太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、不汗出、而煩躁者、青竜湯、主之。
[訳] 太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒し、身疼痛し、汗に出でずして煩躁する者は、青竜湯これを主る。
康治本の青竜湯は宋板、康本平の大青竜湯のことである。
冒頭の太陽中風という句は、第四条と同じであるが、内容的には何の関係もない。この第一六条は第五条にはじまる太陽病の進展を論じた最後の条文であるから、私がさきに傷寒論では字句の正しい解釈を後の条文で示すことが多いと述べたように、第一五条(麻黄湯)の冒頭の太陽病という句を太陽中風と読むべきであることを第一六条の冒頭で示したと私は解釈している。したがって第一五条と関係のある第五条(桂枝湯)の太陽病もまた太陽中風と読まなければならないのである。このときの中風は式風系列という意味である。
第四条の太陽中風とこの条が関係をもたないことを、開の脈浮緊という句が示している。脈浮緊といえば、第三条をすぐに思い出す。即ち、太陽病(脈浮)……脈陰陽倶緊……名曰傷寒、というのだから、第一六条の太陽正面と正面から衝突してしまい、この中風は別の意味をもっているに相違ないという問題意識を生ぜしめる。そして中風系列という解釈が理解できるようになると、青竜湯にはひどい頭痛を伴うにも拘らず、第五条と第一五条の頭痛発熱という句を用いる必要のないこともわかってしまう。この条文は麻黄湯の激症にあたるからである。そのことを次の発熱悪寒という句で示している。麻黄湯証は悪寒と表現してもよいのに、第一五条ではわざわざ悪風ち表現しているからである。
身疼痛は第一五条の身疼腰痛と同じ意味であり、不汗出は第一○条で述べたように発汗剤を服用しても汗が出ないという意味であり、ここでは第一五条をうけて麻黄湯を服用しても発汗しないことである。
最後の而煩躁もまた第一五条の而喘と同じように、病状がさらに進行すると煩躁すると解釈した方がよい。
『講義』五六頁では「汗出でざるに因って煩躁を現わす。而しての字、注目を要す」と述べていて、而を因果関係を示す接続詞と見ていて、この説に賛成する人が多いが、私はこれを激症と解釈したい。なぜならば、不汗出が原因になって煩躁という症状があらわれるのではなく、病邪が激しいために陽明の裏位に影響を及ぼすという併病になって、その裏熱によって煩躁という症状が生じたと見るべきであるからである。
丁度第一三条の太陽与陽明合病で陽明の内位に影響を及ぼしたことに対比する形になっていることに注意すべきである。しかし第一六条を合病と言わないのは、第一五条の麻黄湯がすでに少陽の病位に病邪が入っていて、少陽の部位をとびこえたことにはならないからである。したがって合病の時はその本をたたくだけで良かったのひ対し、ここでは裏熱を除くための石膏を加味しているのである。この点は第一四条で半夏を加味して葛根加半夏湯としているのに似ている。
ところが第一六条は脈浮緊……悪寒……不汗出(無汗)という表現から、太陽中風は太陽傷寒の問違いであるというのが定説になっている。『集成』に「中風はまさに傷寒に作るべし。此れ太陽表実にして陽明内熱を兼挟するの候、麻黄湯の能く発する所に非ず」とあるように。原文を勝手に書き直すよりも、時間をかけて徹底的に考えるという方が本当は良いのである。
傷寒論識(浅田宗伯、一八八○年)では「是れ正に傷寒の候にして、而も太陽中風と曰うは、変じて傷寒となる所以のものを示すなり」と論じているが、工夫が足りないと言うべきである。『講義』五六頁でもこれと同じ論理を展開している。「此の章は第一二章(康治本の第四条)の太陽中風、陽浮而陰弱云々を承けて、其の漸く悪化せる者を挙げ、而して第二七章の桂枝二越婢一湯証(康治本にはこの条文はない)、第三五章(第一五条)の麻黄湯に対して大青竜湯の正証を論じたるなり。此の病は麻黄湯の一等甚だしき者と考うるを得べきなり」として、第四条と比較するという誤りをおかしている。このような考え方では第一五条(麻黄湯)で何故太陽中風としなかったかを説明できないであろう。
このように青竜湯を太陽傷寒の処方と見るのは、日本だけでなく中国もまた同じであるが、荒木正胤氏だけが、太陽中風の処方であるとした。『所論に答う』に「本条は太陽中風桂枝湯の正証条を承け……太陽中風と雖も、湯の正証条から云えば、其の自然変証なることは云う迄もない」とし、本条の中風の文字は断じて傷寒の錯誤ではない」と論じているが、中風を軽症とし、傷寒を重症としている限りは、「症状に重きを加えた自然変証」は浅田宗伯と同じく「変じて傷寒となる」という立場にほかならない。
私のように中風系列、傷寒系列として康治本を読む立場をとれば、太陽病での基本条文は、第一条、第五条、第六条、第一二条、第一三条、第一五条、第一六条であることはそれぞれの文体を見ればわかる。それを病気の進行という形で整理すると次のようになる。(表、数字は条文の番号)
傷寒⑥→ ⑫→ ⑬
桂枝加葛根湯 葛根湯 葛根湯(合病)
発病①
中風⑤→ ⑮→ ⑯
桂枝湯 麻黄湯 青竜湯
温病条弁(呉鞠通、一八一三年)体では太陽温病(原本では経絡説を加味して太陰温病としている)の基本的治療剤を次のように整理している。
辛涼軽剤・桑菊飲
辛涼平剤・銀翹散
辛涼重剤・白虎湯
この整理の仕方を太陽中風にあてはめると次のようになる。
辛温軽剤・桂枝湯
辛温平剤・麻黄湯
辛温重剤・青竜湯
太陽傷寒は開のようになる。
辛温軽剤・桂枝加葛根湯
辛温平剤・葛根湯
辛温重剤・葛根湯(合病)
麻黄六両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁四十箇去皮尖、生姜三両切、大棗十二枚擘、石膏如鶏子大砕。 右七味、以水九升先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬煮、取三升、去滓、温服一升。
[訳]
青竜湯は麻黄湯の麻黄三両を六両に増し、杏仁七十箇を四十箇に減じ、それに生姜、大棗、石膏を加味したものである。麻黄を多量に用いているのは麻黄湯よりも発汗解熱作用を強力にするためである。また裏熱が盛んになってい識のでその解熱(これを中国では清熱という)のために石膏を加えたのである。鶏子大の石膏を用いると胃をそこなうので生姜と大棗を加えたと見るべきであろう。その生姜はまた桂枝と共力して麻黄の発汗作用を強くするはずである。大棗は利尿作用を強めるであろう。
鶏子大とはニワトリの卵の大きさのことであり、その大きさの石膏の重さを実測すると六○-八○グラムである(桑木崇秀、日本東洋医学会誌一八巻四号、一九六八年)。わが国で現在大青竜湯の石膏は一○-一五グラムを用いている。この場合は度量衡の換算ではないので、この表現の特異性を誰も説明できなかった。私は同じく石膏を含む麻杏甘石湯、白虎湯と比較して次のように説明した。(表)
竜野氏は一斤=一六両、一両=一グラムの関係から計算しているが、鶏子大は何を基準に算出したかまだ私にはわからない。荒木氏は「傷寒論の量目は両手ではかって、その比率を示したものではなかろうか。例えば桂枝湯は大棗十二枚に対して、桂枝、芍薬、生姜各三両、甘草二両の割合で調剤し、病人自身の一握りを一日量とし…」(漢方の臨床、一八巻四・五合併号、四三項、一九七一年)という独特の想像説だから検討する必要もないが、一率に一五グラムというのはこれだけは思いないと効かないという経験からくるのであろう。大塚氏は『解説』で根拠を示している。一斤=約二○・八グラム。石膏の鶏子大を多紀元堅は三銭だとしているので約九グラムにあたる、としている。従って鶏子大は半斤にほぼ等しくなり、一○グラムとなるが、何故これをある時は半斤と表現し、ある時は鶏子大と表現したかを説明することはできない。
いずれにしても合意された見解はない。私のは一両=約6グラムという別の考察から計算したものであり、鶏子大の実測値が半斤と一斤の丁度中間になるので、それを斤で表現できないための便法という結論になり、一応理屈の通ったものになる。中国での常用量は五銭(一五・六グラム)-二両(六二・五グラム)であるから、私の換算は日本流に考えると並みはずれであるが、それ程おかしなものではない。
『傷寒論再発掘』
16 太陽中風、脈浮緊 発熱悪寒 身疼痛 不汗出而 煩躁者 青竜湯主之。
(たいようちゅうふう、みゃくふきん、ほつねつおかん、しんとうつう、あせにいでずして、はんそうするもの、せいりゅうとうこれをつかさどる。)
(太陽病の軽症のものでも、やがて脈は浮緊となり、発熱し悪寒し、身体が疼痛し、発汗させようとしても汗は出ず、そのため、もだえ苦しむようになるものがあるが、このようなものは、青竜湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は、太陽病の中風(軽症のもの)の場合、一般的には、発熱して、汗が出て、悪風して、脈は緩であるわけですが、こういうものでも、時には病が進んでいって、脈が浮緊となり、発熱し悪寒し、身疼痛などが出てくるものがあるわけで、これを麻黄湯などで発汗して、治ってしまうものは、それでよいのですが、汗は出ず、そのために更に、もだえ苦しむような状態になるものもあるはずで、そういう時には、青竜湯が最適なのであるという意味の条文であり、これは青竜湯の使い方に関する最も基本的な条文です。
青竜湯の中の麻黄の量は麻黄湯の中にある量(三両)の倍の六両です。発汗作用がそれだけ強くなっているわけです。古代人は、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛を呈する病人に、まず麻黄湯を与えて発汗させようとしたのでしょうが、かえって汗が出ないで苦しんでいる病態に対して、さらに麻黄を倍量に追加して発汗作用を強める工夫をしたことで強くなり、より一層、もだえ苦しむような状態になって人もいたでしょう。そんな時、石膏を加えて、口渇や熱による煩躁を改善しようという試みがなされることもあった筈です。この場合、胃腸管の保護作用や口あたりを良くして胃へのおさまりを良くすることを期待して、(生姜大棗)を加えたとすれば、これは青竜湯と言われているものになるわけです。もし、この生薬複合物で良い結果が得られたとすれば、当然、その経験は固定化されたことでしょう。かくして、麻糖桂枝甘草杏仁生姜大棗石膏というような生薬配列の湯が認知され、この第16条のもとになったような伝来の条文も書き残されることになったのでしょう。そして、「原始傷寒論」が著作された時、「太陽中風」という言葉が追加され、湯名は青竜湯と省略されたのであると思います。
16' 麻黄六両去節、桂枝二両去皮、甘草二両炙、杏仁四十箇去皮尖、生姜三両切、大棗十二枚擘、石膏如鶏子大砕。
右七味、以水九升先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬煮、取三升 去滓 温服一升。
(まおうろくりょうふしをさる、けいしにりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、きょうにんよんじゅっこひせんをさる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、せっこうけいしだいのごときをくだく。みぎななみ、みずきゅうしょうをもってまずまおうをにて、にしょうをげんじ、じょうまつをさり、しょやくをいれてにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)
この生薬配列を見ますと、麻黄湯+(生姜・大棗)+石膏となっていることが明らかです。この生薬配列の意味することと第16条の条文の内容とから、この青竜湯の形成過程を推定し、前述したわけです。
麻糖桂枝甘草杏仁生姜大棗石膏湯というものから、最初の生薬の名を取って命名するとすれば麻黄湯となってしまうので、麻黄の色が青であるのと関連して、四神の一種である青竜神(東方を守る神)の名を取って、青竜湯と名づけたわけです。したかって、これもやはり、生薬配列に基づいた命名の一種であると言えるでしょう。
杏仁40個は麻黄湯の時(70個)の約半分であり、2.0gに換算されています。石膏の鶏子大は何gにあたるのか、色々と意見があるようですがで決定されていません。経験的に半斤(8g)と一斤(16g)の中間の12gで筆者は使用していますが、特に問題はなさそうです。
『康治本傷寒論解説』
第16条
【原文】 「太陽中風,脉浮緊,発熱,悪寒,身疼痛,不汗出,而煩躁者,青竜湯主之.」
【和訓】 太陽中風,脉浮緊,発熱悪寒し,身疼痛し,汗出でずして煩躁する者は,青竜湯之を主る.
【訳文】 ①寒熱脉証は浮,②寒熱証は発熱悪寒,③緩緊脉証は緊,④緩緊証は無汗(即ち太陽傷寒)で,身疼痛という特異症候があり,更に煩躁が加わった場合には,大青竜湯※1でこれを治す.
※1:宋板等では,大青竜湯となっている.
【句解】
煩躁(ハンソウ):心煩足躁のこと
煩(ハン):胴体に現れた場合をいい,「しんどい」などと表現される.
躁(ソウ):四肢に現れた場合をいい,「だるい」などと表現される.
【解説】 この条は,発汗剤の中で最も重症に用いる大青竜湯について論じています.冒頭に太陽中風とあるのは,次条に出てくる傷寒と互称であります. 「脉浮緊,発熱悪寒,身疼痛」までは,麻黄湯証であり,それに手足を切って捨ててしまいたい位にだるいという症状(煩躁)が加わった場合が大青竜湯証ということです。
【処方】 麻黄六両去節,桂枝二両去皮,甘草二両炙,杏仁四十箇去皮尖,生姜三両切,大棗十二枚擘,石膏如鶏子大砕,右七味以水九升,先煮麻黄減二升,去上沫内諸薬煮取三升,去滓温服一升.
【和訓】 麻黄六両節を去り,桂枝二両皮を去り,甘草二両を炙り,杏仁四十箇皮尖を去り,生姜三両を切り,大棗十二枚擘く,石膏は鶏子大の如きを砕く,石七味水九升をもって,先ず麻黄を煮て二升を減じ,上沫を去って諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って一升を温服する.
証構成
範疇 肌熱緊病 (太陽傷寒)
①寒熱脉証 浮
②寒熱証 発熱悪寒
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 無汗
⑤特異症候
イ身疼痛 (杏仁)
ロ煩躁(石膏)