『康治本傷寒論の研究』
少陰病、心中煩、不得眠者、黄連阿膠湯、主之。
[訳] 少陰病、心中煩して、眠ることを得ざる者は、黄連阿膠湯、これを主る。
第五一条で但欲寐といい、第五二条で今度は反対に不得眠という。このように対応語句を頻用して緊張状態をつくりだすところは見事というほかない。
心中煩は胸中煩、即ち胸中が熱っぽくて苦しいこと、心煩と同じである。つまり外熱があることである。
不得眠はその外熱のために眠ることができないこと。宋板と康平本では不得臥となっているが、康治本の方がよい。
『解説』四二○頁では「邪気が裏に入って熱を生じ、そのために血液が枯燥して胸苦しくて安臥できなくなる」と説明している。『講義』三五四頁では「内に鬱熱を挟み、津液及び血分これがために枯燥し、邪熱逆して心胸に塞がり、心中煩悶懊憹するの致す所なり」という。しかし裏熱、内熱、血分枯燥などはこの条文からはひとつもその根拠を見出すことができない。『弁正』には「惟うに是の心中煩、不得臥の因は裏熱なり」と想像によって裏熱としていることを明らかにしている。
これらの想像説にくらべると次の『集成』の見解は筋が通っている。宋板と康平本ではこの条文の冒頭は「少陰病、得之二三日以上」となっているので『集成』ではこの十字を肘後方に従って「大病差後」の四字に改作すべしという。「大病好えて後、胸中に余熱ありて煩するなり。惟うに病後は血液いまだ充たず。徒らに其の熱を解すべからず。故に芍薬、鷄子黄、阿膠の三物を以て其の血液を復し、芩連は以て胸中の熱煩を治するなり。肘後方の時気病起労復篇に曰く、大病差えて後、虚煩して眠ることを得ず、眼中痛疼し懊憹するに、黄連四両、芍薬二両、黄芩一両、阿膠三小挺、水六升にて煮て三升を取り、分けて三服す。亦鷄字黄二枚を内れるべしと」。
少陰病と言うものは気力が衰えているのだから、これを大病差後と言い換えてもよいわけであるが、急性病においてこのような状態になることについては、『入門』三七七頁に「本条は少陰病に於ける急性心臓衰弱の証治を論ずる。伝染病の経過中に来る急性循環機能衰弱は心臓の急性拡張、中枢性の中毒性血管運動神経衰弱、多量の出血等の場合に起り来る。このとき心臓の搏動は頻数となり、脈搏は沈、細、微、軟となり、血圧は著明に下降する。(中略)胸内には煩を訴え、躁して安臥することができない」と詳細に説明してある。さらに「煩して眠るを得ざるものよりも、臥するを得ざるものの方が重証で、臥寐を得ざるものが最も重証の急性循環障害である」という。これが正しいと思う。
黄連四両、黄芩二両、芍薬二両、鶏子黄二枚、阿膠三両。
右五味、以水六升、先煮三物、取二升、去滓、内膠、烊盡、小冷、内鶏子黄、攪令相得、温服七合、日三服。
[訳] 黄連四両、黄芩二両、芍薬二両、鶏子黄二枚、阿膠三両。
右の五味、水六升を以て、先づ三物を煮て、二升を取り、滓を去り、膠を内れ、烊し尽くして、小しく冷えれば、鶏子黄を内れ、攪して相得令め、七合を温服し、日に三服す。
令相得とは均一にすること。三物とははじめの三味の薬物のこと。
『入門』に「柯韻伯(清初の医学家)のいえる少陰の瀉心湯は最も適切なる表現である」と言うのが正しい。『集成』で「蓋し梔子豉湯証の軽き者なり」と述べているのは賛成できない。梔子豉湯は少陽温病の治剤であり、黄連阿膠湯は少陰温病の治剤であるから、これを虚実の関係で区別することは正しくないからである。同じ誤りをおかしているのは『皇漢』である。「師(仲景)が本方を少陰篇に載せたるは、少陰病に以たる病情を示さんが為なれども、本条の病証は尿色清白ならず、反って赤濁するものなれば、其の実は少陰病にあらずして少陽病に属し、瀉心湯証の虚なるものなり」としてこの条文を少陽病篇に入れている。温病というものがわからないとこのようになるのである。
『傷寒論再発掘』
52 少陰病、心中煩、不得眠者、黄連阿膠湯主之。
(しょういんびょう、しんちゅうはんして、ねむるをえざるもの、おうれんあきょうとうこれをつかさどる。)
(少陰病で、胸苦しい感じがして落ちつかず、眠ることが出来なくなっているようなものは、黄連阿膠湯がこれを改善するのに最適である。)
「少陰病」の定義条文に示された病態よりは、歪回復力がまだ十分にありそうな病態です。すなわち、「少陰病」としてはまだ初期のうちにあるものと思われます。それでも、すでに「陰病」であるわけですので、多分、体内水分はやや欠乏気味になっていることが推定されます。
黄連阿膠湯の形成過程については、既に第13章12項で考察しておきましたが、黄連・黄芩 の組み合わせが精神的な不安感(心煩)や興奮状態に対して使用され、芍薬 や 鶏子黄 や 阿膠 は主として、体内水分の欠乏気味の状態に対して、その改善のために使用されると解釈しますと、この条文での黄連阿膠湯の使用のされ方は大変に納得のゆくものとなるでしょう。もし、そうだとすれば、この黄連阿膠湯は、吐血や下血後でもいい、吐下後でもいい、とにかく、若干、体内水分が欠乏気味で、衰弱した状態での精神不安状態の改善に対して、大いに活用され得るものとなるでしょう。これに関して、「類聚方広義」(尾台榕堂著)の頭註には、色々の応用の仕方が述べられていますので、大いに参考にしていかれるとよいでしょう。
精神不安状態があっても、この「陰病」の場合のように、体内水分が欠乏気味の時には、体内に水分をとどめるような基本作用をもつ、芍薬(第16章16項)、鶏子黄(第16章24項)、阿膠(第16章22項)な体英e使用は誠に理にかなっていると思われますが、これとは逆に、同じく精神不安状態があっても、若干衰弱した状態ではなく、むしろ、充実した状態で、体内水分も十分にありながら、便秘気味の状態であるような時には、芍薬・鶏子黄・阿膠などは除いて、胃腸管から水分を体外に排出する基本作用をもった大黄(第16章5項)などを使用した方が良いことになるでしょう。このような生薬構成(黄連・黄芩・大黄)を持った湯が実際に存在するのであり、それが「金匱要略」に出ている(三黄)瀉心湯です。「原始傷寒論」よりも「金匱要略」は後の時代に創られた書物ですから、三黄瀉心湯は、多分、上述したような発想のもとに、黄連阿膠湯を源として創られた薬方であろうと推定されるわけです。このような事は既に第16章12項の所(黄連の薬能の備考の所)でも述べておきましたが、こういう立場から見てみますと、「黄連阿膠湯は瀉心湯証の虚証を改善する薬方であって、少陽病の薬方であるのに、師(仲景)が本方を少陰病に載せたのは、少陰病に似た病情を示すためである……」というような見解は、発想が全く逆であり、間違いであるということになるでしょう。
なお、附子瀉心湯や大黄黄連瀉心湯は、「一般の傷寒論」の時代になって、「金匱要略」の三黄瀉心湯を源として創られていったのだと推定されますが、これらについては既に第16章12項で考察してありますので、興味のある方は、それを参照して下さい。
52' 黄連四両、黄芩二両、芍薬二両、鶏子黄二枚、阿膠三両。
右五味、以水六升、先煮三物 取二升 去滓、内膠、烊盡 小冷、内鶏子黄 撹令相得、温服七合、日三服。
(おうれんよんりょう、おうごんにりょう、しゃくやくにりょう、けいしおうにまい、あきょうさんりょう。
みぎごみ、みずろくしょうをもって まずさんもつをにて、にしょうをとり かすをさり、きょうをいれ、とかしつくして、すこしくひゆれば、けいしおうをいれ、かきまわしてあいえしめ、ななごうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)
三物というのは、黄連・黄芩・芍薬のことです。この三種の生薬の煎液をまず作って、そこに阿膠を入れてとかし、更に卵の黄身だけを入れて、かきまわして、服用するのです。
烊盡とは、とかしつくすということで、固体形の阿膠を三物の煎液に完全にとかしてしまうことです。
令相得(あいえしめ)とは、均一にするということで、卵の黄身を阿膠にとかした煎液に入れて、かきまわし、均一にすることです。中々面倒な服用方法となりますが、この場合、鶏子黄(卵の黄身)は栄養補給の一面もあるのかも知れません。
この湯の形成過程は既に第13章12項で考察した如くです。すなわち、黄芩加半夏生姜湯に黄連を加えていって、瀉心湯類(黄連黄芩基を含有)が形成されていったのと同じように考えていけばよいのです。まず、黄芩湯の適応する病態の中で、たまたま精神不安状態の目立つような病態には、黄連 を追加して使ったような経験があったのでしょうが、その後、下痢はすくなくなったのに、血便があったり、栄養状態が低下していくような病態があったとすれば、胃腸管からの水分排出に対して抑制作用をもつ、甘草 や 大棗 を除いて、血便や体内水分の減少を改善する 阿膠 や栄養補給や体内水分の減少を改善する 鶏子黄 を入れていくような試みがあってもよさそうです。このような試みが、もし成功したとするならば、ここに、黄連・黄芩・芍薬・鶏子黄・阿膠という生薬配列をもった湯、すなわち、黄連阿膠湯 が誕生することになります。
したがって、この黄連阿膠湯は、初めのうちは、軽度の下痢や血便などが長らくつづいて、体内水分がようやく欠乏気味になってきて、精神不安状態が生じてきているような病態に使用されていたのでしょうが、後には、下痢や血便の有無とは関係なく、体内水分が欠乏気味で、栄養状態も低下した病態で、精神不安が明瞭になっている状態に使用されるようになり、更にこれが第52条の条文(少陰病、心中煩、不得眠者、黄連阿膠湯主之)のような病態に、使われるようになったのではないかと推定されます。条文に出ている使われ方が必ずしも、もともとの始まりからの使われ方とは限らないでしょうから、生薬配列から考察していった時、この湯の形成過程が上述のようであってもいいと思われます。
なお、黄芩湯から黄連阿膠湯が形成される過程で、甘草と大棗という二つの甘味の生薬が除かれ、体内水分欠乏改善作用のある、阿膠と鶏子黄が加えられたわけですが、これと大変に類似した操作をしていく湯の形成過程が、実はもう一つあります。それは既に第13章14項で論述したものですが、桂枝去桂加白朮茯苓湯から真武湯が形成される過程がそうなのです。すなわち、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯から、甘草と大棗という二つの甘味の生薬を除いて、体内水分欠乏改善作用の強い、附子を加えると、真武湯が形成されるのです。両過程とも、「陰証」において使用される湯に変化しているという、共通点をもっています。これは大変に面白いことですが、果たしてどんな意味があるのでしょうか、少し考えてみましょう。
甘草も大棗も、体内水分欠乏改善作用があるのに、「陰証」の病態の改善をはかる時には、これを除き、その他の体内水分欠乏改善作用のある生薬に代えていくということは、「陰証」の時には、代えられた生薬(阿膠や附子など)の方が甘草や大棗よりも、体内水分欠乏改善作用において適しているということなのではないでしょうか。もしそうだとすれば、「陰証」である 四逆湯 の病態より、更に高度の体内水分欠乏状態を改善すると推定される 通脈四逆湯 の場合、四逆湯に甘草の増量ではなく、乾姜の増量をしている理由の一端が若干、納得される気がしてきます。
古代人はこのようなことを単に 経験的にやっていたのかもしれませんが、近代人であるこれからの研究者は、敢えて、意識的 にこれらのことを活用していくことが望ましいのではないかと思われる次第です。
『類聚方広義』
黄連阿膠湯 治心中悸而煩。不得眠者。
黄連四両 一銭二分 黄芩一両 三分 芍薬二両 六分 鶏子黄二枚 一枚三分之一 阿膠三両 九分
右五味。以水五升。先煮三物。取二升。去滓。内膠烊尽。小冷。内鶏子黄。撹令相得。温服七合。日三服。
以水一合五勺。
『類聚方広義解説』
藤平 健 主講 藤門医林会 編
黄連阿膠湯
心中悸して煩し、眠ることを得ざる者を治す。
黄連四両(一銭二分) 黄芩一両(三分) 芍薬二両(六分) 鶏子黄二枚(一枚三分の一) 阿膠三両(九分)
右五味、水五升を以て、先ず三物を煮て、二升を取り、滓を去り、膠を内れ烊尽し、小冷して、鶏子黄を内れ、攪て相得せしめ、七合を温服す。
(水一合五勺を以て、三味を煮て六勺を取り、滓を去り、阿膠を内れ、烊尽し、小冷して鶏子黄を内れ、攪て相得せしめ服す。)
日に三服す。
鶏子黄=卵の黄身、卵黄のこと。
阿膠=馬やロバなどの皮や骨などを煮てとれた膠(にかわ)のこと。
烊尽=煮てよく溶解させることをいう。
小冷=少しさますこと。
相得令=よく混ぜ合わせること。
〔解〕
黄連阿膠湯は、体力がやや虚し、胸中に動悸がして煩わしく苦しく感じられ、熱感やのぼせなどがあって、眠ることができない者を治すものである。
黄連四両(一銭二分) 黄芩一両(三分) 芍薬二両(六分) 鶏子黄二枚(一枚三分の一) 阿膠三両(九分)
右の五つの薬味のうち、水五升中に先に黄連、黄芩、芍薬の三味を入れて煎じ、二升ほどに煎じつめ、かすを濾し去り、その中に阿膠を入れ、火にかけて煮てよく溶解させて、火よりおろし、少しさまして卵の黄身を入れ、よくかき混ぜて温かいのを七合ほど服用する。水一合五勺に黄連、黄芩、芍薬の三味を入れ、煎じて六勺ほどに煎じつめ、滓を濾し去り、阿膠を入れ、火にかけてよく溶解し、少しさまして卵の黄身を入れ、よくかき混ぜて服用する。一日に三回服用する。
○「少陰病、之を得て二三日以上、」心中煩して臥すことを得ず、(黄連阿膠湯これを主る。)
〔解〕
少陰病にかかって、麻黄細辛附子湯や麻黄附子甘草湯を用いて、少しく発汗すべ動時期である二、三日を過ぎて、邪熱が内に進んで内熱を生じ、そのため体液や血液が燥し、胸の奥がなんともいえず煩わしく苦しく感じられて、起きてはいられるが横になってじっと静かにしていられない、このようなものは、黄連阿膠湯が主治するものである。
〔備考〕
本方の病位は少陰である(太陰で虚証とも言われる)。
本方は、脈がわずかに浮弱でやや数、あるいは沈細数などで、舌は湿潤し、あるいは乾燥して、時に微黄苔がみられ、腹部は軟で、心下部にわずかに抵抗がみられることがあり、胸苦しさや、のぼせる傾向があり、疲れやすく、不眠、皮膚枯燥、口唇乾燥があって、しばしば出血傾向のみられる、次のようなものに用いられる。
・肺炎、チフス、麻疹、猩紅熱、丹毒、脳出血、髄膜炎などで、高熱、煩躁、不眠、うわ言があり、三黄瀉心湯を用いる場合より虚状のみられるもの。
・ヒステリー、ノイローゼ、高血圧症、狂躁症などで、不眠、煩躁、興奮、動悸、頭重、のぼせ、耳鳴り、肩こりがあり、三黄瀉心湯を用いる場合より虚状のもの。
・鼻血、吐血、血尿、子宮出血、膀胱炎、尿道炎などで、心煩を伴い下しがたいもの。 ・皮膚掻痒、乾癬、皮膚炎などで、眠れぬほどかゆく、患部が赤く乾燥気味のものなど。
頭註
570 肘后方の時気病起労復篇は、大病差えて後、虚煩して眠るを得ず、眼中疼痛し、懊憹するには、黄連四両、芍薬二両、黄芩一両、阿膠三小挺、水六升にて煮て三升を取り分ちて三服す。亦鶏子黄二枚を内るべし、に作る。梔子豉湯症に類して症情同じからず、久痢、腹中熱痛し、心中煩して眠るを得ず、或は膿血を便する者を治す。
時気病=寒暑・冷湿の時候にあたって病むことをいう。
大病差えて=大病の病勢がくじけ、ほぼ治まったこと。
〔解〕
この方は、心中懊憹があって梔子豉湯症に似ているが同じではない。黄連阿膠湯は慢性の下痢のために、腹中が熱痛し、心中が煩して眠れず、あるいは粘便血便のある場合によい。
571 痘瘡内陥し、熱気熾盛。咽燥口渇し、心悸煩躁し、清血する者を治す。
清血=清は圊。血便を下すこと。
〔解〕
またこの方は、天然痘がこじれて発疹が体表に出ず、体内に邪熱がこもって、口ものども渇き、動悸がして煩躁し、血便があったりするものを治す。
572 諸失血症、胸悸身熱し、腹痛微利し、舌乾脣燥し、煩悶し半階ぬること能わず、身体困憊し、面に血色無く、或は面熱し潮紅する者を治す。
〔解〕
吐血・喀血・下血などのために胸中動悸して身熱を覚え、腹痛して少しく下り、舌が乾き唇が乾燥し、苦しさにもだえて横になることができない。ついには疲れ果てて顔から血の気がひいたり、逆にのぼせて真っ赤になったりするものを治す。
康治本傷寒 論の条文(全文)
(コメント)
柯韻伯(かいんはく)〔1662年~1735年〕弁証学派
『古今名医方論』
『傷寒論翼』
『傷寒來蘇集』
『康治本傷寒論の研究』p.271
「師(仲景)が本方を少陰篇に載せたるは、少陰病に以たる病情を示さんが為なれども、……
「師(仲景)が本方を少陰篇に載せたるは、少陰病に似たる病情を示さんが為なれども、……の間違いか?
【勿誤薬室方函口訣】
此方ハ柯韻伯ノ所謂少陰ノ瀉心湯ニテ、病陰分ニ陥テ上熱猶去ラズ、心煩或ハ虚躁スルモノヲ治ス。故ニ吐血、咳血、心煩シテ 眠ラズ、五心熱シテ漸漸肉脱スル者、凡諸病日久シク熱気血分ニ浸淫シテ諸症ヲナス者、毒痢腹痛膿血止マズ口舌乾ク者等ヲ 治シテ験アリ。 又少陰ノ下利膿血ニ用ルコトモアリ。併シ桃花湯トハ上下ノ辨別アリ。又疳瀉不止者ト痘瘡煩渇不寐者ニ活用シテ特効アリ。