大承気湯(だいじょうきとう)
本方は陽明病の代表的方剤で、腹部が膨満して充実し潮熱・便秘・譫語等の症状があり、脈は沈実で力のあるものに用いる。ただし発熱・譫語等の症状がなく、腹 部の充満・便秘のみを訴えるものにも使用する。舌には乾燥した黒苔があって、口渇を訴えることもあり、また舌には苔のないこともあるが乾燥している。此方 は厚朴・枳実・大黄・芒硝の四味からなり、厚朴・枳実は腹満を治し、大黄・芒硝は消炎・瀉下の効がある。故に腹部膨満の者でも、脈弱の者、脈細にして頻数 の者には禁忌である。例えば腹水・腹膜炎等によって、腹満を来したものに用いてはならない。急性肺炎・腸チフス等の経過中に、頓服的に此方を用いることが ある。また肥満性体質の者・高血圧症・精神病・破傷風・脚気衝心・食傷等に使用する。大承気湯中の芒硝を去って小承気湯と名付け大承気湯證のようで、症状 がやや軽微なものに用いる。
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
9 承気湯類(じょうきとうるい)
腹部に気のうっ滞があるため、腹満、腹痛、便秘などを呈するものの気をめぐらすものである(承気とは順気の意味)。
承気湯類は下剤であり、実証体質者の毒を急激に体外に排出するものである。
各薬方の説明
2 小承気湯(しょうじょうきとう) (傷寒論、金匱要略)
2 小承気湯(しょうじょうきとう) (傷寒論、金匱要略)
〔厚朴(こうぼく)三、大黄(だいおう)、枳実(きじつ)各二〕
本方は、大承気湯の芒硝を除いたもので、大承気湯より少し虚している人に用いられる。したがって、胃部や腸内の邪気を停滞している食物とともに、軽く瀉下して除くもので、腹満、胃部の痞硬、便秘、全身浮腫、小便不利などを目標とする。
『明解漢方処方』 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.141
22.小承気湯(しょうじょうきとう) (傷寒論、全匱)
大黄 枳実各二・〇 厚朴三・〇(七・〇)
腸熱による便秘または下痢に用いる薬で、大承気湯、調胃承気湯に似て腹満、発熱、うわ語などの症はあっても、腸熱が強くないため、必ず自汗出て小便多量であることが本方の目標になる。大承気湯のように腸熱はげしく燥屎があるようになれば、眼球(晴白は内位に属する、総論編参考)もうろうとして光沢を失い、また眼球が乾いて沢潤のない状態なってくる。食中毒。便秘による発熱、精神異常。
『和漢薬方意辞典』 中村謙介著 緑書房
小承気湯(しょうじょうきとう) [傷寒論・金匱要略]
【方意】 裏の実証・裏の気滞による便秘・腹満等と、裏の熱証による乾燥傾向の糞塊・熱臭のある自汗等のあるもの。
《陽明病.実証》
【自他覚症状の病態分類】
【脈候】 滑疾・沈滑・沈遅実・緊・時に浮実数。
【方解】 大黄は裏の実証・裏の熱証による便秘・腹満・発熱を治す。厚朴は裏の気滞による腹満・胸満を治す。枳実も充実した気滞に有効で、厚朴よりも更に強く充満している状態に用いる。つまり本方では枳実・厚朴による裏の気滞をめぐらし、大黄により裏に充満した熱証の邪毒を瀉下して治癒におもむかせる。但し、大承気湯と比較すると本方は芒硝を欠くために裏の実証・裏の熱証は弱い。
【方意の幅および応用】
A 裏の実証・裏の気滞:便秘・腹満等を目標にする場合。
脚気・吃逆・膀胱炎・膀胱結石等で便秘・腹満のあるもの。
B 裏の熱証:乾燥傾向の糞塊・自汗・発熱等を目標にする場合。
急性大腸炎、腸チフス、肺炎『明解漢方処方』 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.141
22.小承気湯(しょうじょうきとう) (傷寒論、全匱)
大黄 枳実各二・〇 厚朴三・〇(七・〇)
腸熱による便秘または下痢に用いる薬で、大承気湯、調胃承気湯に似て腹満、発熱、うわ語などの症はあっても、腸熱が強くないため、必ず自汗出て小便多量であることが本方の目標になる。大承気湯のように腸熱はげしく燥屎があるようになれば、眼球(晴白は内位に属する、総論編参考)もうろうとして光沢を失い、また眼球が乾いて沢潤のない状態なってくる。食中毒。便秘による発熱、精神異常。
『和漢薬方意辞典』 中村謙介著 緑書房
小承気湯(しょうじょうきとう) [傷寒論・金匱要略]
【方意】 裏の実証・裏の気滞による便秘・腹満等と、裏の熱証による乾燥傾向の糞塊・熱臭のある自汗等のあるもの。
《陽明病.実証》
【自他覚症状の病態分類】
裏の実証 | 裏の熱証 | |||
主証 | ◎便秘 ◎腹満 | ◎乾燥傾向の糞塊 ◎熱臭のある自汗 | ||
客証 | ○腹痛 胸満 ○吃逆 食欲不振 嘔吐 頭痛 | 発熱 微熱 潮熱 悪熱 煩躁 讝語 下痢臭穢 裏急後重 尿赤濁 善飢 |
【脈候】 滑疾・沈滑・沈遅実・緊・時に浮実数。
【舌候】 乾燥して亀裂を生ずることあり。黄苔から焦黒苔。
【腹候】 腹部全体に膨満傾向と弾力性がある。
【病位・虚実】 裏の実証および裏の熱証があり、脈力も腹力も強く、陽明病の実証でもある。
【構成生薬】 枳実4.5 厚朴3.0 大黄a.q.(0.5)
【腹候】 腹部全体に膨満傾向と弾力性がある。
【病位・虚実】 裏の実証および裏の熱証があり、脈力も腹力も強く、陽明病の実証でもある。
【構成生薬】 枳実4.5 厚朴3.0 大黄a.q.(0.5)
【方解】 大黄は裏の実証・裏の熱証による便秘・腹満・発熱を治す。厚朴は裏の気滞による腹満・胸満を治す。枳実も充実した気滞に有効で、厚朴よりも更に強く充満している状態に用いる。つまり本方では枳実・厚朴による裏の気滞をめぐらし、大黄により裏に充満した熱証の邪毒を瀉下して治癒におもむかせる。但し、大承気湯と比較すると本方は芒硝を欠くために裏の実証・裏の熱証は弱い。
【方意の幅および応用】
A 裏の実証・裏の気滞:便秘・腹満等を目標にする場合。
脚気・吃逆・膀胱炎・膀胱結石等で便秘・腹満のあるもの。
B 裏の熱証:乾燥傾向の糞塊・自汗・発熱等を目標にする場合。
【参考】 *腹満して、大便硬き者を治す。
『類聚方』
* 脈滑にして疾、讝語、潮熱を発し、大便硬くして、未だ燥屎の有無を以って二湯(大・小承気湯)の別とす。後世にて、大承気(湯)は三焦痞満を目的とし、小承気(湯)は上焦の痞満を目的とするなり。燥屎の候法、種々あれども、其の適切(確実な標的)は、燥屎あるものは臍下を按じて物あり。是を撫ずれば肌膚かわくなり。燥屎と積気(腸の攣縮などにより腫瘍の如くふれるもの)と見誤ることあり。これは、くるくるとして手に按じて大抵知るなり。燥屎は按じて痛み少なく、積は痛んで自から発(お)きさめあり。且つ下焦にあるのみならず、上中焦へも上るなり。此の候なくして潮熱讝語する者も此の方に宜し。又、此の方を潔古は中風に小続命(湯)を併せ用いてあり。
『勿誤薬室方函口訣』
【症例】 パーキンソン症候群
57歳、男性。栄養は中等度で、骨格は良い。息子に助けられて診察室に入ってきたが、その歩行の恰好や全身の姿勢から、一見してパーキンソン症候群の印象を与えるほど定型的な外観を呈していた。両手には絶えず震戦があり、手の指はこわばって握ることができない。自分の手でシャツのボタンを外すことができない。項部の筋肉もこわばって動かしがたい。脈は浮大で血圧130/86。大便は秘結する。
小承気湯を与える。ただしその分量は、厚朴12.0、枳実3.0、大黄1.5、右1日量。20日分を服用し終わったとき、患者は一人で来院したが、その時は靴の紐を自分で解いたり結んだりできるし、震戦も左手に少し残っている程度になった。しかし握力は十分に発揮できず、力一杯に握れない。この日は前方に更に芍薬4.0、甘草2.0を加えて20日分を与える。すなわち小承気湯合芍薬甘草湯である。これを飲み終わって来院した患者は、先日の薬で大変良く眠れるようになり、便通も気持良く出るようになったという。しかし左手の震戦と痺れがまだ少しある。けれども鎌を握って稲を刈ることができたと喜ぶ。
この患者は通計140日の内服で、震戦はなくなったが、手の握力はまだ十分とはいえない。
大塚敬節『症候による漢方治療の実際』651
※コメント 小承気湯の枳実と芍薬甘草湯の芍薬で、枳実芍薬散の方意もあるのでは?
『勿誤薬室方函口訣解説(60)』 日本東洋医学会理事 三谷和合
小承気湯
小承気湯(ショウジョウキトウ)は『傷寒論』に記述された薬方で、大黄(ダイオウ)四両、厚朴(コウボク)二両、枳実(キジツ)三枚を含み、陽明病位に与える薬方です。『方函口訣』では「胃中の邪気を軽く泄下する也」と述べられていますが、腸内容の停滞物を泄下す識と考えてよいでしょう。
『傷寒論』に述べられている小承気湯の条文には、「陽明病、脈遅、若し腹大満して通ぜざる者は小承気湯を与うべし。微しく胃気和し、大いに泄下せしむる勿れ」とあります。腹満、大便不通であるとしても、潮熱(悪寒、悪風を伴わず、熱の出るときは、全身に熱が隈なく行きわたり、同時に頭から手足に至るまで汗ばむ状態)の少ない場合は、大承気湯(ダイジョウトウ)を与えず、小承気湯を与えるわけです。この場合、「之を主る」といわず、「与う」と述べているのは、こうした病態には小承気湯でなくとも調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)あるいは大柴胡湯(ダイサイコトウ)を与えてもよいわけです。
「陽明病、潮熱して大便激しく鞕き者は、小承気湯を与うべし。鞕からざる者は之を与えず、若し大便通せざること六七なれば、恐らく燥屎(乾燥して硬くなった宿便)有らん。之を知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯の腹中に入りて転失気(てんしつき)(腸の運動が活発となり、腸内の液体とガスが交流して一種の音響を発することです。俗に放屁と理解されていますが誤りです)する者は、此れ燥屎有り、乃ち之を攻むべし。若し転失気せざる者は、此れ、初頭鞕くして、後必ず溏す。之を攻むべからず。之を攻むれば、必ず脹満して食す能わざるなり、水を飲まんと欲する者に、水を与うれば則ち噦す。其の後発熱する者は、必ず大便復た鞕くして少きなり、小承気湯を以て之を和す。転失気せざる者は慎んで攻むべからざるなり」。
「陽明病、其の人汗多ければ、津液外に出で、胃中燥くを以て、大便必ず鞕し。鞕ければ則ち讝語す。小承気湯之を主る。若し一服して讝語止めば、復た服することなし」。脱水によって、うわ言をううような病態です。現在では適切な補液を行いますから、承気湯を与える病態は少ないでしょう。
「陽明病、讝語して潮熱を発し、脈滑(なめらかに去来する脈)にして疾(しつ)の者は(疾脈は速脈に相当する)、小承気湯之を主る。因て承気湯一升を与え、腹中、転失気する者は、更に一升を服す。若し転失気せざれば、更に之を与う勿れ。明日大便せず(小承気湯を与えてから、一夜を経過してもなお大便が通じない)、脈反って微濇(微弱で陰血足らざる脈)の者は、裏虚するなり(生活機能の虚脱した病態です)。難治とす。更に承気湯を与うべからず」。裏虚の場合は難治であるとして、四逆湯(シギャクトウ)あるいは人参建中湯(ニンジンケンチュウトウ)を与えることになります。
「大陽病、若しくは吐し、若しくは下し、若しくは発汗し、微しく煩して小便数、因って大便鞕き者は小承気湯を与え、之を和すれば(消炎作用)愈ゆ」。「小便数、因って大便鞕き」は、脾約(脾の機能が制約された病態、大陽陽明の併病)の証であり、麻子仁丸(マシニンガン)の適応するところですが、微煩があるために小承気湯の指示になります。
「病を得て二、三日、脈弱にして大陽、柴胡(サイコ)の証なく(大陽、少陽の証候なく)、煩燥して心下鞕く、四五日に至りて能く食すと雖も、小承気湯を与えて微しく和し、少しく安からしむ」。
陽明病位の症候は、「食する能わず」になるわけですが、この場合は、大便が少し鞕くなっているだけで、燥屎をつくっていません。しかし、注意しながら与えるという意味で、「よく食す識と雖も、煩燥、心下鞕」を目標に小承気湯を与えるわけです。「五六日に至り、承気湯一升を与う。若し大便せざること六七日、小便少き者は、食を能くせずと雖も、但だ初頭初頭鞕く、後、必ず溏す」。
陽明病で食欲のあ識場合は中風とよばれ、食欲のない場合は中寒と称せられます。陽明病において、もし中寒の場合は、食欲がなく、尿量が少なく、手足に絶えず発汗がある場合は、大便は最初は鞕いが後は軟便になります。これは難治性の下利をきたす前徴です。つまり消化器の機能が減退して、消化、吸収が不良になるからです。従って、「之を攻むれば必ず溏す。須らく、小便を利し、屎定まり鞕となりて、乃ち之を攻むべし」と述べられ、利尿剤をまず与えておくことが述べられています。また、『金匱要略』には「下利、讝語する者は、燥屎有るなり、小承気湯之を主る」といり急性病の場合には、下利、讝語の症候はあっても発熱以外に、たいした症候がない場合は、燥屎があるにしても小承気湯を与えるわけです。
従って小承気湯を与える目標は、腹満して、大便は硬く、便秘する場合に与えます。脈は滑、疾、あるいは沈、滑です。舌質は深紅色で、乾燥した黄褐苔、焦黒苔があり、腹力は中等度以上です。高血圧症、肥満、習慣性便秘に与えます。アントラキノン誘導体を含む大黄(通便、清熱、消炎)に消化管の蠕動亢進および健胃作用のある枳実、厚朴が含まれていますが、実際の臨床では、小承気湯の加味方である麻子仁丸、潤腸湯(ジュンチョウトウ)などが広く用いられています。腹満感の更に強い場合には厚朴の量を多くします。
承気湯には、大、小承気湯、調胃承気湯、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)があります。桃核承気湯は瘀血を下すもので、その他の承気湯は、気をめぐらして便通をつける薬方です。承という漢字は、人がひざまずいて、両手でささげうける様子、上へ持ち上げる意味を含みます。従って承気湯は、腸内容を下すだけでなく、上っている「気」を下す作用があります。三黄瀉心湯(サンオウシャシントウ)の気上衝と鑑別する必要があります。また、病期が少陽病より陽明病位に広がる時期に用いる大柴胡湯(ダイサイコトウ)(心下急、心下満痛、うつうつ微煩、嘔止まず、不大便)と鑑別が必要ですが、大柴胡湯は肋骨弓下より臍上にかけての上腹部緊張があるに対し、承気湯では、臍を中心に、腹部全体の緊満感です。また大柴胡湯は、いわゆる腹内積気といった所見であり、燥屎とは異なります。
『類聚方広義解説(39)』 日本東洋医学会監事 岡野 正憲
本日は小承気湯(ショウジョウキトウ)から始めます。まず本文を読みます。
「小承気湯。先満して大便鞕き者を治す。
大黄(タイオウ)四両、厚朴(コウボク)二両、枳実(キジツ)三枚。右三味、水四升を以て煮て一升二合を取り、滓を去り、分かち温めて二服す。初め湯を服せば、当に更衣すべし、爾らざる者は、ことごとく之を飲む。もし更衣する者は之を服するなかれ」とあります。
次に『傷寒論』にある本文が書いてあります。これは『康平傷寒論』という本では十三字詰ということで、『傷寒論』の本文ではなくて後世の人が註釈したものではないかといわれております。
読みますと、「傷寒、大便せずして六七日、頭痛、熱ある者は承気湯(ジョウキトウ)を与う。その小便清き者は、知る、裏に在らずなお表に在るを。まさにすべからく発汗すべし。もし頭痛する者は必ず衂(じゆく)す。桂枝湯(ケイシトウ)に宜し」というものです。
次の文章は『傷寒論』の本文ということになっております。「陽明病、脈遅、汗出づといえども、悪寒せざる者は、その身必ず重く、短気、腹満して喘し、潮熱(ちょうねつ)あり、これ外解せんと欲し、裏を攻むべきなり。手足濈然(しゅうぜん)として汗出づるは、これ大便すでに鞕きなり。大承気湯之を主る」とありまして、この中で、「これ外解せんと欲す。云々」というところは、後世の註釈ということになっております。つまり「手足濈然として汗出づる」ということが潮熱に続いている文章です。つづいての条文は「もし汗多く」となっておりますが、これは『傷寒論』の本文よりいくらかあとの時代につけられた文章ではないかということになっています。
「もし汗多く、微発熱、悪寒するは、外未だ解せざるなり。その熱潮せずんば、未だ承気湯を与うべからず。もし腹大いに満ちて通ぜざる者は小承気湯を与え、微(すこ)しく胃気(いき)を和すべし、大いに泄下に至らしむることなかれ」というものであります。
次の文も『傷寒論』の本文ということになっております。読みますと、「陽明病、潮熱し、微しく鞕き者は、大承気湯を与うべし。鞕からざるは之を与うべからず」とあり、鞕からざるは以下は註釈ということになっております。
次の「大便せざること」というのは、『傷寒論』の本文より少しあとの文章ではないかといわれておりますが、読みます。「もし大便せざること六七日、恐らく燥屎(そうし)あらん。之を知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯腹中に入りて、転失気(てんしき)(おなかの中でガスの動くこと)するはこれ燥屎あるなり。すなわち之を攻むべし。もし転失気せざるは、これただ初頭鞕くして、後必ず溏(とう)す。之を攻むべからず。之を攻むれば必ず脹満し食する能わざるなり。水を飲まんと欲するは、水を与うれば噦(えつ)す(しゃっくりをする)。その後発熱する者は、必ず大便また鞕くして少なきなり。小承気湯を以て之を和し、転失気せざるは、慎んで攻むべからず」とあります。
次の文章も『傷寒論』の本文より少し遅れた時代の文章ではないかといわれております。すなわち「陽明病、その人汗多く、津液(しんえき)外出するを以て胃中燥き、大便必ず鞕し、鞕ければすなわち讝語(せんご)(うわごと)す。小承気湯之を主る。もし一服にして讝語止めば、さらにまた服することなかれ」というものです。
次の文も本文より少し遅れた時代のものではないかといわれております。「陽明病、讝語し潮熱を発し、脈滑(かつ)にして疾(はや)きは小承気湯之を主る」とあります。
ここで申しあげたいことは、薬方のあとに「主る」と「宜し」と「宜しく主る」と三つの言葉が出てきます。「主る」はその薬方が主治するところの病気である、それを使えば必ず治るということです。「小承気湯に宜し」というような場合には、小承気湯あるいはそれに近いものを使えばよろしいという意味で、一つの薬方に限定しているわけではありません。「また宜しく主る」というのは、大承気湯の一番あとのところに出てきますが、これは宜しという状態で、小承気湯とか大承気湯の部類でもよろしいけれども、ある場合にはそれが主治することになるという、二つの意見が一緒にきている状態を示しているわけです。ここでは「小承気湯之を主る」となっております。
続いて本文は「よって承気湯一升を与え、腹中転失気す識は、さらに一升を服す。もし転失気せざればさらに之を与うなかれ。明日大便せず、脈かえって微渋(ビジュウ)するは、裏虚なり。難治となす。さらに承気湯を与うべからず」となっております。
次の文は『傷寒論』の本文より少し遅れた時代のものといわれております。「太陽病、もしくは吐し、 もしくは下し、もしくは発汗して、微しく煩し、小便数(さく)、大便によって鞕きは小承気湯を与えて、之を和すれば愈ゆ」。
次の文は『傷寒論』の本文よりはるか後の時代につけ加えられた文章ではないかとい愛れております。「病を得て二、三日、脈弱く、太陽、柴胡の証なく、煩躁して心下鞕く、四五日に至ってよく食するといえども、小承気湯を以て、少々与えて之を微しく和し、少しく安からしむ。五六日に至り、承気湯一升を与う。もし大便通せざること六七日、小便少なきは食する能わずといえども、まだ初頭鞕く、後必ず溏す。未だ定まり未だ定まりて鞕とならず、之を攻むれば必ず溏す。すべからく小便を利し屎定まり鞕となり、すなわち之を攻むべし。大承気湯に宜し」。
次は『金匱要略』から出ている文章が二つ続いております。「下利、讝語するは燥屎あるなり」で小承気湯を主るという言葉が省かれております。
次は「大便通ぜず、噦(えつ)してしばしば讝語(せんご)する者は小承気湯に宜し」というわけです。
これを解釈しますと、小承気湯というのは、吉益東洞が腹が膨満して大便の硬いのを主治する薬方であるといっております。ここに書かれている量は、現代的な量に直しますと、大黄2g、厚朴3g、枳実2gというようなもので、これをその当時の中国の水の量を現代的に直すと、大体四合くらいの水ということになっておりまして、これを一合二勺に煮つめて、滓を去って半分を温めて一回に飲むというように二回分の量になっております。この薬液を初めて飲むと、当然便通があるべきであるといっております。更衣というのは、中国の当時の上流の人は、便通があると、衣服を更えることから、便通そのものを指す言葉になったというわけです。もし便通がなければ残りの湯液を全部飲むようにし、もし一服で便通があれば、残りは飲む必要がないということです。
次に『傷寒論』の太陽病中篇に出ている文章が出ております。これを解釈しますと、傷寒という悪性の、急性熱性病である場合に、大便が出ないことが六~七日あり、頭痛や熱のあるものは承気湯を与えるがよい。しかしその病人の尿が澄んている場合には、病は内臓の方に進んでいなくて、まだ体表の方に在ることがわかるので、発汗剤を用いて病邪を除かなくてはいけない。もしその場合に頭痛があれば、必ず鼻出血を伴うから、桂枝湯などの類を用いるとよろしいというのです。
この時代、病というものは邪気が体表から入って、だんだんと内臓の方へ入ってゆくと考えておりましたので、病の初期を太陽病というようにいい、発汗剤を用いて病邪を除き、体表と内臓との中長に病邪が進んだ時期が少陽病で、柴胡という薬物を主剤にした薬剤で中和をはかり、さらに病邪が内臓の方に入った時期を陽明病といって、承気湯とか白虎湯(ビャッコトウ)といったもので、病邪を下すというように考えておりました。
完全に病邪が内臓の方に入って体力が落ちてくる時期は、陰病です。これを正しく申しますと、三つに分けて、太陰病、少陰病、厥陰病(けつちんびょう)といいます。この陰病ということになって、附子(ブシ)という薬物の入ったもので体力を補うという治療法をとるわけです。
次の文に進みます。陽明病の時期であって、脈が熱に比べて拍動数が少なく、力のある脈が(もしこの場合、力の弱い脈ということになりますと、陰病ということになります。)汗は出ているけれども、悪寒というような外証、つまり体表の方に病邪があるという状態がない場合に、体が重くて動かしにくく、短気(呼吸促迫)があって、おなかが膨満し、そのため胸が圧迫され、喘鳴があって、潮熱があるということです。潮熱というのは時を決めて一日一回全身に熱が満ち満ちてきて、しっとりと汗をかくという状態です。したがって、手足にしっとり汗が出ているのは、大便が硬くなっているという証拠であるから、大承気湯の主治するところである。
もし汗が多く出ても、少し熱があって悪寒するものは、まだ外証がとりきれない証拠であるから、その熱が潮熱という状態になってからでないと、承気湯を与えてはならない。もし腹がひどく張って、便通のないものは、まず小承気湯を与えて、胃の機能を少し調和せしめるがよい。大承気湯でうんと下してはいけない、ということです。
“承気”というのは気をめぐらすという意味があるそうです。大塚敬節先生は、承気湯類は熱病でも、悪寒や悪風という、外気に触れて寒いような感じのあるものは、ここに何度も書かれてあるように、用いてはいけないということをよく承知しなければならないといっておられます。
熱のない場合には、便秘と腹満と脈によって腹部が充実して便秘があり、脈が沈んで力のあるものを目標にします。もしこれを用いて腹痛があって下痢し、気持の悪いものは、この薬方の適応ではありません。大承気湯を用いる患者は、一般に筋肉の緊張のよいものであります。
次の文は、これも『傷寒論』の陽明病篇に載っております。陽明病であって、潮熱があって、大便が少し硬い程度のものなら、承気湯を与えて様子をみるがよい。もし大便が硬くないものには与えてはいけない。この「もし大便が硬くないものには与えてはいけない」というのはずっとあとの註釈がまぎれ込んだものと思われます。
もし六~七日も便通がなければ、たぶん燥屎(おなかの中で硬くなっている宿便のこと)があると思われる。そこで大便が硬いかどうかということを知るには、少し小承気湯を与えてみるがよい。薬液が腹に入って、放屁があるものは大便が硬くなっている証拠であるから、下剤で攻めてよい。もし放屁の出ないものは、大便の出始めは硬いが、あとは軟便であるから、下剤で攻めてはならない。誤ってこれを攻めると、腹が張って食べられなくなる。こんな場合、水を飲みたがるものに水を与えるとしゃっくりが出るようになる。そのあとで発熱するものは、きっと大便がまた硬くなって、量か少ないに決まっている。その際は小承気湯で胃腸の機能を整えるがよい。放屁の出ないものは決して下剤で攻めてはならないというわけです。
次の文章に進みます。陽明病で、その人が汗のたくさん出る場合には、そのため体液が失われて、胃腸内で乾燥してかたまっている宿便が必ず硬くなり、そのためうわごとをいうようになる。これは内臓に進んでいる邪悪が強いために起こるのではないから、大承気湯を使わずに、小承気湯の主治ということになります。これを一服のんで、うわごとがやめばさらに続けて飲んではいけません、というわけです。
次の文に進みます。陽明病でうわこどをい感、潮熱があるが、脈は滑(玉をころがすような脈、この反対は濇(しょく)といって渋るような脈)であって、早い脈の場合は小承気湯の主治するところである。滑脈は白虎湯のところにも出ております。強い下剤を用いてはならないので、大承気湯を用いないで、小承気湯の類を与えて様子を見ると解した方がよいといわれます。
次に小承気湯を与えて放屁のないものには、それ以上小承気湯を用いてはいけないということが述べられております。薬液を飲ませて翌日になっても、便通がな決、脈が弱くなって渋る脈になっている時には、内臓が弱っていて治すのがむずかしい場合であるから、重ねて承気湯を与えてはいけないというわけです。
次の条文は、太陽病で、あるいは吐き、あるいは下痢し、あるいは発汗させて、表証がとれたあとに、少し煩躁があって、尿意が頻数となったため、大便が硬くなったものは、小承気湯を与えて胃腸の機能を調和すれば治るというわけです。
次に進みます。発病後二~三日して、脈が弱く、太陽病や少陽病の証がなく、煩躁して心下部が硬く、四~五日に至って食物がよく食べられても、小承気湯を少しずつ与え、軽く胃腸の機能の調和をはかると、いささか落着いてくる。五~六日なって承気湯一合を与えて様子を見る。もし便秘が六~七日続いて小便の少ないものは、何も食べていなくても大便が始めは硬く、あとから出てくるのは必ず軟便である。溏(とう)というのは、もとの意味は、あひるの便のことで、あのようにドロドロとした便のことですが、簡単に軟便と申し上げておきます。
まだ定まって硬くならないのを下すと必ず軟便になる。小便がよく出て、大便がかたまるのを確かめてから下剤をかけて下さなければならない。大承気湯を使うのがよろしいというわけです。
次は厥陰病(けつちんびょう)のところからきている文章です。下痢してうわごとをいうのは硬い大便があるからである。小承気湯の主治であるというわけです。次の文章は『金匱要略』の噦(えつ)というところに出ている文章です。大便が出ないでしゃっくりが出て、しばしばうわごとをいうのは小承気湯の主治であるというわけです。
『類聚方広義解説(40)』 日本東洋医学会監事 岡野 正憲
本日は小承気湯の症例を申しあげます。『漢方と漢薬』に載せられている大塚敬節先生の症例ですが、読んでみます。「昭和十一年八月、余の老母が激しい頭痛を訴えたので、脈の沈遅と、頭痛、嘔吐、煩躁を目標にして、呉茱萸湯(ゴシュユトウ)を投ずるに効なく、ついで小便自利、口乾、めまい、頭痛、悪寒を目標にして、甘草乾姜湯(カンゾウカンキョウトウ)を与えたが、まったく効なく、四逆湯(シギャクトウ)を投ずるにまったく何の反応もない。頭痛やまざること一週日、大便せざること数日、よって桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)を与えたが、いたずらに腹痛するのみにて大便快通せず、頭痛もまたやまない。よって同門荒木性次君に一診を請うた。荒木君、接脈数分ののち、これを小承気湯の証ならんという。余はそのよるところを知らず。むしろ意外に感じたが、よく按ずるに、まさに小承気湯、もしくは厚朴三物湯(コウボクサンモツトウ)の痛んで閉ずるものなることを了解した。よって小承気湯一服を投ずるに、未だ大便せざるうちに頭痛半ばを減じ、数服にして寝を払うに至った。荒木君、かつて余に語っていわく、傷寒論中、弁脈、平脈の二篇は、薬方運用上の根幹をなすものなるにかかわらず、従来の医家はこれを捨てて論ぜず。かくのごとくして薬方運用の妙所に至るは、けだし至難の技なり」というものです。
小承気湯の応用としては、高血圧症、肥胖症、便秘症、食中毒、急性熱性病、脳症などに用います。
鑑別としては、大承気湯、調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)などがありますが、長くなりますので省略いたします。
『類聚方広義解説II(38)』 北里研究所東洋医学総合研究所漢方診療部 村主 明彦
小承気湯①
本日は、『類聚方広義』の中の小承気湯(ショウジョウキトウ)の解説をいたしましょう。
■治療目標と処方内容
小承氣湯 治腹滿而大便鞕者。
大黄四兩一錢二分厚朴二兩九分枳實三枚九分右三味。以水四升。
煮取一升二合。去滓。分溫二服。 以水二合。煮取六勺。初服湯。
當更衣。不爾者。盡飮之。『若更衣者。勿服之。』
「小承気湯。腹満して大便鞕き者を治す。
大黄(ダイオウ)四両(一銭二分)、厚朴(コウボク)二両(九分)、枳実三枚(九分)。
右三味、水四升をもって、煮て一升二合を取り、滓を去り、分かち温めて二服す(水二合をもって煮て六勺を取る)。
初め湯を服せば、まさに更衣すべし。しからざるものは尽くこれを飲む。もし更衣するものは、これを服することなかれ」とあります。
吉益東洞(よしますとうどう)先生は、まず「腹満して大便鞕き者を治す」と述べて、小承気湯の治療目標を
「腹が膨満して大便が硬い症状」と明確にいっています。
小承気湯は、大黄、厚朴、枳実の生薬からなる、比較的シンプルな処方です。生薬の量は換算の仕方によっていろいろですが、私ども北野研究所では厚朴3g、枳実2g、大黄は適当量とし、適宜加減して用いています。
本文中の「更衣」というのは、便通のつくことを意味しています。この言葉は、その昔中国の上流階級の人々が排便のたびに衣服を着替えたことに由来しているそうです。ですから、本文は「この薬を初めて飲むと、必ず便通がつくはずである。もし便通がつかないのであれば、残った分をすべて飲みなさい。うずれにせよ、便通がついたらもう残りは飲む必要はありません」ということです。
■桂枝湯・大承気湯との鑑別
『傷寒。』不大便六七日。頭痛有熱者。與承氣湯。『其
小便清者。知不在裏。仍在表也。當須發汗。若頭痛
者必衂。宜桂枝湯。』
次の一文は後人の竄入であろうといわれていますが、「傷寒、大便せずして六七日、頭痛、熱あるものは、承気湯(ジョウキトウ)を与う。その小便清きものは、知る、裏に在らずなお表に在るを。まさに須らく発汗すべし。もし頭痛するものは、必ず衂す。桂枝湯(ケイシトウ)に宜し」とあります。
これは急性、熱性病である傷寒の状態で、大便の出ないことが六、七日あつて、頭痛、発熱を伴うものには承気湯を与えなさい。ただしその尿が澄んでいる場合には、病邪は内臓の方までは進んでおらず、体表にあるから、発汗させることによって、その病邪を除かなければならない。もし頭痛があるならば、必ず鼻血を伴うはずであるから、桂枝湯およびその関連処方を使えばよろしい、ということをいっています。
この箇所に限らず、後人の竄入と呼ばれる箇所は非常に冗長なため、簡潔を旨とする『傷寒論』の条文からは浮き上がってしまい、読んでいてそれとすぐに察しがつきます。また「宜し」という表現は、「主る」よりも一段緩い表現で、処方の選択にある程度の幅を持たせています。
○『陽明病。脈遅』雖汗出。不
惡寒者。其身心重。短氣腹滿而喘。有潮熱者。『此外
欲解。可攻裏也。』手足濈然然而汗出者。此大便已鞕也。
大承氣湯主之。
「陽明病、脈遅、汗出ずるといえども、悪寒せざるものは、その身必ず重く、短気、腹満して喘し、潮熱あるは、これ外解せんと欲し、裏を攻むべきなり。手足濈然として汗出ずるは、これ大便已に鞕きなり。大承気湯これを主る」。
「外解せんと欲し、裏を攻むべきなり」の部分は、後世の注釈といわれています。ですから、「潮熱あり」は「手足濈然として汗出ずる」に続きます。
すなわち陽明病の時期で、脈は遅で、発汗はあるけれども、病邪が体表に挟する悪寒というような外証がない場合には体が重く、動かしにくく、短気すなわち呼吸促迫があって、腹部が膨満し、そのために胸が下から押し上げられて喘鳴を発し、発熱も伴う。それも潮熱であるから、潮のように一日に時間を決めて全身に熱が満ちてきて汗をかく、といった状態です。
しかも「濈然とした汗」というのですから、しっとりと、うっすらと汗をかく状態で、けして流れ出るような汗ではありません。手足にうっすらと汗をかいているのは、もう大便が硬い証拠であるから、このような場合には大承気湯を使いなさい、といっています。
また遅脈についてですが、この遅脈は脈数に対する脈状で、拍動数が少ないことをいっています。
以下の文も、後に加筆されたのではないかといわれていますが、読んでみます。
若汗多。微發熱惡感者。『外未解也。』
共熱不潮。未可與承氣湯。若腹大滿不通者。可與
小承氣湯。『微和胃氣。勿令大泄下。』
「もし汗多く、微発熱、悪寒するは、外いまだ解せざるなり。その潮熱せずんば、いまだ承気湯を与うべからず。もし腹大いに満ちて通ぜざるものは、小承気湯を与え、微しく胃気を和すべし。大いに泄下にいたらしむことなかれ」。
これは、たとえ汗が多くても、少し熱があって悪寒するのは、病邪がまだ体表にある証拠であり、外証の残っている状態であるから、熱型が潮熱になってからでなければ、まだ承気湯を用いる段階ではない。もし腹部の膨満が著明で、かつ便通のないものにはまず小承気湯を与えて、胃の機能を多少なりとも整えた方がよろしい。間違っても大承気湯で激しく下してはいけない、ということです。
○『陽明病』。潮
熱大便微鞕者。可與大承氣湯。不鞕者。不與之。若
不大便六七日。恐有燥屎。姉知之法。少與小承氣
湯。湯入腹中。轉失氣者。此有燥屎。乃可攻之若
不轉失氣者。此伹初頭鞕。後必溏。不可攻之。攻
之必脹滿不能食也。欲飲水者。與水則噦。其後發
熱者。必大便復鞕而少也。以小承氣湯和之。不轉失
氣者。愼不可攻也。
「陽明病、潮熱し、大便微しく鞕きは、大承気湯を与うべし」。
これは『傷寒論』の本文ですが、「鞕からざるは、これを与うべからず」はその注釈です。内容は前に述べたことの繰り返しになっています。
以下の文章は後の加筆といわれています。
「もし大便せざること六七日、恐らく燥屎あらん。これを知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯腹中に入りて、転失気するは、これ燥屎あるなり。すなわちこれを攻むべし。もし転失気せざるは、これただ初頭鞕くして、後必ず溏す。これを攻むべからず。これを攻むれば、必ず脹満し、食する能わざるなり。水を飲まんと欲するは、水を与うればすなわち噦す。その後発熱するは、必ず大便また鞕くして少なきなり。小承気湯をもってこれを和し、転失気せざるは慎んで攻むるべからず」。
「もし六、七日も便通がつかなければ、恐らくはそれは宿便があるためであろう。そこで、宿便があるかどうかを確かめる方法としては、試しに小承気湯を少し与えて様子をみるのがよい。薬が体に入って、腹の中でガスと水分が合して音響を発するもの、俗にいう放屁のあるものは大便が硬くなっている証拠なので、下剤で攻めても構わない。一方、放屁のないものは便の出始めは硬いが、後は軟便であるから、これを下剤で攻めてはならない」。
ここでいう「溏」は、アヒルの便のような固まらない便のことを指しています。
「すなわち、これは胃腸が冷えて水分の吸収が悪いために、大便が硬くならないのである。もしこのような時に誤って下剤を使って攻めると、間違いなく腹が張って食べることができなくなる。このような状態の時に、水分を欲しがるものに水を与えると噦す。すなわち、しゃっくりが出現する。その後、熱を発するものは決まって大便が硬く、量も少ない。そのような時に小承気湯を与えて消化機能を調整するとよい。放屁しないものに対しては、くれぐれも下剤で攻めてはならない」。
この項は、ずいぶんと細かに書いてある印象があります。
■実証の腹満・便秘
承気湯類は、大柴胡湯(ダイサイコトウ)や防風通聖散(ボウフウツウショウサン)同様、栄養状態がよくて、肥満して、筋肉がよく締まって弾力のある、いわゆる実証タイプのものに用いることが多いといえましょう。腹満といった場合、これは腹部が全般的に膨隆しているものを指しますが、これには虚実の別があり、腹部が膨満していて腹にいて腹に弾力があり、脈が沈で力があり、便秘しているようなものは実証に分類されます。大承気湯、小承気湯、防風通聖散などを用いる目標となります。これに対し、腹部膨満があっても軟弱無力で、脈が微弱または沈弱のものは虚証に分類され、桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)、小建中湯(ショウケンチュウトウ)、四逆散(シギャクサン)、四逆湯(シギャクトウ)などが使われます。
一般、下剤には寒下の剤と温下の剤とがあります。寒下の剤とは大黄と芒硝(ボウショウ)のような寒薬の入った大承気湯、小承気湯などをいい、温下の剤とは大黄のような寒薬が入っていても、細辛(サイシン)、附子(ブシ)、桂枝などの温薬を配合した大黄附子湯(ダイオウブシトウ)、桂枝加芍薬大黄湯(ケイシカシャクヤクダイオウトウ)などのことをいいます。
調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)、小承気湯(ショウジョウキトウ)、大承気湯、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)などの承気湯類は、陽明病で便秘するものに用い、以前は腸チフスなどの感染症にも使われましたが、現代では当然のことながら、このような目的で使用することはほとんどありません。
小承気湯、大承気湯などは、常習便秘に用いられますが、実証の患者で、臍を中心に腹全体が膨満して弾力があり、脈に力があるものに用いられます。大承気湯は、小承気湯よりも一段と腹満が強く、 力のあるものを目標とします。また小承気湯や調胃承気湯は、便秘があって吃逆するものにも用います。ただし吃逆といっても、小承気湯を用いるのは腹満と便秘があって、脈にも力がある場合です。腹満や便秘があっても、腹水や腹膜炎に起因する吃逆には用いません。
■順気剤として
ところで小承気湯、大承気湯の中の「承気」という言葉は、「気をめぐらせる」という意味で、これらの薬方は順気剤に分類されています。小承気湯には厚朴が配合されていますが、厚朴には後にも述べますように、筋肉の痙攣や緊張を緩和する効があります。単なる下剤ではなく、順気剤としての側面がここにうかがえます。
大塚敬節は、「大柴胡湯加厚朴(ダイサイコトウカコウボク)という処方を、大柴胡湯合小承気湯(ダイサイコトウゴウショウジョウキトウ)の意味合いで使うことがある」と述べています。われわれも小承気湯を単断で用いる機会は少なく、既存の処方に厚朴を加えたりして、加減方の形で使うことが多いのが実状です。
また大塚は、「腹満はあまり著明でなく、全身の筋肉が緊張している場合、たとえばパーキンソン氏病などにくる便秘には、この方を用いる機会が多い」と述べています。また便秘ばかりではなく、小承気湯に芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)を合方し、厚朴の筋肉の硬強を治する効と、芍薬甘草湯の筋肉の緊張を緩める効とを狙って、やはりパーキンソン氏病に用いたところ、便秘だけでなく振戦も抑えることができた例を発表しています。
■吃逆・悪心・嘔吐・口渇
時代は遡りますが、有持桂里(ありもちけいり)は、小承気湯を吃逆に用いる場合について、次のように述べています。すなわち「これは不大便が目的なり、主治に譫語をいってあれども、それにはこだわらざるなり。およそ噦あるもの、これを診するに腹微満して不大便するものならば、この方を用いるなり。この『金匱』の主治は正しいけれど、今これを活用して、胃中に鬱熱あると思うものに用いる。そのところに、この方を用いて効を得ること多し。その時には譫語や舌苔にこだわらずして、ただ腹候と不大便とにて用うべし。余もとこの方を拡充して用いしは、噦の奇方に平胃散(ヘイイサン)を用いて珍重するあり。京師の大家の医に厳かにこの方を用いる人などあり。なるほどこれを見るに如何にも効験あり。よりていうに噦に胃中の鬱塞よりきたるものあることを。然らば、とてものことならば、平胃散より承気湯を用いるが、その効速やかなるべしと按じて、後にこの症にあいて承気湯を試みしに、果して即効あり。理中湯(リチュウトウ)、四逆湯、呉茱萸湯の反対とみえたり。さて平胃散、効あるの方といえども、ただこれを噦の妙剤と覚えたるもの笑うべし」とあり、その効能・適応を詳らかにすると同時に、安易な病名治療を戒めています。
悪心・嘔吐に小承気湯を用いる機会もあります。『梧竹楼方函口訣(ごちくろうほうかんくけつ)』に、次のような記載があります。「丸田町堀川西、俵屋伝右衛門、寡婦、歳五十余、七月中旬霍乱を患う。ほぼ癒えて後、ただ嘔吐止まず。連綿三十数日、百方手つくして効なし。時に残暑灼くがごとく、多日不飲するもの故に羸痩甚だしく、手足微冷、脈沈微、おおよそ食物あるいは湯薬、辛酸甘苦の類皆受けず。いかんともすることなし。篤とその腹を診するに、右脇肋骨の際、鳩尾を去ること二寸ばかりに当て、積塊手に応ずるものあり。予思えらく、大腸中の燥屎なり。下道の塞がる故、気通ぜずして上へ還り嘔するとして、強いて嘔を忍びて小承気湯三貼を服せしむ。始め甚だしく苦渋入りがたけれども、強いて服せしむ。あるいは嘔し、あるいは収まり、ついに燥屎数塊を下す。朝に服して夕べに嘔頓に止み、靡粥調理、数日にして安し。大腸の回り解剖して見れば、上右脇の下に回りてあり。余若かりし時、解体をして実物を歴験せしより、この案もつきるなり。蘭方も多く笑うべからず。たまには用に立つなり」との記述があり、実証的な方法論にまで話は及んでいます。
「嘔」に関しては『傷寒論』に、「嘔の多いものは、腹満、便秘などの陽明の証があっても下してはいけない」とありますが、大便が詰まって、嘔吐の止まない場合に、このような承気湯類を用いることがあります。
次に熱病で口舌が乾燥して口渇の著しい場合について考えます。このような場合、白虎加人参湯(ビャッコカニンジントウ)の証が多いのですが、これに前述の腹満、便秘の状が加わったものには大柴胡湯や小承気湯、大承気湯などの適応があります。本文中にあるように、これらの薬方は悪寒や悪風のあるものには禁忌とされています。
■大承気湯・麻子仁丸・潤腸湯との違い
浅田宗伯(あさだそうはく)の『勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)』には、「この方は胃中邪気を軽く泄下するなり。本論にては燥屎の有無をもって二湯の別とす。後世にて大承気は三焦痞満を目的とし、小承気は上焦痞満を目的とするなり。燥屎の候法種々あれども、その的切は燥屎あるものは臍下を按じて物あり。これを撫でれば皮膚かわくなり。燥屎と積気と見誤ることあり。これはくるくるとして手に按じて大抵しるるなり。燥屎は按じて痛み少なく、積は痛みを自ら発きざめあり。かつ下焦にあるのみならず、上中焦へも上るなり。この候なくして潮熱、譫語するもの、 この方に宜し」とあり、大承気湯と小承気湯との鑑別にも触れています。
この小承気湯の構成生薬は、大黄、枳実、厚朴ですが、これを含む処方としては麻子仁丸(マシニンガン)で、これは『傷寒論』に出ていますが、麻子仁(マシニン)、芍薬、枳実、厚朴、大黄、杏仁(キョウニン)を煉蜜(レンミツ)で練ったものです。
また中国の明の時代の『万病回春(まんびょうかいしゅん)』には、当帰(トウキ)、熟地黄(ジュクジオウ)、乾地黄(カンジオウ)、麻子仁、桃仁(トウニン)、杏仁、枳殻(キコク)、厚朴、黄芩(オウゴン)、大黄からなる潤腸湯(ジュンチョウトウ)が記されています。
私たちも潤腸湯を老人に使う場合が多いのですが、単に便通を改善するばかりではなく、向精神作用も注目されます。すなわち老人特有のデプレッシブな症状に対しても、これらの漢方処方は非常に効果を奏することが多いのです。
■大黄・厚朴・枳実の薬効薬理
また個々の生薬についてみますと、大黄には抗菌作用、もちろん瀉下作用もありますが、向精神作用、血中尿素低下作用、抗炎症作用、免疫賦活作用などがあげられています。これを『重校薬徴(じゅうこうやくちょう)』でみますと、「結毒を通利することを主る。故によく脇満、腹満、腹痛し、大便不通、宿食、瘀血、腫膿を治す。発黄、讝語、潮熱、小便不利を兼治す」とあり、実毒の結毒を主治し、腹満、腹痛、大便不通を治し、悪熱、潮熱を取り、結毒、腫膿を去り、発黄、小便不利等を治す、といえます。
また枳実には、胃腸運動亢進リズムの調整作用あるいは平滑筋の弛緩作用、あるいは抗炎症作用などが認められています。これも要約すると、結実、気滞の毒を破り、胸満、胸痛、腹満、脇痛を治すといえると思います。
また厚朴に関しては、やはり筋弛緩、抗痙攣作用、鎮静作用、抗炎症、抗アレルギー作用、鎮吐作用などがあり、これは『重校薬徴』では「脇腹脹満を主治し、腹痛、喘を兼治す」とあり、脇胸部の膨満を主治し、痰飲を消し、気を下し、中焦を緩め、胃内停水を去る、といえると思います。
このように構成生薬は三味と少数ですが、その効果には非常に奥の深いところがあると思います。
ただ今述べました、大黄、枳実、厚朴の三生薬のうち、大黄は非常に面白い生薬で、向精神作用は昔からよく知られていました。すなわち将軍湯(ショウグントウ)として、戦地に赴く兵士に、士気を鼓舞するという意味で、戦いに行く前に飲ませたという記載があります。
このように大黄は単なる瀉下作用ばかりではなく、抗菌作用、向精神作用をも現わすといった面からも、非常に見直されてきています。
『類聚方広義解説II(38)』 北里研究所東洋医学総合研究所漢方診療部 小泉 久仁弥
小承気湯②
■大承気湯との違い
本日は、小承気湯(しょうじょうきとう)の続きをお話しします。
○『陽明病。其人多汗。以津
液外出。胃中燥』大便必鞕。鞕則譫語。小承氣湯主
之。若一服譫語止。更莫復服。
「陽明病、其の人汗多く、津液外に出でて、胃中燥くをもって、大便必ず鞕し。鞕ければすなわち譫語す。小承気湯これを主る。もし一服にて譫語止めば、さらにまた服することなかれ」。
陽明病になり、汗が多く出て、そのために体液が不足し、胃腸の水分が不足し、便が硬くなる。便が硬いとうわ言をいう。この場合には小承気湯がよい。もし一服でうわ言が止まれば、さらに服用する必要はない。
浅田宗伯(あさだそうはく)は『傷寒論識(しょうかんろんし)』の中で詳しく解説していますが、その中では「この条は大承気湯の手足濈然として汗出づるもの、これ大便已に鞕きなりに対して小承気湯の主治について論じている」とあります。
大承気湯は大黄(ダイオウ)、枳実(キジツ)、厚朴(コウボク)、芒硝(ボウショウ)の四味からななり、小承気湯は大黄、厚朴、枳実の三味からなっているので、その違いは芒硝だけです。そのために、この二方の使い分けについて説明しています。また後ほど説明しますが、尾台榕堂(おだいようどう)も頭註で使い分けについて論じています。
「津液外に出でて」「胃中燥き」の二つは、大便が硬く、うわ言をいう原因を示している。ここで「胃中燥く」の「燥く」に「乾く」を使わない理由は、津液が外に出ただけでなく、裏の邪が併せて存在するからである。これはその人の生まれつきの性質によるものである。邪気はまだ盛んではないが、汗が多く、津液がなくなったために大便が硬くなり、うわ言をいう。この状態は、邪気が実してうわ言をいうものとは大いに隔たりがあるために、治療法として小承気湯を用いる。うわ言が止まることを中止の目安とする。陽明病で発熱して、汗が多いものはすぐにこれを下しなさい、という条文を応用するのである。
森田幸門の『傷寒論入門』では、「発汗しやすい体質のものが陽明病になると、腸内の炎症に不相応に外量に発汗するため、腸管の病変が左程甚だしくなくても、大便は早期に硬くなって譫語を発しやすい」と解説し、汗が出やすいのは体質であり、裏の熱、ここでは腸内の炎症という言葉を使っていますが、裏熱に比較して多量に発汗し過ぎたために、水分の不足が生じ、便が硬くなったのである。これは体質が原因だから、裏熱が盛んになったために、潮熱や全身の発汗がある大承気湯の適応と、治療法が異なることを示しています。そのためにうわ言が止めば、服用を中止してよく、排便の有関は関係がない、と考えます。
○『陽明病』。讝語發潮
熱。脈滑而疾者。小承氣湯主之。因與承氣湯一升。腹中
轉失氣者。更服一升。若不轉失氣。勿更與之。『明
日不大便。脈反微澀者。裏虚也。爲難治。不可更與
承氣湯也。
「陽明病、讝語、潮熱を発し、脈滑にして疾のものは、小承気湯これを主る。よって承気湯一升を与え、腹中転失気のものは、さらに一升を服す。もし転失気せざれば、さらにこれを与うことなかれ。明日大便せず、脈反って微渋のものは、裏虚なり。難治となす。さらに承気湯を与うべからざるなり」。
陽明病でうわ言をいい、一定の時間に発熱があり、脈は滑らかで早いものは、小承気湯の適応である。それで小承気湯を一升投与し、腹鳴があればさらに一升を服用しなさい。もし腹鳴がなければ投与を中止しなさい。翌日になっても大便が出ず、脈が逆にわずかで、渋るものは裏が虚しているのである。難治である。さらに承気湯を与えてはいけない。
「転失気」は一般には放屁を指すとなっていますが、そうすると「腹中転失気」は腹中で放屁するとなり意味が通じないので、ここでは「腹鳴」と考えました。
ここの部分の頭註は、「陽明病云々、脈滑にして疾のものは、大承気湯の証である。『脈経』、『千金』にはともに小の字はない。この通りである。よって承気湯を与え以下は後人の註文であるから、削除すべきである」とあり、尾台榕堂は「ここの承気湯を与え以下の部分は『傷寒論』の本文ではなく、後人が書き加えたものであるから削除しなさい」と述べています。
大塚敬節の『臨床応用傷寒論解説』では、「ここでは、すでにうわ言をいい、熱は潮熱となっているから、大承気湯の適応証のように思われるが、脈が滑で疾である、という点を考慮して小承気湯を用いるのである。この章では<これを主る>となっているが、むしろ<小承気湯を与う>とすべきであろう」と、尾台榕堂とは逆に、小承気湯の適応であると述べています。ただ「主る」ではなく、「与う」にするべきだとしているところは、小承気湯の絶対的適応ではない、と考えているためです。
それに続く「よって承気湯一升を与え」以下は、『康平傷寒論』では「十三字詰解説文であるから」と削除しており、後人の書き加えた文章と考えているところは尾台榕堂と同じです。
『傷寒論識』の解説は、「この文章は三つの部分から成り立っている。一つは前の証がさらに進行した状態を論じ、もう一つは小承気湯を与えた場合の燥屎の状態を論じ、最後は裏が虚して治療することが不可能な状態を論じている」とあります。
「潮熱を発し」の「発し」は初めて発するを指すのではなく、これは大便が硬く、うわ言をいい、邪の勢いが進んだために潮熱を発するに至ったものを指す。「滑」は「滑らか」を意味する。「疾」は「急」を意味する。「滑疾」はその脈が滑らかで、その勢いが急であることをいう。これは下の文の「脈反って微渋」に対して、熱邪が内に盛んなのは明らかである。この理由で小承気湯をもって燥屎の様子をうかがうのである。故に「よって」といい、「よって」は原因である。
承気湯は上の文を受けて小承気湯を指している。小承気湯を投与し、一夜が過ぎ、まだ奏効しない。これは胃がますます実し、脈はますます滑疾でよいのに、かえって微渋になるものは、体内に鬱積した病気がなくなったために「裏虚」となっているのである。裏虚のものはもとより治療がむずかしい。しかし十人中二、三人は助かるものがある。だから死ぬとはいわない。「治しがたし」という。
おおむねこのような機会に臨んだならば、うわ言か、そうではないのかの区別をする機会を失ってはいけない。あるいは承気湯を与えても大便が出ず、みたりに薬力が十分ではあいといい、何度も服用するように指示し、そのために失敗することも多いために「なかれ」という。「べからず」という。繰り返すことによってこれを戒めているのである。
考えてみると、初めの一升を服用する時に三つの状態がある。一つは燥屎があるのでさらに一升服用する状態である。もう一つは、燥屎がないので白虎湯を服用する状態である。白虎湯の条の「脈滑」というのが参考になる。最後の一つは裏が虚しているので、熱があっても攻めることができない状態である。
頭註に戻ります。次の頭註は、大承気湯と小承気湯の違いについて述べています。その冒頭に「子炳(しへい)曰く」とあります。この子炳は頭中にしばしば出てきますが、『類聚方広義』の手本となった『類聚方集覧(るいじゅほうしゅうらん)』の作者雉間(きじま)子炳のことです。この『類聚方集覧』の頭註に「つまり大、小承気湯の二方はもともと同じ証であった。芒硝を去るものは、鈍い刀に譬えることができる。用いるべきではない。もし大承気湯が使えないならば、別の処方を考えて用いるべきである。おろそかにしてはいけない」と書いています。
これに尾台榕堂は反論して、次のように註しています。
「子炳は大、小承気湯の二方はもと同じ症であったという。芒硝を去った小承気湯を鈍い刀であると譬え、まったく用いるべきではないといっている。はなはだしいことである。子炳の方法は理解が不十分なのである。処方に大小があるのは、病気に病重、緩急があるからである。どうして大小を作ったのか考える必要がある。
『傷寒論』の処方は一味を去る、加える、一品の量を加減する場合にでも、それぞれ考え方が異なり、その効用もまた異なるのである。このために医者が病人を診察する際には、その軽重、緩急をよくみて、証を細やかにみて、行き渡った処方をしなさい。『傷寒論』の理論に則って、間違いないで治療をすれば治るのである。いい加減に軽い気持で治療していると、ほとんど死に追いやってしまう。慎むべきである」。
かなり細かな考え方です。しかし桂枝湯(ケイシトウ)の芍薬(シャクヤク)を増量すると桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)になり、桂枝加芍薬湯に膠飴(コウイ)を加えると小建中湯(ショウケンチュウトウ)になり、それぞれの適応も異なることなどを考えると、一味の去加や量の増減が処方全体に与える影響の大きささがわかります。
尾台榕堂は『類聚方広義』の中で、しばしば雉間子炳の『類聚方集覧』の批判しています。この部分でも子炳は「小承気湯は大承気湯去芒硝であり、なまくら刀(鈍刀)であるから使うべきではない」としています。しかし榕堂は、「『傷寒論』の処方は一味の違いでも大切にしなければならない。小承気湯をなまくら刀というのは、診療が雑で、いい加減だからである」と反論しています。
■大柴胡湯・蜜煎導との違い
○『太陽病。』若吐若下發汗。微煩小便數。
大便因鞕者。與小承氣湯。和之愈。
「太陽病、もしくは吐し、もしくは下し、もしくは汗を発し、微しく煩し、小便数、よって大便鞕き者は、小承気湯を与え、これを和せば愈ゆ」。
太陽病で、吐いたり、下痢をしたり、汗をかくなどして少しく煩し、小便は頻回で、そのために大便が硬くなるものは、小承気湯を与えて調和してやれば治る。
『傷寒論識』の解説では、この部分はまた上の二条の「発汗、嘔吐、下痢」以後で、陽明病に属するものを論じている。「もしくは」というのは「あるいは」と同じ意味である。病気の始まりは太陽病であるが、嘔吐や下痢、発汗の病邪がまだ治っていない。その後に少し煩するものの治療法を述べているのである。
これは『傷寒論』太陽病中篇の大柴胡湯(ダイサイコトウ)証に似ている。しかし大柴胡湯証は少陽病にあるため、嘔吐が止まず、心下急の証を合わせ、また陽明病にあるため小便が頻回、大便が硬いなどの証も併せ持つ。ここではその違いを示し、あしたに大便が硬くなる理由は、小便が頻回のためである。それで「よって」という。この邪がしばらくして裏に入る機序なのである。「これを和すれば愈ゆ」のものは、硬いに対して「これを」といっているのである。
治るものは微煩の証が治るのである。宋板では汗の下に「後」の字がある。 「癒ゆ」の上に恐らくさ「すなわち」の字が抜けている。考えてみると、この証と蜜煎導(ミツセンドウ)の証は似ているが異なっている。これは明らかにするとよい、とあります。
蜜煎導の条文をあげますと、「陽明病、自ら汗出で、もしくは汗を発し、小便自利のもの、鞕きといえどもこれを攻むべからず。まさに自ら大便を欲するを待ち、蜜煎導にてこれを通ずるが宜し」です。
陽明病で自然に汗が出て、または発汗させ、小便が多く出るものは、便が硬くても下剤をかけてはいけない。自然に便が出たくなるのを待って、蜜煎導を肛門に挿入するのがよい。確かに条文は似ています。しかし、小承気湯の条文は大承気湯ほどではないが、多少なりとも裏に邪熱があるために便が硬くなります。蜜煎導は裏に邪熱はなく、発汗や小便自利のために便が硬くなったので承気湯などで攻めてはいけない、というところが異なります。
■小承気湯の変証
○得病二三日。脈
弱無『太陽』柴胡證。煩躁心下鞕。至四五日。雖能
食。以小承氣湯。少少與微和之。令小安。至五六日。
與承氣湯一升。若不大便六七日。小便少者。雖不
能食。伹初頭鞕。後必溏。未定成鞕。攻之必溏須
小便利屎定鞕。乃可攻之。宜大承氣湯。
* 脈滑にして疾、讝語、潮熱を発し、大便硬くして、未だ燥屎の有無を以って二湯(大・小承気湯)の別とす。後世にて、大承気(湯)は三焦痞満を目的とし、小承気(湯)は上焦の痞満を目的とするなり。燥屎の候法、種々あれども、其の適切(確実な標的)は、燥屎あるものは臍下を按じて物あり。是を撫ずれば肌膚かわくなり。燥屎と積気(腸の攣縮などにより腫瘍の如くふれるもの)と見誤ることあり。これは、くるくるとして手に按じて大抵知るなり。燥屎は按じて痛み少なく、積は痛んで自から発(お)きさめあり。且つ下焦にあるのみならず、上中焦へも上るなり。此の候なくして潮熱讝語する者も此の方に宜し。又、此の方を潔古は中風に小続命(湯)を併せ用いてあり。
『勿誤薬室方函口訣』
【症例】 パーキンソン症候群
57歳、男性。栄養は中等度で、骨格は良い。息子に助けられて診察室に入ってきたが、その歩行の恰好や全身の姿勢から、一見してパーキンソン症候群の印象を与えるほど定型的な外観を呈していた。両手には絶えず震戦があり、手の指はこわばって握ることができない。自分の手でシャツのボタンを外すことができない。項部の筋肉もこわばって動かしがたい。脈は浮大で血圧130/86。大便は秘結する。
小承気湯を与える。ただしその分量は、厚朴12.0、枳実3.0、大黄1.5、右1日量。20日分を服用し終わったとき、患者は一人で来院したが、その時は靴の紐を自分で解いたり結んだりできるし、震戦も左手に少し残っている程度になった。しかし握力は十分に発揮できず、力一杯に握れない。この日は前方に更に芍薬4.0、甘草2.0を加えて20日分を与える。すなわち小承気湯合芍薬甘草湯である。これを飲み終わって来院した患者は、先日の薬で大変良く眠れるようになり、便通も気持良く出るようになったという。しかし左手の震戦と痺れがまだ少しある。けれども鎌を握って稲を刈ることができたと喜ぶ。
この患者は通計140日の内服で、震戦はなくなったが、手の握力はまだ十分とはいえない。
大塚敬節『症候による漢方治療の実際』651
※コメント 小承気湯の枳実と芍薬甘草湯の芍薬で、枳実芍薬散の方意もあるのでは?
『勿誤薬室方函口訣解説(60)』 日本東洋医学会理事 三谷和合
小承気湯
小承気湯(ショウジョウキトウ)は『傷寒論』に記述された薬方で、大黄(ダイオウ)四両、厚朴(コウボク)二両、枳実(キジツ)三枚を含み、陽明病位に与える薬方です。『方函口訣』では「胃中の邪気を軽く泄下する也」と述べられていますが、腸内容の停滞物を泄下す識と考えてよいでしょう。
『傷寒論』に述べられている小承気湯の条文には、「陽明病、脈遅、若し腹大満して通ぜざる者は小承気湯を与うべし。微しく胃気和し、大いに泄下せしむる勿れ」とあります。腹満、大便不通であるとしても、潮熱(悪寒、悪風を伴わず、熱の出るときは、全身に熱が隈なく行きわたり、同時に頭から手足に至るまで汗ばむ状態)の少ない場合は、大承気湯(ダイジョウトウ)を与えず、小承気湯を与えるわけです。この場合、「之を主る」といわず、「与う」と述べているのは、こうした病態には小承気湯でなくとも調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)あるいは大柴胡湯(ダイサイコトウ)を与えてもよいわけです。
「陽明病、潮熱して大便激しく鞕き者は、小承気湯を与うべし。鞕からざる者は之を与えず、若し大便通せざること六七なれば、恐らく燥屎(乾燥して硬くなった宿便)有らん。之を知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯の腹中に入りて転失気(てんしつき)(腸の運動が活発となり、腸内の液体とガスが交流して一種の音響を発することです。俗に放屁と理解されていますが誤りです)する者は、此れ燥屎有り、乃ち之を攻むべし。若し転失気せざる者は、此れ、初頭鞕くして、後必ず溏す。之を攻むべからず。之を攻むれば、必ず脹満して食す能わざるなり、水を飲まんと欲する者に、水を与うれば則ち噦す。其の後発熱する者は、必ず大便復た鞕くして少きなり、小承気湯を以て之を和す。転失気せざる者は慎んで攻むべからざるなり」。
「陽明病、其の人汗多ければ、津液外に出で、胃中燥くを以て、大便必ず鞕し。鞕ければ則ち讝語す。小承気湯之を主る。若し一服して讝語止めば、復た服することなし」。脱水によって、うわ言をううような病態です。現在では適切な補液を行いますから、承気湯を与える病態は少ないでしょう。
「陽明病、讝語して潮熱を発し、脈滑(なめらかに去来する脈)にして疾(しつ)の者は(疾脈は速脈に相当する)、小承気湯之を主る。因て承気湯一升を与え、腹中、転失気する者は、更に一升を服す。若し転失気せざれば、更に之を与う勿れ。明日大便せず(小承気湯を与えてから、一夜を経過してもなお大便が通じない)、脈反って微濇(微弱で陰血足らざる脈)の者は、裏虚するなり(生活機能の虚脱した病態です)。難治とす。更に承気湯を与うべからず」。裏虚の場合は難治であるとして、四逆湯(シギャクトウ)あるいは人参建中湯(ニンジンケンチュウトウ)を与えることになります。
「大陽病、若しくは吐し、若しくは下し、若しくは発汗し、微しく煩して小便数、因って大便鞕き者は小承気湯を与え、之を和すれば(消炎作用)愈ゆ」。「小便数、因って大便鞕き」は、脾約(脾の機能が制約された病態、大陽陽明の併病)の証であり、麻子仁丸(マシニンガン)の適応するところですが、微煩があるために小承気湯の指示になります。
「病を得て二、三日、脈弱にして大陽、柴胡(サイコ)の証なく(大陽、少陽の証候なく)、煩燥して心下鞕く、四五日に至りて能く食すと雖も、小承気湯を与えて微しく和し、少しく安からしむ」。
陽明病位の症候は、「食する能わず」になるわけですが、この場合は、大便が少し鞕くなっているだけで、燥屎をつくっていません。しかし、注意しながら与えるという意味で、「よく食す識と雖も、煩燥、心下鞕」を目標に小承気湯を与えるわけです。「五六日に至り、承気湯一升を与う。若し大便せざること六七日、小便少き者は、食を能くせずと雖も、但だ初頭初頭鞕く、後、必ず溏す」。
陽明病で食欲のあ識場合は中風とよばれ、食欲のない場合は中寒と称せられます。陽明病において、もし中寒の場合は、食欲がなく、尿量が少なく、手足に絶えず発汗がある場合は、大便は最初は鞕いが後は軟便になります。これは難治性の下利をきたす前徴です。つまり消化器の機能が減退して、消化、吸収が不良になるからです。従って、「之を攻むれば必ず溏す。須らく、小便を利し、屎定まり鞕となりて、乃ち之を攻むべし」と述べられ、利尿剤をまず与えておくことが述べられています。また、『金匱要略』には「下利、讝語する者は、燥屎有るなり、小承気湯之を主る」といり急性病の場合には、下利、讝語の症候はあっても発熱以外に、たいした症候がない場合は、燥屎があるにしても小承気湯を与えるわけです。
従って小承気湯を与える目標は、腹満して、大便は硬く、便秘する場合に与えます。脈は滑、疾、あるいは沈、滑です。舌質は深紅色で、乾燥した黄褐苔、焦黒苔があり、腹力は中等度以上です。高血圧症、肥満、習慣性便秘に与えます。アントラキノン誘導体を含む大黄(通便、清熱、消炎)に消化管の蠕動亢進および健胃作用のある枳実、厚朴が含まれていますが、実際の臨床では、小承気湯の加味方である麻子仁丸、潤腸湯(ジュンチョウトウ)などが広く用いられています。腹満感の更に強い場合には厚朴の量を多くします。
承気湯には、大、小承気湯、調胃承気湯、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)があります。桃核承気湯は瘀血を下すもので、その他の承気湯は、気をめぐらして便通をつける薬方です。承という漢字は、人がひざまずいて、両手でささげうける様子、上へ持ち上げる意味を含みます。従って承気湯は、腸内容を下すだけでなく、上っている「気」を下す作用があります。三黄瀉心湯(サンオウシャシントウ)の気上衝と鑑別する必要があります。また、病期が少陽病より陽明病位に広がる時期に用いる大柴胡湯(ダイサイコトウ)(心下急、心下満痛、うつうつ微煩、嘔止まず、不大便)と鑑別が必要ですが、大柴胡湯は肋骨弓下より臍上にかけての上腹部緊張があるに対し、承気湯では、臍を中心に、腹部全体の緊満感です。また大柴胡湯は、いわゆる腹内積気といった所見であり、燥屎とは異なります。
『類聚方広義解説(39)』 日本東洋医学会監事 岡野 正憲
本日は小承気湯(ショウジョウキトウ)から始めます。まず本文を読みます。
「小承気湯。先満して大便鞕き者を治す。
大黄(タイオウ)四両、厚朴(コウボク)二両、枳実(キジツ)三枚。右三味、水四升を以て煮て一升二合を取り、滓を去り、分かち温めて二服す。初め湯を服せば、当に更衣すべし、爾らざる者は、ことごとく之を飲む。もし更衣する者は之を服するなかれ」とあります。
次に『傷寒論』にある本文が書いてあります。これは『康平傷寒論』という本では十三字詰ということで、『傷寒論』の本文ではなくて後世の人が註釈したものではないかといわれております。
読みますと、「傷寒、大便せずして六七日、頭痛、熱ある者は承気湯(ジョウキトウ)を与う。その小便清き者は、知る、裏に在らずなお表に在るを。まさにすべからく発汗すべし。もし頭痛する者は必ず衂(じゆく)す。桂枝湯(ケイシトウ)に宜し」というものです。
次の文章は『傷寒論』の本文ということになっております。「陽明病、脈遅、汗出づといえども、悪寒せざる者は、その身必ず重く、短気、腹満して喘し、潮熱(ちょうねつ)あり、これ外解せんと欲し、裏を攻むべきなり。手足濈然(しゅうぜん)として汗出づるは、これ大便すでに鞕きなり。大承気湯之を主る」とありまして、この中で、「これ外解せんと欲す。云々」というところは、後世の註釈ということになっております。つまり「手足濈然として汗出づる」ということが潮熱に続いている文章です。つづいての条文は「もし汗多く」となっておりますが、これは『傷寒論』の本文よりいくらかあとの時代につけられた文章ではないかということになっています。
「もし汗多く、微発熱、悪寒するは、外未だ解せざるなり。その熱潮せずんば、未だ承気湯を与うべからず。もし腹大いに満ちて通ぜざる者は小承気湯を与え、微(すこ)しく胃気(いき)を和すべし、大いに泄下に至らしむることなかれ」というものであります。
次の文も『傷寒論』の本文ということになっております。読みますと、「陽明病、潮熱し、微しく鞕き者は、大承気湯を与うべし。鞕からざるは之を与うべからず」とあり、鞕からざるは以下は註釈ということになっております。
次の「大便せざること」というのは、『傷寒論』の本文より少しあとの文章ではないかといわれておりますが、読みます。「もし大便せざること六七日、恐らく燥屎(そうし)あらん。之を知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯腹中に入りて、転失気(てんしき)(おなかの中でガスの動くこと)するはこれ燥屎あるなり。すなわち之を攻むべし。もし転失気せざるは、これただ初頭鞕くして、後必ず溏(とう)す。之を攻むべからず。之を攻むれば必ず脹満し食する能わざるなり。水を飲まんと欲するは、水を与うれば噦(えつ)す(しゃっくりをする)。その後発熱する者は、必ず大便また鞕くして少なきなり。小承気湯を以て之を和し、転失気せざるは、慎んで攻むべからず」とあります。
次の文章も『傷寒論』の本文より少し遅れた時代の文章ではないかといわれております。すなわち「陽明病、その人汗多く、津液(しんえき)外出するを以て胃中燥き、大便必ず鞕し、鞕ければすなわち讝語(せんご)(うわごと)す。小承気湯之を主る。もし一服にして讝語止めば、さらにまた服することなかれ」というものです。
次の文も本文より少し遅れた時代のものではないかといわれております。「陽明病、讝語し潮熱を発し、脈滑(かつ)にして疾(はや)きは小承気湯之を主る」とあります。
ここで申しあげたいことは、薬方のあとに「主る」と「宜し」と「宜しく主る」と三つの言葉が出てきます。「主る」はその薬方が主治するところの病気である、それを使えば必ず治るということです。「小承気湯に宜し」というような場合には、小承気湯あるいはそれに近いものを使えばよろしいという意味で、一つの薬方に限定しているわけではありません。「また宜しく主る」というのは、大承気湯の一番あとのところに出てきますが、これは宜しという状態で、小承気湯とか大承気湯の部類でもよろしいけれども、ある場合にはそれが主治することになるという、二つの意見が一緒にきている状態を示しているわけです。ここでは「小承気湯之を主る」となっております。
続いて本文は「よって承気湯一升を与え、腹中転失気す識は、さらに一升を服す。もし転失気せざればさらに之を与うなかれ。明日大便せず、脈かえって微渋(ビジュウ)するは、裏虚なり。難治となす。さらに承気湯を与うべからず」となっております。
次の文は『傷寒論』の本文より少し遅れた時代のものといわれております。「太陽病、もしくは吐し、 もしくは下し、もしくは発汗して、微しく煩し、小便数(さく)、大便によって鞕きは小承気湯を与えて、之を和すれば愈ゆ」。
次の文は『傷寒論』の本文よりはるか後の時代につけ加えられた文章ではないかとい愛れております。「病を得て二、三日、脈弱く、太陽、柴胡の証なく、煩躁して心下鞕く、四五日に至ってよく食するといえども、小承気湯を以て、少々与えて之を微しく和し、少しく安からしむ。五六日に至り、承気湯一升を与う。もし大便通せざること六七日、小便少なきは食する能わずといえども、まだ初頭鞕く、後必ず溏す。未だ定まり未だ定まりて鞕とならず、之を攻むれば必ず溏す。すべからく小便を利し屎定まり鞕となり、すなわち之を攻むべし。大承気湯に宜し」。
次は『金匱要略』から出ている文章が二つ続いております。「下利、讝語するは燥屎あるなり」で小承気湯を主るという言葉が省かれております。
次は「大便通ぜず、噦(えつ)してしばしば讝語(せんご)する者は小承気湯に宜し」というわけです。
これを解釈しますと、小承気湯というのは、吉益東洞が腹が膨満して大便の硬いのを主治する薬方であるといっております。ここに書かれている量は、現代的な量に直しますと、大黄2g、厚朴3g、枳実2gというようなもので、これをその当時の中国の水の量を現代的に直すと、大体四合くらいの水ということになっておりまして、これを一合二勺に煮つめて、滓を去って半分を温めて一回に飲むというように二回分の量になっております。この薬液を初めて飲むと、当然便通があるべきであるといっております。更衣というのは、中国の当時の上流の人は、便通があると、衣服を更えることから、便通そのものを指す言葉になったというわけです。もし便通がなければ残りの湯液を全部飲むようにし、もし一服で便通があれば、残りは飲む必要がないということです。
次に『傷寒論』の太陽病中篇に出ている文章が出ております。これを解釈しますと、傷寒という悪性の、急性熱性病である場合に、大便が出ないことが六~七日あり、頭痛や熱のあるものは承気湯を与えるがよい。しかしその病人の尿が澄んている場合には、病は内臓の方に進んでいなくて、まだ体表の方に在ることがわかるので、発汗剤を用いて病邪を除かなくてはいけない。もしその場合に頭痛があれば、必ず鼻出血を伴うから、桂枝湯などの類を用いるとよろしいというのです。
この時代、病というものは邪気が体表から入って、だんだんと内臓の方へ入ってゆくと考えておりましたので、病の初期を太陽病というようにいい、発汗剤を用いて病邪を除き、体表と内臓との中長に病邪が進んだ時期が少陽病で、柴胡という薬物を主剤にした薬剤で中和をはかり、さらに病邪が内臓の方に入った時期を陽明病といって、承気湯とか白虎湯(ビャッコトウ)といったもので、病邪を下すというように考えておりました。
完全に病邪が内臓の方に入って体力が落ちてくる時期は、陰病です。これを正しく申しますと、三つに分けて、太陰病、少陰病、厥陰病(けつちんびょう)といいます。この陰病ということになって、附子(ブシ)という薬物の入ったもので体力を補うという治療法をとるわけです。
次の文に進みます。陽明病の時期であって、脈が熱に比べて拍動数が少なく、力のある脈が(もしこの場合、力の弱い脈ということになりますと、陰病ということになります。)汗は出ているけれども、悪寒というような外証、つまり体表の方に病邪があるという状態がない場合に、体が重くて動かしにくく、短気(呼吸促迫)があって、おなかが膨満し、そのため胸が圧迫され、喘鳴があって、潮熱があるということです。潮熱というのは時を決めて一日一回全身に熱が満ち満ちてきて、しっとりと汗をかくという状態です。したがって、手足にしっとり汗が出ているのは、大便が硬くなっているという証拠であるから、大承気湯の主治するところである。
もし汗が多く出ても、少し熱があって悪寒するものは、まだ外証がとりきれない証拠であるから、その熱が潮熱という状態になってからでないと、承気湯を与えてはならない。もし腹がひどく張って、便通のないものは、まず小承気湯を与えて、胃の機能を少し調和せしめるがよい。大承気湯でうんと下してはいけない、ということです。
“承気”というのは気をめぐらすという意味があるそうです。大塚敬節先生は、承気湯類は熱病でも、悪寒や悪風という、外気に触れて寒いような感じのあるものは、ここに何度も書かれてあるように、用いてはいけないということをよく承知しなければならないといっておられます。
熱のない場合には、便秘と腹満と脈によって腹部が充実して便秘があり、脈が沈んで力のあるものを目標にします。もしこれを用いて腹痛があって下痢し、気持の悪いものは、この薬方の適応ではありません。大承気湯を用いる患者は、一般に筋肉の緊張のよいものであります。
次の文は、これも『傷寒論』の陽明病篇に載っております。陽明病であって、潮熱があって、大便が少し硬い程度のものなら、承気湯を与えて様子をみるがよい。もし大便が硬くないものには与えてはいけない。この「もし大便が硬くないものには与えてはいけない」というのはずっとあとの註釈がまぎれ込んだものと思われます。
もし六~七日も便通がなければ、たぶん燥屎(おなかの中で硬くなっている宿便のこと)があると思われる。そこで大便が硬いかどうかということを知るには、少し小承気湯を与えてみるがよい。薬液が腹に入って、放屁があるものは大便が硬くなっている証拠であるから、下剤で攻めてよい。もし放屁の出ないものは、大便の出始めは硬いが、あとは軟便であるから、下剤で攻めてはならない。誤ってこれを攻めると、腹が張って食べられなくなる。こんな場合、水を飲みたがるものに水を与えるとしゃっくりが出るようになる。そのあとで発熱するものは、きっと大便がまた硬くなって、量か少ないに決まっている。その際は小承気湯で胃腸の機能を整えるがよい。放屁の出ないものは決して下剤で攻めてはならないというわけです。
次の文章に進みます。陽明病で、その人が汗のたくさん出る場合には、そのため体液が失われて、胃腸内で乾燥してかたまっている宿便が必ず硬くなり、そのためうわごとをいうようになる。これは内臓に進んでいる邪悪が強いために起こるのではないから、大承気湯を使わずに、小承気湯の主治ということになります。これを一服のんで、うわごとがやめばさらに続けて飲んではいけません、というわけです。
次の文に進みます。陽明病でうわこどをい感、潮熱があるが、脈は滑(玉をころがすような脈、この反対は濇(しょく)といって渋るような脈)であって、早い脈の場合は小承気湯の主治するところである。滑脈は白虎湯のところにも出ております。強い下剤を用いてはならないので、大承気湯を用いないで、小承気湯の類を与えて様子を見ると解した方がよいといわれます。
次に小承気湯を与えて放屁のないものには、それ以上小承気湯を用いてはいけないということが述べられております。薬液を飲ませて翌日になっても、便通がな決、脈が弱くなって渋る脈になっている時には、内臓が弱っていて治すのがむずかしい場合であるから、重ねて承気湯を与えてはいけないというわけです。
次の条文は、太陽病で、あるいは吐き、あるいは下痢し、あるいは発汗させて、表証がとれたあとに、少し煩躁があって、尿意が頻数となったため、大便が硬くなったものは、小承気湯を与えて胃腸の機能を調和すれば治るというわけです。
次に進みます。発病後二~三日して、脈が弱く、太陽病や少陽病の証がなく、煩躁して心下部が硬く、四~五日に至って食物がよく食べられても、小承気湯を少しずつ与え、軽く胃腸の機能の調和をはかると、いささか落着いてくる。五~六日なって承気湯一合を与えて様子を見る。もし便秘が六~七日続いて小便の少ないものは、何も食べていなくても大便が始めは硬く、あとから出てくるのは必ず軟便である。溏(とう)というのは、もとの意味は、あひるの便のことで、あのようにドロドロとした便のことですが、簡単に軟便と申し上げておきます。
まだ定まって硬くならないのを下すと必ず軟便になる。小便がよく出て、大便がかたまるのを確かめてから下剤をかけて下さなければならない。大承気湯を使うのがよろしいというわけです。
次は厥陰病(けつちんびょう)のところからきている文章です。下痢してうわごとをいうのは硬い大便があるからである。小承気湯の主治であるというわけです。次の文章は『金匱要略』の噦(えつ)というところに出ている文章です。大便が出ないでしゃっくりが出て、しばしばうわごとをいうのは小承気湯の主治であるというわけです。
『類聚方広義解説(40)』 日本東洋医学会監事 岡野 正憲
本日は小承気湯の症例を申しあげます。『漢方と漢薬』に載せられている大塚敬節先生の症例ですが、読んでみます。「昭和十一年八月、余の老母が激しい頭痛を訴えたので、脈の沈遅と、頭痛、嘔吐、煩躁を目標にして、呉茱萸湯(ゴシュユトウ)を投ずるに効なく、ついで小便自利、口乾、めまい、頭痛、悪寒を目標にして、甘草乾姜湯(カンゾウカンキョウトウ)を与えたが、まったく効なく、四逆湯(シギャクトウ)を投ずるにまったく何の反応もない。頭痛やまざること一週日、大便せざること数日、よって桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)を与えたが、いたずらに腹痛するのみにて大便快通せず、頭痛もまたやまない。よって同門荒木性次君に一診を請うた。荒木君、接脈数分ののち、これを小承気湯の証ならんという。余はそのよるところを知らず。むしろ意外に感じたが、よく按ずるに、まさに小承気湯、もしくは厚朴三物湯(コウボクサンモツトウ)の痛んで閉ずるものなることを了解した。よって小承気湯一服を投ずるに、未だ大便せざるうちに頭痛半ばを減じ、数服にして寝を払うに至った。荒木君、かつて余に語っていわく、傷寒論中、弁脈、平脈の二篇は、薬方運用上の根幹をなすものなるにかかわらず、従来の医家はこれを捨てて論ぜず。かくのごとくして薬方運用の妙所に至るは、けだし至難の技なり」というものです。
小承気湯の応用としては、高血圧症、肥胖症、便秘症、食中毒、急性熱性病、脳症などに用います。
鑑別としては、大承気湯、調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)などがありますが、長くなりますので省略いたします。
『類聚方広義解説II(38)』 北里研究所東洋医学総合研究所漢方診療部 村主 明彦
小承気湯①
本日は、『類聚方広義』の中の小承気湯(ショウジョウキトウ)の解説をいたしましょう。
■治療目標と処方内容
小承氣湯 治腹滿而大便鞕者。
大黄四兩一錢二分厚朴二兩九分枳實三枚九分右三味。以水四升。
煮取一升二合。去滓。分溫二服。 以水二合。煮取六勺。初服湯。
當更衣。不爾者。盡飮之。『若更衣者。勿服之。』
「小承気湯。腹満して大便鞕き者を治す。
大黄(ダイオウ)四両(一銭二分)、厚朴(コウボク)二両(九分)、枳実三枚(九分)。
右三味、水四升をもって、煮て一升二合を取り、滓を去り、分かち温めて二服す(水二合をもって煮て六勺を取る)。
初め湯を服せば、まさに更衣すべし。しからざるものは尽くこれを飲む。もし更衣するものは、これを服することなかれ」とあります。
吉益東洞(よしますとうどう)先生は、まず「腹満して大便鞕き者を治す」と述べて、小承気湯の治療目標を
「腹が膨満して大便が硬い症状」と明確にいっています。
小承気湯は、大黄、厚朴、枳実の生薬からなる、比較的シンプルな処方です。生薬の量は換算の仕方によっていろいろですが、私ども北野研究所では厚朴3g、枳実2g、大黄は適当量とし、適宜加減して用いています。
本文中の「更衣」というのは、便通のつくことを意味しています。この言葉は、その昔中国の上流階級の人々が排便のたびに衣服を着替えたことに由来しているそうです。ですから、本文は「この薬を初めて飲むと、必ず便通がつくはずである。もし便通がつかないのであれば、残った分をすべて飲みなさい。うずれにせよ、便通がついたらもう残りは飲む必要はありません」ということです。
■桂枝湯・大承気湯との鑑別
『傷寒。』不大便六七日。頭痛有熱者。與承氣湯。『其
小便清者。知不在裏。仍在表也。當須發汗。若頭痛
者必衂。宜桂枝湯。』
次の一文は後人の竄入であろうといわれていますが、「傷寒、大便せずして六七日、頭痛、熱あるものは、承気湯(ジョウキトウ)を与う。その小便清きものは、知る、裏に在らずなお表に在るを。まさに須らく発汗すべし。もし頭痛するものは、必ず衂す。桂枝湯(ケイシトウ)に宜し」とあります。
これは急性、熱性病である傷寒の状態で、大便の出ないことが六、七日あつて、頭痛、発熱を伴うものには承気湯を与えなさい。ただしその尿が澄んでいる場合には、病邪は内臓の方までは進んでおらず、体表にあるから、発汗させることによって、その病邪を除かなければならない。もし頭痛があるならば、必ず鼻血を伴うはずであるから、桂枝湯およびその関連処方を使えばよろしい、ということをいっています。
この箇所に限らず、後人の竄入と呼ばれる箇所は非常に冗長なため、簡潔を旨とする『傷寒論』の条文からは浮き上がってしまい、読んでいてそれとすぐに察しがつきます。また「宜し」という表現は、「主る」よりも一段緩い表現で、処方の選択にある程度の幅を持たせています。
○『陽明病。脈遅』雖汗出。不
惡寒者。其身心重。短氣腹滿而喘。有潮熱者。『此外
欲解。可攻裏也。』手足濈然然而汗出者。此大便已鞕也。
大承氣湯主之。
「陽明病、脈遅、汗出ずるといえども、悪寒せざるものは、その身必ず重く、短気、腹満して喘し、潮熱あるは、これ外解せんと欲し、裏を攻むべきなり。手足濈然として汗出ずるは、これ大便已に鞕きなり。大承気湯これを主る」。
「外解せんと欲し、裏を攻むべきなり」の部分は、後世の注釈といわれています。ですから、「潮熱あり」は「手足濈然として汗出ずる」に続きます。
すなわち陽明病の時期で、脈は遅で、発汗はあるけれども、病邪が体表に挟する悪寒というような外証がない場合には体が重く、動かしにくく、短気すなわち呼吸促迫があって、腹部が膨満し、そのために胸が下から押し上げられて喘鳴を発し、発熱も伴う。それも潮熱であるから、潮のように一日に時間を決めて全身に熱が満ちてきて汗をかく、といった状態です。
しかも「濈然とした汗」というのですから、しっとりと、うっすらと汗をかく状態で、けして流れ出るような汗ではありません。手足にうっすらと汗をかいているのは、もう大便が硬い証拠であるから、このような場合には大承気湯を使いなさい、といっています。
また遅脈についてですが、この遅脈は脈数に対する脈状で、拍動数が少ないことをいっています。
以下の文も、後に加筆されたのではないかといわれていますが、読んでみます。
若汗多。微發熱惡感者。『外未解也。』
共熱不潮。未可與承氣湯。若腹大滿不通者。可與
小承氣湯。『微和胃氣。勿令大泄下。』
「もし汗多く、微発熱、悪寒するは、外いまだ解せざるなり。その潮熱せずんば、いまだ承気湯を与うべからず。もし腹大いに満ちて通ぜざるものは、小承気湯を与え、微しく胃気を和すべし。大いに泄下にいたらしむことなかれ」。
これは、たとえ汗が多くても、少し熱があって悪寒するのは、病邪がまだ体表にある証拠であり、外証の残っている状態であるから、熱型が潮熱になってからでなければ、まだ承気湯を用いる段階ではない。もし腹部の膨満が著明で、かつ便通のないものにはまず小承気湯を与えて、胃の機能を多少なりとも整えた方がよろしい。間違っても大承気湯で激しく下してはいけない、ということです。
○『陽明病』。潮
熱大便微鞕者。可與大承氣湯。不鞕者。不與之。若
不大便六七日。恐有燥屎。姉知之法。少與小承氣
湯。湯入腹中。轉失氣者。此有燥屎。乃可攻之若
不轉失氣者。此伹初頭鞕。後必溏。不可攻之。攻
之必脹滿不能食也。欲飲水者。與水則噦。其後發
熱者。必大便復鞕而少也。以小承氣湯和之。不轉失
氣者。愼不可攻也。
「陽明病、潮熱し、大便微しく鞕きは、大承気湯を与うべし」。
これは『傷寒論』の本文ですが、「鞕からざるは、これを与うべからず」はその注釈です。内容は前に述べたことの繰り返しになっています。
以下の文章は後の加筆といわれています。
「もし大便せざること六七日、恐らく燥屎あらん。これを知らんと欲するの法は、少しく小承気湯を与え、湯腹中に入りて、転失気するは、これ燥屎あるなり。すなわちこれを攻むべし。もし転失気せざるは、これただ初頭鞕くして、後必ず溏す。これを攻むべからず。これを攻むれば、必ず脹満し、食する能わざるなり。水を飲まんと欲するは、水を与うればすなわち噦す。その後発熱するは、必ず大便また鞕くして少なきなり。小承気湯をもってこれを和し、転失気せざるは慎んで攻むるべからず」。
「もし六、七日も便通がつかなければ、恐らくはそれは宿便があるためであろう。そこで、宿便があるかどうかを確かめる方法としては、試しに小承気湯を少し与えて様子をみるのがよい。薬が体に入って、腹の中でガスと水分が合して音響を発するもの、俗にいう放屁のあるものは大便が硬くなっている証拠なので、下剤で攻めても構わない。一方、放屁のないものは便の出始めは硬いが、後は軟便であるから、これを下剤で攻めてはならない」。
ここでいう「溏」は、アヒルの便のような固まらない便のことを指しています。
「すなわち、これは胃腸が冷えて水分の吸収が悪いために、大便が硬くならないのである。もしこのような時に誤って下剤を使って攻めると、間違いなく腹が張って食べることができなくなる。このような状態の時に、水分を欲しがるものに水を与えると噦す。すなわち、しゃっくりが出現する。その後、熱を発するものは決まって大便が硬く、量も少ない。そのような時に小承気湯を与えて消化機能を調整するとよい。放屁しないものに対しては、くれぐれも下剤で攻めてはならない」。
この項は、ずいぶんと細かに書いてある印象があります。
■実証の腹満・便秘
承気湯類は、大柴胡湯(ダイサイコトウ)や防風通聖散(ボウフウツウショウサン)同様、栄養状態がよくて、肥満して、筋肉がよく締まって弾力のある、いわゆる実証タイプのものに用いることが多いといえましょう。腹満といった場合、これは腹部が全般的に膨隆しているものを指しますが、これには虚実の別があり、腹部が膨満していて腹にいて腹に弾力があり、脈が沈で力があり、便秘しているようなものは実証に分類されます。大承気湯、小承気湯、防風通聖散などを用いる目標となります。これに対し、腹部膨満があっても軟弱無力で、脈が微弱または沈弱のものは虚証に分類され、桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)、小建中湯(ショウケンチュウトウ)、四逆散(シギャクサン)、四逆湯(シギャクトウ)などが使われます。
一般、下剤には寒下の剤と温下の剤とがあります。寒下の剤とは大黄と芒硝(ボウショウ)のような寒薬の入った大承気湯、小承気湯などをいい、温下の剤とは大黄のような寒薬が入っていても、細辛(サイシン)、附子(ブシ)、桂枝などの温薬を配合した大黄附子湯(ダイオウブシトウ)、桂枝加芍薬大黄湯(ケイシカシャクヤクダイオウトウ)などのことをいいます。
調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)、小承気湯(ショウジョウキトウ)、大承気湯、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)などの承気湯類は、陽明病で便秘するものに用い、以前は腸チフスなどの感染症にも使われましたが、現代では当然のことながら、このような目的で使用することはほとんどありません。
小承気湯、大承気湯などは、常習便秘に用いられますが、実証の患者で、臍を中心に腹全体が膨満して弾力があり、脈に力があるものに用いられます。大承気湯は、小承気湯よりも一段と腹満が強く、 力のあるものを目標とします。また小承気湯や調胃承気湯は、便秘があって吃逆するものにも用います。ただし吃逆といっても、小承気湯を用いるのは腹満と便秘があって、脈にも力がある場合です。腹満や便秘があっても、腹水や腹膜炎に起因する吃逆には用いません。
■順気剤として
ところで小承気湯、大承気湯の中の「承気」という言葉は、「気をめぐらせる」という意味で、これらの薬方は順気剤に分類されています。小承気湯には厚朴が配合されていますが、厚朴には後にも述べますように、筋肉の痙攣や緊張を緩和する効があります。単なる下剤ではなく、順気剤としての側面がここにうかがえます。
大塚敬節は、「大柴胡湯加厚朴(ダイサイコトウカコウボク)という処方を、大柴胡湯合小承気湯(ダイサイコトウゴウショウジョウキトウ)の意味合いで使うことがある」と述べています。われわれも小承気湯を単断で用いる機会は少なく、既存の処方に厚朴を加えたりして、加減方の形で使うことが多いのが実状です。
また大塚は、「腹満はあまり著明でなく、全身の筋肉が緊張している場合、たとえばパーキンソン氏病などにくる便秘には、この方を用いる機会が多い」と述べています。また便秘ばかりではなく、小承気湯に芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)を合方し、厚朴の筋肉の硬強を治する効と、芍薬甘草湯の筋肉の緊張を緩める効とを狙って、やはりパーキンソン氏病に用いたところ、便秘だけでなく振戦も抑えることができた例を発表しています。
■吃逆・悪心・嘔吐・口渇
時代は遡りますが、有持桂里(ありもちけいり)は、小承気湯を吃逆に用いる場合について、次のように述べています。すなわち「これは不大便が目的なり、主治に譫語をいってあれども、それにはこだわらざるなり。およそ噦あるもの、これを診するに腹微満して不大便するものならば、この方を用いるなり。この『金匱』の主治は正しいけれど、今これを活用して、胃中に鬱熱あると思うものに用いる。そのところに、この方を用いて効を得ること多し。その時には譫語や舌苔にこだわらずして、ただ腹候と不大便とにて用うべし。余もとこの方を拡充して用いしは、噦の奇方に平胃散(ヘイイサン)を用いて珍重するあり。京師の大家の医に厳かにこの方を用いる人などあり。なるほどこれを見るに如何にも効験あり。よりていうに噦に胃中の鬱塞よりきたるものあることを。然らば、とてものことならば、平胃散より承気湯を用いるが、その効速やかなるべしと按じて、後にこの症にあいて承気湯を試みしに、果して即効あり。理中湯(リチュウトウ)、四逆湯、呉茱萸湯の反対とみえたり。さて平胃散、効あるの方といえども、ただこれを噦の妙剤と覚えたるもの笑うべし」とあり、その効能・適応を詳らかにすると同時に、安易な病名治療を戒めています。
悪心・嘔吐に小承気湯を用いる機会もあります。『梧竹楼方函口訣(ごちくろうほうかんくけつ)』に、次のような記載があります。「丸田町堀川西、俵屋伝右衛門、寡婦、歳五十余、七月中旬霍乱を患う。ほぼ癒えて後、ただ嘔吐止まず。連綿三十数日、百方手つくして効なし。時に残暑灼くがごとく、多日不飲するもの故に羸痩甚だしく、手足微冷、脈沈微、おおよそ食物あるいは湯薬、辛酸甘苦の類皆受けず。いかんともすることなし。篤とその腹を診するに、右脇肋骨の際、鳩尾を去ること二寸ばかりに当て、積塊手に応ずるものあり。予思えらく、大腸中の燥屎なり。下道の塞がる故、気通ぜずして上へ還り嘔するとして、強いて嘔を忍びて小承気湯三貼を服せしむ。始め甚だしく苦渋入りがたけれども、強いて服せしむ。あるいは嘔し、あるいは収まり、ついに燥屎数塊を下す。朝に服して夕べに嘔頓に止み、靡粥調理、数日にして安し。大腸の回り解剖して見れば、上右脇の下に回りてあり。余若かりし時、解体をして実物を歴験せしより、この案もつきるなり。蘭方も多く笑うべからず。たまには用に立つなり」との記述があり、実証的な方法論にまで話は及んでいます。
「嘔」に関しては『傷寒論』に、「嘔の多いものは、腹満、便秘などの陽明の証があっても下してはいけない」とありますが、大便が詰まって、嘔吐の止まない場合に、このような承気湯類を用いることがあります。
次に熱病で口舌が乾燥して口渇の著しい場合について考えます。このような場合、白虎加人参湯(ビャッコカニンジントウ)の証が多いのですが、これに前述の腹満、便秘の状が加わったものには大柴胡湯や小承気湯、大承気湯などの適応があります。本文中にあるように、これらの薬方は悪寒や悪風のあるものには禁忌とされています。
■大承気湯・麻子仁丸・潤腸湯との違い
浅田宗伯(あさだそうはく)の『勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)』には、「この方は胃中邪気を軽く泄下するなり。本論にては燥屎の有無をもって二湯の別とす。後世にて大承気は三焦痞満を目的とし、小承気は上焦痞満を目的とするなり。燥屎の候法種々あれども、その的切は燥屎あるものは臍下を按じて物あり。これを撫でれば皮膚かわくなり。燥屎と積気と見誤ることあり。これはくるくるとして手に按じて大抵しるるなり。燥屎は按じて痛み少なく、積は痛みを自ら発きざめあり。かつ下焦にあるのみならず、上中焦へも上るなり。この候なくして潮熱、譫語するもの、 この方に宜し」とあり、大承気湯と小承気湯との鑑別にも触れています。
この小承気湯の構成生薬は、大黄、枳実、厚朴ですが、これを含む処方としては麻子仁丸(マシニンガン)で、これは『傷寒論』に出ていますが、麻子仁(マシニン)、芍薬、枳実、厚朴、大黄、杏仁(キョウニン)を煉蜜(レンミツ)で練ったものです。
また中国の明の時代の『万病回春(まんびょうかいしゅん)』には、当帰(トウキ)、熟地黄(ジュクジオウ)、乾地黄(カンジオウ)、麻子仁、桃仁(トウニン)、杏仁、枳殻(キコク)、厚朴、黄芩(オウゴン)、大黄からなる潤腸湯(ジュンチョウトウ)が記されています。
私たちも潤腸湯を老人に使う場合が多いのですが、単に便通を改善するばかりではなく、向精神作用も注目されます。すなわち老人特有のデプレッシブな症状に対しても、これらの漢方処方は非常に効果を奏することが多いのです。
■大黄・厚朴・枳実の薬効薬理
また個々の生薬についてみますと、大黄には抗菌作用、もちろん瀉下作用もありますが、向精神作用、血中尿素低下作用、抗炎症作用、免疫賦活作用などがあげられています。これを『重校薬徴(じゅうこうやくちょう)』でみますと、「結毒を通利することを主る。故によく脇満、腹満、腹痛し、大便不通、宿食、瘀血、腫膿を治す。発黄、讝語、潮熱、小便不利を兼治す」とあり、実毒の結毒を主治し、腹満、腹痛、大便不通を治し、悪熱、潮熱を取り、結毒、腫膿を去り、発黄、小便不利等を治す、といえます。
また枳実には、胃腸運動亢進リズムの調整作用あるいは平滑筋の弛緩作用、あるいは抗炎症作用などが認められています。これも要約すると、結実、気滞の毒を破り、胸満、胸痛、腹満、脇痛を治すといえると思います。
また厚朴に関しては、やはり筋弛緩、抗痙攣作用、鎮静作用、抗炎症、抗アレルギー作用、鎮吐作用などがあり、これは『重校薬徴』では「脇腹脹満を主治し、腹痛、喘を兼治す」とあり、脇胸部の膨満を主治し、痰飲を消し、気を下し、中焦を緩め、胃内停水を去る、といえると思います。
このように構成生薬は三味と少数ですが、その効果には非常に奥の深いところがあると思います。
ただ今述べました、大黄、枳実、厚朴の三生薬のうち、大黄は非常に面白い生薬で、向精神作用は昔からよく知られていました。すなわち将軍湯(ショウグントウ)として、戦地に赴く兵士に、士気を鼓舞するという意味で、戦いに行く前に飲ませたという記載があります。
このように大黄は単なる瀉下作用ばかりではなく、抗菌作用、向精神作用をも現わすといった面からも、非常に見直されてきています。
『類聚方広義解説II(38)』 北里研究所東洋医学総合研究所漢方診療部 小泉 久仁弥
小承気湯②
■大承気湯との違い
本日は、小承気湯(しょうじょうきとう)の続きをお話しします。
○『陽明病。其人多汗。以津
液外出。胃中燥』大便必鞕。鞕則譫語。小承氣湯主
之。若一服譫語止。更莫復服。
「陽明病、其の人汗多く、津液外に出でて、胃中燥くをもって、大便必ず鞕し。鞕ければすなわち譫語す。小承気湯これを主る。もし一服にて譫語止めば、さらにまた服することなかれ」。
陽明病になり、汗が多く出て、そのために体液が不足し、胃腸の水分が不足し、便が硬くなる。便が硬いとうわ言をいう。この場合には小承気湯がよい。もし一服でうわ言が止まれば、さらに服用する必要はない。
浅田宗伯(あさだそうはく)は『傷寒論識(しょうかんろんし)』の中で詳しく解説していますが、その中では「この条は大承気湯の手足濈然として汗出づるもの、これ大便已に鞕きなりに対して小承気湯の主治について論じている」とあります。
大承気湯は大黄(ダイオウ)、枳実(キジツ)、厚朴(コウボク)、芒硝(ボウショウ)の四味からななり、小承気湯は大黄、厚朴、枳実の三味からなっているので、その違いは芒硝だけです。そのために、この二方の使い分けについて説明しています。また後ほど説明しますが、尾台榕堂(おだいようどう)も頭註で使い分けについて論じています。
「津液外に出でて」「胃中燥き」の二つは、大便が硬く、うわ言をいう原因を示している。ここで「胃中燥く」の「燥く」に「乾く」を使わない理由は、津液が外に出ただけでなく、裏の邪が併せて存在するからである。これはその人の生まれつきの性質によるものである。邪気はまだ盛んではないが、汗が多く、津液がなくなったために大便が硬くなり、うわ言をいう。この状態は、邪気が実してうわ言をいうものとは大いに隔たりがあるために、治療法として小承気湯を用いる。うわ言が止まることを中止の目安とする。陽明病で発熱して、汗が多いものはすぐにこれを下しなさい、という条文を応用するのである。
森田幸門の『傷寒論入門』では、「発汗しやすい体質のものが陽明病になると、腸内の炎症に不相応に外量に発汗するため、腸管の病変が左程甚だしくなくても、大便は早期に硬くなって譫語を発しやすい」と解説し、汗が出やすいのは体質であり、裏の熱、ここでは腸内の炎症という言葉を使っていますが、裏熱に比較して多量に発汗し過ぎたために、水分の不足が生じ、便が硬くなったのである。これは体質が原因だから、裏熱が盛んになったために、潮熱や全身の発汗がある大承気湯の適応と、治療法が異なることを示しています。そのためにうわ言が止めば、服用を中止してよく、排便の有関は関係がない、と考えます。
○『陽明病』。讝語發潮
熱。脈滑而疾者。小承氣湯主之。因與承氣湯一升。腹中
轉失氣者。更服一升。若不轉失氣。勿更與之。『明
日不大便。脈反微澀者。裏虚也。爲難治。不可更與
承氣湯也。
「陽明病、讝語、潮熱を発し、脈滑にして疾のものは、小承気湯これを主る。よって承気湯一升を与え、腹中転失気のものは、さらに一升を服す。もし転失気せざれば、さらにこれを与うことなかれ。明日大便せず、脈反って微渋のものは、裏虚なり。難治となす。さらに承気湯を与うべからざるなり」。
陽明病でうわ言をいい、一定の時間に発熱があり、脈は滑らかで早いものは、小承気湯の適応である。それで小承気湯を一升投与し、腹鳴があればさらに一升を服用しなさい。もし腹鳴がなければ投与を中止しなさい。翌日になっても大便が出ず、脈が逆にわずかで、渋るものは裏が虚しているのである。難治である。さらに承気湯を与えてはいけない。
「転失気」は一般には放屁を指すとなっていますが、そうすると「腹中転失気」は腹中で放屁するとなり意味が通じないので、ここでは「腹鳴」と考えました。
ここの部分の頭註は、「陽明病云々、脈滑にして疾のものは、大承気湯の証である。『脈経』、『千金』にはともに小の字はない。この通りである。よって承気湯を与え以下は後人の註文であるから、削除すべきである」とあり、尾台榕堂は「ここの承気湯を与え以下の部分は『傷寒論』の本文ではなく、後人が書き加えたものであるから削除しなさい」と述べています。
大塚敬節の『臨床応用傷寒論解説』では、「ここでは、すでにうわ言をいい、熱は潮熱となっているから、大承気湯の適応証のように思われるが、脈が滑で疾である、という点を考慮して小承気湯を用いるのである。この章では<これを主る>となっているが、むしろ<小承気湯を与う>とすべきであろう」と、尾台榕堂とは逆に、小承気湯の適応であると述べています。ただ「主る」ではなく、「与う」にするべきだとしているところは、小承気湯の絶対的適応ではない、と考えているためです。
それに続く「よって承気湯一升を与え」以下は、『康平傷寒論』では「十三字詰解説文であるから」と削除しており、後人の書き加えた文章と考えているところは尾台榕堂と同じです。
『傷寒論識』の解説は、「この文章は三つの部分から成り立っている。一つは前の証がさらに進行した状態を論じ、もう一つは小承気湯を与えた場合の燥屎の状態を論じ、最後は裏が虚して治療することが不可能な状態を論じている」とあります。
「潮熱を発し」の「発し」は初めて発するを指すのではなく、これは大便が硬く、うわ言をいい、邪の勢いが進んだために潮熱を発するに至ったものを指す。「滑」は「滑らか」を意味する。「疾」は「急」を意味する。「滑疾」はその脈が滑らかで、その勢いが急であることをいう。これは下の文の「脈反って微渋」に対して、熱邪が内に盛んなのは明らかである。この理由で小承気湯をもって燥屎の様子をうかがうのである。故に「よって」といい、「よって」は原因である。
承気湯は上の文を受けて小承気湯を指している。小承気湯を投与し、一夜が過ぎ、まだ奏効しない。これは胃がますます実し、脈はますます滑疾でよいのに、かえって微渋になるものは、体内に鬱積した病気がなくなったために「裏虚」となっているのである。裏虚のものはもとより治療がむずかしい。しかし十人中二、三人は助かるものがある。だから死ぬとはいわない。「治しがたし」という。
おおむねこのような機会に臨んだならば、うわ言か、そうではないのかの区別をする機会を失ってはいけない。あるいは承気湯を与えても大便が出ず、みたりに薬力が十分ではあいといい、何度も服用するように指示し、そのために失敗することも多いために「なかれ」という。「べからず」という。繰り返すことによってこれを戒めているのである。
考えてみると、初めの一升を服用する時に三つの状態がある。一つは燥屎があるのでさらに一升服用する状態である。もう一つは、燥屎がないので白虎湯を服用する状態である。白虎湯の条の「脈滑」というのが参考になる。最後の一つは裏が虚しているので、熱があっても攻めることができない状態である。
頭註に戻ります。次の頭註は、大承気湯と小承気湯の違いについて述べています。その冒頭に「子炳(しへい)曰く」とあります。この子炳は頭中にしばしば出てきますが、『類聚方広義』の手本となった『類聚方集覧(るいじゅほうしゅうらん)』の作者雉間(きじま)子炳のことです。この『類聚方集覧』の頭註に「つまり大、小承気湯の二方はもともと同じ証であった。芒硝を去るものは、鈍い刀に譬えることができる。用いるべきではない。もし大承気湯が使えないならば、別の処方を考えて用いるべきである。おろそかにしてはいけない」と書いています。
これに尾台榕堂は反論して、次のように註しています。
「子炳は大、小承気湯の二方はもと同じ症であったという。芒硝を去った小承気湯を鈍い刀であると譬え、まったく用いるべきではないといっている。はなはだしいことである。子炳の方法は理解が不十分なのである。処方に大小があるのは、病気に病重、緩急があるからである。どうして大小を作ったのか考える必要がある。
『傷寒論』の処方は一味を去る、加える、一品の量を加減する場合にでも、それぞれ考え方が異なり、その効用もまた異なるのである。このために医者が病人を診察する際には、その軽重、緩急をよくみて、証を細やかにみて、行き渡った処方をしなさい。『傷寒論』の理論に則って、間違いないで治療をすれば治るのである。いい加減に軽い気持で治療していると、ほとんど死に追いやってしまう。慎むべきである」。
かなり細かな考え方です。しかし桂枝湯(ケイシトウ)の芍薬(シャクヤク)を増量すると桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)になり、桂枝加芍薬湯に膠飴(コウイ)を加えると小建中湯(ショウケンチュウトウ)になり、それぞれの適応も異なることなどを考えると、一味の去加や量の増減が処方全体に与える影響の大きささがわかります。
尾台榕堂は『類聚方広義』の中で、しばしば雉間子炳の『類聚方集覧』の批判しています。この部分でも子炳は「小承気湯は大承気湯去芒硝であり、なまくら刀(鈍刀)であるから使うべきではない」としています。しかし榕堂は、「『傷寒論』の処方は一味の違いでも大切にしなければならない。小承気湯をなまくら刀というのは、診療が雑で、いい加減だからである」と反論しています。
■大柴胡湯・蜜煎導との違い
○『太陽病。』若吐若下發汗。微煩小便數。
大便因鞕者。與小承氣湯。和之愈。
「太陽病、もしくは吐し、もしくは下し、もしくは汗を発し、微しく煩し、小便数、よって大便鞕き者は、小承気湯を与え、これを和せば愈ゆ」。
太陽病で、吐いたり、下痢をしたり、汗をかくなどして少しく煩し、小便は頻回で、そのために大便が硬くなるものは、小承気湯を与えて調和してやれば治る。
『傷寒論識』の解説では、この部分はまた上の二条の「発汗、嘔吐、下痢」以後で、陽明病に属するものを論じている。「もしくは」というのは「あるいは」と同じ意味である。病気の始まりは太陽病であるが、嘔吐や下痢、発汗の病邪がまだ治っていない。その後に少し煩するものの治療法を述べているのである。
これは『傷寒論』太陽病中篇の大柴胡湯(ダイサイコトウ)証に似ている。しかし大柴胡湯証は少陽病にあるため、嘔吐が止まず、心下急の証を合わせ、また陽明病にあるため小便が頻回、大便が硬いなどの証も併せ持つ。ここではその違いを示し、あしたに大便が硬くなる理由は、小便が頻回のためである。それで「よって」という。この邪がしばらくして裏に入る機序なのである。「これを和すれば愈ゆ」のものは、硬いに対して「これを」といっているのである。
治るものは微煩の証が治るのである。宋板では汗の下に「後」の字がある。 「癒ゆ」の上に恐らくさ「すなわち」の字が抜けている。考えてみると、この証と蜜煎導(ミツセンドウ)の証は似ているが異なっている。これは明らかにするとよい、とあります。
蜜煎導の条文をあげますと、「陽明病、自ら汗出で、もしくは汗を発し、小便自利のもの、鞕きといえどもこれを攻むべからず。まさに自ら大便を欲するを待ち、蜜煎導にてこれを通ずるが宜し」です。
陽明病で自然に汗が出て、または発汗させ、小便が多く出るものは、便が硬くても下剤をかけてはいけない。自然に便が出たくなるのを待って、蜜煎導を肛門に挿入するのがよい。確かに条文は似ています。しかし、小承気湯の条文は大承気湯ほどではないが、多少なりとも裏に邪熱があるために便が硬くなります。蜜煎導は裏に邪熱はなく、発汗や小便自利のために便が硬くなったので承気湯などで攻めてはいけない、というところが異なります。
■小承気湯の変証
○得病二三日。脈
弱無『太陽』柴胡證。煩躁心下鞕。至四五日。雖能
食。以小承氣湯。少少與微和之。令小安。至五六日。
與承氣湯一升。若不大便六七日。小便少者。雖不
能食。伹初頭鞕。後必溏。未定成鞕。攻之必溏須
小便利屎定鞕。乃可攻之。宜大承氣湯。
「病を得て二三日、脈弱にして太陽、柴胡の証なく、煩躁し、心下鞕く、四五日に至り、よく食するといえども、小承気湯をもって少々与えて、微しくこれを和し、少しく安からしむ。五六日至り、承気湯一升を与え、もし大便せざること六七日、小便少なきものは、食する能わずといえども、ただ初頭鞕く、後に必ず溏す。いまだ定まりて鞕と成らず。これを攻むれば必ず溏す。小便を利し、屎定まりて鞕となるを須(ま)ち、すなわちこれを攻むべし。大承気湯に宜し」。
頭註では、この部分も後人が書き加えたもので、『傷寒論』の本文ではないと書いています。
発病して二、三日が過ぎ、脈が弱いが太陽病で、柴胡剤の証はない。煩躁があり、心下が硬くなり、四、五日後には食欲があっても小承気湯を少量与えて、胃腸の機能を調和すれば多少落ち着く。五、六日後になったならば小承気湯を一升与え、六、七日後になっても大便が出ず、尿量が少いものは、食欲があっても便は最初硬く、後で出てくる便は軟かい。尿が出て、便が硬くなるのを待ち、これに下剤をかけるべきである。大承気湯が宜しい。
『傷寒論識』の解説では、これは後の六、七日前の証について論じている。そのために、頸部や頭部まで病気が及んでいない。「脈弱」の「弱」は、微弱や虚弱の「弱」ではない。「浮」「盛」「実」「大」ではないというのである。
太陽病で薬方名をあげない場合は、必ずしも桂枝と麻黄(マオウ)の適応症が同じではないからである。「柴胡」といい、証をいわないのは、柴胡剤は必ず少陽病だからである。
これらより二陽の症候がないのは明らかである。しかし「心下鞕い」は非常に少陽と似ている。ただ痞鞕になっていないので少陽とはいえない。また陽明に属するといえども、まだ譫語、潮熱には至っていない。ただ脈が弱いために少しく和することがよい。これは小承気湯の変証である。六日は五、六日とすべきてである。
ここは『傷寒論識』に引用されている『傷寒論』の条文で、六日となっているための注釈です。『類聚方広議』では「五、六日となっているための注釈です。『類聚方広義』では「五、六日となっていますので、関係がありません。
発病六日は下剤で攻めるべきかど乗かの判断が必要な時期の始まりである。すべからくま待つことである。「須」という文字は、しなければならないという意味もありますが、ここでは「待つ」という意味でなければ辻褄が合いません。
これはすでに小承気湯を用いたために目はぼんやりし、少しく和することができず、体調を多少調和することができないために落ち着かない。大便が出ず、食欲はなく、小便の量が多いなどの症候は、しばらくして大承気湯証になるものである。これは小承気湯から大承気湯に至る階級である。一つの階級に一歩があり、一歩に一つの階級がある。これは高い場所には必ず低い所から昇ることと同じである。もって以下の三症の土台となる。
■下痢・讝語・燥屎
○下痢讝語者。有燥屎也。
「下痢、讝語のものは、燥屎あるなり」。
下痢してうわ言をいうのは、燥屎があるので小承気湯がよい。下痢に対して大黄の入った小承気湯を使うのは、逆の治療のように考えがちですが、大黄には薬理学的に止瀉剤としての働きのあることがわかっています。
急性の下痢では腸内の細菌が乱れ、大黄の中の下剤として働くセンノシドが活性化されません。それで大黄中のタンニンの下痢を止める働きが出てきて、止瀉剤として働くのです。
『傷寒論識』の解説では、この条は熱性の下痢で、燥屎があることは明日である。論じていうには、傷寒になり十三日が過ぎ、譫語のあるものは熱があるためである。熱があるものは必ず燥屎がある。故に「燥屎あり」というのである。これは発病時に裏に邪が閉じ込められ、胃の中が実するためである。
まず大便が詰まり、続いて下痢になり、その色は必ず純青で汚くない。このような場合には、承気湯を与えて燥屎を下すと、下痢は自然と止まる。燥屎は、大便が硬いか硬くないかには関係ないことは明らかである。腹痛があるかどうかが関係する。承気湯はもともと邪を追い払うために作ったものであり、燥屎の治療のために作ったものではない。しかし、下痢が燥屎によるものであることは、譫語が燥屎により発せられるからわかるのである。
診察時には、念入りにしなければ間違いやすい。この燥屎の証は、手で臍腹を圧迫すると、必ず硬く触れて痛む。これが燥屎の特徴である。
『金匱要略』に「下痢をしていて食欲がないも英は、宿食という食物が停滞している状態があるためである。下すべきである。大承気湯がよい」という条文がある。ここでは燥屎があるのに、どうして大承気湯を処方しないのであろうか。大承気湯と小承気湯の違いは、病期の劇易に従っているために「宜しい」というのである。
頭註では「下痢、讝語するけれども、その他に苦しむところがないから、燥屎があっても小承気湯を用いる」と述べています。
■便秘・吃逆・讝語
○大便不通。噦數讝語者。
「大便通ぜず、噦してしばしば讝するもの」。
便秘となり、吃逆がして、頻回にうわ言をいうのは小承気湯の適応である。
『雑病論識』では「噦して腹満する時は、その尿や便をみてどこの部分が働いていないかを理解して、そこを働かせればすぐに治る。これを引用し、吃逆が出て、腹満し、便秘のものの治療法を述べているのである。燥屎が詰まったために便秘し、そのために気の上逆が起こり、胃の邪が上行して吃逆がこれに加わったのであるから、承気湯を与えるのである」と述べています。
頭註では「傷寒の噦逆の症には、熱閉じて邪実に属するものがあり、寒飲、精虚に属するものがある。また蚘虫によるものがある。精しく診察して区別し、処方しなさい。一般の医者は吃逆を懼れる。そのため噦症を一見して、胃寒虚脱の症として治療する。いい加減である。
王宇泰(おううたい)は、瀉心湯、小承気湯、調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)などを用い、龔廷賢(きょうていけん)は、黄連解毒湯(オウレンゲドクトク)と白虎湯を用いた。見識がある人たちである」とあります。
吃逆の治療法については、一般的には柿蔕(かてい)(柿のへた)が有名です。また漢方治療では、頭註であげた処方のほかに、半夏瀉心湯(ハンゲシャシントウ)、橘皮竹筎湯(キッピチクジョトウ)、柿蔕湯(カテイトウ)、丁香柿蔕湯(チョウコウカテイトウ)、呉茱萸湯(ゴシュユトウ)、四逆湯(シギャクトウ)などがよく用いられます。
頭註の説明のごとく、陰陽などを詳しく診察して処方しなければならないことはもちろんです。
小承気湯は以上ですが、これを応用成た現代医学の適応をあげますと、便秘、肺炎やインフルエンザなどの急性感染症、精神疾患、赤痢や疫痢などの急性下痢症などが代表的です。また故大塚敬節氏は、頭痛、多汗、月経不順などにも応用を広げ、症例を報告しています。
※柿蔕:「カテイ」と振りがなが付いているが、「シテイ」では?
頭註では、この部分も後人が書き加えたもので、『傷寒論』の本文ではないと書いています。
発病して二、三日が過ぎ、脈が弱いが太陽病で、柴胡剤の証はない。煩躁があり、心下が硬くなり、四、五日後には食欲があっても小承気湯を少量与えて、胃腸の機能を調和すれば多少落ち着く。五、六日後になったならば小承気湯を一升与え、六、七日後になっても大便が出ず、尿量が少いものは、食欲があっても便は最初硬く、後で出てくる便は軟かい。尿が出て、便が硬くなるのを待ち、これに下剤をかけるべきである。大承気湯が宜しい。
『傷寒論識』の解説では、これは後の六、七日前の証について論じている。そのために、頸部や頭部まで病気が及んでいない。「脈弱」の「弱」は、微弱や虚弱の「弱」ではない。「浮」「盛」「実」「大」ではないというのである。
太陽病で薬方名をあげない場合は、必ずしも桂枝と麻黄(マオウ)の適応症が同じではないからである。「柴胡」といい、証をいわないのは、柴胡剤は必ず少陽病だからである。
これらより二陽の症候がないのは明らかである。しかし「心下鞕い」は非常に少陽と似ている。ただ痞鞕になっていないので少陽とはいえない。また陽明に属するといえども、まだ譫語、潮熱には至っていない。ただ脈が弱いために少しく和することがよい。これは小承気湯の変証である。六日は五、六日とすべきてである。
ここは『傷寒論識』に引用されている『傷寒論』の条文で、六日となっているための注釈です。『類聚方広議』では「五、六日となっているための注釈です。『類聚方広義』では「五、六日となっていますので、関係がありません。
発病六日は下剤で攻めるべきかど乗かの判断が必要な時期の始まりである。すべからくま待つことである。「須」という文字は、しなければならないという意味もありますが、ここでは「待つ」という意味でなければ辻褄が合いません。
これはすでに小承気湯を用いたために目はぼんやりし、少しく和することができず、体調を多少調和することができないために落ち着かない。大便が出ず、食欲はなく、小便の量が多いなどの症候は、しばらくして大承気湯証になるものである。これは小承気湯から大承気湯に至る階級である。一つの階級に一歩があり、一歩に一つの階級がある。これは高い場所には必ず低い所から昇ることと同じである。もって以下の三症の土台となる。
■下痢・讝語・燥屎
○下痢讝語者。有燥屎也。
「下痢、讝語のものは、燥屎あるなり」。
下痢してうわ言をいうのは、燥屎があるので小承気湯がよい。下痢に対して大黄の入った小承気湯を使うのは、逆の治療のように考えがちですが、大黄には薬理学的に止瀉剤としての働きのあることがわかっています。
急性の下痢では腸内の細菌が乱れ、大黄の中の下剤として働くセンノシドが活性化されません。それで大黄中のタンニンの下痢を止める働きが出てきて、止瀉剤として働くのです。
『傷寒論識』の解説では、この条は熱性の下痢で、燥屎があることは明日である。論じていうには、傷寒になり十三日が過ぎ、譫語のあるものは熱があるためである。熱があるものは必ず燥屎がある。故に「燥屎あり」というのである。これは発病時に裏に邪が閉じ込められ、胃の中が実するためである。
まず大便が詰まり、続いて下痢になり、その色は必ず純青で汚くない。このような場合には、承気湯を与えて燥屎を下すと、下痢は自然と止まる。燥屎は、大便が硬いか硬くないかには関係ないことは明らかである。腹痛があるかどうかが関係する。承気湯はもともと邪を追い払うために作ったものであり、燥屎の治療のために作ったものではない。しかし、下痢が燥屎によるものであることは、譫語が燥屎により発せられるからわかるのである。
診察時には、念入りにしなければ間違いやすい。この燥屎の証は、手で臍腹を圧迫すると、必ず硬く触れて痛む。これが燥屎の特徴である。
『金匱要略』に「下痢をしていて食欲がないも英は、宿食という食物が停滞している状態があるためである。下すべきである。大承気湯がよい」という条文がある。ここでは燥屎があるのに、どうして大承気湯を処方しないのであろうか。大承気湯と小承気湯の違いは、病期の劇易に従っているために「宜しい」というのである。
頭註では「下痢、讝語するけれども、その他に苦しむところがないから、燥屎があっても小承気湯を用いる」と述べています。
■便秘・吃逆・讝語
○大便不通。噦數讝語者。
「大便通ぜず、噦してしばしば讝するもの」。
便秘となり、吃逆がして、頻回にうわ言をいうのは小承気湯の適応である。
『雑病論識』では「噦して腹満する時は、その尿や便をみてどこの部分が働いていないかを理解して、そこを働かせればすぐに治る。これを引用し、吃逆が出て、腹満し、便秘のものの治療法を述べているのである。燥屎が詰まったために便秘し、そのために気の上逆が起こり、胃の邪が上行して吃逆がこれに加わったのであるから、承気湯を与えるのである」と述べています。
頭註では「傷寒の噦逆の症には、熱閉じて邪実に属するものがあり、寒飲、精虚に属するものがある。また蚘虫によるものがある。精しく診察して区別し、処方しなさい。一般の医者は吃逆を懼れる。そのため噦症を一見して、胃寒虚脱の症として治療する。いい加減である。
王宇泰(おううたい)は、瀉心湯、小承気湯、調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)、桃核承気湯(トウカクジョウキトウ)などを用い、龔廷賢(きょうていけん)は、黄連解毒湯(オウレンゲドクトク)と白虎湯を用いた。見識がある人たちである」とあります。
吃逆の治療法については、一般的には柿蔕(かてい)(柿のへた)が有名です。また漢方治療では、頭註であげた処方のほかに、半夏瀉心湯(ハンゲシャシントウ)、橘皮竹筎湯(キッピチクジョトウ)、柿蔕湯(カテイトウ)、丁香柿蔕湯(チョウコウカテイトウ)、呉茱萸湯(ゴシュユトウ)、四逆湯(シギャクトウ)などがよく用いられます。
頭註の説明のごとく、陰陽などを詳しく診察して処方しなければならないことはもちろんです。
小承気湯は以上ですが、これを応用成た現代医学の適応をあげますと、便秘、肺炎やインフルエンザなどの急性感染症、精神疾患、赤痢や疫痢などの急性下痢症などが代表的です。また故大塚敬節氏は、頭痛、多汗、月経不順などにも応用を広げ、症例を報告しています。
※柿蔕:「カテイ」と振りがなが付いているが、「シテイ」では?