『康治本傷寒論の研究』
傷寒、心中悸而煩者、建中湯、主之。
[訳] 傷寒、心中悸して煩する者は、建中湯、之を主る。
宋板と康平本では、傷寒二三日、となっているので、『解説』二六九頁のように「傷寒二三日は、太陽病の表証のある時期である。もし四五日から五六日ともな れば、邪が少陽の部位に進んで、柴胡の証となる。傷寒にかかって、まだ一度も汗、吐、下の治療をしないのに、すでに胸で動悸がして、じゅつないという者 は、元来その人が平素から虚弱で、裏が虚しているためであるから、……まず裏の虚を補わなければならない」と解釈するが、康治本のように、傷寒とだけあっ て二三日がない時にはこのように解釈することができない。
これは第二八条と同じように、第二六条の小柴胡湯条に関連した条文なのである。第二六条の第一段の心煩、第二段の或いは胸中煩而不嘔、或いは心下悸小便不利との関係を考察しなければならない。
心中悸而煩は心煩等に似ているが、軽く考えてはいけない場合のあることをここで示したものと見れば、第二八条と同じ性格の条文になるのである。
『講義』一一九頁に「心中とは……汎く心胸の間を指し云う。悸とは悸動の意、煩すとは煩悶の義なり。これ即ち心悸し、征忡(心悸亢進)して安んぜざるの形 容なり」とあり、煩に胸部の熱感の意味をもたせていない。そしそうならば、この症状は第八条の脈促胸満する者は桂枝去芍薬湯これを主る、と同じことになっ てしまう。これは去芍薬であり、建中湯は加芍薬であり、この相違は大きい。それで傷寒論のほとんどすべての註釈書では、「その人、中気もと虚す」とか、 「この証、元来元気欠乏し、勢力衰憊せる者なり」と説明しているが、これを示すような表現は原文には何もないのである。
このような矛盾におちい るのは、而という接続詞を無視しているからである。『入門』一五四頁ではこの点に注目しているので、而は「この字の前に記せることが原因で、後に記せるこ との起るを示す」と解釈する。そして次のように説明している。「王宇泰(肯堂)は煩し而して悸するものは別あり。大抵は先ず煩して後悸するものは是れ熱、 先ず悸し而して煩するのは器質的障碍のために起り来たったのでなくて、神経性のもの即ち虚煩である。故に徐霊胎は、悸し而して煩する、その虚煩たるを知る べし、故に建中湯を用い、以って心脾の気を補す。蓋し梔子湯は有熱の虚煩を治し、此れは無熱の虚煩を治す、という」と。
虚煩という解釈は正しい。しかし理論上、無熱の虚煩という状態はありえない。梔子豉湯(第二四条)との相違は有無、無熱という点にあるのではなく、心中悸の有無にあるのである。
『弁正』に「此れ其の病位に於けるは、蓋し太陰に在りて、而して少陽に関わるなり」とあることを、別の表現を使うと、太陰温病ということになるであろう。この状態を治すことを建中湯と表現しているのだから、これは中気を建てるという意味になる。
第二八条と第二九条で建中湯を小柴胡湯と関連させていることは、『集成』で「もし嘔ある者は乃ち少陽病にして柴胡を与うべし」というように区別を論じたのではなく、少陽の部位にも、温病の系列があることを示したものと解釈すべきである。
そうすると、今までに出てきた処方の中では梔子豉湯、調胃承気湯と建中湯との相違が問題になるのである。
『傷寒論再発掘』
29 傷寒、心中悸而煩者、建中湯主之。
(しょうかん、しんちゅうきしてはんするものは、けんちゅうとうこれをつかさどる。)
(傷寒で、胸の奥が動悸して胸苦しく落ち着かないようなものは、建中湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は、建中湯の適応病態の一変態を挙げて、その活用を報じた条文です。
建中湯の基本的な条文はこの前の条文(第28条)であり、その主たる使われ方は、「腹中急痛」を改善することであったわけですが、現実には、この条文のような活用のされ方もあるわけです。このような使われ方がどうして可能なのか、その構成生薬から考察してみることは既に第13章13で論じておいた通りです。すなわち、「体力」が減退している人で、心悸亢進などがあり、胸苦しさ(心煩)をおぼえる病態に対しては、この湯の構成生薬となっている「桂枝甘草湯」の心悸亢進をおさえる作用と「膠飴」の作用が協調して、奏効してくるかもしれない、ということです。
建中湯については、前条第28条では「腹中急痛」の改善に使用されており、「建中」という名もその事に基づいているわけですが、この事について一番大きな役割を果たしているのが「芍薬甘草湯」の部分であり、本条第29条での「心中悸」の改善について、一番大きな役割を果たしているのが「桂枝甘草湯」の部分であるということになりそうです。建中湯はこの両湯のそれぞれを含んでいたので、このような二種の湯の作用が実際上体験されて、このような条文も出来たのでしょう。
『康治本傷寒論解説』
第29条
【原文】 「傷寒,心中悸,而煩者,建中湯主之.」
【和訓】 傷寒,心中悸して煩する者は,建中湯之を主る.
【訳 文】 発病して,太陽の中風 (①寒熱脉証 沈 ②寒熱証 手足温 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 下利) となって,心中で動悸がして心煩がある場合には,小建中湯でこれを治す。
(小)ケンチュウトウ
証構成
範疇 腸寒緩病(太陰中風)
①寒熱脉証 沈
②寒熱証 腸寒手足温
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 下利
⑤特異症候
イ心中悸(甘草)
ロ心煩(生姜)
康治本傷寒論の条文(全文)