太陽病、反二三下之後、嘔不止、心下急、鬱鬱微煩者、大柴胡湯、主之。
[訳] 太陽病、反って二、三これを下して後、嘔止まず、心下急、鬱鬱微煩する者は、大柴胡湯、これを主る。
冒頭の句が傷寒でなく、太陽病に変っているのは、条文の性格に相違があることを示している。第二六条(小柴胡湯)の後に位置しているから、その変証をのべることになる。それは少陽病であって太陽病でないから、第二句目に反って、二、三これを下して後、とつけ加えただけであって、これに特別な意味があるわけではない。太陽病であったから発汗すべきところ、間違って二三回下痢を起させたために、病位が変って、次のようになったというだけである。
嘔止まずは第二六条の喜嘔よりも症状が激しいことを示す。心下急は心下部(胃部)にいらいらした感じがすること。『皇漢』には山田尾広の書物から引用して「説文に急は褊(せまい)也とあり。褊とは小児の衣服を大人の着したるが如く、ゆきつまり、きゅうくつなることなり。これにて心下急の文を始めて了解せり」と述べている。これは心下急の自覚症状を大変うまく説明している。『解説』二七一頁には「この急は物のつまった感じであるから、心下部が張って、堅くて、抵抗圧重感があること」と説明している。
心は胸(胸部を前面から見た部分)のことであるから、心下は胸下ととった方がよいと思う。しかし自覚症状がはっきりでる所は胃部であることは事実である。
心下急を『講義』一二○頁では「是れ亦胸脇苦満の一段進行せる証なり」と説明しているが、これは吉益東洞流の腹診により見方であって、傷寒論の胸脇苦満は胸部の自覚症状を指しているから、心下部と胸部は位置がちがっていることに注意しなければならない。このことは薬物の面からも指摘できるのであって、柴胡と黄芩の分量は第二六条と同じなのである。小柴胡湯証の胃部の状態は心下痞鞕であるから、これの一段進行したものと言うべきである。
鬱々とは気がふさがることで、第二六条の嘿々よりも症状が重い。微煩とは心煩の軽いもの。したがって鬱々微煩は第二六条の嘿々不欲飲食、心煩と同じような程度と見てよい。『講義』では「微煩は微熱煩悶の意なり。是れ亦嘿々として飲食を欲せず、心煩す、の更に進行せる証なり」と説明しているが、微を微熱と解釈するのは無茶である。
以上を総括すると、小柴胡湯よりも胃部の症状が激しくなっていることがわかる。胸部の症状はどうなっているのであろうか。第二六条の往来寒熱、胸脇苦満について何も言及していないのは、なぜなのかわからない。第二八条から第三○条までに示された症状はすべて第二六条と比較する形になっているから、基本条件は同じなのだというわけであろうか。
柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙、大棗十二枚擘。
右七味、以水一斗二升煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。
[訳] 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙る、大棗十二枚擘く。 右七味、水一斗二升を以って煮て、六升を取り、滓を去り、再び煎じて、三升を取り、一升を温服し、日に三服す。
小柴胡湯と比較すると、柴胡と黄芩の分量に変化はないから、基本条件は同じというわけである。
生姜の三両が五両になっているから、半夏との共力作用で鎮嘔作用が著しく強化されている。
人参と甘草がなく、その代りに芍薬と枳実が加えられているのは、胃部に対する作用が補から瀉にかえられていることを示している。枳実の苦味は、人参の苦味よりも格段に強いからである。金匱要略の婦人産後病篇の枳実芍薬散の条文にあ識「腹痛煩満、不得臥」が参考になる。
康治本における薬物の配列は、このように整然としているので、処方の意味を考える時にも、亦類似処方と比較する時にも大変好都合である。それは処方をつくる時の発想がそのまま記録されているからである。これに対して宋板等の異本における配列は、次に示すように混乱状態にあることを知らねばならない。
現在大柴胡湯というと、大黄を加えた八味の処方となっているのは、宋板に「一方に大黄二両を加う。もし加えざれば、恐らく大柴胡湯と為らず」と註がついており、成本がそれを採用したからである。それに古方家が虚実の概念を乱用したことが関係している思う。
宋板には半夏半升の下に洗の字があり、生姜五両の下に切の字がある。これが正しい。
康治本 | 柴胡 黄芩 半夏 生姜 芍薬 枳実 大棗 |
宋板 | 柴胡 枳実 生姜 黄芩 芍薬 半夏 大棗 |
康平本 | 柴胡 黄芩 芍薬 半夏 生姜 枳実 大棗 |
成本 | 柴胡 黄芩 芍薬 大棗 半夏 生姜 枳実 大黄 |
『傷寒論再発掘』
30 太陽病、反二三下之後 嘔不止 心下急 鬱鬱微煩者 大柴胡湯主之。
(たいようびょう、かえってにさんこれをくだしてのち、おうやまず、しんかきゅうし、うつうつびはんのものは、だいさいことうこれをつかさどる。)
(太陽病で、発汗すべきであったのに、あやまって二三回下してしまったため、病態が変わって、嘔吐がやまなくなり、心下はものがつまったような、きゅうくつな感じがして、うつうつとして、少し胸苦しい状態であるようなものは、大柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は小柴胡湯の適応病態よりも更に「嘔吐」や「心下痞鞕」の甚だしい病態の改善策について述べている条文です。
生薬構成から考察してみますと、まず小柴胡湯の時は生姜が三両であったのに大柴胡湯では五両になっています。鎮嘔作用が強化されているわけです。また、小柴胡湯の甘草と人参がなくなり、それにかわって、枳実と芍薬が追加されて、大柴胡湯になつているわけです。甘草の基本作用(第16章3項)は反瀉下作用であるのに対して、枳実の基本作用(第16章10項)は瀉下作用であるわけですので、この点から見ると、大柴胡湯は小柴胡湯よりも瀉下作用が強化されていると推定されます。人参の基本作用(第16章15項)は芍薬の基本作用(第16章15項)は芍薬の基本作用(第16章16項)と同じで、ともに「経胃腸排水作用」に対しては「抑制的」ですので、この点からは差はないことになるでしょう。結局、大柴胡湯は小柴胡湯より鎮嘔作用と瀉下作用を強化したものになっていることがわかります。
実際の使われ方では、大柴胡湯の適応病態の人の方が小柴胡湯の適応病態の人より、一般に体格も栄養もよく、学術的に正しく言えば、歪回復力が大きいと推定される状態を呈しているものです。すなわち、大柴胡湯の適応病態の方が小柴胡湯の適応病態よりも「実」していると表現されるわけです。これはまた、小柴胡湯の適応病態の方が大柴胡湯の適応病態より「虚」しているとも表現され得るのです。
30' 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙、大棗十二枚擘。
右七味、以水一斗二升煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。
(さいこはんぎん、おうごんさんりょう、はんげはんしょう、しょうきょうごりょう、しゃくやくさんりょう、きじつよんまいあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく、みぎななみ、みずいっとにしょうをもってにて、ろくしょうをとり、かすをさり、さいせんし、さんじょうをとり、いっしょうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)
この湯の形成過程は既に第13章10項で述べた如くです。すなわち、小柴胡湯の形成過程と同様に、黄芩加半夏生姜湯(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)の生薬配列をもとにしているのです。この生薬配列の中の甘草を枳実に代え(調胃承気湯から大承気湯をつくる時と同様)、柴胡を追加してこれを最初に持っていき、半夏生姜の位置をすこしずらして柴胡黄芩のあとへ持っていけば、柴胡黄芩半夏生姜芍薬枳実大棗となり、大柴胡湯の生薬配列が得られます。
嘔吐にも下痢にも対応できる作用を持っている黄芩加半夏生姜湯を基にして、そこに柴胡を加え、柴胡黄芩基の特殊作用を手待して、それを生薬配列の最初に置き、次に、半夏生姜基の特殊作用を期待して、これを柴胡黄芩基の下に持ってきているのは、小柴胡湯の時と同様です。小柴胡湯の時よりも嘔吐の強い病態に使用するので生姜を増量し、腹満も強いので、これを瀉下する期待もあって、甘草を枳実に代えたのだと思われます。基本的には小柴胡湯に似ていますが、それよりも瀉下作用の増強された生薬配列になっているわけです。そして、その為に、この二つの湯はその作用の大小によって、大柴胡湯・小柴胡湯と区別されるようになったのだと思われます。
「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この所の大柴胡湯の生薬配列は柴胡黄芩芍薬半夏生姜枳実大棗という配列やその他の配列になっており、混乱状態であるわけです。その上に、「一方に大黄二両を加う。そし加えざれば、恐らく大柴胡湯と為らず」という註までついているのです。「金匱要略」では大黄の入った大柴胡湯が記載されており、その影響を強く受けている「註解傷寒論」にも大黄が入った
大柴胡湯が記載されていますので、多分、この影響も受けて、このような註も出来たのでしょう。勿論、大黄はなくても良いのです。いや「原始傷寒論」ではもともと大黄はなかったのですが、その後の時代に、大黄を入れる習慣が出来てしまき、それを「金匱要略」や「註解傷寒論」が採用し仲しまったのであると思われます。実際臨床上では、大黄というものは色々の湯について、便通の状態を見ながら去加していけばいいものですので、こういう事もおき得たのでしょう。
『康治本傷寒論解説』
第30条
【原文】 「太陽病,反二三下之後,嘔不止,心下急,鬱々微煩者,大柴胡湯主之.」
【和訓】 太陽病,反って二三之を下して後,嘔止まず,心下急,鬱々として微煩する者は,大柴胡湯之を主る.
【訳文】 太陽病を発汗し,或いは陽明病に二三回下剤を与えた後、少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 小便不利) となって,嘔気が止まらず,心下急し,押さえ付けられたようにかすかに心煩する場合には,大柴胡湯でこれを治す.
【句解】
心下急(シンゲキュウ):心下部(胃部)が硬く結ぼれている状態をいう。
【解説】 本条では,太陽病位から少陽病位という病道を述べています.そしてここに柴胡湯の変化を極めています.
【処方】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升,生姜五両,芍薬三両,枳実四枚炙,大棗十二枚擘,右七味以水一斗二升,煮取六升去滓再煎取三升,温服一升日三服。
【和訓】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升,生姜五両,芍薬三両,枳実四枚を炙り,大棗十二枚を擘く,右七味以水一斗二升をもって,煮て六升を取り滓を去って再煎して三升に取り,温服すること一升日に三服す.
証構成
範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 小便不利
⑤特異症候
イ嘔不止(生姜)
ロ心下急(枳実)
ハ微煩(生姜・枳実)
康治本傷寒論の条文(全文)