『康治本傷寒論の研究』
太陽病、熱結膀胱、其人如狂、血自下。下者愈。但少腹急結者、与桃仁承気湯。
[訳] 太陽病、熱膀胱に結し、其の人狂の如く、血自ら下る。下る者は愈ゆ。但少腹急結する者は、桃仁承気湯を与う。
冒頭の太陽病という句は第三○条(大柴胡湯)と関連していることを示し、それよりも熱邪が下方に移行していることを熱結膀胱と表現したのである。結とはかたくとりつくことである。
其の人とは第七条で説明してように、今までとは状態がすっかりかわって、という意味になる。狂の如しとは精神異常を起した人のような言動をする意味である。銭潢の「これを狂の如しと謂うは、狂にして未だ甚しからざるの詞なり」というのがよい解釈である。熱邪が膀胱にかたくとりつけば、何故に狂人のようになるかは後に論ずることにする。血自ら下るとは、『解説』二七八頁に「その時に血が自然に下ることがある。このように血が下る時は、瘀血が去るのであるから、治るものである」と説明している。ではどこから血が下るかについては、『入門』一六一頁に「身体の何所の部分から出血するのであるか明細な記載はないが、熱結膀胱、少腹急結と記載せることより推論するときは、出血は肛門、尿道、子宮等よりするもののようである」と説明している。桃仁承気湯を実際に用いる病名から考えてもこの説明は妥当である。
ところが熱結膀胱と言うのだから、尿道からの下血であれば一番納得できるのであるが、肛門や子宮からの下血ではその関連がはっきりしない。そこで熱結膀胱の句について色々な解釈がされることになる。
①『入門』では「膀胱は今日の解剖学的名称と異なって単に膀胱附近という意味。下焦と同じ意味」と解釈する。そして熱邪が下焦に結ばれるから血行がめぐらなくなり、停滞して瘀となるという。『講義』、『解説』、『集成』もこれと同じ説明をしている。しかし下焦をなぜ膀胱と表現したかについてはこれらの諸書では何も言っていない。ただ荒木正胤氏だけが腹診の際、下焦において触知される臓器は膀胱だけであるから、膀胱という語は下焦の代名詞にほかならないという見解を発表している。
確かにこれまで一応理屈はつくのであるが、膀胱という語の使い方が医学的でないという点、および下腹部は何故血毒を生ずるかという点で私は納得できないのである。
②『集成』には発秘に曰くとして「血室(子宮)を言わずして膀胱を言うは、其れ専ら男子のために設けるや明らけし」という説を紹介している。昔は徹底した男尊女卑だったからというのであろうが、私にはむしろその人の発想がそうなのだとしか考えられない。医者の身分は低いものであったから、支配階級に属する女性の前では大きな顔はできなかったはずである。第一、素問の中にも女性について記述があるし、漢書芸文志にも婦人嬰児方十九巻という書名がでている。したがってこの解釈は最も劣悪なものに属するということができる。
③成無己は「太陽は膀胱経なり。太陽経の邪熱、解せざれば経に随って府に入る。熱膀胱に結すとなす」というように、経絡説と結びつけて説明している。傷寒論の三陰三陽は経絡における三陰三陽と必ずしも一致しないが、これも一つの理解の方法であろう。しかし「熱膀胱に在れば、必ず血と相搏つ」ということは、何故必らずであるのかは、これだけでは理解できない。しかも傷寒論の条文の解釈に経絡説を用いるならば一貫して使用すべきであり、都合のよい時だけ利用するのは議論の対象にならない。
④漢方生理学によれば、胃に入った飲食物は、そこで腐熟され、次に小腸に送られる。小腸は物を化して清濁を区別するところであるから、分離抽出された気は肺と脾(膵臓)に送られ、水液は膀胱に送られ、残った糟は大腸に送られて体外に排出される。膀胱に貯えられた水液は一部分は体液となり汗として排出され、一部分は脈(血管)にそそがれて、中焦で肺からの気と混合されて赤くなり、それが血液になり、また大部分は小便として排出される。――素問や霊枢荷論じられている生理学的記載を結びつけても、またそれによる中医学の記述によっても、以上のような機構が古代にすでに考えられていたことがわかる。
そうすると膀胱に熱邪が結すると、貯蔵されている水液から血液に入りこみ、やがて全身に邪毒がまわることになる。このように考えれば出血が肛門、尿道、子宮等から生じてもおかしくないことになる。
傷寒論の中だけで字句の解釈をしようとすると、膀胱は下焦の代名詞ということしか思いつかないであろうが、漢方の世界はもっと広く考えた方が良いのである。①、②、③の諸説では、古代医学において、膀胱はどのような生理的機能をもつとされていたかについて考察したものがひとつもないことは驚くべきことと言わねばならない。以上の膀胱に関する私の見解は次に記す資料を読んで考え出したものである。
膀胱者、津液之府也。(霊枢・本輸篇)
飲入於胃、遊溢精気、上輸於脾、脾気散精、上帰於肺、通調水道、下輸膀胱。(素問・経脈別論篇)
中焦、受気取汁、変化而赤、是謂血。(霊枢・決気篇)
小腸居胃之下、受盛胃中水穀、而分清濁、水液由此而滲於前、糟粕由比而帰於後。(類経の張介賓註)
ところが今迄は誤った解釈が横行している。『東洋医概説』(長浜善夫著、一九六一年)では膀胱は「広く秘尿器系統の機能を称したもの」とし、「小腸は水穀を分離して大小便を分けることをつかさどる。即ち水液は膀胱へ送り、残滓は大腸へ送る」としている。津液を小便と解釈するという大きな誤りをおかしている。
『黄帝内経素問新義解』巻二(柴崎保三著、一九六九年)では膀胱は「中に水がたまって周囲にふくれ出し、中に水がゆれている臓器」、つまり、「膀胱自体としては自主的積極的活動力を有せず、心の命ずるがままに中にたまっている尿を体外に排泄する臓器であると考えたわけである」という。霊枢の津液之府を尿の府と解釈しているのだから恐れ入ったものである。「ここで説くところの津液とは人体の小便をさして言ったものである」とはっきり書いている。
『経絡治療講話』(本間祥白著、一九五○年)でも「膀胱は小腸から滲出した水分を此処に溜め置き、適当な時に排出する所である」、というように、いずれも古代中国の臓腑観を正しく把握しなければならないと言いながら西洋医学の説をいつのまにか採用して誤解を重ねている。
其人如狂、血自下に関する臨床的観察として、『入門』一六二項には「急性熱病に於て、これらの出血を伴う場合は脳症を起し易く、ために意識は混濁し、了解困難、注意減退、見当識障碍、記憶力減退、幻視、幻聴等のために言語は不明瞭となり、振顫、運動不安、睡眠障碍を来し、幻覚の内容に応じ無思慮の行動を起し、放歌高吟し、或は縷々と談話するが如きことが起る」と説明している。しかし膀胱部位、即ち私の言う裏位に熱邪が結ぼれることが直接発狂につながるという見方を傷寒論はとっていない。傷寒論の陽明病のところに論じてあるように内位(腸)に熱邪があるときに脳症を起して讝語(うわごとを言うこと)するのであるから、裏位から血液によって邪毒が内位に転位したと見なければならない。宋板では讝語するときに使う処方として大承気湯、小承気湯、調胃承気湯、柴胡加竜骨牡蛎湯の条文しかないことでもわかる。もうひとつは熱邪が血室(子宮)に入って狂の如くなった時に桃仁承気湯、抵当湯を使用する条文がある。
中医学ではこのふたつの場合をまとめて血熱という温病条弁の術語で説明している。熱邪が最も深く入ったものという見方である。
次の下者愈には二つの解釈がある。
①下すものは愈ゆ、と解釈し、桃仁承気湯を服用して下せば治るとする。つまり血が自ら下っても病気が治るとはみないのである。『入門』一六二頁で「急性熱病でこれらの出血を伴う場合は脳症を起し易く」とあるように。『講義』一二六頁でも「自ずから下るとは、服薬に因らずして自然に下るの意なり。ここに至るまでを桃核承気湯の正証となす」としているし、下者愈を「本方服用後の例を挿む。之れを下せば則ち愈ゆの意なり」としている。『弁正』も同じ見解である。
いずれの場合も「下るものは愈ゆ」と読み、「下すものは愈ゆ」とは呼んでいない。しかし他動詞として読むためには脈経の第七巻のように、「下之即愈」(これを下せば即ち愈ゆ)となっていなければならない。自動詞として読んで意味を他動詞にとるのがこの解釈の欠点となる。
②自ら血の下る者は愈ゆ、と解釈する。『解説』二七八頁に「その時に血が自然に下ることがある。このように血が下る時は、瘀血が去るのであるから、治るものである」とあるのが、その例である。『集成』では次の太陽病の条文を引用して、それでよいことを強調している。
太陽病、脈浮緊、発熱、無汗、自衂者愈。
衂は鼻血を出すことであるから、上下の違いはあっても類似した問題なのである。これを次の条文と比較すると、血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさしつかえないことがわかる。
傷寒、脈浮緊、不発汗、因致衂者、麻黄湯、主之。
もうひとつは次の条文である。
婦人、傷寒、発熱、経水適来、昼日明了、暮則讝語、如見鬼状者、此為熱入血室。無犯胃気及上二焦、必自愈。
但少腹急結者の但(ただ)はそれのみ、もっぱら、ひたすら、という意味である。少腹は『講義』一二七頁に「下腹部なり。即ち膀胱に同じ」としているように、下腹部をさすというのが定説になっている。しかし発秘では「少腹の少は、金匱玉函経と程応旄本(傷寒論後条弁)では小に作る。是なり。けだし臍上を大腹といい、臍下を小腹という。素問の蔵気法時論に明文あり。徴すべし」といい、劉完素は傷寒直格で「臍上を腹となし、腹下を小腹となし、小腹の両旁はこれを少腹と謂う」という。どれを採用さべきか私にはよくわからないので、とにかく下腹部と解釈しておく。
急結とは『講義』では「攣急結滞の謂なり」とし、『入門』では「充血し痙攣的な疼痛を訴えること」であるという。
ほとんどの解説書で少腹急結は熱結膀胱の外候他ならずとしているが、同じことを二度繰返して表現することは不自然であるから、血熱が下腹部に集中したことと解釈した方が良い。膀胱の急結では下剤を与える理由にならないからである。
宋板、康平本では処方名を桃核承気湯としているが、玉函経、康治本の桃仁承気湯の方が正しい。薬に用いる種子(仁)は、内果皮に相当する核の中に存在するからである。
桃仁五十箇去皮尖、大黄四両酒洗、甘草二両炙、芒硝二合、桂枝二両去皮。 右五味、以水七升煮、取二升半、去滓、内芒硝、更上微火、一両沸、温服五合。
[訳] 桃仁五十箇、皮と尖を去る、大黄四両酒にて洗う、甘草二両炙る、芒硝二合、桂枝二両皮を去る。
右五味、水七升を以て煮て、二升半を取り、滓を去り、芒硝を入れ、更に微火に上せて、一両沸し、五合を温服す。
この処方は血毒を治す桃仁を主薬とし、陽明内位の病に用いる調胃承気湯を配し、最後に桂枝を置いている。
類聚方広義では方極を引用して「血証、小腹急結し、上衝する者を治す」としている。桂枝があるから気が上衝している筈であるというのである。尾台榕堂は上衝甚しとさえ言っている。こういう観点を前提にしているから竜野一雄氏は「康治本傷寒論について」という論文の中で、「宋板、成本、康平などすべて桃仁、大黄、桂枝の順になっているのが正しいと思うが、康治本では桂枝が最後に置かれていて全くなっていない」と書いている。
桂枝の量は、桂枝湯で三両、上衝のはげしい桂枝加桂湯で五両用いている。それがここでは二両、しかも一回の服用量はさらに少ない。どうしてこれを上衝甚しと言えるのであろうか。さらに言うならば、表証や外証のある場合にはまずそれを治して後に下剤を与えるのが傷寒論の原則である。上衝の場合も同じである。
したがってこの桂枝は鎮痛作用を期待して用いているのであり、気の上衝を治すようには働かないのである。それを『漢方入門講座』(竜野著)で「桂枝甘草は気の上衝を治す。故に上部に於て気上衝による神経症状があり、下部及び体表に於て鬱血性の循環障害症状が見られる。上衝が強いので下剤を以て誘導する働きを兼ねている」というでたらめな理屈を述べている。気の上衝のように見える症状は実は血熱によるものであることを知るべきである。
『傷寒論再発掘』
31 太陽病、熱結膀胱 其人如狂 血自下 下者愈 但少腹急結者 与桃仁承気湯。
(たいようびょう ねつぼうこうにけっし、そのひときょうのごとく、ちおのずからくだる。くだるものはいゆ、ただしょうふくきゅうけつするものは、とうにんじょうきとうをあたう。)
(太陽病で、熱が膀胱にかたくとりつき、その結果、状態がすっかり変わって、精神異常に似た状態になり、血がおのずから下るような事がある。血が下るものは病が愈えるものである。血がおのずから下ることがなく、ただ、下腹部にひきつれて痛むものが生じたような者は、桃仁承気湯を与えて様子を見ると良い。)
この条文は太陽病であったものが更に進んで、精神異常に似たような状態を呈するようになった場合の改善策を述べた条文です。
精神異常に似たような病態の成因として、この「原始傷寒論」の著者は「熱結膀胱」(熱が膀胱にかたく取りつくこと)の為と考えていたようです。膀胱と言っても現代医学でいう膀胱そのものとは、かなり違うようです。また、当時の解剖学の知識は今から見れば誠にあやしいものだったでしょうから、そのような頼りない知識の上での説明は現代の立場から見れば、所詮、「空論臆説」の一種に過ぎないものですので、あまり真剣に受けとる必要はないでしょう。
成因はともあれ、精神異常に似た病態であったものが、自から血が下ることによって改善されていくような体験があったのであり、また、血は下らないが下腹部にひきつれて痛むものが出来て、精神異常に似た病態が生じた時、桃仁承気湯を与えて便通を促すと、時には血が下るようなこともおきて、その病態の改善されていくようなことなども経験されていたのでしょう。その結果、こういう条文も残されたのであると推定されます。
実際、精神異常を含めた実に様々の病態が、少腹急結という腹証を基に、桃仁承気湯を使用することによって誠に良く改善されていくことは、全く日常的に経験されていることです。「熱結膀胱」という「空論臆説」は全く不用なわけです。こういう不用な部分は除いて、古代人の純粋経験にもどれば、それは現代人でも完全に通用する部分なのです。「傷寒論」の大きな魅力の一つは、こういう有用な部分が誠に豊富に存在するという点です。それなればこそなお一層、「傷寒論」については、机上の空論ではなく、実質的な研究が尊重されるわけなのです。
31' 桃仁五十箇去皮尖 大黄四両酒洗 甘草二両炙 芒硝二合 桂枝二両去皮。
右五味 以水七升煮 取二升半 去滓 内芒硝 更上微火 一両沸 温服五合。
(とうにんごじゅっこひせんをさり、だいおうよんりょうさけにてあらう、かんぞうにりょうあぶる、ぼうしょうにごう、けいしにりょうかわをさる。みぎごみ、みずななしょうをもってにて、にしょうはんをとり、かすをさり、ぼうしょうをいれ、さらにびかにのぼせて、いちりょうふつし、ごごうをおんぷくする。)
この湯の形成過程は既に第13章8項で述べた如くです。すなわち、この湯の生薬配列は、桃仁+(調胃承気湯)+桂枝となっていますので、基本的な作用は調胃承気湯の瀉下作用です。その上に桃仁の特殊作用を強調し、桂枝の鎮痛作用あるいは上衝改善作用を追加しています。単なる下しではなく「血自下」のと同様な生体反応を通じて、下腹部にある「しこり」を取り去りながら、生体全体の異和状態(如狂)を改善していくためには、桃仁が必要とされているのです。
「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この生薬配列は、桃仁大黄桂枝甘草芒硝となり、調胃承気湯のそれは甘草芒硝大黄あるいは、芒硝甘草大黄ですので、もう全く滅茶苦茶になってしまっています。生薬配列の重要さが忘れ去られてしまった時代の産物ですから、止むを得ないとは思いますが、すくなくとも、これからの研究者はこの蒙昧状態を脱却してほしいものです。
『康治本傷寒論解説』
第31条
【原文】 「太陽病,熱結膀胱,其人如狂,血自下,下者愈。但少腹急結者,与桃仁承気湯.」
【和訓】 太陽病,熱膀胱に結び,その人狂の如く,血自ずから下る,下る者は愈ゆ。ただ少腹急結するものには,桃仁承気湯を与う.
【訳文】 太陽病を発汗して,陽明の傷寒(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) となって,自然に下血する場合もある.下血する者は,自然に治る.少腹急結のある場合には,桃核承気湯(桃仁承気湯)を与えてこれを治す.
【句解】
如狂(キヨウノゴトク):精神分裂症様の症状のある場合をいう.
少腹急結(ショウフクキュウケツ):下腹部が硬く結ばれている状態をいう.
【解説】 “熱結膀胱”の膀胱は,今日の解剖学ていうところの膀胱を指すのではなく,漢法医学で用いられている三焦の中の下焦に当たる場所を指します。これはまた,抵当湯条に「熱在下焦」というに同じであります.すなわち熱結膀胱とは,少腹急結のことです.
【処方】 桃仁五十箇去皮尖,大黄四両酒洗,甘草二両炙,芒硝二合,桂枝二両去皮,右五味以水七升,煮取二升半去滓内芒硝,更上微火一両沸温服五合。
【和訓】 桃仁五十箇皮尖を去り,大黄四両を酒で洗い,甘草二両を炙り,芒硝二合,桂枝二両皮を去り,右五味水七升をもって,煮て二升半を取り滓を去って芒硝を入れ,更に微火にのぼせて一両沸し,五合を温服する.
証構成
範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
①寒熱脉証 遅
②寒熱証 潮熱不悪寒
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 不大便
⑤特異症候
イ如狂(桂枝)
ロ下血(桃仁)
ハ少腹急結(桃仁)
第12条~31条までの総括
第12条から第17条までは,第3条を受けて太陽傷寒の治療方法を論じています.先ず代表的な薬方である葛根湯を掲げてその治法を説き,次に三陽緊病にのみ存在する合病について挙げて,最初には下部腸管に波及した場合に対しては葛根加半夏湯(生姜-半夏)にその治法を求めています.
第15条においては,麻黄湯証を明らかにし,次いで麻黄湯証にして心煩足躁のある場合を(大)青竜湯に求めて,発汗の法をここに極めています.この場合も先ず正証を述べ,次に太陽病と少陽病との往来証のあることを症候の側から明らかにしています.すなわち「身不疼」でただ重きときを少陽病位とし,「身軽」で痛みを伴う場合を太陽病位に在ることを説き,また四肢沈重や但欲寝などのある少陰証との鑑別のために「無少陰証」といって,その別を明確にしています.以上が太陽傷寒の薬方についての解説であります.
これらを特異症候から見ていくと,葛根湯は“コリ”の原方であり,麻黄湯は“痛み及び喘”の原方となり,また大青竜湯は“心煩足躁(ダルサ)”の原方と考えることができます.そしてそれぞれの原方は,各病期に波及して胃気各系統の方剤を応用していくことができます.
第18条から第24条までは,各条文の冒頭に「発汗若下之後」が示されていて,その時に与えるべき薬方の時間と量とが適切でなかったために太陽病位から乾姜附子湯証,麻杏甘石湯証以下6方の各病期に転移する病道を論じています.なお第20条の場合は,「発汗後」とだけ記るされていて,太陽病位から壊病の範疇に転移した場合の治法について述べられています.
第25条からは少し趣が変わり,肌熱緩病から肌寒緩病への病道を論じています.同じ“めまい”でも真武湯と苓桂朮甘湯の相違は,前者はめまいがして倒れそうになるので壁によりかかったりしたり,杖などを持っていないと歩けないが,後者の場合は,横になった状態から急に起き上がったりした時にめまいが出現します.
次に三条にわたって出てくる小柴胡湯証は,後出の少陽病の定義条文以下のところでは論じていなく,この部分で詳述しています.また第28条,第29条では小柴胡湯と小建中湯との腹痛の別を説いて,次条に大柴胡湯を挙げて柴胡の証をここに極めています.最後に太陽病から陽明病の転移する病道を述べて少腹急結の治法を挙げ,第31条までの結としています.
康治本傷寒論の条文(全文)
(コメント)
『康治本傷寒論の研究』
P.196 六行目
~血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさつかえないことがわかる。
~血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさしつかえないことがわかる。 に訂正。
『傷寒論再発掘』
P.384
五十箇の読み
ごじゅっこ を ごじっこ 訂正。
『康治本傷寒論解説』
P.58
但寝欲 を但欲寝 に訂正。