十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)
本方は慢性諸病の全身 衰弱時の虚證に用いるもので、貧血・食欲不振・皮膚枯燥・羸痩等を目標とする。脈も腹も共に軟弱で、皮膚は艶なく、甚しいのは悪液質を呈してくる。病勢が 激しく活動性のもの、熱の高いものなどには用いられない。また本方服用後に食欲減退・下痢・発熱などを来すものには禁忌とすべきである。
本方中、人参・白朮・茯苓・甘草は健胃の力が強く、食欲を進め、消化吸収を盛んにする。当帰・芍薬・川芎・熟地黄は、補血・強心の能があって、貧血・皮膚枯燥を治し血行をよくする。黄耆・桂枝はこれらすべての作用を一層強化するものである。
本方は以上の目標を以て、諸種の大病後または慢性病等で疲労・衰弱している場合、諸貧血病、産後及び手術後の衰弱、痢疾後、瘧疾後・癰疽・痔瘻・カリエス・瘰癧・白血病・夢精・諸出血・脱肛に用い、また久病後の視力減退等に広く応用される。
『漢方精撰百八方』
27.〔方名〕十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)
〔出典〕和剤局方(北宋・陳師文等奉勅撰)
〔処方〕熟地黄3.5 茯苓3.5 当帰3.5 朮3.5 川芎3.0 芍薬3.0 桂枝3.0 人参2.5 黄耆2.5 甘草1.0
〔目標〕全身衰弱、貧血、食欲不振、削痩、皮膚はツヤなく乾燥、脈、腹ともに軟弱。
〔かんどころ〕大病後または産後、外科手術後の衰弱を回復するのによいが、病勢が著しく活動性のもの、高熱、結核のシェープには用いられないし、服薬後かえって下痢、食欲不振、発熱などがあらわれるものには禁忌である。
〔応用〕本方は血虚を補う四物湯と、気虚を補う四君子湯の合方である八珍湯の効をさらに強化するため、桂枝と黄耆を加え十薬が全くして大いに虚を補すとい方意である。補中益気湯よりも一段と虚し、衰弱と貧血が強い。気血が虚したため麻痺を発した老人病や、大病後の衰弱で視力が減退するもの、下痢が長く続いて栄養失調となり体力のないもの、衰弱による夢精、産後の肥立ち悪く帯下の続くもの、フルンケル、カルブンケル、カリエス、痔瘻などで排膿止まず肉芽不良のもの、脱肛、子宮脱など虚弱に起因するものに応用する。外科手術後の回復促進に用いる機会が最も多く、白血病、悪性腫瘍、悪性貧血にも用いて一時の効をとることがある。肺結核にも用いるが、適応はそれほど多くない。
〔治験〕七十三才の男性、上顎癌が進行し転移もあり右顔面が岩のようになって崩れている。衰弱はなはだしく悪液質を発し、外科的手術も放射能治療も行いない。輸血は毎日しているがヘモグロビン値は6.0より上がらない。予後不良で一ヶ月とはもたないから帰宅してそのまま死を待つよりほかない。家人もすべてはあきらめているが、最後に漢方薬をのませてみたいという強い希望に心動かされ、延命効果しかないことを十分承知させた上で、本方の人参を韓国産の片製を配して投与した。一週間後には元気が出てよく話をするようになりヘモグロビン値は6.5になった。輸血は毎日続行しそれまで6.0以上になったことがないのに、一週間で上昇したことは本方の効としか考えられない。結局三十六日目で死亡したが、割合に体力が回復しいく分の延命効果を認めることが出来た。 石原 明
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
十全大補湯(じゅうぜんだいほとう) (和剤局方)
〔人参(にんじん)、黄耆(おうぎ)、白朮(びゃくじゅつ)、茯苓(ぶくりょう)、当帰(とうき)、芍薬(しゃくやく)、熟地黄(じゅくじおう)、川芎(せんきゅう)、桂枝(けいし)各三、甘草(かんぞう)一〕
本方は、八物湯に表虚のため、黄耆、桂枝を加えたものであり、連珠飲に黄耆、人参を加えたものとしても考えることができる。したがって、四物 湯の瘀血、苓桂朮甘湯の水毒、四君子湯の裏虚、黄耆・桂枝の表虚などを含んでいることになる。本方は、気・血・表・裏・内・外すべてが虚しており、疲労を 訴えるもので、発熱、口渇、咽喉痛、食欲不振、めまい、貧血、精神安定、皮膚乾燥、遺精、諸出血などを目標とする。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、十全大補湯證を呈するものが多い。
一 肺結核、骨結核(カリエス)、ルイレキ、痔瘻、脱肛、白血病、神経衰弱、諸出血、皮膚病など。
『《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
35.十全大補湯(じゅうぜんだいほとう) 和剤局方
人参25 黄耆2.5 朮3.5 当帰3.5 茯苓3.5 熟地黄3.5 川芎3.0 芍薬3.0 桂枝3.0 甘草1.0
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
貧血して皮ふおよび可視粘膜が蒼白か,栄養不良でやせており,食欲がなく衰弱しているもの。
本方は四物湯と人参湯に似たものを合方したような処方で,慢性に経過する諸種疾患の衰弱時に用いられ,消耗した体力を賦活し体力を増強せしめる。病中病後の衰弱時に普遍的な症候として,本方が適応するものが少なくない。具体的には容貌,栄養ともに悪く,食欲不振とともにやせて体力が低下し,皮ふにはつやがなく,気力も乏しく非常に疲労倦怠感ざ著しいと言う状態のものが目安となる。本方が対象になるような衰弱時は通常消耗熱あるいは神経症状などを伴いやすいが,本方適応症状に似て前者の消耗熱を随伴するものは,人参養栄湯が適する。人参養栄湯は本方症状と熱症状のほかに発咳があるので区別できる。また衰弱と熱の観点から,柴胡桂枝干姜湯が類似するが,柴胡桂枝干姜湯にはさらに神経症状(不眠,動悸)と消化器症状(消化不良性下痢,口渇)などが著明な点で,明確に区別できる。したがって前者の二処方は病勢が活動的であることがポイントであり,本方は病勢がやや落ちついた状態で体力増強が急務であるものを対象にすればよい。本方を投与後,次第に好転して治癒機転にあるもの。すなわち回復期には補中益気湯の応用を考慮すればよい。以上の諸点から本方は病勢が激しく,著明な熱症状,下痢,神経症状などがある場合は用いられないので衰弱と熱,咳には人参養栄湯を,衰弱と熱,消化器症状を伴うものには柴胡桂枝干姜湯を,回復期には補中益気湯を,衰弱して特殊な症状の少ないものには本方を考え,視診,問削などを総合判独して応用すれば良い。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○慢性病,大病後,虚弱者,老人,幼児などで体力,気力ともに衰えたものに用いる。したがって疲労しやすい,皮膚枯燥,貧血,盗汗,大便軟,小便がしぶり,あるいは頻数になり,遺精,発熱,微熱,口乾,咽喉痛,舌あれ頭や頸の痛み,めまい,精神不安など種々の症状を呈し,食欲が減少するもの。これを梧竹楼は「種々な原因によって過労衰弱を来した一切の者や老人,虚弱者がいろいろな雑症があって,これぞといってとらえどころのない病人に用いる。すべての癰疽の排膿のあとは,大抵本方に附子を加えて用いるとよい」といっている。
○勿誤薬室方函口訣には「局方の主治では,八物湯は気血の虚を治し,薛立斎の主治によれば,黄耆は人参に協力して自汗盗汗を止め,表の気を固くする。桂枝は人参,黄耆に協力して遺精,大便軟,尿不利あるいは尿頻数を治す」といっている。
○方意解:和田東郭は本方の症状として血便,血尿,下腹痛,脱肛,陰茎痒痛などをあげている。
○踈註要験:①産後の衰弱,貧血,②結核などで衰弱したもの。③虚弱な人が房事過度で衰弱したもの。④腹痛が種々な薬を用いても治らないとき,こういうとき黄耆建中湯で鎮痛の効を得たことがあること,⑤内症により発疹を生じたもの,こういうことは発汗過多,過労のあとでおきるものである。⑥数年にも及ぶ下痢症。
〈漢方診療の実際〉 大塚,矢数,清水 三先生
本方は慢性諸病の全身衰弱時の虚証に用いるもので,貧血・食欲不振・皮膚枯燥・羸痩等を目標とする。脈も腹も共に軟弱で,皮膚は艶なく,甚しいのは悪液質を呈してくる。病勢が激しく活動性のもの,熱の高いものなどには用いられない。又本方服用後に食欲減退・下痢・発熱などを来すものには禁忌とすべきである。本方中,人参,白朮,茯苓,甘草は健胃の力が強く,食欲を進め,消化吸収を盛んにする。当帰,芍薬,川芎,熟地黄は,補血,強心の能があって,貧血,皮膚枯燥を治し血行をよくする。黄耆,桂枝はこれらすべての作用を一層強化するものである。
本方は以上の目標を以て,諸種の大病後または慢性病等で疲労,衰弱している場合,諸貧血病,産後及び手術後の衰弱,痢疾後,瘧疾後,癰疽,痔瘻,カリエス,瘰癧,白血病,夢精,諸出血,脱肛に用い,また久病後の視力減退等に広く応用される。
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
この方は気血,陰陽,表裏,内外,みな虚したものを大いに補うという意味で十全大補湯と名づけた。諸病の後で,全身の衰弱がひどく,貧血し,心臓も疲れ,胃腸の力も衰え,痩せて脈も腹も軟弱,温かい手をもって腹を按ずることを好み,熱状のないものを目標とする。
〈勿誤方函口訣〉 浅田 宗伯先生
此方,局方の主治によれば,気血虚すと云ふが,八物湯の目的には,寒と云うが黄耆,肉桂の目的なり。又下元気衰と云ふも肉桂の目的なり。又黄耆を用ふるは人参に力を併せて自汗盗汗を止め,表気を固むるの意なり。肉桂を用ゆると,九味の薬を引導して夫々の病む処に達するの意なり。何れも此意を合点して諸病に運用すべし。
〈医方口訣集〉 長沢 道寿先生
凡そ人元気素より弱く,或ひは起居宜しきを失するに因り,或ひは飲食労倦に因り,或ひは用心大過に因り,遺精白濁,自汗盗汗,或ひは内熱,哺熱,潮熱,発熱,或ひは口乾きを渇を作も,咽痛み舌裂けて,或ひは胸乳膨張し,脇筋痛みをなし,或ひは頭頸時に痛み,眩暈目花あり,或ひは心神寧らず,或ひは寤めて寝られず,或ひは小便赤く渋り,茎中痛みをなし,或ひは便溺余滴あって,臍腹陰冷し,或ひは形容充たず,肢体寒を畏れ,或ひは鼻息急迫等の諸症を治するの聖薬なり。
〈蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
すなわち八珍湯に黄耆,肉桂を加うるものなり,気血ともに虚し,発熱悪寒,自汗,肢体倦怠,あるいは頭痛,めまい,口乾の渇を作して治す。また久病虚損,口乾き食少なく咳し,しかして下痢,驚悸発熱,あるいは寒熱往来して盗汗,自汗,哺熱,内熱,潰精白濁,あるいは二便に血をみる。小腹痛みて作し,小便短乾,あるいは大便滑泄,肛門下墜,小便を再々もよおし陰茎が痛むなどの症を治す。
〈和剤局方〉 陳 師 文 先生
男子婦人諸虚不足,五労七傷,飲食進まず,久病虚損,時に潮熱を発し,気骨脊を攻め,拘急疼痛,夜夢遺精,面色痿黄,脚膝力無く,一切病後気旧の如からず,憂愁思傷,気血を傷動し,喘欬中満脾腎の気弱く,五心煩悶するを治す。並びに哲之を治す。此の薬性,温にして熱せず,平補にして効有り,気を養ひ,神を育し,脾を醒まし渇を止め,正を順らし邪を辟く,脾胃を温煖して其効具さに述ぶべからず。
〈名医方考〉 呉 崑 先生
肉極は肌肉消痩し,皮膚枯槁す,此方之を主る。肉極陰火に由りに久灼する者治し難し,宜しく別に六味地黄丸を主らしむべし。若し飲食労倦,脾を傷るに由りて肉極を致す者は宜しく大いに気血を補うを以て之を充つべし。
〈漢陰臆乗〉 百々 漢陰先生
諸虚百損,一切老人虚人の色々の難症ありて此れぞというて執まえてせめる処もなしと云ふ病人に用いる也。
十全大補湯(じゆうぜんだいほとう)(和剤局方、諸虚門、諸書 補益門)
【処方】
人参、白朮、茯苓、当帰、川芎、熟地黄、芍薬、桂枝、黄耆、大棗、生姜、甘草。
本方は、四物湯と四君子湯との合方である八珍湯に、さらに黄耆、肉桂を加味したものである。十薬全うして大いに能く虚を補う、故に十全大補湯と名付けられた。また、気血陰陽、表裏内外共に補わないものはなく、十全の効があるからとも云われる。
【主治】
●和剤局方(龔廷賢)
「男子婦人諸虚不足、五労七傷、飲食進まず、久病虚損、時に潮熱を発し、気骨脊を攻め、拘急疼痛、夜夢遺精、面色痿黄、脚膝力無く、一切病後気旧の如からず、憂愁思傷、気血を傷動し、喘咳中満脾腎の気弱く、五心煩悶するを治す。並びに皆之を治す。此薬性温にして熱せず、平補にして効有り、気を養ひ神を育し、脾を醒まし渇を止め、正を順らし邪を辟く、脾胃を温暖して其効具さに述ぶべからず」と述べている。
●万病回春(龔廷賢)
「気血倶に虚し、発熱悪寒、自汗盗汗、肢体倦怠、或は頭痛眩暈、口乾渇を作すを治す。又久病虚損、遺精白濁、肛門下墜、大便滑泄、小便数、陰茎疼痛等の症を治す」とある。
●名医方考(呉昆)、虚損門
「肉極は肌肉消痩し、皮膚枯槁す、此方之を主る。肉極陰火に由りて久灼する者治し難し、宜しく別に六味地黄丸を主らしむべし。若し飲食労倦、脾を傷るに由りて肉極を致す者は、宜しく大いに気血を補ふを以って之を充っべし」とある。
即ち、本方は諸病の末期、或いは全身の衰弱ひどく、貧血し、心臓が衰弱し、消化器の機能の衰えたのを鼓賦振興する場合に用いる。応用範囲の非常に広いものである。末期の消耗熱の場合の外、熱のある者には使えない。脈は洪で無力、或いは微細、緩遅で、腹状は軟弱で、さすつてもら痛がり、皮膚は枯燥しているものである。
【目標】
●勿語方函口訣(浅田宗伯)
「此方局方の主治によれば、気血虚すと云ふが八物の日的にて、寒と云ふが黄耆、肉桂の目的なり。又下元気衰と云ふも肉桂の目的なり。又薛己の主治によれば黄耆を用いるは人参に力を併せて自汗盗汗を止め、表気を固むるの意なり。肉桂を用ゆるは人参黄耆に力をかりて遺精白濁、或は大便滑泄、小便短少、或は頻数なるを治す。又九味の薬を引導して夫々の病処に達するの意なり。何れも此意を合点して諸病に運用すべし」とある。
●当荘庵家方口訣(北尾春甫)
「気血両虚の虚冷したるに用いる剤なり。虚甚しければ則ち附子を加ふ。脈法進んで無力、中弦緊按じて鼓せず、或は大にして無力、或は微細緩遅、心下空虚按を好み、或は熱手心を以って温むれば則ち快を覚ゆるを目当にするなり。此症寒を畏れ、足冷眼晴うっかりとして、どこやら少し熱もあれども実熱ならず、十全大補湯は仮熱を去る剤なり。
虚人々の腹痛あると云ふによきことあり。四君子湯、補中益気湯、六君子湯と用ゆる中に、どこやら血燥潤わせたきと思ふ様なるときに用ゆ。峻の熱すっきりと去りて保養によし。産前臨産の気弱きに用ひてよし。臨産交骨開かずも虚なり。十全大補湯、産後交骨閉ぢざるも虚大神とあり、必要の剤なり。交骨は陰門の上の骨なり。つがいめ有りて、子宮向へば骨開きて生るなり。生れて後又閉じるなり。
産後血暈、くらきくと云ひて脈弱きに用いることあり。脱血の時に黒炒乾姜を加えて用ゆるなり。血多く下るときは肉桂は去りてよきと云ふことなり。然れども血下り尽き、手足冷え、東垣の語の如く陰火も共に亡ぶるときは、血につれて陽脱せる故亡陽の症になるは肉桂、附子を加えて用いるなり。産後戦慄に人参三分入れ、独参湯、参附湯と兼用するなり、総じて脱血して戦慄に用いるなり。碗を手に持つことならぬ様に振るう者なり。甚しければ則ち剛痙柔痙とある症に成りて速かに死するなり。産前産後に必要なる剤なり。
癰疸潰後必要の剤なり。黄耆、肉桂は表を固くいやす意なり。内より托裏するなり。内托散も用ゆ、癰疸潰後内托散は定まりたる剤なり、然れども虚多くば内托散は無用の薬味もある故に、一偏に補はぬなり。痘漸次収厭せんとするとき弱みあれば用ゆるなり。
痘のかわくに潤ひて掛る剤なり。水膿の間は大形方用ひず。(註:大体方は用いないの意)何の道にも気血両虚して痘乾くによきなり。久瘧には附子を加えて必用なり。傷寒汗出で止まず、亡陽と云ふて汗につれて元陽脱し死するあり、故に汗出で已まざる時は此方主薬なり。熟附子を加ふ。脱肛収まりかね、或は産後子腸出で収まらざるにも用ゆ。補中益気湯に肉桂を加えて用ゆるなり」とある。
●漢陰臆乗(百々漢陰)
「諸虚百損、一切老人虚人の色々の難症ありて、此れぞと云ふて執まへて攻める処もなしと云ふ病人に用いるなり」とある。
●医方口訣集(長沢道寿)
「凡そ人元気素より弱く、或は起居宜しきを失するに因り、或は飲食労倦に因り、或は用心大過に因り、遺精白濁、自汗盗汗、或は内熱、哺熱、潮熱、発熱、或は口乾きて渇を作し、咽痛み舌裂けて、或は胸乳膨脹し、脇筋痛みをなし、或は頭頸時に痛み、眩暈目花あり、或は心神寧らず、或は醒めて寝られず、或は小便赤く渋り、茎中痛みをなし、或は便溺余滴あって、膀腹陰冷し、或は形容充たず、肢体寒を畏れ、或は鼻息急促等の諸症を治するの聖薬なり。
愚按ずるに俗医前症を見るときは、或は腎虚と云ふて、四物湯知母黄柏を用ひ、或は痰火と云ふて二陳湯、導痰黄連を用ひ、或は肝熱と云ふて小柴胡、竜胆、山梔子を用ひ、或は風虚と日ふて天麻、半夏、姜蚕の類を用ひ、或は淋病と曰ふて沢瀉、猪苓、木通の類を用ひ、或は寒積と曰ひ、或は熱脹と曰ひ、或は欝気と曰ひ、姜附湯、三和散、流気飲等の類を用ゆ、皆救はざることを致す。」と述べている。
●医方口訣集(長沢道寿)
「一切虚証に然りて苦寒薬を服し、壊病百出の時、六君子湯、補中益気湯の類を投じて応ぜず。此湯を用ひ姜附の類を加ふ。冬月厳寒老人虚人淡煎して日一に二服して養生の助けと為す」とある。
これらの諸説は本方運用上の参考となろう。
【治験】
●和漢医林誌(杏雨社)
「一男子年廿七、傷寒を患ひ、洋医三名の治を受け、熱漸く退き稍々快を覚え、又能く食するも羸痩日一日より甚だし、加えて両足痿軟厥冷肉脱して恰も鶴脛の如し、更に痛養を知らず。是に於て前医も百方治術を施すと難も寸効なく、治を辞す。
精神痴の如く毫も物に記臆なく、譬えば晩餐の時朝食の物を問ふに其何たるを覚えざるが如し。予往きて診するに脈沈微衰弱太甚し、果して難治の症と診認し、固辞すれども許さず、頻りに薬剤を請ふを以って、止むを得ず十全大補湯五貼を与へ一昼夜に服す可しと命じて去る。
次日奴を走らせ告げて曰く、妙剤を服してより足冷少しく止まりたり、願ばくは投剤を乞ふと、因って又前方を与ふること五日にして屈伸大いに順を得、杖に椅りて一歩を送り、且つ精神も自ら清く、言語漸く朗かなり。爾後益々前剤を連服せしむるに五十日にして復常せり」とある。
●甲斐小山喜俊
「遠藤吉門女年二十三、幼より病なし。五年前某月、右部項腋の間に結核一二を発し、遂日左部に、波及し其の形大小累々として連珠の如く、之を按ずるに更に痛痒を覚えず、起居動作も亦平常ならず、病勢緩慢なるを以って敢て意とななさず、殆ど一周年間。某歳夏天寒熱往来、結核暫時に横潰し、汚水を滲漏す、是に於て始めて医療を乞ひ、荏再歳月を経て効駿なし。本年三月初旬予を延く、診するに脈軟弱にして血液栄せず、面色惨憺形容枯幅恰も骨に皮するに斉し。
而して神心恍惚食機振はず、予熟ら意らく、是標桿猛烈の剤に過ぐ、畢竟解凝攻撃は凡庸普通の手段にして早く峻補滋養の剤を撰用し、劇易緩急の処置なくんば鬼籍に上る果して近きにあらんと、則ち十全大補湯加えて燕面草、貝母、遠志兼ぬるに伯州散を服さしめ、患所に燕面膏を塗擦すること二週間にして大いに回生の色を顕はし、累々たる結核逐次に消散し、随って汚水も亦収まる。尚ほ又前剤を連進する三閲月にして積年の痼疾全癒し幸に鬼籍を免るるを得たり。」と述べている。
龍野一雄氏はヘルニア手術後の糞痩愈えず、濃汁の出ること三月に及ぶものを本方一月程で全治させたという。
●羽前、佐藤元悦
「安部半治郎妻年三十八、客歳十月出産後悪露を得続いて帯疾となり、医之を療し荏薄日を延いて愈えず。予往きて診するに顔色屡黄脈沈微舌上黄胎呼吸息迫、少く往来寒熱、腹中拘攣小腹小塊あり、時時急痛飲食不進、両便不利す。予帯下の多少を問ふに昼夜六七行其量六七勺、乃至一合三四勺、其色或は黒く或は桃花色にして少しく臭気ありと。予以為らく、胃?膀胱及び子宮の衰弱により熱分の虚を来たせし者なりと、即ち十全大補湯を与へ之を服さしむること六月初旬より八月中旬まで凡そ七十余日にして全治す」と述べている。
【薬能】
●名医方考(呉 昆)
「肉極者、肌肉消痩し、皮膚枯槁す。若し飲食労倦脾を傷るに由って肉極を致す者は、宜しく大いに気血を補ふて以って之を充つ。経に曰く、気は之を胸くことを主り、血は之を濡ほすことを主る。故に人参、白朮、黄耆、茯苓、甘草、甘温の品を用いて以って気を補ふ。気盛なるときは則ち能く肌肉を充実す。当帰、川芎、芍薬、地黄、肉桂、味厚の品を用いて以って血を補ふ、血生ずるときは則ち能く其の枯を潤沢す」とある。
●方意弁義(岡本一抱)
「十全大補湯は八物湯に黄耆、肉桂を加ふ。八物湯は四物湯に四君子湯を合するより、気血両虚を補ふこと両輪の如し、四物湯を用ゆる血虚の症一等重くなるときは気血両虚となる。又虚すること一等甚しきときは大補湯を用ゆる場に至る。大補湯は四君子湯と四物湯とを合して黄耆、肉桂を加えるものなり。黄耆を加ふるは補へる気を引きしめて泄さず、肉桂は四君子湯、四物湯の補を強くせんがためなり。喩へば甑に蓋をなして蒸したるが如し、黄耆は蓋の如し、肉桂は釜下の火の如し、是を以って其気を能く生じて気を中にみたしむるものなり」とある。
【禁忌】
●医学正伝(虞 傳)
「肥白の人、及び気虚して汗多きもの之を服して効あり。若し蒼黒の人、腎気有余にして甚だ虚せざるもの、これ服すれば必ず満悶して安からず。嘔吐と中満と、及び酒を嗜むの人、多く服すれば必ず膈を斂めて行らずして嘔満増劇す。骨蒸多汗及び気弱の人、久しく服するときは真気走散して陰愈々虚すること甚し。痰火盛なる者は恐らく膈に泥んで行らざらんことを、久咳、労咳、喀血、火肺分に在るもの、これを服せば必ず咳を加えて喘を増して寧らず。壮年火の旺ずるもの服することを忌む。壮年咳嗽、頭痛、鼻衄、吐血等の諸症最もこれを忌むべし」とある。
【応用】
・肺結核:熱状は著しくなく、咳嗽、湿痰もなく、発汗のひどくないものに用いる。皮膚枯燥したものを目的とし て用う。肺結核には本方の症は至って少い。
・痢疾 :慢性下痢後、栄養衰え、元気の回復しないもの。
・瘧疾 :長年治らなくて虚羸したもの。
・癰疸 :潰えて後排膿の止まらないもの。
・瘰癧 :潰えて後虚羸、稀膿の止まないもの。
・カリエス:腸癰等、痩孔長く癒えないもの。
・産後諸症:本方の症が多い、血振いという類。
・夢精 :虚のひどいもの。
・麻痺 :気血虚して麻痺を発するもの。…
・久病後 :視力減退健忘のもの。
・帯下 :長血、子宮癌、諸悪性腫瘍。
・脱肛 :痔漏、子宮脱出等。
(効能・効果)
- 【ツムラ・他】
- 病後の体力低下、疲労倦怠、食欲不振、ねあせ、手足の冷え、貧血。
- 【コタロー】
- 皮膚および粘膜が蒼白で、つやがなく、やせて貧血し、食欲不振や衰弱がはなはだしいもの。消耗性疾患、あるいは手術による衰弱、産後衰弱、全身衰弱時の次の諸症。
- 低血圧症、貧血症、神経衰弱、疲労けん怠、胃腸虚弱、胃下垂。
- 【三和】
- 貧血して皮膚および可視粘膜が蒼白で、栄養不良、痩せていて食欲がなく衰弱しているものの次の諸症。
- 衰弱(産後、手術後、大病後)などの貧血症、低血圧症、白血病、痔瘻、カリエス、消耗性疾患による衰弱、出血、脱肛。
【一般用漢方製剤承認基準】
〔効能・効果〕
体力虚弱なものの次の諸症:
病後・術後の体力低下、疲労倦怠、食欲不振、ねあせ、手足の冷え、貧血
【重い副作用】
- 偽アルドステロン症..だるい、血圧上昇、むくみ、体重増加、手足のしびれ・痛み、筋肉のぴくつき・ふるえ、力が入らない、低カリウム血症。
- 肝臓の重い症状..だるい、食欲不振、吐き気、発熱、発疹、かゆみ、皮膚や白目が黄色くなる、尿が褐色。
【その他】
- 胃の不快感、食欲不振、吐き気、吐く、下痢
- 発疹、発赤、かゆみ