太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯、主之。
[訳] 太陽病、これを下して後、脈促、胸満する者は、桂枝去芍薬湯これを主る。
太陽病であれば発汗剤を与えるべきであるのに、恐らく腹満に似た症状を伴っていたのであろう、下剤を与えたために、「後」とあるように、今までにない症状を引起こしたという書出しになっている。そこで判断に用うべき症状は脈促と胸満しか記されていないが、ここから漢方的病理により対策を考えなければならない。
促は催促の促であるから、せかせかした脈である。宋板の弁脈法には「脈来ること数(サクと読み、屡々という意味)、時に一止して復た来る者を名づけて促と曰う。脈陽盛んなれば則ち促」、とある。また腹証奇覧翼には「案ずるに胸中に事あるの証なり」とあるが、これらの解釈には根拠がない。『解説』一六三頁には「正気の不足によって起る脈」としているのは、時に一止すること、即ち脈が結代することを前提としておれば納得できるが、一六二頁に「時に一止する脈だとする説は誤りである」と書いてあるから、何故正気の不足とつながるのかよくわからない。多紀元簡も一止するのは促と言うべきでないという。『講義』三○頁には「促とは短促、即ち寛やかに舒び難き義なり。促脈は其の勢、病の相反して表に迫るの候にして、風陽病の下後、表未だ解せざるときに現るる脈候と為す」とあり、その他の文献を見てもいずれも適確な説明はない。私は気の上衝に対応する脈促と理解している。
胸満の満は器に一杯に水を満たすことだから、そのような自覚症状は懣(もだえる)で示される。これは悶と同じ意味であるから、胸満は胸苦しいことになる。太陽病という状態には本来下剤を与えるべきではない。このような時に下剤を与えると腹部が空虚になり、臍下三寸の関元(丹田)の位置に蔵されていた気が動揺し、上に向って動くようになるというのが漢方的病理である。これを気が上衝すると言っている。気が臍下から上方に動決とまず胃の部分で動悸を感じ(これを心下悸という)、次の胸の部分で動悸を強く打ち(これを心悸という)、胸苦しくなる(これを胸満という)。次にコメカミの部分で動悸を打ち、顔面が赤くなり、頭痛が起る。
『講義』では「胸満は下して後、客気上衝するの致す所」、と論じているが、客気とは外来の邪気のことであるから、第八条の場合は客気と言うべきではない。真気でも正しくない場所に移動すればそれは邪気になるから、臨床的には気の上衝に対して桂枝甘草湯を与えることが治療の基本になる。宋板に「発汗過多、其の人手を
第二十条に「発汗の後、臍下悸して奔豚を作さんと欲する者は茯苓桂枝甘草大棗湯これを主る」とあるのは真気の上衝であり、この場合も桂枝と甘草の組合わせが使用されている。即ち真気でも客気でもどちらの上衝でもよいのである。
第八条では桂枝去芍薬湯を用いている。それを『解説』では「腹満、腹痛を起した場合は桂枝湯中の芍薬を増量して桂枝加芍薬湯として陰を助け、この章のように、下した後に気が上衝して胸満を起したものには、芍薬を去って、陽を助け、桂枝の効を専一にする」とあり、『講義』三一頁にも同じことが論じてある。これは処方の考え方の間違いであって、桂枝の効を専らにするために芍薬を除去したと考えるのは正しくない。本来芍薬を使用する必要がないことを、桂枝湯を基準にして表現すると桂枝去芍薬湯となるにすぎない。芍薬が入っていても少しも邪魔にならないことは、宋板に「太陽病、これを下して後、其の気上衝する者は桂枝湯を与うべし」とあることでもわかる。『講義』二二頁にはこの条文について「桂枝去芍薬湯証は此の方より激しきこと更に一級なる者なり」、と註をつけているが、桂枝の量はいずれも三両で同じであるから作用に強弱はない。これは桂枝加桂湯としなければすじが通らない。ひどい偏頭痛のときに桂枝加桂湯を用いるとよいことは誰でも知っているが、この時も芍薬は桂枝の効の邪魔にはなっていないのである。
第八条で生姜と大棗を用いているのは、胃腸を調え、薬物の吸収を良くするためである。第六条と第七条で桂枝湯にそれぞれ葛根と附子の一味を加えた変方を用いる形をとったので、第八条では芍薬の一味を除いた変方を用いる形を示したと見るべきである。
芍薬を除くともうひとつ別の解釈をする人がいる。類聚方に「為則按ずるに拘急せず。故に芍薬を去るなり」とあるのがそれで、『皇漢』一一四頁ではこれに理由をつけて「本方証は誤治により腹力は既に脱弱し、直腹筋攣急せざるのみならず云々」と論じている。これは古方派流の腹診にこだわった議論にすぎないのであって、有用な意見ではない。
桂枝三両去皮、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。 右四味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
[訳] 桂枝三両皮を去る、甘草二両
『傷寒論再発掘』
8 太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯主之。
(たいようびょう、これをくだしてのち、みゃくそく、きょうまんするもの、けいしきょしゃくやくとうこれをつかさどる。)
(太陽病で、これを下して後に、脈が促となり、胸満するようなものは、桂枝去芍薬湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は桂枝湯の変方の第三番目の条文です。また、太陽病を瀉下した後の異和状態の改善策としては第一番目の条文です。「脈促」については、色々言われていますが、どれもいま一つすっきりしません。筆者はこれを期外収縮の時の脈ではないかと推定しています。筆者自身の体験では、期外収縮の時は脈は一時とまってそのあと間隔がせばまったような感じの脈がきますし、こういう時には胸の方が一瞬、つまったような感じがします。これが多分、「胸満」と表現されている事柄ではないかと推定され得るからです。
芍薬を去るという薬方に目をくらまされて、色々、論じる向きもおりますが、想像のし過ぎと思います。伝来の条文群にすでにあった、桂枝甘草生姜大棗湯をただこのように表現しなおしたのに過ぎないからです。
8’ 桂枝三両去皮、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。
右四味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
(けいしさんりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく。みぎよんみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)
脈促と胸満を改善するのに主要な役割を果たすのは、桂枝甘草基であり、胃腸の機能の改善をするのが、生姜大棗基であると思われます。
桂枝と甘草の組い合わせの湯(桂枝甘草湯)は、発汗後や瀉下後の「心悸亢進」を改善していく作用があるようですので、「脈促」や「胸満」などを改善する作用があっても良いと推定されます。また、生姜と大棗の生薬複合物は色々な胃腸の異和状態の改善作用があるようですので、この場合、瀉下後の胃腸の異和状態を改善するには、丁度、良いのではないでしょうか。そのような狙いがあって、桂枝甘草基と生姜大棗基は一緒に使われるようになったのではないかと推定されます。このように創製された桂枝甘草生姜大棗湯を、桂枝湯を基準にして表現してみれば、桂枝去芍薬湯という湯名になるわけです。すなわち、桂枝湯がまず先にあって、そこから芍薬を わざわざ 除いて、この湯を創製したのではないのです。この点を見落とすと、「去芍薬」というところに、色々な理屈をつけたくなるものです。ものの認識の仕方が全く逆になるわけです。誠に困った事です。
『康治本傷寒論解説』
第8条
【原文】 「太陽病,下之後,脉促,胸満者,桂枝去芍薬湯主之.」
【和訓】 太陽病,これを下して後,脉促,胸満する者は,桂枝去芍薬湯これを主る.
【訳文】 太陽病(中風を発汗し,或いは陽明病中風を)下して後,(太陽病中風に留るか,陽明病中風となって)脉は浮緩に促性を帯び,発熱悪風し,汗が出て,胸満(胸で上衝が起こる)する場合には,桂枝去芍薬湯でこれを治す.
【解説】 この条からは,誤治による治療法につ感て論じていて,先ず初めに桂枝去芍薬湯をあげて,より気症状がこうじた気障害に対して,桂枝湯の処方構成から芍薬を取り去ることで桂枝の特異症状が顕著に出るように配合生薬の加減をしています。
【処方】 桂枝三両去皮,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘, 右四味以水七升煮取三升去滓,温服一升.
【和訓】 桂枝三両皮を去り,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざく, 右四味水七升をもって煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.
証構成
範疇 肌熱緩病 (太陽中風)
①寒熱脉証 浮
②寒熱証 発熱悪寒
③緩緊脉証 緩 (促性)
④緩緊証 自汗
⑤特異症候
イ胸満 (桂枝)
康治本傷寒論の条文(全文)