p.49 和解の剤 結核初期、婦人血の道、月経不順
附 加味逍遙散
方名及び主治 | 四五 逍遙散(ショウヨウサン) 和剤局方 婦人諸病門 ○ 血虚労倦、五心煩熱、肢体疼痛、頭目昏重、心忪頬赤、口燥咽乾、発熱盗汗、減食嗜臥、及び血熱相搏ち、月水調わず、臍腹脹痛、寒熱虐の如くなるを治す。又室女血弱陰虚して栄衛和せず。痰嗽潮熱、肌体羸痩、漸く骨蒸と成るを治す。 加味逍遙散 逍遙散に山梔、牡丹皮各二を加う。 逍遙散の症に熱の加わるを治す。 |
処方及び薬能 | 当帰 芍薬 柴胡 白朮 茯苓各三 甘草 乾姜各一・五 メンタ葉一 柴胡、山梔、丹皮、芍薬=肝の火を瀉す。 当帰=厥陰の血を滋す。 白朮、茯苓、甘草=脾を補う。 五心とは、心窩と手足の中心部とを指す。 加味逍遙散 中国にては肝硬変症の初期まだ腹水なき場合に用いている。 |
解説及び応用 | ○此方は小柴胡湯の変方で、小柴胡湯よりは少しく虚状を帯び、柴胡姜桂湯、補中益気湯よりはやや力あるものである。婦人の虚労、結核の初期に用い、又中和の剤であるから病後の調理によく用いられる。 加味逍遙散は清熱を主とし、上部の血症に効がある。頭痛、面熱、衂血、肩背拘ばる等、上部の血熱を清解する。又婦人の肝気亢ぶり、種々と申分絶えざる神経症にも広く用いられる。 ○ 応用 ① 結核初期軽症、② 婦人神経症、気欝症、③ 月経不順、④ 慢性尿道炎、⑤ 白帯下、⑥ 婦人の皮膚病にて荏苒として瘉えざるものに四物湯と合方して用いる。⑦ 産後舌爛 ⑧ 肝硬変症の腹水なきもの |
『漢方医学十講』 細野史郎著 創元社刊
p.37
逍遥散・加味逍遥散
合方と後世方の必要性について
以上、瘀血を治す薬方の虚と実の代表として、当帰芍薬散と桂枝茯苓丸の二方についてごく簡単に触れてみた。この二つが具(そな)われば一応こと足りるのであるが、しかし実際の臨床にあたって応用するとなると、そうたやすいことではない。この二方にも、単に駆瘀血薬だけでなく、すでに述べたように気や水に作用する薬物が組み合わされているが、それは、たとえ瘀血が主たる病因となって生じた疾病でも、病変は身体の諸臓器に及ぶものであり、単に駆瘀血剤だけでなく、他の薬方との「合方(ごうほう)」が必要な場合も決して少なくないからである。
瘀血の症状群の場合に、骨盤内の内分泌系の臓器の変化により、間脳、大脳にまでその影響が及ぶことは既に述べたが、その結果、感情や自律神経の失調症状があらわれる。このような状態を漢方では「肝(かん)」の病と解してい音¥この「肝」は生殖器や泌尿器と関係が深く、肝経は陰器をまとい、生殖器に影響を及ぼすと言われる。そして、瘀血の主な徴候である左下腹部の抵抗と圧痛は、右の季肋部の圧痛・抵抗(胸脇苦満(きょうきょうくまん))(第三講で詳述)と関連のあることが多い。また更年期障害を呈する年代はしばしば「肝虚」に陥るものである。つまり瘀血の治療にあたっては「肝」に対する考慮を忘れてはならないのである。
したがって桂枝茯苓丸なり当帰芍薬散なりを病人に用いる場合に、実際において、肝の治療薬である柴胡剤(さいこざい)を合方しなければならないことが多い。たとえば小柴胡湯(しょうさいことう)(第三講で詳述)は「熱入血室」の治療薬であり、広い意味での駆瘀血剤とも言えるのであるが、小柴胡湯の合方では実証に過ぎて、ぴたりとゆかぬことが多い。
〔註記〕 「熱入血室」の『傷寒論』条文
「婦人中風七八日。続得寒熱。発作有時。経水適断者。此為熱入血室。其血必結。故使如瘧状。発作有時。小柴胡湯主之。」〔太陽病下篇〕
(婦人中風七八日、続(つづ)いて寒熱(かんねつ)を得(え)、発作(ほっさ)時あり、経水(けいすい)適(たまたま)断(た)つ者は、これ熱血室(ねっけつしつ)に入るとなすなり。其の血必ず結(けっ)す。故に瘧(ぎゃく)状の如く、発作時(とき)あらしむ。小柴胡湯之(これ)を主(つかさど)る。)
すなわち、古方の薬方は簡潔で、効果もはっきりするが、その合方をもってしてもなお現実にぴったりしないことがある。この場合に後世方(ごせいほう)の薬方がわれわれの要求を充たしてくれることが多い。
そこで、後世方の薬方である『和剤局方(わざいきょくほう)』の逍遙散(しょうようさん)を引用し、述べてみたいと思うわけである。
逍遙散(しょうようさん)
〔和剤局方〕 | 〔細野常用一回量〕 | ||
当帰(とうき) | Angelicae Radix | 一両、苗を去り、剉む、微しく炒る | 3.0g |
芍薬(しゃくやく) | Paeoniae Radix | 一両、白煮 | 3.0g |
白朮(びやくじゅつ) | Atractylodis Rhizoma | 一両 | 2.0g |
茯苓(ぶくりょう) | Hoelen | 一両、皮を去り、白煮 | 4.3g |
柴胡(さいこ) | Bupleuri Radix | 苗を去る | 1.7g |
甘草(かんぞう) | Glycyrrhizae Radix | 半両、炙って微しく赤くす | 0.3g |
薄荷(はっか) | Menthae Radix | 0.8g | |
生姜(しょうきょう) | Zingiberis Rhizoma | 0.8g |
右為麄末。毎服貳銭。水壹大盞。煨生薑壹塊。切破。薄荷少許。同煎。至柒分。去滓。熱服。不拘時候。(右麄末(そまつ)と為し、毎服(まいふく)貳銭(にせん)、水壹大盞(みずいちだいせん)、煨みたる生薑(しょうきょう)壹塊(ひとかたまり)、切(き)り破(さ)いて、薄荷(はっか)を少し入れ、同じく煎(せん)じて柒分(しちぶ)に至り、滓(かす)を去り、熱服(ねっぷく)すること時候(じこう)に拘(かかわ)らず。)
*
構成薬味のうち当帰・芍薬・白朮・茯苓については既に述べた。柴胡については第三講(小柴胡湯の項)で、甘草・生姜については第二講(桂枝湯の項)で詳述することにする。
*
その主治は次の如く説かれている。
「治。血虚労倦。五心煩熱。肢体疼痛。頭目昏重。心忪頬赤。口燥咽乾。発熱盗汗。減食嗜臥及血熱相搏。月水不調。臍腹脹痛。寒熱如虐。又治。室女血弱。陰虚。栄衛不和。痰嗽潮熱。肌体羸痩。漸成骨蒸。」(血虚労倦(ろうけん)、五心煩熱(はんねつ)、肢体疼痛(とうつう)、頭目昏重(づもくこんじゅう)、心忪(しんしょう)頬赤、口燥咽乾(こうそういんかん)、発熱盗汗(とうかん)、減食嗜臥(しが)及(およ)び血熱相搏(あいう)ち、月水不調、臍腹脹痛、寒熱瘧(ぎゃく)の如くなるを治す。また室女血弱、陰虚して栄衛(えいえ)和(わ)せず、痰嗽(たんそう)潮熱、肌体羸痩(きたいるいそう)し、漸(ようや)く骨蒸(こつじょう)となるを治(ち)す。)
右の主治の文を『万病回春(まんびょうかいしゅん)』や『医方集解(いほうしゅうかい)』『衆方規矩(しゅうほうきく)』などの書物を参考に意訳してみると、これは後世方的な思想である臓腑論(ぞうふろん)の病理を加味して説明しているものと考えられる。
すなわち、「五臓六腑(ごぞうろっぷ)のなかの“肝”と“脾”の血虚(けっきょ)(これらの臓器を循行する血液が少なく、ためにそれらの臓の機能が不活発となる)があり、肝と脾の働きが完遂できず、疲れてきて、手掌、足の裏、それに胸の内がむしむしとして熱っぽくほめき(五心煩熱)、身体や手足が痛み、頭は重くはっきりせず、眼はぼんやりとして、胸がさわぎ、頬は紅潮し、口中が燥(かわ)き、身体がほてって盗汗(ねあせ)が出て、食欲も減じ、すぐ横になって休みたがる、などという容態のものや、瘀血のために月経不順があり、臍のあたりや下腹が張り、痛んだり、ちょうどマラリヤででもあるかのように熱くなったり寒くなったりするようなもの、また室女(未婚の若い女性)で、身体が虚弱で、貧血性で、身心の調和もできかね、咳や痰が出て、ときどき全身手足のすみずみまで、しっとりと汗ばむように熱くなり(潮熱)、あたかも肺結核を患(わずら)っているかのように漸次痩(や)せてくるというようなものを治す」と言うのである。
このような症状は、小柴胡湯(しょうさいことう)というよりも、むしろ補中益気湯(ほちゅうえっきとう)を用いる場合に近いもので、逍遙散はこの両者の中間に位(くらい)するものと考えられるが、ことに婦人の気鬱(きうつ)、血の道症(第四講、柴胡桂枝湯の項参照)、婦人科疾患から起こったと思える諸種の病症に多く用いられる。また昔、肺尖カタルと呼ばれた状態で、ごく早期で進行性の病状でないものに用いられる機会もある。だから昔は、婦人の病には必ず本方を用いて効果をおさめたものであると言い伝えられている。
なお浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)』に説くとおり、本方は小柴胡湯の変方とも考えられるが、当帰、芍薬、白朮、茯苓と組まれているところは、さらに当帰芍薬散を合方した意味合いもある。しかもこれは、小柴胡湯より黄芩(おうごん)、半夏(はんげ)のような比較的鋭(するど)い薬効と薬味を去り、人参(にんじん)、大棗(たいそう)のような小柴胡湯証で咳のひどいときに用いにくいものも入っていない。したがって本方は、小柴胡湯ではかえって咳嗽が増悪するおそれのやるような場合に用いられるし、また小柴胡湯よりもっと虚証のものに用い得る。殊に大切なことは、本方が当帰芍薬散から川芎(せんきゅう)のような作用の鋭い薬味を除き、他の駆瘀血薬を含むことで、身心が衰え、ノイローゼ気味で神経質な訴えの多いものに用い現れる理由である。また小柴胡湯に比すれば、胸脇苦満(きょうきょうくまん)の症状は弱く、心身が疲れやすい虚弱な人に用いられる。
そこで本方は、昔から、小柴胡湯と同様に、「和剤」と言われ、病気の大勢はおさまったが、さてそれからぐずついて、なかなかうまく治り切らないという場合に、「調理の剤」という意味で用いたり、また補剤、瀉剤を誤って用い過ぎたりしたときにも応用してよいものである。地黄(ぢおう)を用いたが胃にもたれた、下痢をして調子が悪いというようなものにもまたよく用いられる(地黄は滋潤の力は強いが、胃の悪い人、胃の弱い人には、もたれることが多い。この場動:乾地黄を用いると、熟地黄より、そのもたれは少ない)。小柴胡湯の虚証といっても、人参(にんじん)、黄耆(おうぎ)を含む補中益気湯を用いるほどの虚証ではない。
すてに述べたように、本方は婦人の薬方とも考えられていたくらいで、平素より神経質な虚弱な体質の人で、内分泌系の不調和や自律神経系の不安定状態にあり、世に言うところの血の道症の場合に用いられるのである。
その症状は、常に頭が重く、眩暈(げんうん)(めまい)があったり、よく眠れなかったり、手足社冷あつ、非常にだるい、月経の異常がある。また寒(さむ)けがしたり、熱くなったり、殊に午後になるとのぼせて顔、殊に頬が紅くなってくるような症状もあり、背中がむしむしとして熱感を覚(おぼ)えると訴えることもある。
このような症状群は、当帰芍薬散や桂枝茯苓丸の適応を思わせるところもあるが、神経質な症状を治す点では、本方が遙かによく奏効する。
また、当帰芍薬散を用いて胸がつかえ、その他いろいろ副作用の起こってくる場合に、本方または本方に山梔子(さんしし)を加えると胃にもたれることが少なく、用いやすいものである。大塚敬節先生は「胃潰瘍などの胃病患者で、心下部がつかえて胃痛のあるときなどに、山梔子・甘草の二味を用いて良い効果がある」と言われたことがあるが、先生は山梔子を上手に使っておられた。
加味逍遥散(かみしょうようさん)
逍遥散に牡丹皮(ぼたんぴ)と山梔子(さんしし)の二味を加えたもの(山梔子については第十講参照)
本方は「腎の潜伏している虚火(きょか)を治す」といって清熱(せいねつ)(熱をさます)の意味がある。ただし本方は虚弱な患者に用いることが多く、虚火をさますのであるから、瀉剤である牡丹皮に注意して、前述(29頁)のように三段炙(あぶ)りを用いるのである。
〔註〕 虚火について
火は本来、実邪によるものであるが、虚した場合にも火の症がくる。すなわち疲れたときに、ほてったり、のぼせて熱くなったりするのがそれで、これを虚火という。ことに「腎」は水と火を有するが、腎水が虚して燥(かわ)くと、腎の火(命門(めいもん)の火)が燃え上がって、臍のところに動悸がしたり、のぼせたりする。これを「腎の虚火が炎上する」と言う。肺結核の熱などもこれに属し、腎の虚火によるものである。
*
以上の応用目標に次いで、本方の適応症を疾患別に要約しておこう。
適応症
〔1〕 ノイローゼ、憂鬱症で、前述のような瘀血症状の加わったもの。
浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』によると、「・・・・・・東郭(和田東郭を指す)の地黄・香附子を加うるものは、この裏にて剣2の症、水分(すいふん)の動悸甚だしく、両脇拘急して思慮鬱結(うっけつ)(くよくよ思いわずらう)する者に宜(よろ)し。」とあり、百々漢陰(どどかんいん)の『漢陰臆乗(かんいんおくじょう)』によると、「・・・・・・また婦人の性質肝気たかぶりやすく、性情嫉妬深く、ややもすれば火気逆衝して面赤く眦(まなじり)つり、発狂でもしようという症(ヒステリー症)にもよし、また転じて男子に用いてもよし円:その症は平生世に言う肝積(かんしゃく)もちにて、ややもすれば事にふれて怒り易く、怒火衝逆(のぼせ上って)、嘔血(おうけつ)、衂血(じくけつ)(鼻血)を見るし、月に三、四度にも及ぶというようなる者には、此方を用いて至って宜(よろ)し。」とある。
また気鬱から起こる鳩尾(きゅうび)(みずおち)あたりの痛みや、乳の痛みなどを訴えるものに気剤である正気(しょうき)天香湯などがいくような場合に用いることもある。
〔2〕 月経不順、月経困難症
それが肝鬱症を伴うときに特効がある。北尾春甫は「婦人の虚証の帯下、諸治無効のものに、異功散(いこうさん)を合してよし」と言う。
〔3〕 肺結核
むかし肺尖カタルと言われたごく初期の症状で、進行性でなく、軽症のものに用いる機会がある。月経不順、午後の発熱、のぼせ感、頬の紅潮等が目標となる。
〔4〕 婦人の肥満症(内分泌障害性のもの)に川芎・香附子を入れて用い、数週間に一〇kg前後も減じたことがあるが、多くは長く続服する必要がある。
〔5〕 婦人の慢性膀胱炎に用いることもある。
〔6〕 産前後の人の口舌糜爛(びらん)などに、血熱(けつねつ)と見て、本方に牡丹皮・山梔子を加えて用いるとよい。
〔7〕 皮膚病で諸薬の応じないものに奇効のあることがある。婦人、ことに肝鬱症を伴ったときに、多く効果がある。更年期で春秋の季節の変り目に、頸部、顔面にできる痒(かゆ)い湿疹に効き、ニキビによいことがある。疥癬のようなものには加味逍遙散合四物湯で特効のあることが多い、と『方函』に書かれている。また加味逍遙散加荊芥地骨皮にて鵞掌風(がしょうふう)(婦人科疾患と関係ある手掌角化症)を治すのに用いる。
〔8〕 肝鬱症に伴う肩こり、頭重、不眠症、便秘(虚秘といわれる軽症のもの)などにも甚だよいとされている。
逍遙散・加味逍遙散の治験例
〔1〕 女子、二十九歳
長身で痩(や)せぎす、皮膚の色が悪く、艶(つや)もなく、顔は蒼白(あおじろ)く、額(ひたい)には青筋(あおすじ)が見える。見るからに神経質そうな人で、内気で言葉つきはおとなしく、ゆっくりだが、自分の気持ははっきりと言う。
以前より脱肛があり、子宮後屈症であるが、妊娠しやすい。本年度初めより早産や人工流産をした。
本年九月十九日初診であるが、「昨年四月二十八日、急に左の頸部リンパ節炎に罹り、三八・五度の熱を出した。手術により、四日間ほどのうちに次第に熱は下がった。ところが念のためにと抗生物質を注射をされたが四〇度の熱が出た。これを中止して三八度まで下がったが、その後三七・五~三八度の熱がまる一年つづき、本年五、六月頃から三七・三度くらいになって今日に至っている。」という。
その他の患者の苦痛は大したことはないが、疲れやすく、眠られぬ夜が多い。常に頭が重く、ときに頭痛がし、肩が凝ったりする。手足は冷たく、また冷えやすく、冷えると必ずのぼせがして顔が赤くなる。以前はよく動悸がしたが、最近はそれほどではなく、ときどきちょっとしたはずみにある。またフラッとすることもある。月経は順調で一週間つづく。食欲はよくない。便通は一日一行。
以上であるが、「三七・五度前後の熱をとって欲しい」というのが主訴である。
本人は、内臓下垂を伴い、易疲労性と自律神経失調症状が目立っている。
脈は沈小弦(ちんしょうげん)、按じて弱く、疲労時に現われる労倦(ろうけん)の脈状である。
舌はよく湿(しめ)り、うすく白苔がある。
胸部では、右側鎖骨下部と、これに対応した右側上背部に無響性(結核性のものは有響性)の小水泡性ラ音を聴き、この部の撮診(さっしん)が少しく陽性。また両側僧帽筋上縁から項部にかけて筋肉の緊張が強い。
腹部は全般に軟(やわ)らかく、特に膝(ひざ)の上下の部は力が抜けている。心下部は部厚く感じ、按圧すると腹内に向かって少し抵抗感(軽度の痞鞕(ひこう))があり、臍上部辺で動悸を触れるが、本人は自覚しない。
レ線による所見は、右上肺野に弱い浸潤陰影があり、赤沈は平均一一・五mmである。
以上の所見により、加味逍遙散を与えた。服薬後好転し、眠りも腹の工合も良くなり、一年余も続いた熱も二週間続服した頃から平熱とたり、ラ音も消失した。三~四ヵ月も続服するうちにまるまると太ってきた。
これは服薬後功みやかに好転し、見事に著効を示した例である。
〔2〕 女子、三十三歳
本年十一月初診。昨年二月頃ひどい坐骨星庫矢に罹り、全く動けなかったが:諸治無効の状態のまま半ヵ年を経過した。それでも九月頃からは、何が効いたともなく少しずつ動けるようになった。しかしまだすっきりせず、注射、超短波治療などを続けている。
既往症としては、娘時代からたいへんな冷え症で、腰以下が冷え、ことに膝から下が激しい。ときどき水の中に浸っているかのように冷え切ることさえある。また毎月、半月間ほど月経のために苦しむが、ことに始まる十日間くらい前から気分が重く、イライラして怒りっぽく、知覚過敏となり、のほせたり、肩が凝ったり、頭痛、筋肉痛が起こり、胃腸の調子も悪くなったりする。睡眠も妨げられがちで、夜中に気が滅入ることが多い。月経は七日間、量はごく少なく、痛みを伴う。毎月ある持台、この人は月の半分以上も種々の苦痛があり、月経のために振り回されながら不愉回に生きていると自らも言っているか台、適切な表現である。
また「生来胃弱で、胃アトニー、内臓下垂があり、胃重感、胸やけ、ゲップなどの苦痛がある時期もある。食欲はあり、肉や甘いものが好きだが、といどきちょっとした食べ過ぎで前記のような胃の症状が起こりやすい。便秘しがちで、小便は多いほうである」と言う。
病人は三十三歳の至極神経質なインテリタイプである。二人の子供があり、頭の使い方も言葉つきもテキパキしていて、すらっと細く、肉づきは中くらい、二年前から八kgほど痩せたそうである。
脈は沈小緊(ちんしょうきん)。右尺脈は特に弱い(腎虚)。
舌は普通以上に大きいが、厚みはうすい。色はやや貧血性で少し黒味を帯びている。舌縁には歯形(はがた)が深く刻まれ、よく湿っている。舌苔はない。
さらに特別な所見としては、爪床の色に瘀(お)血色があり、歯齦が赤黒く、皮膚も顔もいったいに普通の色合いの中に変な煤(すす)けたような色調がある。ことに眼の周囲では黒味が強い、眼瞼の下にはやや浮腫があり、手は冷たく、平常はひどく湿潤している。
腹部は全般に軟らかいが、右側に僅微な肋弓下部の抵抗があることと、胃の振水音、レ線所見などから胃アトニー、内臓下垂症のあることが明らかである。
なお左側下腹の深部に小児手掌大の強い圧痛のある場所があり、さらに臍の左下部、右大巨(たいこ)の穴(つぼ)のあたりに、ときに触知できるやや長形で鳩卵大くらいの境不明の抵抗が悪る。昔の医者が「疝(せん)」の他覚的所見と言っていたものである。
以上のことから、生まれつき弱く、神経質で、内分泌系の機能上の平衡失調が病因だと思える。しかし漢方的には陰虚証の瘀血(おけつ)、水毒があり、また少陽病証の胸脇苦満も僅かにある。
こんなことから当帰芍薬散合苓姜朮甘湯加柴胡黄芩から出発した。もちろんこれで甚だ良好ではあったが、いろいろ苦心して当帰建中湯合小柴胡湯加香附子蘇葉や十全大補湯加附子合半夏厚朴湯などでも全般的に言って好調とはなった。しかし、どうしても今一歩というところで、「月経に振り回される人生」から抜け切れるというところまでは行かなかった。
このような調子で約五ヵ年を経過してしまった。ちょうど九月中頃のこと、或る機会に肝腎虚の脈状や症状のあること、ごく僅かながら胸脇苦満のあること、つつしみ深い人であるのに、ややもするとヒステリー状になり、子供を叱りつけることもあるなど、あまりにも『局方』の逍遙散の主治に合致することの多いのに気が付いた。
そこで逍遙散を試みたところ、日ましに調子よくなり、ついに今一歩の苦しみからもほとんど解放されるようになった。このような調子で、その後数ヵ月のあいだ快適な生月を送り、なお加療を続けている。
〔3〕 女子顔面黒皮症、三十三歳
本年十一月一日初診であるが、真黒い顔をした痩せた人で、いかにも恥しそうに、おずおずと、聴き取りにくいほどの低い声で訴えて来た。
五年前、お産をして間もなく、右の頬に肝斑(かんぱん)(直径二~三cmほどもある斑)がてきたが、ホルモンやビタミンCの注射などを受け、半年くらいで治った。ところが去年の秋ぐち、顔が一面に痒くなったので皮膚科を訪れると、ビタミンB2の不足のためだと言われ、その治療を受けた。そのうちに顔全体が次 第に赤くなり、それがひどくなって、ついに黒く変色してきた。その後、黒味は幾分うすらいだが、この夏ごろからまた赤くなってきた。
現在は或る病院の皮膚科に転じ、女子自面黒皮症と言われ、ビタミンB2とCの注射をしてもらっている。今のところ痒くはないが、顔の皮膚がガサガサして、ときどきのぼせて顔がカッとなり、ことに温まるとひどくなる、とのこと。
なお、手足の冷えがあることと便秘気味のほかに苦痛はなく、食欲はあり、よく眠れるという。
顔は両眉以下全面が赤黒い面でも被ったようで、その他の部分から際立っている。その赤黒い部分の皮膚は、全体に小さいブツブツが湿疹のようにあり、ことに左の頬から口角を回って口の下の部分一体にひどくなっている。
脈は小弦弱。少しく数である。
舌は、苔はなく赤味が強い。よく湿っている。
腹は胸脇苦満がかなりある。右腹直筋が肋骨弓から臍のあたりまで攣急している。左側下腹の深部にほぼ直径五cmくらいの、かなり強い圧痛のある部分がある。
以上の所見から、小柴胡湯合当帰芍薬散料加荊芥連翹玄参を用いてみた。
一週間後、顔の様子は好転し、のぼせも消失、腹候は改善され、腹直筋攣急は消失し、胸脇苦満も右下腹部の圧痛も軽度になっていた。このようにして数週間が過ぎ、顔の赤みは消え、黒味もややうすらいでいた。
ところが十二月六日のことである。カゼをひいてから一週間ほど休薬しているうちに、また顔が痒くなり、荒れはじめ、手足も冷たく感じるようになったと、いかにも残念そうに話した。
私もひどく心を動かされて、よせばよいのに、首より上の悪瘡に用いる後世方の清上防風湯に転じた。これで一時的に好転したようだったが、皮膚病の治療の場合の通有性(どんな転方でも、その直後、必ず一時的に奏効するケースがある)で、後はかえって悪くなった。
十二月二十三日来院したとき、やさしく容態を問うと、心の中のイライラを剥き出しに近頃の夫の過酷な仕打ちを訴え、シクシクと泣きながら、最近は気分が非常に憂鬱になり耐えがたいものがあると言う。
月経の異常はないが腹候が初診のときと全く同じに悪くなっていた。
そ こで、『和剤局方』の逍遥散だと考え、浅田の『方函口訣』の加味にならって、四物湯を合方し、さらに香附子、地骨皮、荊芥を加えて与えた。こんどはたいへ んよく効き、数週間を経て、顔面、腹候とも漸次改善され、心も平静となり、一時は死を考えたほどの苦しみも日増しにうすらいで、希望が湧いてきたと喜ばれ た。
〔付〕 逍遥散・加味逍遥散の鑑別
以上で逍遥散および加味逍遥散の応用について、その大体を述べ たが、両者の鑑別を簡単に言うと、牡丹皮・山梔子を加えると清熱の意が強まる。しかもそれが上部に効くときと下部に効くときの二つの場合がある。上部に効 く場合は、上部の血症すなわち逍遥散症で、頭痛、面熱紅潮、肩背の強ばり、衂血(鼻血)などのある場合であり、後者の場合は、下部の湿熱すなわち泌尿器生 殖器疾患、ことに婦人の痳疾の虚証、白帯下にも用いる。湿熱でも悪寒発熱つよく、胸脇に迫り、嘔気さえ加わるようなものは本方よりも小柴胡湯加牡丹皮山梔子がよい。
なお本方は、小柴胡湯合当帰芍薬散に近く、それよりもやや虚証のものと考えてよいが、実証の場合、すなわち小柴胡湯合桂枝茯苓丸に比するものは柴胡桂枝湯とみてよいかと思う(柴胡桂枝湯については第四講で述べる)。
頭註
○合方(ごうほう)-二つ以上の薬方を組み合わせて一方とすることをいう。この場合、重複する薬味はその量の多い方をとるのを原則とする。但し水の量は増量しない。
○肝- 漢方医学の肝は、現今の肝臓のみではない。肝は血を蔵すと言い、またその経絡は陰器をまと感、生殖器系、内分泌系等に関係すると同時に将軍の官と言い、気 力は肝の力により生じ、怒ったり、癇癪を起こしたりするのも肝の作用だと言われる。つまり下垂体間脳の作用を多分に含むものである。
老人はしばしば「腎虚」になるが、腎虚に至るまでの更年期・初老期には「肝虚」を呈しやすい。
○熱入血室(熱血室ニ入ル)-血室を子宮と解したり、血管系統を指すと考えたり、いろいろな解釈があるが、『傷寒論」の小柴胡湯の条文に出てくるこの血室は「肝」と解すべきであろう。
○中風-急性熱病の軽症のもので、感冒の如きもの。(81頁註詳述)
○寒熱-ここでは悪寒と発熱を言う。
○瘧(ぎゃく)-マラリアの如き熱病。
○『和剤局方』- 宋の神宗の時、天下の名医に詔して多くの秘方を進上させ、大医局で薬を作らせたが、徽宗の代になって、その時の局方書を陳師文等に命じて校訂編纂させたの が『和剤局方』五巻である。この書はまず病症をあげて、それに用いる薬方と応用目標を示してあるので、頗る便利であり、広く世に用いられ、日本の医家にも 利用された。現代日本の「薬局方」の名称もこれからとったものという。
○心忪-驚き胸さわぎする。
○血熱-月経不順、吐血、鼻出血、血便、血尿、発疹など血の症状と熱が相伴ったもの。
○骨蒸-体の奥の方から蒸されるように熱が出ることで、盗汗が出るのを常とする。
○『万病回春』(全八巻)-明の龔廷賢の著(五八七)。金元医学の延長線上に編集された臨床医学の名著。基礎論から各論に亘り、治方を論じたもの。
○『医方集解』-清代の汪昂によって著された(一六八二年)名著。主要処方九九一方(正方三八五・付法五一六)を取上げて類別し、詳しく注釈したもの。常用の方ほぼ備わるものとして広く流布した。同じく汪昂には『本草備要』その他の著がある。
○『衆方規矩』-曲直瀬道三(一五〇七~一五九四)によって書かれ、その子玄朔によって増補された処方解説の名著。後世方を主として常用する重要処方を集録し、それぞれの運用法を詳述したもので、江戸時代には広く医家に利用された。(道三については167頁に詳註)
○補中益気湯(弁惑論)
人参・白朮・黄耆・当帰・陳皮・大棗・柴胡・甘草・乾生姜・升麻
小柴胡湯の虚証に用いられ脾胃の機能が衰えたため、食欲不振、手足や目をあけていられないようなだるさを訴える者に用いる。
○浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』- 宗伯(一八一五~一八九四)は幕末から明治前半まで活躍した近世日本漢方を総括した最後の漢方医。学・術ともに秀で政治的手腕もあり、多くの門人を育て、 多数の著作を残した。初め古方中心であったがのち後世方をも包含して浅田流と称せられ、縦横に薬方を駆使するに至った。その代表的薬方を網羅したものが 『勿誤薬室方函』て、それを臨床的に解説したものが『同口訣』である。
○和剤-汗・吐・下の法を禁忌とする場合の治療薬方。小柴胡湯は三禁湯と言い、これら汗・吐・下の法を禁忌とする場合に和して治す和剤の代表である。
○調理の剤-病気治療の仕上げのための養生を「調理」と言い、そのときに与える薬方。古方ではそういう場合、調理の剤として柴胡桂枝乾姜湯、後世方では補中益気湯などがある。
○命門の火- 前漢時代の古典である『難経』(三十六難)には、腎には二葉があり、腎が左に命門が右にあって、腎は陰をつかさどり水に属し、命門は陽をつかさどり火に属 すとされている。現代の漢方で言う腎はこれら両者を包含したものを指す。○経穴の「命門」は督脈に属し、第二、三腰椎棘突起間にある。
○和田東郭(一 七四四~一八〇三)-初め竹生節斎、戸田旭山について後世方を学び、のち吉益東洞の門に入ったが、東洞流とは別に一家をなした。大きくは折衷派の中に数え られるが考証派の弊に陥らず、臨床に主力を注ぎ、名医のほまれが高かった。彼の医学は誠を尽し、中庸を尊び、簡約を宗とする実践的医学であったことは、そ の著作-『導水瑣言』『蕉窓雑話』等によっても知ることができる。『傷寒論正文解』もむつかしい考証などは一切省略して臨床家の立場であっさり解説してい る。
○水分(すいふん)-経穴の名。腹部正中線上、臍のすぐ上方に位する。
○百々漢陰(一七七三~一八三九)-京都の人。皆川湛園の門に学び後一家を成す。瘟疫論に詳しく、『校訂瘟疫論」をはじめ『医粋類纂』など多くの著作があるが、『漢陰臆乗』は疾患別に治療を述べ、薬方の解説がしてある。
○正気天香湯(医学入門)
香附子・陳皮・烏薬・蘇葉・乾姜・甘草
○北尾春甫-大垣の人、京都で開業、脈診に秀で、後世派の大家と中川修亭に推賞された。『桑韓医談』(一七一三)『察病精義論』『提耳談』「当荘庵家方口解』などの著がある。
○異功散(局方)
人参・白朮・茯苓・甘草・橘皮・大棗、生姜の七味(四君子湯に橘皮を加えたもの)。
○血熱-熱の一種で、熱の症状と血の異常を起こしてくる。
○『方函』-浅田宗伯の『勿誤薬室方函』を指す。
○ラ音-ラッセル音の略。聴診器で胸部または背部における呼吸音を聴くとき、正常の肺胞音と異なる異常な雑音をいう。
○撮診→第三講詳述。
○腎虚(じんきょ)-「腎」の生理機能が衰えた状態。一般には、目まい、耳鳴、腰や膝のだる痛さ、性機能の減退、脱毛、歯のゆるみなどの症状を来たす。
○大巨(たいこ)-臍と恥骨結合上縁との間を結ぶ線の上から五分の二の点から左右に水平に約四センチ外方にある経穴(ツボ)。
○疝(せん)-腹部・腰部・陰部などに激痛を起こす病。
○肝腎虚-「肝」と「腎」の生理機能が衰えた状態を指すが、実際の臨床では、或る種の高血圧症、神経症、月経困難症などの疾患に見られ、めまい、耳鳴、頭痛などを来たす。
○肝斑(かんぱん)-頬に比較的境界の明瞭な黒褐色の色素沈着を生ずるもの、中年以後の女性に多い。
○清上防風湯(回春)
防風・荊芥・連翹・山梔子・黄連・黄芩・薄荷・川芎・白芷・桔梗・枳殻・甘草
○四物湯(局方)
当帰・芍薬・川芎・地黄
金匱要略の芎帰膠艾湯から阿膠・艾葉・甘草を除いたもので、補血薬(当帰・芍薬・地黄)と活血薬(川芎)から成り、血虚の状態に使われる代表方剤である。
○清熱-清はさますの意。
○湿熱-湿と熱とが結合した病邪をいう。そのほか尿利の減少を伴う熱を後世派では湿熱と称し、また湿邪に関係ある熱、たとえば黄疸、リウマチなどを湿熱という場合もある。
山梔子(さんしし)
ア カネ科(Rubiaceae)のクチナシGardenia jasminoides ELLIS. またはその同属植物の果実を用いる。イリドイド配糖体のgeniposide,gardenosideなどやカロチノイド色素(黄色色素)のクロチン、そ の他β-sitosterol, mannitol などを含む。
山梔子の薬能は、『本草備要』に「心肺の邪熱を瀉し、之をして屈曲下降 せしめ、小便より出す。而して三焦の鬱火以って解し、熱厥心痛以って平らぎ、吐衂・血淋・血痢の病、以て息む。」とあり、一般には、消炎、止血、利胆、解 熱、鎮静などの働きがあり、特に虚煩を治すとともに、吐血、血尿、黄疸などに応用する。
薬理実験では、geniposideのアグリコンで あるgenipinに、胆汁分泌促進、胃液分泌抑制、鎮痛などの作用が認められるほか、クロチンのアグリコンのクロセチンに実験的動脈硬化の予防作用が認 められる。このように、利胆作用については一定の証明がなせれているが、その他の消炎や鎮静などといった作用を裏づけるには不充分で、今後大いに実験を進 めていかなければならない薬物である。
『新版 衆方規矩』 曲直瀬道三著 池尻 勝編 燎原刊
p.81
労嗽門
逍遙散
肝脾の血虚労倦し五心煩熱し肢体痛み頭目昏重し心忪(ムナサワジ)し頬赤く咽乾き発熱し盗汗し食を減じて臥すことを嗜みて寒熱虐の如くなるを治し,陰虚労嗽肌躰羸痩して漸く骨蒸となるを治す。
当帰,芍薬,茯苓,白朮,柴胡各3,甘草1.5
右生姜を入れて煎じ服す。
○五心煩熱せば麦門冬,地骨皮を加う。
○経閉には桃仁,紅花を加う。
○腹痛むには延胡索を加う。
○胸熱せば黄連,山梔子を加う。
○気惱し胸痞悶せば枳実,青皮,香附子を加う。
○手振(フル)うには防風,荊芥,薄荷を加う。
○咳嗽には五味子,紫菀を加う。
○痰を吐くには五味子,貝母,栝楼仁を加う。
○飲食消せざるには山楂氏,神曲を加う。
○渇を発せば麦門冬,天花粉を加う。
○心(ココロ)ほれ心(ムネ)おどるには酸棗仁,遠志を加う。
○久しき瀉には干姜を炒りて加う。
○遍身痛むには防風,羗活を加う。
○吐血には阿膠,生地黄,牡丹皮を加う。
○自汗には黄耆,酸棗仁を加う。
○左の腹に血塊あらば三稜,莪朮,桃仁,紅花を加う。
○右の腹に気塊あらば木香,檳榔子を加う。
○血虚煩熱し月水調わず臍腹脹痛し痰嗽潮熱するには薄荷,地母,地骨皮を加え或は黄芩を加う。
○心(ムネ)いきれば麦門冬,羚羊角を加う。
○嗽には烏梅,款冬花,五味子を加う。
○産後血虚して煩熱せば黄芩を加う。
○婦人癲疾を患い歌唱すること時なく垣を踰え屋に上るはすなわち営血心包絡に迷うて致す処なり。本方に桃仁,遠志,紅花,蘇木,生地黄を加う。
○もし熱あらば小柴胡湯を合して生地黄,辰砂を加う。
○気血両虚して汗なく潮熱せば薄荷を加う。
○子午の時の潮熱には黄芩,胡黄連,麦門冬,地骨皮,秦艽,木通,車前子,灯心草を加う。
○婦人肝脾の血虚発熱潮熱或は自汗盗汗或は頭痛目渋り或は征忡安からず頬赤く口乾き或は月経調わず或は肚腹痛みをなし或は小腹重墜し水道しぶり痛み或は腫れ痛んで膿を出し内熱して渇きをなすに煨したる生姜一片薄荷少し加え煎じ服す。
○本方に牡丹皮,山梔子を加えて加味逍遙散と名づく。
按ずるに虚労熱嗽汗ある者に宜し。兼ねて以て男子五心煩熱し体痩せ骨蒸,婦人癲狂月経調わざるには加減を照し間間これを治す。
○十八才の婦初産に二七夜を過ぎて後,面赤く肌躰発熱心(ムネ)おどり不食し頃(シバ)らくして睡り俄かに驚き声ふるい両の手を差し上げ擅掉(ふるう)すること毎夜十四五度ばかりなり。他医手を束ぬ。これによって本方に地骨皮,陳皮,酒黄連,酸棗仁を加えて安し。その後右の手腿しびれ痛む。蒼朮,桔梗,烏薬,木瓜,羗活,黄芩を加えて全く愈たり。
○壮婦怯弱にして瘧を病む。間日に発す。数方応ぜず。これによって詳らかに問えば久しく月信来らずして盗汗ありと云う。故に地骨皮,山梔子,牡丹皮を加えて奇妙を得たり。
○産後寒来往来するにこの方を用いて応ぜざる時は四君子湯を与えて間間奇効を得たり。まことに陽生ずる時は陰長ずと云う。これなり。
※秦艽 秦芁
『衆方規矩解説(24)』 日本漢方医学研究所所長 山田 光胤 先生
労嗽門(一)
本日と次回で労嗽門の解説をいたします。「労嗽」とは体力が低下したり、疲労、衰弱の状態にあって、咳が出るような場合のことをいいま功。
■逍遙散
最初は逍遙散(ショウヨウサン)です。逍遙散は『和剤局方』の処方で、『和剤局方』は宋の時代にできた書物です。
「肝脾の血虚労倦し、五心煩熱し、肢体の痛み頭目昏重し、心忪(むねさわ)ぎ、頬あかく咽乾き、発熱し、盗汗し、食を減じ、臥すことを嗜みて、寒熱瘧の如くなるを治し、陰虚、労嗽、肌体羸痩して漸く骨蒸となるを治す」と書いてあります。
「肝脾の血虚」というのは後世方の理論で、肝の系統と脾の系統の病態に逍遙散を使うということですが、肝の系統には心身症のような精神神経症状を伴います。脾の症状にも似たようなことがありますが、主として消化力の低下をいいます。「血虚」は体力の低下と考えればよく、その中には場合によっては貧血が加わることもあります。「労嗽」は体が疲れて倦怠することで、「五心煩熱」は全身の煩熱状態のことです。「五心」とは手足と首で、「煩熱」とは体が痛んだりして熱苦しいことです。「頭目昏重」は目が廻ったり、頭が重く、「心忪ぎ」は動悸で、その場合に顔に赤味があります。これは陽証であるからです。そして咽が乾いたり熱感があります。発熱は現代の熱発では必ずしもなく、熱感を覚えることです。そして盗汗があったり、食欲が減退し、体がだるいので寝てばかりいるということです。「寒熱瘧の如く」とは寒くなったり熱くなったりするので、ちょうどマラリアのような状態になります。そのような病態を治します。「陰虚」は後世方の理論で陰が虚すということで、簡単に申しますと、体の力が低下するということです。とくに体の下半身が低下することを陰虚といいます。「労嗽」は体が弱った状態にあって咳が出ることで、「肌体羸痩」は体が痩せ、次第に骨蒸となります。「骨蒸」とは現代の肺結核のような体が衰弱する病気をいいます。
このように逍遙散はごく簡単にいいますと陽証でありますが、虚証の場合で、以上のような諸種の症状のある場合に効果があり、熱発を伴う時には解熱する働きがあります。
処方の内容は「斤(当帰(トウキ))、芍(芍薬(シャクヤク))、苓(茯苓(ブクリョウ))、伽(白朮(ビャクジュツ))、柴(柴胡(サイコ))各一匁、甘(甘草(カンゾウ))五分」です。現代の分量にしますと、一匁は大体3gくらいが常用量になり、甘草はその半分の1.5gぐらいです。「右、姜(生姜)を入れ煎じ服す」。以上の6種類の生薬に、生姜を加えて煎じて飲みます。
この場合も生姜の分量は3gぐらいがようのですが、最近では乾生姜(カンショウキョウ)をよく使いますので、その場合は1/3~1/2量が適量です。そしてそのあとにいろいろな症状のある場合の加味、加減が書いてあります。これを方後の加減といいます。
「五心煩熱せば門(麦門冬(バクモンドウ))、籙(地骨皮(ジコッピ))を加う」。体が熱苦しい時には麦門冬と地骨皮を加えるとよろしいということです。「経閉には嬰(桃仁(トウニン))、紅(紅花(コウカ))を加う」。無月経には桃仁,紅花を加え、いずれも駆瘀血剤になります。
「腹痛むには索(延胡索(エンゴサク))を加う」。延胡索は腹痛に対する鎮痛作用があります。「胸熱せば連(黄連(オウレン)、丹(山梔子(サンシシ))を加う」。これは上半身が熱苦しい時という意味にもなりますし、また上半身の熱性の症状、たとえば炎症とか、口内炎があった場合にも、黄連、山梔子を加えると早く治るということになります。
「気悩し、胸痞悶せば実(枳実(キジツ))、昆(青皮(セイヒ))、莎(香附子(コウブシ))を加う。」。いろいろな悩みがあったり、胸が詰まって苦しい時、あるいは胃にガスが溜まって(呑気)胸苦しい時に、枳実、青皮、香附子を加えると、気を開く働きがありまして胃が気持よくなります。「手ふるうには芸(防風(ボウフウ))、荊(荊芥(ケイガイ))、荷(薄荷(ハッカ))を加う」。手が震えるというのは年寄りになるとよくある症状ですが、実際に効果があるかどうかは経験がありません。
「咳嗽には会(五味子(ゴミシ))、苑(紫苑(シオン))を加う」。咳がひどい時には五味子、紫苑を加えます。五味子、紫苑には鎮咳作用があります。「痰を吐くには守(半夏(ハンゲ))、貝(貝母(バイモ))、蔞(括蔞仁(カロウニン))を加う」。喀痰の多い時にはこうするとよいということで、いずれも袪痰作用があります。
「飲食消せざるには査(山査子(サンザシ))、曲(神麴(シンギク))を加う」。消化力が低下して消化が悪い時には、山査子と神麴を加えます。神麴は一種の酵素が含まれていますので、消化酵素剤になります。「渇を発せば門(麦門冬)、瑞(天花粉(テンカフン))を加う。」渇は咽の乾きです。
「心(こころ)ほれ、心(むね)踊るには酸(酸棗仁(サンソウニン))、遠(遠志(オンジ))を加う」。不安があって動悸がし、夜も眠れないような時には、酸棗仁と遠志を加えると鎮静作用があるということです。「久しき瀉には永(乾姜(カンキョウ))を炒りて加う」。下痢が長く続いているような時にはこうするとよいということです。
「遍身痛むには芸(防風)、羗(羗活(キョウカツ))を加う」。これは全身が痛い時です。「吐血には膠(阿膠(アキョウ)、〓(生地黄(ショウジオウ)、牡(牡丹皮(ボタンピ))を加う」。いずれも止血の効果があります。「自汗には芪(黄耆(オウギ))、酸(酸棗仁)を加う」。自汗とは体力が低下した時に自然に汗が漏れるので、それをとめる黄耆と、体の力を補う酸棗仁を加えるとよいということです。
次に「左の腹に血塊あらば稜(三稜(サンリョウ))、莪(莪朮(ガジュツ))、嬰(桃仁)、紅(紅花)を加う」。これは瘀血のある場合で、いずれも瘀血を除く働きがあります。「右の腹に気塊あらば蜜(木香(モッコウ))、梹(檳榔(ビンロウ))を加う」。
これは右の腹ですから、回盲部にあたるところにガスが溜まっている場合で、いずれもガスを取り除く、あるいは腸内ガスが溜まらないようにする働きがあります。
「血虚煩熱し、月水調わず、臍(臍のこと)腹脹り痛み、痰嗽潮熱するには荷(薄荷)、雷(知母(チモ))、籙(地骨皮)を加え、或いは芩(黄芩(オウゴン))を加う」。貧血があったり、体力が低下していながら体が熱苦しく、(月水は月経のこと)、月経不順になり、臍を中心にして腹が張ったり痛んだり、痰や咳が出たりして、発熱する(潮熱とは全身が熱くなる熱型)。そのような時に、薄荷、知母、地骨皮を加えます。これらはいずれも解熱作用があります。また黄芩を加えます。これも解熱消炎作用があります。
「心(むね)いきれば門(麦門冬)、羚(羚羊角(レイヨウカク))を加う」。胸いきればは息の苦しい時です。「嗽には梅(烏梅(ウバイ))、款(款冬花(カントウカ))、会(五味子)を加う」。嗽は痰咳のことで、五味子、烏梅、款冬花も鎮咳袪痰作用があります。
「産後血虚して煩熱せば芩(黄芩)を加う」。産後体力が低下して熱を出したような時には、黄芩を加えて解熱をはかります。
「婦人癲疾を患い歌唱すること時なく、垣を越え屋に上るはすなわち栄血心包絡に迷いて致すところなり。本方に嬰(桃仁)、遠(遠志)、紅(紅花)、方(蘇木(ソボク))、〓(生地黄)を加う」。癲疾とは精神分裂病などの精神病のことで、癲癇も入るかもしれませんが、その場合には精神運動発作のようなものでしょう。その症状として、歌を歌ったり垣根を乗り越えたり、屋根に上ったりというような興奮状態を呈するような時は、栄血が心包に迷っているからであるということです。これは後世方の理論で理解しにくいところですが、一種の血証であるということになります。血証とは血液に関連のあるいろいろな異常状態で、その一つが瘀血という病態になります。この時には桃仁のような瘀血を取り除く働きのある薬とか、遠志のような鎮静作用のあるもの、生地黄のように血を治める薬などを加えるとよろしいということになります。
「もし熱あらば小柴胡湯(ショウサイコトウ)を合して〓(生地黄)、辰(辰砂(シンシャ))を加う」。この場合の熱は実際の熱発をいっているものと思いますが、そのような時には小柴胡湯を合方し、さらに地黄と辰砂を加えればよいということですが、小柴胡湯だけでもよいこともありますし、逍遙散だけでも微熱程度の熱はやがて解熱するものです。
「気血両虚して汗なく、潮熱せば荷(薄荷)を加う」。「気血両虚」とは気力、体力が低下している状態です。そしてその時全身が熱くなるような熱が出た場合には、薄荷を加えるとよいということですが、現在常用しております加味逍遙散(カミショウヨウヨウサン)の処方は、この逍遙散に薄荷が入っていて、さらにあとに出てきますように、山梔子と牡丹皮が入っております。次に「子午(ねうし)の時の潮熱には芩(黄芩)、胡連(胡黄連(コオウレン))、門(麦門冬)、籙(地骨皮)、芁(秦芁(ジンギョウ))、通(木通(モクツウ))、車(車前子(シャゼンシ))、灯(灯心(トウシン))を加う」。これは時間によっての発熱に、こういうことを考えていたわけですが(子は夜の11~12時、午は昼の11~12時)、実際にはあまり応用したことはありません。
「婦人肝脾の血虚、発熱、潮熱、或いは自汗盗汗、或いは頭痛目渋り、或いは怔忡安からず、頬赤く、口乾き、或いは月経調わず、或いは肚腹痛みをなし、或いは小腹重墜し、水道渋り痛み、或いは腫れ痛んで膿を出だし、内熱して渇きをなすに煨(い)りたる生姜(火で炙った生姜)一片、荷(薄荷)少々を加えて煎じ服す」。
これは生姜を炒って使うということですが、昔はこういう使い方もあったものと思います。この部分は婦人といっていますが、男子でもあるかもしれません。肝脾の血虚で不安状態を呈して、脾の虚ですから食欲が減退したり、消化力が低下したりするような時に発熱があり、その発熱が潮熱(全身が熱くなるような熱型)の形になり、あるいは自然に汗が出たり、寝汗が出たり、あるいは頭痛、目の渋り(眼精疲労のよう治状態)、あるいは怔忡(動悸)がして気持が安静にならない、そして頬が赤く、口が乾き、あるいは月経不順でおなかが痛んだり、あるいは小腹が下に落ち込むような感じになります。「水道渋り」というのは尿の排泄が円滑にいかないことです。そして排尿痛があったりします。あるいは尿道口などが腫れ、痛んで膿を出し、内熱があるために咽の乾きも伴います。そのような時に生姜を炒り、薄荷を加えて服用します。
「本方に牡(牡丹皮)、丹(山梔子)を加えて加味逍遙散(カミショウヨウサン)と名づく」。加味逍遙散は『和剤局方』には出ておりませんが、明の頃の書物たとえば『万病回春』にこのことが書いてあります。これは「按ずるに虚労、熱嗽、汗ある者に宜し。兼ねて以て男子五心煩熱し、体痩せ骨蒸、婦人癲狂、月経調わざるには加減を照し、間々これを治す」。「虚労」とは疲労が加わって体力が減退したような状態をいいます。このような時で、熱や咳が出て汗の出るような時によく、また男子でも体が煩熱して、痩せて、骨蒸(肺結核のように衰弱する病気)のような状態の時によいのです。また婦人で癲狂:T精神疾患)で、月経不順の時には次のように、いろいろの加減をして使うとよいということです。加減は前に出ておりましたので略します。
次に治験例が若干出ております。「十八歳の婦人が初産後一四日を過ぎた指に顔が赤く、体が発熱し、動悸がして、食事を摂らなくなり、しばらくして眠ると、急に驚感て声をあげ、両手を差し上げて擅掉(振り動かすこと)ようなことが毎夜一四、五度ばかりあり、他医は手を束ねていました。そこで本方に籙(地骨皮)、陳(陳皮(チンピ))、連(黄連)、酸(酸棗仁)を加えて与えると安静になった。その後右の手、腿がしびれ痛むので、蒼(蒼朮(ソウジュツ))、桔(桔梗(キキョウ))、(茴香(ウイキョウ))、瓜(木瓜(モッカ))、羗(羗活)、芩(黄芩)を加えて全く愈えた」という一例があります。
次には「若い婦人で体が弱く、瘧を病む時にしばしばいくつかの処方が効かないような場合に、本方に籙(地骨皮)、丹(山梔子)、牡(牡丹皮)を加えて奇効を得た」とあります。
※〓生+也
※子午(ねうし)× 子午(ねうま;しご)の間違いでは?
『勿誤薬室方函口訣(65)』 日本東洋医学会参事 広瀬 滋之
-逍遙解毒湯・逍遙散・薔薇湯・浄府散-
逍遙散
次は逍遙散です。本方は宋の『和剤局方』に出てくる処方で、日常の臨床でも比較的応用範囲の広い薬方です。構成生薬は、柴胡(サイコ)、芍薬(シャクヤク)、茯苓(ブクリョウ)、白朮(ビャクジュツ)、甘草(カンゾウ)、生姜(ショウキョウ)の八味です。このうち主薬は当帰、芍薬、柴胡の三味であります。
当帰はセリ科のトウキの根を乾燥したもので、補血作用があります。血虚を治す四物湯(シモツトウ)の主薬でもあり、漢方薬の中でも重要な役割を担う生薬です。
芍薬は、シャクヤクの根を乾燥したもので、主成分はペオニフロリンで、血を補い、痛みを止める作用を有しています。芍薬と甘草が配合されて芍薬甘草湯(シャクヤクカンゾウトウ)、桂枝湯(ケイシトウ)、桂枝加芍薬湯(ケイシカシャクヤクトウ)、四逆散(シギャクサン)など、多くの薬方があり、また当帰と芍薬の配合により補血作用が強まり、その薬方には四物湯、当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)などがあります。
柴胡はセリ科のミシマサイコの根で、主成分であるサイコサポニンは、抗炎症作用、抗アレルギー作用、脂質代謝作用など、近年注目されている生薬であることはご存じのごとくであります。胸脇苦満、往来寒熱を去り、「肝の病」の薬として、小柴胡湯(ショウサイコトウ)をはじめとした一連の柴胡剤の主薬であります。本方における白朮、茯苓は、駆水剤として作用しております。本方に牡丹皮(ボタンピ)、山梔子(サンシシ)を加えたものが加味逍遙散(カミショウヨウサン)で、現在ではこの薬方がむしろ多く使われる傾向にあります。
次に主治の文を読みます。「血虚労倦、五生煩熱、頭目昏重、心忪頬赤、発熱盗汗、及び血熱相搏ち、月水調わず、臍腹脹痛、寒熱虐のごとくなるを治す。柴胡、芍薬、茯苓、当帰、薄荷、白朮、甘草、生姜、右八味、あるいは麦門(バクモン)、阿膠(アキョウ)を加え、血虚発熱止まず、あるいは労嗽するものを治す。あるいは地黄(ジオウ)、莎草(シャソウ)を加え、血虚うっ塞する者を治す。一は甘草を去り、橘皮(キッピ)、牡丹(ボタン)、貝母(バイモ)、黄連(オウレン)を加え、医貫逍遙散(イカンショウヨウサン)と名づけ、一切のうっ証、瘧に似たるもの、ただしその人口苦にして清水あるいは苦水を嘔吐し、面青く脇痛み耳鳴脉濇なるを治す」とあります。
主治の文を意訳します。五臓六腑のうち肝と脾の血液が少なくなって血虚の状態が生じ、そのために肝と脾の働きが衰え、全身が疲れてきて、手掌や足の裏、胸の中がむしむしと熱っぽく、いわゆる五心煩熱の状態を呈します。頭は重く、目はぼんやりとし、胸さわぎがし、顔が紅潮し、発熱して寝汗が出、瘀血のために月経不順となり、臍のあたりや下腹部が張り痛んだりして、ちょうどマラリアのように熱くなったり寒くなったりするものを治すとあります。
ここでは後世方的な思想である五臓六腑の病理を加味しているので、逍遙散に関係する肝について説明いたします。漢方医学でいう肝は現代医学でいう肝臓以外に生殖器と泌尿器と関係が深く、経絡の関係もそこをめぐっています。また怒ったり、癇癪を起こすのも肝の作用といわれ、間脳下垂体系、自律神経系との関係も深く、また肝の症状と瘀血とも密接に関係し、老人がしばしば腎虚の状態を現わすのに対し、更年期障害を呈する年代はしばしば肝虚におちいり、瘀血の治療に当たっても肝に対する考慮が必要とされ、この逍遙散も瘀血と肝を考慮した薬方と考えられます。
本文を読みます。「此の方は小柴胡湯の変方にして、小柴胡湯よりは少し肝虚の形あるものにして医王湯(イオウトウ)よりは一層手前の場合にゆくものなり。此の方専ら婦人虚労を治すと云えども、其の実は体気甚だ強壮ならず、平生血気薄く肝火亢り、あるいは寒熱往来、あるいは頭痛口苦、あるいは頬赤寒熱瘧のごとく、ある感は月経不調にて申分たえず、あるいは小便淋瀝渋痛俗にいうせうかちの如く、一切肝火にて種々申分あるものに効あり。『内科摘要』に牡丹皮、山梔子を加うるもの肝部の虚火を鎮むる手段なり。たとえば産前後の口、赤爛す識ものに効あるは、虚火上炎を治すればなり。東郭の地黄、香附子を加うる者、此の裏にて、肝虚の症、水分の動悸甚しく、両脇拘急して思慮うっ結するものに宜し」とあります。
本文に浴って解説いたします。本方は小柴胡湯の変方といわれておりますが、黄芩、半夏のような比較的鋭い薬効の薬味を去っております。また小柴胡湯に比べれば、胸脇苦満の程度は弱く、それ故に本文では、「小柴胡湯よりは少し肝虚の形あるものにして」といっております。
「医王湯よりは一層手前の場合に行くものなり」について和田東郭は、『蕉窓方意解』の中で、「一層手前とは補中益気(ホチュウエッキ)ほどに胃中の気薄からざるをいうなり。故に方中に参(ジン)、耆(ギ)を用いず」といっております。つまり本文は、人参(ニンジン)や黄耆(オウギ)を用いなければならないほどに胃腸の働きは低下していないといっております。
本方は「婦人の虚労を治す薬方といわれているが、体質的には虚弱で、神経症状が強く、寒気がしたり、熱くなったり、また頭痛がし、口が苦く、午後になってのぼせて頬が赤くなったり、月経が不順で愁訴が多く、小便が消渇のごとく渋ったり、その他一切、肝の火により起ころものに効ある」としております。
次に虚火について説明いたします。火は本来、実邪によるものですが、虚した場合にも火の証がくるとされています。疲れた時にほてったり、のぼせたりしますが、これを虚火といいます。本方に牡丹皮、山梔子を加えたものが加味逍遙散ですが、肝の虚火を鎮める手段として使用されます。
『勿誤薬室方函口訣』では、加味逍遙散を「この方は清熱を主として上部の血症に効あり。故に逍遙散の証にして頭痛、面熱、肩背強り、鼻出血などあるものに佳なり」としております。
臨床的には加味逍遙散の方がより広く応用できるわけです。また「産前産後の口内炎や口腔内糜爛に有効であるのは、虚火を鎮めるからである」としております。「和田東郭の、本方に地黄、香附子を加えたものは、肝が虚して臍のすぐ上方の水分並に動悸がして胸脇苦満があり、くよくよと思い患っているものによろしい」としております。
細野史郎先生は、著書『漢方医学十講』の中で、逍遙散、加味逍遙散の鑑別を以下のように述べています。「牡丹皮・山梔子を加えると清熱の意が強まる。しかもそれが上部に効くときと、下部に効くときの二つの場合がある。上部に効 く場合は、上部の血症すなわち逍遥散症で、頭痛、面熱紅潮、肩背の強ばり、衂血などのある場合であり、後者の場合は、下部の湿熱、すなわち泌尿器生殖器疾患、とくに婦人の痳疾の虚証、白帯下にも用いる。湿熱でも悪寒、発熱が強く、胸脇にせまり、嘔気さえ加わるようなものは、本方よりも小柴胡湯加牡丹皮山梔子(ショウサイコトウカボタンピサンシシ)がよい。なお本方は、小柴胡湯合当帰芍薬散(ショウサイコトウゴウトウキシャクヤクサン)に近く、それよりもやや虚証のものと考えてよいが、実証の場合、すなわち小柴胡湯合桂枝茯苓丸(ショウサイコトウゴウケイシブクリョウガン)に比するものは、柴胡桂枝湯(サイコケイシトウ)とみてよいかと思う」と述べております。
以上より本方の適応症は、神経症に瘀血症状の加わったもの、月経不順、月経困難症で肝うつ症状を伴う時、婦人の慢性膀胱炎、肝うつ症状に伴う肩凝り、頭重、不眠症、便秘その他皮膚病など、多くの疾患があげられます。治験例については諸先輩の多くの報告がありますが、時間の関係上省略いたします。