『康治本傷寒論の研究』
太陽与陽明合病者、心自下利、葛根湯主之。
[訳] 太陽と陽明との合病なる者は、必ず自下利す、葛根湯これを主る。
太陽病と陽明病の合病というむつかしい概念が急に現われるのには理由があるのだが、それはあとまわしにして、まず合病とは何であるかを考察しなければならない。宋板と康平本では合病のほかに併病という術語が使われているが、康治本では合病しか使われていない。康治本には併病に該当する条文があるのに、それを併病であるとは表現していない。康治本では何故併病を使わないかを考えるうえからも、ここで合病と併病を一緒にして考察することにする。
『入門』七四頁では「合病とは発病と同時に二病位以上の証候が相混じて現われる場合をいう」に対し、「併病なるものは、発病の時に先づ一病位の証候が現われ、それが解消しない間に他病位の証候が現われてくる場合である」としている。これは合はかさなる、併はならぶ、という字義から考え出した解釈のようである。それはともかくとして、合病には同時に二病位以上、併病には先づ一病位に発病するという表現が使われている点に注意して他の説と比較してみよう。
『解説』一九七頁では、合病は二ないし三の病位で同時に病むものとし、二二二頁では、併病「その初め、太陽病にかかったものが、まだ太陽病が治りきらないのに、邪の一部がすでに陽明に入った場合である」としている。合病は同時にと言っているし、併病は太陽と陽明の併病しか存在しないという限定はついているが、先づ一病位に発病するという点では『入門』と同じである。
ところが『講義』四八頁では、合病は「病の所在一途にして、同時に其の勢を二途或いは三途に現わす者」であるという。同時に二ないし三の病位に発病するのに、本はそのうちの一つにあると言うのである。論理的にはこういう理窟は成り立たないが、また成り立つとしよう。六九頁では、併病は「病一途に於て始まり、次いで他の一途に及ぶも、初病未だ全く解せざる者」であるとし、『入門』と同じになっている。ところがその次に「合病は其の本を一にして病む者なり。併病は其の本を二にして病む者なり」と言い、合病の定義から同時にという条件が消失し、併病は一病位から発病するという定義が二病位に変っている。どうしてこういいかげんな文章を書いたのであろうか。奥田謙蔵往は『傷寒論梗概』五五頁では、「病の本位は一途に在って、其の応徴の、同時に二途或は三途に動く者も合病と謂う」となっているし、五八頁には「併病は病が一途に於て始まり」と説明しているのだから、前者と同じである。このような混乱は併病に一途にはじまるものと、二途にはじまることを区別せずに定義しようとしたために生じたのである。
奥田氏の後者の定義は実は荒木正胤氏の定義とつきあわせるとよくわかるのである。「所論に答う」では、合病は「病は一途に起り、その勢のはげしい結果として、其の影響を他の一途或は二途に現わせる病証を指す」ことになっており、合病の定義から同時にという条件が消失している。「再び答う」では「併病は病が二病位に併列する場合」というのだから、併病の定義から病が一途に於て始まるという規定も消失しているのである。このようにして奥田氏の後者の定義「合病は其の本を一にして病む者、併病は其の本を二にして病む者」がここから生れたものであることがはじめてわかるのである。
私はこれらの諸氏による定義は全部不充分なものだと思う。合病も併病もいずれも二病位または三病位にわたるものであるから、それを「併列する」とか「同時に起る」とか言うことで区別できないことを知らなければならない。併と合の字の意味を考えて、併病とか合病などと解釈するよりも、条文に即して考えなければならない。併病の場合は病が二途にはじまるものがあってもよいが、まず病が一途にはじまる併病と合病のちがいを考えるべきである。『弁正』で「合病は最も重く、最も急の為す」、併病はそれにくらべて「稍軽く、稍緩し」と論じていることをもう一度考えなおしてみるべきである。
病が二病位または三病位にわたるということは病気が進行することにほかならない。したがって病気の進行の仕方に問題があるはずである。陽病は上から下へ進行するのだから、太陽病→少陽病→陽明病、というように進むが、場合によって二病位または三病位にわたる症状が共存することも起りうる。これは『弁正』に言うところの普通よりも稍重病の場合に相明するから、これを併病と言うのである。
併病よりも激しい病気であれば上述の順当な進行方向とちがった進展の仕方もするであろう。もっと正確に言うと、順当に進展すると同時に、別の進展も起りうるであろう。別の進展というのは例えば太陽病→陽明病、少陽病→太陽病、陽明病→太陽病というような現象である。これは順ではないから逆と表現してもよい。この逆によって起った状態を合病と言うのである。
この両者を区別しなければならない理由は治療法に相違があるからである。併病の場合は病邪が移動しているのだから、それによって生じた症状には常法に従って薬物を加味することになる。これに対して合病は激症のために一種の反射現象を起したのだと解釈しなければならない。病邪はその部位に移動していないのであるから、薬物を加味するのではなく、本源をたたくという方法を用いる。
したがって併病は特別な場合ということにはならないので、康治本では併病という語を用いない。宋板や康平本で併病という語を用いても、合病には併病が必ず併存しているのに、合病の条文でそれに言及したものはひとつもないのだから、併病なる語は部分的に使用されているにすぎないのである。それにも拘わらず併病には二陽の併病しか存在しないし、それも太陽と陽明の併病しか存在しないと説明している書物が大部分であるのは、いかにこの概念が整理されていないかを物語っている。宋板にも康平本にも太陽と少陽の併病の条文があるのに、『講義』体試f本文ではないとして軽く扱っているし、『解説』ではこの条文を消してしまっている。しかも併病には太陽と陽明の併病しか存在しないという理由について全く論じられていない。傷寒論の本文にこの併病しか出ていないから、というのでは余りにもお粗末である。
「其の本を二にして病む」併病の治療は、其の本を一にして病む併病の治療法と同じであるから特別に議論をする必要はない。
私は合病と併病をこのように整理して、この概念で宋板や康治本の各条文にあたってみて、矛盾をきたさないのである。そのことはそれぞれの条文で説明することにする。
第一三条は太陽と陽明の合病というのだから第一二条を考慮に入れると太陽傷寒の激症で、少陽位を通し越して直接陽明位に反射的な影響を与えて、下痢を起した場合である。それを必ず自下利すと表現したことについて、『解説』一九七頁では「これは下したために下痢するのではなく、また邪毒が胃腸内に侵入したために下痢するのでもなく、合病のために下痢するのであるから、これを自下利と呼んだ」とし、『講義』四八頁でも同じように「服薬に因らずして自然に下痢するの謂なり。此れ項背に鬱積せる邪熱の、其の余勢、裏に至るの致す所なり。是れ必然の結果なり、故に必ずと言う」と説明している。しかし『五大説』では「太陽傷寒で風大表位の鬱積が非常に激しす、火大(外位)これに平衡を得ない時は、必ず表位の風大は裏位の水大を擾動して自下利を伴うのである」と論じていて、裏位水大に小腸が所属しているので、自下利は小腸性の下痢であるというわけで、この合病で下痢の起る必然性を解明できるとい乗。また『所論に答う』体試f自下利は小腸性の水瀉下利のこと、下利は大腸性の下痢で裏急後重するものであることを論じている。現在のところ、私にはこの両説のどちらをとるべきか、まだよくわからない。
ただ下痢の起る理由を『皇漢』三七七頁では「無汗の為め表より排泄されるべき水毒、裏に迫りて致せしもの」とし、『解説』、『講義』、『入門』七四頁、『弁正』でもこれと同じ説明をしているのは明らかにおかしい。この点について『所論に答う』では「此の表位の水毒が裏に疏通口を求めて自下利するのだと仮定すると、自下利が起ると同時に、表位の水毒は解してなくなるとも考えられる筈であるか現、折角、裏に疏通口を求めて自下尿しつつある水毒を、何故、葛根湯を使用して、再び表に戻して発汗させねばならぬかの疑問も起り得る」と的確にその間違いを指摘している。このような間違った解釈をする原因は、「発昔法は、病邪を体表から汗によって排除せんとする市法である」(漢方診療の実際、五六頁)とする考え方を基本としていたところにある。発汗は自然治癒力の発動を促進させる手段の一つであることを理解しておれば、このような間違いをおかさない。
葛根湯証の激症に対しては、葛根湯を引続き服用するか、またはそれを多量に服用すれば、それによって起った下痢も治るのであって、止瀉剤を用いてもそれが治らないことを経験的に知っていたので、一般の治療法と異なるところから合病という概念を必要としたのである。
『傷寒論再発掘』
13 太陽与陽明合病者、心自下利、葛根湯主之。
(たいようとようめいのごうびょうは かならずじげりする、かっこんとうこれをつかさどる。)
(太陽病と陽明病の合病というものは、必ず、おのずから下痢するものである。このようなものは、葛根湯がこれを改善するのに最適である。)
「合病」という特殊な概念の言葉があらわれてきましたが、これについては既に第17章6項で論じておいた通りです。言葉そのものにあわりとらわれることなく、葛根湯というものでよく改善される「自下利」であることを知っていれば良いのです。何故なら、この言葉は実際には単純に分類し切れない病態全体の一部を「三陽」に分けて、その対応策を整理してみた後、単純にこれらによって律し切れないものを、例外扱いせず、法則の枠内で取り扱うために案出された用語であるにすぎないからです。
実際の経験では、風邪をひいたあと、すぐ下痢の症状の出る人がいますが、そういうなかに、葛根湯で下痢もすぐに良くなる場合があります。そういう時、半夏瀉心湯などで下痢をなおそうとすると、かえって、嘔気がしてよくないようです。風邪が流行しているような時の下痢では、葛根湯をまず服用させてみて、それで改善しないような時の下痢は、半夏瀉心湯などの使用も考慮してきくということがいいように思われます。こういうような下痢は「太陽と陽明の合病」ということになると思われます。
『康治本傷寒論解説』
【原文】 「太陽与陽明合病者,必自下利,葛根湯主之.」
【和訓】 太陽と陽明の合病なる者,必ず自下利す,葛根湯之を主る.
【訳文】 葛根湯証の太陽と陽明との合病の場合は,必然的に腸管部位において自下利が起こる.この場合にも葛根湯でこれを治す.
【句解】
合病(ゴウビョウ)e: 十二範疇分類の中で三熱緊病にのみあり,病勢急激なときに症候が他部位に押し出された場合をいう.
【解説】 この場合の自下利は,陽明中風の範疇症候ではなく,合葛根湯の特異症候です.またこの自下利は,表熱が盛んであるために,肌膚部位において過緊張を起こし,無汗状態が倍増され,それがためにその勢いが下部腸管部位に及び,下痢という形で現れた場合を論じています.そこで,この場合の治法は陽明病の薬方から求めるのではなく,太陽病の薬方を用いて肌膚部位の過緊張を健康状態に戻すところにあることを説いています.
証構成
範疇 肌腸熱緊病
(太陽陽明合病)
①寒熱脉証 浮
②寒熱証 発熱悪寒
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 無汗
⑤特異症候
イ自下利
康治本傷寒論の条文(全文)