『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発汗、汗出後、其人仍発熱、心下悸、頭眩、身瞤動、振々欲擗地、脈沈緊者、真武湯、主之。
[訳] 太陽病、汗を発し、汗出でて後、其の人仍お発熱し、心下悸し、頭眩し、身瞤動し、振々として地に擗れんと欲し、脈の沈緊なる者は、真武湯、これを主る。
宋板も康平本も、汗出後のところが、汗出不解(汗出るも解せず)になっている。しかしその次の句に其人仍とあるのだから、康治本の表現が一番良い。
其人とあるから、第七条で説明したように、今までとはすっかりちがって、という意味になる。仍発熱は依然として太陽病の時と同じように発熱している、という意味であるが、「講義」一○三頁では「此の発熱は太陽の発熱に非ずして、所謂真寒仮熱の虚熱なり」と説明している。しかしここまでの文でこれを虚熱とす理由は何も記されていない。
この発熱は悪寒を伴っていないから陽明病の熱かもしれないし、第九条(桂枝去桂枝加白朮茯苓湯)のように、胃内停水によるものかもしれない。
心下悸は胃部の動悸。頭眩はめまい。瞤は目のふちがピクピクと動くこと、で身瞤動は胴体の各部の筋肉がピクピク動くことである。振々は『講義』と『入門』一三一頁では、「身瞤動の形容なり」としているし、『解説』二六○頁では「ゆらゆらと揺れて」と解釈している。後者の方が良いと思う。
擗地の二字は『集成』では「諸家粉紜、いまだ帰一の説にあらず」という。方有執は心を拊つこと、即ちどうしようもなくて胸をたたくように地面をたたくことだという。喩昌はひらくこと、即ち地面にある物をのけて身体をそこにかくすことだという。たしかに大漢和辞典にもそういう意味が述べられているが、『集成』では擗は躃(たおれる)の意味にとるべきであると文献を引用して論証している。これが正しいと思うし、『講義』も『解説』もそうなっている。
以上の諸症はすべて胃内停水によって起こるのであるが、発熱という陽の症状も存在するので、最終的には脈診によって陰陽を決める以外にない。そこで最後に脈沈緊とあるのである。ところが宋板にも康平本にもこれがない。沈は陰病であること、緊は水毒の甚だしいことを示しているから、この三字は極めて重要な意味を持っているのである。
水毒を除くためき白朮、茯苓を用い、陰病であるから附子(炮)を用い、その他に芍薬、生姜を加えた真武湯で治療せしめるのである。この場合悪寒はないのだから、少陰温病であることになる。ここで処方内容を明記しないのは、これが少陰病の中心的処方であるために少陰病篇にゆだねたのである。
『解説』では真武湯といわず、玄武湯と称している。康平本が玄武湯となっており、『集成』では次のように議論されているからである。
「方名は本は玄武湯と曰う。宋板は改めて真武を作りて、宣祖(宋の太祖=趙匡胤の父)の諱(実名)を避く(死後は諡を称して、生前の名を呼ぶことをいむ)。説は王世貞(明代の人)の四部稿の宛委余編に見えたり。是れ当時に在りては、固よりまさにこれを避くべし。元金以降も蹈襲して復せざるは何ぞや。蓋し沿習(習慣)日に久しく、耳目の慣れる所、(辶+虖)(遽のことであろう、にわか)に改復し難きなり。なお荘助、荘光は明帝(東漢)の諱を避けて改めて厳助、厳光と為すがごとし。後世も従って改めざるのみ」と。
これを根拠として、宋儒の校正を経ていない康平本が玄武湯となっているのは、王世貞や山田正珍の説の正しかったことを示している、そして康治本が真武湯となっていることは、それが偽書であることの一つの動かせない証拠であると一般に思われている。
ところが宋代に版本になった千金方では玄武湯、外台秘要では真武湯となっていて、両書とも薬物の玄参はいつも玄参となっている。これは宋代以前に、真武湯と玄武湯が両方とも使われていたことを示している。そして宣祖の諱を避けて真武湯と称したという話は根拠のないものであることを示している。
『傷寒論再発掘』
25 太陽病、発汗 汗出後 其人仍発熱 心下悸 頭眩 身瞤動 振々欲擗地 脈沈緊者 真武湯主之。
(たいようびょう、はっかん、あせいでてのち、そのひとなおほつねつし、しんかきし、ずげんし、みじゅんどうし、しんしんとしてちにたおれんとほっし、みゃくちんきんのものは、しんぶとうこれをつかさどる。)
(太陽病で発汗し、汗が出たあと、状態がすっかり変わってきているが、なお発熱がつづき、心下が動悸し、頭眩して、身体がゆらゆらと揺れて、地にたおれそうになり、脈が沈緊であるようなものは、真武湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は、太陽病で発汗し、汗が出て初めの異和状態は改善したのに、目まいなどが生じて倒れそうになるような異和状態の対応策についての条文です。
発昔したあと、頭痛やその他の太陽病の症状はなくなっても、血管内水分の減少がおきれば、目まいなども起き易くなるでしょうし、脈も「沈」になるでしょう。「緊」になるのは血液の粘度若干高くなることと関係あるかも知れません。
これを改善するのに、白朮(第16章18項)や茯苓(第16章14項)や芍薬(第16章16項)や生姜(第16章8項)や附子(第16章17項)などの、体内や血管内に水分をとどめる作用をもった生薬の複合物(真武湯)を使用するのは誠に理に適っていると思われます。
この条文のあとには、その調整法などが出ていませんが、これは第59条の個所で論じられるものだからです。
この湯名については、玄武湯の方が正しいという誤った信仰がまだ一般的であるように感じますが、真武湯でよいのであるということは既に詳細に論じてあります(第13章14項)ので、ここでは再論いたしません。
第18条からこの第25条まで、発汗や瀉下後の様々な異和状態の改善策を述べてきましたので、ここでそれをしばらく打ち切り、汗下の処置を経ない場合での、別種の異和状態の改善策の条文が、これ以後に幾つか出てきます。
『康治本傷寒論解説』
第25条
【原文】 「太陽病,発汗汗出不解,其人仍発熱,心下悸,頭眩,身瞤動振々欲擗地,脈沈緊者,真武湯主之.」
【和訓】 太陽病,発汗して汗出でて後,その人なお発熱し,心下悸して頭眩し、身瞤動し振々として地に倒れんと欲し,脉沈緊なる者は,真武湯之を主る.
【訳 文】 太陽病に発汗剤を与え発汗し,汗が出て後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈細微 ②寒熱証 手足逆冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 汗出) となっ て,心下部に動悸があり,頭眩し,ふらふらとして,地に倒れんとするような症状のある場合には,真武湯でこれを治す.
【解説】 この条は,太陽病位に病があった時にこれを発汗したが,法のとおりにしなかったため,汗が出ても病が治らず少陰病に転移したものであります。したがって,この証は已に太陽証でないにもかかわらず発熱といっているのは,寒証特有の仮性発熱(真寒仮熱)であります。また本方は,少陰編においても論じられていますが,今ここに出てきているのは前出の苓桂朮甘湯との鑑別のためです.苓桂朮甘湯は“起則頭眩”といい真武湯は常に存在する“頭眩”をいいます.
証構成
範疇 肌寒緩病(少陰中風)
①寒熱脉証 沈細微
②寒熱証 手足厥冷
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 汗出
⑤特異症候
イ心下悸(白朮)
ロ頭眩(茯苓)
ロ反覆顛倒(梔子)
ハ心中懊憹(香豉)
康治本傷寒論の条文(全文)