『康治本傷寒論の研究』
少陰病、腹痛、小便不利、四肢沈重疼痛、自下利、②或欬、或小便利、或不下利、嘔者、真武湯、主之。
[訳] 少陰病、腹痛し、小便利せず、四肢は沈重疼痛し、自下利す、②或いは欬し、或いは小便利し、或いは下利せず嘔する者は、真武湯、これを主る。
この条文は第1段と第2段に分れていて、最後の真武湯主之はその両方にかかり、第2段は或……或……という形をとっている点で第二六条(小柴胡湯)と全く同じであることから、この条文は第1段で少陰病の正証を示し、第2段でその変証を論じたものであることを推定することができる。
腹痛は胃内停水と胃寒のあることを示している。そしてこの胃寒は裏寒によって引起されたものであることを次の小便不利、四肢沈重疼痛で示している。
小便不利は『講義』では「水気停滞の候なり」というが、腎の炎症によるものである。四肢沈重疼痛は『解説』四四○頁に「四肢が重く、だるく痛むをいう」とあり、これは水毒(水気停滞)によって生ずる症状である。
自下利は『講義』で「水気動揺の候なり」とし、『入門』三九二頁でも「下利の原因が腸だけの病変によるのではなくて、水分代謝が原因である場合である」と説明しているが、私はそうではなく、胃と小腸、即ち内位に冷えが生じたためであると思う。その冷えは裏寒から来ていることは当然である。
則ち第1段の諸症状は裏寒と胃内停水によって生じたものである。少陰病は裏寒をもととするが、水分代謝異常を伴う必要であるので、これをもって少陰病の正証とし、同時に真武湯の正証ともしているのである。
第2段の欬は胸部の水毒によって起り、小便利は裏寒によって腎膀胱が冷えた時に起り、不下利と嘔は内寒の程度が小さく、胃内停水が動かされた時に時る。いずれにしても裏寒と水分代謝異常によって生じたものであるから、この程度の変証は真武湯で治療させることができる。
『入門』では「水気というのは太陽中篇の小青竜湯の証に於ける如く、心下に水気ありといって、心窩部に水振音を聞く場合を指す場合もあるが、本条では心臓血管機能不全、或いは腎臓機能障害、或いは低栄養状態等が原因して来る潜在浮腫及び顕在浮腫をいうのである」と説明しているが、この条文で胃内雑水の存在を否定する根拠は何もない。『入門』で「患者の体質によって嘔気を発する場合もある」と言うならば、これは胃内停水の存在を示すものである。
白朮三両、茯苓三両、芍薬三両、生姜三両切、附子一枚炮去皮破八片。
右五味、以水八升煮、取三升、去滓温服七合、日三服。
[訳] 白朮三両、茯苓三両、芍薬三両、生姜三両切る、附子一枚炮じて皮を去り八片に破る。
右の五味、水八升を以て煮て、三升を取り、滓を去り、七合を温服し、日に三服す。
白朮と茯苓の組合わせは胃内停水、水分停滞、腎の炎症を作用をもち、生姜も胃内停水、嘔吐を治し、健胃作用ももつ。芍薬は鎮痛、強壮作用をもち、炮附子は強壮、鎮痛、利尿作用をもち、五種の薬物が相互に関連して共力作用を発揮するように選んで用いてある。
康平本ではこの処方を玄武湯としており、『解説』では玄武湯が正しいとしているが、これについては第二五条ですでに説明しておいた。
『傷寒論再発掘』
59 少陰病、腹痛 小便不利 四肢沈重疼痛、自下利 或欬 或小便利 或不下利嘔者 真武湯主之。
(しょういんびょう、ふくつう しょうべんふり ししちんちょうとうつう じげり あるいはがいし あるいはしょうべんりし、あるいはげりせずおうするもの しんぶとうこれをつかさどる。)
(少陰病で、腹痛し、小便が十分に出ず、四肢は重苦しくだるく痛み、自ら下痢するようなものは、真武湯がこれを改善するのに最適である。そのようなのののうち、あるものは欬し、あるものは小便が十分に出るし、あるものは下痢などはせずに嘔するものがあるが、このようなものもまた、真武湯がこれを改善するのに最適なのである。)
少陰病 でというのは、全体的な状態としては歪回復力(体力あるいは一般生活反応あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味です。
腹痛 とは、とにかく現象として腹が痛むことです。
小便不利 とは、とにかく現象としては小便の出が十分でないことです。個体病理学の立場では、血管内水分の減少があるためか、それとも、腎臓への血流がじゅうぶんでないためか、などが考えられます。実際には、色々の場合があるかもしれません。
四肢沈重疼痛 とは、四肢が重苦しく、だるく痛むことです。個体病理学の立場では、四肢に水分が過激に偏在する場合もあれば、反対に欠乏する場合もあり得ると考えていくわけです。実際には、どちらの場合もありそうです。簡単に「水気の停滞」と決めつけてしまわない方が良いでしょう。
自下利 とは、下剤など使わす、自ずから下痢の生ずることです。個体病理学の立場では、胃腸管内での水分の排出がその吸収をはるかにこえている状態とみるわけです。このような状態が長くつづけば、体内水分はますます減少し、歪回復力(体力あるいは一般生活反応)はそれだけ減退していくことが予想されます。従って、真武湯のように、下痢をとめ、水分をまず体内にとどめて、血管内水分の減少も改善して、その結果、利尿がついてくるような作用を持った薬方は、こういう場合、最も適応する薬方になり得ることが十分に納得されます。
或欬 とは、今迄のような基本的な病態があって、なお咳する場合を言うわけです。個体病理学の立場では、胸部に水分が過剰に偏在していると考えておいてよいでしょう。真武湯で利尿がついてくると、そのような欬も消失していくことが予想されます。
或小便利 とは、小便が十分に出ていることであり、小便不利の状態よりまだ軽症の状態と考えてよいでしょう。
或不下利嘔者 とは、胃腸管内での水分の排出過剰の部分が、通常は下痢となる筈であるのに、下に行かず上にのぼってきて嘔する状態となったものであると、個体病理学の立場では、解釈することになります。このような状態も真武湯による利尿によって改善されていくと考えることが出来ます。このような状態も真武湯による利尿によって改善されていくと考えることが出来ます。
現象に対する説明は色々あるわけですが、出来るだけ、「前近代的な用語と概念」を使わずに、統一的にしかも近代人の言葉で説明していくことが大切であ識と思われます。それが筆者の望む「近代漢方」ですので、そういう立場で「傷寒論」も「再発掘」しているわけです。どこまで成功するかわかりませんが、やるだけやっていくのみです。
59’ 白朮三両 茯苓三両 芍薬三両 生姜三両切 附子一枚炮去皮破八片。
右五味、以水八升煮 取三升 去滓 温服七合、日三服。
(びゃくじゅつさんりょう ぶくりょうさんりょう しゃくやくさんりょう しょうきょうさんりょうきる ぶしいちまいほうじてかわをさりはっぺんにやぶる。みぎごみ みずはっしょうをもってにて、さんじょうをとりかすをさり、ななごうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)
この湯の形成過程については既に第13章14項において考察した如くです。すなわち、(白朮茯苓) 基が生薬配列の最初にきていますので、その利尿作用を通じて、各種の異和状態を改善することが最も強く意図されていることがわかります。次の 芍薬 は体内に水分をとどめる基本作用の他に腹痛や四肢痛を改善する局所作用があります。更に、 生姜 は水分を体内にとどめる基本作用の他に嘔吐や下痢を改善する局所作用があります。この上に、強力な「水分の体内への保持作用」という基本作用の他に鎮痛、利尿、止瀉作用などの局所作用を持っている 附子 が追加されているわけです。結局、腹痛、下痢、嘔吐、四肢痛などを利尿を通じて改善する生薬構成の湯であることが分かります。
生薬構成の面からみますと、この湯は桂枝去桂加白朮茯苓湯の生薬構成から、 甘草 と 大棗 という二つの甘味の生薬を除いて、 附子 を加えているものです。古代人が実際にこの湯を創製した時は、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯(芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯)が基になっていたのではないかと推定しています。
なお、真武湯の湯名の由来についても既に第13章14項で考察しておきましたが、これについて述べますと、余りにも長くなりますので、割愛いたします。興味のある方は第13章14項を参照して下さい。
康治本傷寒 論の条文(全文)
【コメント】
『傷寒論再発掘』
p.451
すなわち。(白朮茯苓)基が → すなわち、(白朮茯苓)基が に訂正(読点→句点)