『康治本傷寒論の研究』
発汗若下之後、反悪寒者、虚也。芍薬甘草附子湯、主之。但熱者、実也。与調胃承気湯。
[訳]汗を発し、若しくはこれを下して後、反って悪寒する者は、虚なり。芍薬甘草附子湯、これを主る。但熱する者は、実なり。調胃承気湯を与う。
現在の漢方では虚実の概念を煩繁に使用しているが、康治本ではここではじめて使用され、ここらら後も二回しか出てこない。古きは重要な概念ではなかったようである。
前段に反って悪寒する者と表現しているのは、熱感のないことを意味しているから少陰病になつたわけである。そしてこのようになったのは精気(生命力)が虚(うつろ、からっぽの意)となったためである、と説明したことになる。前段は虚也で一応文が切れているから、次の芍薬甘草附子湯主之とは直接つながっていない。だから「これを主る」となっているのに、適応症であるとか、唯一無二の処方であるとかいう関係にはなっていない。
では何故この処方を記してあるかについて考えてみるに、第四条で太陽病が陽病と陰病に分裂した初期にはひとしく桂枝湯を用いることができると論じている。桂枝湯を構成する五個の薬物のうち、重要なものは桂枝、芍薬、甘草であることはすでに述べた。したがって陰病に変ったことが明らかな時には桂枝湯を用いる必要はないし、その代りに附子を用いるのが妥当である。このことを処方で示すと芍薬甘草附子湯となるのである。
『講義』八八項に「唯悪寒の一候のみを挙げて、爾余の諸徴を略せるなり」と説明しているのは、『文章』に「傷寒論の文章を一括して眺めると、其の題名(篇名のこと)が示しているように、傷寒なる疾病の脈、証、治方を弁定したものである」と論じて感るような見方がわが国では固定しているからである。このような見方からは、前段において虚也で切れた文章はその意味がなくなってしまうのである。
また『講義』九○項では「悪寒者虚故也」の説明として「発汗によって表証解し、精気虚して、未だ復せずして悪寒を現わす者なり。此の証は唯精気の虚のみにして、芍薬甘草附子湯証と似て非なる者なり。元来精気の虚は、薬方を以って補う可からず。当に食品を以ってこれを養うべきなり」と論じている。何だか開き直った妙な説明になっている。
この条文では宋板では次の二条に分かれている。
①発汗、病不解、反悪寒者、虚故也。芍薬甘草附子湯、主之。
②発汗後、悪寒者、虚故也。但熱者、実也。当和胃気、与調胃承気湯。
開き直った説明は②のものであるが①と②は本質的には同じことを論じていると私には思えるのだが。
後段の但熱する者と感うのは、悪寒がなく熱感だけの者ということだから、陽病の中の(++)というタイプであり、これは(+-)タイプを示す傷寒や中風とは異なった温病というものである。これを指して実也、即ち病邪が実(いっぱいつまる意)になったと表現したのである。そして後段はここで一応切れているから、次の「調胃承気湯を与う」とは直接関連していないのである。
『講義』九○項には後段は「実証に進む者を論ずるなり。熱とは所謂悪熱の意。実とは邪実の義。この証すでに熱実に属すと雖も未だ陽明の証悉く備わらず。故に調胃承気湯を与えて其の後証の変化如何を見るなり」とあるようにこれを陽明病とは見做さずに、陽明病の入口にきていると見ることが大切である。即ち太陽温病の中期にすでにこの処方を使用することがあるのである。
このように見てくると、この条文は太陽病の(+-)型から、前段は(--)即ち少陰病へ移行すること、後段は(++)即ち温病に移行することを論じたことになり、太陽病の変証を述べる中において特殊な位置を占めていることが理解できる。
私がこのような解釈をするのに最も役立った書物は脇坂憲治氏の『陰陽易の傷寒論』(一九五九-一九六一年刊)、楊日超氏の『温病の研究』(一九七八年)、呉鞠通の『温病条弁』(一八一三年)であることを附記しておきたい。
芍薬三両、甘草三両炙、附子一枚炮去皮破八片。 右三味以水五升、煮取一升五合、去滓、分温三服。
大黄四両酒洗、甘草二両炙、芒硝半升。 右三味、以水三升、煮取一升、去滓、内芒硝、更煮両沸、頓服。
[訳]芍薬三両、甘草三両炙る、附子一枚炮、皮を去り八片に破る。 右三味、水五升を以って、煮て一升五合を取り、滓を去り、分けて温めて三服する。
大黄四両酒にて洗う、甘草二両炙る、芒硝半升。 右三味、水三升を以って、煮て一升を取り、滓を去り、芒硝を内れ、更に煮て両沸し、頓服する。
調胃承気湯には植物性下剤の大黄と塩類性下剤の芒硝が含まれているが、宋板の条文に胃気を和すと書かれているように、単純な意味での下剤ではないこと、および胃弱の人に使うことも多いので、大黄を去るかまたは極く少量とするのが実際的であると脇坂氏は述べている。
頓服とは一頓服の略で、頓は食事や薬や小言等の回数を表わす量詞であるから、一回に服用することである。
『傷寒論再発掘』
23 発汗若下之後、反悪寒者、虚也。芍薬甘草附子湯主之。但熱者、実也。与調胃承気湯。
(はっかんもしくはこれをくだしてのち、かえっておかんするものは、きょなり、しゃくやくかんぞうぶしとうこれをつかさどる。ただねっするものは、じつなり、ちょういじょうきとうをあたう。)
(発汗したあと或は瀉下したあと、予期に反して悪寒するようなものは、虚の状態であり、このようなものは、芍薬甘草附子湯がこれを改善するのに最適である。悪寒などはなく、ただ熱があるようなものは、実の状態であり、このようなものは、調胃承気湯を与えて様子をみるのがよい。)
この条文は、発汗や瀉下後の異和状態のうち、悪寒を感じるようなものとその反対に熱だけを感じるようになったものに対する改善策を述べたものです。
この条文に書かれている体験は非常に原始的な時代に既に古代人によって体験された事であると思われます。したがって、伝来の条文の時代では、「虚也」という言葉もなかった筈であり、「調胃承気湯」という湯名もなかった筈と思われます。それらは「原始傷寒論」が初めて書かれた時に追加されたり、つけられたりしたものと思われます。
古代人の純朴な経験としては、発汗でも瀉下でも、とにかくその度合が過ぎた為、体内水分が激減して、悪寒するようになった時、芍薬甘草附子湯がその病態を改善するのに大変具合がよかった体験があり、また、発汗や瀉下後に、悪寒などはなくただ熱だけを感じるようになった時、例えば大黄甘草芒硝の生薬複合物を与えてみたところ、大変具合がよかったというような体験があったので、それをもとに条文が書かれたのだと推定されます。
このような事は十分にあり得ることだ改あたと思われます。なぜなら、芍薬(第16章16項)や甘草(第16章3項)や附子(第16章17項)などはみな体内に水分を保持する作用が強いものですので、発汗や瀉下後の体内水分の激減状態に対しては十分に有効であると思われますし、また、体内水分の激減はそれほどなくて、ただ熱だけが出るような状態は、風邪などを発汗などで治そうとしたあと、時に見られる状態ですが、こういう時は便秘か便秘気味になるものですので、大黄(第16章5項)や芒硝(第16章21項)など、胃腸管内への水分の排出の増大作用を持った生薬を用いて、その発熱の病態を改善していくのは十分に有効なこと仲;あ識と思われるからです。
発汗や瀉下の処置を加えるのは、それによって何らかの異和状態を改善しようとしたからでしょうが、その予想に反成て悪寒を感じるようになってしまったのは、結局、行き過ぎてしまったのだと思われます。こういう時の最も原初的な体験としては、芍薬甘草附子湯が良いのであり、それをそのまま表現したのがこの条文の前半のようです。そして、その悪寒だけを呈する病態と全く正反対の病態に関しても一応、触れているというのか、此の条文の全体の姿であると言えるでしょう。
ここに初めて出てくる「虚」と「実」については既に第17章2項で論じてありますので、それを参照して下さい。
23' 芍薬三両、甘草三両炙、附子一枚炮 去皮破八片。
右三味、以水五升煮、取一升五合 去滓 分温三服。
大黄四両酒洗 甘草二両炙 芒硝半升。
右三味、以水三升煮 取一升 去滓 内芒硝 更煮両沸 頓服。
(しゃくやくさんりょう、かんぞうさんりょうあぶる、ぶしいちまいほうじ、かわをさりはっぺんにやぶる。みぎさんみ、みずごしょうをもってにて、いっしょうごんごうをとり、かすをさり わかちあたためてさんぷくする。
だいおうよんりょうさけにてあらう、かんぞうにりょうあぶる、ぼうしょうはんしょう。みぎさむみ、みずさんじょうをもってにて、いっしょうをとり、かすをさり、ぼうしょうをいれ、さらににてりょうふつし、とんぷくする。)
これらの湯の形成過程は簡単です。芍薬甘草湯に附子が加わって、芍薬甘草附子湯が出来、大黄に甘草が加わって大黄甘草湯が出来、そこに芒硝が加わって調胃承気湯が出来てきたわけです。大黄甘草芒硝の生薬複合物を調胃承気湯と名づけたのは、第11条で「胃気不和、讝語者」を改善するのに使用することが出来るので、それとの関連で命名したからでしょう。大黄は植物性下剤であり、芒硝は塩類下剤ですので、同じく下剤であってもその間に微妙な差があるようです。そこを上手に使用していくところが理想的な生薬治療ということになるのでしょう。
『康治本傷寒論解説』
第23条
【原文】 「発汗若下之後,反悪寒者虚也,芍薬甘草附子湯主之.但熱者実也,与調胃承気湯.」
【和訓】 発汗若しくは之を下して後,反って悪寒する者は(虚するなり),芍薬甘草附子湯之を主る.但熱する者は(実するなり),調胃承気湯を与う.
【訳 文】 太陽病を発汗し,或は陽明病を下して後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈細微 ②寒熱証 手足厥冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) となって,背悪寒が存在する場合には,芍薬甘草附子湯でこれを治す.もしただ熱があって(不悪寒)の場合には,調胃承気湯を与える.
注:反悪寒を背悪寒に改める〔章平〕
【解 説】 この条は,汗下の変が直ちに少陰又は陽明に転じたものを述べています.そして範疇症候や特異症候の見方を解説しています.
【処方】 芍薬三両,甘草三両炙,附子一枚炮去皮破八片,右三味以水五升,煮取一升五合,去滓分温三服.
【和訓】 芍薬三両,甘草三両を炙り,附子一枚炮(ホウ)じ皮を去って八片に破る,右三味水五升をもって,煮て一升五合に取り,滓を去って分かちて温服すること三服す.
証構成
範疇 肌寒緩病(少陰中風)
①寒熱脉証 沈微細
②寒熱証 手足厥冷
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 小便自利
⑤特異症候
イ背悪寒(附子)
ロ奔豚様(桂枝)
康治本傷寒論の条文(全文)