2009年8月9日日曜日
康治本傷寒論 第三条 太陽病,或己発熱,或未発熱,必悪寒,体痛,嘔逆,脈陰陽倶緊者,名曰傷寒。
『康治本傷寒論の研究』
太陽病、或己発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒。
[訳] 太陽病、或いは已に発熱し、或いは未だ発熱せず、必ず悪寒し、体痛み、嘔逆し、脈陰陽倶に緊なる者、名づけて傷寒と曰う。
この条文には或……或…という未定の接続詞、已、未、必、倶という副詞が使われていて複雑な構成になっているが、それらを除いて太陽病…発熱…悪寒…脈緊…傷寒というように拾ってゆくと第二条と互文をなしていることがわかる。
互文とは漢和辞典によると「①二つの文または句で、一方に説くことが他方にも通じ、相補って意を完くする書き方。また②二つの事項が二つのものに関係する時に、一つづつ一方に記す書き方」、と説明してある。即ち第二条と第三条の関係は①に相当している。
第三条の最後にこのような病気を傷寒と名付けると書いてある。病気の原因になる六淫(風、寒、暑、湿、燥、火)の一つである寒(寒邪)に傷られると読んでいるが、傷という字は漢字語源辞典(藤堂明保著)三五三頁には「ドンと打ち当って破損する」ことであるという。つまり寒邪という、風邪よりも悪質な邪気が全身にぶちあたってくることであるから、傷寒とは重症、悪性の熱性病であり、ここでは腸チフスを指している。
われわれは傷を「きず」の意味にとり外傷、負傷などと使っているが、江戸時代にはそれは金創という字を使いはっきりと区別していた。外科医のことを金創医と呼んだ。これが正しい使い方なのである。
まず、或いは已に発熱し、或いは未だ発熱せずについては色々な解釈がある。
①『解説』(140頁)では「悪寒は発熱に先行するから、熱がまだ出ない場合でも悪寒があり、熱が出ている場合でも悪寒がある。第二条に太陽病、発熱云々とあって、中風の熱が浅くて、発熱しやすいのに反し、傷寒の熱が深くかくれていて容易に発熱しにくいことを暗示している」、と解釈しているが、第一に悪寒が先行することは第一条ですでに論じてあるのだから、ここで再び繰返す必要はない。第二に『解説』(141頁)では「中風を単純な感冒とすれば、傷寒は悪性の流感や腸チブスのようなものである」、としているから、流感を例にして考えてみるに、「傷寒(流感)の熱は深くかくれて容易に発熱しにくい」、ということは納得できない。
②『講義』(11頁)では「熱のすでに発現する者あり、未だ発現せざる者あり」、とあるだけで、何の問題意識もないようである。①と同じように未発熱を今はまだ発熱していないがあとで発熱すると解釈しているのは単純すぎるだけでなく間違った解釈である。已発熱とは第一条の状態(発病)からある時間を経過して今は発熱していることを示している。そうすれば未発熱は一定の時間を経過しても、今なお発熱していない、というのだからこの人はすでに陰病になっていると見做すべきであり、あとで発熱することはもう起らない、と考えなければならない。
③『文章』では「この発熱は位を異にする訳で、其位とは脈の次に陰陽とあるから陰位と陽位とを指していることが明瞭である。而して悪寒の上には必ずという懸断の辞を冠しているから、陰証の場合にも、陽証の場合にも必ず悪寒はあるものだと決定している」、と論じている。この解釈で良いのだが、第一条から一定の時間を経過しているという観点がないのが惜しい。
次に必という副詞は、間違いなくという意味で、「悪寒、体痛、嘔逆」の全部にかかっている。体痛とは『解説』(140頁)に「インフルエンザ、急性肺炎、チブスなどでは発病の比較的初期に肩とか、腰とか、四肢などが痛む」ことであるとしている。嘔逆は「腹の方からムカムカとして吐きそうにつきあげてくる状態」としている。『傷寒論文字攷』(伊藤鳳山、一八五一年)では「嘔逆は成本では嘔[口逆]となっているという。[口逆]は[口+逆-しんにょう]と同じてあり、嘔のことであるから同義連用句である、上逆の逆と混同してはいけない」、と論じている。面白い意見である。
したがって必ず以下は、陽病の場合でも陰病の場合でも間違いなく悪寒、体痛、嘔逆という悪い激しい症状が出るのが傷寒である、という意味になる。
最後の脈陰陽倶緊の解釈も色々ある。
①『集成』では「陰陽倶の三字は王叔和の攙入する所なり、よろしく刪るべし」、と簡単に処置している。うまく解釈できなかったからであろう。
②『解説』(140頁)では「脈を診るときに指を軽くあてて陽をうかがい、指を深く沈めて陰をうかがう。そこで傷寒では、指を軽くあてた場合も、深く沈めた場合も、ともに緊の脈を呈する。陰陽ともに緊とは傷寒では表の邪が裏(内臓)にまで変化の及んでいることを示している」、と論じていて、脈陰陽を「脈の陰陽」と解釈している。『傷寒論文字攷』では陽脈は人迎跌陽の脈、陰脈は寸口の脈のことだとしている。これに対して『文章』では「脈の陽陰をいうもの全篇八条あり、中三条は仲景の正文でないことが明確のもの、他の五条が問題になるが、その何れの場合に於ても候う処位の相違と解釈される理由がないのである」、と論じている。これでよいのだと思う。
③『講義』(11頁)では「此の陰陽は陰証陽証の義。故に陽証にありては脈浮緊に、陰証ありては脈沈緊との謂なり」、ときわめて明確に論じている。私はこの解釈がよいと思うが、『講義』では病気が陽病と陰病に分裂するという観点が少しもないようである。
④その点では『文章』が最も良い。「第三条は太陽傷寒の凡例を示すと同時に、傷寒一般の凡例を示し、傷寒一般は病邪が中風に比して深激酷烈であるから、陰陽の二途にわたって進展し、先づ悪寒発熱し、すでに発熱するに至って体痛、嘔逆して脈浮緊のものは病邪が陽位にある場合の傷寒、悪寒のみで未だ発熱に至らないのに体痛、嘔逆等が現われ、脈が沈んで緊張せるものは病邪が陰位にある場合の傷寒である、という意味を説明しているのである」。これで大体良いのであるが、私に言わせれば二箇所なおしたい所がある。第三条は太陽傷寒と傷寒一般を論じているとあるが、太陽傷寒と少陰傷寒を論じている、即ち傷寒が陽病と陰病に分裂することを論じていると表現したら一層わかりやすくなる。また傷寒は陰陽の二途にわたって進展すると言うときの陰は陰病のことでなく身体の内部、陽は陽病のことでなく身体の表面をさしている。これが陽位、陰位と表現した理由である。
ところが嘔逆しても病邪が陽位にあるというのはおかしいのであって、これが陰陽二途にわたるという表現の意味でなければならない。そうではなく陰陽を傷寒論で使用されているように陰病、陽病の意味にとるならば、このような矛盾は生じないのだが、今度は陰陽二途にわたるという表現が不適当になる。それ故条件によって陰陽のどちらも進展するものであると言うべきである。そうすると第三条を次のような構成で示すことができる。
已発熱 脈緊……陽病
悪寒体痛嘔逆
未発熱 脈緊……陰病
②の解釈と③の解釈は陰陽を脈とするか証とするかの違いだけでなく、倶という副詞も問題になる。「ともに」という漢字は倶と共がある。倶発という言葉があり、広辞苑では「一時に発生すること、一時に発覚すること」と説明してある。これはいくつかの事柄が一緒になって発現することではなく、それぞれが別々にではあるが同時に発現することを意味している。このように倶には別々のものという意味がある。これに対して共犯とは「数人が共同して犯罪行為をなすこと」、共同は「二人以上の者が力を合わせて事を行うこと」、共生、共棲は「ともに所を同じくして生活すること」でわかるように、共には一緒になってという意味があるのである。倶には一緒になるという意味がない。南朝宋代の「世説新語」の「王子猷子敬倶病篤。而子敬先亡。子猷問左右。何以都不聞消息。此已喪矣」を吉川幸次郎氏は「王子猷と子敬とが何れも危篤であったが、子敬が先ず亡せた。子猷が近侍に問うには、まるで便りを聞かぬのは何としたことであろ乗。こりゃもう死んだわい」と訳している。この倶の使い方である。陽病の場合も陰病の場合もそれぞれ脈が緊であるというのだから倶を用いるのである。表の邪が裏にまで及んで全部の脈が緊になっているというときは倶でなく共を用いなければならない。
第三条では汗について言及していない。それば何故であ犯うか。『講義』(11頁)では「此の証、固より汗無き者なり。然るに前章(第二条)に於ては汗出でと言い、而して此の章(第三条)に汗無きを言わざるは、此れ前章の汗出づに因りて、其の汗無きを省略し、兼ねて又脈緊を以て汗無しを言外に含めるなり」、と論じている。『解説』、『入門』、『弁正』でも同じ論法を使っている。しかし第二条と第三条が互文の関係にあるならば、第三条に無汗がないのはおかしい。暗示しておく程度の問題ではないのである。
私は第三条は無汗の場合と、汗出の場合の両方を論じていて、汗のことを一義的に表現することができないから省略したと見ている。即ち発熱悪寒し脈浮緊の場合は無汗であり(太陽病)、発熱せず悪寒し肌沈緊の場合は汗出である(少陰病)。
ところで第二条で感冒、第三条で腸チフスの病名をあげているのは軽症と重症の一例としているのであるが、四百四病のうち、この二病が代表となりうる資格は一体何なのであろうか。これについて考察した文章に私はまだ回り会っていない。私は難経の五十八難を読んでいたときに、問題に気づいた。「傷寒に五あり。中風あり、傷寒あり、湿温あり、熱病あり、温病あり」、という部分である。熱性病に五種類あるということは沢山あるということである。その中でも傷寒と中風がはじめに現われているのは偶然であるとは思われない。傷寒論の体系が素問の体係と関係をもっていることを感じないわけにゆかない。私は傷寒と中風が(+-)の型の病気の代表であり、温病と熱病が(++)、湿温が(--)の型の代表としてここに並べられたと理解している。そうすると傷寒論は(+-)を中心にして、病気の進展あるいは誤治による変化の経過中に(++)と(--)に言及しているので、病気のすべての型を含んでいることになり、これが後に万病の治療法を述べたと表現する論理的根拠になっていると私は考える。
重症と軽症についてはじめに論じているのは、医者の立場として、まず病気の軽重を知り、心構えをきめなければならないからである。そして重症の場合には陰病にすぐ進むこともあることを第三条で示したのである。中風は軽症であるから、その心配は比較的少ないので第二条では陰陽に分裂することを示していない。しかしこれをもって中風は分裂しないと考えることは間違っている。『文章』で「中風なるものは其性質良性軽症で、病が陰陽二途にわたって進展するものでなく、如何なる重篤なるものと雖も、太陽から少陽、少陽から陽明に至って其病が極まるもので、誤治するにあらざる限り、陰位にわたらないのである」、と論じていることは第四条を正しく解釈できないことと関係がある。中風といえども、体力の強弱によって陰病になりうると考えた方がよいのである。
『講義』(12頁)は「以上の三章は一節なり。首章に於ては、先づ太陽病の地位及び要領を論じ、第二章、第三章に於ては、中風、傷寒の区別を明らかにし、而して各々其の大綱と為すなり」、と論じ、『文章』もまた以上の三条について議論を展開しているように、古来、中国でも日本でもこの三条が太陽病の基本を論じた部分であるとされている。しかし私は第四条までがその基本を論じた部分であると考えている。
『傷寒論再発掘』
3 太陽病、或己発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒。
(たいびょうびょう、あるいはすでにほつねつし、あるいはいまだほつねつせず、かならずおかんし、たいいたみ、おうぎゃくし、みゃくいんようともにきんなるもの、なづけてしょうかんという。)
(太陽病で、すでに発熱しているものでも、まだ発熱していないものでも、とにかく、悪寒して、身体が痛んで、嘔逆して、脈が、陰病に進もうとも或いは陽病のままであろうとも、どちらでも、緊であるものを、名づけて、傷寒と言う。)
この条文は、太陽病の中の「傷寒」と言われる病態の定義となっている条文です。「脈緊」というのは、すでにこの前の条文に出た「脈緩」と正反対で、脈の緊張が強いかんじのものです。
前の条文の「中風」の時の症状に比べて、悪寒や身体痛や嘔逆まであったりして、いかにも重症な感じがします。現代でいう「病気」そのものが悪性であるのか、或いは病気は同じものでも、患者の体質(反応性)の違いで症状に違いが出てくるのか、どちらとも言えないことですが、とにかく症状として重症に見えるものは「傷寒」として対応し、軽症に見えるものは「中風」として対応していたことと推定されます。
「中風」と「傷寒」が一応、第2条と第3条とで定義されたわけですが、幾何学の定義の如く厳重なものとは思わない方がよいでしょう。古代では、どんな病気であろうとも、個体全体にあらわれた症状や症状群の上から、病気の性質についても推定していただけですから、あまり厳重に定義してみても、それほど意義があったとは思えません。
これから出てくる条文の中で、「傷寒」と「中風」が対立的に使用されている場合は、重症なものと軽症なものとの区別があるようですが、「傷寒」のみが使用されている時は、もっと軽い意味であると思われますので、「病気になって」というように、軽く訳していくことに致します。
『康治本傷寒論解説』
第3条
【原文】 「太陽病,或己発熱,或未発熱,必悪寒,体痛嘔逆,脈陰陽倶緊者名曰傷寒。」
【和訓】 太陽病,或いはすでに発熱、或いは未だ発熱せず、必ず悪寒、体痛嘔逆し、脉陰陽倶に緊なるものを名付けて傷寒という.
注:訳文をイロに分かち,イには「無汗」を挿入,「陰陽倶」の三字を除き、ロでは「緊証」を挿入します.
康治本傷寒論の条文(全文)
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康治本、傷寒論、傷寒