健康情報: 7月 2018

2018年7月9日月曜日

生薬の配剤から見た漢方処方解説(3)

誌上漢方講座 症状と治療
生薬の配剤から見た漢方処方解説(3)
 村上 光太郎

4.桔梗について
 桔梗を民間薬として使用する場合は、排膿、鎮痛、袪痰、解熱、強壮剤として咽喉痛、扁桃炎、気管支炎、肋膜炎、化膿症等に広く用いられている。しかし漢方では桔梗の薬効が他の生薬と組み合わせて用いることによって変化することを重視している。すなわち、桔梗の作用は患部に膿や分泌物が多いものを治すが、この桔梗を芍薬と共に用いれば患部が赤く腫れ、疼痛のあるものを治すようになる。これを間違えて、桔梗を発赤、腫脹、疼痛のある人に用いたり、桔梗と芍薬を合わせて膿や分泌物の多い人に用いたりすれば、治るどころかかえって悪化する。それでは患部に膿がたまって分泌物が出ている所もあるし、発赤、腫脹、疼痛のある部分もあって、どちらを使ったらよいかわからないような時にはどうしたらよいであろうか。このような時には桔梗に芍薬と薏苡仁を組み合わせて用いるか、桔梗に荊芥、連翹(荊芥あるいは連翹だけでもよい)を組み合わせて用いるようにすればよいのである。
 これを実際の薬方にあててみると更に明療になる。すなわち排膿湯(桔梗、甘草、生姜、大棗)では桔梗に芍薬が組み合わされていないため、患部は緊張がなく、膿や分泌物が多く出ている場合に用いる薬方である。しかし排膿散(桔梗、芍薬、枳実、卵黄)では桔梗は芍薬と組み合わされているため、患部は赤く腫れ、疼痛のある場合に用いるようになっている。ところで、この薬方に組み込まれている枳実のように、気うつを治す生薬(例、厚朴、蘇葉)を加えれば他の生薬の薬効を強くする作用がある。従って本方では桔梗と芍薬の組み合わせによる腫脹、疼痛を治す作用は更に強くなっている。
 葛根湯の加減方は多くあるが、その中で帰郷の入った加減方を見ると、炎症によって患部に熱感のあるものに用いる葛根湯加桔梗石膏という薬方がある。この基本の薬方である葛根湯を忘れ、桔梗と石膏のみを見つめ、桔梗は温であり、石膏は寒であるから逆の作用となり、組み合わせるのはおかしいと考えてはならない。なるほど桔梗と石膏は相反する作用をもったものであっても、桔梗と葛根湯の中に含まれている芍薬とを組み合わせたものと、石膏とは同じ作用となり、相加作用を目的に用いられている薬方であることがわかる。従って同じ加減方は桂枝湯にも適用され、桂枝湯加桔梗石膏として用向責現罪決置、同じ表証に用いる薬方でも、麻黄湯に適用しようと思えば麻黄湯加桔梗石膏ではなく、麻黄湯加芍薬桔梗石膏として考えなければならない。また患部に化膿があり、膿汁も多く、また発赤、腫脹もある人に葛根湯を用いる場合は葛根湯加桔梗薏苡仁として与えなければならないことも理解できよう。桔梗と荊芥(連翹)の組み合わせの例には十味敗毒湯(柴胡、桜皮、桔梗、生姜、川芎、茯苓、独活、防風、甘草、荊芥)がある。本方は発赤、腫脹もあるが化膿もあり、分泌物が出ている人に用感る薬方である。

5.茯苓について
 茯苓も組み合わせによって変化する生薬であるが、茯苓の場合は今まで述べた他の生薬とは異なり、薬効のほとんど全部が変化するというのではなく、薬効の多くの部分が変化しているが、少しは基の薬効も残っているというような不完全な変化である。すなわち、茯苓は単独で使用しても胃内停水を除き、心悸亢進やめまいを治し、利尿作用もあるが、その作用は弱く、他の生薬と組み合わすことにより、必要な薬効を強く現すことが出来る。
 茯苓と白朮を組み合わせると胃の機能を亢め、胃内停水を去るか、茯苓と猪苓、沢瀉を組み合わせれば利尿剤となり、尿利を良くし、茯苓に桂枝、甘草を組み合わせれば心悸亢進、めまい、筋肉の痙攣を鎮める働きとなる。
 これを実際の薬方にあたって見ると、苓姜朮甘湯(茯苓、乾姜、白朮、甘草)では茯苓は白朮と組み合わされているため、胃内停水がある人に用いる薬方である。この薬方に配剤されている乾姜には生姜の作用すなわち胃内停水を除く作用と新陳代謝の賦活作用がある。従って本方には先に述べた茯苓と白朮の組み合わせによって生じる胃内停水を除く作用と、乾姜がもっている胃内停水を除く作用の相加作用があるため、胃内停水を除く作用は強力となっている。また本方には生姜ではなく乾姜が配剤されているという事は、新陳代謝の衰えがあらため胃内停水が多くなり、水毒が胃内にとどまらず、胃から下腹部、腰部一帯にかけて広くかつ沢山ある事を表している。従工て本方を使用するときの目標の一つに、腰を冷水中につけているように感じるほど冷える人に用いるというのがあるのが理解できよう。苓桂朮甘湯(茯苓、桂枝、白朮、甘草)では茯苓と白朮の組み合わせの胃内停水を除く作用と、茯苓と桂枝、甘草の組み合わせの心悸亢進、めまいを治す作用と共に、桂枝のもっているのぼせをおさえる作用があり、更に桂枝と白朮の組合わせの利尿作用があるため、苓桂朮甘湯は瘀水が胃部に停滞し(胃内停水)、その瘀水が気の上衝と共に移動して起こる心悸亢進、めまい、尿利減少などに用いる薬方であることがわかる。茯苓甘草湯(茯苓、桂枝、生姜、甘草)では茯苓と桂枝、甘草の組み合わせの心悸亢進やめまいを鎮める作用と、生姜の胃内停水を治す作用がある。しかし胃内停水を治す作用の強い茯苓と白朮の組み合わせがないという事より、茯苓甘草湯の胃内停水はそんなに強くはないという事がわかる。従って本方証には水毒によって起こる口渇はないか、あっても微弱である(水毒が強くなれば口渇は強くなり、煩渇引飲という症状を呈するようになり、また水を服用すると嘔吐を引きおこすようになる)。茯苓沢瀉湯(茯苓、沢瀉、桂枝、白朮、生姜、甘草)では、茯苓と沢瀉の組み合わせの利尿作用と、茯苓と白朮の組み合わせの胃の機能を亢めて胃内停水を去る作用と、茯苓と桂枝、甘草の心悸亢進やめまいを治す作用がある。また生姜があるため、茯苓と白朮の組み合わせの胃内停水を除く作用は増強され、桂枝と白朮、茯苓の組み合わせの利尿作用があるので、茯苓と沢瀉の利尿作用は増強される。従って本方は胃内停水があり、めまい、心悸亢進、尿利減少、口渇などがある場合に用いる。五苓散(茯苓、白朮、猪苓、桂枝、沢瀉)では茯苓と猪苓、沢瀉の組み合わせの利尿作用と、茯苓と白朮の組み合わせの胃内停水を除く作用と、茯苓と桂枝の心悸亢進やめまいを治す作用があり更に桂枝と白朮の利尿作用があるため、茯苓と猪苓、沢瀉の利尿作用は増強される。従って本方は茯苓沢瀉湯に似ているが、余分に猪苓が配剤されているため利尿作用は五苓散の方が強く、また水毒も強い。
 これら茯苓の組み合わせで生じる一連の薬方は駆水剤として考えられ、それらの薬方の虚実は水毒を治す力が強いか、弱いかによって知ることが出来る。すなわち、茯苓と桂枝、甘草の組み合わせと生姜による茯苓甘草湯が一番虚証の薬方で、生姜の代わりに胃内停水を除く作用の強い茯苓と白朮の組み合わせの苓桂朮甘湯が続き、その水毒を尿として出す茯苓と沢瀉lの組み合わせのある茯苓沢瀉湯が水毒を治す力が強いのでより実証の薬方となり、更に猪苓が入って利尿作用を強力にしたものが五苓散である(表参照)。

6、附子について
 附子は新陳代謝機能を復興ないし亢進させる生薬であるため、実証の人に用いることはできない生薬であり、もし誤って使用すれば死をまねくのに対し、虚寒証の人に用いれば 驚くほどの効果が認められる。従ってその効果を期待して繁用されている生薬であるが、その組み合わせの事を知らずに使用して、虚寒証の人に用いているのにかえって害を生じたり、無効であったりの例が繁々見られる。というのも、附子は単独で用いるものではなく、他の生薬と配剤して附子の作用を選択的に要所要所に効かせる工夫をしなければならないことをわすれ仲いるからにほかならない。
 すなわち附子を表に行く生薬(例、麻黄、葛根、桂枝、防風)と共に用いると、附子の作用は表に誘導されて、表の組織を温め、表の新陳代謝を亢める働きとなっているが、附子を半表半裏ないし裏に行く生薬(例、黄連、黄芩、乾姜、人参、茯苓)と共に用いると、附子の作用は半表半裏から裏に誘導されて内臓諸器管の新陳代謝を亢めるようになる。ところが附子を全身(表、半表半裏、裏)に行く生薬(例、防已、細辛、白朮、芍薬)と共に用いれば附子の作用は全身に誘導される。しかしこの様に全身に誘導される場合、前二者に比べて附子の作用は弱くなって、新陳代謝の賦活という面よりも水毒を治すという作用に変わってしまう。また附子を食道、咽部、胸部に導く生薬(例、半夏、梔子)と共に用いると附子の作用は食道、咽部、胸部に誘導され、食部、咽部、胸部の新陳代謝を亢めるようになる。
 これを実際に桂枝湯の加減方にあてて見ると更によく理解できる。すなわち桂枝湯に附子を加えた桂枝加附子湯では、附子の作用は桂枝によって表に誘導されると共に、芍薬によって全身に誘導される。しかし全身に誘導されると作用は弱くなるため、主に表、即ち筋肉の部位に達し、麻痺、刺激、温補作用を示すようになり(関節の部位にも少し働く)、四肢痙攣、運動障害、麻痺、小便難などを治すようになる。また桂枝湯から芍薬を除いて附子を加えた桂枝附子湯では附子は桂枝によって表に誘導されるだけであるため、表証があり、裏に邪のないもの、関節に痛みなく、ただ筋肉が痛むだけのものに用いる薬方となっている。桂枝に白朮と附子とを加えた桂枝加朮附湯は、附子の作用を表に誘導する桂枝と、全身に誘導する芍薬、白朮がある。全身に誘導するものが、このように多くなれば表のみならず全身に効くようになるため、筋肉だけでなく、関節にも効くようになり、従って水毒症状が著明となり、四肢の麻痺、屈伸困難、尿利減少などに用いる。この桂枝加朮附湯に更に茯苓を加えたものが桂枝加苓朮附湯である。本方には附子の作用を表に誘導する桂枝と、半表半裏から裏に誘導する茯苓と、全身に誘導する芍薬、白朮があるため、結局、附子は全身に働き、水毒を除く作用にしかなりえず、心悸亢進、めまい、筋肉の痙攣(茯苓と桂枝と甘草の組み合わせの薬効の増強)、尿利減少(桂枝と白朮の組み合わせの薬効の増強)などのみとなる。ところが、この桂枝加苓朮附湯より桂枝、大棗、甘草を除いたものは真武湯(茯苓、芍薬、生姜、白朮、附子)で本方には附子の作用を半表半裏から裏に誘導する茯苓と、全身に誘導する芍薬、白朮があるため、全身にも誘導されるが、多くは半表半裏から裏に誘導され、内臓諸器官の新陳代謝を亢めるように働く。従って本方と桂枝加朮附湯とは表裏の関係にある薬方であることがわかる。
  葛根加朮附湯は葛根湯に白朮と附子を加えたもので、附子の作用を表に誘導する葛根、麻黄、桂枝と、全身に誘導する芍薬、白朮があるが、表に誘導するものが多いため、主に表の新陳代謝機能を亢めるように働いている。甘草附子湯(桂枝、白朮、甘草、附子)や麻黄細辛附子湯(麻黄、細辛、附子)では表に誘導するものと、全身に誘導するものが一つずつ含まれているため、主に表に働き、筋肉の痛みなどを治すが、関節にも少し働く。真武湯と附子湯(茯苓、芍薬、白朮、人参、附子)とを比べると生姜と人参が入れ替わっているにすぎない。この生姜は胃内停水を除くが、人参は全身の水の偏調を調えるように働く。しかしそれ以上に大切な事は、真武湯では附子の作用を半表半裏から裏に誘導するものは茯苓のみで、全身に誘導するするものは芍薬と白朮があるが、附子湯を見ると、附子の作用を半表半裏から裏に誘導するものが茯苓と人参の二種となり、全身に誘導するものは真武湯と同じ芍薬と白朮であるため、附子湯の方が半表半裏から裏の新陳代謝を亢める作用が強く、虚証の薬方であることがわかる。附子理中湯〔人参湯加附子〕(人参、白朮、甘草、乾姜、附子)は附子の作用を半表半裏から裏に誘導する人参、乾姜と、全身に誘導する白朮があるため、ほとんど内臓諸器官の新陳代謝機能を亢めるように働く。四逆湯(甘草、乾姜、附子)も同様に半表半裏ないし裏に効く。しかし本方と前方は附子と乾姜の組み合わせとなるため、新陳代謝機能を亢める作用は相乗的に亢まるため、非常に虚証(虚寒証)に用いる薬方となっている。利膈湯(半夏、梔子、附子)では附子の作用は半夏、梔子によって食道、咽部、胸部に誘導されるため、咽喉が塞って嘔吐困難をきたし、嘔吐、粘痰を吐し、口渇を訴えるものに用いる薬方であることがわかる。
 以上の様に附子を配剤した場合には虚実を注意することは勿論、附子がどこに効いているかを常に考えながら使用しなければとんでもない事になるのはまれではない。例えば当帰芍薬散(当帰、芍薬、川芎、茯苓、白朮、沢瀉)を服用している婦人があったとする。この人が、冷えが強く、新陳代謝機能もおとろえているというので附子を加えたとすれば、附子の作用を全身に誘導する芍薬、白朮と、半表半裏から森に誘導する茯苓があるため、附子は多くは半表半裏から裏に作用し、その部位の新陳代謝を亢め、冷えを除くように働く。普通の場合はこれでよいのであるが、もしこの婦人が妊婦であったならどうであろうか。胎児の位置は裏位であるので、附子の作用は胎児にも強く作用する。しかしいくら母親が虚証であっても、胎児は新陳代謝の盛んな実証であるため、実証に附子を与えることになり、危険である。このような事は、附子の温補作用のみに注意し、その作用する位置を考えなかったために起こる問題であり、よく注意しなければならない。また、冷えが強く、手が真白く、ロウのようになった時に、附子の効く位置の事を考えず温補作用のみ考え、すぐ真武湯をと考える傾向があるが、これなども半表半裏から裏に強い寒があるのならば真武湯を用いてもよいが、それほど強くない場合は附子の作用を表に誘導して表を温め、表の新陳代謝を亢めるようにすべきであるこ選は今さら言うに及ばないことであろう。
(以下次号に続く)








※桔梗
韓国では一般的な食品として食べられる(トラジ、ドラジ)。
唐辛子と組み合わせることで薬効が無くなる(方向変換)?


※桔梗湯は?
桔梗湯は桔梗と甘草の二味。芍薬は無い。

『傷寒論』
少陰病、二三日咽痛するものは、甘草湯を与うべし。差えざるものは桔梗湯を与う。
甘草湯の方。   甘草(二両)。  右一昧、水三升をもって、煮て一升半を取り、津を去り、七合を温服す。日に二服す。
 桔梗湯の方。 桔梗(一両)、甘草(二両)。  右二昧、水三升をもって、煮て一升を取り、澤を去り、温め分かちて再服す 

『金匱要略』
咳して胸満振寒し、脈数、咽は乾きて渇せず、時に濁唾腱臭を出し、久々にして膿の米粥のごときを吐するものは肺纏たり。桔梗湯これを主る。
桔梗湯の方(また血痺を治す)。桔梗(一両)、甘草(二両)。右二味、水三升をもって、煮て一升を取り、分かち温め再服す。すなわち膿血を吐するなり。


『症候による漢方治療の実際』
 傷寒論には、甘草湯でよくならない咽痛にこの方を用いることになっているので、急性咽頭炎にも用いるが、扁桃炎や扁桃周囲炎で悪寒や熱のないものに用いてよい。
 ある日、のどが腫れ塞って、口を開けることもできず、飲食もできないという青年を診察した。脈は大きいが、熱も悪寒もない。歯の間からのぞいてみると、扁桃周囲炎らしい。そこで桔梗湯を与えたところ、なかなか呑めないので、少しずつ口に入れて、1口ずつ呑み込むことにした。すると一日分を3分の1位のんだ時、急に嘔逆の状になって、のどに力が入ったとたんに、いちどに、膿血が口から流れ出て、それきり治ってしまった。周囲炎の患部が破潰したのである。桔梗には排膿の作用もあり、催吐作用もあるから、こんな結果になったのであろう。


※排膿湯と排膿散
排膿湯と排膿散の合方である排膿散及湯は、桔梗と芍薬の組み合わせであるため、基本的には排膿散の効果となる。
この桔梗の組み合わせのことが最初の頃はわからず、
『漢方薬の実際知識』の初版ではこの排膿散及湯が収載されていたが、
改訂版では削除された。
一般的に言われる排膿散及湯の効果を求めるのであれば、更に薏苡仁を加えるか、荊芥・連翹を加える必要がある。

※麻黄湯に適用しようと思えば麻黄湯加桔梗石膏ではなく、麻黄湯加芍薬桔梗石膏として考えなければならない。
同様に、小柴胡湯加桔梗石膏は、村上先生の考えでは誤りで、小柴胡湯加芍薬桔梗石膏とすべき。

※乾姜と生姜

※更に桂枝と白朮の組合わせ → 
更に桂枝と白朮・茯苓の組合わせ

※茯苓と桂枝の心悸亢進やめまいを治す作用があり
桂枝がないので不完全

※附子:死をまねく
植物学者の白井光太郎(しらい みつたろう)氏がトリカブトの中毒で死んだことは有名。
現在は、トリカブトの塊根を附子と呼ぶことが多いが、
本来は、烏鳥 、附子、側子、天雄など、部位で異なる。
更に同じ附子でも、修治で生附子、白河附子、塩附子など異なる。
昔は小児の尿に浸ける修治もあったとのこと。
現在一般に手に入る附子は高温で減毒されているので、余り毒性を心配する必要はない。
トリカブトの中毒を解毒するには、黒豆と甘草とを一つかみずつ煎じて飲む。

※全身に誘導される場合、前二者に比べて附子の作用は弱くなって、新陳代謝の賦活という面よりも水毒を治すという作用に変わってしまう。
村上先生の理論では、
桂枝加苓朮附湯は表に導く桂枝、
半表半裏から裏に導く茯苓、
全身に導く芍薬、白朮
(大棗、生姜、甘草は特に無い)
となり、附子は全身に誘導され、関節炎や関節リウマチに使うのは
おかしくなる。
一般的には、桂枝加朮附湯の更に水毒の激しいものに、桂枝加苓朮附湯を使うとされている。

同様に苓桂朮甘湯に附子を加えると、温補作用は期待できず、駆水作用が強くなる。



※小便難などを治すようになる(桂枝加附子湯)
桂枝は尿を止める働きがあるが?

※咽喉が塞って嘔吐困難をきたし、嘔吐、粘痰を吐し、口渇を訴えるものに用いる薬方であることがわかる。
口渇はどこから来たのか?

2018年7月7日土曜日

生薬の配剤から見た漢方処方解説(2)

誌上漢方講座 症状と治療
生薬の配剤から見た漢方処方解説(3)
 村上 光太郎

 2.桂枝について
 桂枝は、麻黄と組み合わせれば、発汗剤(相加作用)となることはすでに述べたが:この麻黄を防風に変えても同様に発汗剤(相加作用)となる。しかし、麻黄を大棗に変えれば、まったく逆に止汗剤(方向変換)となる。ところで、桂枝の作用は、麻黄と同様に発汗剤となるが、桂枝と大棗を組み合わせたために止汗剤に変化したことを知らず、桂枝湯が止汗剤であるからといって、直ちに桂枝を止汗剤として考えている人がいるのは困ったことである。すなわち、生姜、大棗、甘草のような生薬は、本来持っている独自の薬効も大切ではあるが、それ以上に他の生薬と組み合わせれば、その生薬の薬効に変化をもたらす場合があることを忘れてはならない。その他、桂枝に芍薬を組み合わせれば、緩和剤(方向変換)となり、桂枝に白朮を組み合わせれば利尿剤(方向変換)となり、桂枝に地黄を組み合わせれば強壮剤(方向変換)となる。
 なお、桂枝は組み合わされても変化しない薬効の部分としてのぼせを押える作用がある。
 これを実際に種々の薬方に当たって見ると更に明瞭となる。すなわち桂枝湯(桂枝、芍薬、生姜、大棗、甘草)では、桂枝は大棗と組み合わされているため、止汗剤として働決が、桂枝は同時に芍薬とも組み合わされているため、緩和剤の作用が加わる。したがって、桂枝湯は筋肉の緊張があり(症状としては肩こり、腰痛、頭痛、四肢の疼痛など)、のぼせがあり、汗の出ている人に用いることがわかる。
 ところで、古い薬方集を見ると薬方中の生姜、大棗、甘草を抜いて書かれた書物が案外多く見られる。このような書物の薬方を見るときには、その薬方がどちらの薬効を期待して使用されているかを考え、生姜、大棗、甘草の加減をしなければ逆治をすることも繁々おこり、大変なことになるのは感うまでもない。
 たとえば、先の桂枝湯から生姜、大棗、甘草を除いたならば、桂枝と芍薬だけとなり、桂枝の発汗作用とのぼせを押える作用とともに、桂枝と芍薬の組み合わせによる緩和作用があるため、無汗でのぼせがあり、筋肉の緊張がある人に用いる薬方となり、桂枝湯よりは実証の人に用いる薬方となってしまう。したがって、ここまで考えず、桂枝湯証の人に、桂枝と芍薬だけの薬方を与えれば、汗がどんどん出るため、更に虚証となり、脱汗状態となり、しかも、尿は出なくなり、病状は悪化するであろう。桂枝湯より芍薬を除いた桂枝去芍薬湯では、桂枝と大棗の組み合わせだけになるため、のぼせがあり、汗も出ているが、肩こり、腰痛などの筋肉の痛みがない人に用いる薬方であることがわかる。ところで、肩こり、腰痛などの筋肉の痛みがないときに、芍薬を除かなくても良いのではないかと考える人もあるかと思うが、一般に生薬は、相乗効果のある組み合わせを除いて考えれば、その効果は①、単独で使用する(例、民間薬)②、四~五種類を組み合わせて使用する(例、古方)③、七種類以上を組み合わせて使用する。(例、後世方)の順に、すなわち、薬味の数が増えるにしたがって、薬方の作用は弱くなる傾向がある。(相乗効果があるあれば、組合わせて使用する方が薬方の作用が強くなるのは当然である。) しかし、適応証の範囲、言い換えれば、証の取りやすさという点で考えると、作用とは逆に薬味が増えるにしたがって安易に薬方を使えるようになる利点がある。実上のことから考えれば、先の桂枝加芍薬湯も必要でない緩和作用を除き、より強く、かつスムーズに治癒させることを目的に、芍薬が除かれているのである。
 ところで注意しなければならないことは、漢方では「転用」が繁々行われるということである。すなわち、薬味の組み合わせによって薬効を知ったとしても、それが実際に応用されるためには、この転用ということを熟知していなければ、薬方の適応の範囲が非常に狭くなり、薬方の証のほんの一部分しか使用できない。このように転用をしない使い方では、正しく漢方を使用できるとはいいがたい。転用には種々のものがある。たとえば、自汗という症状(すなわち、止汗剤を用いなければならないとき)は、転用すれば皮膚病、潰瘍、耳漏、蓄膿症などで、薄い分泌物が多量に流れ出ている場合と考え、止汗剤を与えるようにするし、無汗という症状(すなわち、発汗剤を用いなければならないとき)は分泌物が少量出るか、あるいは皮膚が乾燥して、カサカサしているものや、乳汁分泌不足で困るような状態として考えることができる。同様な考えで、帯下を小便自利として処理することもある。
 したがって、先の桂枝湯では皮膚病、潰瘍、耳漏、蓄膿症などで、薄い分泌物が多く出て、のぼせ・肩こり・頭痛などがある場合に用いれば良いことがわかる。葛根湯(葛根、麻黄、桂枝、芍薬、生姜、大棗、甘草)では、麻黄と桂枝の組み合わせの発汗作用と、桂枝と芍薬の筋肉の緊張を和らげる作用がある。しかし、ここで注意しなければならないことは、桂枝は大棗とも組み合わされ仲いるということである。
 生薬の組み合わせには、ときどきこのような逆の作用の組み合わせが同一薬方内に入っている場合があるが、 このような場合には両方の薬効が現われるのではなく、組み合わされたために新しい薬効ができるのでなければ実証の薬味の組み合わせの薬効が現われる。
(しかし、附子が薬方中に配剤されている場合には、虚証である附子の組み合わせの薬効の方が現れる)。
 したがって、葛根湯の場合は、桂枝と大棗の止汗作用の組み合わせと、桂枝と麻黄の発汗作用の組み合わせが同一薬方内に入っているが、実証の無汗を治す、すなわち桂枝と麻黄の組み合わせの薬効が現われるのである。苓桂朮甘湯(茯苓、桂枝、白朮、甘草)では、桂枝は白朮および茯苓と組み合わわれているので利尿剤となる。また茯苓に桂枝と甘草を組み合わせると心悸亢進、めまいなどを生じる人に用いる薬方であることがわかる。桂枝人参湯(桂枝、人参、白朮、乾姜、甘草)では、桂枝は白朮と組み合わされているので、尿利減少があることがわかる。ところで、桂枝の組み合わせとは関係がないのであるが、ここに配剤されている人参は全身の水毒を除く作用があり、乾姜は附子ほどの強い作用ではないが、体を温める作用、すなわち新陳代謝を亢める働きがあるので、桂枝人参湯は尿利減少と新陳代謝機能の衰えた場合に用いるのである。
 しかし、このように体に水が溜り(尿利減少)、新陳代謝機能の衰えが見られるような場合には、下痢という症状(寒による下痢)が現われやすくなる。したがって、桂枝人参湯は顔色が青白く(新陳代謝機能が衰えているため)、下痢、尿利減少などの症状を現わしている人に用いることがわかる。防已茯苓湯(防已、黄耆、桂枝、茯苓、甘草)では、桂枝は茯苓および甘草があるため、尿利減少(桂枝と茯苓の組み合わせ)や心悸亢進、めまい(茯苓と桂枝、甘草の組み合わせ)がある人に用いる薬方であることがわかる。ところで、このように尿利減少があるということは、転用すれば浮腫があるということになるため、この薬方は浮腫も治す作用も持っていることを忘れてはならない。八味丸(地黄、山茱萸、山薬、沢瀉、茯苓、牡丹皮、桂枝、附子)も同様に考えると、桂枝は茯苓と組み合わされて尿利減少を治し、地黄と組み合わされて強壮剤となっている。したがって虚証の人の尿利減少を治す作用がある薬方であることがわかる。

 3.半夏について
 生薬の薬効の発見には、種々の方法があり、初期の段階では、たまたま病気のときに食べたら効いたので(たとえば、マタタビの果実を強壮剤として使用することを始めたのは旅人が疲れて動けなくなったとき、丁度そこにあったマタタビの果実を食べたら元気になり、再びタビができたので使用するようになった。)とか、動物が疾病を癒すために、あるいは他の目的で本能的に用いるのを見て(たとえば、イカリソウを強壮、強精剤として使用を始めたのは、中国に淫羊という動物がいて、その中の一頭の雄の淫羊は非常に精力が強く、多くの雌の淫羊を従えていたが、それはこの植物を食べていたからであった。そこで、この植物を淫羊藿〔インヨウカク〕となづけて強壮、強精剤として使用することになった)使用を始めたのがほとんどであった。しかし、そのようにして、多くの生薬が集まり始めると、次第に理由をつけて生薬を探り始めた。その理由づけとして使用された主なものは
①同形生薬(病気になっている状態と同じ形の生薬は、その病気に効くとか、希望の形、望まれる形に生薬なら効果があるという考え方で使用されるようになった生薬、たとえば藤のコブ(瘤)は形が人の癌に似ているので、癌に効くのではないかと、タンポポを切ると白汁が多く出るので、乳汁分泌不足に効くのではないかと考えて使用したり、同じ朝鮮人参でも、人間の形、特に男性に使用する場合は女性に似た形の人参を、女性に使用する場合は男性に似た形の人参を好んで使用するなどのようなもの)。
②同色生薬(同じ色をしたものは、その色の病気に効くという考えで使用されるようになった生薬。たとえば、サフランのメシベやアカネの根は色が赤いので血液の病気、すなわち婦人病などに効くとか、熟地黄は黒いので腎臓病などになり、顔色がドス黒くなったものに与えるなどのようなもの。これらの考方は発展して五行説の中の五色〔肝臓、胆のうは青。心臓、小腸は赤。脾臓、胃は黄。肺、大腸は白。腎臓、膀胱は黒〕に取り入れられている)。
③同効生薬(ある生薬を服用して起こる症状と同じ症状が病気のときに起こったならば、その生薬を服用すれば治るという考えで使用されるようになった生薬)の三つの形態があげられる。半夏は最後の同効生薬の考え方で作られた生薬である。すなわち、半夏をかんで服用、あるいは煎じて服用すれば、咽が痛くなり、あるいは胃がムカムカしてくる。これは非常に明瞭に現われる症状であるから、各自が服用して見れば生薬の効果が非常に理解しやすくなると思う。しかし、胃内停水があったり、その他の水毒の症状の激しい人や、風邪などをひいてもとより咽の痛い人が服用したときには、もとより症状のない方(胃のムカムカ、咽喉痛のいずれか)の症状が現われてくるか、まったくそのような症状は現われない。
 ところが半夏を生姜とともに煎じるか半夏を生姜とともに煮て作った姜半夏を用いた場合には、たとえ症状がない人が用いても咽喉が痛くなったり、胃がムカムカしたりすることはなく、反対にそのような症状があれば治すことができるようになる。ところで、このように半夏の有害な作用を消し、薬効のみを引き出すことができるのは生姜だけかというとそうではなく、半夏に大棗と甘草を加えても薬効を引き出すことができる。ただ半夏に生姜を加えた場合には鎮嘔作用(方向変換、相殺作用)の方が強く現われ、半夏に甘草と大棗を加えた場合には鎮痛作用(方向変換、相殺作用)の方が強く現われるようになる。
 これを実際の薬方にあてて見ると、更に明瞭となる。すなわち、小半夏湯(半夏、生姜)は胃がムカムカし、嘔吐となったり、咽喉部に痛みを感じる人に用いるが、半夏と生姜の組み合わせであるため、嘔吐が主体であることはいうまでもない。この小半夏湯のような症状を呈する人がもし胃内停水が強く現われているならば、どうすればようであろうか。生姜の薬効の一つに胃内停水を除く作用があるので、胃内停水が弱い場合には小半夏湯のままでよいのであるが、今症状が強く現われているので、その作用を助けてやらなければならない。
 したがって、駆水作用のある茯苓(極端に胃内停水が強ければ茯苓とともに白朮も加えなければならないが、この場合は、茯苓のみに止めた)を加えた小半夏加茯苓湯を与えることになる。もし、この小半夏加茯苓湯のように胃内停水があるが、嘔吐として出てこず、かえって胃内停水が気の上衝とともに昇ってきて、咽部で止まり、そこに水の停滞が起き、気の停滞とともに咽部の異常感(軽いときは咽がかれるような感じから、酷くなると、咽がつまる感じまである)を覚えるようになった人には、原因となる胃内停水を治すとともに気が留まるのを除くように考えれば治るのであるから、胃内停水を除く小半夏加茯苓湯に気が留まるのを治す厚朴、蘇葉を加えた半夏厚朴湯を与えればよいことがわかる。このことは、薬味の組み合わせを知らず、半夏厚朴湯の薬効を気の症状ばかりを重視して、咽中炙肉感があり、神経症状の特異な人に用いるものであると考えている傾向があるが、その基本となる小半夏加茯苓湯の薬効を忘れてはならないことを意味している。麦門冬湯(麦門冬、粳米、半夏、大棗、甘草、半夏)では、半夏と大棗、甘草の組み合わせとなるため、鎮痛作用が現われる。すなわち、麦門冬湯では麦門冬は鎮咳剤として働き、その咳が激しくなり、痙攣性の咳嗽となり、咽部の痛くなるを半夏と大棗、甘草の組み合わせによって治すのであり、全身の水の変調を治すために人参も加えられている。ところで、鎮咳剤として使用されている生薬も病人の虚実によって種々の生薬が使用されることを知っておかなければならない。(表参照)。すなわち、実証の人の咳には麻黄と杏仁の組み合わせでできる麻杏甘石湯、麻杏薏甘湯、麻黄湯などを用い、少し虚したときには麻黄の入った薬方を用いる。更に虚したときには杏仁の入った茯苓杏仁甘草湯などを用いる。更に虚が強くなれば、五味子の入った苓桂味甘湯などを用い、更に虚せば麦門冬の入った麦門冬湯などを用い、更に虚せば、精神不安を静めて鎮咳作用をだす大棗の入った苓桂甘棗湯などを用いるようになる。
 しかし、麻黄は常に鎮咳作用を現わすわけではなく、ときには鎮咳作用がなくなったり、あるいは組み合わされた生薬によって虚実が変化することが多いので()印をつけているのである。








※桂枝はのぼせを押える作用がある。
尿を止める働きにもなるので注意。
文中の「しかも、尿は出なくなり」も、この桂枝の働きが前提に書かれている。
ただ、桂枝+白朮(・茯苓)→利尿作用 は尿を止める働きはなくなる。


※同名異方
同じ薬方名でも薬味が異なる場合があり、ここでの桂枝湯はその例とも言える。
現代のエキス製剤でも、同じ薬方名で、内容が異なることがあるので注意が必要。
例えば、竜胆瀉肝湯においては、小太郎の竜胆瀉肝湯は一貫堂方であるが、
他のメーカーの 竜胆瀉肝湯は、薛立斎の薬方であるので注意が必要。

また、ツムラの柴胡加竜骨牡蛎湯は大黄が無いが、他メーカーには大黄が入っている。

その他、白朮と蒼朮との違いがあったり、分量が異なっていたりする場合があるので、
エキス剤を使う際にも、薬方名だけで決めるだけでなく、薬方の薬味まで良く確認した方が良い。
同じ薬方名でもメーカーによっては、効果の違いを感じる場合もあるように聞いています。


意味合いが少し異なりますが、カット生薬を自分で煎じる際、生姜の量には注意してください。
本によっては、生(なま)のショウガの分量を書いてあるものと、
日局ショウキョウ(乾生姜、干生姜)の量を書いているものがあるからです。

それを知らずに風邪を引いたので葛根湯を飲んでみようと、村上先生の『漢方薬の実際知識』を見ながら、そこに書いてある分量をそのまま、日局ショウキョウを量り込んで煎じたら、辛くて大変なことになりました。
後で聞いた所、『漢方薬の実際知識』に書かれている生姜の分量は、生(なま)のショウガの量とのことでした。
なお、生姜瀉心湯などは生(なま)のショウガの方が良く効くようです。

また別件ですが、『皇漢医学』に書かれている分量は多過ぎて、そのままでは使えないそうです。わざと書いているとのことです。
このように、出典には注意が必要です。

※生薬の組み合わせには、ときどきこのような逆の作用の組み合わせが同一薬方内に入っている場合があるが、
虚実の逆の作用の場合の解説。
寒熱が逆の作用はどちらが出るかわからない。

※桂枝人参湯(けいしにんじんとう)
『傷寒論』下篇
太陽病、外証いまだ除かずして、しばしばこれを下し、ついに協熱下痢し、利下止まず、心下痞し、表裏解せざるもの、桂枝人参湯之を主る
とあり、
もともとは、急性熱性疾患(傷寒)の誤下による下痢を治療する処方。

藤平健氏が常習性の頭痛に効く旨の発表をしてからは頭痛によく使われるようになった。

※防已茯苓湯(ぼういぶくりょうとう)
余り有名でない薬方。防已黄耆湯と比較されることが多い。

※同形生薬
海狗腎や鹿鞭のような男性生殖器が強壮・強精剤に使われるのも同形生薬。
更に男性生殖器と形が似ている肉蓯蓉や鎖陽などが強壮・強精剤に使われるのも同様。
現代医学的でも肝臓加水分解物が肝臓病に使われるが、これも一種の同形生薬?


※同効生薬
ホメオパシー(homeopathy)も"similia similibus curantur"「同種のものが同種のものを治す」として、似た考え方。
ただ、ホメオパシーは高度に希釈を行い、繰り返して薄めたものほど効くとされており、違う部分もある。

※半夏の鎮痛作用
基本的には咽の痛みに対する鎮痛作用。
甘草・大棗と書かれているが、大柴胡湯のように、甘草の無い場合も。
また、利膈湯(りかくとう)のように生姜や甘草・大棗の組み合わせのないものもある。
利膈湯加味のように改良された薬方もあるが、咽喉ガンなどで食物が通らないような時には、利膈湯の方が良く効くとのこと。
利膈湯加味は薬味が増え、効果がマイルドになっている。
(一般的に薬味か増える程、適用範囲は広がるが、効果はマイルドになる(切れが悪くなる))

大半夏湯(半夏、人参、蜂蜜)(金匱要略 胃反,嘔吐する者は,大半夏湯之を主る)も生姜や甘草・大棗が無い。
蜂蜜が甘草・大棗の代わり?

※実証の人の咳には麻黄と杏仁の組み合わせでできる麻杏甘石湯、麻杏薏甘湯、麻黄湯などを用い
麻杏甘石湯は村上先生の説明では通常、虚証。
麻黄+石膏の鎮咳作用は虚証の咳。

記載が古いのでこのような誤りがある。

2018年7月2日月曜日

生薬の配剤から見た漢方処方解説

誌上漢方講座 症状と治療
生薬の配剤から見た漢方処方解説
村上光太郎

 漢方医学が他の医療と異なるところは、随証療法であることは誰もが知っている事であり、漢方を使用す識場合は、それによらなければならないのであるが、現実は忘れられ、他の医療と同様に病名あるいは症状で用いられる機会が多くなり、本来の意味での漢方ではなくなり、効果の面では劣り、副作用の問題(随証療法をすれば起こるわけのない問題であるが、証を間違ったため、当然起こりうる各種の症状を副作用として記録している)が生じるようになり、漢方の良さ、特徴が葬り去られ、安っぽい医薬品(生薬製剤)に変化しつつある事は非常に悲しむことである。
 しかし随証療法をするとなると、種々の問題(例えば、使用できる薬方の数の問題、加減方が出来ない事など)が生じる。これらはカット生薬(全形生薬を適当な大きさに刻んだもの)を用いて薬方を作れば済むことではないか、と言われれば、実にそのとおりと言わなければならないが、現実は、漢方を服用し、よほどその良さを理解した人でなければ正しく煎じたり、正確に服用したりしてくれないもので、煎じるときに吹きこぼしたり、煎じ足りなかったり、服用のときに一日三回服用しなければならないところを、一日一回や、二回でごまかしたり、一日煎じて服用したら次の日の一日は服用を休むなど、これで薬効を期待するのは虫が良すぎるのではないかと思うような事がまかり通っている。
 しかしこれで効くわけがないと思える服用方法をしながら、”漢方薬だから長く続けて飲まなければ効かないのさ”と言って悦に入っている人もいる。このような事をなくするためにエキス顆粒製剤が出ているのであるから、非常に重宝なわけである。しかし、一面このことは服用のしやすさと随証療法を困難にする事との諸刃の剣となっている。そこでエキス顆粒製剤を用いて随証療法を行おうとすれば、単方(製剤となっているものをそのまま)で投薬すれば良いものも多くあるが、少なからず合方(製剤を二つ以上合わせて)して投薬する必要が出てくるのな当然である。
 ところで、随証療法というものに再び振り返って見ると、「証に随って治療する」と言うことであり、言い方を変えれば、病人の現わしている「病人の証」と、生薬を組み合わせたときに出来る「薬方の証」とを相対させると言う事である。「病人の証」は「望診」、「聞診」、「問診」、「切診」の四診によって得られた情報を基に組み立てられ、どうすれば(何を与えれば)治るか考えて決定されるものであるが、「薬方の証」は配剤された生薬によって、どのような症状を呈する人に与えればよいかが決定される。したがって、「病人の証」と「薬方の証」は表裏の関係にある。
 しかし、「薬方の証」は一つの薬方では決まっているが、「病人の証」は時とともに変化し、固定したものではない。
 しかし、「病人の証」と「薬方の証」は、いずれもが薬方名を冠しているため、あたかも証の変化がないように考え、「病人の証」を固定化して考え、変化のない薬方の加減や合方を極端に排除し、単方での使用を要求したり、証の変化を無視して持重させようとする人がいる。また反対に各薬方の相加作用のみによって薬方が成立していると考えて、無責任な加減方や合方がなされるなど間違ったことが平気で行われ、そのために起こる種々の問題の責任が、あたかも漢方医学や薬方にあるかのように言われるのは憤まんやる方ない気持ちである。
 「病人の証」を正しくとらえるためには、多くの「薬方の証」を知っている事が近道であるため、漢方の勉強を志すときは、まず薬方の勉強からなされるわけであるが、多くの薬方をすべて理解しようとすれば、それだけで一生が終わってしまうほどの薬方があり、それではと言って、エキス顆粒製剤だけの薬方の勉強では、とうてい、今対応している病人の証には不十分である。そこで、エキス顆粒製剤を用いて、種々の「病人の証」に対応しようとすれば、合方して新しい多くの薬方を考えなければならないことになる。 しかし、合方して使用したときに、それぞれの薬方の薬効が独立して、別々に効いてくれるのであるならば問題はないが、たとえば神経痛か関節痛(このような病名による使用法は本来の漢方の使用方法ではないが、薬能の変化を理解しやすくするために使用させていただく)で桂枝加朮附湯(桂枝、芍薬、蒼朮、大棗、甘草、生姜、附子)を服用していた人が、風邪を引いて喘息気味になったので、麻杏甘石湯(石膏、杏仁、麻黄、甘草)を同時に服用したとするとどうなるであろうか。桂枝加朮附湯がその人の証に正しく合っているならば(虚証の人であるならば)その人は、桂枝加朮附湯と麻杏甘石湯を合わせて服用すれば、汗がどんどん流れ出て、脱力感が生じ、ときには脱汗(死の直前の多汗状態)に近い状態となるであろう。それではと言うので急いで人参湯(甘草、蒼朮、人参、乾姜)や真武湯(茯苓、芍薬、生姜、白朮、附子)を単独で、あるいは合わせて投薬しても、体表の状態は元には治りにくい。

 それではなぜこのようなことが起こるのかと言う事を理解するためには、基本に返って再度考えなければならない。
 すなわち、二種以上の生薬を配剤した場合に現われる薬効は、ただ単に配剤された生薬の個々の薬効をすべて記載したらすむと言う単純なものではなく、種々の変化が起こることがあるからで、その事は清水藤太郎氏によって薬物の相互作用を、①相加作用(配剤された生薬それぞれの薬効総和となる組み合わせ)、②相乗作用(配剤された生薬それぞれの薬効の総和よりも作用が強くなる組み合わせ)、③相殺作用(配剤することによって、それぞれの薬効の一部あるいは全部が無くなり、無効となる組み合わせ)、④方向変換(配剤されることによって、本来持っていたそれぞれの薬効とは異なった薬効を現わすようになる組み合わせ)の四種に分類されている。この分類は、実際の薬方の説明には非常に有効で、こられの組み合わせによる変化を常に頭に入れておかなければ失敗することはまれではない。しかし、この相互作用だけですべての薬方が理解できるほど漢方は甘くはなく、生薬によれば、その有無、量の多少によっても薬方の本質にかかわるほどに重大な影響を与えるものがある。それらを理解して初めて漢方が理解できるようになる。
 生薬の勉互作用で理解できるものとしては、麻黄、桂枝、半夏、桔梗、茯苓、附子などがあげられ、生薬の有無、量の多少によって薬方の主証あるいは主証の一部が決定するものには柴胡、黄連、黄芩、芍薬、甘草などがある。以下順次それぞれについて述べる。

生薬の相互作用で理解できるもの

 1.麻黄について
 麻黄は発汗剤として用いられるが、麻黄に桂枝を組み合わせてもやはり発汗剤(相加作用)として働く。ところがこの麻黄が石膏と組み合わされて使用されると、まったく逆に止汗剤(方向変換)として働くようになる。
 更に麻黄と桂枝と石膏の三者を組み合わせると、麻黄と桂枝の発汗作用が更に強烈となり(相乗作用)、麻黄と石膏の止汗作用はみられなくなる。この事はよく注意しなければならない事で薬事の事をよく考えずに合方して、失敗することはまれではない。麻黄に杏仁を組み合わせれば鎮咳剤(方向変換)となり、麻黄に白朮を組み合わせれば利尿剤(方向変換)となる。ところで、ここで少し注意をしておきたいのは、麻黄は古来より使用する場合には節を去ることが義務づけられているが、この理由として、麻黄(茎の節を去ったもの)は発汗剤として働き、麻黄(節のみ)および麻黄(根のみ)は止汗剤として働くという事が言われている。しかし、現実には麻黄の地上部すべてがカットされて入っているため、品質は劣ると言わなければならない。しかし節の割合は節間に比べて非常に少ないため、この事はあまり問題になっていない。
 このように、使用部分によって薬効の異なる(あるいは逆となる)生薬は多く、例えばアズキを見ると、全草(茎、葉)は尿を止める作用があるため、夜尿症などに応用されるが、種子(赤小豆)は反対に利尿剤として、単独で煎じて服用したり、鯉とともに煎じて服用したり、赤小豆湯(赤小豆、商陸、麻黄、桂枝、連翹、反鼻、大黄、生姜)などの薬方に組み込んで使用されている。ゴボウの場合は更に印象深く、ゴボウの根をあまりさらさずに多食すれば、ニキビや吹出物が出来るが、種子(牛蒡子ごぼうし、悪実)や葉茎を煎じて、あるいは炊いて食べると、ニキビや吹出物を治す働きがある。また使用方法によって、薬効の変化するものもあり、たとえば、ゲンノショウコでは、一日約30以eなるべく濃く煎じて服用すれば、下痢止めとなるが、一日約10gを淡く煎じて服用しれば、反対に便秘に効くようになる。ハチミツのように、生のハチミツをなめると下剤となるが、一度沸かしたハチミツをなめると、下痢止めとなるものもある。これらの事は、生薬を使用する場合に怠りがちである修治の重要性に再度目を向けなければならない事を物語っている。
 話を麻黄の組み合わせにもどし、実際に薬方中での用いられ方を見ると、葛根湯(葛根、麻黄、桂枝、甘草、芍薬、生姜、大棗)では麻黄は桂枝と組み合わされているため、葛根湯は発汗剤として働いている。麻黄の組み合わせではないが、桂枝は芍薬と組み合わされると緩和剤として働くので、葛根湯は肩こりなどの筋肉の緊張があり(緩和剤)、無汗(発汗剤)の人に用いられる薬方であることがわかる。このように葛根湯は発汗剤で”表”に効果のある薬方であるが、人体を再度よく見つめて見ると、大気にふれる事の出来る部分(すなわち表)は体の表面と口から始まり、胃を通って肛門に至る、体内の表面とがあることに注意しなければならない。体の表面はがいの表といい、体内の表面はないの表といって区別される。表に効果のある薬方は、当然外の表にも内の表にも同じように効くことを忘れてはならない。ただし、外の表での汗が出ているということは、内の表では無汗であるということ、すなわち便秘であると言うことになる。また外の表での無汗であるということは、内の表では発汗していることであり、下痢をしている事を示している。したがって葛根湯は無汗の薬方であるため、消化器系(内の表)に変化があれば、下痢という症状で現われることがあることを示している。ただここで注意しなければならないのは、すべての下痢を無汗として処理したり、すべての便秘を発汗として処理してはならないと言うことである。あくまでも内の表の発汗あるいは無汗として考えられるものだけに適用できるもので、裏位に変化がある場合に起こる便秘や下痢については、この考え方は適用できないのは当然である。麻黄湯(杏仁、麻黄、桂枝、甘草)では麻黄と桂枝の組み合わせの発汗剤と、麻黄と杏仁の組み合わせの鎮咳剤とがあるため、無汗で咳のある場合に用いられる。麻杏甘石湯(石膏、杏仁、麻黄、甘草)では、麻黄と石膏の組み合わせによる止汗剤と、麻黄と杏仁の組み合わせの鎮咳剤とがあるため、麻黄とは反対に咳すれば汗が出るという事を目標に用いられている。越婢加朮湯(麻黄、石膏、生姜、大棗、甘草、白朮)でも麻黄と石膏の組み合わせとなり、止汗剤となるため、越婢加朮湯は多汗のある場合に用いられる(麻黄と白朮の組み合わせもあるため、利尿剤としても働くのは当然である)。
 ところで、ここで注意しなければならない事は、発汗と無汗ということである。(図参照)
 これはただ単に、体表の汗の有無だけで発汗と無汗を分けるのではなく、体表に汗を出そうとしている(体表に汗が出ようとしている)かどうかが問題となるのである。すなわち、体表より運動したときのようにスムーズに汗が出ているならば、汗が出ている(実像の発汗)とするが、たとえ体表には汗が出ていなくとも、裏(体内)より表(体表)に向かって水が移動してきつつあり、表に水が溜って浮腫を形成している過程(浮腫は押すと軟らかである)ならば(虚像の発汗)汗が出ているものとして止汗剤を与える。先に述べた越婢加朮湯では、多汗のとき(実像の発汗)にも用いられるが、浮腫が形成されつつあれば、汗はなくても(虚像の発汗)用いられることがわかる。また浮腫が形成される傾向がなく、体表に汗が出ていない(実像の無汗)か、たとえ汗が出てるように見えても、表(体表)に水が多く溜りすぎて(浮腫は押すと硬い)もれて出るように見えるなら、すなわち、裏より表への水の移動がないならば、汗は出ていないもの(虚像の無汗)として発汗剤を与える。小青竜湯(麻黄、桂枝、芍薬、乾姜、甘草、細辛、五味子、半夏)では、麻黄と桂枝の組み合わせとなるため、無汗の人に用いられる。したがって実像の無汗に用いる場合には汗が出ていないが虚像の無汗に用いる場合は汗がもれて出ているように見えるとき、すなわち、顔がれて流れているように見える顔、鼻水はいつ落ちたともわからないように、ポタリ、ポタリと落ちる水鼻などを目標に用いられる。大青竜湯(麻黄、杏仁、桂枝、生姜、大棗、甘草、石膏)では、麻黄と桂枝と石膏の組み合わせとなるため、強烈な発汗剤となり、実証の人にしか用いる事が出来ない事は言うまでもない。また麻黄と杏仁の組み合わせもあるため鎮咳剤にもなる。
 ところで、桂枝湯と越婢湯を合方すればどうなるであろうか。桂枝湯(桂枝、芍薬、生姜、大棗、甘草)には桂枝が含まれており、越婢湯には麻黄と石膏が含まれている。いずれの薬方も発汗しているのを止めて治す虚証の薬方である。しかし、この二方が合方されれば、麻黄と桂枝と石膏の組み合わせとなり、大青竜湯と同様な実証の薬方となる。したがって、一つ一つの薬方が虚証の薬方だからと言っても、虚証の薬方ができるとは限らない事がよくわかるであろう。同様なことは桂枝湯と麻杏甘石湯の合方などのように多くの薬方で見られる。また傷寒論を勉強するときでも、この事を知っていれば理解しやすい事はまれではない。
 一例をあげると「太陽病、発熱、悪寒、熱多寒少、脈微弱者、不可発汗大汗、宜桂枝二越婢一湯」という文を解釈するときに、桂枝二越婢一湯の薬味の組み合わせを見れば、脈微弱、不可発汗大汗の文は桂枝二越婢一湯を用いてはいけない注意書きの文であることがわかるであろう。
(次回に続く)


※蒼朮
桂枝加朮附湯には、一般的には白朮を使用する。
朮については、村上先生は余り厳密な区分はされていらっしゃらず、朮と記載されていれば、一般的には白朮を用いるが、蒼朮でもかまわない感じでした。更に蒼朮の方には鎮痛作用があるので、痛みがある時には蒼朮の方が良い旨のことをおっしゃっていた。
エキス剤にも白朮を用いているものと、蒼朮を用いているものとがある。
 中医学を学んでいる人は、白朮と蒼朮とは厳密に区別するので、この考え方には賛同されないと思われる。
人参湯の蒼朮は謎。一般的には白朮を用いる。胃痛を抑える目的?
真武湯は白朮となっている。

※実像、実像
ここでの虚像・実像の虚実と、漢方で良く使われる虚証・実証の虚実とは異なるので注意。
「実像」は見た目のまま、
「虚像」は見た目と異なるというくらいの意味で、
本文に記載されているように、虚像の発汗は見た目は汗が出ていないように見えるので一見すると無汗のように見えるが、実際には発汗であること。

※越婢湯は虚証
一般的には、麻杏甘石湯や越婢湯は実証と言われることが多い。
一般的に、汗が出ているのは虚証としているので、発汗しているのを止めて治す薬方は虚証の薬方という村上先生の説明の方が合っているように思う。
ただ、麻黄や石膏は胃腸に障るので、麻杏甘石湯や越婢湯は、消化器系の弱い人には用いないのは当然。
この胃腸が弱いのをいわゆる虚証としてとらえ、麻杏甘石湯や越婢湯は用いられないので実証の薬方と考え、一般的には実証というように思われる。
漢方の虚実の考え方の違い?


※大青竜湯と桂枝二越婢一湯
大青竜湯と桂枝二越婢一湯との違いは、
(薬味の分殺の違いを除けば)
桂枝、生姜、大棗、甘草、麻黄、石膏は共通、
杏仁が入ったものが大青竜湯(麻黄+杏仁→鎮咳作用)、
芍薬が入ったものが桂枝二越婢一湯(桂枝+芍薬→緩和作用)。

※薬方
(漢方)処方と呼ばれることが多いが、本来は薬方が正しいとのこと。
この書では本文は一貫して「薬方」と書かれているが、タイトルは「漢方処方」となっていて矛盾している。

※ハチミツ
生は下剤で一度沸かすと下痢止めと書かれているが、
加熱した蜂蜜を用いる蜜煎導は便秘に用いる。
外用剤(坐薬)なので逆の作用?(不明)


【傷寒論の条文】
陽明病、自汗出、若発汗、小便自利者、此為津液内竭、雖硬不可攻之、当須自欲大便、宜蜜煎導而通之、若土瓜根及大猪胆汁、皆可為導。

蜜煎導方
蜜七合
一味内銅器中、微火煎之、稍疑似飴状、擾之勿令焦著、欲可丸、併手捻作挺、令頭鋭、大如指長二寸許、当熱時急作、冷則硬、以内穀道中、以手急抱、欲大便時、乃去之。