『康治本傷寒論の研究』
発汗若下之後、①虚煩不得眠、②若実劇者、必反覆顛倒、心中懊憹、梔子豉湯、主之。③若少気者、梔子甘草豉湯、主之。④若嘔者、梔子生姜豉湯、主之。
[訳]汗を発し、若しくはこれを下して後、①虚煩して眠ることを得ず、②若し実し劇しき者は、必ず反復顛倒し、心中懊悩す、梔子豉湯、これを主る。③若し少気する者は、梔子甘草豉湯、これを主る。④若し嘔する者は、梔子生姜豉湯、これを主る。
宋板では冒頭の句は発汗吐下後となっている。そこで『講義』九六頁では「此の発汗吐下は尽くこれを経たる者なり。故に若しくはとは言わず。尽くこれを経たるを以って精気にわかに虚し云々」と解釈し、『解説』二四九頁でも全く同じ解釈をとっている。
ところが第二二条の茯苓四逆湯で発汗若下之後に対しては、『解説』二三八頁では「一人の患者に発汗と瀉下とを相次いで加えてこの証となるものがあり、発汗のみ、もしくは瀉下のみの後に、この証となるものもある」と解説してある。とすれば冒頭の句を正確に解釈することは何の意味もないことになってしまう。また発汗若下之後と言いながら第一八条(乾姜附子湯)と第二二条(茯苓四逆湯)は陰病になり、第二一条(苓桂朮甘湯)と第二三条(調胃承気湯)は陽病になっていることを考慮に入れると、「尽くこれを経たるを以って精気にわかに虚し」と解釈することも正しくないことがわかる。次の虚煩という実際の症状の解釈に直接とりくまなければならないのである。
『講義』では「虚煩は実煩の反対。即ちこれを按じて心下軟なる者なり。心下軟なりと雖も、虚寒に非ずして尚お熱煩なり」と説明している。ここには二つの問題がある。まず第一に、実煩を虚煩の反対としていること。反対であるということは『解説』に「実煩では腹部が充実している」とあるような解釈になってしまう。私は第二段の若実劇者が実煩であると考えているから、この場合の心下(胃部)も軟かであると思う。宋板も康平本もここは若劇者となっているいて実の字がないので、『弁正』で「若し夫れ胸中実し、心下鞕きは是れ瓜蔕散と為すなり。濡(軟)は以って鞕に対し、虚は以って実に対す。以って虚煩の義を明らかにするに足りん」というような説明になってしまう。しかしここでは心下(胃部)の症状にふれていないのだから胸部の熱状についてもっと考察しなければならないのである。
『解説』では熱状について何も論じていないが、『弁正』では「余熱胸中に在りて去らず」といい、『集成』では「余熱内伏の候」と表現している。『入門』一二六頁では「虚煩とは器質的変化なくして煩する場合をいう。煩は一種の緊張状態で、或は熱のあるが如く、或は心悸するが如く、或は呼吸の促迫するが如く感ずる不快情緒の一類型である」という奇妙な説明をしている。
わが国では江戸時代以来、温病なるものを無視してきたために、この虚煩や実煩がわからないのである。この条文は悪寒について触れていなくて、熱状にだけ触れているからまさしく温病なのである。わが国でこの問題に正面から取組んだのは脇坂憲治氏だけであろう。氏の『陰陽易の傷寒論』(第一冊、八九頁、一九五九年)に「此の虚煩、虚熱というのは三陰三陽に関連はしているが、通例傷寒でいうと虚とか実とかとは大変違った意味を持っているのである。謂わば六病(三陰三陽)が一次傷寒ならば、此の一次傷寒の次に来るべき虚の熱とか、または煩の次に来るべき虚である」からこれを二次傷寒とでも表現しなければならず、「此の区別をはっきりしておかないと梔子豉湯類の用薬法が皆目分らなくなってしまうのである」、と書いてある。そしてこれを説明するために、心―心下―胃に中心勢力をもって活動する「内経」という独特の概念、変性軌道や小傷寒、二次傷寒という独特の概念を用いているので、この書物は甚だわかりにくいものになっているが、これらはすべて温病を指しているということがわかると、脇坂氏が主張したかったことを理解することができるようになる。
そうすると『温病条弁』で「太陰病(太陽病のこと)、これを得て二三日、舌は微黄、寸脈は盛ん、心煩懊悩し、起臥安からず、嘔せんと欲するも嘔を得ず、中焦(胃)の証なきは、梔子豉湯これを主る」と表現していることがよくわかるのである。
脇坂氏はこの煩はただ悶えるのこととのみ思ってはいけない、熱によって誘発された場合には痛みを伴うこともあるという。胃部(中焦)に自覚症状のない場合は梔子豉湯証であるが、胃部に自覚症状(例えば腹満、胃痛、胃痙攣等)のある場合は第二三条の調胃承気湯証である。このような虚煩のために眠ることができないときに、胸部(上焦)の熱をとる作用をもつ梔子と香豉を配合した梔子豉湯で治療するというのが第一段である。第二段の後にある梔子豉湯主之は第一段と第二段の両方に係る。そして第一段の虚とは第二三条の虚と同じく精気のない状態という意味である。
第二段は第一段と病位は同じ少陽病位の温病でその激症であるが、同じ処方で治療できることを示している。反覆は繰り返すこと。顛は倒れること。顛倒でさかしまになること、したかって煩躁に近い状態である。懊はなやむこと。憹は心乱れること。即ち実煩とは張志聰が『傷寒論集註』で「懊憹は煩の甚しきなり。反覆顛倒は眠ることを得ずの甚しきなり」と説明しているのが最も良い。また痛みを伴うと解釈することもできる。
第三段の若は「さらに」と訳すと意味がよく通ずる。此の場合は第一段に記された症状のほかに、さらに少気するものという意味になる。若にはもしという仮定の意味の副詞、第二段のようなもしくはという選択を意味する接続詞の場合もあるが、第三段の用法は古義であるという。
少気とは呼吸量が少ないという意味だから、『講義』九八頁に「気息微少にして、将に絶せんとするの状」とある。それで「本方に甘草を加味して其の急迫を緩むるなり」となる。『解説』では「梔子甘草豉湯を肺炎から来る浅表呼吸に用いるのはこの章の応用である」と説明している。
第四段もさらに嘔するものと読む。これは心下(胃部)にまで影響を及ぼしたものであるから生姜を加えなければならない。『解説』では「梔子生姜豉湯を急性肝炎に用いるのもこの章の応用である」と説明している。
梔子十四箇擘、香豉四合綿裹。 右二味、以水四升、先煮梔子、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。
梔子十四箇擘、甘草二両、香豉四合綿裹。 右三味、以水四升、先煮梔子甘草、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。
梔子十四箇擘、生姜五両、香豉四合綿裹。 右三味、以水四升、先煮梔子生姜、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。
[訳] 梔子十四箇擘く、香豉四合綿にて裹む。 右二味、水四升を以って、先ず梔子を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。
梔子十四箇擘く、甘草二両、香豉四合綿にて裹む。 右三味、水四升を以って、先ず梔子、甘草を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。
梔子十四箇擘く、生姜五両、香豉四合綿にて裹む。 右三味、水四升を以って、先ず梔子、生姜を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。
『傷寒論再発掘』
24 発汗若下之後、虚煩不得眠、若実劇者、必反覆顛倒、心中懊憹、梔子豉湯主之。若少気者 梔子甘草豉湯主之。若嘔者 梔子生姜豉湯主之。
(はっかんもしくはこれをくだしてのち、きょはんしてねむるをえず、もし、じつはげしきものは、かならずはんぷくてんとうし、しんちゅうおうのうす、しししとうこれをつかさどる。もししょうきするものは、ししかんぞうしとうこれをつかさどる。もしおうするものは、しししょうきょうしとうこれをつかさどる)
(発汗したあと或は瀉下したあと、虚の状態になって煩し、眠れなくなるようなもの、或は実の状態で症状の劇しいものは、必ず反覆顛倒し、心中懊憹するほどのことになるが、このようなものは、梔子豉湯がこれを改善するのに最適である。もし、さらに少気の症状の加わるようなものは、梔子甘草豉湯がこれを改善するのに最適である。もし、さらに嘔の症状が加わるようなものは、梔子生姜豉湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は、発汗や瀉下後に一種独特な胸苦しい状態(煩躁状態)が生じてきた場合の対応策を述べている条文です。体力がやや低下した場合となお十分にある場合とに分けて論じ、更にその他の症状の追加された場合の対応策に触れています。
反覆顛倒というのは、ころがることを繰り返すことで、もだえてじっとしておれず、あちらこちら寝返りをくりかえしていることです。心中懊憹とは胸の奥がいらいらとして、甚だしく胸苦しい状態を言います。少気とは呼吸量が少ないことで、浅表性呼吸のことを言います。
24' 梔子十四箇擘、香豉四合綿裹。
右二味、以水四升 先煮梔子 得二升半、内豉、煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
梔子十四箇擘、甘草二両 香豉四合綿裹。
右三味、以水四升 先煮梔子甘草 得二升半 内豉、煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
梔子十四箇擘、生姜五両 香豉四合綿裹。
右三味、以水四升 先煮梔子生姜 得二升半 内豉 煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
(ししじゅんよんこつんざく、こうしよんごうわたにてつつむ。みぎにみ みずよんしょうをもって、まずししをにて にしょうはんをえ、しをいれて にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。
ししじゅんよんこつんざく、かんぞうにりょう、こうしよんごうわたにてつつむ。
みぎさんみ、みずよんしょうをもって、まずししかんぞうをにて にしょうはんをえ、しをいれ にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。
ししじゅんよんこつんざく、しょうきょうごりょう、こうしよんごうわたにてつつむ。
みぎさんみ みずよんしょうをもって、まずしし、しょうきょうをにて、にしょうはんをえ、しをいれ にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。)
これらの湯の形成過程については既に第13章9項で考察しておきましたように、梔子甘草湯や梔子生姜湯がまず形成され、それに香豉が追加された湯が出来、やがて、甘草や生姜を省略して、梔子豉湯が出来たと推定されます。生薬配列に基づいて考察する限り、このようになる筈です。
『康治本傷寒論解説』
第24条
【原文】 「発汗,若下之後,虚煩不得眠,若実劇者必反覆顛倒,心中懊憹,梔子豉湯主之.若少気者,梔子甘草豉湯主之.若嘔者,梔子生姜豉湯主之.」
【和訓】 発汗若しくは之を下して後,虚煩して眠ることを得ず,若しくは実の激しき者は必ず反覆顛倒
し,心中懊憹す,梔子豉湯之を主る.若し少気する者は,梔子甘草豉湯之を主る.若し嘔する者は,梔子生姜豉湯之を主る.
【訳文】 太陽病を発汗し,或いは陽明病を下して後,少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 小便不利) となっ て,心煩して眠ることができず,或いは激しいときには,反覆顛倒し,心中懊憹する.このような場合には梔子豉湯でこれを治す.もし少気する場合には,梔子甘草豉湯でこれを治す.もし嘔する場合には,梔子生姜豉湯でこれを治す.
【句解】
反覆顛倒(ハンプクテントウ):展転反則に同じ.
心中懊憹(シンチュウオウノウ):心煩の強い状態をいう.
【解説】 この条は,梔子の心煩について述べ,各々その例を掲げて解説しています.
【処方】 梔子十四箇擘,香豉四合綿裹,右二味以水四升,先煮梔子得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】 梔子十四個擘き,香豉四合綿に包む,右二味水四升をもって,先ず梔子を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.
証構成
範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 小便不利
⑤特異症候
イ心煩(梔子)
ロ反覆顛倒(梔子)
ハ心中懊憹(香豉)
【処方】 梔子十四箇擘,甘草二両,香豉四合綿裹,右三味以水四升,先煮梔子甘草得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】 梔子十四個擘き,甘草二両,香豉四合綿に包む,右三味水四升をもって,先ず梔子甘草を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.
証構成
範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 小便不利
⑤特異症候
イ少気(甘草)
【処方】 梔子十四箇擘,生姜五両,香豉四合綿裹,右三味以水四升,先煮梔子生姜得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】 梔子十四個擘き,生姜五両,香豉四合綿に包む,右三味水四升をもって,先ず梔子甘草を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.
証構成
範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 小便不利
⑤特異症候
イ嘔(生姜)
康治本傷寒論の条文(全文)
(コメント)
梔子甘草豉湯の甘草が炙甘草でないのは何故?
『康治本傷寒論の研究』の①②③④はもとは、四角で囲った数字。文字コードが無いので代用。
『傷寒論再発掘』で、若実劇者の読みが、「もし、じっしはげしきものは、」となっているが、「もし、じつはげしきものは」に改めた。