健康情報: 康治本傷寒論 第六十二条 少陰病,脈沈者,宜四逆湯。

2010年7月3日土曜日

康治本傷寒論 第六十二条 少陰病,脈沈者,宜四逆湯。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、脈沈者、宜四逆湯
  [訳] 少陰病、脈の沈なる者は、四逆湯に宜し。

 宋板、康平本には脈沈者の次に急温之(急にこれを温めよ)の三字があるが、いずれにせよきわめて単純な条文であるから、その点に関して議論が展開されるのである。
①『入門』四○○頁では「本条は単に脈候を、而も但だ沈とのみ記載して、他の証候及び詳細なる脈候に及ばないのは、既に本篇に於て少陰病の脈証について度々詳細に論じられているから、それを冒頭の少陰病の三字に包含させているのである。だから脈も沈の他に微細、或いは濇であり、証は但だ寐んと欲するの他に、或いは自利して渇し、或いは咽痛、或いは悪寒して蜷し、或いは手足厥逆等はあり得べきであるが、主眼するところは裏虚である。即ち内臓諸臓器の機能が急に麻痺状態に陥ることであるから、一刻を争って之を賦活せねばならない」という。一応は筋道の通った理窟にはなっているが、具体的に症状を表現しない理由がなおわからない。しかも「少し遅るときは……死証は立ちどころに至る」というのも私は信用しない。
②『講義』三七九頁では「少陰病の急証にして、其の正証を倶備するに至らず、唯脈沈潜して殆ど触るべからざる者は、是れ四逆湯を以て急に温むべき証なるを明らかにするなり」というが、「少陰病の一激証にして」脈以外に何の症状も現わさない病態というものは本当にありうるものであろうか。私には考えられない。
③『入門』には「陳修園(清代の医学者)は所謂微を見て著を知るものは、患を未形に消すなりと言って、脈の沈なることよりして病が如何に発展せんとするかを、未発の間に推知して万全の策を講ずべきを説いている」とある。しかし脈沈のときだけこのような心構えを説く必要はなく、脈浮のとき第一条で如何に発展せんとするかを考察したように、何にでも言えることであり、これを前提としなければ傷寒論そのものが成立しない。
④以上の諸説はどれも納得できないので、私はこの条文は厥陰病の激症をのべた第六○条(通脈四逆湯)の後に位置しているから厥陰病の治療を論じたものと考えるのである。脈沈であるから第六○条の脈微欲絶ほどは悪化していないことがわかるし、少陰病の第五四条(附子湯)の脈沈と同じであるから、この条文は厥陰病の軽症を述べるべき筈のものであると思う。
 第四七条(白虎湯)で陽明裏位の激症(三陽合病)を詳細に示した時には、第四一条(白虎湯)はその軽症だから抽象的に簡単にしか表現されていない。これと同じ関係になっているからである。
 厥陰病を少陰病と表現した理由は第六○条の場合と同じである。

甘草二両炙、乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片。
右三味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。

[訳]甘草二両炙る、乾姜一両半、附子一枚生用うるには皮を去り八片に破る。
   右の三味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服す。

『入門』、『解説』、『講義』等で四逆湯と通脈四逆湯を少陰病の治剤とし、あるいは少陰病の治剤だが厥陰病にも用いるとする見解には賛成できない。まして『皇漢』のように四逆湯を太陰病の治剤とすることはとんでもない間違いである。これらは厥陰病の治剤なのである。


『傷寒論再発掘』
62 少陰病、脈沈者 宜四逆湯
   (しょういんびょう みゃくちんのもの しぎゃくとうによろし。)
   (少陰病で、脈が沈であるようなものは、これを改善するのに、四逆湯などを考慮しておくとよい。)

 この条文はあまりにも単純すぎる条文ですので、かえって、色々の推論がなされやすいようです(『康治本傷寒論の研究』長沢元夫著296項 参照)。筆者はあまり複雑に考えないようにしていくつもりです。
 少陰病 でとは、今までと同じ様に、全体的にみて、歪回復力(体力あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味でよいと思います。
 脈沈者 というのも、脈が沈んでいて、容易には触れ得ないような脈のことでいいと思います。撓骨動脈の上に指をのせて、深く圧してはじめて触れ得る脈のことです。
 四逆湯 という表現は「原始傷寒論」ではこの条文が初めてであり唯一です。大部分の条文では「主之」であり、第11条では「与」が3回使われており、第23条第28条第31条にそれぞれ1回ずつ使われています。また、「発之」という表現も第17条で使われていますが、この場合は「汗を発して改善する」という意味です。第28条での「与」の使われ方を見てみますと、「与えて様子を見ると良い」というような解釈が一番ぴったりしますので、その他の条文での「与」も同様な意味で良いかどうか考察してみましたが、やはり良いようです。「主之」は勿論、「最も適当である」という意味です。したがって「宜」という意味は、これらとは少しちがったものとして考察してみましょう。
 この条文を素直に読んだ場合、少陰病といっても、脈が沈であるだけでは一体どのような薬方を投与したらよいのか到底わかる筈がありません。したがって、その素直な印象の上に、この条文を解釈した方が良いと思われますのに、傷寒論研究者の諸先輩は少し「考えすぎ」の傾向があるように思われます。条文を字句だけから理解しようとすると、どうしても無理な解釈を導入するようなことにならざるを得なくなるのでしょう。
 そこで条文を「原始傷寒論」の全体像の中で考察していくことにしましょう。四逆湯の生薬配列が出ている条文はこれだけですので、これはどうしても必要欠くべからざる条文であるのですが、誠に奇妙なことには、四逆湯を基にして作られたと思われる通脈四逆湯の条文の方が先に出ているのです。しかも、その通脈四逆湯の条文(第60条)の前半部は四逆湯でも適応する可能性のある条文であり、後半部分は前半部分よりやや重症と思われる内容であるとともに、「通脈」の由来を示すと思われる部分(或利止、脈不出者)がある条文です。
 これらの事柄から筆者は、既に第13章16項でも触れておいた事ですが、以下のような事を推定しているわけです。
すなわち、伝来の条文群があった時代では、四逆湯に関して本来の条文は第60条の前半部分の基になったもの、すなわち、「下利清穀 手足厥逆 脈微欲絶 身反不悪寒 面赤色者 甘草乾姜附子湯主之」というようなものであったのだと推定したわけです。その後、このような病態の上に、更に腹痛や乾嘔や咽痛や利止脈不出のような症状が加わった者に対しては、四逆湯(甘草乾姜附子湯)に更に乾姜を追加した湯すなわち、通脈四逆湯(甘草乾姜附子乾姜湯)の方が効果かあったような臨床経験があったので、「或腹痛、或乾嘔、或利止脈不出者、甘草乾姜附子乾姜湯主之」というような条文が追加されていったのだと思われます。その後、「原始傷寒論」を初めて著作した人がこの伝来の条文を基にして、第60条のような通脈四逆湯の条文にしてしまったので、四逆湯についてのまともな条文がなくなってしまったわけです。それでは「原始傷寒論」として大きな欠陥が残りますので、四逆湯の生薬配列を持ったまともな条文を作る必要があって、この第62条がつくられたのだと推定されます。もし、そうだとすれば、この条文には具体的な症状を書く必要は全くないのであるということになり、このような不完全な条文の存在理由が明確にされたことになります。
 従って、「宜」という言葉の意味は、必ずしも四逆湯のみを指示する言葉とは限らないということになるでしょう。「四逆湯などを考慮しておくとよい」というような弱い指示の言葉に訳しておいた次第です。

62’ 甘草二両炙 乾姜一両半 附子一枚生用 去皮破八片 右三味 以水三升煮 取一升二合 去滓 分温再服。    (かんぞうにりょうあぶる、かんきょういちりょうはん ぶしいちまいしょうよう、かわをさりはっぺんにやぶる。みぎさんみ みずさんじょうをもってにていっしょうにごうをとり かすをさり わかちあたためてさいふくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章16項で考察したごとくです。すなわち、甘草乾姜湯と乾姜附子湯との合方のような形式で創製されたのであると推定されます。甘草乾姜湯(第11条)は発汗後の異和状態の一種を改善する薬方であり、乾姜附子湯(第18条)は発汗後あるいは瀉下後の異和状態の一種を改善する薬方ですので、四逆湯は発汗後であれ瀉下後であれ、とにかく、体内水分が激減しているような病態を改善する作用がある筈ですので、条文の如き場合、当然考慮すべき薬方となるでしょう。