呉茱萸湯(ごしゅゆとう)
呉茱萸湯は、呉茱萸・人参・大棗・生姜の四味からなり主薬たる呉茱萸は、生姜と組んで、血行を旺盛にし、更に人参・大棗と伍する時は、気の上逆を下し、胃 内の停水を散ずる効がある。故に胃に停水が貯溜して、心下膨満し、或は此部に寒冷を覚えて、嘔吐・頭痛等の患をなし、脈沈遅にして、手足厥冷し、或は煩躁 するものは、呉茱萸湯の主治する処である。片頭痛・吃逆・嘔吐・脚気衝心・子癇等の際に本方を用いてよい場合があり、また急性吐瀉病で、嘔気の止まない場 合にも用いる。
呉茱萸湯は飲みにくい方剤であるから、嘔吐のある際には少量ずつ頻回に服用してもよい。
『漢方精撰百八方』
67.〔方名〕呉茱萸湯(ごしゅゆとう)
〔出典〕傷寒論、金匱要略
〔処方〕呉茱萸3.0 人参2.0 大棗、生姜各4.0
〔目標〕自覚的 嘔吐し、胸中から心窩部にかけて、つまったようで苦しく、手足が冷え、頭痛しやすく、或いは下痢する。
他覚的
脈 沈、沈弱、又は軟。
舌 湿潤した微白苔。
腹 腹力は中等度又はそれ以下で、上腹部に振水音を認めることが多く、心窩部に軽度の抵抗並びに圧痛がある。
〔かんどころ〕嘔吐し、頭痛し、手足が冷えて、むなもとつかえて、気分がわるい。
〔応用〕 1.心窩部が膨満して、食欲がなく、手足が冷えて、疲れやすいもの。
2.慢性胃炎又は胃アトニー等で、常に胃部停滞の感があり、嘔吐、頭痛を来しやすいもの。
3.常習頭痛の発作で、頭痛激甚、嘔吐し、手足が冷え、心窩部の膨満するもの。
4.吃逆が止まず、手足寒冷のもの。
5.小児の嘔気症で、手足の冷たいもの。
6.子癇。
〔治験〕本方は太陰位で、虚実の間に位置する薬方であって、水毒が上下に激動する証を呈するものである。したがって激しい嘔吐、頭痛、手足厥冷、下痢等の症状のうちいくつかが、相伴って発来する場合が多い。
五十九才の婦人。やせていて、顔色が悪く、年来の胃弱に悩まされている。手足がひどく冷え、デパート等の人混みの中に出て帰ってくると、必ずといってよい位に激しい頭痛がする。あまり激しいときには嘔吐を伴う。
脈は沈細。ぜつは乾燥したやや厚い白苔。腹力は軟で、心窩部に中等度の抵抗と圧痛とがある。上腹部に軽度に振水音を認める。
本方を続服すること五ヶ月で、顔色もよくなり、皮膚のつやも出て、胃部の不快感も、頭痛も、忘れたように消退した。
藤平 健
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
7 裏証(りしょう)Ⅰ
虚弱な体質者で、消化機能が衰え、心下部の痞えを
訴えるもの、また消化機能の衰退によって起こる各種の疾患に用いられる。建中湯類、裏証Ⅰ、
裏証Ⅱは、いずれも裏虚の場合に用いられるが、建中湯類は、特に中焦が虚したもの、裏証Ⅰは、特に消化機能が衰えたもの、裏証Ⅱは、新陳代謝機能が衰えた
ものに用いられる。
裏証Ⅰの中で、柴胡桂枝湯加牡蠣茴香(さいこけいしとうかぼれいういきょう)・安中散(あんちゅうさん)は気の動揺があり、神経質の傾向を呈する。半夏白朮天麻湯(はんげびゃくじゅつてんまとう)・呉茱萸湯(ごしゅゆとう)は、水の上逆による頭痛、嘔吐に用いる。
6 呉茱萸湯(ごしゅゆとう) (傷寒論)
〔呉茱萸(ごしゅゆ)三、人参(にんじん)二、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)各四〕
本
方は、半夏白朮天麻湯證に似て嘔吐の激しいもの、すなわち、虚寒証で胃部に瘀水がそれにつれて上下に動くために起こる各種の疾患に用いられ
る。したがって、冷え症(手足厥冷)、頭痛(頭部の冷痛)、煩操、悪心、嘔吐、心下痞、胃内停水、下痢などを目標とする。また、発作性にくる頭痛、日射病
による頭痛で嘔吐を伴うものなどでもある。
半夏白朮天麻湯證では、水の上衝がつねにあるため、めまいのほうが嘔吐よりも強いが、本方證では、水の上衝が発作的に起こるため、嘔吐が強く、めまいは弱く感じられる。
〔応用〕
一 胃酸過多症、胃下垂症、胃アトニー症、腸カタルその他の胃腸系疾患。
一 食中毒、薬物中毒など。
一 そのほか、尿毒症、脚気、悪阻など。
『臨床応用 漢方處方解説』 矢数道明著 創元社刊
p.161 頭痛・常習性頭痛・偏頭痛・胃下垂症・子癇
39 呉茱萸湯(ごしゅゆとう) 〔傷寒・金匱〕
呉茱萸三・〇 人参 二・〇 大棗 四・〇 乾生姜一・五
〔応用〕 寒飲が上下に動いて,吐いたり下したりし,煩躁し,手足厥冷し,重症の状を呈するものに用いる。虚証で冷え症のものに起こる。
本方は主として,(1)急に頭痛と嘔吐と煩躁するもの、(2)偏頭痛で,発作時は目くらみ,手足厥冷し、冷汗が出、脈沈遅の者、(3)嘔吐の癖のあるも の、(4)涎沫を吐く癖のあるもの、(5)食餌中毒ののち嘔気乾嘔のやまぬものなどに用いられ,また、(6)蛔虫症で嘔吐し、涎沫を吐くもの、(7)胃酸 過多症で、呑酸・頭痛・嘔吐のあるもの、(8)尿毒症で嘔吐・煩躁するもの、(9)子癇で嘔吐・煩躁するもの、(10)吃逆(しゃっくり)、(11)脚気 衝心、(12)慢性頭痛、発作的に頭痛・嘔吐・眩暈を起こすもの、その他虚脱・昏倒・脳腫瘍・薬物中毒などに応用される。
〔目標〕 裏に寒があり、胃に寒水があって、気の動揺はげしく、興奮状態を呈するものである。虚証で・冷え症で・嘔吐・頭痛・煩躁等を主症とし、いまにも死にそう だと訴える。心下部の圧重感・涎沫を吐し・下痢などがあり・脈は沈細遅・心下部やや膨満し・あるいは陥没し・胃内停水・拍水音のあることがある。
〔方解〕 構成は簡単である。呉茱萸が主薬で、生姜・人参・大棗が補助薬となる。呉茱萸の味は苦くて辛く温める力があり、寒(こご)えた水を逐い、気の上衝するの を降下させる作用がある。生姜は人参を助けて裏の寒水を温め順らし、上衝の気を鎮静する。人参は心下痞を治し裏の虚を補い体力をつける。大棗は胸膈部の虚 を補い、気の満を治す。
〔主治〕
傷寒論(陽明病篇)に、「穀ヲ食シテ嘔セント欲スルモノハ陽明ニ属スルナリ、呉茱萸湯之ヲ主ル。湯を得テ反テ劇ナル者ハ上焦ニ属スルナリ」とあり、また、
「少陰病、吐利・手足厥冷・煩躁死セント欲スル者ハ呉茱萸湯之ヲ主ル」(少陰病篇)
「乾嘔涎沫吐シテ、頭痛スル者ハ、呉茱萸湯之ヲ主ル」(厥陰病篇)とあり、
金匱要略(嘔吐門)に、「嘔シテ胸満スル者ハ、呉茱萸湯之ヲ主ル」とある。
勿誤方函口訣には、「此ノ方ハ濁飲ヲ下降スルヲ主トス。故ニ涎沫ヲ吐スルヲ治シ、頭痛ヲ治シ、穀ヲ食シテ嘔セント欲スルヲ治シ煩躁吐逆ヲ治ス。肘後ニテハ吐酸嘈雑ヲ治シ、後世ニテハ噦逆(エツギャク)(しゃっくり)ヲ治ス。凡テ危篤ノ症、濁飲ノ上溢ヲ審カニシテ此方ヲ処スル時ハ、其効挙テ数エガタシ。呉崑ハ烏頭ヲ加エテ疝ニ用ユ。此症ハ陰嚢ヨリ上ヲ攻メ、刺痛シテサシコミ、嘔ナドモアリ、何レ上ニ迫ルガ目的ナリ。又久腹痛、水穀ヲ吐スル者、此方ニ沈香ヲ加エテ大ニ効アリ」とあり、
餐英館療治雑話には、「此方腹ノ左ヨリサシコミ、嘔シ、或ハ涎沫ヲ吐ク者必ズ効アリ。右ヨリ差込ム証ニハ決シテ効ナシ、是レ和田家ノ秘訣ナリ、又凡ソ嘔吐ノ証、苦味ヲ吐スル者ハ肝胆ノ気上逆スルナリ、此方効アリ。
(中略) 傷寒論ニ吐利、手足厥冷、煩躁死セント欲スル者呉茱萸湯之ヲ主ルトアリ。証ノ上ニテ見レレバ全ク四逆湯ノ主治ト一様ナレドモ、四逆湯ノ証ハ吐利シテ元気飛騰(ヒトウ)(とびあがること)シ、手足厥冷、煩躁も元陽(元気の大本)離脱セント欲スル故、手足ノ厥冷もi何トナク低ヨリ冷ユル気味アリ。腹モ耎(ヤワラカ)ニシテ心下ニ格別塞ルモノナシ。呉茱萸湯ノ目的ハ手足厥冷スルトイエドモ悪ル冷エセズ、並ニ手指ノ表ヨリ冷エ、四逆ノ証ハ陰証ユエ指ノ裏ヨリ冷ユ。此レ陽証ト陰証、厥冷ノ差別ナリ。呉茱萸湯ノ証ハ心下ニ必ズ痞塞スルモノアリテ煩燥ヲナス。且ツ痞塞スル故気血ノ往来ヲ窒礙スルヲ以テ厥冷ヲナス。此ノ証傷寒論ニ脈ノコトハナケレドモ、両証共ニ絶スルカ、マタハ至テ沈微沈細ノ類ナリ。(中略)呉茱萸湯ノ苦味ニテ心下ノ痞塞ヲ圧スト陰陽通泰シテ煩躁已ミ、厥冷回ル。只心下ノ痞塞ヲ標準トス。手足ノ指ノ表ヨリ冷ユルヲ目的トスベシ。此証ニ粘汗出デテハ脱陽ニテ附子に非ザレバ治セズ。薄キ汗ナラバ呉茱萸湯ナリ」とある。
漢方治療の実際には、「発作性にくる激しい頭痛に用いる。多くは偏頭痛の型でくる。発作の激しいときは嘔吐がくる。発作は疲れたとき、食べすぎたとき、婦人では月経の前によく起こる。この発作は一ヵ月に一~二回のこともあれば、五~六回も起こる。発作の起こるときは、項部の筋肉が収縮するから、肩からくびにかけてひどく凝る。左より右にくる場合が多く、耳の後ろからこめかみにまで連なる。このくびの凝り工合が、この処方を用いる一つの目標になる。発作のときに診察すると、心下部が膨満し、患者も胃がつまったようだと訴えることが多い。漢方で心下逆満とよぶかたちになる。これも大切な目標である。また発作時には、足がひどく冷える。脈も沈んで遅くなる傾向にある。また一種の煩躁状態を伴うことがあり、じっと安静にしておれないで、起きたり寝たりして苦悶する傾向がある。嘔吐は強い発作のときには起こるが、いつもくるとは限らない。この嘔吐は悪心が強く、胆汁を吐く。このような頭痛のある患者は、発作のないとき、二~三ヵ月つづけると発作がおきなくなる。発作のときにのむと、たちまち頭痛が消散する」とある。
〔鑑別〕
○半夏瀉心湯 119 (嘔吐・心下痞硬、噯気、腹鳴、陽実証)
○五苓散 41 (嘔吐・陽証水逆、小便不利)
○小柴胡湯 69 (嘔吐・胸脇苦満、往来寒熱、陽実証)
○四逆湯 56 (嘔吐・頭痛なし、四肢厥逆甚だし)
○半夏白朮天麻湯 120 (嘔吐・頭痛・軽症で緩証、眩暈)
〔参考〕
矢数道明、呉茱萸湯証に就て(漢方と漢薬 二巻五号)
矢数道明、呉茱萸湯の治験と失敗例(漢方 一巻一号・漢方百話)
大塚敬節氏、呉茱萸湯につ感て(漢方の臨床 八巻二号)
〔治例〕
(一) 頭痛
一男子が急に狂人の如く、頭をかかえて躍り出した。何をきいても答えない。察するに頭痛のためらしい。嘔気があって手足が冷たく、目を閉じて顔色蒼白、室の中をぐるぐるまわって一刻もジットしていない。これに対して呉茱萸湯を与えること五~六貼で全く癒えた。
(吉益南涯翁、成蹟録)
『臨床応用 漢方處方解説』 矢数道明著 創元社刊
p.161 頭痛・常習性頭痛・偏頭痛・胃下垂症・子癇
39 呉茱萸湯(ごしゅゆとう) 〔傷寒・金匱〕
呉茱萸三・〇 人参 二・〇 大棗 四・〇 乾生姜一・五
〔応用〕 寒飲が上下に動いて,吐いたり下したりし,煩躁し,手足厥冷し,重症の状を呈するものに用いる。虚証で冷え症のものに起こる。
本方は主として,(1)急に頭痛と嘔吐と煩躁するもの、(2)偏頭痛で,発作時は目くらみ,手足厥冷し、冷汗が出、脈沈遅の者、(3)嘔吐の癖のあるも の、(4)涎沫を吐く癖のあるもの、(5)食餌中毒ののち嘔気乾嘔のやまぬものなどに用いられ,また、(6)蛔虫症で嘔吐し、涎沫を吐くもの、(7)胃酸 過多症で、呑酸・頭痛・嘔吐のあるもの、(8)尿毒症で嘔吐・煩躁するもの、(9)子癇で嘔吐・煩躁するもの、(10)吃逆(しゃっくり)、(11)脚気 衝心、(12)慢性頭痛、発作的に頭痛・嘔吐・眩暈を起こすもの、その他虚脱・昏倒・脳腫瘍・薬物中毒などに応用される。
〔目標〕 裏に寒があり、胃に寒水があって、気の動揺はげしく、興奮状態を呈するものである。虚証で・冷え症で・嘔吐・頭痛・煩躁等を主症とし、いまにも死にそう だと訴える。心下部の圧重感・涎沫を吐し・下痢などがあり・脈は沈細遅・心下部やや膨満し・あるいは陥没し・胃内停水・拍水音のあることがある。
〔方解〕 構成は簡単である。呉茱萸が主薬で、生姜・人参・大棗が補助薬となる。呉茱萸の味は苦くて辛く温める力があり、寒(こご)えた水を逐い、気の上衝するの を降下させる作用がある。生姜は人参を助けて裏の寒水を温め順らし、上衝の気を鎮静する。人参は心下痞を治し裏の虚を補い体力をつける。大棗は胸膈部の虚 を補い、気の満を治す。
〔主治〕
傷寒論(陽明病篇)に、「穀ヲ食シテ嘔セント欲スルモノハ陽明ニ属スルナリ、呉茱萸湯之ヲ主ル。湯を得テ反テ劇ナル者ハ上焦ニ属スルナリ」とあり、また、
「少陰病、吐利・手足厥冷・煩躁死セント欲スル者ハ呉茱萸湯之ヲ主ル」(少陰病篇)
「乾嘔涎沫吐シテ、頭痛スル者ハ、呉茱萸湯之ヲ主ル」(厥陰病篇)とあり、
金匱要略(嘔吐門)に、「嘔シテ胸満スル者ハ、呉茱萸湯之ヲ主ル」とある。
勿誤方函口訣には、「此ノ方ハ濁飲ヲ下降スルヲ主トス。故ニ涎沫ヲ吐スルヲ治シ、頭痛ヲ治シ、穀ヲ食シテ嘔セント欲スルヲ治シ煩躁吐逆ヲ治ス。肘後ニテハ吐酸嘈雑ヲ治シ、後世ニテハ噦逆(エツギャク)(しゃっくり)ヲ治ス。凡テ危篤ノ症、濁飲ノ上溢ヲ審カニシテ此方ヲ処スル時ハ、其効挙テ数エガタシ。呉崑ハ烏頭ヲ加エテ疝ニ用ユ。此症ハ陰嚢ヨリ上ヲ攻メ、刺痛シテサシコミ、嘔ナドモアリ、何レ上ニ迫ルガ目的ナリ。又久腹痛、水穀ヲ吐スル者、此方ニ沈香ヲ加エテ大ニ効アリ」とあり、
餐英館療治雑話には、「此方腹ノ左ヨリサシコミ、嘔シ、或ハ涎沫ヲ吐ク者必ズ効アリ。右ヨリ差込ム証ニハ決シテ効ナシ、是レ和田家ノ秘訣ナリ、又凡ソ嘔吐ノ証、苦味ヲ吐スル者ハ肝胆ノ気上逆スルナリ、此方効アリ。
(中略) 傷寒論ニ吐利、手足厥冷、煩躁死セント欲スル者呉茱萸湯之ヲ主ルトアリ。証ノ上ニテ見レレバ全ク四逆湯ノ主治ト一様ナレドモ、四逆湯ノ証ハ吐利シテ元気飛騰(ヒトウ)(とびあがること)シ、手足厥冷、煩躁も元陽(元気の大本)離脱セント欲スル故、手足ノ厥冷もi何トナク低ヨリ冷ユル気味アリ。腹モ耎(ヤワラカ)ニシテ心下ニ格別塞ルモノナシ。呉茱萸湯ノ目的ハ手足厥冷スルトイエドモ悪ル冷エセズ、並ニ手指ノ表ヨリ冷エ、四逆ノ証ハ陰証ユエ指ノ裏ヨリ冷ユ。此レ陽証ト陰証、厥冷ノ差別ナリ。呉茱萸湯ノ証ハ心下ニ必ズ痞塞スルモノアリテ煩燥ヲナス。且ツ痞塞スル故気血ノ往来ヲ窒礙スルヲ以テ厥冷ヲナス。此ノ証傷寒論ニ脈ノコトハナケレドモ、両証共ニ絶スルカ、マタハ至テ沈微沈細ノ類ナリ。(中略)呉茱萸湯ノ苦味ニテ心下ノ痞塞ヲ圧スト陰陽通泰シテ煩躁已ミ、厥冷回ル。只心下ノ痞塞ヲ標準トス。手足ノ指ノ表ヨリ冷ユルヲ目的トスベシ。此証ニ粘汗出デテハ脱陽ニテ附子に非ザレバ治セズ。薄キ汗ナラバ呉茱萸湯ナリ」とある。
漢方治療の実際には、「発作性にくる激しい頭痛に用いる。多くは偏頭痛の型でくる。発作の激しいときは嘔吐がくる。発作は疲れたとき、食べすぎたとき、婦人では月経の前によく起こる。この発作は一ヵ月に一~二回のこともあれば、五~六回も起こる。発作の起こるときは、項部の筋肉が収縮するから、肩からくびにかけてひどく凝る。左より右にくる場合が多く、耳の後ろからこめかみにまで連なる。このくびの凝り工合が、この処方を用いる一つの目標になる。発作のときに診察すると、心下部が膨満し、患者も胃がつまったようだと訴えることが多い。漢方で心下逆満とよぶかたちになる。これも大切な目標である。また発作時には、足がひどく冷える。脈も沈んで遅くなる傾向にある。また一種の煩躁状態を伴うことがあり、じっと安静にしておれないで、起きたり寝たりして苦悶する傾向がある。嘔吐は強い発作のときには起こるが、いつもくるとは限らない。この嘔吐は悪心が強く、胆汁を吐く。このような頭痛のある患者は、発作のないとき、二~三ヵ月つづけると発作がおきなくなる。発作のときにのむと、たちまち頭痛が消散する」とある。
〔鑑別〕
○半夏瀉心湯 119 (嘔吐・心下痞硬、噯気、腹鳴、陽実証)
○五苓散 41 (嘔吐・陽証水逆、小便不利)
○小柴胡湯 69 (嘔吐・胸脇苦満、往来寒熱、陽実証)
○四逆湯 56 (嘔吐・頭痛なし、四肢厥逆甚だし)
○半夏白朮天麻湯 120 (嘔吐・頭痛・軽症で緩証、眩暈)
〔参考〕
矢数道明、呉茱萸湯証に就て(漢方と漢薬 二巻五号)
矢数道明、呉茱萸湯の治験と失敗例(漢方 一巻一号・漢方百話)
大塚敬節氏、呉茱萸湯につ感て(漢方の臨床 八巻二号)
〔治例〕
(一) 頭痛
一男子が急に狂人の如く、頭をかかえて躍り出した。何をきいても答えない。察するに頭痛のためらしい。嘔気があって手足が冷たく、目を閉じて顔色蒼白、室の中をぐるぐるまわって一刻もジットしていない。これに対して呉茱萸湯を与えること五~六貼で全く癒えた。
(吉益南涯翁、成蹟録)
(二) 乾嘔
ある男子が突然乾嘔(ゲーゲー声のみあって物が出ない)を発した。ある医師が小半夏湯を与えること七日に及んでも治らない。その乾嘔(からえずき)の声は大きく近所を揺り動かすばかりであった。先生を迎えて治を乞うた。心下が痞えて硬く、手足が厥冷している。そこで先生は呉茱萸湯を作って飲ませた処、三貼で全く治ってしまった。
(吉益南涯翁、続建珠録)
(三) 頭痛・嘔吐の発作
六〇歳の婦人。猛烈な頭痛と繰り返す嘔吐、乾嘔で夜を明かした。脳天の百会の部と、こめかみの所とに梅干を貼り、手拭で針巻きをし、床の中で呻吟し、悶え苦しんでいる。激しい煩躁状態である。眼を開くとグラグラと眩暈がする。こんな苦しい思いをするなら一思いに死んだほうがよいと訴えている。脈は沈んで微かに遅く打っている。顔面は少しく紅潮し、不眠のためか眼球結膜は充血気味で、腹を診ると心下部は暗然と膨満して何か停滞している感じである。これを圧すると不快でたちまち嘔気を催す。舌は湿潤していて、手足が冷たい。身体全体が自分のもののような気がしないで、苦しくて身の置き所がないと感うのである。
これは「少陰病、吐利、手足厥冷、煩躁死せんと欲する」もので、呉茱萸湯の証である。すなわち呉茱萸湯一貼を服すると、一〇数分で霧が晴れたように頭痛は去り、嘔気はやみ、二時間後に往ってみると、患者は鉢巻きを取り去って、伏臥位となり、見舞客と談笑しながら煙草をすっていた。
この方二日分ですっかりよくなった。
(著者治験、漢方百話)
(四) 常習性頭痛
三〇歳の婦人。小柄で中肉。数年前から、初めは一ヵ月に一回ぐらいの間隔をおいて激しい頭痛を訴えていた。このごろは一ヵ月に三回も激しい発作が起こるようになった。頭痛は睡眠の足りないとき、眼の疲れたときに起こるが、むりをしないときでも起こることがある。発作のときは左右の肩から頸が凝り、頭痛も左右のこめかみを中心に痛む。耳が鳴ることもある。頭痛の激しいときは吐く。
診ると胸脇苦満があり、右側が顕著である。小柴胡湯の証のようにも見えるが、呉茱萸湯を与えた。薬をのみ始めて二ヵ月に一回だけ、月経前に軽い頭痛を訴えただけで、服薬を中止しても、それきり頭痛を忘れるようになった。
(大塚敬節氏、漢方治療の実際)
『臨床三十年 漢方治療百話 第一集』 矢数道明著 医道の日本社刊
p.284
呉茱萸湯の治験と失敗例
はしがき
急性病で猛烈な苦しみを起こしているものに、漢方薬を煎じて呑ませるなど、およそ迂遠極まる話だと一般によく言われているが、病気の種類によってはそのようなことも絶無ではない。しかしここに述べようとする呉茱萸湯(ごしゅゆとう)の適応症に遭遇したときなど、実に見事に速かに猛烈な苦痛が氷解するので、思わず快哉を叫ぶことがある。ことに本方証は患者の苦痛がいまにも死ぬのではないかと思われるほどはげしく、しかも西洋医学的診断病名がつけられないことが多く、医師も家人も困惑の極に達するものであるだけに、漢方の偉力を発揮する絶好のチャンスである、かつて「漢方と漢薬」時代に、昭和十年五月号で私は「呉茱萸湯の運用に就て」と題して、その頃の治験を述べたことがあった。最近また本方の偉効を久しぶりに経験したのでここに追加しておきたいと思うのである。
一
昭和廿六年十月十七日の朝、田舎にいる頃、近所の妻君が「おばあちゃんが、昨晩から頭が破れるように痛んで、吐いて吐いて狂っているという報せが来たから、すぐ往診してもらいたい」とあわただしく駈け込んで来た。素人の容態報告は時に単刀直入、中々名言を吐くことがある。私はこの言葉で呉茱萸湯証だとほと喜ど直感で断定した。それというのはこのおばあちゃんなる人の平常の体質傾向や日常生活をよく知っていたからである。急ぎ自転車で馳せつけて見ると、近所の人々が数人枕元を取り囲み、憂い顔で見守っている。患者は眼を閉じ、顳顬部から前額部にかけて、および、脳天、百会の所まで梅干の肉をベタベタに貼り、その上にシッカと手拭で鉢巻をして床の中でうんうん唸りながら転輾反側している。すなわちはげしい煩躁状態である。呉茱萸湯の頭痛は多く脳天から前額部にくるもので、これがすなわち厥陰の頭痛である。声をかけても眼を開かない。眼を開けるとグラグラと眩暈がして身体がどこかへ飛んでいってしまうようだという。頭痛は昨日の夕方から始まり、夜半にはげしく、ただ独りで苦しみ通し、人を呼ぶこともできずこのまま死んでしまうのではないかと思ったとのことだ。夜が明けるのを待って、やっとの思いで床を這い出し、戸袋につかまってようやく一枚の戸を繰り開け、通行人を呼びとめ救いを求めた。こんな苦しみをするぐらいなら一思いに死んだ方がましだと息も絶えだえに呻りながら訴えた。煩躁死せんと欲すの状である。本方証は話をしても気分が悪くなり中々問診に骨が折れるのが特徴である。
顔面はむしろ紅潮を呈し、眼瞼を開いて見ると結膜もやや充血気味である。口唇はべつだんチアノーゼを呈していない。脈をみると深く沈んで触れ難いようであるが力はあるし、遅く五十六しかない。いわゆる脈沈遅である。仰臥させて腹をみると心下部に停滞するものがあって暗然と膨満し、ここを圧すと不快で嘔気を催す。腹力もあるが直腹筋緊張や胸脇苦満は認められない。頂部強直とまではゆかないが、首すじ天柱の辺は圧痛があるし肩も凝っている。吐くものを聞くと、最初は昼に食べたものでその後は水様のもの、吐くものがなくなると乾嘔が多く、声のみで物は出ない。長い嘔気を繰り返した後で少量の粘液か唾様のものが出つだけであるという。すなわち、乾嘔、吐涎沫である。舌は少し白苔があるが湿潤している。患者は口渇を訴えるが水は飲みたくないし、飲めばすぐ吐いてしまう。
手足は冷えないかと問うと、足の方からゾーッと冷えてくると、身体中冷水を浴びせられるようで、その気持の悪いことはお話にならないという。これが四肢厥冷に当たるのであろうか、触れてみるとそれほど冷たくは感じない。自覚的に冷えを感じるようである。身体が自分のもののように覚えないし、苦しくて身の置き所がないという。これが煩躁の証である。
診察が終ると乾嘔が始まったが軽くて済んだ。患者も集まった近所の人達もなんとか早く注射でもして楽にして欲しいという。私は呉茱萸湯の正証と確信したので、けっして死ぬようなことはないし、この病気には注射よりも漢薬の方が早く効くからすぐに取りにくるように、二時間すぎたら再びくるからと急ぎ帰って呉茱萸湯一剤を渡した。
二時間後に結果はどうかと内心恐れを抱きながら行ってみると、患者は鉢巻を取去って伏臥位となり、見舞の人と談笑しながら煙草を吸っているのである。いまさらその偉効に自ら驚き古人の功績に感謝成た。きくと服薬して十分位で拭うように頭痛も嘔気も気分も治ってしまったとのことである。患者は制止するのもきかず、その日の夕方入浴し、その夜は熟睡、翌日は起床外出可能となった。
本方証を発する人はどうも不遇な寡婦か、日常苦労が多く家庭的に不幸なものに多いよう思われる。この患者も六十歳を越えた実に不遇な寡婦で夫と生別し、娘に背かれ独りで日傭をしていて、発病前農繁期のため非常に冷えて無理をしていたということである。この時体温は平熱以下で血圧は一三〇であった。十数年来毎年二-三回気候の変わり目にはげしい胃痙攣を起こす癖があった。
呉茱萸湯証でこの例のような症状を現わしたものは、現代医学の病名はなんとつけるべきであろうか。たいていの医師は高血圧か、尿毒症の前兆かもしれないとい乗であろう。尿毒症に本方を用うることもありうるが、一般的に言って血圧はどうも高くないように思われる。病名はともかくなぜこうした苦悶状になるのかというと、漢方ではこれを「胃中虚寒、濁飲上逆」の致すところであるという。現代医学の言葉を借りて言えば、本方証の頭痛は胃腸疾患に因する、内因性中毒(水毒即濁飲がこれに当たる)によって脳内圧が亢進し、反射的に起こる頭痛であり、嘔吐は胃粘膜の知覚神経刺激が、体内性毒物によって起こるものであると説明してよいかと思う。
呉茱萸湯の処方
呉茱萸三・〇 人参 大棗各二・〇 生姜四・〇(乾生姜ならば二・〇)
君薬としての呉茱萸は味は辛苦、性温熱で、胃を温め気を下し、水毒を去り欝滞を解くといわれ、胸中の逆気を開豁する作用がある、臣薬としての生姜は味辛く性温で、胃中の水飲を利し、胃口を開いて嘔を治す。佐薬である人参は胃気をたすけ、元気をまし、大棗は胃を調和する。この四つの薬が君臣佐使、よく協力して、閉ざされた胃の関門の扉を押し開き、上半身に逆流した濁飲水毒を下焦に導き、全身上下を調和平衡させる能力を発揮するという、全く恐れ入った薬方である。古人の病証観察の精密を極めたことも感嘆に堪えないところである。
竜野一雄氏の要方解説、指示中に、「本方は要するに裏に寒(中部に寒水)があって、気動劇しきものが目標である」と述べている。寡婦苦労の者、常に心気欝々として心下に痞え、一時に発して気動劇烈となることがうなずかれると思う。
二
さて第一例は呉茱萸湯の見事な治験であるが、これは呉茱萸湯証が異っていたためそれとは確定出来ず、患者を数時間苦しませた、冷汗背斗の失敗談である。
昭和廿六年十月五日、当時急用のため上京し、日帰りで夕方帰宅してみると、町内の旅館の主婦が、午後から胃痙攣で猛烈な苦しみを起こし、鎮痛の注射を二回もしてもらったが効かず困っているからとて、もう三回も迎えが来たという。その後どうなったか電話で聞いてみると主治医である友人が出て、どうしても止まらないので、いま三回目の注射をしたところ、やっと痛みがとれて眠った様子だから、もし再び悪いようなら頼みたいとのことで、ホッとして夕食を摂っていると、またまた使者があわただしく走って来て早く来てもらいたいとのことである。鎮痛の注射でも治らない胃痛ならばまず甘草湯をと一剤を鞄の中に入れて出かけた。ちょうど夜の九時で発病後五時間を経過している。病家に近づくと屋内からうなり声がしきりに聞えてくる。
三回目の注射で痛みは止んだが、先程から猛烈な嘔吐で苦しみだしたという、友人もなんとも困ったが他に重大な病気も発見できないとのこと、盲腸炎でも、腸捻転でもなし、穿孔性腹膜炎も考えられないと発病以来の病状と経過を語ってくれた。病室に入ると、患者は大兵肥満十九貫もある四十五歳の婦人であるが、床の上で転輾反側、苦しい苦しいと叫びながら身をもだえている、著明な煩躁である。苦しそうで眼を開かない。脈を診ようとするが一刻もジットしていない。辛うじてその脈は沈遅であることが判った。熱はない。腹は大変脂肪に富んでいるが、心下痞硬も緊張も硬結も圧痛もどこにも見当たらない。胸部所見もない。心下を押えると苦しいと叫んで嘔気が始まった、全くの乾嘔「カラエッキ」である。声あって物が出ない。連続する十数回におよぶはげしい嘔気の末、出るものは極く少量の一沫の粘痰である。そのたびに患者は苦悶を訴え、衣を蹴り、看護の人の手を払い、近づく者を突き飛ばし、だめだためだと起き上がって暴れだす。顔色はそんなに悪くはない、四肢の厥冷もない。現在はこの頑固な乾嘔と躁煩と胸の中が苦しいと訴えることと、動くと眼まいがするというだけのことである。嘔気と呻吟の声は室を揺がすばかり、急を聞いて親戚知人は馳せつけて部屋に満ち、ただ立騒ぐばかりである。友人はもはや打つべき注射もないという。この友人は私のこの町で最も親交があり、お互に信頼し合っていたが、漢方医学については、しばしば「急場に煎じ薬ではね」と卒直に漢想を洩らしたことがあり、患者は私の小学校当時の同級生で、遠隔地の難病者が遥々私たちの所へ診察にくると、この旅館を指定旅館としていたので、患者を通じて漢方のことはよくきいているが、「急性病の時は困ることもあるでしょう」と言ったことがあり、私としては、漢方の急性症に対する偉力を眼のあたりに実証してみたい最適の場所なのである。
症状を観察して呉茱萸湯を思い浮かべたが、私の治験はみな猛烈な頭痛と嘔吐でこの患者にいくら聞いても頭痛はしないという。手足は冷えないというし、少しも厥冷していない。かくするうち、友人はほかの患者の迎えがきて席を立ってしまう。躁煩狂乱はますますひどい。見舞の人々は一体どうしたのだというのだと騒ぎ立てる。急迫の状であるから試みに甘草湯を与えてみることにした。騒ぎを聞きながら十五分ほどで自ら煎じ、自ら徐々に与えてみた。患者は苦悶の中にも無意識に吸呑み一杯を飲み乾した。二分三分、その反応如何を見守った。呻吟は一向にやまない。甘草湯が応ずればこれも即座に奏効すべきはずである。どうも適方でない。
家人の提案で灌腸してみた。患者は大苦悶とともに二十分ほど前にのんだ甘草湯を全部吐いてしまった。そこへ友人が「内科診療の実際」を持ってやってきた。鎮吐剤の頁を開き、劇烈でいかなる薬剤も受けつけない場合、アネスチジンを少量ずつ与えること、またはインシュリン、葡萄糖を注射することなどが書いてある。いずれがよいか相談を受けたので、私は先生悪阻のはげしいのにインシュリン注射で奏効するものがあるということを産婦人科医より聞き、患者自身からもその効果あることを確かめたことがあるので、そのむねを語り、後者に賛成した。すでに往診してこの苦悶を目前に拱手傍観すること四時間におよんだのである。
さの間、馳せ帰って試みに呉茱萸湯をもう一度与えてみようと幾度か思ったが騒ぎが大きくてなんとも決断しかねた。さて上から甘草湯を吐くと、患者は灌腸のため便意を催し、家人三名に抱かれ呻吟しながら上圊した。友人と協議の結果注射の用意をして便所から帰るのを待つ、インシュリン十単位と葡萄糖四〇ccを友人は用意した。便所から帰った患者の呻吟は大分軽くなったようである。友人は直ちにその注射を済ませて居間へ引き上げ、経過を観察することにした。それからというものは急に患者の呻吟も嘔気もピタリと止まってしまった。家人も私たちも心配で病室へ赴く脈を診たり、鼻孔へ手を当てたりしてみたが、大丈夫である。スヤスヤと眠り始めたのである。友人と二人でホットした。お互に顔を見合わせていったい何が効いたかと私語した。
(一)時の経過、自然療能のためか。 (二)甘草湯で大量に吐き、灌腸で下口が通じ、上下疎通したためか。 (三)インシュリン、葡萄糖が速効を現わしたものか。
そのいずれかは判らないが、家人や見舞人の感謝の中でほろ苦いビールに夜食を馳走になって帰った。暁の三時半である。数日にしてこの患者は全快した。
傷寒論、金匱要略の条文を反省してみると、
(一)穀を食して嘔せんと欲するものは呉茱萸湯之を主る(陽明篇)。 (二)吐利、手足厥冷、煩躁死せんと欲するものは呉茱萸湯之を主る(少陰篇)。 (三)乾嘔、涎沫を吐し、頭痛するものは呉茱萸湯之を主る(厥陰篇)。(四)嘔吐して胸満するものは呉茱萸湯之を主る。(金匱嘔吐門)
私は今迄第三の乾嘔、涎沫を吐し、頭痛するものの経験多く、応用が効かず、頭痛や四肢厥冷の文字にあまりとらわれて決断がつかなかったものである。
本患者には、「煩躁死せんと欲する」症、「乾嘔涎沫を吐す」の症、「嘔吐して胸満する」症が発現し、頭痛四肢厥冷は欠乏したが、脈沈遅、正しく呉茱萸湯証であったのである。往診直ちに本証と断定しうれば、急性症には漢薬はだめだといった友人にも患者にも眼のあたりその偉力を認めてもらえたのにと残念でたまらなかった。
大塚敬節氏の要方解説、呉茱萸湯の所をその後開いてみたら、応用の中の一つに「霍乱にて悪物を悉く吐き尽して後、但嘔気止まざる者に用ゆ」おあっていまさらながら、患者を五時間近くもあの苦悶に悩ませ、親戚知人に心配をさせたことは慚愧に堪えなかったし、漢方の偉力を示す絶好の機会を失ったことは返えすがえすも残念である。記して後日の戒めとするゆえんである。
ちなみに本患者も寡婦で、過般の大火に一切を灰燼に帰し、再興のため身心ともに疲労困ぱいし、しかも発病の前日まで、一週間も知入が入院したのでこれを看護し、不眠不休で奉仕して帰って来たばかりのところで本証を発成ている。
三
この例も、呉茱萸湯と判断したが、患者がどんな薬でもくすりというものは一切飲めないという、特異体質者であるので投薬せずに病状を観察した例であり、いささか興味あることか感じられた英で附記する。
五十歳の肥満症の婦人で、血圧が二〇〇以上もあり、頭重肩凝を訴え、他の町の病院から院長を招いて脳圧を下げる目的で脊髄液を採り、ビタミンB1液を注入したという。院長はそのまま帰ってしまって四時間ほどすぎると患者は猛烈な頭痛と嘔気を発し、苦しい苦しいと呻吟して一刻もジッとしていられなくなったとのことである。脊髄液を取った後でよくはげしい頭痛を訴えることはよく注意されていることである。私も南方で熱帯マラリヤの脳症を起こしたものには必ず脊髄液をとることが規定となっていたのでよく経験した。この患者をみてその症状が、煩躁、嘔気、頭痛、脈沈と正しく呉茱萸湯証の具わることに気がついた。
家人は内服はとても飲めないから葡萄糖を注射してもらいたいとの願いである。以前も漢方と漢薬誌で述べたことがあるが、本方証に葡萄糖の注射は適応していると思われ、ちょうどその時他の胃潰瘍患者に葡萄糖の注射をしての帰途だったので注射だけ済ませ、もしこれで治らなければよい薬があるから無理にも飲むようにとすすめ、一方漢方医学的に呉茱萸湯と思われる本証がいかなる経過をとるものかを知ろうと期待して帰った。翌日きいてみるとその夜半から頭痛も薄らぎ諸症軽快したとの報告である。証に自然的推移解消のあることを知り得たのである。この時患者の血圧は一三〇で、本症患者はむしろ低血圧を呈するものが多いように思われることも興味ある問題と思われる。急激に脊髄液を取ったため血圧は下降し、反面に脳内圧が平衡を失して起こる一時的現象であろうか。
慢性頭痛の発作癖を持つ者も相当にある。これは主として、痩型、色白の、弛緩性体質者でアトニー、胃内停水のある者に多く、身心の過労などで毎年一-二回、あるいは毎月一-二回、きまって猛烈な頭痛とともに嘔気や眩暈を発作的に起こし、二三日頭も挙らず絶食すると一応症状は静まる。そしてこの発作を繰り返すのである。私は眩暈がひどい場合はよく後世方の半白天麻湯を使うことにしているが、半白天麻湯の奏効しないものや、頭痛を主とする発作の時には呉茱萸湯を投与して効果果収めている。
呉茱萸湯の応用について
第二例の失敗は本方証の本態に対する認識が皮相の観察に止まり、理解が足らず応用がきかなかったことに因るものだった。本文を終るに当たって、大塚氏、竜野氏らの要方解説から、本方がいかなる場合に広く応用されるかを備忘のため次に列記することとする。
竜野氏は指示として、
「虚性質、冷え症で嘔又は吐を主症とする。之に心下部圧重感、頭痛、涎沫、胸満、煩躁、下利等の動揺性症状を伴う。本方は要するに裏寒があって気動劇しきものが目標である。脈は沈又は細、腹症は心下部陥凹又は膨満いずれにせよ軟かである。拍水音を認めることもある」
と述べておられるが、これは簡にして要を尽したものと思われる。以上の指示によって種々の応用範囲が拡げられる。
(一)頭痛、嘔吐、第一例のようなもの。
(二)偏頭痛、発作の起こる時は目くらみ、手足厥冷し、冷汗出で、脈沈遅の者。
(三)嘔吐癖、大塚氏例、一処女数年前より、朝食毎に一椀の食を喫し終れば、一瞬時意識不明となり、食せし物を悉く吐出す。医治効なし、此方三週間にて根治す。
(四)吐涎沫癖、小児平生頻りに涎沫を吐する者。
(五)嘔気、霍乱にて悪物を悉く吐き尽して後、ただ嘔気のみ止まざる者→第二例。
(六)蛔虫症、嘔または涎沫を吐する者。
(七)胃酸過多症、呑酸、頭痛または吐する者。
(八)尿毒症、嘔または吐、煩躁し虚寒性の者。
(九)子癇、嘔吐または下利、脈腹無力、手足冷え、頭痛煩躁体倦の者。
(一〇)吃逆、気上衝によるしゃっくりで、本方にてよい者がある。
(一一)脚気衝心、本方にてよい者がある。
(一二)慢性頭痛、年に数回、月に一-二回、発すれば頭痛、嘔吐、眩暈甚だしく頭も挙らず、食を絶ち二-三日にして静まるが永年この発作を繰り返すものにこの方の証がある。
※顳顬(しょうじゅ):こめかみ
※拱手傍観(きょうしゅぼうかん):手を出さないで、ただ、ながめていること。
『《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
23.呉茱萸湯(ごしゅゆとう) 傷寒論
呉茱萸3.0 人参2.0 大棗4.0 生姜4.0(乾1.0)
ある男子が突然乾嘔(ゲーゲー声のみあって物が出ない)を発した。ある医師が小半夏湯を与えること七日に及んでも治らない。その乾嘔(からえずき)の声は大きく近所を揺り動かすばかりであった。先生を迎えて治を乞うた。心下が痞えて硬く、手足が厥冷している。そこで先生は呉茱萸湯を作って飲ませた処、三貼で全く治ってしまった。
(吉益南涯翁、続建珠録)
六〇歳の婦人。猛烈な頭痛と繰り返す嘔吐、乾嘔で夜を明かした。脳天の百会の部と、こめかみの所とに梅干を貼り、手拭で針巻きをし、床の中で呻吟し、悶え苦しんでいる。激しい煩躁状態である。眼を開くとグラグラと眩暈がする。こんな苦しい思いをするなら一思いに死んだほうがよいと訴えている。脈は沈んで微かに遅く打っている。顔面は少しく紅潮し、不眠のためか眼球結膜は充血気味で、腹を診ると心下部は暗然と膨満して何か停滞している感じである。これを圧すると不快でたちまち嘔気を催す。舌は湿潤していて、手足が冷たい。身体全体が自分のもののような気がしないで、苦しくて身の置き所がないと感うのである。
これは「少陰病、吐利、手足厥冷、煩躁死せんと欲する」もので、呉茱萸湯の証である。すなわち呉茱萸湯一貼を服すると、一〇数分で霧が晴れたように頭痛は去り、嘔気はやみ、二時間後に往ってみると、患者は鉢巻きを取り去って、伏臥位となり、見舞客と談笑しながら煙草をすっていた。
この方二日分ですっかりよくなった。
(著者治験、漢方百話)
三〇歳の婦人。小柄で中肉。数年前から、初めは一ヵ月に一回ぐらいの間隔をおいて激しい頭痛を訴えていた。このごろは一ヵ月に三回も激しい発作が起こるようになった。頭痛は睡眠の足りないとき、眼の疲れたときに起こるが、むりをしないときでも起こることがある。発作のときは左右の肩から頸が凝り、頭痛も左右のこめかみを中心に痛む。耳が鳴ることもある。頭痛の激しいときは吐く。
診ると胸脇苦満があり、右側が顕著である。小柴胡湯の証のようにも見えるが、呉茱萸湯を与えた。薬をのみ始めて二ヵ月に一回だけ、月経前に軽い頭痛を訴えただけで、服薬を中止しても、それきり頭痛を忘れるようになった。
(大塚敬節氏、漢方治療の実際)
『臨床三十年 漢方治療百話 第一集』 矢数道明著 医道の日本社刊
p.284
呉茱萸湯の治験と失敗例
はしがき
急性病で猛烈な苦しみを起こしているものに、漢方薬を煎じて呑ませるなど、およそ迂遠極まる話だと一般によく言われているが、病気の種類によってはそのようなことも絶無ではない。しかしここに述べようとする呉茱萸湯(ごしゅゆとう)の適応症に遭遇したときなど、実に見事に速かに猛烈な苦痛が氷解するので、思わず快哉を叫ぶことがある。ことに本方証は患者の苦痛がいまにも死ぬのではないかと思われるほどはげしく、しかも西洋医学的診断病名がつけられないことが多く、医師も家人も困惑の極に達するものであるだけに、漢方の偉力を発揮する絶好のチャンスである、かつて「漢方と漢薬」時代に、昭和十年五月号で私は「呉茱萸湯の運用に就て」と題して、その頃の治験を述べたことがあった。最近また本方の偉効を久しぶりに経験したのでここに追加しておきたいと思うのである。
一
昭和廿六年十月十七日の朝、田舎にいる頃、近所の妻君が「おばあちゃんが、昨晩から頭が破れるように痛んで、吐いて吐いて狂っているという報せが来たから、すぐ往診してもらいたい」とあわただしく駈け込んで来た。素人の容態報告は時に単刀直入、中々名言を吐くことがある。私はこの言葉で呉茱萸湯証だとほと喜ど直感で断定した。それというのはこのおばあちゃんなる人の平常の体質傾向や日常生活をよく知っていたからである。急ぎ自転車で馳せつけて見ると、近所の人々が数人枕元を取り囲み、憂い顔で見守っている。患者は眼を閉じ、顳顬部から前額部にかけて、および、脳天、百会の所まで梅干の肉をベタベタに貼り、その上にシッカと手拭で鉢巻をして床の中でうんうん唸りながら転輾反側している。すなわちはげしい煩躁状態である。呉茱萸湯の頭痛は多く脳天から前額部にくるもので、これがすなわち厥陰の頭痛である。声をかけても眼を開かない。眼を開けるとグラグラと眩暈がして身体がどこかへ飛んでいってしまうようだという。頭痛は昨日の夕方から始まり、夜半にはげしく、ただ独りで苦しみ通し、人を呼ぶこともできずこのまま死んでしまうのではないかと思ったとのことだ。夜が明けるのを待って、やっとの思いで床を這い出し、戸袋につかまってようやく一枚の戸を繰り開け、通行人を呼びとめ救いを求めた。こんな苦しみをするぐらいなら一思いに死んだ方がましだと息も絶えだえに呻りながら訴えた。煩躁死せんと欲すの状である。本方証は話をしても気分が悪くなり中々問診に骨が折れるのが特徴である。
顔面はむしろ紅潮を呈し、眼瞼を開いて見ると結膜もやや充血気味である。口唇はべつだんチアノーゼを呈していない。脈をみると深く沈んで触れ難いようであるが力はあるし、遅く五十六しかない。いわゆる脈沈遅である。仰臥させて腹をみると心下部に停滞するものがあって暗然と膨満し、ここを圧すと不快で嘔気を催す。腹力もあるが直腹筋緊張や胸脇苦満は認められない。頂部強直とまではゆかないが、首すじ天柱の辺は圧痛があるし肩も凝っている。吐くものを聞くと、最初は昼に食べたものでその後は水様のもの、吐くものがなくなると乾嘔が多く、声のみで物は出ない。長い嘔気を繰り返した後で少量の粘液か唾様のものが出つだけであるという。すなわち、乾嘔、吐涎沫である。舌は少し白苔があるが湿潤している。患者は口渇を訴えるが水は飲みたくないし、飲めばすぐ吐いてしまう。
手足は冷えないかと問うと、足の方からゾーッと冷えてくると、身体中冷水を浴びせられるようで、その気持の悪いことはお話にならないという。これが四肢厥冷に当たるのであろうか、触れてみるとそれほど冷たくは感じない。自覚的に冷えを感じるようである。身体が自分のもののように覚えないし、苦しくて身の置き所がないという。これが煩躁の証である。
診察が終ると乾嘔が始まったが軽くて済んだ。患者も集まった近所の人達もなんとか早く注射でもして楽にして欲しいという。私は呉茱萸湯の正証と確信したので、けっして死ぬようなことはないし、この病気には注射よりも漢薬の方が早く効くからすぐに取りにくるように、二時間すぎたら再びくるからと急ぎ帰って呉茱萸湯一剤を渡した。
二時間後に結果はどうかと内心恐れを抱きながら行ってみると、患者は鉢巻を取去って伏臥位となり、見舞の人と談笑しながら煙草を吸っているのである。いまさらその偉効に自ら驚き古人の功績に感謝成た。きくと服薬して十分位で拭うように頭痛も嘔気も気分も治ってしまったとのことである。患者は制止するのもきかず、その日の夕方入浴し、その夜は熟睡、翌日は起床外出可能となった。
本方証を発する人はどうも不遇な寡婦か、日常苦労が多く家庭的に不幸なものに多いよう思われる。この患者も六十歳を越えた実に不遇な寡婦で夫と生別し、娘に背かれ独りで日傭をしていて、発病前農繁期のため非常に冷えて無理をしていたということである。この時体温は平熱以下で血圧は一三〇であった。十数年来毎年二-三回気候の変わり目にはげしい胃痙攣を起こす癖があった。
呉茱萸湯証でこの例のような症状を現わしたものは、現代医学の病名はなんとつけるべきであろうか。たいていの医師は高血圧か、尿毒症の前兆かもしれないとい乗であろう。尿毒症に本方を用うることもありうるが、一般的に言って血圧はどうも高くないように思われる。病名はともかくなぜこうした苦悶状になるのかというと、漢方ではこれを「胃中虚寒、濁飲上逆」の致すところであるという。現代医学の言葉を借りて言えば、本方証の頭痛は胃腸疾患に因する、内因性中毒(水毒即濁飲がこれに当たる)によって脳内圧が亢進し、反射的に起こる頭痛であり、嘔吐は胃粘膜の知覚神経刺激が、体内性毒物によって起こるものであると説明してよいかと思う。
呉茱萸湯の処方
呉茱萸三・〇 人参 大棗各二・〇 生姜四・〇(乾生姜ならば二・〇)
君薬としての呉茱萸は味は辛苦、性温熱で、胃を温め気を下し、水毒を去り欝滞を解くといわれ、胸中の逆気を開豁する作用がある、臣薬としての生姜は味辛く性温で、胃中の水飲を利し、胃口を開いて嘔を治す。佐薬である人参は胃気をたすけ、元気をまし、大棗は胃を調和する。この四つの薬が君臣佐使、よく協力して、閉ざされた胃の関門の扉を押し開き、上半身に逆流した濁飲水毒を下焦に導き、全身上下を調和平衡させる能力を発揮するという、全く恐れ入った薬方である。古人の病証観察の精密を極めたことも感嘆に堪えないところである。
竜野一雄氏の要方解説、指示中に、「本方は要するに裏に寒(中部に寒水)があって、気動劇しきものが目標である」と述べている。寡婦苦労の者、常に心気欝々として心下に痞え、一時に発して気動劇烈となることがうなずかれると思う。
二
さて第一例は呉茱萸湯の見事な治験であるが、これは呉茱萸湯証が異っていたためそれとは確定出来ず、患者を数時間苦しませた、冷汗背斗の失敗談である。
昭和廿六年十月五日、当時急用のため上京し、日帰りで夕方帰宅してみると、町内の旅館の主婦が、午後から胃痙攣で猛烈な苦しみを起こし、鎮痛の注射を二回もしてもらったが効かず困っているからとて、もう三回も迎えが来たという。その後どうなったか電話で聞いてみると主治医である友人が出て、どうしても止まらないので、いま三回目の注射をしたところ、やっと痛みがとれて眠った様子だから、もし再び悪いようなら頼みたいとのことで、ホッとして夕食を摂っていると、またまた使者があわただしく走って来て早く来てもらいたいとのことである。鎮痛の注射でも治らない胃痛ならばまず甘草湯をと一剤を鞄の中に入れて出かけた。ちょうど夜の九時で発病後五時間を経過している。病家に近づくと屋内からうなり声がしきりに聞えてくる。
三回目の注射で痛みは止んだが、先程から猛烈な嘔吐で苦しみだしたという、友人もなんとも困ったが他に重大な病気も発見できないとのこと、盲腸炎でも、腸捻転でもなし、穿孔性腹膜炎も考えられないと発病以来の病状と経過を語ってくれた。病室に入ると、患者は大兵肥満十九貫もある四十五歳の婦人であるが、床の上で転輾反側、苦しい苦しいと叫びながら身をもだえている、著明な煩躁である。苦しそうで眼を開かない。脈を診ようとするが一刻もジットしていない。辛うじてその脈は沈遅であることが判った。熱はない。腹は大変脂肪に富んでいるが、心下痞硬も緊張も硬結も圧痛もどこにも見当たらない。胸部所見もない。心下を押えると苦しいと叫んで嘔気が始まった、全くの乾嘔「カラエッキ」である。声あって物が出ない。連続する十数回におよぶはげしい嘔気の末、出るものは極く少量の一沫の粘痰である。そのたびに患者は苦悶を訴え、衣を蹴り、看護の人の手を払い、近づく者を突き飛ばし、だめだためだと起き上がって暴れだす。顔色はそんなに悪くはない、四肢の厥冷もない。現在はこの頑固な乾嘔と躁煩と胸の中が苦しいと訴えることと、動くと眼まいがするというだけのことである。嘔気と呻吟の声は室を揺がすばかり、急を聞いて親戚知人は馳せつけて部屋に満ち、ただ立騒ぐばかりである。友人はもはや打つべき注射もないという。この友人は私のこの町で最も親交があり、お互に信頼し合っていたが、漢方医学については、しばしば「急場に煎じ薬ではね」と卒直に漢想を洩らしたことがあり、患者は私の小学校当時の同級生で、遠隔地の難病者が遥々私たちの所へ診察にくると、この旅館を指定旅館としていたので、患者を通じて漢方のことはよくきいているが、「急性病の時は困ることもあるでしょう」と言ったことがあり、私としては、漢方の急性症に対する偉力を眼のあたりに実証してみたい最適の場所なのである。
症状を観察して呉茱萸湯を思い浮かべたが、私の治験はみな猛烈な頭痛と嘔吐でこの患者にいくら聞いても頭痛はしないという。手足は冷えないというし、少しも厥冷していない。かくするうち、友人はほかの患者の迎えがきて席を立ってしまう。躁煩狂乱はますますひどい。見舞の人々は一体どうしたのだというのだと騒ぎ立てる。急迫の状であるから試みに甘草湯を与えてみることにした。騒ぎを聞きながら十五分ほどで自ら煎じ、自ら徐々に与えてみた。患者は苦悶の中にも無意識に吸呑み一杯を飲み乾した。二分三分、その反応如何を見守った。呻吟は一向にやまない。甘草湯が応ずればこれも即座に奏効すべきはずである。どうも適方でない。
家人の提案で灌腸してみた。患者は大苦悶とともに二十分ほど前にのんだ甘草湯を全部吐いてしまった。そこへ友人が「内科診療の実際」を持ってやってきた。鎮吐剤の頁を開き、劇烈でいかなる薬剤も受けつけない場合、アネスチジンを少量ずつ与えること、またはインシュリン、葡萄糖を注射することなどが書いてある。いずれがよいか相談を受けたので、私は先生悪阻のはげしいのにインシュリン注射で奏効するものがあるということを産婦人科医より聞き、患者自身からもその効果あることを確かめたことがあるので、そのむねを語り、後者に賛成した。すでに往診してこの苦悶を目前に拱手傍観すること四時間におよんだのである。
さの間、馳せ帰って試みに呉茱萸湯をもう一度与えてみようと幾度か思ったが騒ぎが大きくてなんとも決断しかねた。さて上から甘草湯を吐くと、患者は灌腸のため便意を催し、家人三名に抱かれ呻吟しながら上圊した。友人と協議の結果注射の用意をして便所から帰るのを待つ、インシュリン十単位と葡萄糖四〇ccを友人は用意した。便所から帰った患者の呻吟は大分軽くなったようである。友人は直ちにその注射を済ませて居間へ引き上げ、経過を観察することにした。それからというものは急に患者の呻吟も嘔気もピタリと止まってしまった。家人も私たちも心配で病室へ赴く脈を診たり、鼻孔へ手を当てたりしてみたが、大丈夫である。スヤスヤと眠り始めたのである。友人と二人でホットした。お互に顔を見合わせていったい何が効いたかと私語した。
(一)時の経過、自然療能のためか。 (二)甘草湯で大量に吐き、灌腸で下口が通じ、上下疎通したためか。 (三)インシュリン、葡萄糖が速効を現わしたものか。
そのいずれかは判らないが、家人や見舞人の感謝の中でほろ苦いビールに夜食を馳走になって帰った。暁の三時半である。数日にしてこの患者は全快した。
傷寒論、金匱要略の条文を反省してみると、
(一)穀を食して嘔せんと欲するものは呉茱萸湯之を主る(陽明篇)。 (二)吐利、手足厥冷、煩躁死せんと欲するものは呉茱萸湯之を主る(少陰篇)。 (三)乾嘔、涎沫を吐し、頭痛するものは呉茱萸湯之を主る(厥陰篇)。(四)嘔吐して胸満するものは呉茱萸湯之を主る。(金匱嘔吐門)
私は今迄第三の乾嘔、涎沫を吐し、頭痛するものの経験多く、応用が効かず、頭痛や四肢厥冷の文字にあまりとらわれて決断がつかなかったものである。
本患者には、「煩躁死せんと欲する」症、「乾嘔涎沫を吐す」の症、「嘔吐して胸満する」症が発現し、頭痛四肢厥冷は欠乏したが、脈沈遅、正しく呉茱萸湯証であったのである。往診直ちに本証と断定しうれば、急性症には漢薬はだめだといった友人にも患者にも眼のあたりその偉力を認めてもらえたのにと残念でたまらなかった。
大塚敬節氏の要方解説、呉茱萸湯の所をその後開いてみたら、応用の中の一つに「霍乱にて悪物を悉く吐き尽して後、但嘔気止まざる者に用ゆ」おあっていまさらながら、患者を五時間近くもあの苦悶に悩ませ、親戚知人に心配をさせたことは慚愧に堪えなかったし、漢方の偉力を示す絶好の機会を失ったことは返えすがえすも残念である。記して後日の戒めとするゆえんである。
ちなみに本患者も寡婦で、過般の大火に一切を灰燼に帰し、再興のため身心ともに疲労困ぱいし、しかも発病の前日まで、一週間も知入が入院したのでこれを看護し、不眠不休で奉仕して帰って来たばかりのところで本証を発成ている。
三
この例も、呉茱萸湯と判断したが、患者がどんな薬でもくすりというものは一切飲めないという、特異体質者であるので投薬せずに病状を観察した例であり、いささか興味あることか感じられた英で附記する。
五十歳の肥満症の婦人で、血圧が二〇〇以上もあり、頭重肩凝を訴え、他の町の病院から院長を招いて脳圧を下げる目的で脊髄液を採り、ビタミンB1液を注入したという。院長はそのまま帰ってしまって四時間ほどすぎると患者は猛烈な頭痛と嘔気を発し、苦しい苦しいと呻吟して一刻もジッとしていられなくなったとのことである。脊髄液を取った後でよくはげしい頭痛を訴えることはよく注意されていることである。私も南方で熱帯マラリヤの脳症を起こしたものには必ず脊髄液をとることが規定となっていたのでよく経験した。この患者をみてその症状が、煩躁、嘔気、頭痛、脈沈と正しく呉茱萸湯証の具わることに気がついた。
家人は内服はとても飲めないから葡萄糖を注射してもらいたいとの願いである。以前も漢方と漢薬誌で述べたことがあるが、本方証に葡萄糖の注射は適応していると思われ、ちょうどその時他の胃潰瘍患者に葡萄糖の注射をしての帰途だったので注射だけ済ませ、もしこれで治らなければよい薬があるから無理にも飲むようにとすすめ、一方漢方医学的に呉茱萸湯と思われる本証がいかなる経過をとるものかを知ろうと期待して帰った。翌日きいてみるとその夜半から頭痛も薄らぎ諸症軽快したとの報告である。証に自然的推移解消のあることを知り得たのである。この時患者の血圧は一三〇で、本症患者はむしろ低血圧を呈するものが多いように思われることも興味ある問題と思われる。急激に脊髄液を取ったため血圧は下降し、反面に脳内圧が平衡を失して起こる一時的現象であろうか。
慢性頭痛の発作癖を持つ者も相当にある。これは主として、痩型、色白の、弛緩性体質者でアトニー、胃内停水のある者に多く、身心の過労などで毎年一-二回、あるいは毎月一-二回、きまって猛烈な頭痛とともに嘔気や眩暈を発作的に起こし、二三日頭も挙らず絶食すると一応症状は静まる。そしてこの発作を繰り返すのである。私は眩暈がひどい場合はよく後世方の半白天麻湯を使うことにしているが、半白天麻湯の奏効しないものや、頭痛を主とする発作の時には呉茱萸湯を投与して効果果収めている。
呉茱萸湯の応用について
第二例の失敗は本方証の本態に対する認識が皮相の観察に止まり、理解が足らず応用がきかなかったことに因るものだった。本文を終るに当たって、大塚氏、竜野氏らの要方解説から、本方がいかなる場合に広く応用されるかを備忘のため次に列記することとする。
竜野氏は指示として、
「虚性質、冷え症で嘔又は吐を主症とする。之に心下部圧重感、頭痛、涎沫、胸満、煩躁、下利等の動揺性症状を伴う。本方は要するに裏寒があって気動劇しきものが目標である。脈は沈又は細、腹症は心下部陥凹又は膨満いずれにせよ軟かである。拍水音を認めることもある」
と述べておられるが、これは簡にして要を尽したものと思われる。以上の指示によって種々の応用範囲が拡げられる。
(一)頭痛、嘔吐、第一例のようなもの。
(二)偏頭痛、発作の起こる時は目くらみ、手足厥冷し、冷汗出で、脈沈遅の者。
(三)嘔吐癖、大塚氏例、一処女数年前より、朝食毎に一椀の食を喫し終れば、一瞬時意識不明となり、食せし物を悉く吐出す。医治効なし、此方三週間にて根治す。
(四)吐涎沫癖、小児平生頻りに涎沫を吐する者。
(五)嘔気、霍乱にて悪物を悉く吐き尽して後、ただ嘔気のみ止まざる者→第二例。
(六)蛔虫症、嘔または涎沫を吐する者。
(七)胃酸過多症、呑酸、頭痛または吐する者。
(八)尿毒症、嘔または吐、煩躁し虚寒性の者。
(九)子癇、嘔吐または下利、脈腹無力、手足冷え、頭痛煩躁体倦の者。
(一〇)吃逆、気上衝によるしゃっくりで、本方にてよい者がある。
(一一)脚気衝心、本方にてよい者がある。
(一二)慢性頭痛、年に数回、月に一-二回、発すれば頭痛、嘔吐、眩暈甚だしく頭も挙らず、食を絶ち二-三日にして静まるが永年この発作を繰り返すものにこの方の証がある。
※顳顬(しょうじゅ):こめかみ
※拱手傍観(きょうしゅぼうかん):手を出さないで、ただ、ながめていること。
『《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
23.呉茱萸湯(ごしゅゆとう) 傷寒論
呉茱萸3.0 人参2.0 大棗4.0 生姜4.0(乾1.0)
(傷寒論)
○食穀欲嘔,属陽明也,本方主之,得湯反劇者,属上焦也(陽明)
○少陰病,吐利,手足逆冷,煩躁欲死者,本方主之(少陰)
(金匱要略)
○嘔而胸満者,本方主之(嘔吐)
○乾嘔,吐涎沫,頭痛者,本方主之(嘔吐)
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
頭痛がして冷えを伴い、胃部圧重感があり、嘔吐または悪心があるもの。
本方は主として平素胃腸置弱いもので,発作性頭痛や偏頭痛を訴えるものに用いられ、発作時に嘔吐や悪心があって,腹部や手足が冷えることを目安に応用すればよいが,この場合の頭痛は激しいのが特徴となる。頭痛,嘔吐(悪心)を主症状とす識ものに次の処方がある。処方鑑別の目標は,次の各項を参考にすればよい。
<乳児の吐乳> 健康児の溢乳や急性腸カタル,消化不良症などで,授乳のたびに吐乳するもの,あるいは吐乳がひどく水分欠乏を来たすもの,これらのものには,五苓散適応証が多い。
<自家中毒症> 3~4歳から10歳前後の者の嘔吐や胃腸症状には,人参湯や六君子湯の適することが多い。
<吐瀉病> 本方が適する吐瀉病は,消化不良性の汚物をはき,はどい頭痛を訴える。五苓散の場合は吐瀉汚物のほとんどが水分で,著しい口渇を訴える。漢方には痰飲(たんいん)の頭痛といわれる頭痛がある。それは消化管内に長年停滞した過剰水分が,病的変化をきたし頭痛を併発すると考えられ,本方のほかに半夏白朮天麻湯などがあり,要するに胃腸が虚弱なものに多い水分代謝障害,あるいは水分の胃腸循環障害などの傾向あるもので,頭痛を訴えるものには,ぜひ試みるべき処方である。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○激しい発作頭痛で嘔吐を伴うもの。
○心下部に振水音をみとめ,あるいは膨満して硬く,嘔吐したり,唾液を吐いたり,下痢したりするもの。
○手足が厥冷して煩躁するもの。
○これらの場合,脈は沈遅,沈弱のものが多決,舌に湿潤した細かい白苔があり,腹部は腹力が中等度以下のものが多い。
○本方を用いるような人は,裏に寒飲がある場合である。裏は体内のことで消化管に相当する。飲は痰飲のこと。すなわち,水分が停滞し,かつ冷えているもの持;寒飲である。これはたとえば夏冷たい氷水を急いでごくごく飲むと,こめかみあたりがキューッと痛くなることを経験されていると思うが,これが一時的な寒飲の状態である。呉茱萸湯が適当するような人の体質的にこのような状態が長くつづいているのである。
○大塚敬節氏は漢方の臨床8巻2号で次の様に述べている。
(1) 呉茱萸湯の頭痛は,偏頭痛の形が多く,そのとき必ずといってよいほど肩こりを伴う。この肩こりは耳のうしろからこめかみのところにあらわれ,下からさしこんでくるようだと患者はいう。
(2) 向うとは多くは激しい頭痛を伴い、1回に大量の水を吐くことはなく,吐きそうにしても,何も出なかったり,胆汁だけを吐いたりする。
(3) 手足が冷える。
(4) 頭が痛むときも煩躁を伴う。
(5) 脈は発作時には沈遅になることがあるが,かえって数になることもある。発作のない時には脈はあまりあてにならない。
(6) 腹証は平素から胸脇苦満や心下痞硬のあるものもある。発作時には胸ぐるしく,みぞおちがつまったようになる。
(7) 梧竹楼方函口訣には「本方の頭痛は,頭心より,項につらなって痛み,左肋の痃癖が甚しい。これは太陽病の頭痛と区別しなければならない。本方証のような厥陰や少陰の頭痛は何れも耳のうしろからくるものである。」
○凡そ嘔吐の証で苦味を吐くものは肝胆の気が上逆するものでこの方が効く。
〈漢方診療の実際〉 大塚 矢数,清水 三先生
呉茱萸湯は呉茱萸,人参,大棗,生姜の四味からなり,主薬たる呉茱萸は,生姜と組んで,血行を旺盛にし,更に人参,大棗と伍する時は,気の上逆を下し,胃 内の停水を散ずる効がある。故に胃に停水が貯溜して,心下膨満し,或は此部に寒冷を覚えて,嘔吐,頭痛等の患をなし,脈沈遅にして手足厥冷し或は煩躁 するものは呉茱萸湯の主治する処である。片頭痛,吃逆,嘔吐,脚気衝心,子癇等の際に本方を用いてよい場合があり,また急性吐瀉病で嘔気の止まない場合にも用いる。呉茱萸湯は飲みにくい方剤であるから,嘔吐のある際には少量ずつ頻回に服用してもよい。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
寒飲が上下に動いて,吐いたり下したりし,煩躁し,手足厥冷し,重症の状を呈するものに用いる。虚証で冷え症のものに起こる。本方は主として
(1) 急に頭痛と嘔吐と煩躁するもの
(2) 偏頭痛で発作時は目くらみ,手足厥冷し,冷汗が出,脈沈遅の者
(3) 嘔吐の癖のあるも の。
(4) 涎沫を吐く癖のあるもの。
(5) 食餌中毒ののち嘔気乾嘔のやまぬものなどに用いられ,また
(6) 蛔虫症で嘔吐し,涎沫を吐くもの。
(7) 胃酸過多症で呑酸,頭痛,嘔吐のあるもの。
(8) 尿毒症で嘔吐,煩躁するもの。
(9) 子癇で嘔吐,煩躁するもの。
(10) 吃逆。
(11) 脚気衝心
(12) 慢性頭痛
(13) 発作的に頭痛,嘔吐,眩暈
を起こすもの。その他虚脱,昏倒,脳腫瘍,薬物中毒などに応用される。裏に寒があり,胃に寒水があって,気の動揺はげしく,興奮状態を呈するものである。虚証で,冷え症で嘔吐,頭痛,煩躁等を主症とし,いまにも死にそう だと訴える。心下部の圧重感,涎沫を吐し,下痢などがあり,脈は沈細遅,心下部やや膨満し,あるいは陥没し,胃内停水,拍水音のあることがある。
〈漢方入門講座〉 竜野 一雄先生
運用 1. 嘔吐
胃に寒と停飲があって上衝し嘔吐や頭痛を起し,手足冷え,或は煩躁するものを治す。脉は沈である。これ丈の条件が揃っていなければどんなに吐いても本方の証ではない。頭痛や煩躁は不定で,頭痛を伴うこともあり,甚しければ,煩躁することもあると読んでほしい。本方の原典は左記の4条を掲げている。
1. 穀を食し嘔せんと欲するは陽明に属するなり,呉茱萸湯之を主る。渇を得て反って劇しきものは上焦に属す(傷寒論陽明病)
2. 少陰病,吐利,手足逆冷,煩躁し死せんと欲するものは呉茱萸湯之を主る(同書少陰病)
3. 乾嘔,涎沫を吐し,頭痛するものは呉茱萸湯之を主る(同書厥陰病)
4. 嘔して胸満するは呉茱萸湯之を主る。(金匱要略嘔吐)
大体同じような意味のものだが逐一審議しよう。
1. 食事をして嘔き,此を催すのは陽明病に分類される。呉茱萸湯の主治である。之を飲んで反って嘔きけが劇しくなるのは上焦の病のために起ったものだ。胃が丈夫なら食物を摂っても何ともない筈だが,若し胃が弱くなっていたり胃に冷えがあると食物を受けず嘔きそうになるから,胃を補い,温めれば嘔きけは止まるとの意である。 (中略)陽明病は胃熱が本型だが,中寒や胃中冷のタイプもある。本方は中焦を治すから本方で効かぬのは上焦性のものである。
第二は少陰病で吐いたり下したりして手足が冷え上り,煩躁して死ぬ程苦しむものを主治するという。要するに中焦は身の真中だからそこが虚寒すると吐いたり,下したりし,中央は四辺を支配するから手足に冷えが起こり,反動的に煩躁して熱を起そうとするのだ。(中略)
浅田宗伯先生曰く「此方は濁飲を下降するを主とす。故に涎沫を吐するを治し,頭痛を治し,食穀欲嘔を治し,煩躁吐逆を治功。肘後にては吐醋嘈雑を治し,後世にては噦逆を治す。凡危篤の症濁飲の上溢を審にして此方を処するときは其効挙て数えがたし,呉崑は烏頭を加えて疝に用ゆ。此症は陰嚢より上を攻め,刺通してさしこみ嘔などあり。何れ上に迫るが目的なり。又久腹痛水穀を吐する者此方に沈香を加えて効あり。又霍乱後転筋に加木瓜大に効あり。」(勿誤薬室方函口訣) (中略)
嘔吐を主として使う場合は下利や腹痛や頭痛を伴っていても差支えない。脉沈弱,手足冷,腹壁軟弱,或は反対に上腹部緊張,時には胃部に拍水音を認めることがある。
(後略)
運用 2. 下利
下利だけでは使わず,嘔吐を伴うもの,急性のものに使うことが多い。
運用 3. 頭痛
頭痛だけということは無く,嘔吐を伴うのが普通である。頭痛が本で反射的に嘔吐を伴うものもあれば,嘔吐して頭痛を起こして来るものもある。熱の有無は問わないが多くは無熱であり熱があっても脉は遅や沈を呈する。偏頭痛,水を飲み過ぎて起る頭痛,薬物中毒,尿毒症,脳腫瘍その他の中枢神経系疾患に於ける頭痛,胃疾患に伴う頭痛,婦人科的疾患に伴う頭痛など応用は広い。運用1.の諸条件を参照して使う。類証鑑別を要するのは麻黄細辛附子湯,四逆湯,人参湯,苓甘姜味辛夏湯,五苓散などである。なお頭痛を項背強に転用しることが出来る。
運用 4. 煩躁
吐利煩躁するものもあれば,嘔して煩躁するもあり,嘔吐頭痛して煩躁するものもあれば,ただ頭痛,煩躁もある。煩躁が劇しいのが特徴で,他に運用1.の如き所見が認められる。誤治の結果,中毒,尿毒症などで時折見受ける。てんかん,小児のひきつけなども是に属するものと見てよい。
運用 5.嘈雑
運用 6.吃逆
運用 7.涎沫
胃から上って来る水,唾,よだれ,泡のような痰などを含めている。従ってそれが出る病気は本方を応用する機会が悪る。例えば胃酸過多症,蛔虫,よだれ多きもの,老人の痰持ち等々,運用1.を参照して使う。
『和漢薬方意辞典』 中村謙介著 緑書房
呉茱萸湯(ごしゅゆとう) [傷寒論・金匱要略]
【方意】 脾胃の水毒の動揺による頭冷痛・嘔吐等と,脾胃の虚証・脾胃の水毒による食欲不振・心下痞・胃腸虚弱等と、寒証による顔色不良・手足冷等のあるもの。
《太陰病.虚証》
【自他覚症状の病態分類】
脾胃の水毒の動揺 | 脾胃の虚証 脾胃の水毒 | 寒証 | 虚証 | |
主証 | ◎頭冷痛 ◎嘔吐 ◎乾嘔 | ◎食欲不振 ◎心下痞 ◎胃腸虚弱 | ◎顔色不良 ◎手足冷 | |
客証 | ○項背痛 目眩 胸満 胸痛 ○煩躁 興奮 呆然 意識消失 頭冒感 吃逆 | 腹満 腹鳴 上腹部振水音 呑酸 嘈囃 流涎 下痢 尿不利 | 腹痛 寒がり | 疲労倦怠 無気力 |
【脈候】 沈・沈弱・沈遅・微沈・微緩・微細・浮弱・浮細。
【舌候】 湿潤して微白苔。
【腹候】 腹力やや軟から軟、時に軟弱。心下部は膨満または陥凹し痞硬がみられる。しばしば上腹部に振水音があり、同部の触診で冷たく感じる。
【病位・虚実】 本方意は脾胃の水毒が根本であり、寒証はかなり深いとされるが、全身の新陳代謝の低下をきたすに至らず、太陰病に相当する。脈力、腹力の低下があり虚証である。
【構成生薬】 呉茱萸5.0 大棗3.0 人参3.0 生姜1.5
【腹候】 腹力やや軟から軟、時に軟弱。心下部は膨満または陥凹し痞硬がみられる。しばしば上腹部に振水音があり、同部の触診で冷たく感じる。
【病位・虚実】 本方意は脾胃の水毒が根本であり、寒証はかなり深いとされるが、全身の新陳代謝の低下をきたすに至らず、太陰病に相当する。脈力、腹力の低下があり虚証である。
【構成生薬】 呉茱萸5.0 大棗3.0 人参3.0 生姜1.5
【方解】 呉茱萸は温性の健胃・利尿・鎮痛薬で、水毒の動揺を鎮静し頭痛・嘔吐を治す。生姜も温性の健胃薬で悪心・嘔吐に対応する。大棗も温性で滋養・強壮・鎮痛作用がある。生姜・大棗の組合せは脾胃の虚証を滋養する。更に人参は脾胃の虚証より派生する食欲不振・心下痞硬・胃腸虚弱・疲労倦怠を治す。
【方意の幅および応用】 A1脾胃の水毒の動揺:嘔吐を目標にする場合。
急慢性胃炎、胃下垂、二日酔、胃潰瘍、幽門狭窄、吃逆、急性肝炎、妊娠悪阻、尿毒症
2脾胃の水毒の動揺:頭冷痛を目標にする場合。
偏頭痛、冷たいものを食べて起こる頭痛、薬物中毒、尿毒症、脳腫瘍、
胃疾患に伴う頭痛
3脾胃の水毒の動揺:煩躁・興奮を目標にする場合。
誤治、中毒、尿毒症、ひきつけ
B1脾胃の虚証・脾胃の水毒:食欲不振・心下痞・胃腸虚弱等を目標にする場合。
急性慢性胃炎、幽門狭窄、胃十二指腸潰瘍、急性肝炎、妊娠悪阻
2脾胃の虚証・脾胃の水毒:呑酸・流涎等を目標にする場合。
胃液分泌過多症、老人の慢性喀痰、流涎の多い者
C 寒証:顔色不良・手足冷・腹痛等を目標にする場合。
月経困難症、不妊症
【参考】 *胸満し、心下痞硬して、嘔吐する者を治す。『方極附言』
*此の方は濁飲を下降するを主とす。故に涎沫を吐するを治し、頭痛を治し、食穀欲嘔を治し、煩宋吐逆を治す。『肘後』にては吐醋嘈囃を治し、後世にては噦逆を治す。凡そ危篤の症、濁飲の上溢を審らかにして此の方を処するときは、其の効挙げて数えがたし。呉崑は烏頭を加えて疝に用ゆ。此の症は陰嚢より上を攻め、刺痛してさしこみ、嘔などもあり、何れ上に迫るが目的なり。又、久腹痛、水穀を吐する者、此の方に沈香を加えて効あり。『勿誤薬室方函口訣』
*本方証には心下痞満があり嘔吐するので、大柴胡湯・半夏瀉心湯・五苓散・茵蔯蒿湯等と鑑別を要することがある(大塚敬節)。
【症例】 激烈なる頭痛
32歳の主婦。激烈なる右側片頭痛と悪心を訴え来院、外来にて倒れ意識不明となる。初めヒステリー発作を疑った。頭痛激しきため、初診日はピラビタール注、セデスの投与を行ない、一応鎮静したかに見えた。しかし3日後に再び同様の発作を訴えて来院。血圧85/0、肩甲部より項部にかけて疼痛と筋肉の硬直著明。患者は痩せ型の婦人で、脈は沈、平常四肢の厥冷を訴え、便秘がちであり、悪心が著明である。眼底所見に鬱血乳頭は認められない。不眠が続いており、右側片頭痛は依然甚だしい。生理は不順で瘀血を考えたが、腹証が著明でないのでヒラビタール注を行ない、呉茱萸湯エキス剤3.0g4日分を投与し経過を観察することとした。次回の来院時は、頭痛は訴えるも以前のような発作的な頭痛ではなくなり、約3ヵ月内服を続け自覚症状は消失し、睡眠剤を使用ぜずとも眠れるようになった。
関根邦之助『漢方の臨床』11・4・45
【副作用】
重大な副作用:特になし
その他の副作用
過敏症(発疹、蕁麻疹等)があらわれた場合には投与を中止すること。
【過敏症】
[理由]
本剤にはニンジンが含まれているため、発疹、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれが ある 。また、本剤によると思われる過敏症状が文献・学会で報告されている。
[処置方法]
原則的には投与中止にて改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行う。
肝臓
[理由] 本剤によると思われるAST (GOT) 、ALT (GPT) の上昇等の肝機能異常が報告されている ため。
[処置方法] 原則的には投与中止により改善するが、病態に応じて適切な処置を行う。
【症例】 激烈なる頭痛
32歳の主婦。激烈なる右側片頭痛と悪心を訴え来院、外来にて倒れ意識不明となる。初めヒステリー発作を疑った。頭痛激しきため、初診日はピラビタール注、セデスの投与を行ない、一応鎮静したかに見えた。しかし3日後に再び同様の発作を訴えて来院。血圧85/0、肩甲部より項部にかけて疼痛と筋肉の硬直著明。患者は痩せ型の婦人で、脈は沈、平常四肢の厥冷を訴え、便秘がちであり、悪心が著明である。眼底所見に鬱血乳頭は認められない。不眠が続いており、右側片頭痛は依然甚だしい。生理は不順で瘀血を考えたが、腹証が著明でないのでヒラビタール注を行ない、呉茱萸湯エキス剤3.0g4日分を投与し経過を観察することとした。次回の来院時は、頭痛は訴えるも以前のような発作的な頭痛ではなくなり、約3ヵ月内服を続け自覚症状は消失し、睡眠剤を使用ぜずとも眠れるようになった。
関根邦之助『漢方の臨床』11・4・45
【副作用】
重大な副作用:特になし
その他の副作用
頻度不明 | |
過敏症 | 発疹、蕁麻疹等 |
肝臓 | 肝機能異常(AST(GOT)、ALT(GPT)の上昇等 |
【過敏症】
[理由]
本剤にはニンジンが含まれているため、発疹、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれが ある 。また、本剤によると思われる過敏症状が文献・学会で報告されている。
[処置方法]
原則的には投与中止にて改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行う。
肝臓
[理由] 本剤によると思われるAST (GOT) 、ALT (GPT) の上昇等の肝機能異常が報告されている ため。
[処置方法] 原則的には投与中止により改善するが、病態に応じて適切な処置を行う。