11.加味逍遙散(かみしょうようさん) 万病回春
当帰3.0 芍薬3.0 白朮3.0 茯苓3.0 柴胡3.0 甘草2.0 牡丹皮2.0 梔子2.0 乾生姜1.0 薄荷1.0
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
頭重,頭痛,のぼせ,肩こり,倦怠感などがあって食欲が減退し,時々便秘するもの。
主として中年以降の,更年期様の不定愁訴を訴えるものに賞用されている。前項に記載のとおり本方が適応する症状は当帰芍薬散料,桂枝茯苓丸料,小柴胡湯に部分的に類似している。即ち,特に壮実体質でないやや貧弱または中間のもので,貧血または冷え症の体質で,神経症状を伴うものに応用するがおおむね次のような自覚的症状を訴えることが多い。
◎貧血様または貧血症であるにかかわらず,背部や上半身に熱感を自覚したり,あるいはのぼせて,ときに顔面が紅潮する。
◎貧血様体質で四肢倦怠感,頭痛,頭重,めまい,肩こり,不眠などを訴え,取越し苦労したり興奮したりするもの。
◎当帰芍薬散料適応症状が認められるが,同方が胃にもたれて気分がすぐれないと訴えるもの。
◎神経症状が著明な貧血,冷え症体質で,のぼせたり,月経周期がくるいやすいので便秘するが桃核承気湯不適なもの。
◎以上各項の症状がある者の慢性湿疹及びヒフ掻痒症にも応用する。
本方はこのように当帰芍薬散証で神経症状の強いもの,あるいは胃症状を訴えるものに用いてよく奏効する。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
虚弱な体質の婦人が手足が冷えやすいのに,ときどき全身があつくなり,よく肩がこり,疲れやすく,頭痛,頭重感,めまい,心悸亢進(動悸),不眠などを訴えて,精神不安,憂うつ感,などの精神神経症状があり,あるいは微熱がつづき,大抵の場合は月経異常を伴うものである。月経異常としては,月経不順,月経寡少,暗赤色の血塊やコーヒー残渣様の経血が下りるものなどがある。患者は痩せ型の婦人が多いが,中には肥満型の人もある。しかし,肥っていても筋肉は軟弱で,いわゆる水ぶとりのような形である。脈も腹部も緊張が弱く,腹証としては軽度の胸脇苦満がみられることも少なくない。梧竹楼方函口訣には「此の方は婦人一切の申し分に用いてよくきう。此方の目的は,月経不調,熱の往来もあり,午後になるとよく逆上して両頬が赤くなり,労症にでもなりそうなもの(衰弱ぎみのもの)によくきく。すでに咳嗽甚だしく,盗汗があり,痩せて,素人目にもはっきり虚労(結核のようなもの)となったものではおそい。また婦人の性質が肝気亢りやすく,嫉妬深く,すでに顔を赤くして目をつり上げ,発狂でもしそうになるものによい。男子に転用するには,平生癇癪持で,何かというと怒りやすく,激怒しては血を吐いたり,鼻血を出したりすることが月に3,4度もあるようなものに用いる。」と記してある。
〈漢方治療の実際〉 大塚 敬節先生
疎註要験「血風の症に加味逍遙散または四物湯に荊芥を加え用いることあり,かゆきこと甚しき者によし。」とあり,血風は今日の蕁麻疹の類である。
療治経験筆記に「身体掻痒とは周身かゆくなりて後には血の出るほど掻くてもまだあきたらず思うて掻く,是を身体掻痒という。一症には敗毒散或は川芎茶調散の類よけれども,これにて効なきときは加味逍遙散に効あるなり。」又同書に「男子,婦人,からだ中にひぜんのごとくなる者,周身にすき間もなくでき,甚だかゆく,なんぎをよぶものあり,この類には多くは血風,血疹などと心得て,敗毒散に加減をし,或いは発表の剤を用感て汗をかかせ,或は薬湯へ入れてみたり,その外種々さまざまなことをすれども一向に効なくて困りはてる病人あり,予この症を治して大効をとりしこと度々あり。加味逍遙散に四物湯を合方して用いること是れ至って秘事なり。」とある。加味逍遙散に地黄と川芎を加えると加味逍遙散合四物湯となる。
〈続漢方百話〉 矢数 道明先生
加味逍遙散は婦人血の道症に用いられることが最も多く,その応用目標は,全体的にみてやや虚証の体質で貧血気味,脈も弱い方で,腹は虚張ともいうべきもので,胸脇膨張しているが充実感が少ない。小柴胡湯その他の柴胡剤は強きに過ぎ,駆瘀血剤を用いるごとき抵抗や圧痛もない。自覚症状が極めて強烈で,身体熱感,灼熱感,さむけ,のぼせ,顔面紅潮,足冷,心悸亢進等の血管運動神経症状と頭痛,耳鳴,眩暈,不眠,嗜眠,怒りやすく,不安動揺等の精神神経障害様症状があり,また悪心,食欲不振,便秘等の消化器症状があり,かつ疲労感,脱力感を特に自覚するものである。本方は肝気の欝滞といわれていた自律神経失調症を調整し,いわゆるトランキライザーのごとき作用を有するものと考えられる。本方は虚証体質者の血の道症(更年期障害)の外,月経不順,流産や妊娠中絶後,卵管結紮後等に起こる血の道症(諸神経症状),不妊症,肺結核初期症候,尿道炎,膀胱炎,帯下,産後口内炎,湿疹,手掌角皮症,肝硬変症,慢性肝炎,癇癪持ち等に広的応用されるものである。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
本方は少陽病の虚証で,病は肝にあるといわれている。すなわち小柴胡湯の虚証で,胸脇苦満の症状は軽く,しかも疲労しやすく,種々の神経症状をともなうものを目標とする。主訴は四肢倦怠,頭重,眩暈,不眠,多怒,逍遙性熱感(ときどき定めなき灼熱感がくる。)月応異常,午後の逆上感と顔面紅潮が起こり,また背部に悪寒や蒸熱感,発汗等を起こすというものなどを参考とする。
〈勿誤方函口訣〉 浅田 宗伯先生
この方は清熱を主として,上部の血症に効あり。故に逍遙散の症にして,頭痛面熱肩背強ばり,鼻出血などあるものに佳なり。また下部の湿熱(尿不利をともなう熱,主として淋疾性のもの。)を解するもので,婦人淋疾,竜胆瀉肝湯などより一等虚候の者に用いて効あり。又男子婦人遍身に疥癬の如きものを発し,甚だ痒く,諸治効なきもの此方に四物湯を合方して験あり。華岡氏は此方に地骨皮,荊芥を加えて鵝掌風(手掌角化症)に用ゆ。又老医の伝に,大便秘結して朝夕快く通ぜぬと云う者,何病に限らず此方を用いれば,大便快通して諸病も治すと云う。即ち小柴胡湯を用いて津液通ずると同旨なり。
〈漢陰臆上〉 百々 漢陰先生
此方は婦人の一切の申分(訴え,神経症状の訴え)に用いてよく効く。いまより数十年前は,世界の医者は,婦人の病というと,ほとんどこの処方を用いた。此方の目標は,月経が不調になって熱のふけさめがあり,午後になると逆上して両頬が赤くほてるというものによい。或は婦人の性質が肝気亢り易く(怒りやすく神経質になって)嫉妬深く,火気逆衝して顔面赤く,径つり上り,発狂でもしかねまじき症によい。男子でも肝癪持ちに用いてよい。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
1958年9月北京「全国医業衛生技術革命経験交流大会」で肝硬変に対する漢方療法の報告があり,その中で早期治療法として,第一に掲げられているのが丹梔逍遙散(加味逍遙散のこと)である。すなわち本方は「肝硬変の比較的初期で,脇下疼痛(肝疝痛),肝腫大,腹張り,口乾口苦,頭痛、小便黄,あるいは衂血,牙齦出血などがあって,まだ腹水のない場合によい。」というものである。
〈蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
これまた小柴胡湯の変方なれども小柴胡湯よりは少し肝虚の形あるものにして、補中益気湯よりは、一層手前の場処に用ゆる薬と心得べし,一層手前とは補中益気湯ほどに胃中の気うすからざるをいうなり。故に方中参耆を用いず,その腹形は心下痞鞕し,両脇もまた拘攣すれども,さながら小柴胡湯の黄芩半夏と組み合わせたるなどを用いては,いま少しするどにて受け心あしきゆえ,少しく剤にやわらぎをつけて,当帰,芍薬,柴胡,甘草の四味にて心下両脇をむっくりとゆるめ,薄荷にて胸膈胃口を開き,白朮,茯苓にて胃中の水飲を下げて水道に消導するの意なり。本方に牡丹皮,山梔子を加へて加味逍遙散と名づく,これにては肝腎の虚火を鎮むるの趣意と心得べし。総じて牡丹皮はもっぱら血分をさばく薬なりとして瘀血のことには多い用いたれども,ただ一通り血分の薬とのも心得ては,いま少し穏やかならずしてわざに取ること不自由なり。そのゆえは八味丸の症などの瘀血にあずかることなきをもって知るべし。(中略)
考えてみるに加味逍遥散を用ゆべきものも見症はさまざまにて一定せざれども,まずその一端を挙げていうときは,婦人の産前,産後,口舌赤爛するの症など,この方を用いて治るものあり。この症は肝腎の虚火が心肺にせまるともいうべきものなり。しかれどもその脈腹は全体のところ,とくと逍遥散あたり,前の候ありて,その上にぜひとも牡丹皮,山梔子を加えて用ゆべき模的あるにあらざれば,用いて益なしと知るべし。(後略)
〈当荘庵家方口訣〉 北尾 春甫先生
此の方は和剤である。病をしっかりと治す薬でなく,和してよい薬である。病後の調理によいのである。牡丹皮と山梔子を加えて加味逍遥散という。牡丹皮は血熱を冷まし,瘀血を去る効があり,山梔子と共に血熱をさますのである。
『漢方診療の實際』 大塚敬節・矢數道明・清水藤太郎著 南山堂刊
逍遙散(しょうようさん)
本方は婦人の所謂虚労や血の道に 用いるもので、四肢倦怠を覚え、頭重・眩暈・不眠・逍遙性熱感・月経異常等を目標とする。神経質にして体質の虚弱な婦人が、午後上逆して顔面紅潮し、背部 に蒸熱感を覚えるものがある。本方の治するところである。本方は小柴胡湯の変方と見做すべきもので、小柴胡湯よりは胸脇苦満の症状が軽く、しかも疲労し易 く、種々の神経症状を伴うものによい。また婦人の虚労症及び肺結核の軽症のもので、微熱・咳嗽・肩凝り・喀血・衂血などあるものによいことがある。しかし 進行性または開放性で胸部所見の著明なものには用いてはならない。
本方中の当帰・芍薬は欝血を去り、柴胡と共に鎮静作用がある。白朮・茯苓・甘草は健胃と利尿の効がある。薄荷は清涼の意で、また生姜と共に他の薬剤の吸収をよくする。
本方は以上の目標に従って、血の道・神経衰弱・ヒステリー・不眠症・肩凝り・月経不順・肺結核症・皮膚病等に応用される。
【加味逍遙散】(かみしょうようさん)
本方に牡丹皮・山梔子各二・〇を加えて加味逍遙散と名づけ、逍遙散の證で、肩凝り・上衝・頭痛等著明で、やや熱状の加わるものに用いる。また虚弱者で、大 黄・芒硝等の下剤の適当せぬ便秘に用いて奇効がある。本方は当帰芍薬散料が胸にもたれて気分がすぐれず、小柴胡湯と合方したいと思うようなものによい。 本方に地骨皮・荊芥各二・〇を加えて、皮膚病ことに所謂水虫・手掌角化症に応用する。
『漢方精撰百八方』
96.〔加味逍遥散〕(かみしょうようさん)
〔出典〕女科撮要
〔処方〕当帰、芍薬、柴胡、朮、茯苓 各3.0 薄荷1.0 甘草、牡丹皮、梔子 各2.0 生姜1.0
〔目標〕虚弱な体質の婦人が、手足が冷えやすいのに、ときどき全身があつくなり、よく肩がこり、疲れやすく、頭痛、頭重感、めまい、心悸亢進(動悸)不眠などを訴えて、精神不安、憂鬱感などの精神神経症状があり、或いは微熱がつづき、多くの場合、月経異常を伴うものである。月経異常としては、月経寡少、暗赤色の血塊やコーヒー渣様の経血が下るものなどがある。
患者は、痩せ型の婦人が多いが、中には肥満型の人もある。しかし、肥っていても、筋肉は軟弱で、いわゆる水肥りのような形である。
脈も、腹部も、緊張が弱く、腹証として軽度の胸脇苦満がみられることも少なくない。
〔かんどころ〕百々漢陰の梧竹楼方函口訣に、「この処方は婦人一切の申し分に用いてよくきく」と書いてある。要するに、婦人がしじゅう、あっちが痛い、こっちが悪いと、つぎつぎ苦痛を訴えるものをいっている。しかも、現代医学的には、殆ど病変がみとめられないものは、本方の適応症である。
〔応用〕冷え性、虚弱体質、亜急性発熱、神経性発熱、月経不順、月経困難、帯下、各種の婦人科疾患、婦人血の道、神経症等
〔治験〕43才、婦人、腎盂炎
1ヶ月半前から、かぜをひいて、そのあと熱が少しも下がらない。熱は38.5℃ぐらいが半月ほどつづいたので、ある病院でみてもらったところ、腎盂炎だといわれて入院した。 しかし、熱は37.2℃ぐらいまでは下がったが、それ以上よくならず、その上頭痛がひどく、動悸がしやすく、腹痛もあって臍のあたりが引きつれるように痛い。腰も背中もときどき痛む。のぼせて、便秘をする。顔色はさほど悪くないのに、ひどく痩せて、ねたきりになり、いまにも死にそうな気がするという。
脈は浮弱で、腹部は肉付き少なく、両側の腹直筋が拘攀し、右に僅かに胸脇苦満があり、心下部に振水音もみとめられる。この患者に先ず柴胡桂枝乾姜湯を与えた。胸脇苦満を目標に、熱を下げるため、一番弱い柴胡剤を用いたのである。しかし、10日飲んでも全然よくならなかったので、加味逍遥散に変えた。これで、30日ばかりですっかり元気になった。
山田光胤
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
柴胡剤
柴胡剤は、胸脇苦満を呈するものに使われる。胸脇苦満は実証では強く現われ嘔 気を伴うこともあるが、虚証では弱くほとんど苦満の状を訴えない 場合がある。柴胡剤は、甘草に対する作用が強く、解毒さようがあり、体質改善薬として繁用される。したがって、服用期間は比較的長くなる傾向がある。柴胡 剤は、応用範囲が広く、肝炎、肝硬変、胆嚢炎、胆石症、黄疸、肝機能障害、肋膜炎、膵臓炎、肺結核、リンパ腺炎、神経疾患など広く一般に使用される。ま た、しばしば他の薬方と合方され、他の薬方の作用を助ける。
柴胡剤の中で、柴胡加竜骨牡蛎湯・柴胡桂枝乾姜湯は、気の動揺 が強い。小柴胡湯・加味逍遥散は、潔癖症の傾向があり、多少神経質気味の傾向が ある。特に加味逍遥散はその傾向が強い。柴胡桂枝湯は、痛みのあるときに用いられる。十味敗毒湯・荊防敗毒散は、化膿性疾患を伴うときに用いられる。
7 加味逍遙散(かみしょうようさん) (和剤局方)
〔当帰(とうき)、芍薬(しゃくやく)、柴胡(さいこ)、朮(じゅつ)、茯苓(ぶくりょう)各三、生姜(しょうきょう)、牡丹皮(ぼたんぴ)、山梔子(さんしし)各二、甘草(かんぞう)一・五、薄荷(はっか)一〕
本方は小柴胡湯證を虚証にしたような感じであり、柴胡剤と駆瘀血 剤を合わせ持った薬方である。胸脇苦満は軽く、瘀血による神経症状を伴うもので、神経症状が強くなって潔癖症の異常と思うほどのものもある。また、くどく どと症状をのべるものに、この證を認めることがある。本方は少陽病の虚証で、頭重、頭痛、めまい、上衝、不眠、肩こり、逍遙性熱感(ときおり全身に灼熱感 が起こる)、心悸亢進、月経異常、四肢の倦怠感および冷えなどを目標とする。
〔応用〕
柴胡剤であるために、大柴胡湯のところで示したような疾患に、加味逍遙散を呈するものが多い。特に神経系の疾患には適応するものが多い。
その他
一 月経不順、月経困難、帯下、更年期障害、血の道、不妊症その他の婦人科系疾患。
『漢方医学十講』 細野史郎著 創元社刊
逍遥散・加味逍遥散
合方と後世方の必要性について
以上、瘀血を治す薬方の虚と実の代表として、当帰芍薬散と桂枝茯苓丸の二方についてごく簡単に触れてみた。この二つが具われば一応こと足りるのであるが、しかし実際の臨床にあたって応用するとなると、そうたやすいことではない。この二方にも、単に駆瘀血薬だけでなく、すでに述べたように気や水に作用する薬物が組み合わされているが、それは、たとえ瘀血が主たる原因となって生じた疾病でも、病変は身体の諸臓器に及ぶものであり、単に駆瘀血剤だけでなく、他の薬方との「合方」が必要な場合も決して少なくないからである。
瘀血の症状群の場合に、骨盤内の内分泌系の臓器の変化により、間脳、大脳にまでその影響が及ぶことは既に述べたが、その結果、感情や自律神経の失調症状があらわれる。このような状態を漢方医学では「肝」の病と解している。この「肝」は生殖器や泌尿器と関係が深く、肝系は陰器をまとい、生殖器に影響を及ぼすと言われる。そして、瘀血の主な徴候である左下腹部の抵抗と圧痛は、右の季肋下の圧痛・抵抗(胸脇苦満)(第三講で詳述)と関連のあることが多い。また更年期障害を呈する年代はしばしば「肝虚」に陥るものである。つまり瘀血の治療にあたっては「肝」に対する考慮を忘れてはならないのである。
したがって桂枝茯苓丸なり当帰芍薬散なりを病人に用いる場合に、実際において、肝の治療薬である柴胡剤を合方しなけらばならないことが多い。たとえば小柴胡湯(第三講で詳述)は「熱入血室」の治療薬であり、広い意味での駆瘀血剤とも言えるのであるが、小柴胡湯の合方では実証に過ぎて、ぴたりとゆかぬことが多い。
〔註記〕「熱入血室」の『傷寒論』条文
「婦人中風七八日。続得発熱。発作有時。経水適断者。此為熱入血室。其血必結。故使如瘧状。発作有時。小柴胡湯主之。」〔太陽病下篇〕
(婦人中風七八日、続いて寒熱を得、発作時あり、経水適断つ者は、これ熱血室に入るとなすなり。其の血必ず結す。故に瘧状の如く、発作時あらしむ。小柴胡湯之を主る。)
すなわち、古方の薬方は簡潔で、効果もはっきりするが、その合方をもってしてもなお現実にぴったりとしないことがある。この場合に後世方の薬方がわれわれの要求を充たしてくれることが多い。
そこで、後世方の薬方である『和剤局方』の逍遙散を引用し、述べてみた感と思うわけである。
逍遙散(しょうようさん)
〔和剤局方〕 | 〔細野常用一回量〕 | ||
当帰 | Angelicae Radix | 一両、苗を去り、剉む、微しく炒る | 3.0g |
芍薬 | Paeoninae Radix | 一両、白煮 | 3.0g |
白朮 | Atractylodis Rhizoma | 一両 | 2.0g |
茯苓 | Hoelen | 一両、皮を去り、白煮 | 4.3g |
柴胡 | Bupleuri Radix | 一両、苗を去る | 1.7g |
甘草 | Glycyrrhizae Radix | 半両、炙って微しく赤くす | 0.3g |
薄荷 | Menthae Herba | 0.8g | |
生姜 | Zingiberis Rhizoma | 0.8g |
右為麄末。毎服貳銭。水壹大盞。煨生薑壹塊。切破。薄荷少許。同煎。至柒分。去滓。熱服。不拘時候。(右麄末と為し、毎服貳銭、水壹大盞、煨みたる生薑壹塊、切り破いて、薄荷を少し入れ、同じく煎じて柒分に至り、滓を去り、熱服すること時候に拘わらず。)
*
構成生薬のうち当帰・芍薬・白朮・茯苓については既に述べた。柴胡については第三講(小柴胡湯の項)で、甘草・生姜については第二講(桂枝湯の項)で詳述することにする。
*
その主治は次の如く説かれている。
「治。血虚労倦。五心煩熱。肢体疼痛。頭目昏重。心忪頬赤。口燥咽乾。発熱盗汗。減食嗜臥又血熱相搏。月水不調。臍腹脹痛。寒熱如瘧。又治。室女血弱。陰虚。栄衛不和。痰嗽潮熱。肌体羸痩。漸成骨蒸。」(血虚労倦、五心煩熱、肢体疼痛、頭目昏重、心忪頬赤、口燥咽乾、発熱盗汗、減食嗜臥及び血熱相搏ち、月水不調、臍腹脹痛、寒熱瘧の如くなるを治す。また室女血弱、陰虚して栄衛和せず、 痰嗽潮熱、肌体羸痩し、漸く骨蒸となるを治す。)
右の主文を『万病回春』や『医方集解』『衆方規矩』などの書物を参考に意訳してみると、これは後世方的な思想である臓腑論の病理を加味して説明しているものと考えられる。
すなわち、「五臓六腑のなかの“肝”と“脾”の血虚(これらの臓器を循行する血液が少なく、ためにそれらの臓の機能が不活発となる)があり、肝と脾の働きが完遂できず、疲れてきて、手掌、足の裏、それに胸の内がむしむしとして熱っぽくほめき(五心煩熱)、身体や手足が痛み、頭は重くてはっきりせず、眼はぼんやりとして、胸がさわぎ、頬は紅潮し、口中が燥く、身体がほてって盗汗が出て、食欲も減じ、すぐ横になって体みたがる、などという容態のものや、瘀血のために月経不順があり、臍のあたりや下腹が張り、痛んだり、ちょうどマラリヤででもあるかのように熱くなったり寒くなったりするようなもの、また室女(未婚の若い女性)で、身体が虚弱で、貧血性で、身心と調和もできかね、咳や痰が出て、ときどき全身手足のすみずみまで、しっとりと汗ばむように熱くなり(潮熱)、あたかも肺結核を患っているかのように漸次痩せてくるというようなものを治す」と言うのである。
このような病状は、小柴胡湯というよりも、むしろ補中益気湯を用いる場合に近いもので、逍遙散はこの両者の中間に位するものと考えられるが、ことに婦人の気鬱、血の道症(第四講、柴胡桂枝湯の項参照)、婦人科疾患から起こったと思える諸種の病症に多く用いられる。また昔、肺尖カタルと呼ばれた状態で、ごく早期で進行性の病状でないものに用い現れる機会もある。だから昔は、婦人の病には必ず本方を用いて効果をおさめたものであると言い伝えられている。
なお浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』に説くとおり、本方は小柴胡湯の変方とも考えられるが、当帰、芍薬、白朮、茯苓と組まれているところは、さらに当帰芍薬散を合方した意味合いもある。しかもこれは、小柴胡湯より黄芩、半夏のような比較的鋭い薬効の薬味を去り、人参、大棗のような小柴胡湯証で咳のひどいときに用いにくいものも入っていない。したがって本方は、小柴胡湯ではかえって咳嗽が増悪するおそれのあるような場合に用いられるし、また小柴胡湯よりももっと虚証のものに用い得る。殊に大切なことは、本方が当帰芍薬散から川芎のような作用の鋭い薬味を除き、他の駆瘀血生薬を含むことで、身心が衰え、ノイローゼ気味で神経質な訴えの多いものに用いられる理由である。また小柴胡湯に比すれば、胸脇苦満の症状は弱く、心身が疲れやすい虚弱な人に用いられる。
そこで本方は、昔から、小柴胡湯と同様に、「和剤」と言われ、病気の大勢はおさまったが、さてそれからぐずついて、なかなかうまく治り切らないという場合に、「調理の剤」という意味で用いたり、また補剤、瀉剤を誤って用い過ぎたりしたときにも応用成てよいものである。地黄を用いたが胃にもたれた、下痢をして調子が悪いというようなものにもまたよく用いられる。(地黄は滋潤の力は強いが、胃の悪い人、胃の弱い人には、もたれることが多い。この場合、乾地黄を用いると、熟地黄より、そのもたれは少ない)。小柴胡湯の虚証といっても、人参、黄耆を含む補中益気湯を用いるほどの虚証ではない。
すでに述べたように、本方は婦人の薬方とも考えられていたくらいで、平素より神経質な虚弱な体質の人で、内分泌系の不調和や自律神経系の不安定状態にあり、世に言うところの血の道症の場合に用いられるのである。
その症状は、常に頭が重く、眩暈(めまい)があったり、よく眠れなかったり、手足が冷たく、非常にだるい、月経の異常がある。また寒けがしたり、熱くなったり、殊に午後になるとのぼせて顔、殊に頬が紅くなってくるような症状もあり、背中がむしむしとして熱感を覚えると訴えることもある。
このような症状群は、当帰芍薬散や桂枝茯苓丸の適応を思わせるところもあるが、神経質な症状を治す点では、本方が遥かによく奏効する。
また、当帰芍薬散を用いて胸がつかえ、その他いろいろ副作用の起こってくる場合に、本方または本方に山梔子を加えると胃にもたれることが少なく、用いやすいものである。大塚敬節先生は「胃潰瘍などの胃病患者で、心下部がつかえて胃痛のあるときなどに、山梔子・甘草の二味を用いて良い効果がある」と言われたことがあるが、先生は山梔子を上手に使っておられた。
加味逍遥散
逍遥散に牡丹皮と山梔子の二味を加えたもの(山梔子については第十講参照)
本方は「腎の潜伏している虚火を治す」といって、清熱(熱をさます)の意味がある。ただし本方は虚弱な患者に用いることが多く、虚火をさますのであるから、瀉剤である牡丹皮に注意して、前述(29項)のように三段炙りを用いるのである。
〔註〕虚火について
火は本来、実邪によるものであるが、虚した場合にも火の症がくる。すなわち疲れたときに、ほてったり、のぼせて熱くなったりするのがそれで、これを虚火という。ことに「腎」は水と火を有するが、腎水が虚して燥くと、腎の火(命門の火)が燃え上がって、臍のところに動悸がしたり、のぼせたりする。これを「腎の虚火が炎上する」と言う。肺結核の熱などもこれに属し、腎の虚火によるものである。
*
以上の応用目標に次いで、本方の適応症を疾患別に要約しておこう。
適応症
〔1〕 ノイローゼ、憂鬱症で、前述のような瘀血症状の加わったもの。
浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』によると、「・・・・・・東郭(和田東郭を指す)の地黄・香附子を加うるものは、この裏にて肝虚の症、水分の動悸甚だしく、両脇拘急して思慮鬱結(くよくよ思いわずらう)する者に宜し。」とあり、百々漢陰の『漢陰臆乗』によると、『・・・・・・また婦人の性質肝気たかぶりやすく、性情嫉妬深く、ややもすれば火気逆衝して面赤く眦つり、発狂でもしようという症(ヒステリー症)にもよし、また転じて男子に用いてもよし、その症は平生世に言う肝積もちにて、ややもすれば事にふれて怒り易く、怒火衝逆(のぼせ上って)、嘔血、衂血(鼻血)を見るし、月に三、四度にも及ぶというようなる者には、此方を用いて至って宜し。」とある。
また、気鬱から起こる鳩尾(みずおち)あたりの痛みや乳の痛みなどを訴えるものに気剤である正気天香湯などがいくような場合に用いることもある。
〔2〕月応不順、月経困難症
それが肝鬱症を伴うときに特効がある。北尾春圃は「婦人の虚証の帯下、諸治無効のものに、異功散を合してよし」と言う。
〔3〕肺結核
むかし肺尖カタルと言われたごく初期の症状で、進行性でなく、軽症のものに用いる機会がある。月経不順、午後の発熱、のぼせ感、頬の紅潮等が目標となる。
〔4〕婦人の肥満症(内分泌障害性のもの)に川芎・香附子を入れて用い、数週間に一〇kg前後も減じたことがあるが、多くは長く続服する必要がある。
〔5〕婦人の慢性膀胱炎に用いることもある。
〔6〕産前後の人の口舌糜爛などに、血熱と見て、本方に牡丹皮・山梔子を加えて用いるとよい。
〔7〕皮膚病で諸薬の応じないものに奇効のあることがある。婦人、ことに肝鬱症を伴ったときに、多く効果がある。更年期で春秋の季節の変り目に、頸部、顔面にできる痒い湿疹に効き、ニキビによいことがある。疥癬のようなものには加味逍遙散合四物湯で特効のあることが多い、と『方函』に書かれている。また加味逍遥散加荊芥地骨皮にて鵞掌風(婦人科疾患と関係ある手掌角化症)を治すのに用いる。
〔8〕肝鬱症に伴う肩こり、頭重、不眠症、便秘(虚秘ともいわれる軽症のもの)などにも甚だよいとされている。
逍遙散・加味逍遥散の治験例
〔1〕 女子、二十九歳
長身で痩せぎす、皮膚の色が悪く、艶もなく、顔は蒼白く、額には青筋が見える。見るからに神経質そうな人で、内気で言葉つきはおとなしく、ゆっくりだが、自分の気持ちははっきりと言う。
以前より脱肛があり、子宮後屈症であるが、妊娠しやすい。本年初めより早産や人工流産をした。
本年九月十九日初診であるが、「昨年四月二十八日、急に左の頸部リンパ節炎に罹り、三七・五度の熱を出した。手術により、四日間ほどのうちに次第に熱は下がった。ところが念のためにと抗生物質の注射をされたが四〇度の熱が出た。これを中止して三七・五~三八度の熱がまる一年つづき、本年五、六月頃から三七・三度くらいになって今日に至っている。」という。
その他の患者の苦痛は大したことはないが、疲れやすく、眠られぬ夜が多い。常に頭が重く、ときに頭痛がし、肩が凝ったりする。手足は冷たく、また冷えやすく、冷えると必ずのぼせがして顔が赤くなる。以前はよく動悸がしたが、最近はそれほどではなく、ときどきちょっとしたはずみにある。またフラッとすることもある。月経は順調で一週間つづく。食欲はよくない。便通は一日一行。
以上であるが、「三七・五度前後の熱をとって欲しい」というのが主訴である。
本人は、内臓下垂を伴い、易疲労性と自律神経失調症状が目立っている。
脈は沈小弦、按じて弱く、疲労時に現われる労倦の脈状である。
舌はよく湿り、うすく白苔がある。
胸部では、右側鎖骨下部と、これに対応した右側上背部に無響性(結核性のものは有響性)の小水泡性ラ音を聴き、この部の撮診が少しく陽性。また両側僧帽筋上縁から項部にかけて筋肉の緊張が強い。
腹部は全般に軟らかく、特に膝の上下の部は力が抜けている。心下部は部厚く感じ、按圧すると腹内に向かって少し抵抗感(軽度の心下痞鞕)があり、臍上部辺で動悸を触れるが、本人は自覚しない。
レ線による所見は、右上肺野に弱い浸潤陰影があり、赤沈は平均一一・五mmである。
以上の所見により、加味逍遥散を与えた。服薬後好転し、眠りも腹の工合も良くなり、一年余も続いた熱も二週長続服した頃から平熱となり、ラ音も消失した。三~四ヵ月も続服するうちにまるまると太ってきた。
これは、服薬後すみやかに好転し、見事に著効を示した例である。
〔2〕 女子、三十三歳
本年十一月初診。昨年二月頃ひどい坐骨神経痛に罹り、全く動けなかったが、諸治無効の状態のまま半ヵ年を経過した。それでも九月頃からは、何が効いたともなく少しずつ動けるようになった。しかしまだすっきりせず、注射、超短波治療などを続けている。
既往症としては、娘時代からたいへんな冷え症で、腰以下が冷え、ことに膝から下が激しい。ときどき水の中にでも浸っているかのように冷え切ることさえある。また毎月、半月間ほど月経のために苦しむが、ことに始まる十日間くらい前から気分が重く、イライラして怒りっぽく、知覚過敏となり、のぼせたり、肩が凝ったり、頭痛、筋肉痛が起こり、胃腸の調子も悪くなったりする。睡眠も妨げられがちで、夜中に気が滅入ることが多い。月経は七日間、量はごく少なく、痛みを伴う。毎月あるが、この人は月の半分以上も種々の苦痛があり、月経のために振り回されながら不愉快に生きていると自らも言っているが、適切な表現である。
また「生来胃弱で、胃アトニー、内臓下垂があり、胃重感、胸やけ、ゲップなどの苦痛がある時期もある。食欲はあり、肉や甘いものが好きだが、ときどきちょっとした食べ過ぎで前記のような胃の症状が起こりやすい。便秘しがちで、小便は多い方である」と言う。
病人は三十三歳の至極神経質なインテリタイプである。二人の子供があり、頭の使い方も言葉つきもテキパキしていて、すらっと細く、肉づきは中くらい、二年前から八kgほど痩せたそうである。
脈は沈小緊。左尺脈は特に弱い(腎虚)。
舌は普通以上に大きいが、厚みはうすい。色ややや貧血性で少し黒味を帯びている。舌縁には歯形が深く刻まれ、よく湿っている。舌苔はない。
さらに特別な所見としては、爪床の色に瘀血色があり、歯齦が赤黒く、皮膚も顔もいったいに普通の色合いの中に変な煤けたような色調がある。ことに眼の周囲では黒味が強い。眼瞼の下にはやや浮腫があり、手は冷たく、平常はひどく湿潤している。
腹部は全般に軟らかいが、右側に僅微な肋弓下部の抵抗があることと、胃の振水音、レ線所見などから胃アトニー、内臓下垂症のあることが明らかである。
なお左側下腹の深部に小児手掌大の強い圧痛のある場所があり、さらに臍の左下部、左大巨の穴あたりに、ときに触知できるやや長形で鳩卵大くらいの境不明の抵抗がある。昔の医者が「疝」の他覚的所見といっていたものである。
以上のことから、生まれつき弱く、神経質で、内分泌系の機能上の平衡失調が病因だと思える。しかし漢方的には陰虚証の瘀血、水毒があり、また少陽病証の胸脇苦満も僅かにある。
こんなことから当帰芍薬散合苓桂朮甘湯加柴胡黄芩から出物した。もちろんこれで甚だ良好ではあったが、いろいろ苦心をして当帰建中湯合小柴胡湯加香附子蘇葉や十全大補湯加附子合半夏厚朴湯などでも全般的に言って好調とはなった。しかし、どうしても今一歩というところで、「月経に振り回される人生」から抜け切れるというところまでは行かなかった。
このような調子で約五ヵ年を経過してしまった。ちょうど九月中頃のこと、或る機会に肝腎虚の脈状や症状のあること、ごく僅かながら胸脇苦満のあ識こと、つつしみ深い人であるのに、ややもするとヒステリー状になり、子供を叱りつけることもあるなど、あまりにも『局方』の逍遙散の主治に合致することの多いのに気が付いた。
そこで逍遥散を試みたところ、日ましに調子がよくなり、ついに今一歩の苦しみからもほとんど解放されるようになった。このような調子で、その後数ヵ月のあいだ快適な生活を送り、なお加療を続けている。
〔3〕女子顔面黒皮症、三十三歳
本年十一月一日初診であるが、真黒い顔をした痩せた人で、いかにも恥しそうに、おずおずと、聴き取りにくいほどの低い声で訴えて来た。
五年前、お産をして間もなく、右の頬に肝斑(直径二~三cmほどもある斑)ができたが、ホルモンやビタミンCの注射などを受け、半年くらいで治った。ところが去年の秋ぐち、顔が一面に痒くなったので皮膚科を訪れると、ビタミンB2の不足のためだと言われ、その治療を受けた。そのうちに顔全体が次第に赤くなり、それがひどくなって、ついに黒く変色してきた。その後、黒味は幾分うすらいだが、この夏ごろからまた赤くなってきた。
現在は或る病院の皮膚科に転じ、女子自面黒皮症と言われ、ビタミンB2とCの注射をしてもらっている。今のところ痒くはないが、顔の皮膚がガサガサして、ときどきのぼせて顔がカッとなり、ことに温まるとひどくなる、とのこと。
なお、手足の冷えがあることと便秘気味のほかに苦痛はなく、食欲はあり、よく眠れるという。
顔は両眉以下全面が赤黒い面でも被ったようで、その他の部分から際立っている。その赤黒い部分の皮膚は、全体に小さいブツブツが湿疹のようにあり、ことに左の頬から口角を回って口の下の部分一体にひどくなっている。
脈は小弦弱。少しく数である。
舌は、苔はなく赤味が強い。よく湿っている。
腹は胸脇苦満がかなりある。右腹直筋が肋骨弓から臍のあたりまで攣急している。左側下腹の深部にほぼ直径五cmくらいの、かなり強い圧痛のある部分がある。
以上の所見から、小柴胡湯合当帰芍薬散料加荊芥連翹玄参を用いてみた。
一週間後、顔の様子は好転し、のぼせも消失、腹候は改善され、腹直筋攣急は消失し、胸脇苦満も右下腹部の圧痛も軽度になっていた。このようにして数週間が過ぎ、顔の赤みは消え、黒味もややうすらいでいた。
ところが十二月六日のことである。カゼをひいてから一週間ほど休薬しているうちに、また顔が痒くなり、荒れはじめ、手足も冷たく感じるようになったと、いかにも残念そうに話した。
私もひどく心を動かされて、よせばよいのに、首より上の悪瘡に用いる後世方の清上防風湯に転じた。これで一時的に好転したようだったが、皮膚病の治療の場合の通有性(どんな転方でも、その直後、必ず一時的に奏効するケースがある)で、後はかえって悪くなった。
十二月二十三日来院したとき、やさしく容態を問うと、心の中のイライラを剥き出しに近頃の夫の過酷な仕打ちを訴え、シクシクと泣きながら、最近は気分が非常に憂鬱になり耐えがたいものがあると言う。
月経の異常はないが腹候が初診のときと全く同じに悪くなっていた。
そこで、『和剤局方』の逍遥散だと考え、浅田の『方函口訣』の加味にならって、四物湯を合方し、さらに香附子、地骨皮、荊芥を加えて与えた。こんどはたいへんよく効き、数週間を経て、顔面、腹候とも漸次改善され、心も平静となり、一時は死を考えたほどの苦しみも日増しにうすらいで、希望が湧いてきたと喜ばれた。
〔付〕 逍遥散・加味逍遥散の鑑別
以上で逍遥散および加味逍遥散の応用について、その大体を述べたが、両者の鑑別を簡単に言うと、牡丹皮・山梔子を加えると清熱の意が強まる。しかもそれが上部に効くときと下部に効くときの二つの場合がある。上部に効く場合は、上部の血症すなわち逍遥散症で、頭痛、面熱紅潮、肩背の強ばり、衂血(鼻血)などのある場合であり、後者の場合は、下部の湿熱すなわち泌尿器生殖器疾患、ことに婦人の痳疾の虚証、白帯下にも用いる。湿熱でも悪寒発熱つよく、胸脇に迫り、嘔気さえ加わるようなものは本方よりも小柴胡湯加牡丹皮山梔子がよい。
なお本方は、小柴胡湯合当帰芍薬散に近く、それよりもやや虚証のものと考えてよいが、実証の場合、すなわち小柴胡湯合桂枝茯苓丸に比するものは柴胡桂枝湯とみてよいかと思う(柴胡桂枝湯については第四講で述べる)。
頭註
○合方(ごうほう)-二つ以上の薬方を組み合わせて一方とすることをいう。この場合、重複する薬味はその量の多い方をとるのを原則とする。但し水の量は増量しない。
○肝-漢方医学の肝は、現今の肝臓のみではない。肝は血を蔵すと言い、またその経絡は陰器をまと感、生殖器系、内分泌系等に関係すると同時に将軍の官と言い、気力は肝の力により生じ、怒ったり、癇癪を起こしたりするのも肝の作用だと言われる。つまり下垂体間脳の作用を多分に含むものである。
老人はしばしば「腎虚」になるが、腎虚に至るまでの更年期・初老期には「肝虚」を呈しやすい。
○熱入血室(熱血室ニ入ル)-血室を子宮と解したり、血管系統を指すと考えたり、いろいろな解釈があるが、『傷寒論」の小柴胡湯の条文に出てくるこの血室は「肝」と解すべきであろう。
○中風-急性熱病の軽症のもので、感冒の如きもの。(81頁註詳述)
○寒熱-ここでは悪寒と発熱を言う。
○瘧(ぎゃく)-マラリアの如き熱病。
○『和剤局方』-宋の神宗の時、天下の名医に詔して多くの秘方を進上させ、大医局で薬を作らせたが、徽宗の代になって、その時の局方書を陳師文等に命じて校訂編纂させたのが『和剤局方』五巻である。この書はまず病症をあげて、それに用いる薬方と応用目標を示してあるので、頗る便利であり、広く世に用いられ、日本の医家にも利用された。現代日本の「薬局方」の名称もこれからとったものという。
○心忪-驚き胸さわぎする。
○血熱-月経不順、吐血、鼻出血、血便、血尿、発疹など血の症状と熱が相伴ったもの。
○骨蒸-体の奥の方から蒸されるように熱が出ることで、盗汗が出るのを常とする。
○『万病回春』(全八巻)-明の龔廷賢の著(五八七)。金元医学の延長線上に編集された臨床医学の名著。基礎論から各論に亘り、治方を論じたもの。
○『医方集解』-清代の汪昂によって著された(一六八二年)名著。主要処方九九一方(正方三八五・付法五一六)を取上げて類別し、詳しく注釈したもの。常用の方ほぼ備わるものとして広く流布した。同じく汪昂には『本草備要』その他の著がある。
○『衆方規矩』-曲直瀬道三(一五〇七~一五九四)によって書かれ、その子玄朔によって増補された処方解説の名著。後世方を主として常用する重要処方を集録し、それぞれの運用法を詳述したもので、江戸時代には広く医家に利用された。(道三については167頁に詳註)
○補中益気湯(弁惑論)
人参・白朮・黄耆・当帰・陳皮・大棗・柴胡・甘草・乾生姜・升麻
小柴胡湯の虚証に用いられ脾胃の機能が衰えたため、食欲不振、手足や目をあけていられないようなだるさを訴える者に用いる。
○浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』-宗伯(一八一五~一八九四)は幕末から明治前半まで活躍した近世日本漢方を総括した最後の漢方医。学・術ともに秀で政治的手腕もあり、多くの門人を育て、多数の著作を残した。初め古方中心であったがのち後世方をも包含して浅田流と称せられ、縦横に薬方を駆使するに至った。その代表的薬方を網羅したものが『勿誤薬室方函』て、それを臨床的に解説したものが『同口訣』である。
○和剤-汗・吐・下の法を禁忌とする場合の治療薬方。小柴胡湯は三禁湯と言い、これら汗・吐・下の法を禁忌とする場合に和して治す和剤の代表である。
○調理の剤-病気治療の仕上げのための養生を「調理」と言い、そのときに与える薬方。古方ではそういう場合、調理の剤として柴胡桂枝乾姜湯、後世方では補中益気湯などがある。
○命門の火-前漢時代の古典である『難経』(三十六難)には、腎には二葉があり、腎が左に命門が右にあって、腎は陰をつかさどり水に属し、命門は陽をつかさどり火に属すとされている。現代の漢方で言う腎はこれら両者を包含したものを指す。○経穴の「命門」は督脈に属し、第二、三腰椎棘突起間にある。
○和田東郭(一七四四~一八〇三)-初め竹生節斎、戸田旭山について後世方を学び、のち吉益東洞の門に入ったが、東洞流とは別に一家をなした。大きくは折衷派の中に数えられるが考証派の弊に陥らず、臨床に主力を注ぎ、名医のほまれが高かった。彼の医学は誠を尽し、中庸を尊び、簡約を宗とする実践的医学であったことは、その著作-『導水瑣言』『蕉窓雑話』等によっても知ることができる。『傷寒論正文解』もむつかしい考証などは一切省略して臨床家の立場であっさり解説している。
○水分(すいふん)-経穴の名。腹部正中線上、臍のすぐ上方に位する。
○百々漢陰(一七七三~一八三九)-京都の人。皆川湛園の門に学び後一家を成す。瘟疫論に詳しく、『校訂瘟疫論」をはじめ『医粋類纂』など多くの著作があるが、『漢陰臆乗』は疾患別に治療を述べ、薬方の解説がしてある。
○正気天香湯(医学入門)
香附子・陳皮・烏薬・蘇葉・乾姜・甘草
○北尾春甫-大垣の人、京都で開業、脈診に秀で、後世派の大家と中川修亭に推賞された。『桑韓医談』(一七一三)『察病精義論』『提耳談』「当荘庵家方口解』などの著がある。
○異功散(局方)
人参・白朮・茯苓・甘草・橘皮・大棗、生姜の七味(四君子湯に橘皮を加えたもの)。
○血熱-熱の一種で、熱の症状と血の異常を起こしてくる。
○『方函』-浅田宗伯の『勿誤薬室方函』を指す。
○ラ音-ラッセル音の略。聴診器で胸部または背部における呼吸音を聴くとき、正常の肺胞音と異なる異常な雑音をいう。
○撮診→第三講詳述。
○腎虚(じんきょ)-「腎」の生理機能が衰えた状態。一般には、目まい、耳鳴、腰や膝のだる痛さ、性機能の減退、脱毛、歯のゆるみなどの症状を来たす。
○大巨(たいこ)-臍と恥骨結合上縁との間を結ぶ線の上から五分の二の点から左右に水平に約四センチ外方にある経穴(ツボ)。
○疝(せん)-腹部・腰部・陰部などに激痛を起こす病。
○肝腎虚-「肝」と「腎」の生理機能が衰えた状態を指すが、実際の臨床では、或る種の高血圧症、神経症、月経困難症などの疾患に見られ、めまい、耳鳴、頭痛などを来たす。
○肝斑(かんぱん)-頬に比較的境界の明瞭な黒褐色の色素沈着を生ずるもの、中年以後の女性に多い。
○清上防風湯(回春)
防風・荊芥・連翹・山梔子・黄連・黄芩・薄荷・川芎・白芷・桔梗・枳殻・甘草
○四物湯(局方)
当帰・芍薬・川芎・地黄
金匱要略の芎帰膠艾湯から阿膠・艾葉・甘草を除いたもので、補血薬(当帰・芍薬・地黄)と活血薬(川芎)から成り、血虚の状態に使われる代表方剤である。
○清熱-清はさますの意。
○湿熱-湿と熱とが結合した病邪をいう。そのほか尿利の減少を伴う熱を後世派では湿熱と称し、また湿邪に関係ある熱、たとえば黄疸、リウマチなどを湿熱という場合もある。
山梔子(さんしし)
アカネ科(Rubiaceae)のクチナシGardenia jasminoides ELLIS. またはその同属植物の果実を用いる。イリドイド配糖体のgeniposide,gardenosideなどやカロチノイド色素(黄色色素)のクロチン、その他β-sitosterol, mannitol などを含む。
山梔子の薬能は、『本草備要』に「心肺の邪熱を瀉し、之をして屈曲下降せしめ、小便より出す。而して三焦の鬱火以って解し、熱厥心痛以って平らぎ、吐衂・血淋・血痢の病、以て息む。」とあり、一般には、消炎、止血、利胆、解熱、鎮静などの働きがあり、特に虚煩を治すとともに、吐血、血尿、黄疸などに応用する。
薬理実験では、geniposideのアグリコンであるgenipinに、胆汁分泌促進、胃液分泌抑制、鎮痛などの作用が認められるほか、クロチンのアグリコンのクロセチンに実験的動脈硬化の予防作用が認められる。このように、利胆作用については一定の証明がなせれているが、その他の消炎や鎮静などといった作用を裏づけるには不充分で、今後大いに実験を進めていかなければならない薬物である。
【参考】
うつ(鬱)に良く使われる漢方薬
http://kenko-hiro.blogspot.com/2009/04/blog-post_23.html