健康情報: 9月 2009

2009年9月23日水曜日

康治本傷寒論 第十八条 発汗,若下之後,昼日煩躁不得眠,夜而安静,不嘔、不渇、脈沈微,身無大熱者,乾姜附子湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗、若下之後、昼日煩躁、不得眠、夜而安静、不嘔、不渇、脈沈微、身無大熱者、乾姜附子湯、主之。

 [訳] 汗を発し、若しくはこれを下して後、昼日煩躁して眠ることを得ず、夜はすなわち安静し、嘔せず、渇せず、脈は沈微、身に大熱なき者は、乾姜附子湯、これを主る。

 冒頭の発汗者下之後第七条の太陽病発汗、第八条の太陽病下之後に特別な意味がないように、第一八条の場合も同じように考えてよい。ところが宋板では「下之後、復発汗」となっているし、康平本でも「下之後、発汗」となっていて、『解説』二五七頁では「この章は初めに太陽陽明併病の脈証があったので、まず発汗して後に下すべきであるのを、治法の順序を誤まって、下して後に発汗し、表裏倶に虚して少陰病となったものの証治を論じたのである」と甚だ具体的に説明しているが、冒頭の句だけで何もかもわかってしまうという解釈は、それに続く症状の記述を軽く見ることにつながるので、私は採用したくない。むしろ一例を示したという程度に解釈した方が応用が広くなるし、形式的なものと見れば条文の位置を示したという見方も生じてくる。
 という辞によって、今までとすっかりちがった状態になったことを示しているから、条文に表現された諸症状からその病状の本質をさぐりだせばよいのである。昼日(ひるま)煩躁して眠ることを得ず第一一条甘草乾姜湯)の陰病、第一六条(青竜湯)の陽病の場合がありうるが、今は厥(手足の冷え)がないから陰病とも、また無汗でないから陽病ともきめられない。しかし煩躁というように熱症状がはげしいので、とにかく陽病の激症のように思える。
 ところが夜になると安静になってしまう。夜而安静を『解説』と『入門』一○五頁では「夜にして安静」と読み、『講義』七八頁では「夜はすなわち安静」と読んでいる。この而しては接続詞ではなく、その時は、という意味であるからすなわちと読んだ方がよい。
 夜なると安静になることが陰病の証拠であるという理由については色々な説がある。
①『弁正』では金匱要略・婦人雑病篇の、婦人の傷寒で発熱し、経水適ま来り、昼日は明了、暮るれば則ち讝語し、鬼状を見るが如く然り、此れ熱血室に入ると為す、を引いて陽病であれば夜もまた煩躁して安静を保つことができないと言う。しかしこれ以上に突っ込んで検討はしていない。
②成無己は「陽は昼日王(盛ん)す。陽は復せんと欲するも、虚して邪に勝たず、正邪は争を交う。故に昼日煩躁して眠ることを得ず。陽虚してこれと争うこと能わず。是れ夜は則ち安静なり」という。これは陰陽説で説明したものである。
③傷寒発秘には「この証はすでに汗下を経るも余邪いまだ尽きず。ただ其の汗下を以って大いに其の陽を亡す。故に其の余邪は肆然(ほしいまま)に自ら其の権を擅ままにする能わず。必ず昼日の陽旺んの時を待ちて従って発動す。是を以って昼は則ち煩躁し、夜は則ち貼然(おちつくさま)す」といい、これまた陰陽説であるが②とはちがった説明になっている。こうなると山田正珍のようにこの「二説はいまだ然否を審らかにせずと雖も、姑く書して後考を俟つ」と言うほかはないのである。
④『集成』ではこれは「乃ち表裏倶に虚するの候なり。其の然る所以の者の如きは則ち存するも論ぜず。論ぜざるに非ざるなり。知るべからざるなり」という。私はこの説に賛成したい。
 次に嘔せず、渇せず、とあるから、昼間は嘔や渇があったことになる。嘔は少陽の症状であり、渇は裏熱(陽明)によると見れば陽病になり、また第一一条の「咽中乾、吐逆」のように、体液が欠乏した陰病と見ることもできる。陽病の場合は青竜湯を使用すべきであり、陰病の場合は甘草乾姜湯を使用すべきである。それを『講義』のように「嘔せずと言いて少陽柴胡の煩躁を否定し、渇せずと言いて陽明白虎の煩躁を否定す」と自明なものとして断定することは夜而安静の場合と同じような疑問が残る。
 そこで陰陽のいずれであるかを結論づけるためには脈を診なければならない。脈沈微であるから陰病であることが確言できる。たとえ身熱(微熱)があっても陰病と見てよいということを身に大熱なしと言ったのである。身とは胴体のことである。
 身無大熱には色々な説がある。
①『講義』には「身に熱情ありと雖も、熱の大綱備わらざるの謂いなり」とはっきりしない説明をしている。私は英文のHe is not very rich.(仮はそんなに金持ちではない。即ち小金を持っていること)と同じように甚しい熱はない、と解釈している。
②『解説』では「大熱は高熱の意味ではなく、体表の熱の意である」としているが、表熱なしと言った場合には裏熱があることを指しているのだから、この解釈はおかしい。『入門』も『皇漢』も同じ説明をしているから間違いである。
③『弁正』では熱状のないことであるという。そうならば第一八条には表現する必要のない句になってしまう。
④『集成』には「大表は面(顔)を謂う。凡そ人身の表の外に見われるは面より大なるは莫し。是を以ってこれを大表と謂う。扁鵲の所謂る病の応は大表に見わるとは是れなり」とあり、無大熱とは顔面に熱色のないことだと言うが、学に溺れた解釈というべきである。また身無大熱とは「皮膚の表に翕々の熱あることなきを言う」と言うが、どうしてこの二句を全く別の解釈をする必要があるのか不思議である。
 宋板と康平本では「夜而安静、不嘔不渇、無表証、脈沈微、身無大熱者」となっていて、しかも身無大熱を表熱のないことと訳して、無表証としてと重複した意味にとって、誰も疑問に思わないのは不思議である。この部分は康治本の方が正しい文章であることを示している。
 結局はこ英状態は厥陰病であるから乾姜附子湯を用いることになる。また冒頭の「下之後復発汗」を意味のある句と解釈した場合は『講義』に「今汗下に因って津液を失い、内外倶に虚す。故に煩躁を現わし来る」とあるように、夜而安静以下の句はなくてもよいことになってしまう。したがって最初に述べたように冒頭の句は形式的なものとしなければならない。

乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片。  右二味、以水三升煮、取一升二合、分温服、再服。

 [訳] 乾姜一両半、附子一枚、生、用うるには皮を去り、八片に破る。右二味、水三升を以って煮て、一升二合を取り、分けて温服し、再服す。

 昼間の煩躁に対しては第一一条甘草乾姜湯を与えているのに、夜の安静な時に乾姜附子湯を用いるのは、乾姜が前者は三両(宋板では二両)であるのに後者は一両半(宋板は一両)で、量が少なく、また急迫時に用いる甘草がここでは必要がなく、陰証を確実に処理するために附子を必要としたと見るべきである。
 『入門』では柯韻伯の文を引用して「生附を用いて甘草を去るときは則ち勢力は更に猛しく、四逆に比ぶれば峻とす」というのは正しくない。『集成』で四逆湯に近似しているが下痢、厥冷、脈欲絶等の証がないから甘草を用いないと感うのも正しくないと思う。四逆湯を用いてもよいのではないだろうか。
 宋板も康平本も、「取一升、去滓、頓服」となっている。康治本にも去滓の二字を入れるべきである。


『傷寒論再発掘』
18 発汗若下之後、昼日煩躁、不得眠、夜而安静、不嘔、不渇、脈沈微、身無大熱者、乾姜附子湯主之。

  (はっかんもしくはこれをくだしてのち、ちゅうじつはんそうして、ねむるをえず、よるはすなわちあんせいし、おうせず、かっせず、みゃくちんび、みにたいねつなきまのは、かんきょうぶしとうこれをつかさどる。)

  (発汗したり或は瀉下したりしたあと、昼日には煩躁して眠れない状態であるが、夜には安静な状態となり、嘔吐もせず、渇もなく、身にそれほどの熱もないようなものは、乾姜附子湯がこれを改善するのに最適である。)

 これは、発汗や瀉下をおこなって、体内水分が減少した場合のうちで、昼間はかなり具合が悪いのに夜になると落ちつくある種の病態の改善策についての条文です。
 植物などでは非常に明瞭に観察されることですが、水分が欠乏するとすぐ萎れて元気がなくなりますが、また、水をやるとすぐ立ち直って元気になってきます。人間でも基本的には同様で、体内水分が欠乏しますと、たちまち元気がなくなるものです。発汗や瀉下の結果、体内水分が欠乏したある段階では、夜間よりも昼間の方のが、水分の必要度が高いため(生体リズムの関係かもしれません。)に、欠乏の度合が増強されて、苦しみも強く表現されるのかもしれません。とにかく、かなりの水分欠乏状態を思わせるこの病態に対して、古代人は、体内水分の欠乏を改善する作用の強い、乾姜(第16章7項参照)と附子(第16章17項参照)を一緒に使用する方法を見出したようです。したがって、その当時の純粋な経験からの要約を、このような条文として書き残しておいたのでしょう。「原始傷寒論」を著作した人も、したがって、この条文はそのまま残したのであろうと推定されるわけです。


18' 乾姜一両半、附子一枚生用、去皮破八片。右二味 以水三升煮、取一升二合、分温服 再服。
   (かんきょういちりょうはん、ぶしいちまいしょうよう、かわをさりはっぺんにやぶる。みぎにみ みずさんじょうをもってにて、いっしょうにごうをとり、わかちておんぷくし、さいふくする。)

 この「原始傷寒論」では、附子を生で用いる時は必ず乾姜を用いて、生姜は用いていません。その理由は不明です。普通、生の生姜をそのまま乾燥して乾姜をつくりますと、その重量は4分の1以下になるようですので、もし、同じ重量の生姜と乾姜を使用すると、乾姜の方が大量の生姜を使用することになる筈です。どうも古代人は、発汗や瀉下後に体内水分が激減して様々な異和状態を生じた時には、それを改善するのに乾姜を使うと良いことを、色々な試行錯誤を通じて知っていったようです。そしてやがてその上に、それぞれの病態に応じて、甘草を入れたり、附子を入れたり、その両者を入れたりしていく知識を獲得していったのでしょう。そういうまだまだ原始的な経験がこういう条文に生きているわけです。従って今の時点から見れば、この条文の病態の場合、これに甘草を追加した四逆湯でも決して悪くはないと思われます。原始的な体験がそのまま生きているという点で、こういう条文の存在は貴重です。


『康治本傷寒論解説』
第18条
【原文】  「発汗,若下之後,昼日煩躁不得眠,夜而安静,不嘔、不渇、脈沈微,身無大熱者,乾姜附子湯主之.」
【和訓】  発汗,若しくは之を下して後,昼日煩躁して眠ることを得ず,夜にして安静,嘔せず渇せず,脉沈微,身に大熱なき者は,乾姜附子湯之を主る.
【訳文】  太陽病を発汗し,若しくは陽明病を下して後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈微細 ②寒熱証 手足厥冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) となって,昼には煩躁し,夜は安静で嘔なく渇のない場合には,乾姜附子湯でこれを治す.
【解 説】  煩躁には,寒証の場合にも熱証の場合にも存在することは前述のとおりです.そこでこの条では,寒証の煩躁であることを示さんがために熱証の各症候がないことを述べ,また夜は安静であることと,もう一つは「身無大熱」と記載して,乾姜附子湯の位置を明らかにしています.
【処方】  乾姜一両半,附子一枚生用去皮破八片,右二味以水三升,煮取一升二合,分温服再服.
【和訓】  乾姜一両半、附子一枚生を用い皮を去り八片に破る,右二味水三升をもって煮て一升二合を取り,分かちて温服することを再服す.



証構成
  範疇 肌寒緩(少陰中風)
 ①寒熱脉証   沈微細
 ②寒熱証    手足厥冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
  イ煩躁(乾姜)



康治本傷寒論の条文(全文)

2009年9月22日火曜日

康治本傷寒論 第十七条 傷寒脈浮緩,身不疼,但重,乍有軽時,無少陰証者,青竜湯発之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、脈浮緩、身不疼、但重、乍有軽時、無少陰証者、青竜湯、発之。

 [訳] 傷寒、脈は浮緩、身うずかず、ただ重く、たちまち軽き時ありて、少陰の証なき者は、青竜湯、これを発す。

 第一六条までで太陽病の基本を説明したことにるので、この第一七条から第二五条までは太陽病からはじまる変証を論ずることになるのは、それらの条文の冒頭の句を見ればわかる。しかし第一七条の冒頭の句は問題をはらんでいる。それは第一六条と比較したときk
      16、太陽中風、脈浮緊、……
      17、傷寒、脈浮緩、……
となっているからである。このためにこの両条は互文の関係にあるというのが定説になっている。
 『解説』二○八頁では「前章は太陽の中風にして、その脈証が傷寒に似たものを挙げ、この章は傷寒にして、その脈証が中風に似たものを挙げている。この両者はその現わす症状は異なるけれども、同じく大青竜湯の主治である」と論じている。この見方はすでに成無己が表明していて、『集成』、『弁正』も同じであり、傷寒を狭義に解釈している。
 しかし私は第一七条が太陽傷寒……青竜湯主之、となっておれば第一六条と互文になっていると認めてもよいが、広義の傷寒という意味の冒頭になっていて、両条が対等に扱われていないから、これは青竜湯を用いる変証という見方をしたい。丁度第一一条の傷寒、脈浮、自汗出、小便数……というのと同じ使い方である。色々と考えをめぐらさなければならない練習問題であるが、あまりむつかしいので、ヒントを与えるために最後に発之という句をつけて、金匱要略の「溢飲を病む者は、当に其の汗を発すべし。大青竜湯これを主る、小青竜湯亦これを主る」という条文の発と同じく、水毒を発汗することによって除去することを暗示させたのである。『入門』八四頁に浅田宗伯の説を引いて、「発は猶お与のごとし」、としたのでは折角のヒントを見逃すことになる。
 『講義』五八頁に「此の章は第二九章(第一一条)の傷寒、脈浮、自汗出云々を承け、かつ前章の太陽中風に対し、傷寒の一例を挙げ、これも亦大青竜湯証なるを論じ、以って其の活用を示すなり」という見方は一見良いように思えるが傷寒を狭義に解釈しているのは正しくない。
 『所論に答う』の解釈は比較的良いが間違いもある。「この条は私の見解によれば、脈浮緩なる太陽中風証に身重なる陽明証、或いは少陰証疑途の病証が現われて、大青竜湯を使用しなければならぬ場合と、何故に其の身重が現われたるやの理由を推測できるように併わせ説いた条文であると考えるのである」という部分には問題点が二つある。太陽中風は脈浮緩というのは第二条を頭に置いていることであり、中風系列という見方をしていないためである。また身重という症状は陽明病と少陰病に現われるだけでなく、水毒が多いときにもあらわれる点が欠けている。しかもこの場合は水毒が問題なのであるから分析が不充分といわねばならない。
 金匱要略の痰飲咳嗽病篇には「飲水流行して四肢に帰するは当に汗出ずるべくして汗に出でず、身体疼重するは、これを溢飲と謂う」とはっきり書いてある。
 『所論に答う』では引続き、「陽明病の身重は腹満身重であるが、少陰病の身重は沈重疼痛である。今この身重は但だ重くにして腹満がないから、病邪が太陽の表外に専らにして太陽外位火大の症状頗る激しく、其の結果として内位地大が擾動されて起った身重であることがわかる」と論じているが、太陽外位火大の症状が激しいことを示す句は第一七条には書かれていない。但だ重くというのはその症状だけがはっきりしているという意味だから、これ以外に激しい症状は存在しないはずである。したがって身重の現われた理由は別にあるということになる。
 少陰病にまぎらわしいことについては「また此の身重は沈重疼痛にあらずして、乍ち病い時があって、疼痛のない身重である。けれども疼痛の有無は太陽と少陰とを区別する決定的条件ではなく、ただ脈浮緩と乍ち軽い時がある場合が僅かに其の鑑別点となる訳である」と説明している。このように症状によって鑑別することが困難であれば、最後に少陰の証なき者は、と念を押すように言うことは意味がなくなってしまう。
 それで私は次のように考えるのである。身重が陽明病のものでないならば、溢飲によるものかもしれない。水毒が関与するならば少陰病の可能性もでてくる。少陰病であるならば発熱せずに悪寒し、また自汗出ずる筈である。これが確認できないことを少陰の証なき者と表現したのである。それで水毒によることがはっきりしたので青竜湯を用いて発汗させると解釈すればよいのである。
 『解説』では「この章は傷寒と冒頭しているから発熱、悪寒あるいは悪風、汗なし、の症状をその中に含むものとして解釈すべきである」というのだから、傷寒を狭義にとって、しかも但だ重くという句があるのに、はっきりした発熱、悪寒、無汗があるのだという勝手な解釈をしている。そうすると少陰の証は「脈沈微もしくは微細」であること以外にはなくなり、ここでは脈が浮緩なのであるから少陰病でないことを確認する必要もなくなってしまい、原文から無少陰証者の五字を消しているのである。消した理由を「康平本はこれを傍註としているから原文から削る」としているが、解釈自体がこの句を必要のないものとしているのである。
 『講義』では「傷寒は悪性にして陰陽何れへも転変し易き病なり。此の証、脈浮緊なるべくして今浮緩を現わす。脈浮緩を現わせば当に発熱し汗出ずべし。而して汗出でず。汗出でざれば当に身疼痛すべし。然るに身疼痛せず。故に身不疼と言う。此の三字は蓋し以上の意を言外に含めるなり」と書いていて、この条文では汗がないのだとしているが、この説明を良く読むと、身不疼なのだから汗は出ているのだというように読める。傷寒という句を狭義に理解するとこのように珍妙な説明になってしまう。
 少陰の証なきもの、という句は、少陰病に似ているから注意を喚起するという解釈しかされていないが、少陰病に移行する可能性が大いにあることも示していると読むべきである。
 (たちまち)はひょいと、ちらっと、という意味である。


『傷寒論再発掘』
17 傷寒、脈浮緩、身不疼、但重、乍有軽時、無少陰証者、青竜湯発之。
   (しょうかん、みゃくふかん、みうずかず、ただおもく、たちまちかるきときあり、しょういんのしょうなきもの、せいりゅうとうこれをはっす)

   (病気になって、脈が浮緩で、身はうずかず、ただ重く感じ、時々、軽く感じたりするもののうち、少陰の証のないものは、青竜湯で汗を発するのが良い。)

 これは青竜湯の使い方の一応用例についての条文です。前条16条では「汗が出ないで煩躁する」ような、青竜湯の典型的な使い方に関するものでしたが、本条第17条では、これとは全く正反対に見える、一見、静的な症状の病態に対する応用例について述べたものです。
 ただ身が重く感じるだけであるような病態では、少陰病の病態とまぎらわしい時もあるわけですし、少陰病のような体力の減退した状態の時に、青竜湯などの強力な発汗作用をもつ湯を使ったら、患者は一層、弱ってしまいますので、敢て、このように注意をしているのであると思われます。
 たとえ身体が痛んだりうずいたりしなくとも、重く感じるのは、何か異常があるからなのでしょう。こういう場合でも、大いに発汗することが、この異常な状態を改善することにつながるようです。細胞病理学の立場での異和状態の改善の説明は中々容易なことではないでしょうが、個体病理学の立場での説明なら、それほど難しくはないでしょう。すなわち、体内に水分が異常にたまって、そのため身体が重く感じられるようになっていると考えられますので、その余分な水分を発汗によって排除していくのが、青竜湯の作用機序である、と説明できることになるからです。このような説明でも、単なる「空理空論」よりは、遥かに勝っていると思われます。


『康治本傷寒論解説』
第17条
【原文】  「傷寒,脉浮緩,身不疼,但重乍有軽時,無少陰証者,青竜湯発之.」
【和訓】  傷寒,脉浮緩,身疼(イタ)まず,ただ重く乍(タチマ)ち軽き時ある者は,青竜湯之を発す. (之を主るに同じ〔章平〕)
【訳文】  発病して,脉証は少陽病の弦に浮性を帯びたような脉で,身体は痛まずにたた重身症だけがあり,またたちまち身軽症となったりするが、これらの場合で少陰病証のない場合には,大青竜湯でこれを治す。
【解 説】  前条では,大青竜湯の正証にういて述べていましたが,この条ではそれぞれ症候を挙げて大青竜湯証の使い方を説いています。

証構成
  範疇 肌熱緊病~胸熱緊病
     (太陽傷寒~少陽傷寒)
①寒熱脉証   浮~弦
②寒熱証    発熱悪寒~往来寒熱
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    無汗~小便不利
⑤特異症候
  イ身疼痛~身不疼
  ロ身軽~身重 



康治本傷寒論の条文(全文)

2009年9月18日金曜日

康治本傷寒論 第十六条 太陽中風,脈浮緊,発熱,悪寒,身疼痛,不汗出而煩躁者,青竜湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、不汗出、而煩躁者、青竜湯、主之。

 [訳] 太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒し、身疼痛し、汗に出でずして煩躁する者は、青竜湯これを主る。

 康治本の青竜湯は宋板、康本平の大青竜湯のことである。
 冒頭の太陽中風という句は、第四条と同じであるが、内容的には何の関係もない。この第一六条は第五条にはじまる太陽病の進展を論じた最後の条文であるから、私がさきに傷寒論では字句の正しい解釈を後の条文で示すことが多いと述べたように、第一五条(麻黄湯)の冒頭の太陽病という句を太陽中風と読むべきであることを第一六条の冒頭で示したと私は解釈している。したがって第一五条と関係のある第五条(桂枝湯)の太陽病もまた太陽中風と読まなければならないのである。このときの中風は式風系列という意味である。
 第四条の太陽中風とこの条が関係をもたないことを、開の脈浮緊という句が示している。脈浮緊といえば、第三条をすぐに思い出す。即ち、太陽病(脈浮)……脈陰陽倶緊……名曰傷寒、というのだから、第一六条の太陽正面と正面から衝突してしまい、この中風は別の意味をもっているに相違ないという問題意識を生ぜしめる。そして中風系列という解釈が理解できるようになると、青竜湯にはひどい頭痛を伴うにも拘らず、第五条と第一五条の頭痛発熱という句を用いる必要のないこともわかってしまう。この条文は麻黄湯の激症にあたるからである。そのことを次の発熱悪寒という句で示している。麻黄湯証は悪寒と表現してもよいのに、第一五条ではわざわざ悪風ち表現しているからである。
 身疼痛は第一五条の身疼腰痛と同じ意味であり、不汗出は第一○条で述べたように発汗剤を服用しても汗が出ないという意味であり、ここでは第一五条をうけて麻黄湯を服用しても発汗しないことである。
 最後の而煩躁もまた第一五条の而喘と同じように、病状がさらに進行すると煩躁すると解釈した方がよい。
 『講義』五六頁では「汗出でざるに因って煩躁を現わす。而しての字、注目を要す」と述べていて、而を因果関係を示す接続詞と見ていて、この説に賛成する人が多いが、私はこれを激症と解釈したい。なぜならば、不汗出が原因になって煩躁という症状があらわれるのではなく、病邪が激しいために陽明の裏位に影響を及ぼすという併病になって、その裏熱によって煩躁という症状が生じたと見るべきであるからである。
 丁度第一三条の太陽与陽明合病で陽明の内位に影響を及ぼしたことに対比する形になっていることに注意すべきである。しかし第一六条を合病と言わないのは、第一五条の麻黄湯がすでに少陽の病位に病邪が入っていて、少陽の部位をとびこえたことにはならないからである。したがって合病の時はその本をたたくだけで良かったのひ対し、ここでは裏熱を除くための石膏を加味しているのである。この点は第一四条で半夏を加味して葛根加半夏湯としているのに似ている。
 ところが第一六条は脈浮緊……悪寒……不汗出(無汗)という表現から、太陽中風は太陽傷寒の問違いであるというのが定説になっている。『集成』に「中風はまさに傷寒に作るべし。此れ太陽表実にして陽明内熱を兼挟するの候、麻黄湯の能く発する所に非ず」とあるように。原文を勝手に書き直すよりも、時間をかけて徹底的に考えるという方が本当は良いのである。
 傷寒論識(浅田宗伯、一八八○年)では「是れ正に傷寒の候にして、而も太陽中風と曰うは、変じて傷寒となる所以のものを示すなり」と論じているが、工夫が足りないと言うべきである。『講義』五六頁でもこれと同じ論理を展開している。「此の章は第一二章(康治本の第四条)の太陽中風、陽浮而陰弱云々を承けて、其の漸く悪化せる者を挙げ、而して第二七章の桂枝二越婢一湯証(康治本にはこの条文はない)、第三五章(第一五条)の麻黄湯に対して大青竜湯の正証を論じたるなり。此の病は麻黄湯の一等甚だしき者と考うるを得べきなり」として、第四条と比較するという誤りをおかしている。このような考え方では第一五条(麻黄湯)で何故太陽中風としなかったかを説明できないであろう。
 このように青竜湯を太陽傷寒の処方と見るのは、日本だけでなく中国もまた同じであるが、荒木正胤氏だけが、太陽中風の処方であるとした。『所論に答う』に「本条は太陽中風桂枝湯の正証条を承け……太陽中風と雖も、湯の正証条から云えば、其の自然変証なることは云う迄もない」とし、本条の中風の文字は断じて傷寒の錯誤ではない」と論じているが、中風を軽症とし、傷寒を重症としている限りは、「症状に重きを加えた自然変証」は浅田宗伯と同じく「変じて傷寒となる」という立場にほかならない。
 私のように中風系列、傷寒系列として康治本を読む立場をとれば、太陽病での基本条文は、第一条、第五条、第六条、第一二条、第一三条、第一五条、第一六条であることはそれぞれの文体を見ればわかる。それを病気の進行という形で整理すると次のようになる。(表、数字は条文の番号)

       傷寒⑥→     ⑫→   ⑬
       桂枝加葛根湯 葛根湯  葛根湯(合病)
発病①
       中風⑤→     ⑮→   ⑯
       桂枝湯      麻黄湯 青竜湯

 温病条弁(呉鞠通、一八一三年)体では太陽温病(原本では経絡説を加味して太陰温病としている)の基本的治療剤を次のように整理している。
       辛涼軽剤・桑菊飲
       辛涼平剤・銀翹散
       辛涼重剤・白虎湯
 この整理の仕方を太陽中風にあてはめると次のようになる。
       辛温軽剤・桂枝湯
       辛温平剤・麻黄湯
       辛温重剤・青竜湯
 太陽傷寒は開のようになる。
       辛温軽剤・桂枝加葛根湯
       辛温平剤・葛根湯
       辛温重剤・葛根湯(合病)       


麻黄六両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁四十箇去皮尖、生姜三両切、大棗十二枚擘、石膏如鶏子大砕。  右七味、以水九升先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬煮、取三升、去滓、温服一升。
 [訳] 麻黄まおう六両節を去る、桂枝けいし二両皮を去る、甘草かんぞう二両炙る、杏仁きょうにん四十箇皮と尖を去る、生姜しょうきょう二両切る、大棗たいそう十二枚擘く、石膏せっこう鶏子大の如きを砕く。  右七味、水九升を以って先ず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬をれて煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 青竜湯麻黄湯の麻黄三両を六両に増し、杏仁七十箇を四十箇に減じ、それに生姜、大棗、石膏を加味したものである。麻黄を多量に用いているのは麻黄湯よりも発汗解熱作用を強力にするためである。また裏熱が盛んになってい識のでその解熱(これを中国では清熱という)のために石膏を加えたのである。鶏子大の石膏を用いると胃をそこなうので生姜と大棗を加えたと見るべきであろう。その生姜はまた桂枝と共力して麻黄の発汗作用を強くするはずである。大棗は利尿作用を強めるであろう。
 鶏子大とはニワトリの卵の大きさのことであり、その大きさの石膏の重さを実測すると六○-八○グラムである(桑木崇秀、日本東洋医学会誌一八巻四号、一九六八年)。わが国で現在大青竜湯の石膏は一○-一五グラムを用いている。この場合は度量衡の換算ではないので、この表現の特異性を誰も説明できなかった。私は同じく石膏を含む麻杏甘石湯白虎湯と比較して次のように説明した。(表)

竜野氏は一斤=一六両、一両=一グラムの関係から計算しているが、鶏子大は何を基準に算出したかまだ私にはわからない。荒木氏は「傷寒論の量目は両手ではかって、その比率を示したものではなかろうか。例えば桂枝湯は大棗十二枚に対して、桂枝、芍薬、生姜各三両、甘草二両の割合で調剤し、病人自身の一握りを一日量とし…」(漢方の臨床、一八巻四・五合併号、四三項、一九七一年)という独特の想像説だから検討する必要もないが、一率に一五グラムというのはこれだけは思いないと効かないという経験からくるのであろう。大塚氏は『解説』で根拠を示している。一斤=約二○・八グラム。石膏の鶏子大を多紀元堅は三銭だとしているので約九グラムにあたる、としている。従って鶏子大は半斤にほぼ等しくなり、一○グラムとなるが、何故これをある時は半斤と表現し、ある時は鶏子大と表現したかを説明することはできない。
 いずれにしても合意された見解はない。私のは一両=約6グラムという別の考察から計算したものであり、鶏子大の実測値が半斤と一斤の丁度中間になるので、それを斤で表現できないための便法という結論になり、一応理屈の通ったものになる。中国での常用量は五銭(一五・六グラム)-二両(六二・五グラム)であるから、私の換算は日本流に考えると並みはずれであるが、それ程おかしなものではない。

『傷寒論再発掘』
16 太陽中風、脈浮緊 発熱悪寒 身疼痛 不汗出而 煩躁者 青竜湯主之。
   (たいようちゅうふう、みゃくふきん、ほつねつおかん、しんとうつう、あせにいでずして、はんそうするもの、せいりゅうとうこれをつかさどる。)
   (太陽病の軽症のものでも、やがて脈は浮緊となり、発熱し悪寒し、身体が疼痛し、発汗させようとしても汗は出ず、そのため、もだえ苦しむようになるものがあるが、このようなものは、青竜湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、太陽病の中風(軽症のもの)の場合、一般的には、発熱して、汗が出て、悪風して、脈は緩であるわけですが、こういうものでも、時には病が進んでいって、脈が浮緊となり、発熱し悪寒し、身疼痛などが出てくるものがあるわけで、これを麻黄湯などで発汗して、治ってしまうものは、それでよいのですが、汗は出ず、そのために更に、もだえ苦しむような状態になるものもあるはずで、そういう時には、青竜湯が最適なのであるという意味の条文であり、これは青竜湯の使い方に関する最も基本的な条文です。
 青竜湯の中の麻黄の量は麻黄湯の中にある量(三両)の倍の六両です。発汗作用がそれだけ強くなっているわけです。古代人は、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛を呈する病人に、まず麻黄湯を与えて発汗させようとしたのでしょうが、かえって汗が出ないで苦しんでいる病態に対して、さらに麻黄を倍量に追加して発汗作用を強める工夫をしたことで強くなり、より一層、もだえ苦しむような状態になって人もいたでしょう。そんな時、石膏を加えて、口渇や熱による煩躁を改善しようという試みがなされることもあった筈です。この場合、胃腸管の保護作用や口あたりを良くして胃へのおさまりを良くすることを期待して、(生姜大棗)を加えたとすれば、これは青竜湯と言われているものになるわけです。もし、この生薬複合物で良い結果が得られたとすれば、当然、その経験は固定化されたことでしょう。かくして、麻糖桂枝甘草杏仁生姜大棗石膏というような生薬配列の湯が認知され、この第16条のもとになったような伝来の条文も書き残されることになったのでしょう。そして、「原始傷寒論」が著作された時、「太陽中風」という言葉が追加され、湯名は青竜湯と省略されたのであると思います。

16' 麻黄六両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁四十箇去皮尖、生姜三両切、大棗十二枚擘、石膏如鶏子大砕。  
   右七味、以水九升先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬煮、取三升 去滓 温服一升。
   (まおうろくりょうふしをさる、けいしにりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、きょうにんよんじゅっこひせんをさる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、せっこうけいしだいのごときをくだく。みぎななみ、みずきゅうしょうをもってまずまおうをにて、にしょうをげんじ、じょうまつをさり、しょやくをいれてにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 この生薬配列を見ますと、麻黄湯+(生姜・大棗)+石膏となっていることが明らかです。この生薬配列の意味することと第16条の条文の内容とから、この青竜湯の形成過程を推定し、前述したわけです。
 麻糖桂枝甘草杏仁生姜大棗石膏湯というものから、最初の生薬の名を取って命名するとすれば麻黄湯となってしまうので、麻黄の色が青であるのと関連して、四神の一種である青竜神(東方を守る神)の名を取って、青竜湯と名づけたわけです。したかって、これもやはり、生薬配列に基づいた命名の一種であると言えるでしょう。
 杏仁40個は麻黄湯の時(70個)の約半分であり、2.0gに換算されています。石膏の鶏子大は何gにあたるのか、色々と意見があるようですがで決定されていません。経験的に半斤(8g)と一斤(16g)の中間の12gで筆者は使用していますが、特に問題はなさそうです。


『康治本傷寒論解説』
第16条
【原文】  「太陽中風,脉浮緊,発熱,悪寒,身疼痛,不汗出,而煩躁者,青竜湯主之.」
【和訓】  太陽中風,脉浮緊,発熱悪寒し,身疼痛し,汗出でずして煩躁する者は,青竜湯之を主る.
【訳文】  ①寒熱脉証は浮,②寒熱証は発熱悪寒,③緩緊脉証は緊,④緩緊証は無汗(即ち太陽傷寒)で,身疼痛という特異症候があり,更に煩躁が加わった場合には,大青竜湯※1でこれを治す.
※1:宋板等では,大青竜湯となっている.
【句解】
 煩躁(ハンソウ):心煩足躁のこと
 煩(ハン):胴体に現れた場合をいい,「しんどい」などと表現される.
 躁(ソウ):四肢に現れた場合をいい,「だるい」などと表現される.

【解説】  この条は,発汗剤の中で最も重症に用いる大青竜湯について論じています.冒頭に太陽中風とあるのは,次条に出てくる傷寒と互称であります. 「脉浮緊,発熱悪寒,身疼痛」までは,麻黄湯証であり,それに手足を切って捨ててしまいたい位にだるいという症状(煩躁)が加わった場合が大青竜湯証ということです。

【処方】  麻黄六両去節,桂枝二両去皮,甘草二両炙,杏仁四十箇去皮尖,生姜三両切,大棗十二枚擘,石膏如鶏子大砕,右七味以水九升,先煮麻黄減二升,去上沫内諸薬煮取三升,去滓温服一升.

【和訓】  麻黄六両節を去り,桂枝二両皮を去り,甘草二両を炙り,杏仁四十箇皮尖を去り,生姜三両を切り,大棗十二枚擘く,石膏は鶏子大の如きを砕く,石七味水九升をもって,先ず麻黄を煮て二升を減じ,上沫を去って諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って一升を温服する.

証構成
  範疇 肌熱緊病  (太陽傷寒)
①寒熱脉証   浮
②寒熱証    発熱悪寒
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    無汗
⑤特異症候
  イ身疼痛 (杏仁)
  ロ煩躁(石膏) 

2009年9月13日日曜日

康治本傷寒論 第十五条 太陽病,頭痛,発熱,身疼,腰痛,骨節疼痛,悪風,無汗而喘者,麻黄湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、頭痛発熱、身疼腰痛、骨節疼痛、悪風無汗、而喘者、麻黄湯、主之。

 [訳] 太陽病、頭痛発熱し、身疼腰痛し、骨節疼痛し、悪風無汗にして喘する者は、麻黄湯これを主る。

 はじめの太陽病、頭痛発熱までが第五条(桂枝湯)と同じであるから、この条文は第五条と互文をなしていて、太陽中風の系列に属するものであることがわかる。
 脈については何等言及されていないが、臨床経験では浮緊であり、また無汗であるからこれは太陽傷寒を論じたものであるというのが一般の定説である。中国では、この条文には悪風とあり、悪寒と書いていないから太陽傷寒の浅証であるというが、わが国では葛根湯の条文の後にあるから葛根湯証よりも激症であるとみなされている。『講義』五三頁に「悪風、悪寒互に称す、必ずしも浅深の謂い非ず」とあるように、悪風とあるが悪寒であることが多いから激症なのだという考え方が一般的である。
 それを太陽傷寒でなく太陽中風の条文であると論じたのは「五大説」がはじめてであり、私もそれが正しいと考えているが、中風の解釈については賛成できない。『所論に答う』では麻黄湯証は太陽中風の激症であると説明してある。そしてこの中風の意味は定説と同じく、良性、軽症の熱性病であるとしている。そうすると麻黄湯証は軽症の激症、良性の激症ということになり、このような概念は成り立たないことは明瞭である。したがって第二条の中風とは意味がちがうところの中風系列という意味にとらないとすじが通らなくなる。しかも悪風とあるのは第一六条(青竜湯、宋板の大青竜湯)の悪寒にくらべてこれが軽症であることを示しているのであって、悪風、悪寒のどちらに解釈してもようというようないいかげんなものではない。
 『講義』五二頁に「頭痛を初めに挙ぐるは、葛根湯の項背強ばるに対して、これを主徴とすればなり」と説明してあるのは、この頭痛は頭項強痛の意味であることを理解できないことを示している。それは互文というものの性格に対する無理解からきている。『入門』七八頁でも「太陽病には頭痛の著明なる場合と、項強の著明なる場合とあり、中風に於て頭痛の著しいものは麻黄湯の、項強の著しいものは葛根湯の指示となる」と論じていて同じ誤りを繰返している。葛根湯は項強ではなく背強が特徴となることがどうしてわからないのであろうか。このことは条文を使い分けを指示したものとだけみていて、病気の進行を論じたものとは見ようとしないこれまでの通弊をよく示している。
 傷寒條辨(方有執)では「身疼腰痛、骨節疼痛は上条(第三条)の体痛にして、詳しくこれを言えるなり」と説明しているのはうまい解釈である。疼はうずくこと、痛はいたみが走ることである。身は胴体のこと、骨節は関節のことで、要するに熱邪と水毒によってこれらの症状が起るのである。
 最後の而喘にはいろいろな解釈がある。木村博昭氏は『傷寒論』(春陽堂刊)で無汗而喘と続けて読み、「汗無きが故に邪熱内に払鬱して喘を発するの謂にして、無汗は即ち主証、喘は即ち客証なり」とし、『入門』七八頁では「頭痛、発熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、悪風、無汗(原文には無汗はないが書き忘れたのであろう)は何れも主証で、喘は副証である」としていて、いずれも而を順接に解釈しているが、私は病状がひどくなると喘(あえぐこと、短い息づかい)するようになると解釈したい。即ちそれは太陽と少陽の併病になるのである。『講義』に「喘するは、此れ亦表邪に因って水気胸中に迫るの致す所にして、即ち其の鬱滞の徴と為す」とあるのがその病理である。


麻黄三両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁七十箇去皮尖。  右四味、以水九升、先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬、煮取二升半、去滓、温服八合。

 [訳]麻黄まおう 三両節を去る、桂枝けいし 二両皮を去る、甘草かんぞう 二両炙る、杏仁きょうにん 七十箇皮尖を去る。  右四味、水九升を以って、先ず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て二升半を取り、滓を去り、八合を温服する。

 杏仁七十箇とはアンズの仁を七十個ということで、箇は固いという字を含むから、小さくて固い物を数えるときの助数詞である。修治の皮尖を去るとは、アンズの種子は一端が丸く、他の一端は徐々にとがっている、そのとがった部分の先端を折り取り、淡褐色の種皮も除くという意味である。傷寒論に書いてあることは正しいことばかりだと思っている人は、尖部を除くのは正当な理由があると考えて、その部分の成分が邪魔になるのであろうと言っているが、私はそうではなく、上古の呪術の残存にすぎないと見ている。喘すなわち気管の異常に際して尖った物は良くないということなのであろう。現在中国ではアンズの種子を温湯に一○-三○分間浸したり、沸騰した湯の中に数秒間浸したりした後に種皮を除き、わずかに炒って用いる。尖部は除いていない。わが国では仁でなく種子をそのままきざんで用いている。
 麻黄湯を構成している四種の薬物のうち、麻黄が最も重要であり、発汗、解熱、鎮咳、鎮痛、利尿の作用があるから、中国の古い医書に麻黄単味を流行性熱性病の初期に用い、服用して汗が出たならば治ると書いてあるほどである。したがって他の三味はその作用を増強する役割りをもったものと理解することができる(表)
      麻黄   桂皮   甘草   杏仁
 発汗  ○     ○          ○
 解熱

 鎮痛  ○     ○    ○    

 鎮咳  ○           ○    ○

 利尿  ○     ○          ○


鎮咳去痰作用を例にとると、その作用物質は麻黄ではエフェドリン、メチルエフェドリンというアルカロイド、甘草ではグリチルリチンというサポニン配糖体、杏仁ではアミグダリン配糖体が分解して生ずる青酸とベンツアルデヒド、というようにこられは化学構造が全く異なる物質であるから、作用機序も恐らくちがうと思われる。このような物質が配合されると相乗効果を生じて強力な鎮咳去痰作用をあらわすのである。これが薬理学で言う共力作用(シネルギズム)であり、この組合わせが漢方の鎮咳処方にしばしば見られることは、経験的にこの事実を昔から知っていたからなのであろう。
 他の作用についても同じことが言えるのである。また桂枝湯葛根湯のように生姜と大棗を加えない理由は、恐らく胃腸障害を起さないからであろう。したがってそれを加えたら作用が異なってしまうということにはならない。康治本には収載されていない桂枝二麻黄一湯、桂枝麻黄各半湯が宋板にあることから麻黄に生姜と大棗を加えてもさしつかえないことがわかる。麻黄湯とこの両処方との証のちがいは薬用量の相違と見るべきである。


『傷寒論再発掘』
15 太陽病、頭痛発熱、身疼腰痛、骨節疼痛、悪風無汗而、喘者、麻黄湯主之。
   (たいようびょう、ずつうほつねつ、しんとうようつう、こっせつとうつう、おふうむかんにして、ぜんするもの、まおうとうこれをつかさどる)
   (太陽病で、頭痛し発熱し、身体の筋肉がうずき、腰が痛み、諸関節が痛み、寒気がして、汗は出ず、その上、胸苦しくあえぐような状態になるようなものは、麻黄湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は生薬構成の基本に、麻黄・桂枝・甘草を含んだ、発汗作用のある薬方のうちでも、最も典型的な薬方と言える、麻黄湯の使い方に関する基本的な条文です。
 常日ごろ強健な身体の人が風邪などをひいた時は、身体の筋肉や節々が痛み、さむけがして発熱したりしても、汗はあまり出ないものです。こんな時は、麻黄湯を服用しますと、発汗して、筋肉痛や関節痛が見事に改善されていくことが、よく経験されます。十分な発汗をすることが大切なようですし、また、それに適したある程度の体力のあることが前提条件となるようです。
 筆者は麻黄湯をよく自分自身に使用するのですが、ある時、敢て杏仁を除いて、麻黄桂枝甘草湯のままで使用してみて、それで結構よく効くことを経験しました。発汗作用も鎮痛作用も十分にあるものです。すると、杏仁は何故使用するのか、ということになりますが、これは多分、この病気の程度が甚だしくなって、胸苦しくあえぐような病態になった時、古代人は杏仁を麻黄桂枝甘草湯に加えて、良い効果を得た体験をしたのではないかと推定されます。以来、麻黄湯には杏仁が入ることになったのではないかと推定されます。
 無汗の状態で、体内に水分がたまる傾向にあって、胸部にも水分が異常にたまる傾向になれば、胸苦しくあえぐ状態(喘)になっても当然と思われます。これが皮膚よりの十分な排水作用(発汗作用)によって除かれるならば、胸苦しさも改善されて良い筈です。杏仁は利尿作用もありそうですので、胸苦しさを取り除くには適していると思われます。

15' 麻黄三両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁七十箇去皮尖。
   右四味、以水九升、先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬、煮取二升半、去滓、温服八合。
  (まおうさんりょうふしをさる、けいしにりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、きょうにんななじゅっこひせんをさる。みぎよんみ、みずきゅうしょうをもって、まずまおうをにて、にしょうをげじ、じょうまつをさり、しょやくをいれ、にてにしょうはんをとり、かすをさり、はちごうをおんぷくする。)

 麻黄・桂枝・甘草という生薬配列から、これは麻黄甘草基と桂枝甘草基の合一したものであることが分かります。湯の形成過程(第13章7項)でも既に述べたことですが、この麻黄甘草の組み合わせは、今日、甘草麻黄湯として、喘息など呼吸困難のある人に使用されています。古代人も多分、呼吸困難の発作の改善に使用していたことでしょう。桂枝甘草の組み合せは、今日桂枝甘草湯として、発汗と深く関連した「心悸亢進」の改善に使用されていますが、桂枝湯が形成された過程(第13章5項参照)から考えても、頭痛を改善することなども知られていったことでしょう。そこで、呼吸困難や頭痛のある病態に対して、麻黄甘草基と桂枝甘草基を一緒に煎じて与えたところ、大変具合がよかったというような経験があったにちがいありません。それ以後はしばしばこの麻黄桂枝甘草の組み合わせが使用されるようになり、これが単に、喘と頭痛のみならず、身体痛、腰痛、骨節痛などの症状も改善することが知られていったのでしょう。また、「無汗悪風」の基本病態が最も適していることも経験から知られていったことでしょう。この上に更に、杏仁が喘を改善するのに有効であることが経験されて、遂には、第15条にあ識ような条文が残されるようになったのであると思われます。
 生薬配列が麻黄桂枝甘草杏仁であるような湯の名前を短くする時、その最初の生薬名をとって麻黄湯と名づけたのは、「原始傷寒論」を初めて著作した人であることは勿論です。発汗・瀉下を経ない「正証」と論じる条文にこの湯をもってくることになったので、湯名をこのように省略する必要があったのです。麻黄を君薬と考えたからなどではないことは、既に(第12章1・2・3項)、詳論した通りです。杏仁七十個は約4.0gに換算されています。


 『康治本傷寒論解説』
第15条
【原文】  「太陽病,頭痛,発熱,身疼,腰痛,骨節疼痛,悪風,無汗而喘者,麻黄湯主之.」
【和訓】  太陽病,頭痛,発熱し,身疼腰痛し,骨節疼痛し,悪風し,汗なくして喘(ゼン)する者は,麻黄湯之を主る.
【訳文】  太陽病(①寒熱脉証 浮 ②寒熱証 発熱悪寒 ⑤表熱外証 頭痛)で,汗なく(④緩緊証),身疼腰痛或いは,骨節疼痛して更に喘という特異症候がある場合は,麻黄湯でこれを治す.
【句解】
 身疼(シントウ):全身のうずき
 骨節疼痛(コッセツトウツウ):身体の節々が痛むこと
 喘(ゼン):喘鳴のこと
【解説】  冒頭に太陽病と書かれている場合には,太陽病の範疇症候並びに特異症候というものをふまえた上で考えていかねばなりません.本条に範疇症候並びに特異症候が再度出てきているのは,頭痛は葛根湯の項背強に対して,そして身疼腰痛,骨節疼痛は第3条の体痛を詳述したものであります.また麻黄湯の寒熱証は,発熱悪風であるにもかかわらず発熱を述べているのは,特異症候である疼痛及び喘にも熱証と寒証の相対する場合が存在するからです.そこで麻黄湯は熱範疇内にあることを明らかにするため再出しているのです.
【処方】  麻黄三両去節,桂枝二両去皮,甘草二両炙,杏仁七十箇去皮尖,右四味以水九升,先煮麻黄減二升,去上沫内諸薬煮取二升半,去滓温服八合.
【和訓】  麻黄三両節を去り,桂枝二両皮を去り,甘草二両を炙り,杏仁七十箇皮尖を去り,右四味水九升をもって,先ず麻黄を煮て二升を減じ,上沫を去って諸薬を入れて煮て二升半に取り,滓を去って八合を温服す.

証構成
  範疇 肌熱緊病  (太陽傷寒)
①寒熱脉証   浮
②寒熱証    発熱悪寒
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    無汗
⑤特異症候
  イ身疼腰痛,骨節疼痛
    (杏仁)
  ロ喘(麻黄)
  ハ頭痛(桂枝)

2009年9月10日木曜日

康治本傷寒論 第十四条 太陽与陽明合病,不下利,但嘔者,葛根加半夏湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽与陽明合病、不下利、但嘔者、葛根加半夏湯、主之。

 [訳] 太陽と陽明との合病にして、下利せず、ただ 嘔する者は、葛根加半夏はんげ 湯、これを主る。

 第一三条は合病の下に「者」があるのに、第一四条ではそこに「者」がなく、不下利但嘔の下にあるから、第一三条はこの合病の正証であり、第一四条はその変証であることを示している。
 『解説』一九九頁では「前章に、合病の下に者の字を入れて必下利と言い、この章では者の字を嘔の下において但嘔者とあるによって、この証が前章の一変形で、常にある証でな感ことを示している」と解説してあるが、正証とか変証というのは常にあるとかないとかいう関係ではない。変証はどういう条件のときに起るかを問題にしなければならないのである。それについては「汗として出ずべき病邪が上に迫って嘔する者は、葛根湯に半夏を加えてこれに応ずることを示している」と説明されているが、この文は二つの間違いをおかしている。まず汗として出ずべき病邪という考え方は、第一三条で「表が塞がり濈然として出ずべき陽明の汗が道を失い、それが裏に迫って下痢となる」という論理と同一であること。第二に同一の論理で病理が説明できるならば、第一四条も葛根湯という処方で治せなければならない。半夏を加えなければならない理由は存在しないはずである。そして、結局は嘔を生ずる原因については何も考察されていない。
 『講義』四九頁では「但嘔者は是れ其の上衝の気激しきの致す所なり」、「これを前証に比ぶれば、上衝の気、激しきの一徴を加う」と説明してあるが、これでは何を言おうとしているのかよくわからない。上衝の気のはげしいときには半夏を加味するということは聞いたことがない。「蓋し嘔は急に救わざれば将に飲食を妨げんとす。且これを兼治するも亦難事となさず。故に本方中に半夏を加味して其の主治と為すなり」に至っては支離滅裂である。この論法を採用すれば第一三条も「けだし自下利は急に求わざれば…」となり葛根湯に何かを加味しなければならなくなる。
 『入門』七五頁では「太陽と陽明との合病は、呼吸器の炎衝と同時に消化器の炎衝を引起し来った場合であるから、その消化器の炎衝が、特に腸に著明に現われたときは下利を伴い、特に胃に著明に現われたときは嘔吐を伴うのである」という『弁正』と同じ説明の仕方をしている。そして「本条は前条とその病機を均しくして、但だその証候複合を異にするのみである」と言うのならばやはり半夏を加味する根拠は何もない。
 『集成』では第一三条に誤字、錯置、衍文ありとして
      太陽与陽明合病而下利者、葛根湯主之
 とすべきであると主張したのもこれと同じことであり、笑止といわねばならない。
 『五大説』では「平素、痰飲のある者(少陽位の水大に故障ある者)は少陽裏位に近い心下が触動されると却って下利せずに嘔吐を起すのである」と説明している。これならば変証であることが明らかになり、的確な見事な説明である。ところがこれでもなお半夏を加味する説明にはなっていない。
 それについては「これは順でなく逆であるから葛根湯だけではいけない。そこで半夏を加えて嘔吐を兼治するのてある」というが、これでは説得性にとぼしい。先生御自身も納得できなかったとみえて「若し太陽と陽明の合病が文字通り表裏同時に邪を受けて下利する場合に葛根湯だけでよいとすれば、此の下利がなくて嘔する場合にも葛根湯のみでよいではないか。何故にこの場合のみ半夏を加える必要があるのであろうか。この問題は恐らく解決されまいと思う」と書いておられる。
 私はこの点については太陽病の激症であるから陽明に影響を与えると同時に、平素痰飲(胃内停水)のある者には少陽にすぐ影響を与えて嘔を引起す。これは太陽→少陽という順な方向であるから病邪が移行する場合となり、太陽と少陽の併病にほかならないから嘔を治すために半夏を加味すると解釈している。嘔に対しては葛根湯の中の生姜が作用するが、これだけでは力が不足なので半夏を加えて共力させ鎮嘔作用を強化したのが葛根加半夏湯である。これは葛根湯に生姜半夏湯を合方したのと同じである。
 残る問題は下痢がないのに陽明病という根拠は何であろうか。それは『所論に答う』に論じてあるように腹満があるからである。その場合、症状だけから言うと、太陽、少陽、陽明の三陽にまたがる症状があるのだから、諸先輩の定義からゆくと第一四条は三陽の合病となるのである。しかし私の定義によると少陽位の症状は併病に属するからこれを除くと、太陽と陽明の合病となり、傷寒論の記述に一致するのである。
 最後にについて説明する。日本文においてはただしという接続詞であるが、ここではもっぱらという意味の副詞として使われている。しかし嘔しかないという意味にとれば間違いになる。主な症状としては嘔しかないという意味にとらなければならない。よく気を付ければ腹満という症状があるのである。

葛根四両、麻黄三両去節、桂枝二両去皮、芍薬二両、甘草二両炙、大棗二十枚擘、生姜三両切、半夏半升洗。  右八味、以水一斗、先葛根麻黄、減二升、去白沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 葛根かっこん四両、麻黄まおう三両節を去る、桂枝けいし二両皮を去る、、芍薬しゃくやく二両、甘草かんぞう二両炙る、大棗たいそう十二枚擘く、生姜しょうきょう三両切る、半夏はんげ半升洗う。  右八味、水一斗を以って、先ず葛根、麻黄を煮て、二升を減じ、白沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 葛根湯の場合と同じく、はじめに葛根、麻黄、桂枝とならべて、この組合わせが強い発汗作用をもつことを示している。葛根湯とちがうところは生姜を大棗の次に移していることで、これは生姜と半夏の組合わせが強い鎮嘔作用を示すことを明確にしたものである。
 これに対し、宋板、康平本では、葛根、麻黄、甘草、芍薬、桂枝、生姜、半夏、大棗の順にならべ、成本では葛根、麻黄、生姜、甘草、芍薬、桂枝、大棗、半夏、、金匱玉函経では葛根、麻黄、生姜、桂枝、芍薬、甘草、大棗、半夏の順にならべてある。これらは何れも薬物の配合という面から見てでたらめであることが一目瞭然である。康治本ほど論理的なものは他にない。


『傷寒論再発掘』
14 太陽与陽明合病、不下利、但嘔者、葛根加半夏湯主之。
   (たいようとようめいのごうびょう、げりせず、ただおうするもの、かっこんかはんげとうこれをつかさどる。)
   (太陽と陽明の合病は下痢するのが普通であるのに、下痢しないで、その代わりにただ主として嘔吐するようなものがあるが、このようなものは、葛根加半夏湯がこれを改善するのに最適である。)

 下痢と嘔吐とは、胃腸管を通じて水分が体外に排出されていくという点において共通点がありますので、個体病理学(第16章2項参照)の立場では、嘔吐反応は下方反応の一変形と考えているわけです。
 下痢の一種が葛根湯で改善されるわけですから、嘔吐の一種も当然、葛根湯で改善されるものがあっても良いでしょう。しかし、それでも、もし半夏を加えておけば、葛根湯のなかの生薬と一緒に働いて、鎮嘔作用が増強されると思われます。古代人もこのよう治ことは当然、経験していったからこそ、このような条文が残されたわけです。
 臨床的には、嘔吐する病態に直ちに葛根加半夏湯を使用するというよりは、嘔吐しやすい人や胃がやや弱い人に葛根湯を服用させようとする時、半夏を加味していく、ということの方が多いのではないかと思われます。

14’ 葛根四両、麻黄三両去節、桂枝二両去皮、芍薬二両、甘草二両炙、大棗二十枚擘、生姜三両切、半夏半升洗。
   右八味、以水一斗、先葛根麻黄、減二升、去白沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
   (かっこんよんりょう、まもうさんりょうふしをさる、けいしにりょうかわをさる、しゃくやくにりょう、かんぞうにりょうあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく、しょうきょうさんりょうきる、はんげはんしょうあらう。
   みぎはちみ、みずいっとをもって、まずかっこんまおうをにて、にしょうをげんじ、はくまつをさり、しょやくをいれ、にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 この生薬配列は、葛根湯+半夏とは少しことなるのです。それは葛根湯の生薬配列の最後の所が、生姜・大棗となっていなくて、その反対、すなわち、大棗・生姜となっているからです。これはこの湯の形成過程が、葛根湯に単純に半夏が追加されて出来たものではなく、むしろ、葛根湯に半夏生姜湯が追加されて出来たことを示しています。すなわち、葛根麻黄桂枝芍薬甘草生姜大棗+半夏生姜であったのに、やがて、両方の生姜が大棗と半夏の間に集まり(その方が調整の時に便利)、そのまま固定されたことを意味します。「原始傷寒論(健景本傷寒論)」体試持:生薬配列を見れば、このような原始的な事柄まで、判明するようになっているのです。誠に誠に、貴重な書物であるわけです。その他の「一般の傷寒論(宋板傷寒論や註解傷寒論)」や「康平傷寒論」では、こういう生薬配列が全く乱れてしまっているのです。そして、従来の傷寒論の研究者の殆どすべての人達が、そんな事すらも気づいていなかったようなのです。誠に、誠に、信じられないような出来事が、この傷寒論の研究の世界にはあったのです。筆者も実は、ただただ本当に驚きながら、この研究に打ち込んでいるわけです。
 「原始傷寒論」の素晴らしさを、出来るだけ多くの人々に知ってもらいたくて、こんなにしんどい研究(「傷寒論再発掘」の研究)もなんとかやっている次第です。


 『康治本傷寒論解説』
第14条
【原文】  「太陽与陽明合病,不下利但嘔者,葛根加半夏湯主之.」
【和訓】  太陽と陽明との合病,下利せずただ嘔する者は,葛根加半夏湯之を主る.
【訳文】  葛根湯証の太陽と陽明の合病の場合で,陽明部位の下部腸管に波及しなく、したがって自下利はなく上部腸管に波及して,ただ嘔の症状だけがある場合には,葛根加半夏湯でこれを治す.
【解説】  この条は,前条とその機は同一でありますが,同じ腸管部位に波及しても前条は下部腸管の場合について論じています.一方この条では,肌膚部位の過緊張が上部腸管に波及した場合についてのべています.しかし常有の証ではありません.


【処方】  葛根四両,麻黄三両去節,桂枝二両去皮,芍薬二両,甘草二両炙,大棗十二枚劈,生姜三両,半夏半升洗,右八味以水一斗,先煮葛根麻黄減二升,去白沫内諸薬煮取三升,去滓温服一升.
【和訓】  葛根四両,麻黄三両節を去り,桂枝二両皮を去り,芍薬二両,甘草二両を炙り,大棗十二枚を擘き,生姜三両,半夏半升を洗い、右八味水一斗をもって,先ず葛根麻黄を煮て二升を減じ,白沫を去って諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って一升を温服する.

証構成
範疇 肌腸熱緊病
    (太陽陽明合病)
①寒熱脉証   浮
②寒熱証    発熱悪寒
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    無汗
⑤特異症候
  イ嘔(半夏)

2009年9月7日月曜日

康治本傷寒論 第十三条 太陽与陽明合病者,必自下利,葛根湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽与陽明合病者、心自下利、葛根湯主之。

 [訳] 太陽と陽明との合病なる者は、必ず自下利す、葛根湯これを主る。

 太陽病と陽明病の合病というむつかしい概念が急に現われるのには理由があるのだが、それはあとまわしにして、まず合病とは何であるかを考察しなければならない。宋板と康平本では合病のほかに併病という術語が使われているが、康治本では合病しか使われていない。康治本には併病に該当する条文があるのに、それを併病であるとは表現していない。康治本では何故併病を使わないかを考えるうえからも、ここで合病と併病を一緒にして考察することにする。
 『入門』七四頁では「合病とは発病と同時に二病位以上の証候が相混じて現われる場合をいう」に対し、「併病なるものは、発病の時に先づ一病位の証候が現われ、それが解消しない間に他病位の証候が現われてくる場合である」としている。これは合はかさなる、併はならぶ、という字義から考え出した解釈のようである。それはともかくとして、合病には同時に二病位以上、併病には先づ一病位に発病するという表現が使われている点に注意して他の説と比較してみよう。
 『解説』一九七頁では、合病は二ないし三の病位で同時に病むものとし、二二二頁では、併病「その初め、太陽病にかかったものが、まだ太陽病が治りきらないのに、邪の一部がすでに陽明に入った場合である」としている。合病は同時にと言っているし、併病は太陽と陽明の併病しか存在しないという限定はついているが、先づ一病位に発病するという点では『入門』と同じである。
 ところが『講義』四八頁では、合病は「病の所在一途にして、同時に其の勢を二途或いは三途に現わす者」であるという。同時に二ないし三の病位に発病するのに、本はそのうちの一つにあると言うのである。論理的にはこういう理窟は成り立たないが、また成り立つとしよう。六九頁では、併病は「病一途に於て始まり、次いで他の一途に及ぶも、初病未だ全く解せざる者」であるとし、『入門』と同じになっている。ところがその次に「合病は其の本を一にして病む者なり。併病は其の本を二にして病む者なり」と言い、合病の定義から同時にという条件が消失し、併病は一病位から発病するという定義が二病位に変っている。どうしてこういいかげんな文章を書いたのであろうか。奥田謙蔵往は『傷寒論梗概』五五頁では、「病の本位は一途に在って、其の応徴の、同時に二途或は三途に動く者も合病と謂う」となっているし、五八頁には「併病は病が一途に於て始まり」と説明しているのだから、前者と同じである。このような混乱は併病に一途にはじまるものと、二途にはじまることを区別せずに定義しようとしたために生じたのである。
 奥田氏の後者の定義は実は荒木正胤氏の定義とつきあわせるとよくわかるのである。「所論に答う」では、合病は「病は一途に起り、その勢のはげしい結果として、其の影響を他の一途或は二途に現わせる病証を指す」ことになっており、合病の定義から同時にという条件が消失している。「再び答う」では「併病は病が二病位に併列する場合」というのだから、併病の定義から病が一途に於て始まるという規定も消失しているのである。このようにして奥田氏の後者の定義「合病は其の本を一にして病む者、併病は其の本を二にして病む者」がここから生れたものであることがはじめてわかるのである。
 私はこれらの諸氏による定義は全部不充分なものだと思う。合病も併病もいずれも二病位または三病位にわたるものであるから、それを「併列する」とか「同時に起る」とか言うことで区別できないことを知らなければならない。併と合の字の意味を考えて、併病とか合病などと解釈するよりも、条文に即して考えなければならない。併病の場合は病が二途にはじまるものがあってもよいが、まず病が一途にはじまる併病と合病のちがいを考えるべきである。『弁正』で「合病は最も重く、最も急の為す」、併病はそれにくらべて「稍軽く、稍緩し」と論じていることをもう一度考えなおしてみるべきである。
 病が二病位または三病位にわたるということは病気が進行することにほかならない。したがって病気の進行の仕方に問題があるはずである。陽病は上から下へ進行するのだから、太陽病→少陽病→陽明病、というように進むが、場合によって二病位または三病位にわたる症状が共存することも起りうる。これは『弁正』に言うところの普通よりも稍重病の場合に相明するから、これを併病と言うのである。
 併病よりも激しい病気であれば上述の順当な進行方向とちがった進展の仕方もするであろう。もっと正確に言うと、順当に進展すると同時に、別の進展も起りうるであろう。別の進展というのは例えば太陽病→陽明病、少陽病→太陽病、陽明病→太陽病というような現象である。これは順ではないから逆と表現してもよい。この逆によって起った状態を合病と言うのである。
 この両者を区別しなければならない理由は治療法に相違があるからである。併病の場合は病邪が移動しているのだから、それによって生じた症状には常法に従って薬物を加味することになる。これに対して合病は激症のために一種の反射現象を起したのだと解釈しなければならない。病邪はその部位に移動していないのであるから、薬物を加味するのではなく、本源をたたくという方法を用いる。
 したがって併病は特別な場合ということにはならないので、康治本では併病という語を用いない。宋板や康平本で併病という語を用いても、合病には併病が必ず併存しているのに、合病の条文でそれに言及したものはひとつもないのだから、併病なる語は部分的に使用されているにすぎないのである。それにも拘わらず併病には二陽の併病しか存在しないし、それも太陽と陽明の併病しか存在しないと説明している書物が大部分であるのは、いかにこの概念が整理されていないかを物語っている。宋板にも康平本にも太陽と少陽の併病の条文があるのに、『講義』体試f本文ではないとして軽く扱っているし、『解説』ではこの条文を消してしまっている。しかも併病には太陽と陽明の併病しか存在しないという理由について全く論じられていない。傷寒論の本文にこの併病しか出ていないから、というのでは余りにもお粗末である。
 「其の本を二にして病む」併病の治療は、其の本を一にして病む併病の治療法と同じであるから特別に議論をする必要はない。
 私は合病と併病をこのように整理して、この概念で宋板や康治本の各条文にあたってみて、矛盾をきたさないのである。そのことはそれぞれの条文で説明することにする。
 第一三条は太陽と陽明の合病というのだから第一二条を考慮に入れると太陽傷寒の激症で、少陽位を通し越して直接陽明位に反射的な影響を与えて、下痢を起した場合である。それを必ず自下利すと表現したことについて、『解説』一九七頁では「これは下したために下痢するのではなく、また邪毒が胃腸内に侵入したために下痢するのでもなく、合病のために下痢するのであるから、これを自下利と呼んだ」とし、『講義』四八頁でも同じように「服薬に因らずして自然に下痢するの謂なり。此れ項背に鬱積せる邪熱の、其の余勢、裏に至るの致す所なり。是れ必然の結果なり、故に必ずと言う」と説明している。しかし『五大説』では「太陽傷寒で風大表位の鬱積が非常に激しす、火大(外位)これに平衡を得ない時は、必ず表位の風大は裏位の水大を擾動して自下利を伴うのである」と論じていて、裏位水大に小腸が所属しているので、自下利は小腸性の下痢であるというわけで、この合病で下痢の起る必然性を解明できるとい乗。また『所論に答う』体試f自下利は小腸性の水瀉下利のこと、下利は大腸性の下痢で裏急後重するものであることを論じている。現在のところ、私にはこの両説のどちらをとるべきか、まだよくわからない。
 ただ下痢の起る理由を『皇漢』三七七頁では「無汗の為め表より排泄されるべき水毒、裏に迫りて致せしもの」とし、『解説』、『講義』、『入門』七四頁、『弁正』でもこれと同じ説明をしているのは明らかにおかしい。この点について『所論に答う』では「此の表位の水毒が裏に疏通口を求めて自下利するのだと仮定すると、自下利が起ると同時に、表位の水毒は解してなくなるとも考えられる筈であるか現、折角、裏に疏通口を求めて自下尿しつつある水毒を、何故、葛根湯を使用して、再び表に戻して発汗させねばならぬかの疑問も起り得る」と的確にその間違いを指摘している。このような間違った解釈をする原因は、「発昔法は、病邪を体表から汗によって排除せんとする市法である」(漢方診療の実際、五六頁)とする考え方を基本としていたところにある。発汗は自然治癒力の発動を促進させる手段の一つであることを理解しておれば、このような間違いをおかさない。
 葛根湯証の激症に対しては、葛根湯を引続き服用するか、またはそれを多量に服用すれば、それによって起った下痢も治るのであって、止瀉剤を用いてもそれが治らないことを経験的に知っていたので、一般の治療法と異なるところから合病という概念を必要としたのである。


『傷寒論再発掘』
13 太陽与陽明合病者、心自下利、葛根湯主之。

  (たいようとようめいのごうびょうは かならずじげりする、かっこんとうこれをつかさどる。)
  (太陽病と陽明病の合病というものは、必ず、おのずから下痢するものである。このようなものは、葛根湯がこれを改善するのに最適である。)

「合病」という特殊な概念の言葉があらわれてきましたが、これについては既に第17章6項で論じておいた通りです。言葉そのものにあわりとらわれることなく、葛根湯というものでよく改善される「自下利」であることを知っていれば良いのです。何故なら、この言葉は実際には単純に分類し切れない病態全体の一部を「三陽」に分けて、その対応策を整理してみた後、単純にこれらによって律し切れないものを、例外扱いせず、法則の枠内で取り扱うために案出された用語であるにすぎないからです。
 実際の経験では、風邪をひいたあと、すぐ下痢の症状の出る人がいますが、そういうなかに、葛根湯で下痢もすぐに良くなる場合があります。そういう時、半夏瀉心湯などで下痢をなおそうとすると、かえって、嘔気がしてよくないようです。風邪が流行しているような時の下痢では、葛根湯をまず服用させてみて、それで改善しないような時の下痢は、半夏瀉心湯などの使用も考慮してきくということがいいように思われます。こういうような下痢は「太陽と陽明の合病」ということになると思われます。


『康治本傷寒論解説』
【原文】  「太陽与陽明合病者,必自下利,葛根湯主之.」
【和訓】  太陽と陽明の合病なる者,必ず自下利す,葛根湯之を主る.
【訳文】  葛根湯証の太陽と陽明との合病の場合は,必然的に腸管部位において自下利が起こる.この場合にも葛根湯でこれを治す.
【句解】
合病(ゴウビョウ)e: 十二範疇分類の中で三熱緊病にのみあり,病勢急激なときに症候が他部位に押し出された場合をいう.
【解説】  この場合の自下利は,陽明中風の範疇症候ではなく,合葛根湯の特異症候です.またこの自下利は,表熱が盛んであるために,肌膚部位において過緊張を起こし,無汗状態が倍増され,それがためにその勢いが下部腸管部位に及び,下痢という形で現れた場合を論じています.そこで,この場合の治法は陽明病の薬方から求めるのではなく,太陽病の薬方を用いて肌膚部位の過緊張を健康状態に戻すところにあることを説いています.

証構成
範疇 肌腸熱緊病
(太陽陽明合病)
①寒熱脉証   浮
②寒熱証    発熱悪寒
③緩緊脉証   緊
④緩緊証     無汗
⑤特異症候
  イ自下利


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年9月5日土曜日

康治本傷寒論 第十二条 太陽病,項背強几々,無汗,悪風者,葛根湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、項背強几几、無汗、悪風者、葛根湯、主之。

[訳] 太陽病、項背こわばる こと几几しゅしゅ 、汗なく悪風する者、葛根湯これを主る。

冒頭の太陽病という句は、この条文の性格を規定しているとみる立場では、第五条、第六条と同じく太陽病の基本条文であることを示している。しかも二句目までは第六条と同じであるから互文の関係になり、この条文は太陽傷寒の症状を述べたものとなり、第六条と同じように発熱も頭痛もあることになる。『解説』一九五頁のように「この章では発熱を挙げていないが、悪風をいうからには発熱を伴うものと考えねばならない」とか「この章では頭痛を挙げていないが、太陽病に頭痛があるからには、頭痛を伴うのは当然である」とかいうように解釈するのは論理的でない。
項強背強が加わることは太陽病にさらに陽症が加わることだから、陽病の性格が強くなっているので無汗を伴うのである。第六条のように反無汗としない理由はここにある。汗出よりは症状は重たいのである。『解説』一九四頁のように、項背強の症状だけでは「桂枝加葛根湯葛根湯との区別はつかない。そこで汗なく悪風を挙げて、汗出で悪風の桂枝加葛根湯との鑑別を示している」という説明は、実用だけを考えた方証相対の説であって、条文の解釈にはならない。
悪風とあるのは傷寒は(+-)の型の病気であることを示しているのであるが、何故悪寒と言わないかについては色々と議論されている。私は悪寒は第一三条の葛根湯証のためにとってあるのだと解釈している。第一二条に無汗とあるだけで第六条の桂枝加葛根湯よりも重症であることがわかるので、臨床的には悪寒と言ってもよいのであるが、悪寒は更に重症な時(第一三条)のために残しておくのである。
『講義』四七頁では「悪風、悪寒は互に称す。必ずしも浅深の別に非ず」と説明しているが、第五条の桂枝湯条の場合(一九頁)には「悪風は悪寒に比ぶればその証軽浅なり」と述べている。このように相反する解釈はその根拠を示さない限り、納得はできない。『解説』で「悪風の代りに悪寒のあることもある」というように臨床的にどちらでもよいとだけ説明することは、第一二条で悪風という語をえらんだ理由を考えようとしていないことである。
私の解釈では第一五条の麻黄湯証に悪風が使われ、第一六条の青竜湯証に悪寒が使われていることに対応していると見ることなのである。
この条文は第六条よりは陽病の性格が強くなっているから、桂枝加葛根湯に麻黄を加えて発汗作用を強くしなければならないのである。これが葛根湯主之ということになる。

葛根四両、麻黄三両去節、桂枝二両去皮、芍薬二両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚劈。 右七味、以水一斗、先煮葛根麻黄、減二升、去白沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。

[訳] 葛根四両、麻黄三両節を去る、桂枝二両皮を去る、芍薬二両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚劈く。 右七味、水一斗を以って、先ず葛根、麻黄を煮て、二升を減じ、白沫を去り、諸薬を内り、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

第六条と同じように桂枝加葛根麻黄湯と何故言わないのだろう。桂枝湯を基準にしてその去加方をつくる方法は第九条までにその諸例を示してあるので、第一二条からは処方中の主薬を先に置いたのである。第六条でも主薬は葛根なのであるが、去加方の形を示すために葛根を一番終りに置いたのである。
桂枝と芍薬が二両となっていて、一両少いのは、葛根と麻黄が加わるために一両減じても臨床的に差支えないことを示しているが、『集成』のように桂枝湯の場合と同じく三両にしてもよい。
『講義』では「葛根湯麻黄湯の地位にして、麻黄湯よりも軽し。故に病邪未だ骨節に迫らずして尚筋脈の位に在り。是れ本篇において先ず葛根湯を掲げ、次に麻黄湯に及ぶ所以なり」としているが、『集成』では「此の条は乃ち太陽傷寒にして項背強る者なれば、麻黄湯くらべて一等深き者なり」という。しかしこれは両書とも間違っている。両者の症状のちがいは系列のちがいを示しているのであって、病邪の浅深を示しているのではない。だからこそ第一二条にも、第一五条(麻黄湯)にも、無汗悪風という同じ表現が使われているのである。しかし詳細はもう少し後に明らかにする。
『解説』には「汗出で悪風は表虚であり、汗なく悪風は表実である」と説明してある。この説は一般に受け入れられているが、表虚も表実も傷寒論には用いられていない術語である。これを関連して、劉棟(白水田良のこと)曰く、「傷寒と中風は脈と汗とを以って分別となす」とは、傷寒は脈緊、無汗であり、中風は脈緩、汗出であるということで、これに賛成する人も多い。
また傷寒の指標に悪寒を加え、中風に悪風を加える場合もある。これらの観点から次の処方の性格について各種の見解が生ずることになる。(表)

成無己 山田正珍 荒木正胤 私説
桂枝湯 中風表虚 中風表虚 中風表虚 中風
桂枝加葛根湯 中風表虚 中風表虚 中風表虚 傷寒
葛根湯 中風表実 傷寒表実 傷寒表外実 傷寒
麻黄湯 傷寒表実 傷寒表実 中風表外実 中風
大青竜湯 傷寒表実 傷寒表実 中風表外実 中風

私はこの表代的な三者のいずれにも賛成できない。私は第五条以下では、傷寒と中風という語は系列を示す用い方をしていて、第四条までの病の緩緊、良性と悪性を示す用い方と全く別の意味になっていると解釈するからである。
『入門』、『講義』、『解説』は『集成』(山田正珍)と同じ解釈をしている。これらの諸先輩の説に私が賛成しない理由は、第一五条(麻黄湯)と第一六条(青竜湯)のところでもう一度説明する。


『傷寒論再発掘』
12 太陽病、項背強几几、無汗、悪風者、葛根湯主之。
(たいようびょう、こうはいこわばることしゅしゅ、あせなく、おふうするもの、かっこんとうこれをつかさどる。)
(太陽病で甚だしく項背がこわばり、汗が自然に出ることはなく、悪風するようなものは、葛根湯がこれを改善するのに最適である。)

この条文は桂枝湯に葛根と麻黄が追加されたような生薬構成を持った葛根湯の使い方に関する最も基本的な条文です。
「項背強」があって、汗が自然に出るような場合は、第6条で示されているように、桂枝湯に葛根を加えた、桂枝加葛根湯で改善されるわけである。これに対して、「無汗」の場合はさらに「麻黄」を追加した、葛根湯でその異和状態が改善されていくことが示されているわけです。
臨床的な経験から言えることは、桂枝加葛根湯が適応する人よりも葛根湯が適応する人の方が、一般的に強健な感じがするものですし、また、そういう人の方が風邪などをひいた時でも、無汗の傾向があるようです。従って、麻黄の入っている葛根湯で十分に発汗していくことが異和状態の改善に良い効果をもたらすようですし、麻黄の入った葛根湯の方が桂枝加葛根湯よりも、発汗作用という面では強いように思われます。
その時、その時の生体の全一体としての条件に応じで、適応となる薬方は微妙に相違するわけで、そこを上手に合わせていく、その能力を向上させるためには、多くの臨床経験が必要となってくるのですが、また、古典の正しい研究も大切なものとなってくるわけです。この「傷寒論再発掘」という研究も、究極的には臨床家の臨床能力の向上を目指しているわけです。従来の傷寒論の研究が、あまりにも難しくなりすぎている感じですので、もっと悠々と大道を歩むように、やさしい道はないものか、と努力してみているわけです。

12' 葛根四両、麻黄三両去節、桂枝二両去皮、芍薬二両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚劈。
右七味、以水一斗、先煮葛根麻黄、減二升、去白沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
(かっこんよんりょう、まおうさんしょうふしをさる、けいしにりょうかわをさる、しゃくやくにりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく。みぎななみ、みずいっとをもって、まずかっこんまおうをにて、にしょうをげんじ、はくまつをさり、しょやくをいれ、にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

桂枝湯の時と比べて、桂枝と芍薬が一両すくなくなっており、葛根と麻黄を先に煎じていく点が若干相違しています。
この湯の形成過程は桂枝加葛根湯に麻黄が追加されていったと思われますので、その生薬配列は、桂枝湯加葛根麻黄であった筈です。「原始傷寒論」を初めて書いた人がこの長い湯名をもっと短いものにする必要が生じた時(「正証」の条文にこの湯をもってくるようになった時)、葛根・麻黄を桂枝湯の前にもってきたような生薬配列にして、その最初の生薬の葛根の名をとって、葛根湯と命名したようです(第12章2項参照)。
古代人はこの桂枝加葛根湯に麻黄を追加した葛根湯の形成過程の体験を通じて、生薬構成の中に桂枝と甘使がある時、麻黄が追加されると、強い 発汗作用 が出てくることを知ったのかも知れません。そこで古代人は麻黄桂枝甘草の生薬複合物を作って、自分で試したかも知れません。筆者自身が試してみたところ、かなりの発汗作用と鎮痛作用のあることを知りました。多分、このような経験がのちに出てくる「麻黄湯」の形成に大いに役立っているのではないかと、筆者は推定しているのです。


『康治本傷寒論解説』
第12条
【原文】 「太陽病,項背強几几,無汗,悪風者,葛根湯主之.」
【和訓】 太陽病,項背強ばること几々(キキ),汗なく,悪風する者は,葛根湯之を主る。
【訳文】 太陽病(①寒熱脉証 浮 ②寒熱証 発熱悪寒 ⑤表熱外証)で,特に表熱外証は項(ウナジ)が縮んだようになって項背部が強直し,汗の状態は肌膚部が正常時よりも緊張傾向にあるために出ない(④緩緊証 無汗)場合は,葛根湯でこれを治す.
【句解】
几几(キキ) :身体が伸びない状態をいう.
悪風(おふう) :悪寒の互文,弱い寒気のこと.
【解説】 太陽病の表熱外証(特異症候)が頭項強痛であることは,先の第1条で論じてあるとおりです.緩証では,頭痛には桂枝湯が,項強には桂枝加葛根湯が配当されていました.このような配当を緊証側で当てはめてみると,図1のように考えられます.

図1 緩緊証における頭項強痛と方剤との関係


緩証 緊証
中風(自汗) 傷寒(無汗)
桂枝湯………………頭痛(気症) 頭 (気症)頭痛………………麻黄湯


桂枝加葛根湯……項強(血症) 痛 (血症)項強………………葛根湯


緩証を論じたところでは,過多排泄症候(自汗)をあらわす頭痛・項強を掲げ,緊証を論じているこの条では,過少排泄症候(無汗)をあらわす頭痛・項強を掲げて急性病における体質について完全な区別をすることを述べています.

【処方】 葛根四両,麻黄三両去節,桂枝二両去皮,芍薬二両,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚劈,右七味以水一斗,先煮葛根麻黄減二升去白沫,内諸薬煮取三升去滓,温服一升.
【和訓】 葛根四両,麻黄三両節を去り,桂枝二両皮を去り,芍薬二両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚を擘く,右七味水一斗をもって,先ず葛根麻黄を煮て二升を減じ,白沫を去って,諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って,一升を温服する.

証構成
範疇 肌熱緊病 (太陽傷寒)
①寒熱脉証   浮
②寒熱証    発熱悪寒
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    無汗
⑤特異症候
  イ項背強(葛根)


康治本傷寒論の条文(全文)