『康治本傷寒論の研究』
傷寒、陽脈濇、陰脈弦、法当腹中急痛、先与建中湯、不愈者、小柴胡湯、主之。
[訳] 傷寒、陽にて脈は濇、陰にて脈は弦なるは、法まさに腹中急痛すべし。先ず建中湯を与え、愈えざる者は、小柴胡湯、これを主る。
冒頭の傷寒は第二七条の傷寒と同じ意味である。即ち広義の傷寒の意にとるべきである。
陽脈濇陰脈弦は二通りの読み方がある。
①「陽にて脈濇、陰にて脈弦」、と読めば陽は陽病のこと、陰は陰病をさしている。『弁正』で「此の条は病位の二道に渉るを論ず。……桂草湯(第四条)に陽浮而陰弱といい、今陽脈濇陰脈弦という陰陽の義は大同にして少異なり」とし、陰は太陰病を、陽は少陽病を意味していると論じている。『講義』と『入門』はこの解釈を採用成ているし、私もこれが正しいと思う。
②「陽脈は濇、陰脈は弦、」と読めば脈診のことをさしている。『解説』二六六頁で「軽按してみると、脈が濇で、重按していると、脈が弦である。濇は血少なしとし、弦は拘急をつかさどるとあって、陽脈が濇であるということは血行が悪きて、正気が外にめぐり難いことを意味し、陰脈が弦であるということは腹内の拘急を意味する」というのがそれで、これは中国での解釈と同じである。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)七八頁に「陽脈濇は気血の虚を主り、陰脈弦は病が少陽に在り、これ少陽病に裏の虚寒証を兼ぬ」とあるように。
③『集成』では「陽脈以下の八字は叔和の攙(つくろう)する所、何ぞ脈を陰陽に分けん。仲景氏の拘わる所にあらず」と言って無視している。
私は②と③の解釈に賛成できない。それは一貫した解釈をしたいからである。
濇の字は、宋板では澀(=澁)となっている。いずれにしても、しぶる、とどこおる意である。したがって陽脈濇とは症状は陽病であるのに、血行が悪いためにしぶるという陰病の脈を呈している、ということになる。傷寒論では脈証を重視するから、このように症状と脈証が相反する場合には特に注意しなければならない。宋板の弁脈法には「陽病に陰脈を見す者は死す」とあるように予後の悪い徴候なのである。
弦はつよい、はげしい意である。
『講義では弓の弦を按ずるが如き感ある脈という。したがって陰脈弦とは、症状は陰病であるのに、陽病の脈状を呈していることである。弁脈法には「陰病に陽脈を見す者は生く」とあるように、この場合には一般に予後は良い。
次に法は規則、おきて、手本という意味であるから漢方病理学では、と解釈してよいであろう。私はこの法に該当文があるいは素問か霊枢の中に記録されているかもしれないと思って探してみたが、まだ見出していない。『入門』一四九頁では法は類推の意と解釈して「これによって類推するときは、腹中に急迫した疼痛が起っている」としているが、これは症状を何も聞かないで、脈診だけによって診断を下すことになり、傷寒論の著者の方法とは一致しなくなる。法という字には類推という意味はないから、『入門』では当に……すべし、から類推という解釈を思いついたのであろう。
『解説』二六七頁では法当は、当然来るはずであるが、まだ来ていないの意として、「当然に腹痛を訴えるはずであるが、まだ腹痛の現われない時でも、その脈状によって、小建中湯(建中湯のこと)を与えるがよい」と解釈している。この解釈も脈診だけで診断を下すことになり、よい解釈とは言えない。
諸橋大漢和辞典では当を「まさに云々すべし」と読む時は、①断定の意を表わす辞、②推測の意を表わす辞、の意味があるとしている。傷寒論では具体的な症状に対応する処方をあてがうのを基本としているから、ここでは①の断定の意味にとらなければならない。
腹中急痛は『講義』では腹中の攣急疼痛の謂いなりという。『入門』はもっとわかりやすく、痙攣性の激痛のこととしている。問題は第二六条の第二段の中にある腹中痛との関係である。『入門』一五○頁のように「少陽病の脈は本来弦であるが、腹痛するときは濇となる」と解釈すれば、第二六条と同じことになってしまい、陽脈濇に示された予後の危険性が軽視されてしまう。
即ち腹中痛という症状は軽く考えてはいけない場合のあることをここで示したものと見なければならない。宋板に「腹痛し、時に痛むものは太陰に属す」という条文があるように、症状が陽病(少陽病)であっても、脈状が陰に属するときは大事をとって太陰病と見做し、反対に症状が陰病(太陰病)であって、脈状が陽に属するときは、脈証を重視する基本的立場があるにも拘らず、大事をとって太陰病として治療を行なう、という意味が先ず建中湯を与う、という表現で示されている。『入門』に「単に腹痛のみ著明に現われて、他の証候が著明でない場合、腹痛の病位を鑑定するには脈候によらねばならないが、これは甚だ困難であるから、先ず腹痛本来の病位、即ち太陰と仮定し、試験的に小建中湯を与え」と解釈しているのは良くない。他の症候が著明でないというが、具体的には省略されているが、一方は陽病であり、他方は陰病であると明確に表現してあることに留意しなければならない。
愈えざる者は小柴胡湯これを主るは、建中湯を服用しても腹中急痛が治らない場合は小柴胡湯を与うべきであることを示している。『講義』一一七項に「諸家の間には、此の章、初めに先ず小建中湯を与え、而る後、差えざる者には、小柴胡湯を与うるの方法を述べたる者なりと為す説多し。然れども今従わず」とある。ちょっと読むと何を言おうとしているのかよくわからないが、これは差えざる者というのは腹痛を指すのではなく、傷寒を治すという解釈があり、その解釈をとらないと言っているのである。
これは『集成』に「希哲が云う、不差の二字は傷寒の不差を言う。腹痛の不差を言うにあらず」とあるのを指しているし、『解説』でも「小建中湯で裏虚を補っても、なお傷寒の邪が解せざる者は、少陽病の小柴胡湯の主治である」と同じように解釈している。この解釈の弱点は、小柴胡湯の主治である証拠が何も示されていないことである。このような解釈は成立たないことは明らかである。『集成』にも「妄なりと謂うべし」とある。宋板の少陰病篇に「少陰病二三日、咽痛する者、甘草湯を与うべし。差えざる者は、桔梗湯を与う」という条文があり、この不差者を『講義』三六三頁に「甘草湯証に非ざる者との謂なり。是れ即ち更に咽喉に熱を挟み、其の腫脹し、或いは化膿せんとして痛を発するに至れる者なり」と解説しているのだから、咽痛のいえざるものを指していることは明らかである。不差者はこの解釈でないとおかしいのである。
桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、膠飴一升。
右六味、以水七升煮、取三升、去滓、内飴、更上微火消尽、温服一升。
[訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬六両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、膠飴一升。 右六味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、飴を内れ、更に微火に上せて消し尽し、一升を温服する。
小柴胡湯の処方内容は第二六条に示してあるから、ここでは建中湯(宋板、康平本では小建中湯)の処方内容だけを示している。
康治本の薬物の順序は桂枝湯の順序と同じであり、ただ芍薬が倍量になっていて、最後に膠飴が記されている。それで一見して桂枝加芍薬膠飴湯という構成であることがわかる。ところが、宋板、康平本では桂枝、甘草、大棗、芍薬、生姜、膠飴の順になっている。これは何の意味もない配列である。
康平本には温服一升の下に日三服の三字がある。これが正しい。
桂枝加芍薬湯は太陰病の処方で、腹満、時に痛むものに用いるが、ここでは腹中急痛であるから、緩和強壮剤としての膠飴をさらに加えてある。
『傷寒論再発掘』
28 傷寒、陽脈濇、陰脈弦、法当腹中急痛、先与建中湯、不愈者、小柴胡湯主之。
(しょうかん ようにてみゃくしょく いんにてみゃくげんなるは、ほうとしてまさにふくちゅうきゅうつうすべし、まずけんちゅうとうをあたえ、いえざるもの、しょうさいことうこれをつかさどる。)
(傷寒で、陽病であるのに脈が濇となり、陰病であるのに脈が弦であるというように脈と証とが不一致であるようなものは、一般には、腹中が急痛するものである。このような時はまず建中湯を与え、愈ざるようなものは小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文も小柴胡湯の適応する一種独特な病態を挙げて論じ、あわせて建中湯の基本的な適応病態に触れた条文です。
「原始傷寒論」以前の日常臨床の経験では、腹中急痛があった場合、まず、建中湯を与えて、その腹の中の急痛を改善させようとしたのであり、それで治らない急痛は小柴胡湯を与えて改善させようとしたのであると思われます。建中湯で改善された場合もあり、それでなおらず、小柴胡湯でなおった場合もあったのでしょう。そこでこのような経験が、伝来の条文(C-14=D-6:腹中急痛先与桂枝芍薬甘草生姜大棗芍薬膠飴湯不愈者 柴胡黄芩半夏生姜人参甘草大棗湯主之 第15章参照)として書き残されていたのでしょうが、「原始傷寒論」を著作した人が、このような理屈もつけて、威儀を正した条文にしただけの事なのです。脈の状態と身体全体の病状とが相応していない時は、少し気をつけなければいけないと、注意を喚気しておきたい気持もあったのでしょう。
脉濇というのは、「しぶる」というような意味で、血行が悪い脈であり、陰病にふさわしい脈なのでしょう。脈弦というのは弓の弦を按ずるような脈であり、つよい脈ですから、陽病にふさわしい脈なのでしょう。そこで上述のような理屈が成り立つことになります。実際的には、あまりこのような脈と証の理屈にこだわる必要はありません。
28' 桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙 生姜三両切、大棗十二枚擘、膠飴一升。
右六味 以水七升煮 取三升 去滓 内飴 更上微火消尽 温服一升。
(けいしさんりょうかわをさる しゃくやくろくりょう かんぞうにりょうあぶる しょうきょうさんりょうきる たいそうじゅうにまいつんざく こういいっしょう。みぎろくみ みずななしょうをもってにて さんじょうをとり かすをさり あめをいれ さらにびかにのぼせてとかしつくし、いっしょうをおんぷくする)
この湯の形成過程は既に第13章13項で論じましたように桂枝加芍薬湯に膠飴が追加されて出来たものです。桂枝加芍薬湯は桂枝湯に芍薬が追加されたものです。「原始傷寒論」ではこれらの事がきちんと生薬配列の中に表現されています。
ところが、「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この小建中湯の生薬配列は、桂枝・甘草・大棗・芍薬・生姜・膠飴となってしまっており、全く意味のない配列になってしまっております。誠に誠に、驚き且つ且つ呆れるほどの乱雑ぶりです。しかも、こういうものが傷寒論研究の教科書とされてきていたのです。そしてなおも依然として教科書視されていく傾向があるようです。こんな愚かな傾向は少しでも早く無くなるようにと祈りつつ、「傷寒論再発掘」の研究もしているわけです。
『康治本傷寒論解説』
第28条
【原文】 「傷寒,陽脉濇陰脉弦,法当腹中急痛,先与建中湯,不愈者,小柴胡湯主之.」
【和訓】 傷寒,陽脉濇(ショク)陰脉弦,法として腹中急痛すべし,先ず建中湯を与え,愈えざる者は,小柴胡湯之を主る.
【訳 文】 発病して,脉が緩で手足は温で,腸が冷えて下痢し,腹が硬くなって腹痛するときは,(小)建中湯を与える.また発病して,脉が弦(緩)で,往来寒熱し,小便自利して,腹中急痛する場合には,小柴胡湯でこれを治す.
【句解】
腹中急痛(フクチュウキュウツウ):これには2つの意味があります.
腹中急……腹が硬くなっている状態
腹中急痛
腹痛
【解説】 この条は,前条の腹中痛を受けて,寒証・熱証の場合における腹中痛を明確化しています。すなわち小建中湯の場合における腹痛は臍のまわりに感じられる痛みが特徴で,一方小柴胡湯の場合は胸脇苦満の変型が腹部に移行した形で,主に側腹部痛として感じられます.
【処方】 桂枝三両去皮,芍薬六両,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘,膠飴一升,右六味水七升をもって,煮て三升を取り滓を去って飴を入れて更に微火にのぼせて消滅させてしまって一升を温服する.
(小)ケンチュウトウ
証構成
範疇 腸寒緩病(太陰中風)
①寒熱脉証 沈嗇
②寒熱証 腸寒手足温
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 下利
⑤特異症候
イ腹中急痛(甘草・芍薬)
ロ胸満
ショウサイコトウ
範疇 胸熱緩病(少陽中風)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 自便自利
⑤特異症候
イ腹中急痛(柴胡)
康治本傷寒論の条文(全文)