健康情報: 康治本傷寒論 第十八条 発汗,若下之後,昼日煩躁不得眠,夜而安静,不嘔、不渇、脈沈微,身無大熱者,乾姜附子湯主之。

2009年9月23日水曜日

康治本傷寒論 第十八条 発汗,若下之後,昼日煩躁不得眠,夜而安静,不嘔、不渇、脈沈微,身無大熱者,乾姜附子湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗、若下之後、昼日煩躁、不得眠、夜而安静、不嘔、不渇、脈沈微、身無大熱者、乾姜附子湯、主之。

 [訳] 汗を発し、若しくはこれを下して後、昼日煩躁して眠ることを得ず、夜はすなわち安静し、嘔せず、渇せず、脈は沈微、身に大熱なき者は、乾姜附子湯、これを主る。

 冒頭の発汗者下之後第七条の太陽病発汗、第八条の太陽病下之後に特別な意味がないように、第一八条の場合も同じように考えてよい。ところが宋板では「下之後、復発汗」となっているし、康平本でも「下之後、発汗」となっていて、『解説』二五七頁では「この章は初めに太陽陽明併病の脈証があったので、まず発汗して後に下すべきであるのを、治法の順序を誤まって、下して後に発汗し、表裏倶に虚して少陰病となったものの証治を論じたのである」と甚だ具体的に説明しているが、冒頭の句だけで何もかもわかってしまうという解釈は、それに続く症状の記述を軽く見ることにつながるので、私は採用したくない。むしろ一例を示したという程度に解釈した方が応用が広くなるし、形式的なものと見れば条文の位置を示したという見方も生じてくる。
 という辞によって、今までとすっかりちがった状態になったことを示しているから、条文に表現された諸症状からその病状の本質をさぐりだせばよいのである。昼日(ひるま)煩躁して眠ることを得ず第一一条甘草乾姜湯)の陰病、第一六条(青竜湯)の陽病の場合がありうるが、今は厥(手足の冷え)がないから陰病とも、また無汗でないから陽病ともきめられない。しかし煩躁というように熱症状がはげしいので、とにかく陽病の激症のように思える。
 ところが夜になると安静になってしまう。夜而安静を『解説』と『入門』一○五頁では「夜にして安静」と読み、『講義』七八頁では「夜はすなわち安静」と読んでいる。この而しては接続詞ではなく、その時は、という意味であるからすなわちと読んだ方がよい。
 夜なると安静になることが陰病の証拠であるという理由については色々な説がある。
①『弁正』では金匱要略・婦人雑病篇の、婦人の傷寒で発熱し、経水適ま来り、昼日は明了、暮るれば則ち讝語し、鬼状を見るが如く然り、此れ熱血室に入ると為す、を引いて陽病であれば夜もまた煩躁して安静を保つことができないと言う。しかしこれ以上に突っ込んで検討はしていない。
②成無己は「陽は昼日王(盛ん)す。陽は復せんと欲するも、虚して邪に勝たず、正邪は争を交う。故に昼日煩躁して眠ることを得ず。陽虚してこれと争うこと能わず。是れ夜は則ち安静なり」という。これは陰陽説で説明したものである。
③傷寒発秘には「この証はすでに汗下を経るも余邪いまだ尽きず。ただ其の汗下を以って大いに其の陽を亡す。故に其の余邪は肆然(ほしいまま)に自ら其の権を擅ままにする能わず。必ず昼日の陽旺んの時を待ちて従って発動す。是を以って昼は則ち煩躁し、夜は則ち貼然(おちつくさま)す」といい、これまた陰陽説であるが②とはちがった説明になっている。こうなると山田正珍のようにこの「二説はいまだ然否を審らかにせずと雖も、姑く書して後考を俟つ」と言うほかはないのである。
④『集成』ではこれは「乃ち表裏倶に虚するの候なり。其の然る所以の者の如きは則ち存するも論ぜず。論ぜざるに非ざるなり。知るべからざるなり」という。私はこの説に賛成したい。
 次に嘔せず、渇せず、とあるから、昼間は嘔や渇があったことになる。嘔は少陽の症状であり、渇は裏熱(陽明)によると見れば陽病になり、また第一一条の「咽中乾、吐逆」のように、体液が欠乏した陰病と見ることもできる。陽病の場合は青竜湯を使用すべきであり、陰病の場合は甘草乾姜湯を使用すべきである。それを『講義』のように「嘔せずと言いて少陽柴胡の煩躁を否定し、渇せずと言いて陽明白虎の煩躁を否定す」と自明なものとして断定することは夜而安静の場合と同じような疑問が残る。
 そこで陰陽のいずれであるかを結論づけるためには脈を診なければならない。脈沈微であるから陰病であることが確言できる。たとえ身熱(微熱)があっても陰病と見てよいということを身に大熱なしと言ったのである。身とは胴体のことである。
 身無大熱には色々な説がある。
①『講義』には「身に熱情ありと雖も、熱の大綱備わらざるの謂いなり」とはっきりしない説明をしている。私は英文のHe is not very rich.(仮はそんなに金持ちではない。即ち小金を持っていること)と同じように甚しい熱はない、と解釈している。
②『解説』では「大熱は高熱の意味ではなく、体表の熱の意である」としているが、表熱なしと言った場合には裏熱があることを指しているのだから、この解釈はおかしい。『入門』も『皇漢』も同じ説明をしているから間違いである。
③『弁正』では熱状のないことであるという。そうならば第一八条には表現する必要のない句になってしまう。
④『集成』には「大表は面(顔)を謂う。凡そ人身の表の外に見われるは面より大なるは莫し。是を以ってこれを大表と謂う。扁鵲の所謂る病の応は大表に見わるとは是れなり」とあり、無大熱とは顔面に熱色のないことだと言うが、学に溺れた解釈というべきである。また身無大熱とは「皮膚の表に翕々の熱あることなきを言う」と言うが、どうしてこの二句を全く別の解釈をする必要があるのか不思議である。
 宋板と康平本では「夜而安静、不嘔不渇、無表証、脈沈微、身無大熱者」となっていて、しかも身無大熱を表熱のないことと訳して、無表証としてと重複した意味にとって、誰も疑問に思わないのは不思議である。この部分は康治本の方が正しい文章であることを示している。
 結局はこ英状態は厥陰病であるから乾姜附子湯を用いることになる。また冒頭の「下之後復発汗」を意味のある句と解釈した場合は『講義』に「今汗下に因って津液を失い、内外倶に虚す。故に煩躁を現わし来る」とあるように、夜而安静以下の句はなくてもよいことになってしまう。したがって最初に述べたように冒頭の句は形式的なものとしなければならない。

乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片。  右二味、以水三升煮、取一升二合、分温服、再服。

 [訳] 乾姜一両半、附子一枚、生、用うるには皮を去り、八片に破る。右二味、水三升を以って煮て、一升二合を取り、分けて温服し、再服す。

 昼間の煩躁に対しては第一一条甘草乾姜湯を与えているのに、夜の安静な時に乾姜附子湯を用いるのは、乾姜が前者は三両(宋板では二両)であるのに後者は一両半(宋板は一両)で、量が少なく、また急迫時に用いる甘草がここでは必要がなく、陰証を確実に処理するために附子を必要としたと見るべきである。
 『入門』では柯韻伯の文を引用して「生附を用いて甘草を去るときは則ち勢力は更に猛しく、四逆に比ぶれば峻とす」というのは正しくない。『集成』で四逆湯に近似しているが下痢、厥冷、脈欲絶等の証がないから甘草を用いないと感うのも正しくないと思う。四逆湯を用いてもよいのではないだろうか。
 宋板も康平本も、「取一升、去滓、頓服」となっている。康治本にも去滓の二字を入れるべきである。


『傷寒論再発掘』
18 発汗若下之後、昼日煩躁、不得眠、夜而安静、不嘔、不渇、脈沈微、身無大熱者、乾姜附子湯主之。

  (はっかんもしくはこれをくだしてのち、ちゅうじつはんそうして、ねむるをえず、よるはすなわちあんせいし、おうせず、かっせず、みゃくちんび、みにたいねつなきまのは、かんきょうぶしとうこれをつかさどる。)

  (発汗したり或は瀉下したりしたあと、昼日には煩躁して眠れない状態であるが、夜には安静な状態となり、嘔吐もせず、渇もなく、身にそれほどの熱もないようなものは、乾姜附子湯がこれを改善するのに最適である。)

 これは、発汗や瀉下をおこなって、体内水分が減少した場合のうちで、昼間はかなり具合が悪いのに夜になると落ちつくある種の病態の改善策についての条文です。
 植物などでは非常に明瞭に観察されることですが、水分が欠乏するとすぐ萎れて元気がなくなりますが、また、水をやるとすぐ立ち直って元気になってきます。人間でも基本的には同様で、体内水分が欠乏しますと、たちまち元気がなくなるものです。発汗や瀉下の結果、体内水分が欠乏したある段階では、夜間よりも昼間の方のが、水分の必要度が高いため(生体リズムの関係かもしれません。)に、欠乏の度合が増強されて、苦しみも強く表現されるのかもしれません。とにかく、かなりの水分欠乏状態を思わせるこの病態に対して、古代人は、体内水分の欠乏を改善する作用の強い、乾姜(第16章7項参照)と附子(第16章17項参照)を一緒に使用する方法を見出したようです。したがって、その当時の純粋な経験からの要約を、このような条文として書き残しておいたのでしょう。「原始傷寒論」を著作した人も、したがって、この条文はそのまま残したのであろうと推定されるわけです。


18' 乾姜一両半、附子一枚生用、去皮破八片。右二味 以水三升煮、取一升二合、分温服 再服。
   (かんきょういちりょうはん、ぶしいちまいしょうよう、かわをさりはっぺんにやぶる。みぎにみ みずさんじょうをもってにて、いっしょうにごうをとり、わかちておんぷくし、さいふくする。)

 この「原始傷寒論」では、附子を生で用いる時は必ず乾姜を用いて、生姜は用いていません。その理由は不明です。普通、生の生姜をそのまま乾燥して乾姜をつくりますと、その重量は4分の1以下になるようですので、もし、同じ重量の生姜と乾姜を使用すると、乾姜の方が大量の生姜を使用することになる筈です。どうも古代人は、発汗や瀉下後に体内水分が激減して様々な異和状態を生じた時には、それを改善するのに乾姜を使うと良いことを、色々な試行錯誤を通じて知っていったようです。そしてやがてその上に、それぞれの病態に応じて、甘草を入れたり、附子を入れたり、その両者を入れたりしていく知識を獲得していったのでしょう。そういうまだまだ原始的な経験がこういう条文に生きているわけです。従って今の時点から見れば、この条文の病態の場合、これに甘草を追加した四逆湯でも決して悪くはないと思われます。原始的な体験がそのまま生きているという点で、こういう条文の存在は貴重です。


『康治本傷寒論解説』
第18条
【原文】  「発汗,若下之後,昼日煩躁不得眠,夜而安静,不嘔、不渇、脈沈微,身無大熱者,乾姜附子湯主之.」
【和訓】  発汗,若しくは之を下して後,昼日煩躁して眠ることを得ず,夜にして安静,嘔せず渇せず,脉沈微,身に大熱なき者は,乾姜附子湯之を主る.
【訳文】  太陽病を発汗し,若しくは陽明病を下して後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈微細 ②寒熱証 手足厥冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) となって,昼には煩躁し,夜は安静で嘔なく渇のない場合には,乾姜附子湯でこれを治す.
【解 説】  煩躁には,寒証の場合にも熱証の場合にも存在することは前述のとおりです.そこでこの条では,寒証の煩躁であることを示さんがために熱証の各症候がないことを述べ,また夜は安静であることと,もう一つは「身無大熱」と記載して,乾姜附子湯の位置を明らかにしています.
【処方】  乾姜一両半,附子一枚生用去皮破八片,右二味以水三升,煮取一升二合,分温服再服.
【和訓】  乾姜一両半、附子一枚生を用い皮を去り八片に破る,右二味水三升をもって煮て一升二合を取り,分かちて温服することを再服す.



証構成
  範疇 肌寒緩(少陰中風)
 ①寒熱脉証   沈微細
 ②寒熱証    手足厥冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
  イ煩躁(乾姜)



康治本傷寒論の条文(全文)