柴胡湯を用いて奇効を得たことがある。
〔舌証〕 赤痢,チフス,肺炎などのように熱のある患者で,大柴胡湯証を呈する場合は,舌が乾燥して黄苔を呈する。その他の一般雑病では,舌がやや乾燥している程度で舌苔のないものが多い。
〔大便〕 便秘していることが多い。しかし兎の糞のような丸い小さいコロコロした便の出るものは,数日便秘していても,虚証であるから,大柴胡湯で下してはいけない。これに反して毎日便通があっても快通しないものや,一日一回の便通があっても,大柴胡湯を用いなければならないことがある。 ところが大柴胡湯で下したために,かえって不愉快な激しい腹痛を起こしたり,悪感を訴えるものには大柴胡湯の不適応症が多い。
〔肩こり〕 大柴胡湯証にしばしばみられる症状である。胸脇苦満があって,便秘して,肩こりを訴えるものは,按摩や指圧でも中々よくならないものが多い。この種の肩こりには大柴胡湯で著効のあるものが多い。
〔小便〕 小便は着色しているものが多く,清澄で稀薄なものはまれである。尿量が特に多い者には,柴胡の不適応症が多い。
〔嘔吐〕 悪心を伴う嘔吐がある。悪心だけで嘔吐のないこともある。五苓散の水逆性の嘔吐のように多量の水を吐くことはなく,胆汁を吐くことがある。
〔発汗〕 頭部に汗が多い。頭髪がまばらで,この部にしきりに汗の出るものに,大柴胡湯の証が多い。
〔鬱悶〕 鬱悶という言葉は,一般にあまり用いないが,気分がふさいで物うく何となくうっとうしい感じを訴えることが,大柴胡湯証の患者にみられることがある。原典の指示の「鬱々微煩」がこれであり,腹証の項に引用した山田業広の「気宇鬱して引立たず」がこれである。いわゆる神経衰弱にみられる症状で,森立之は若年の頃,陰萎にかかり大柴胡湯で癒ったことを報告している。
〔往来寒熱〕 悪感と熱が交互に反復する熱型で,今日云う間歇熱などもこれに属し,少陽病の時にみられる。原典の指示にもある通り,大柴胡湯証に現われることがある。 以上,大柴胡湯の応用目標として重要な項目についてのべたが,これ以外にも雑多な症状が附随してみられること勿論である。
応 用 例
〔本態性高血圧症〕 本態性高血圧症に大柴胡湯証の多いことは昭和二十八年五月,日本東洋医学会総会で発表したので,その詳細は省略するが,本態性高血圧患者九十八人中,胸脇苦満を証明するものは六十六人で,その中で大柴胡湯証と認定した患者が四十五人あった。これらの患者は血圧降下剤で一旦血圧が下っても頭痛,肩こり,眩暈,耳鳴等の愁訴は依然として残り,自覚的に軽快した感じがないと云うものが多かったが,大柴胡湯を用いると,これらの愁訴が消散し,この薬で自分の病気はよくなるという自信を抱くようになり,これが病状に好影響を与えて,血圧も安定した。
〔胆石・胆嚢炎〕 胆石もしくは胆嚢炎に大柴胡湯証の多いことは,雑誌「漢方」の創刊号に書いたが,老人で疝痛発作を繰返し発作のあとで高熱を出し,黄疸を起こし,黄疸が少し消散しかける頃,また疝痛を起こして,黄疸が強くなるという患者に,大柴胡湯を二カ月ほど飲ましたが,効果を見ないものがあった。また老婦人で右季肋下の疼痛と頑固な便秘及び肩背痛を訴え,腹診上右季肋下に抵抗圧痛があり,正しく胸脇苦満の状があるので,胆石と診断して大柴胡湯を用いたが全く効なく,その後発熱,黄疸がつづき,種々処方を工夫変更したが,更に何の反応も示さず,遂に鬼籍に上った。剖見の結果は胆嚢の癌であったという。 胆石や胆嚢炎には柴胡剤の適応症が多く,数日の服用で自覚症状の軽快するものが多い。もし処方が証に的中していると思われるのに,全く軽快の様子がなければ,悪性腫瘍の存在を疑うべきだと,この時つくづく考えたことであった。
〔多発性フルンケル〕 十数年前のことである。頑丈な男子で顔面に次から次とフルンケルが生じ或いは麦粒腫ができて,気分が重く,鬱々として楽まないという患者があった。この時,私は胸脇苦満と便秘を目標にして大柴胡湯を用い,忽ちにして全治せしめたことがあった。 ところがこの患者が昨年の夏,突然たずねてきた。「あれ以来すっかり忘れていた顔の吹出物が,今年は四月頃からでき始め,いろいろ手当をしたが,どうしてもよくならない。先生の薬をのめばよくなることはわかっていたが,罹災後の移転先が不明で困っていましたが,ようやく探しあてました」と云う。診察するに先年と全く同じである。そこで大柴胡湯を与えて三週間ほどで全治した。
〔湿疹〕 先年,本誌編集の気賀氏の親戚の一婦人が頚部,顔面上膊内面に湿疹を生じて来院した。この婦人は右に強い胸脇苦満があって,石のように硬く,軽く指で按じても,びっくりするほど痛む。私は初め十味敗毒湯を用いた。この処方も柴胡が主薬だから,効くだろうという考えであった。ところが全く効なく,かえって悪化してくる。消風散に転方して更にますますいけない。そこで大柴胡湯を与えたところ二三日で軽快してきた。その後,湿疹が出始めるといつも大柴胡湯を五日分服用するとおさまるようになった。 『方輿輗』に,「癰疽諸腫物に,脇下硬満する者は大小柴胡湯を選用して,先ず胸脇を利すべし。此の症脈多くは弦数なる者なり。是れ即ち少陽の位地にとりて治をなすなり」とあるのは,実際の経験から出た言葉であると思う。
〔脳出血後遺症〕 脳出血後の半身不随に大柴胡湯を用いるは,和田東郭の経験であるが,大柴胡湯で攻めることのできる患者は比較的予後がよい。
『百疢一貫』に「中風偏枯の症,左の臍傍に塊あって,夫れに柄が付て脇下にのぼり有るなり,偏枯もこれより為と見ゆ。是ものなきは難治なり,死す。これあるものは十に九つ愈るなり踏込んで療治すべし。此れ等の偏枯も疝より為と見ゆ。大柴胡のゆく処なり,効あるなり。然れども偏枯は全く癒えて平生の如くには成りがたきなり。然れども大抵は治って用事も勤る程にはなるもの也。」とあって,左に胸脇苦満があって腹直筋が拘急しているものに,大柴胡湯が効くことをのべている。『方輿輗』にも,「大柴胡湯,中風腹満拘攣する者は,此の湯を用うれば喎僻不遂も緩み言語の蹇渋もなおるものなり。」と同じようなことをのべている。
〔円形禿頭〕 一少年,頭髪,眉毛悉く脱落して,注射療法,光線療法など種々手当を施したが効のない者に,一ケ年ほど小柴胡湯を服用せしめて著効あり,黒々とした頭髪がすっかり生え揃ったことを雑誌『漢方』に発表したことがあるが,その後も二人の青年に柴胡剤を用いて著効を得た。患者の虚実に応じて小柴胡湯または大柴胡湯を用いるのである。 『先哲医話』の和田東郭の条に,「油風には多く大柴胡湯を用いて効あり。是れ其の腹を治するによろし,徒らに其の証に泥むべからず。華岡青洲は此の証を治するに大柴胡加石膏湯を以ってす。」とあり,油風は俗にいうハゲアタマで禿頭のことである。 以上の疾病の他に,胃炎,腸カタル,肺炎の経過中,中耳炎,結膜炎,いわゆる蓄膿症,歯痛等に用いて効を得たが,応用目標さえあれば,その他のいろいろの病気にも用いてよいはずである。(後略)
〈勿誤方函口訣〉 浅田 宗伯先生
此方少陽の極地に用ゆるは勿論にして,心下急鬱々微煩と云うを目的として,世の所謂癇症の鬱塞に用ゆるときは非常の効を奏す。
恵美三伯は此症の一等重きに香附子,甘草を加ふ。高階枳園は大棗,大黄を去り,羚羊角,釣藤,甘草を加ふ。何れも癇症の主薬とす。方今半身不随して不語するもの,世医中風を以て目すれども,肝癪経隊を塞ぎ,血気の順行あしく,遂に不遂を為すなり。脂実に属する者,此の方に宜し。尤も左脇より心下へかけて凝り,或は左脇の筋脈拘攣し,之を按して痛み,大便秘し,喜んで怒る等の証を目的とすべし。和田家の口訣に,男婦共に櫛けづる度に髪ぬけ年不相応に髪の少なきは肝火のなす処なり,此の方大いに効ありと云ふ。
又痢疾初起,発熱心下痞して嘔吐ある症,早く此方に目を付くべし。また小児疳労にて毒より来たる者に此の方加当帰を用て其の勢を挫き其の跡は小柴胡湯,小建中湯の類にて調理するなり。
其の他,茵蔯を加えて,発黄,心下痞鞕の者を治し,鷓鴣菜を加え蚘虫熱嘔を治するの類,運用最も広し。
〈漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
(構成) 名称に示すが如く小柴胡湯に似ているがそれよりずっと緊張度が強いことは気実を押開く枳実があるのと筋緊張をゆるめる芍薬が入っていることの,甘草,人参の補剤を去って瀉に専らであることによって知られよう。その緊張は全身的にも心下部に於ても強いのであって,体質的に筋骨たくましくがってりしており,筋肉には力が盛上っている。顎も角張って肉が豊かだし,指も太い。心下部はゆったりと厚みを持って緊張し,こんもりと張っていて,診察する指を肋骨弓下から胸廓内へ押し入れようとしても腹筋が殆ど凹まない位に力がある。これは胸脇心下の気実の状態であってこれによって自覚的には同部に緊張感,痞塞感,疼痛などが起り,便秘し,若し外に向ってその充塞した気が出ようとして動くときは嘔になったり,下痢になったりする。小柴胡湯と同様に肝に関係し,精神的に所謂肝積持ちの傾向を現わす。
運用 1. 全身的な筋肉の緊張と起用起用の緊張症状並びに緊張感,又は心下部の自他覚的な緊張症状を基本として,それに伴う便秘,嘔吐,下痢,喘などを目標にする。
「太陽病,過経十余日,反って2・3日之を下し,後4・5日,柴胡の証仍を在るものは先づ小柴胡湯を与ふ。嘔止まず心下急。鬱々微煩する者は未だ解せずとなすなり。大柴胡湯を与へて之を下すときは則ち愈ゆ。」
(傷寒論中篇)は大小柴胡湯の比較と治療順序の法則を示すもので,大小柴胡湯は嘔と心下部の緊張を共通症状とするが,小柴胡湯の胸脇苦満,強化痞硬,脇下満などに比して大柴胡湯は心下急であり,緊張の度合が強いことを示し,小柴胡湯の方は軽揚性なのに大柴胡湯は引緊り過ぎて発揚し難く外見上は軽いように見えながら実は反ってどっしりと重い状態にあることがわかる。小柴胡湯がほぼ少陽病の範囲に止るのに大柴胡湯は陽明病にかかっていることは大柴胡湯を下剤として取扱っているのでも知られよう。治療法則的には柴胡の証とて小柴胡湯と大柴胡湯とに共通の症状があって未だいずれとも判別し難いときは小を先にし大を後にすることは大小青竜湯,大小建中湯の場合でも同様である。これは大の名のつく処方は作用も強いから万一判定を誤った場合に強い反応が出るのでそれを用心して先ず軽い処方を使って様子を見た上で,必要があれば大の方の処方に換えるという極めて重な態度である。今の場合も先ず小柴胡湯を与えてそれで嘔が止まず,且つ心下急,鬱々微煩があるなら大柴胡湯にするとの治療順序を立てている。(中略)臨床的に大小柴胡湯の区別は
小柴胡湯
|
大柴胡湯
|
筋肉が筋ばって緊張 | 筋肉は厚みが持って緊張 |
脉は浮,弦,細微など | 脉は緊,沈緊など |
肋骨弓下が緊張 | 脇下心下の緊張強総 |
下痢や便秘の傾向は軽い | その傾向が著明 |
神経質で線が細い感じ, 癇が高い。 | 意志的で線が太い,肝積も 爆発的に起す |
舌は白苔 | 舌は白苔又は黄苔で厚い |
運用 2. 熱病に於て往来寒熱するもの又は心下部緊張便秘を目標にする。
腸チフス,パラチフス,マラリヤ,丹毒,猩紅熱其他に応用する機会がある。
運用 3. 全身的な筋肉の緊張の体質状態を目標にする。
疲労したとき筋肉の緊張がたかまり四肢,肩などがこっているものに使うことがある。動脈硬化症や高血圧で所謂中風体質といわれるものに矢張り緊張質を目標にして本方を使うが,心下部の硬満,便秘があれば確実である。この体質はせっかち,怒りっぽく肝積持ちのことが多い。その性質によって本方を癲癇に使うことがある。
運用 4. 眼病,耳病に使う
眼は肝に属し,大柴胡湯は肝機能障害に関するという所から出発して眼病と取柴胡湯が結付くのだが,体質や心下部の状態を参照すべきことは言うまでもない。耳には経絡の胆経が絡っているので矢張り眼と同様の取扱いをする。なお肝は筋を主り,柴胡剤が筋の緊張に多く使われる一の根拠をなしている。(後略)
『漢方診療の實際』 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
大柴胡湯(だいさいことう)
本方少陽病から陽明病に漸く移 らんとする者に用いる。即ち小柴胡湯より更に実證で、その症状がすべて激しい場合であって、殊に悪心・嘔吐が甚しく、胸脇心下部の鬱塞感が激しく、舌は多 く乾燥して黄苔のつくことがあり、そして小柴胡湯證よりも肥満充実した体質で、脈腹共に更に力があり、上腹角は広く腹筋の緊張を触れ、便秘がちの者を応用 目標とする。
處方に就て云えば小柴胡湯と比較すると生姜の量が多い。これは悪心・嘔吐が激しいからである。枳実と芍薬がある。枳実は苦味健胃剤 で、芍薬と共に心下部の緊張並びに鬱塞感を去る。大黄は熱を腸管に誘導すると共に瀉下の力がある。大柴胡湯には人参と甘草が無い。これは大黄・枳実・芍薬 の苦味を以て激しく心下部の鬱塞を打破しようとするが故に緩和剤の配合を減じたのである。
本方の応用は小柴胡湯に同じであるが、その他、神経衰弱・喘息・脚気・痢疾・胆石・黄疸・癲癇・高血圧症・脳溢血等に用いられる。
『漢方精撰百八方』
42.〔方名〕大柴胡湯 (だいさいことう)
〔出典〕傷寒論、金匱要略
〔処方〕柴胡6.0 黄芩、芍薬、大棗各3.0 半夏4.5 生姜3.0 枳実2.0 大黄1.0~2.0
〔目標〕証には、小柴胡湯証で、腹満、拘攀し、嘔劇しきもの、熱結ばれて裏にあり、復って往来寒熱するもの等、とある。 即ち、柴胡の証があるもので、少陽から少しく陽明にかかって来たもので、脈は沈実か沈遅、舌に黄苔あり、乾燥し、食欲減少、便秘の傾向が多く、悪心、嘔吐があり、胸脇苦満が著しく、心下部の抵抗、圧痛強く、直腹筋の連休が強い等の症があるものに適用する。熱候の無い者にも用いられ、大柴胡湯型と言われる体力の充実したものに適用されるが、一見大柴胡湯の適しない如くで、著効を得る場合がある。虚実の判定は、外見のみによるものではない。 〔かんどころ〕胸脇苦満が著しい、(右の季肋部に強いことが多い)、更に心下痞?、嘔吐、舌黄苔、便秘、腹直筋の攀急、があるものを目標とする。発熱がある場合は、弛張熱から稽留熱へと移行し、往来兼熱を示し、便秘し、胸脇苦満があるものに適用される。
〔応用〕最も頻用される薬方の一つで、応用範囲が広い。一言でその適用を言えば、柴胡剤を用いる場合で最も実した場合と言える。
(1)諸種の下痢性疾患で、心下がかたくつかえて苦しく、時に嘔吐を伴うもの。この際大黄を加減するが、大黄が少なすぎると却ってうまく下痢が止まらない事がある。
(2)胆石症、胆嚢炎、及び諸種の黄疸等で腹痛、嘔吐があり、脈沈実なるもの。症状の劇しいもの、渇があるもの等には石膏を5.0~10.0加える。胆石症等の場合は、渇がなくても石膏を加味した方が効果がある。
(3)肝炎、肝硬変にも(2)に準じて用いる。
(4)耳鳴、耳聾で胸脇苦満、又は膨満感のあるものに適用する。加石膏にして効を得ることが多い。
(5)フルンケル、及びその類症、中耳炎、副鼻腔炎等の化膿性疾患で、胸脇苦満があり、便秘のあるものに適用する。
(6)胃疾患で、便秘の傾向があり、胸脇苦満や、嘔気のあるもの。
(7)小児の吐乳症等で、心下が硬いもの。
(8)急性、慢性の腸カタル、赤痢、大腸カタル等で目標の如き症状を具えるもの。
右のように各種疾患に用いられるが、体質改善の役割をも兼ねて、高血圧症、脳出血後の半身不随、喘息、肥胖症等に好んで用いられる。
高血圧症には、柴胡加竜骨牡蛎湯とともに最も屡々用いられる。単方で用いられることも多いが、桂枝茯苓丸、当帰芍薬散等の駆瘀血剤と兼用、合方として用いられることも多い。
喘息には、単方でも効を得ることがあるが、半夏厚朴湯等と合方して著効を得ることがある。 肥満して胸脇苦満があり、息苦しいといういわゆる大柴胡湯型の人々には、大柴胡湯はありがたい薬方であるが、やや痩せていて、胸脇苦満も著しくなく、肩こり、胃部圧迫感のあるもので、小柴胡湯より、大柴胡湯(時には去大黄にする)を用いて、疲労がとれ体力も増進する例があるので、注意すべきである。
感冒で数日を経て、舌黄苔、胸脇苦満強く、便秘し、熱はやや潮熱の傾向をおび、解熱剤を用いても熱が下がらないものに、大柴胡湯を用いて通じを得れば、一、二日で軽快する場合があるが、これが大柴胡湯証の一典型であろう。 伊藤清夫
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
1 柴胡剤
柴胡剤は、胸脇苦満を呈するものに使われる。胸脇苦満は実証では強く現 われ嘔気を伴うこともあるが、虚証では弱くほとんど苦満の状を訴えない 場合がある。柴胡剤は、甘草に対する作用が強く、解毒さようがあり、体質改善薬として繁用される。したがって、服用期間は比較的長くなる傾向がある。柴胡 剤は、応用範囲が広く、肝炎、肝硬変、胆嚢炎、胆石症、黄疸、肝機能障害、肋膜炎、膵臓炎、肺結核、リンパ腺炎、神経疾患など広く一般に使用される。ま た、しばしば他の薬方と合方され、他の薬方の作用を助ける。
柴胡剤の中で、柴胡加竜骨牡蛎湯・柴胡桂枝乾姜湯は、気の動揺が強い。小柴胡湯・加味逍遥散は、潔癖症の傾向があり、多少神経質気味の傾向が ある。特に加味逍遥散はその傾向が強い。柴胡桂枝湯は、痛みのあるときに用いられる。十味敗毒湯・荊防敗毒散は、化膿性疾患を伴うときに用いられる。
各薬方の説明(数字はおとな一日分のグラム数、七~十二歳はおとなの二分の一量、四~六歳は三分の一量、三歳以下は四分の一量が適当である。)
1 大柴胡湯(だいさいことう) (傷寒論、金匱要略)
〔柴胡(さいこ)六、半夏(はんげ)、生姜(しょうきょう)各四、黄芩(おうごん)、芍薬(しゃくやく)、大棗(たいそう)各三、枳実(きじつ)二、大黄(だいおう)一〕
本方は、柴胡剤の中で最も実証の薬方である。従って、症状は激しく便秘の傾向も強い。胸脇苦満も強く、緊張しているため苦満をとおりこし痙攣 や痛みを伴うときがある。また、全身的な筋肉の緊張もみられる。本方は、少陽病から陽明病への移行期に用いられるもので、胸腹部の膨満、拘攣、便秘(とき に下痢)、嘔吐、耳鳴り、肩こり、食欲不振などを目標とする。
〔応用〕
次に示すような疾患に、大柴胡湯證を呈するものが多い。
一 感冒、流感、気管支炎、気管支喘息、肺炎、肺結核、肋膜炎その他の呼吸器系疾患。一 腸チフス、パラチフス、マラリヤ、猩紅熱その他の急性熱性伝染病。
一 黄疸、肝硬変、胆石症、胆嚢炎その他の肝臓や胆嚢の疾患。
一 胃酸過多症、胃酸欠乏症、胃腸カタル、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、急性虫垂炎、慢性腹膜炎その他の消化器系疾患。
一 腎炎、腎盂炎、萎縮腎、腎臓結石、ネフローゼ、尿毒症、尿道炎、膀胱炎、夜尿症その他の泌尿器系疾患。
一 神経衰弱、精神分裂症、神経質、ノイローゼ、ヒステリー、気鬱症、不眠症などの精神、神経系疾患。
一 高血圧症、脳溢血、動脈硬化症、心臓弁膜症、心嚢炎、心臓性喘息その他の循環器系疾患。
一 白内障、結膜炎、フリクテン、角膜炎その他の眼科疾患。
一 急性中耳炎、耳下腺炎、耳鳴り、難聴、蓄膿症その他の耳鼻科疾患。
一 蕁麻疹、湿疹、ふけ症、脱毛症その他の皮膚疾患。
一 そのほか、関節痛、肥胖症、梅毒、不妊症、痔、糖尿病など。
『漢方の臨床』(昭和29年9月号) 大 塚 敬 節
大柴胡湯について
はじめに
漢方の処方の中で、柴胡を主薬とする、いわゆる柴胡剤は日常最も頻繁に用いられる重要な方剤である。大柴胡湯はこれらの柴胡剤中でも特に応用範囲の広い処方で、近代医学で難治とせられている疾病が、大柴胡湯で好転或いは全治に至る例をしばしば経験する。 漢方の先哲名医は、疾病の診断治療に肝の機能障害を重視し、和田東郭などは、所詮は肝と腎の二臓の変調に帰するとして、肝腎の機能の調整に重点を置いた。大柴胡湯が肝の障害による諸病に効顕のあることは、古人が既に喝破しているが、われわれの臨床経験もまたこれを裏書きしている。しかし大柴胡湯についての近代医学的の研究は、これから始まらんとしているところで、本稿は主として古人の論説及び筆者の経験を土台として執筆した。
原典の指示
大柴胡湯の適応症、応用例等をのべる前に、先ず原典である『傷寒論』及び『金匱要略』に現われた文章について簡単な解説を加えておく必要がある。 「太陽病、過経十余日、反って二三之を下し、後ち四五日、柴胡の証仍(なお)ある者には、先ず小柴胡湯を与う、嘔止まず、心下急欝々微煩する者は未だ解せずと為すなり、大柴胡湯を与えて、之を下せば則ち愈ゆ。(太陽病、中篇)」 この章は太陽病で病勢がすこぶる緩慢に経過して、発病十余日を経て漸く小柴胡湯の証より大柴胡湯の証に及ぶものを論じて、この二湯の相違と治療の順序とを示したものである。過経の二字は後人の註釈文で十余日を指している。心下急の急は物の詰まった感じで、心下部が張って堅くて、抵抗圧重感のあるのを云い、大柴胡湯の場合にみられる腹証である。欝々微煩は、小柴胡湯証の「黙黙飲食を欲せず心煩」よりもその程度が甚しい。 さて本文の意味は、太陽病に罹って十余日を経た頃は、病邪が裏に入って陽明裏実の証を呈する頃であるが、この場合は病邪の侵攻が緩慢で十余日を経た頃に、まだ少陽病で小柴胡湯の証を呈していたのである。ところが、医師がこれを陽明病と誤認して承気湯の如き下剤を用いて下すこと二三回に及んだのである。反ってとあるのは下してはならないものを下したからである。 このようにして柴胡の証を誤って下し、その後四五日を経ても、なお依然として病邪が柴胡の位置即ち半表半裏を去らない者には、先ず小柴胡湯を与える。これを与えても嘔吐が止まず、心下急、欝々微煩のものは小柴胡湯の力が足りなくて未だ邪が去らないのであるから、これには更に大柴胡湯を与えて、之を下せば愈るのである。先に大柴胡湯を与えずに、先ず小柴胡湯を与え、次いで大柴胡湯を与えたのは、先ず小建中湯を与えて、次いで小柴胡湯を与えたと同じ順序で『傷寒論』の治療法則の一斑を示したものである。 即ち小建中湯と小柴胡湯と較べると、前者が補剤であるから、そのいずれを与えるべきかに迷うときは、先ず補剤で補い、それで癒らぬときに、これより力の強い即ち瀉剤に近い小柴胡湯を用いるのである。 これと同じく小柴胡湯と大柴胡湯とでは、後者が瀉の力が強く、前者は後者に較ぶればむしろ補剤に近い緩和な薬であるから、そのいずれを用ゆべきかに迷うときは、先ず小柴胡湯を用い、それで癒らぬときに大柴胡湯を用いるのが順序である。即ち補を先にして瀉をあとにするのである。補といい、瀉と云うのも、程度の差であるから、以上の三方を虚実の順にならべると、小建中湯、大柴胡湯となるので、小柴胡湯は小建中湯よりも瀉に働くけれども、大柴胡湯よりは補に働くということになる。大柴胡湯には大黄が配剤されていて、瀉下の働きがあり、少陽病であって陽明病に近接し或いは陽明に属する場合に用いる。ところが『傷寒論』の大柴胡湯の方には大黄がない。そこで方後に「若し大黄を加えずんば、恐らくは大柴胡湯と為さず」とあって、大黄の必要な所以を附記している。 「傷寒十余日、熱結んで裏に在り、復(かえ)って往来寒熱する者には大柴胡湯を与う。但(ただ)結胸して大熱無き者は、此れ水結んで胸脇に在ると為すなり、但頭に微(すご)しく汗出ずる者は大陥胸湯之を主(つかさど)る。(太陽病、下篇)」 この章は傷寒にかかって十余日を経て、大柴胡湯証になるものと大陥胸湯証になるものとをあげて、これの弁別を論じている。往来寒熱は少陽病の熱型であるから、傷寒にかかって十余日を経た頃は、熱が裏に入って陽明病となり、往来寒熱の状はなくなるはずである。 ところがこの頃になっても往来寒熱の状があるから復ってという。復の字は古くは覆とも書き、覆は反の意にも用いられたので、ここでは反の意である。このように熱が裏に結んでも往来寒熱のあるものは、邪が全く裏に入ったのではなく、半分は少陽に半分は陽明にあって、陽明病になりきったのではないから、白虎湯を与えずに大柴胡湯を用いるのである。与うとあって之を主ると云わないのは、これを与えて後の証の変化を待つのである。ここに熱結んで裏に在りというのは、あとの水結んで胸脇に在りに対比している。ここには往来寒熱のみを目標にして大柴胡湯を与えるように書いてあるが、これは他の症状を省略したものである。ところが往来寒熱せずして、但結胸して体表に熱のないものは、これは熱結ではなく水結が胸脇に在るからである。この場合は身体の他部には汗がなく、ただ頭に少し汗が出るものである。これは大陥胸湯の主治である。この頭汗は大陥胸湯に特有な症状ではなく、大柴胡湯証にもしばしばみられる。 傷寒後には脈沈たり、沈なる者は内実となす、之を下せば解す、大柴胡湯に宜し。(弁可下篇) 傷寒の発病初期は脈が浮となり、日数が経つと沈となる。これは一般論で、例外は沢山ある。沈で充実した脈ならば内実の候であるが、沈で弱であれば裏の虚である。内実の場合は大柴胡湯、大承気湯などで下すべきである。宜しとあるのは大柴胡湯に限らないからである。 之を按じて心下満痛する者は、此れを実となすなり、当に之を下すべし、大柴胡湯に宜し。(金匱要略) 大柴胡湯証にしばしばみられる症状であるが、心下部の膨満と圧痛とだけで大柴胡湯を用いるのは早計である。必ず他の症状を参照して決定しなければならない。 ○ 以上は原典の指示であるが、皮相的な見方をすれば、これらの一つずつは大柴胡湯の単なる応用例のようにみられる。しかし抽象的な事象を具体的な例をあげて表現することは中国文化の特質であるから、これらの例を通じて大柴胡湯の証を掴むように工夫しなければならない。古人が一隅を示して三隅を知らしめたものだといったのは、この間の消息を伝えたものである。 なお『傷寒論』に「傷寒発熱汗出でて解せず、心下痞硬して嘔吐し下痢するものは大柴胡湯之を主る」の一章があるが、心下痞硬して嘔吐、下痢するものには瀉心湯類、人参湯などを用いる場合が多く、大柴胡湯証としては比較的まれな例であることを追記しておく。
応用目標
〔腹証〕 大柴胡湯を応用するさいには、先ず腹証に眼をつけるがよい。古から柴胡腹と呼ばれる一種の腹型がある。この柴胡腹は柴胡剤を用いる目標となる。 柴胡腹というのは、心下部から季肋下にかけて膨隆した一種の腹証で胸脇苦満と呼ばれているが、この胸脇苦満に似ていて、そうでないものがあるから、診察にあたっては注意しなければならない。 最も定型的な大柴胡湯の腹証では、古人が鳩尾とよんだ部位、即ち俗にみずおちというところが硬くて膨隆し、圧を加えると痛を覚えて、息詰る感じがあり、それより左右の季肋下に沿ってやや膨隆して抵抗があり、この部に圧痛を訴える。この圧痛は右側に現われることが多く、左側は抵抗を感じても圧痛のないものが多い。ところが肥満して皮下脂肪の多い患者の場合は、往々にしてこの抵抗が深部にあるために、見落すことがある。これとは反対に皮下脂肪の少ない人が、故意に腹筋を緊張せしめている場合には、胸脇苦満でないものを胸脇苦満と見誤ることがある。一般に腹直筋を棒のように堅く触れる場合には、胸脇苦満がないのに、これを胸脇苦満と診断するから注意しなければならない。胸脇苦満があっても抵抗が季肋下に限局することなく、腹部全体に拡がって膨満抵抗を証明する場合は往々にして大承気湯の腹証に紛らわしいことがある。また瀉心湯類の心下痞硬が大柴胡湯の腹証に紛れることがある。このことについて山田業広は『温知医談』第十二号で、「柴胡瀉心之別」と題して次のようにのべている。 柴胡と瀉心を用るに二方とも心下痞硬の症あれば甚だ別ちにくきことあり、先年同藩家老大河内友左衛門、上毛高崎より東京に移りて後、余が薬を服す。其の証一年に三四度位ずつ気宇欝して引立たず、心下も微く痞硬す、いつも半夏瀉心湯を投ずるに効あるようにて了々たらず、四五十日を経ざれば全愈へず、高崎より来りし同僚に彼地居住の時は何等の方を処せられたりやと問いしに、いつも半夏瀉心の外に的当の方なしと云う。その頃例の通り発したり、熟察するに心下の底にぐっとつまりたる処あり、普通の心下痞硬、硬満などとはすこぶる異なり、因て心下急鬱々微煩とはこれならんと考えつき、大柴胡湯を処したるに四五日にして奇効あり、十余日にて出勤せり、説文に急は褊也とあり、褊とは小児の衣服を大人の着したる如くゆきつまり、きゅうくつたることなり、これにて心下急の文を始て了解せり。 次に問題になるのは、柴胡剤は左の胸脇苦満には効くが、右の胸脇苦満には効がないという説である。目黒道琢、和田東郭、山田業広、浅田宗伯などはこの説を支持している。これに反して、荻野台州、清川玄道は右の胸脇苦満にも効のあることをのべている。筆者も清川玄道等の説を支持する。左にあるものにも効くこと勿論である。
〔脈証〕 大柴胡湯証の脈は沈実或いは沈遅にして力のあるのを正証とするが、必ずしもこれに拘泥するを要しない。有持桂里は癰疽で大柴胡湯証を現わす場合には、脈が多くは弦数になるといい、治痢軌範では下痢で大柴胡湯証を呈する場合には脈が弦数になるといい、浅田宗伯は瘟病で大柴胡湯証を呈する時に、脈が沈細になることをのべている。『一夕話』では手の脈に眩惑せずに、大柴胡湯で下してよいとしている。 私の経験では脈大にして力のあるものにも、大柴胡湯を用いて奇効を得たことがある。
〔舌証〕 赤痢、チフス、肺炎などのように熱のある患者で、大柴胡湯証を呈する場合は、舌が乾燥して黄苔を呈する。その他の一般雑病では、舌がやや乾燥している程度で舌苔のないものが多い。
〔大便〕 便秘していることが多い。しかし兎の糞のような丸い小さいコロコロした便の出るものは、数日便秘していても、虚証であるから、大柴胡湯で下してはいけない。これに反して毎日便通があっても快通しないものや、一日一回の便通があっても、大柴胡湯を用いなければならないことがある。 ところが大柴胡湯で下したために、かえって不愉快な激しい腹痛を起こしたり、悪感を訴えるものには大柴胡湯の不適応症が多い。
〔肩こり〕 大柴胡湯証にしばしばみられる症状である。胸脇苦満があって、便秘して、肩こりを訴えるものは、按摩や指圧でも中々よくならないものが多い。この種の肩こりには大柴胡湯で著効のあるものが多い。
〔小便〕 小便は着色しているものが多く、清澄で稀薄なものはまれである。尿量が特に多い者には、柴胡の不適応症が多い。
〔嘔吐〕 悪心を伴う嘔吐がある。悪心だけで嘔吐のないこともある。五苓散の水逆性の嘔吐のように多量の水を吐くことはなく、胆汁を吐くことがある。
〔発汗〕 頭部に汗が多い。頭髪がまばらで、この部にしきりに汗の出るものに、大柴胡湯の証が多い。
〔鬱悶〕 鬱悶という言葉は、一般にあまり用いないが、気分がふさいで物うく何となくうっとうしい感じを訴えることが、大柴胡湯証の患者にみられることがある。原典の指示の「鬱々微煩」がこれであり、腹証の項に引用した山田業広の「気宇鬱して引立たず」がこれである。いわゆる神経衰弱にみられる症状で、森立之は若年の頃、陰萎にかかり大柴胡湯で癒ったことを報告している。
〔往来寒熱〕 悪感と熱が交互に反復する熱型で、今日云う間歇熱などもこれに属し、少陽病の時にみられる。原典の指示にもある通り、大柴胡湯証に現われることがある。 以上、大柴胡湯の応用目標として重要な項目についてのべたが、これ以外にも雑多な症状が附随してみられること勿論である。
応 用 例
〔本態性高血圧症〕 本態性高血圧症に大柴胡湯証の多いことは昭和二十八年五月、日本東洋医学会総会で発表したので、その詳細は省略するが、本態性高血圧患者九十八人中、胸脇苦満を証明するものは六十六人で、その中で大柴胡湯証と認定した患者が四十五人あった。これらの患者は血圧降下剤で一旦血圧が下っても頭痛、肩こり、眩暈、耳鳴等の愁訴は依然として残り、自覚的に軽快した感じがないと云うものが多かったが、大柴胡湯を用いると、これらの愁訴が消散し、この薬で自分の病気はよくなるという自信を抱くようになり、これが病状に好影響を与えて、血圧も安定した。
〔胆石・胆嚢炎〕 胆石もしくは胆嚢炎に大柴胡湯証の多いことは、雑誌「漢方」の創刊号に書いたが、老人で疝痛発作を繰返し発作のあとで高熱を出し、黄疸を起こし、黄疸が少し消散しかける頃、また疝痛を起こして、黄疸が強くなるという患者に、大柴胡湯を二カ月ほど飲ましたが、効果を見ないものがあった。また老婦人で右季肋下の疼痛と頑固な便秘及び肩背痛を訴え、腹診上右季肋下に抵抗圧痛があり、正しく胸脇苦満の状があるので、胆石と診断して大柴胡湯を用いたが全く効なく、その後発熱、黄疸がつづき、種々処方を工夫変更したが、更に何の反応も示さず、遂に鬼籍に上った。剖見の結果は胆嚢の癌であったという。 胆石や胆嚢炎には柴胡剤の適応症が多く、数日の服用で自覚症状の軽快するものが多い。もし処方が証に的中していると思われるのに、全く軽快の様子がなければ、悪性腫瘍の存在を疑うべきだと、この時つくづく考えたことであった。
〔多発性フルンケル〕 十数年前のことである。頑丈な男子で顔面に次から次とフルンケルが生じ或いは麦粒腫ができて、気分が重く、鬱々として楽まないという患者があった。この時、私は胸脇苦満と便秘を目標にして大柴胡湯を用い、忽ちにして全治せしめたことがあった。 ところがこの患者が昨年の夏、突然たずねてきた。「あれ以来すっかり忘れていた顔の吹出物が、今年は四月頃からでき始め、いろいろ手当をしたが、どうしてもよくならない。先生の薬をのめばよくなることはわかっていたが、罹災後の移転先が不明で困っていましたが、ようやく探しあてました」と云う。診察するに先年と全く同じである。そこで大柴胡湯を与えて三週間ほどで全治した。
〔湿疹〕 先年、本誌編集の気賀氏の親戚の一婦人が頚部、顔面上膊内面に湿疹を生じて来院した。この婦人は右に強い胸脇苦満があって、石のように硬く、軽く指で按じても、びっくりするほど痛む。私は初め十味敗毒湯を用いた。この処方も柴胡が主薬だから、効くだろうという考えであった。ところが全く効なく、かえって悪化してくる。消風散に転方して更にますますいけない。そこで大柴胡湯を与えたところ二三日で軽快してきた。その後、湿疹が出始めるといつも大柴胡湯を五日分服用するとおさまるようになった。 『方輿輗』に、「癰疽諸腫物に、脇下硬満する者は大小柴胡湯を選用して、先ず胸脇を利すべし。此の症脈多くは弦数なる者なり。是れ即ち少陽の位地にとりて治をなすなり」とあるのは、実際の経験から出た言葉であると思う。
〔脳出血後遺症〕 脳出血後の半身不随に大柴胡湯を用いるは、和田東郭の経験であるが、大柴胡湯で攻めることのできる患者は比較的予後がよい。
『百疢一貫』に「中風偏枯の症、左の臍傍に塊あって、夫れに柄が付て脇下にのぼり有るなり、偏枯もこれより為と見ゆ。是ものなきは難治なり、死す。これあるものは十に九つ愈るなり踏込んで療治すべし。此れ等の偏枯も疝より為と見ゆ。大柴胡のゆく処なり、効あるなり。然れども偏枯は全く癒えて平生の如くには成りがたきなり。然れども大抵は治って用事も勤る程にはなるもの也。」とあって、左に胸脇苦満があって腹直筋が拘急しているものに、大柴胡湯が効くことをのべている。『方輿輗』にも、「大柴胡湯、中風腹満拘攣する者は、此の湯を用うれば喎僻不遂も緩み言語の蹇渋もなおるものなり。」と同じようなことをのべている。
〔円形禿頭〕 一少年、頭髪、眉毛悉く脱落して、注射療法、光線療法など種々手当を施したが効のない者に、一ケ年ほど小柴胡湯を服用せしめて著効あり、黒々とした頭髪がすっかり生え揃ったことを雑誌『漢方』に発表したことがあるが、その後も二人の青年に柴胡剤を用いて著効を得た。患者の虚実に応じて小柴胡湯または大柴胡湯を用いるのである。 『先哲医話』の和田東郭の条に、「油風には多く大柴胡湯を用いて効あり。是れ其の腹を治するによろし、徒らに其の証に泥むべからず。華岡青洲は此の証を治するに大柴胡加石膏湯を以ってす。」とあり、油風は俗にいうハゲアタマで禿頭のことである。 以上の疾病の他に、胃炎、腸カタル、肺炎の経過中、中耳炎、結膜炎、いわゆる蓄膿症、歯痛等に用いて効を得たが、応用目標さえあれば、その他のいろいろの病気にも用いてよいはずである。
用法、用量
『傷寒論』によれば、大柴胡湯の用法、用量は次の通りである。 柴胡半斤 黄芩三両 芍薬三両 半夏半升洗 生薑五両切 枳実四枚炙 大棗十二枚擘 右七味、水一斗二升を以って煮て六升を取り、滓を去り再び煎じ一升を温服す、日に三服す、一方に大黄二両を加う、若し加えざれば恐らくは大柴胡湯と為らず。 右の分量は大体の標準とみなしてよい。なぜならば、この当時に用いた薬物がどのようなものであったかが確実にわからなければ、分量だけを厳密に規定しても意味をなさないからである。生薬はその品質の上下によって効果に著しい相違があり、且つ枳実の如きは、日本で現在用いているものは明らかに代用品と考えるべきであるから、一分一厘をやかましく議論しても無駄である。 私は現在、次の分量を用い、薬の精粗、病状の劇易によって加減をしている。 柴胡六・〇、黄芩・芍薬各三・〇、枳実二・〇、半夏四・〇、生姜四・〇(乾生姜を用いる時は一・〇)大棗四・〇、大黄一・〇 以上グラム単位 右を水三合に入れて半分に煮つめて滓を去り、一日三回に分服せしめる。 この煎煮の法は簡便法であるから、『傷寒論』に従って再煎の法を行えば、味がやわらかくなるし、効果もあがることであろうが、この簡便法でさえ、煩わしいという声のある現状であるから、一般にはなかなか行われにくい。
『漢方医学十講』 細野史郎著 創元社刊
大柴胡湯
大柴胡湯は、少陽病、すなわち半表半裏に病邪がありながら、さらに裏位に病勢が進んでいるもの、いわば少陽・陽明の併病と言えるものに、少陽病を治しながら、今にも胃実になろうとするその勢いをくだく力を持つ薬方とはいえ、汪訒庵(汪昂)の『医方集解』の本方条に「大柴胡湯は少陽陽明なり、故に小柴胡、小承気を加減して一方の為す」と言っているように、少陽・陽明の併病の薬方とも考えられよう。それは、あたかも太陽・少陽の併病の薬方である柴胡桂枝湯の場合にもたとえることができる。
そして、その薬味の構成を見ると、陽明病の本文としては大黄・芒硝で下すのであるが、少陽病は下さず大承気湯でいくところであるから、少陽病をやわらげながら陽明病に効くように考えられ、なみなみならぬ苦心がなされているのを感じる。合病・併病に用いて危険がないだけでなく、むしろ証に合えば、すぐれた効果を奏効するのを経験する。
大柴胡湯
傷寒論 | 細野常用一回量 | ||
柴胡 | Bupleuri Radix | 半斤 | 2.7g |
黄芩 | Scutellariae Radix | 三両 | 1.5g |
枳実 | Aurantii Fructus immaturus | 四枚、炙る | 0.8g |
芍薬 | Paeonia Radix | 二両 | 3.3g |
半夏 | Pinelliae Tuber | 半升、洗う | 4.3g |
生姜 | Zingiberis Rhizoma | 五両、切る | 0.8g |
大棗 | Zizyphi Fructus | 十二枚、擘く | 5.0g |
大黄 | Rhei Rhizoma | 二両 | 0.2g |
右七味。以水一斗二升。煮取六升。去滓再煎。温服一升。日三服。一方、加大黄二両。若不加。恐不為大柴胡湯。(右七味、水一斗二升を以って煮て六升を取り、滓を去り、再煎して一升を温服す。日に三服す。一方、大黄二両を加う。若し加えざるときは恐らくは大柴胡湯たらず。)
右一回量の二~三回分をもって通常一日量とする。
本方は、小柴胡湯から人参・甘草を去り、枳実・芍薬・大黄を加えたもので、王叔和の言うように、小柴胡湯と小承気湯の合方の意と見ることもできよう。
ところが『傷寒論』の宋板には大柴胡湯には大黄がなく七味であるが、『金匱要略』の大柴胡湯は大黄を入れて八味となっている。これが後世いろいろの説が生じた根拠である。しかし王叔和が「もし大黄を加えずば、おそらく大柴胡湯とはならないだろう」と言ったように、大黄があってこそ大柴胡湯と言えるのではなかろうか。あるいは、考え方により、大黄の量は初めから定められたものではなく、体質、症状に応じて加減すべきことを暗示するものとも言える。
次に本方中に枳実・芍薬・大黄と組み合わされているための妙味につ感て一つのエピソードがある。
私の親しい者で常習便秘のものがあった。それも弛緩性の便秘で、普通の下剤では強すぎて腹痛が起こり、思うようにいかなかった。そのうえ特に、数年前に、下行結腸に二~三ヵ所の癒着性狭窄ができてからはその度も強まり、かなりの下剤を含んだ薬剤でないと通じがつかなくなってしまった。体質は漢方で言う陰虚証で、体つきは細く、皮膚は菲薄で、筋肉の発達もよくなかった。
或る日のこと、この人が食餌性の蕁麻疹にかかった。もともと過敏性体むでもあったので、その発疹や掻痒非常に強かったが、升麻和気飲でほどなく治ってしまった。それで以前からの薬方にもどしたところ、また常習便秘が強くなってきた。考えてみると、升麻和気飲を服用している間はいつも気持よく便通があったのに、転方以後は便秘が強くなっている。
升麻和気飲では大黄一日〇・五で正常に近い快便であったのに、今度は一・五gにしても腹痛が起こるだけで便通はほとんど無い。不審に思って升麻和気飲の薬味を調べてみると、その中に枳実・芍薬・大黄の組み合わせがあることに気付いた。それからこの三味を主方に組み合わせて与えてみたところ、升麻和気飲を用いていた時のように、少量の大黄でも快く便通があるようになった。
こんなことがあってから、この三味の組み合わせを他の便秘の人々にも用いるようになり、いつも良い成績を挙げている。思うに仲景の昔にすでにこの三味の組み合わせの妙味がわかっていたものであろう。しかも仲景の深意を知ることなく、長年ぼんやり過ごしていた自分をいまさらのように恥かしく思ったものである。
大柴胡湯の構成薬味のうち柴胡・黄芩・芍薬・半夏・生姜・大棗については、それぞれ既に述べたので、ここでは枳実・大黄について左に解説する。
枳実(きじつ)
ミカン科(Rutaceae)のCitrus属(ダイダイ、ナツミカン、ミカンなど)およびその近縁植物の未熟果実を用いる。精油を0.3~0.5%含み、その主成分はd-limoneneである。またフラボノイド類のhesperidin,naringinなどやクマリン類のumbelliferone,aurapeneなどを含む。また近年、交感神経作働薬のシネフィリンが単離された。
枳実と枳殻が同一物であるかどうかは、古来論議されているところであるが、現在では一般に同様に取り扱われている。しかし曲直瀬道三の『能毒』などを見ると、六月に採ったものを枳実、十村のものを枳殻と言って区別し、枳実の方が作用が強烈であるから、あまり多く用いないようにと注意している。また『本草備要』では、枳実は小さく力の強いもので、大小承気湯にはこれを用い、枳殻は大きく力の緩やかなものであると言っている。
枳実の薬能は、『本草備要』に「其の功皆能く気を破る。気行れば則ち痰行り,喘止み、痞脹消え、痛刺息み、後重除く』「枳実は胸膈を利し、枳殻は腸胃を寛げる」とあり、要約すれば、瀉下・破気・行痰が主たる薬能と言える。
枳実の薬理実験においては、消化管の運動抑制、心臓に対する強心作用、血圧上昇、血管収縮など、いずれも交感神経を介して作用して感ると考えられるが、最近、枳実より、現代医学で交感神経作働薬として使用されているシネフィリンが単離されたことは、このことを裏付けるものとして興味深い。
その他、抗アレルギー作用や抗菌作用が認められている。
大黄(だいおう)
タデ科(Polygonaceae)のRhum palmatum Linne, Rheum Tanguticum Maximowicz, Rheum officinale Ballon, Rheum coreanum Nakai または、それらの種間雑種の根茎を用いる。アントラキノン類を3.5~5%含み、Chrysophanol, Emodin, aloe-emodin, rhein など多数が知られており、またジアントロン類のsennosideA,B,C,D,E,Fやタンニンなど、多くの成分が判明している。
大黄の薬能は、『本草備要』に「腸胃を蕩滌し、燥結を下して瘀熱を除く」とあり、実証性の瘀血、炎症、便閉などに応用されている。すなわち、消化管内の宿便や穀食物の停滞を下す瀉下作用のほか、瘀血に伴う諸症、便閉や腹満を伴う熱病、あるいは腹部の炎症性の腫瘍などに効果的と考えられている。
大黄の薬理実験では、瀉下作用について多くの報告があり、アントラキノン類、ジアントロン類に瀉下作用のあることが報告されている。また、その作用機序についても研究が進められ、腸内細菌の関与によって、瀉下成分が活性化され、大腸の神経叢に直接はたらいて、瀉下作用を発現することが判明している。瀉下作用の発現に腸内細菌が関与しているということは、大黄が人によって感受性に大きな差があることの一つの裏付けになるものとして興味深い。また、この瀉下成分は、高温で長時間煎じると、瀉下効果が低下するとの報告もあるが、古来、大黄を瀉下作用の目的で用いる場合に、粉末または振り出しにして用いるという経験則を裏付けるものと言える。
この他、大黄に胆汁分泌促進作用、利尿作用、血中尿素窒素降下作用、抗腫瘍作用、抗菌作用などが認められている。
大柴胡湯の証治
さてこれは、既に述べたように、小柴胡湯のゆく少陽病から、さらに陽明病の「胃家実」の状態、すなわち裏実の状態をも兼ねている併病、換言すれば少陽・陽明の移行型の一病態を治療することのできる薬方だと言うこともできようし、また、柴胡桂枝湯より病邪が裏位に実したものに用いるのだから、その症状もずっと激烈になったものに用いると言えよう。
『傷寒論』で言うような急性熱性病で、少陽の部位に病がありがら陽明の裏実を示す病態では、胸膈から上腹部に鬱滞しているような状があり、患者はその部分に圧迫または緊縛されているような窮屈さを感じるもので、この苦痛を仲景は「心下急」という表現を以ってしている。
大柴胡湯証は陽明裏実の兼ねるといっても、大承気湯証まではいっていないので、季肋下部や心下部だけの実満に止まり、大承気湯証のように臍を中心とした腹全体に及ぶ強い緊満はない。むしろ空きぎみだというのが特徴である。このことは急性熱性病の場合のことなのだが、慢性病の場合でも以上の所見を基として考えていけばよい。
ここで『傷寒論』の用例をさらに二、三引用して大柴胡湯の指示をもっと正確な知識としておこう。
「大陽病。過経十余日。反二三下之。後四五日。柴胡証仍在者。先与小柴胡。嘔不止。心下急。一云嘔止小安 鬱鬱微煩者。為未解也。与大柴胡湯。下之則愈。」(大陽病、十余日を過経、反って二三之を下し、後四五日、柴胡の証仍在る者は、先ず小柴胡を与う。嘔止まず、心下急、鬱々微煩の者は、未だ解せずとなすなり。大柴胡湯を与えて之を下せば則ち愈ゆ。)
すなわち発病して十余日も経過したので、太陽病から少陽病の時期も過ぎ、すでに陽明病期にも入っているはずだと早合点して医者が二度三度と下剤をかけた(これが「反」の意味)。その後四~五日も経た時分に、詳しく診察してみると、柴胡剤をもっていかねばならない病態が残っている。こんなときにはまず小柴胡湯を与えてみる。しかも詳細来湯でぴったりといかず、嘔吐もやまず、それに心下急、何となく鬱陶しく、いやな気持ちがするのは、まだ病気が治っていないのであるから、柴胡剤でも瀉剤を含むもの、すなわち大柴胡湯をもって下すようにすると癒ゆるものであるというのである。
この条文は大柴胡湯証を端的にあらわしていが、さらに脈状や腹状を示すものに次の条文がある。
「傷寒後脈沈。沈者内実也。下之解。宜大柴胡湯。」(傷寒、後には脈沈たり、沈なるは内実するなり、之を下して解せ。大柴胡湯に宜し。)〔傷寒論、弁可下病篇〕
「按之心下満痛者。此為実也。当下之。宜大柴胡湯。」(之を按じて心下満痛する者は、此を実となすなり。当に之を下すべし。大柴胡湯に宜し。)〔金匱要略、腹満寒疝宿食病篇〕
これでわかるとおり、大柴胡湯証の脈は沈で実している。これは病邪に抵抗する体力のあることを示すと同時に、病態の内実性をも指示するものである。腹候は心下痞鞕と言い、心下満痛というのは、前述の心下急や鬱鬱微煩の状を含めて考えれば、季肋下部などの上腹部が膨満して硬く、押さえてみると痛みがある、このような腹候であり、結胸とよく似たものであるため、他の症状も考慮して決めなければならない。
いずれにしても大柴胡湯は実証で、また、たとえば瀉剤を禁忌とするかのように思える下痢の場合でも、この腹候や脈状があれば、大柴胡湯を用いることができる。すなわち、大柴胡湯は瀉剤であるから便秘のときだけ用いるものと早合点してはならない。このことは『傷寒論』にも、
「傷寒、発熱、汗出不解、心下痞鞕、嘔吐而下利者、大柴胡湯主之。」(傷寒、発熱、汗出でて解せず、心下痞鞕、嘔吐して下利する者、大柴胡湯之を主る。)
と述べているとおりである。
なお、ここに心下痞鞕というのは、季肋下部や心下部の腹壁が堅く緊縮していることなのであるが、これは必ず脈状・舌候・その他からも実証であることを確かめねばならない。また、これと似て非なる心下痞鞕もあり、それは虚証のもので、人参湯や半夏瀉心湯、生姜瀉心湯などの適応する病態であり、大柴胡湯のいく実証の痞鞕とは大いに異なる。
なお、舌は『傷寒論』には記載されていないが、この病期では少陽の白苔はさらにその厚さを増し、その色も黄白色から黄褐色を帯びることが多く、その湿潤度はやや乏しい。
大柴胡湯の臨床応用
以上は、大柴胡湯の適応する病状を述べたのであるが、では、このような病訪fどんな疾病に現われやすいかを次に挙げてみよう。
〔1〕 消化器系疾患
主として肝臓腫大を伴いや功い疾患群で、胆石症、胆嚢炎などの発作時に起こる弛張熱、上腹部の膨満感や圧痛、自発痛、さてはこの部の痞鞕(季肋下部の腹筋の緊縮)などは前述の心下急、鬱鬱微煩の状を表わすことになり、これらがもし実証性のものであれば大柴胡湯が適応する病態である。しかも胆嚢炎や胆石症は実証の人に多く起こりがちのものであるので、胆石症といえばまず第一に大柴胡湯を考えてよいくらいである。
しかしながらこの場合に、大柴胡湯証と共に回盲部の圧痛・抵抗を伴うことがしばしば見出される。
ロンゲー(Longuet)は虫垂炎性消化不良(Appeudix Dyspepsie)という病気を提唱している。これは虫垂炎の症状はなく、ただ胃・十二指腸あるいは胆嚢炎の症状を訴えるのであるが、モイニアン(Moynihan)によれば、このとき幽門部の痙攣や充血、胃の大彎での幽門側のリンパ節の腫脹があらわれることを認め、またぶれすうぇいと(Braithwaite)はこの回盲部からのリンパ液はだいたい乳糜叢(Receptaculum Chyli)に入るものであるが、その一部分は幽門下リンパ節に入るものと十二指腸壁に流入するものもあると言っている。したがって回盲部と胆嚢や胃・十二指腸との間の関係は緊密なものがあり、胆嚢や胆道の炎症時には直ちに回盲部にも影響を及ぼすわけも考えられる。そしてこの回盲部の圧痛や抵抗を目標に用いる薬方に大黄牡丹皮湯があり、胆嚢炎や胆石症には大柴胡湯だけよりも、大黄牡丹湯を合方した方が一層効果的であることが多い。
黄疸の場合には、肝臓がかなり腫大していて、便秘の傾向もあり、心下部に鬱鬱微煩を感じたり、心下急の状態が起こることもあり、こんなときは本方を用いる機会であるが、この場合はさらち茵蔯蒿を加えて用いる。私はワイル氏病に大柴胡湯合桃核承気湯で良い結果を得たことがある。
このような意味で、大柴胡湯は実証性の肝臓性疾患にとってはむしろ特効薬の感さえある。
その他、強壮な体質の人の慢性腎炎などで、胃酸過多の多いものなどに本方および本方に牡蛎を加えて用いる。また本方に海人草を加えて原因不明の胃腸障害や腹痛をたちどころに治すことができたりすることもある。
一般的に言って、本方は便秘傾向のものに用いられるが、大腸炎などのような下部の腸疾患でも、その実証の強いものにのみ用い、一度にその下部腸管内容を一掃し、速かに治癒の転機を作り出させるために、適宜の処置として用いられることもある。それは、この方中の芍薬・大黄・黄芩などの作用に負うところ大なのであろう。
〔2〕 呼吸器疾患
慢性病では、小柴胡湯が体格の華奢な人に用いることが多いのに反し、本方は筋肉質型の人々に投与する傾向がある。肺結核で本方が適応する患者は、その治癒率は甚だよいものが多い。また、気管支喘息の一型に本方が適合するものがある。 〔3〕 循環器疾患 本方の適応の第一は、肥満型または筋肉質型の実証性の人の高血圧や動脈硬化症、あるいは脳溢血や脳軟化症後の半身不随などに用いる機会が多い。しかしこのとき多くは便秘症である。また、本方に黄連を加えると三黄瀉心湯を合方したことになる。したがって本方の証で心気不足や上衝の傾向の強い場合には甚だよい。
また一見健康そうだが働き盛りで責任のある地位にある人で、神経の使い過ぎ、会議、宴会などが続いて、生活が不規則で、胃をいため、胸や肝臓部が苦しかったり、便秘や下痢を繰り返し、血圧は高く、階段を上ると息切れがして、体の調子が悪いので、肝臓の薬やその他の薬を試みるが長続きしない、というような人をたくさん診るが、大柴胡湯を続服すると、体は軽くなり、顔色が冴えてきて、働き盛りを無事に過ごすことができるようになる。このような人の新陳代謝障害によいことが多い。また脚気症候群のあるとき、心肥大とか冠不全などと名付けられるもの、狭心症様の軽い胸痛などを訴えるものなどにも用いられる。 〔4〕 精神・神経系疾患
神経衰弱、癲癇などにも本方証がある。
〔5〕 その他
腎炎のときに見事に奏効することもある。
急性腎炎で尿毒症を起こして、治療の万策も尽きた九歳の子供に、本方合大黄牡丹皮湯を用いて、一服にして尿利が付き、意識も次いで恢復し、一命を取り留めたこともある。
また慢性腎炎と糖尿病・高血圧を伴う六十二歳の肥満型の男性が、意識不明の状態になったのを救ったことがある。
それは歯科医で、一度に八本の歯を抜き、その日から意識を失い、鼾をかいて昏睡状態になり、医師の懸命の治療も効なく三日を経ていたものであった。この病人は左手・右脚が常から不自由であったので、少しも動けなくなった今日、果たして脳出血か、尿毒症か、糖尿病の昏睡か、判然としない。私が中学時代の恩師の関係もあり、紹かれて診療をたのまれた。
病人は意識なく、赭ら顔をしていて高鼾で寝ている。周囲に聞くと痙攣らしいものはないと言う。本人は、ときどきうめき声をあげるところをみると、案外こちらのことがわかっているのかもしれない。しかし大声で呼んでも応答はない。他の医者は「もう時間の問題だ」と言うのであった。
脈は洪大で力があり、腹は上腹部が堅く、やや膨満していて、按圧するとひどく苦しいらしい。発病以来便通がない。以上の所見より、とにかく三黄瀉心湯をつくり,口中に流し込むと、ようやくにして呑み込むことができた。そこで、大柴胡湯加黄連合桃核承気湯を与えたが、その夜半から意識がつきかけ、翌朝には排便し、発語はできないが、簡単な受け答えが可能となり、夕刻より手足が少しく動くようになり、日を追って恢復していった。
また、糖尿病に本方証が現われることがあり、石膏を加えて一時的な効果を得ることもある。大塚敬節先生は、経験から大柴胡湯加地黄として用い、糖尿病が消失した例があると言われたことがあったが、私の経験でも、軽症の際には消失することがある。元来、地黄は血糖を下げる力があることは実験的にも証明されているが、八味丸でも地黄を多くしないと効果が少ない。
また本方を円形脱毛症や禿頭病などに用感て毛が生えたこともあり、インポテンツに用いて喜ばれたりしたこともあった。また糖尿病の女性に用いて、糖尿はあまり良くならないうちに、不感症がよくなって、思いもかけないお礼を言われたこともある。
大柴胡湯を応用する疾患となると、なかなか語りつくせないが、以上、おもに私の臨床経験から効果的であったと思えるもの大要である。
【参考】
・うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html
・慢性肝炎に使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2008/12/blog-post_24.html
また一見健康そうだが働き盛りで責任のある地位にある人で、神経の使い過ぎ、会議、宴会などが続いて、生活が不規則で、胃をいため、胸や肝臓部が苦しかったり、便秘や下痢を繰り返し、血圧は高く、階段を上ると息切れがして、体の調子が悪いので、肝臓の薬やその他の薬を試みるが長続きしない、というような人をたくさん診るが、大柴胡湯を続服すると、体は軽くなり、顔色が冴えてきて、働き盛りを無事に過ごすことができるようになる。このような人の新陳代謝障害によいことが多い。また脚気症候群のあるとき、心肥大とか冠不全などと名付けられるもの、狭心症様の軽い胸痛などを訴えるものなどにも用いられる。 〔4〕 精神・神経系疾患
神経衰弱、癲癇などにも本方証がある。
〔5〕 その他
腎炎のときに見事に奏効することもある。
急性腎炎で尿毒症を起こして、治療の万策も尽きた九歳の子供に、本方合大黄牡丹皮湯を用いて、一服にして尿利が付き、意識も次いで恢復し、一命を取り留めたこともある。
また慢性腎炎と糖尿病・高血圧を伴う六十二歳の肥満型の男性が、意識不明の状態になったのを救ったことがある。
それは歯科医で、一度に八本の歯を抜き、その日から意識を失い、鼾をかいて昏睡状態になり、医師の懸命の治療も効なく三日を経ていたものであった。この病人は左手・右脚が常から不自由であったので、少しも動けなくなった今日、果たして脳出血か、尿毒症か、糖尿病の昏睡か、判然としない。私が中学時代の恩師の関係もあり、紹かれて診療をたのまれた。
病人は意識なく、赭ら顔をしていて高鼾で寝ている。周囲に聞くと痙攣らしいものはないと言う。本人は、ときどきうめき声をあげるところをみると、案外こちらのことがわかっているのかもしれない。しかし大声で呼んでも応答はない。他の医者は「もう時間の問題だ」と言うのであった。
脈は洪大で力があり、腹は上腹部が堅く、やや膨満していて、按圧するとひどく苦しいらしい。発病以来便通がない。以上の所見より、とにかく三黄瀉心湯をつくり,口中に流し込むと、ようやくにして呑み込むことができた。そこで、大柴胡湯加黄連合桃核承気湯を与えたが、その夜半から意識がつきかけ、翌朝には排便し、発語はできないが、簡単な受け答えが可能となり、夕刻より手足が少しく動くようになり、日を追って恢復していった。
また、糖尿病に本方証が現われることがあり、石膏を加えて一時的な効果を得ることもある。大塚敬節先生は、経験から大柴胡湯加地黄として用い、糖尿病が消失した例があると言われたことがあったが、私の経験でも、軽症の際には消失することがある。元来、地黄は血糖を下げる力があることは実験的にも証明されているが、八味丸でも地黄を多くしないと効果が少ない。
また本方を円形脱毛症や禿頭病などに用感て毛が生えたこともあり、インポテンツに用いて喜ばれたりしたこともあった。また糖尿病の女性に用いて、糖尿はあまり良くならないうちに、不感症がよくなって、思いもかけないお礼を言われたこともある。
*
大柴胡湯を応用する疾患となると、なかなか語りつくせないが、以上、おもに私の臨床経験から効果的であったと思えるもの大要である。
【参考】
・うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html
・慢性肝炎に使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2008/12/blog-post_24.html