健康情報: 康治本傷寒論 第一条 太陽之為病,脈浮,頭項強痛而悪寒。

2009年8月3日月曜日

康治本傷寒論 第一条 太陽之為病,脈浮,頭項強痛而悪寒。



『康治本傷寒論の研究』
太陽之為病、脈浮、頭項強痛而悪寒。
 [訳]太陽の病たる、脈浮、頭項強痛して悪寒す。
 冒頭の「太陽の病たる」という表現は、「太陽病とは」、という軽いものではなく、「そもそも太陽病というものは」、という重々しい表現なのである。そこで古来この第一条は太陽病の大綱をのべたものとされている。『解説』(135頁)では「傷寒論で太陽病と呼ぶ病気がどんなものであるか、この章(正しくは条)でまずその大綱を明らかにしたものである」といい、『講義』(8頁)では「この章は本論の首章(正しくは首条、集成でも弁正でも条を用いている)にして、又太陽病の提綱なり。故に先づ太陽病の意義及び地位を明らかにして、以て其の大綱と為す」、といい、『文章』では「第一条は太陽病の総綱である」、と皆同じ解釈をしている。
 ところで太陽病、即ち陽病で最も重要な自覚症状は熱感を覚えること(発熱)である。そして陰病のそれは寒けを覚えること(悪風または悪感)である。このことを『弁正』では「三陽はこれ熱を主る也」、「三陰はこれ寒を主る也」と表現したのである。そうならば太陽病の大綱をのべた第一条で何故にこの重要な発熱について言及していないのであろうか?
これについては色々な理屈が述べられている。
①『集成』では、第三条の太陽病傷寒の初証に「或はすでに発熱し、或はいまだ発熱せず」とあるように、発熱のある場合とない場合があるので、第一条では発熱を言わないという。これは第三条のところで詳しく説明しなければならないが、とにかく第三条の誤読によるものであるから問題にならない。
②『入門』(33頁)では「悪寒は表証であって、陽証においては太陽に独特の証候」であるから「綱例に発熱を措いて悪寒を挙げ、以て太陽の標準となす所以なり」という『弁正』の説を引用している。しかし小柴胡湯証にも白虎加人参湯証にも悪寒は存在するので、太陽病に特有なものではない。また「単に脈は浮なりなりというだけで、発熱なる証候は予想されているのである」(32頁)とも論じているが、最も重要なものを暗示するにとどめる理由にはならない。
③『文章』と『講義』では第一条から第三条までが組になって太陽病の全体を説明しているのだから、第一条では発熱を暗示してこれを略し、その代りに第二条第三条で冒頭に発熱をあげている、と説明している。三個の条文が組になって太陽病の大綱が明らかになるというのであれば、第一条は大綱を示すと規定したことに反することになる。重々しい書き出しにもかかわらず、内容が不完全だというのならば、文章論としておかしなことになる。
④『解説』(136頁)では「発熱は太陽病の重要な目標であるのに、なぜこれを挙げなかったのであろう。……通常、悪寒が先行して、或る間隔をおいて熱感をおぼえる。……悪感のあとに発熱の来ることを予想しているのである」、と説明されている。この説明が私には最も良く理解できる。太陽病は悪寒からはじまり、その後に発熱する。しかし発熱する前から脈が浮になっているから、後で発熱することを予想できるのである。このように解釈することは、第一条は太陽病のはじまりを論じていることになり、太陽病の大綱や総綱を論じていないことになる。ところが『解説』でははじめに大綱だといい、あとではじまりだという。これを両立させることは論理的に不可能であるから、どちらかにしなければならない。
 以上の根拠から、私は第一条は太陽病の大綱をのべたのではないと見做している。それならば何故冒頭に太陽之為病という重々しい句をつけたのであろうか。この矛盾を解決するためには、陽病や陰病についての基本的な考え方が別にあると考えなければならなくなる。しかもそれは傷寒論を隅から隅までしらべても見出すことができない。
 この問題の解決に役立つ文章を私は霊枢の第十巻、百病始生第六十六の中に見出した。「黄帝、岐伯に問うて曰く、夫れ百病の始めて生ずるや、皆風雨、寒暑、清湿、喜怒より生ず。喜怒して節せざれば則ち蔵を傷る。風雨は則ち上を傷る。清湿は則ち下を傷る。云々」、という文章の中の「風雨則傷上、清湿則傷下」というところである。即ち外邪は体内に虚なるところがなければ侵入できないものであるから、虚なるところを持つ人が風雨におそわれるとその邪(陽邪)は上から侵入して下方に向って進み、清湿におそわれるとその邪(陰邪)は下から侵入して上方に向って進むというのである。前者が陽病であり、後者が陰病である。
 陽病は上から下へ進むのであるから、陽病のはじまりの太陽病は、身体の一番上に現われる自覚症状としての頭痛、項強(うなじがこわばる)からはじまるのである。そして傷寒論の体系の中心にすえられた対立症状である発熱と悪寒については、悪寒からはじまり、発熱は後で生ず識が、まだ発熱していない時でも脈をみて、それが浮であればやがて発熱することを知りうる。これだけの認識を文章にしたのが第一条なのである。
 ところで陽病の邪は上から下へ進むということは、病原菌を発見するよりもはるかに昔のことであるから、あらわれた症状によって病気になったことを判断することになり、陽病ははじめに症状が上部にあらわれ、次第に下方の症状に移るということになるのである。
 傷寒論(康治本も宋版も)には上下という表現はなく、表裏、内外という言葉が使われているので、今までは誰一人として上下の概念を使用しなかったが、この概念を導入しなければ説明のつかない条文が実は沢山あるのである。
 また霊枢の文章を引用したことに疑問をもつ人も多いであろう。霊枢は針灸の書物であって、湯液療法とは別物だと考える人もいるであろうし、また素問・霊枢は黄河流域を背景に発達した医学に属し、これに対して傷寒論は長江流域または江南地方を背景にして形成された医学であり、両者は異なった世界観をもつ別々の体系をなしたものである、という考えに賛成す識人も漢方の世界には多いからである。これについては私は「傷寒論医学の発生地」(和漢薬、一八七号、一九六七年十一月)と題した論文で批判しているが、ここでは再論せず、ただこのようなつまらない説に拘泥していると広い視野をもつことができなくなることを指摘しておきたい。

次は「頭項強痛」という句について考えてみる。これは頭痛と項強であることに異論はない。項は後頸筋即ちうなじ、強はこわいこと即ちこわばること。したがってこの四字は次のように配列していることになる。


頭項強痛

 これについて『講義』(9頁)では「古書には多く斯く如き句法有り」とあり、『集成』ではさらにくわしく「これはけだし文の一体なり、なお車馬羸敗(後漢書羊続伝)、耳目聾瞑(晋書山濤伝)と称するがごとし」と説明しているだけで、語順を入組ませた積極的な理由をのべていない。
 千金方や外台秘要をしらべてみると、むしろ、頭痛、項強と表現した条文の方が多いのであって、中国人の習慣として頭項強痛と表現したものではないことがわかる。千金方の巻九には
①治傷寒、頭痛項強、四肢煩疼、青膏方。
②赤散、治傷寒、頭痛項強、身熱、腰脊痛、往来有時方。
というような条文がいくつか見出せる。そうすると傷寒論の著者(張仲景のことではない)は何故頭痛項強という表現を使用しなかったのであろうか、ということを考察しなければならないことになる。
 文章によってある事を論ずるときには適切な言葉をえらぶのにことのほかに、言葉の順序というものが重要である。ことに少ない語で多くを語ろうとする古文の場合にそれが顕著にあらわれる筈である。例えば孫子の始計第一に「将者、智、信、仁、勇、厳也」とある場合、将とは厳(威厳)によってまずその優劣がきまると読む人はいないだろう。将とは智(事理に明らかなこと)によってまずその優劣がきまる、と読まなければならない。つまり重要度の順に配列されているのである。
 傷寒論をつくる立場の人になったと仮定して考えてみると、太陽病に関係のある症状として頭痛、発熱、項強、悪感、咳嗽がすべて存在する場合に、その順序をどうすれば的確に表現できるかという点に大いに頭を悩ますであろう。頭痛、項強とならべると頭痛をより重視した印象を与える。こ英両者に同じ程度の重要性をもたせようとすれば頭項強痛としなけらばならない。
 このような特殊な表現法がさらに重要な意味をもってくるのは実は第五条第六条との関連においてである。
第五条  太陽病、頭痛、発熱、汗出、悪風、桂枝湯、主之。
第六条  太陽病、几几,反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯、主之。
この両条を比較してみると第一条の頭項強痛がふたつに分裂して第五条第六条に夫々使用されているのだから、ここで病気が分裂することを示したことになるのである。そして第一条は分裂する前の状態を表現しているのである。
 次は最後の「而悪寒」を考えてみる。中国の古文においては接続詞は甚だ重要な役割をもっている。而という接続詞を英語の and のようなものと見てはいけないのである。第一条から而を除いて「脈浮、頭項強痛、悪感」としれば、最後に置かれた悪寒は多くの症状の中のひとつというだけで軽く扱われたことになる。ところがさきに記したように、太陽病は悪寒からはじまるのだから、悪寒は極めて重要な症状である。そうだからと言って悪寒を一番前に置くと、陽病を論ずると言うよりもむしろ陰病を論ずる形になってしまう。太陽病の一番重要な症状である発熱の位置をおかしくしてはならないのである。このような時に接続詞をつけて「而悪寒」として文の最後につけると、読者はこの悪寒には特別な意味があることがわかるのである。
 私は以上のように解釈しているが、ここでもまた色々な解釈が可能である。
①『文章』では「この而の字は、強痛と悪寒の動詞の間にあって、之を接続しているから、この悪寒が脈浮、頭項強痛と関連しての悪寒で、孤立した悪寒ではない。孤立した悪寒は傷寒論では陰病の徴証とするのであるが、今はここに而の字を置いて脈浮、頭項強痛と関連しているから発揚性の悪寒である。即ち悪寒と同時に必ず発熱を伴う悪寒となることを示しているのである」、となっていて悪寒が発熱に先行する事実を認めていないし、孤立した悪寒とか発揚性の悪寒という論法はこじつけに近い。
②『講義』(9頁)では「蓋し悪風寒の証たる、陰証、陽証共に発する所なり。而して之を弁別する所以は、脈浮、頭項強ばり痛むと否らざるとに在り。故に而の一字を挿みて上句に接続し、以て其の陰証の悪寒に非ざるを明らかにす」、と論じているが、而の一字が無くてもよいのではないか。「今先づ陽証の初発にして、未だ発熱するな至らざる者を挙げ」と言うところは正しいが、「而して此の悪寒に続いて発熱す可きは、自づから之を言外に含蓄す」、は間違っている。言外ではなく、はっきりと脈浮という句でそれを示している。
③『解説』(137頁)では「脈浮、頭痛、項強の三つが揃っていても、悪寒または悪風のないものは太陽病と呼ぶことはできない。傷寒論の原文では、これらの症状と悪寒との間に而の字を入れて、悪寒が特に重要な症状であることを示している」、と論じ、(136頁)では「もし熱があっても悪寒を伴わなければ太陽病ではない。だからこの場合は発熱よりも悪寒が大切である」、という意味に而を解釈している。『弁正』で「悪寒を以ってこれ太陽の標準となす也」、というのと同じであるが、両者とも奇妙な論法というほかない。
 純粋に理屈だけで考えた方がわかりやすい。熱感を(+)、悪寒を(-)で表現するとき、(+)と(-)の組合わせは次の三個以外に存在しない。
        (++)…熱寒だけで悪寒はない
        (+-)…発熱と悪寒
        (--)…熱寒なく悪寒だけ
ここで(--)は陰病であることは明らかであるから、そうすると陽病には(++)と(+-)の型が存在することになる。
 第二条の太陽中風も、第三条の太陽傷寒も(+-)の型に属することは明らかであるが、傷寒論にはこれ以外に太陽病の型は存在しないとはどこにも書いていない。むしろ宋板には「太陽病、発熱而渇、不悪寒者、為温病」、という条文があり、(++)の型の太陽病が存在することを明記してある。これを認めるならば太陽病では発熱よりも悪寒が大切などという理屈は成立しないことがわかるであろう。

『傷寒論再発掘』
1 太陽之為病、脈浮、頭項強痛 而、悪寒。 
   (たいようのやまいたる、みゃくふに、ずこうこわばりいたみて、おかんす。)
   (太陽の病というのは、脈が浮で、頭が痛み、うなじがこわばって、悪寒するようなものを言う。)

 これは「太陽病」というものを定義している条文ですが、幾何学の定義のように厳密なものではなく、むしろ、「太陽病」というものの基本的な特徴をあげて、そのおおよその姿を示しているものです。
 感冒にかかった時など、さむけがして、頭痛がしたり、首すじがこったりすることは現在でもよく経験されることです。こういう病の初期の姿を「太陽病」の特徴として把握し、簡潔に条文にしているのです。「脈浮」ということは、指を軽く乗せただけでも脈拍を感じる、触れやすい脈になっていることです。発熱して、心臓の鼓動が早く大きくなると、普段よりも脈が触れやすくなります。典型的な場合は確かに「脈浮」となりますが、実際は、常に「脈浮」になるとは限らないように思います。
「太陽病」というのは、一般には、病の初期の病態のことと理解していればよいと思われます。この第1条でも、論議をすれば誠にきりがないものになります。興味のある人達は、その他の成書を見てください。
 
『康治本傷寒論解説』
第1条
【原文】  「太陽之為病,脉浮,頭項強痛而悪寒.」
【和訓】  太陽の病たる,脉浮,頭項強痛して悪寒す.
【訳文】  太陽病とは,脉は(有熱性)浮脉で,頭痛域いは項強のような表熱外証があって、更に(発熱)悪寒する場合をいう.
定義条件の分類
 ① 寒熱脉証 浮
 ② 寒熱証  発熱悪寒
 ⑤ 表熱外証 頭痛域いは項強のような
【解説】  傷寒論では,病期を6期に分けて解説をしています.このことはハンス・セリエ博士の「ストレス学説」の警告期,を含んだ抵抗期が傷寒論における三熱病に対応し,敗退期がそれぞれ傷寒論にお各る三寒病に対応しています.この条は,三熱三寒のうち病が始まるところ,すなわち太陽病を①寒熱脉証,②寒熱証,⑤表熱外証(特異症候)の3つの条件で定義をしています。
【句解】
 頭項強痛(ずこうきょうつう):頭痛,項強の意味.「後漢書」には車敗馬羸といって車馬羸敗(敗戦の意)のことをいいます.また「晋書」には耳聾目眩といって耳目聾眩というのと同文法です.したがって,頭項強痛は頭痛域いはうなじが強ばったという意味になります.

『康治本傷寒論要略』
第一条
「太陽之為病脉浮頭項強痛而悪寒」
「太陽の病たる、脈浮、頭項強痛すれども悪寒す」

 ①「太陽病」:陰陽説(中国の紀元前には既に陰陽説という立場で対立概念を使って物を見ようとする論理性が出来ていた)の陽に所属する病気のこと。これはまた病気したときに熱を出す。つまり発熱するときが陽である。それに対立する陰というのは悪寒である。つまり寒気(さむけ)がするのである。これが対立概念になる。
 ②太陽病というのだから、陽病の一番初めの状態である。その状態が、脉を診ると浮いていて、頭痛がして、項が強ばっていて、そして寒気(さむけ)がすると書いてある。
 寒気がするというのは、陰陽説から見ると陽の対立概念になるので、熱とは反対概念になる。陽とは反対の性格の症状だから、「而」という接続詞は逆接に読むことなる。つまり陽病の始まりだから、症状がみな陽の性格かというと、そうではない。反対の陰の性格を持った悪寒が初めから出てくるのだ、ということである。そのときにはまだ発熱していないのである。発熱がまだ表に出ていない。悪寒だけが表面に出てきている。
 しかし表に出ているから一番重要であるが、それを文章の一番初めに出したらそれは陰病の文章になってしまう。しかし一番下に置いたのでは軽く見られて無視されかねない。従って「而」を使って、一番最後に「悪寒」を置いたけれども、これは極めて重要な症状であることを読者に気付かせる一つの手法である。そのための言葉の順序なのだと理解できる。
 ③「脈浮」:脈は普通は寸口脈といわれている。宋板傷寒論第3編18条に「寸口脈浮為在表」(寸口の脈、浮なるものは表にありとなす。)とある。また同書同篇の傷寒例13条「尺寸倶浮者、太陽受病也」(尺寸、倶に浮なる者、太陽病を受ける也)とある。だから「脈浮」ということで表に病邪がある状態、表に病邪があるものを太陽病と呼ぶ、と説明している。したがってまた、表に病邪があって脈が浮いているときには発熱しているのだから、発熱という言葉が第1条になくても発熱があるということは解るはずたとする解釈もあるが、疑問に思う。
 ④「頭項強痛」:これは頭痛と項強の二つの症状を意味する言葉であることは、皆認めるところである。しかし何故、頭痛・項強と並べて書いていないのか。古い文献では頭痛・項強と並べて書いてあるものもあるのにかかわらずである。
 古文では最重要な言葉が一番初めに出てきて、順次軽い言葉が置かれるようになっている。ここで「頭痛項強」に数字を当てはめれば、頭(4)痛(3)項(2)強(1)となる。頭痛:4+3=7、項強:2+1=3とな責、当然頭痛が項強よりも重要となる。
 ところが「頭項強痛」と並べると、頭痛:4+1=5、項強:3+2=5となって、頭痛と項強が対等に重要であることが解る。
 頭項強痛だから余計に頭痛と項強という症状を入り組ませた表現を使った理由について、考えなければならないのである。
 こういうことを配慮しない文章を例示する。唐代の『千金方』に「傷寒、頭痛、項強し、四肢煩疼を治す。青蒿方」とある。ここでは「頭痛、項強」と入り組ませていない。つまり文章として複雑な内容を表現する必要のないときには、この表現でよいのであって、「頭項強痛」と入り組ませたのは、それだけの考えを要求している。つまり読者に考えて欲しいためにこういう強調した文章としてのである。「頭項強痛」でも「頭痛項強」でも同じだとする考え方は、上のような背景を無視しているのである。
 ⑤「而して悪寒す」:上述したように、陽病はここから始まるのだが、この時点ではまだ発熱していなくて、悪寒が先ず出てきているが、脉が浮だから時間が経過すると発熱してくることを示している。それは第2条に移ると「太陽病、発熱して~」と、陽病の一番重要な目印となる「発熱」が一番初めに置かれている。第1条に発熱が書いていない理由を、脉が浮いてい識から発熱しているはずだとする解釈もあるが、それは古文に対するその人の解読力の差であろう。
 ⑥「而」:接続詞としては順接と逆説がある。順接として使用されているのが多い。例えば傷寒論英訳「Treatise on febrile diseases caused by cold」(寒によって引き起こされた熱性の病気の論文)があるが、その第1条は「A floating pulse, headache, still neck, and a feeling of chill are always the general symptoms and signs of the Taiyang syndrome」。浮いた脉、頭痛、強ばった項、そして寒気を感じるのは常に太陽病の一般的症候群であるし徴候群でもある。となっている。
 「and」だから、「而して」は順接としての使い方であり、逆説は全く考慮されていない。これでは「而」がなくてもよいことであって、何故「而」が入れてあるかなどとは、全く関係のない書き方になっている。しかし原文で「而」を入れてあるのは、この「而悪寒」は特別な意味があることを気づかせるためなのである。それを読みとらねばならない。ここに中国の古文の難しさがある。これによって熱感よりも先に悪感が出てくると読むことができる。
 ⑦こういう古文章としての読み方をすれば「太陽之為病~」は太陽病の大綱を述べたのではなく、太陽病の初期状態を述べた文章だと理解できる。そうすると「少陽の病為る~」や「陽明の病為る~」の場合も、大綱を述べたものではないことが理解できる。
 第1条に書いてある症状の頭痛・項強(あるいは発熱)は表症だと言う人もいる。しかし傷寒論では表・裏・内・外等の言葉の説明は全くされていない。これが古文の特徴である。従ってこれらの言葉が使われている条文を解釈するのに、一番合理的に説明できるものを見つけ出していくしか方法はないと思う。
 私は、長沢先生の解説を採用する。
 人間の体を横から見ると横隔膜のところを中心にしてAのところに症状が出ているときにこれを表と言っている。頭痛や項強などは表に属する。決して体の表面という意味にはならない。
 Aが表ならBは裏、Cが内、Dが外となる。傷寒論の全文章を通して表という言葉を使っている文章が、全部合理的に説明できる解釈が、正確に最も近いものとなる。そういうつもりで一つ一つの術語から調べていかないと傷寒論は読めなくなるところに傷寒論という医書の難しさがあると思う。

康治本傷寒論の条文(全文)

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