補中益気湯(ほちゅうえっきとう)(医王湯(いおうとう))
黄耆 人参 朮各四・ 当帰三・ 陳皮 生姜 大棗 柴胡各二・ 甘草一・五 升麻一・
本方は小柴胡湯を用いたい場合で、疲労し易く、腹壁の弾力の乏しい虚證のものに用いる。一般的に脈は軟弱で手足倦怠、語言や眼勢に力が無く、或は微熱・食欲不振・盗汗・臍部に動悸の亢進等があるものによい。病勢が激しく、熱状が発揚性のものには注意を要する。
人参・白朮・陳皮・甘草は健胃強壮の効があり、黄耆・当帰は皮膚の栄養を亢めて盗汗を治し、柴胡・升麻は解熱の効能がある。生姜・大棗は諸薬を調和し薬力 を強化する。以上の目標に従って本方は、虚弱者の感冒・胸膜炎・肺結核・腹膜炎・夏痩せ・病後の衰弱・神経衰弱・脱肛・子宮脱出・瘧疾・陰萎・半身不随・ 多汗症等に応用される。肺結核で咳嗽のある場合は、五味子・麦門冬を加える。これを味麦益気湯と称する。
慢性脱肛には赤石脂を加えて赤石脂湯と名づけ用いられる。
『漢方精撰百八方』
91.〔補中益気湯〕(ほちゅうえっきとう)
〔出典〕弁惑論
〔処方〕人参、白朮 各4.0 黄耆、当帰 各3.0 陳皮、大棗 各2.0 柴胡、甘草 各1.0 乾生姜、升麻 各0.5
〔目標〕この方は古今医鑑内傷門に「中気不足、四肢倦怠し、口乾発熱、飲食味なきを治す。或いは飲食節を失し、労倦身熱、脈大にして虚し、或いは頭痛、悪寒、自汗、或いは気高くして喘し、身熱して煩し、或いは脈微細軟弱、自汗体倦し、或いは中気虚弱にして、血を摂すること能わず、或いは労倦して瘧利を患い、或いは元気虚弱にして風寒に感冒し、表を発するに勝えず、或いは房に入りて後感冒する者を治す」とある。
本方は中(脾胃、消化器系)を補い、気(元気)を益すという意味から名づけたもので、また補剤の王者として医王湯の名がある。小柴胡湯証の一段虚したもので、胸脇苦満や往来寒熱も軽く、食欲衰え、全体として元気のないものが目標である。
〔かんどころ〕津田玄仙は本方の応用目標として、(1)手足倦怠、(2)言語軽微、(3)眼勢無力、(4)口中に白沫を生ず、(5)食味なし、(6)熱物を好む、(7)臍のところに動悸がある、(8)脈は散大で力がない。これ虚候の目標で、その中のいくつでもあれば用いてよいといっている。
〔応用〕結核症・夏痩せ・病後の疲労・虚弱体質改善薬・食欲不振・虚弱者の感冒・痔疾・脱肛・子宮下垂・胃下垂症・陰痿・半身不随・多汗症・風邪ひき易き者・虚弱児体質改善。
〔治験〕
虚労盗汗
27才の婦人、2年前に妊娠6ヶ月で自然流産し、こんど妊娠して3ヶ月になるが、つわりが始まって食欲不振、全身倦怠、夜中夥しい盗汗で、気味が悪いほどである。脈弱く、腹も弛緩し、顔色蒼白で貧血している。
補中益気湯1週間で、元気が出て、食欲進み、盗汗もすっかり止まった。その後引き続き服薬したが、流産することなく無事出産できた。
〔肺結核〕10才の少年、血色が悪く、食欲なくやせている。右肺浸潤といわれ休学し、ストマイの注射をしていた。ときどき背が痛み、不眠の傾向があり疲れ易く、脈腹ともに軟弱で、臍上の動悸が亢進している。補中益気湯を与えたところ、約6ヶ月すると血色よくなり、背の痛みもとれ、1年半休学して、2カ年服用したところ別人のようによい身体となった。(大塚敬節氏治験)
矢数道明
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
1 柴胡剤
柴胡剤は、胸脇苦満を呈するものに使われる。胸脇苦満は実証では強く現 われ嘔気を伴うこともあるが、虚証では弱くほとんど苦満の状を訴えない 場合がある。柴胡剤は、甘草に対する作用が強く、解毒さようがあり、体質改善薬として繁用される。したがって、服用期間は比較的長くなる傾向がある。柴胡 剤は、応用範囲が広く、肝炎、肝硬変、胆嚢炎、胆石症、黄疸、肝機能障害、肋膜炎、膵臓炎、肺結核、リンパ腺炎、神経疾患など広く一般に使用される。ま た、しばしば他の薬方と合方され、他の薬方の作用を助ける。
柴胡剤の中で、柴胡加竜骨牡蛎湯・柴胡桂枝乾姜湯は、気の動揺が強い。小柴胡湯・加味逍遥散は、潔癖症の傾向があり、多少神経質気味の傾向が ある。特に加味逍遥散はその傾向が強い。柴胡桂枝湯は、痛みのあるときに用いられる。十味敗毒湯・荊防敗毒散は、化膿性疾患を伴うときに用いられる。
各薬方の説明(数字はおとな一日分のグラム数、七~十二歳はおとなの二分の一量、四~六歳は三分の一量、三歳以下は四分の一量が適当である。)
補中益気湯(ほちゅうえっきとう) (弁惑論)
【参考】
『《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
71.補中益気湯 弁惑論
黄耆4.0 人参4.0 朮4.0 当帰3.0 陳皮2.0 大棗2.0 甘草1.5 柴胡1.0 乾姜0.5
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
胃腸機能減退し,疲労倦怠感,食欲不振が著しいもの。頭痛,悪寒,盗汗,弛緩性出血などを伴うこともある。
本方は医王湯とも称せられ,疲労回復強壮剤として応用範囲は極めて広い。小柴胡湯,次に柴胡桂枝干姜湯を用いても倦怠感,食欲不振が回復しない場合に適するから,通常柴胡桂枝干姜湯を用いる状態より更に衰弱した場合によい。但し小柴胡湯で胃腸障害を起すものに柴胡桂枝干姜湯を用いずに直ちに本方を利用することもある。本方はまた当帰芍薬散を用いたが,当帰芍薬散で胃腸障害を起し易い人には好適である。本方を服用しても微熱,頭痛,悪寒がとれないもの,もしくは衰弱して咳嗽が続くものには人参養栄湯を試みるとよい。本方は平素強健な人の疲労回復には無効なことが多い。
〈漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
本方は肺結核,肋膜炎,手術後などの病後で,病勢が一応安定し,回復期に向っているもので,しかも衰弱のため疲労倦怠感,食欲減退,盗汗,微熱などがあって眼勢や言語に力がないものの,体力増強剤として広範に利用され,医王湯の別名が冠せられている貴重な処方である。また一方,体質が虚弱で胃腸機能が悪く,貧血の傾向があって疲労しやすく,倦怠感や脱力感などを自覚したり,あるいは毎年のように夏負け,夏ヤセがして困ると訴えるものの体力を増強する。本方は以上のように現代医学的な疲労回復剤に,栄養強壮剤的に繁用されているが,発汗時に目に汗が流れこんでしみると言う者や,体力が消耗した者には特に効果的で,食欲が増進して下腹部に力がはいるのを自覚できるほどの,すぐれた効果をもっている。特に老人や虚弱者,あるいは衰弱者の呼吸器疾患で,体力の消耗に反比例して,咳が激しくなり,発汗時発汗したり,脱力感などの愁訴ある場合,本方に麦門冬湯か半夏厚朴湯を合方して投与すると,劇的な効果を現わす。本方証に似て衰弱がはなはだしく,病勢が活動的でしかも熱状も発揚的であり,さらに発咳がひどいものには,本方よりも人参養栄湯が適応する。また本方適応症状を具備する脱肛は,そのほとんどが肛門括約筋の弛緩によるもので本方の連用により軽快することが非常に多い。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○虚証で体力が衰えて元気がなく,衰弱の傾向があり,食欲不振,倦怠,頭痛,悪寒,自汗,身熱,微熱などのあるものに用いる。
○津田玄仙は本方の目標として次の諸点をあげ,その中いくつでもあれば用いてよいといっている。(ⅰ)手足倦怠。
(ⅱ)言語に力がない。
(ⅲ)眼の光がにぶく力がない。
(ⅳ)口中に白沫を生ず。
(ⅴ)食味がない。
(ⅵ)熱い物を飲食することを好む。
(ⅶ)臍のところに動悸がある。
(ⅷ)脈散大で力ない。
○小柴胡湯証に準じて,しかも甚だしく虚したものに用いる。した社然工て胸脇苦満,往来寒熱のあることがあるがともに軽微で,全体として元気のないものが目標になる。また諸病のうち,元気が衰え,痩せて,病気が長びいて治らないものによい。
○元気が甚だしく衰え,手足厥冷し,全身の冷えるものに,本方加附子を用いるとよい。四君子湯加附子,附子理中湯などを用いてよいこともある。速効を期すときは参附湯を用い,単に元気が衰えたものには朝鮮人参一味(独参湯)がよい。これらは失血のあるときによいので,産後や切創で大出血したときにもよい。
○鼻汁の多いものに白芷,川芎を加えて用いる。
○ヘルニアによい。
○本方は内症(体内に原因ある病症)に用いる処方で,外感(外的要因による病気)に用いるのは誤りである。その区別は内症は気亢ぶって息荒く喘鳴し,身熱して煩躁し,手足がだるく,表虚悪寒する。故に外感の根本は飲食をつつしまず,脾胃(胃腸)をそこねて此症を生ずるので,症状は頭痛,発熱,悪寒する。
○一切の腫物が,膿血が出ても治らないものによい。又十全大補湯もよい。
○気虚による“眩暈”によい。感冒などで発汗剤を用いたためのめまいにもよい。房事過多による腎虚のめあいには十全大補湯,水毒による虚症のめまい,には半夏白朮天麻湯がよい。
○眼病が慢性になり,脾胃(胃腸)の弱っているものによい。
○耳鳴がする虚労のものに本方加石菖蒲がよく,火元のものには知母,黄柏を加えて用いる。
〈漢方診療の実際〉 大塚,矢数,清水 三先生
本方は小柴胡湯を用いた場合で疲労し易く,腹壁の弾力の乏しい虚証のものに用いる。一般的に脈は軟弱で手足倦怠,語言や眼勢に力が無く,或は微熱,食欲不振,盗汗,臍部に動悸の亢進等があるものによい。病勢が激しく,熱状が発揚性のものには注意を要する。 人参,白朮,陳皮,甘草は健胃強壮の効力があり,黄耆,当帰は皮膚の栄養を亢めて盗汗を治し,柴胡,升麻は解熱の効能がある。生姜,大棗は諸薬を調和し,薬力を強化する。以上の目標に従って本方は虚弱者の感冒,胸膜炎,肺結核,腹膜炎,夏痩せ,病後の衰弱,神経衰弱,脱肛,子宮脱出,瘧疾,陰萎,半身不随,多汗症等に応用される。肺結核で咳嗽のある場合は,五味子,麦門冬を加える。これを味麦益気湯と称する。慢性脱肛には赤石脂を加え,赤石脂湯と名づけて用いられる。
※用いた場合→用いたい場合の誤植
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
本方は小柴胡湯を用いたいと思うような場合で,それほど胸脇苦満や寒熱往来も激しくなく,脈も腹も比較的軟弱で疲労しやすく,食欲も衰え,一般に元気のないのが目標である。津田玄仙は本方の応用にあたって8つの目標を定めた。すなわち①手足の倦怠感,②言語が軽微で ③眼に勢いがない ④口中に白沫が出る。⑤食の味がなくなる ⑥熱いものを好む ⑦臍にあたって動悸がする ⑧脈は散大で力がある。以上の8症はいわゆる虚候の目標で,そのうち1,2症があれば用いてよいといっている。
〈勿誤方函口訣〉 浅田宗伯先生
此方は元来東垣が,建中湯,十全大補湯,人参養栄湯などを差略して組立てし方なれば,後世家にて種々の口訣あれども,畢竟小柴胡湯の虚候を帯ぶる者に用ゆべし(中略) 少陽柴胡の部位にありて内傷を兼ねる者に与ふれば間違なきなり。故に婦人男子共に虚労雑症に拘はらず,此方を長服し,効を得ることあり。婦人には最も効あり。又諸痔脱肛の類,疲れ多き者に用ゆ。又此の症にして,煮たてたる熱物を好むは附子を加べし,何ほど渇すといえども附子苦しからず。
〈当荘庵家方口解〉 北尾 春甫先生
此の益気湯は,自汗,あるいは汗出で易く,表虚と云ふに功ありと知るべし,表をよく固むる剤なり,気高くして喘とあるは,痰ありと1つ2つ咳して,あとの力無き咳あり。痰をせき切る力のうすきに此剤を用いて,せき切るちから出来て咳止むなり。益気湯に限らず,人参の力なり。脈法洪大無力,或は微細軟弱,心下空虚按して力無く,按腹を好み,柔かにして少し脹る。これ皆気虚に属するなり。甚しければ則ち,附子,乾姜,肉桂を加ふ。胎前にも胎臍下にさがりて心下よはきに用ひてよし。産後子腸(子宮のこと)収まらず,或は交骨(骨盤)閉じ兼ねるにも用ゆ。婦人帯下血崩或は経水久しく止まず色蒼々気下陥するに用ゆ。何れの病にても,久しく病んで,気下陥したる升提せんと思ふて功を得ること間々あり。それも其味を好み人にはより応ずるなり。腫物潰えて後,膿も漸くうすくなり,愈々,肉をあげんと思ふときに用いるなり。肉桂を加えてよし。
〈後世要方解説〉 矢数 道明先生
本方は疲労病の治方であって,すべて道気の不足を補う強壮剤である。元来,胃腸虚弱,弛緩性体質者で,過労或は飲食不摂生,或いは感冒等により胃腸機能が減退し,為めに食欲不振,四肢倦怠,全身疲労感,口中乾燥等を発するものに用いる。時には発熱,頭痛,悪寒,自汗等もあって,或は弛緩性諸出血がやまず,或は長期間の熱性病後,或は長期間の下痢後,或は房事後,体力虚耗の際感冒に犯された等の場合に用いるものである。脈は洪大で力が無く,或は微細軟弱である。腹証も多くは虚状を呈するのである。応用範囲は頗る広い。
〈蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
(前略)この薬全体の趣意をいう時は,心下両脇の痞鞕を標的として組立てしものなり。故にその腹形は小柴胡湯を用いるべきように見ゆれども,柴胡,黄芩,人参,半夏,甘草などと組み合わせてはいまひとつは,するどにて宣しからざる気味合いあり,これによって黄芩,半夏を除きなるなり,その故は,右の通り心下両脇痞鞕して肝,鬱滞することはなはだしく,あるいは亢極するに至れば,心下胃口ますます痞塞する故これよりして段々中気ふめぐりになり,胃中真陽の気,かじけて上達しがたきゆえ,心下の痞鞕もなおなお,はなはたしく成りて,終に飲食を思わず道気も日に衰憊するに至るなり。(中略)まず益気湯の黄耆は心下をべったりとふさぎ,飲食を思わず食わずして,胃の気を養うことなりがたきによって,胃中の真陽いよいよ薄くなり,閉塞せらるること,ますますはなはだしくして,上気の気,升降融通せざるがゆえ,それよりして胃中,必ず虚寒をたくわえれども,さながら正面に附子剤を用いるという様子にてもなきゆえ,右の通り当帰にて肝部を潤じて緩め,升麻,柴胡にて両脇心下をくつるげ,人参,甘草,当帰を伴わせて,いよいよほどよく心下両脇を,くつろぐる故,かの胃中真陽の気も,びらびらと上は心肺の部に上達するの地合いになるなり。故にかの久々閉塞せられて胃中の集りおよび,肌表に滞れる水飲を人参,黄耆にて外か肌表に発泄し下も,水道へ押し出し,白朮甘草にて消導するの意なり。ひつきよう発汗などさせるも黄耆にて水飲を外かに張り出すなり。されども黄耆ばかりにては,その具合いできざるによって,升麻,柴胡に当帰,人参,甘草と組み,心下両脇をむっくりとすかし,ゆるむゆえ黄耆の働き十分なりて上下左右,四方八隅に通達せずということなし,陳皮,生姜を用いるは,白朮に羽翼し,また升麻,柴胡にも羽翼して胃口を開き胃口をすかすの意なり。(後略)
〈古今医鑑〉 龔 信 先生
中気不足,肢体倦怠し,口乾発熱,飲食味なきを治す。或ひは飲食節を失し,労倦身熱,脈大にして虚し,或ひは頭痛,悪感,自汗,或ひは気高して喘し,身熱して煩し或ひは脈微細軟弱,自汗体倦し,或ひは飲食労倦して瘧痢を患ひ,或ひは元気虚弱にして風寒に感冒し表を発するに勝えず,或ひは房に入りて後に感冒する等を治す。
………按ずるに此方元気を補ひ,脾胃を養ひ,下陥の気を升提し,内傷を治するの要薬なり。
〈漢方と漢薬〉 第4巻 第8号
補中益気湯に就て 矢数 道明先生
1.主治
東垣の脾胃論,及弁惑論に本方の主治を論ずること詳細を極むと雖も,その全文を引用することは高遠冗長の嫌なきに非ず,今李氏の意を最もよく伝へたるものと思推されるる,龔信氏が古今医鑑に述べぶる処の主治を掲ぐれば
『中気不足肢体倦怠し,口乾き発熱し,飲食味なきを治す或は飲食節を失し,(1)労倦身熱し,脈大にして虚し,(2)或は頭痛悪寒自汗,(3)或は気高って喘し身熱して煩し,(4)或は脈微細軟弱,自汗体倦み,食少く,(5)或は中気虚弱にして血を摂すること能はず,(6)或は飲食労倦して瘧痢を患へ,(7)或は瘧痢脾胃の虚に因て愈ること能はず,(8)或は元気虚弱にして,風寒に感冒し,表を発するに勝えざるは,宜しく此を用ひて之に代ふべし,(9)或は房に入て而して後に感冒し,或は感冒して而して後に房に入る。亦此湯を用ひて急に附子を話過(10)或は瀉利腹痛には急に附子理中湯を用ゆ』とあり,龔氏は更に之に註して曰く,
『按ずるに此方は元気を補ひ,脾胃を養ひ,下陥の気を升提し内傷を治するの要薬なり』と断じている。和漢諸家本方の主治及運用を論じて以上龔氏の右に出づるものがない。
2.薬理
黄耆
脾胃虚し,肺気先づ絶するには之を用ひて以て皮毛を益して腠理を閉ぢ,自汗を止むこと。(即ち本薬は肺脾二経に入り,強壮,止汗,利尿剤にして,身体虚弱,皮膚営養不良にして,皮膚及皮下組織内の水毒を去る)
人参
上喘し,気短く元気大虚に用て以て之を補ふと。(即ち本薬は肺脾二経に入り,健胃,強壮,解熱,袪痰,利尿,止血の作用あり,胃の衰弱,新陳代謝機能減衰による,食欲不振,消化不良,嘔吐,心痛,腹痛,下利等に用ふ。)
甘草
甘温以て火熱を瀉して,脾胃の中の元気を補ふ。脾胃の中の元気を補し,脾胃急痛し,腹中急縮する者の如きは多くこれを用ゆと,(即ち本薬は脾経に入る,又肺を潤す緩和剤,矯味薬,疼痛及び種々なる急迫症状を緩急す。)
白朮
苦甘温,胃中の熱を除き,腰脊間の血を利すと。即ち本薬は脾胃二経に入り,利尿剤,身体疼痛,胃内停水,失精,眩暈下痢に用ふ,本方の白朮が脾を補ふ所以は胃内停水を去るが故である。)
柴胡
能く胃中の清気をして左旋して上達せしむ,(即ち本薬は肝胆二経に入り,胸脇苦満,寒熱往来,胸腹部,脇下痞え,且つ堅きを治するのてあるが古人が薬物に左旋右旋の説を立てたるは近代科学の先鞭をつけたるものとして,その思想に意義を認めなくてはならぬ。)
升麻
能く胃中の清気をして右よりして上遷せしむ。(肺脾大腸経に入る。)
橘皮
胸中の気を理し,又能く陽気を助けて上升し,以て滞気を散ず諸脾胃を助くるを用と為す,(本薬は肺脾二に入り利尿健胃,発汗鎮痙,鎮嘔,袪痰剤にし経て,吃逆を治し,魚毒を解す。)
当帰
之を用ひて以て血脈を和す。
(温性強壮剤,貧血性瘀血に用ゆ,鎮痛の効あり心脾胃の三経に入る。)
以上を以てすれば本方構成の薬物は所謂強壮,緩和,振興利尿,健胃,清涼の諸剤を巧に配合したるのにして,元気を補ひ,強心の作用あり,脾肺腎を養ひ,消化吸収をよくし利尿をよくし血行をよくし細胞の沈衰したる機能を振起するものである。
医方集解に之が君臣佐使を論じ,黄耆を以て君薬となし人参,甘草を以て臣薬となし,白朮,升麻,柴胡を以て佐薬となし,陳皮,生姜,大棗を以て使薬となしている。
先証奇覧の説は仲景の意を以て極めて要を尽している。曰く,
『部位は裡位にして中焦に在り,診表位に及ぶ,労役之邪心倦み神疲る,中を理め,気を滋す,功は参耆に在り』とその大綱を示し,黄耆を以て君薬となしている。岡本一抱氏は肺気の衰ふることを甚しくば黄耆を君とし,胃の元気虚すること甚しくば人参を君としべしとなっている。
和久田氏は更に『之を古に稽ふるに,李氏の本づく処,柴胡湯にありて,柴胡固より実邪に施すべくして所謂労気の人が用ひがたきを以て,内にして脾胃を温補するに人参白朮を以てするもの理中の意を以てし,外にして正気を滋張するに黄耆を以てし,以て之が君となし,加ふるに升提利気解熱和血の諸品を以てして,相共に胸脇心下の鬱結を消して,以て正気を肌表に宣暢し,方名の如く,中を補ひ気を益して邪気自ら去るやう工夫し立てたるもの,此の方の功諸薬和するところの力にあり,是の故に仲景の諸方を考へ,黄耆諸剤を用ゆるの微意を自得せば是等の方といへども運用自由ならさることなけん』と云ふている。
次の東郭の蕉窓方意解を見ると,その所謂脾胃温補の所以を次の如く説いている。
『当帰升麻柴胡と併はせて柴胡にて両脇心下をくつろげ,升麻柴胡にてきっとすかし,当帰にてむっくりと肝部をゆるめ,且つ滋潤し,甘草人参軽き甘味と相和して同じく心下の痞鞕をゆるむれば,上れみ少しくつろぐゆへ,彼の肝気にておさへ付けられたる胃中の真陽上み心肺に上達するなり。即ち東垣は此手段を指して陽気を升提すとは説かれしものなり』
親しく病者に試み,自らも服用してしの薬効を体験すれば右東郭の一文は寔に云ひ妙なりと肯定出来るものである。更に岡本一抱氏の方意弁義には実に巧妙なる譬を以て本方の作用を述べているから之を引用して見やう。
『この方喩へば紙袋の中へ息を吹き入るるが如し。此紙袋は黄耆なり,吹入るるは人参なり是を人身に喩へて云へば袋は肺なり,息は胃の元陽なりさて彼の紙袋の中へ息を吹入るるときは袋に息充ちて張るものなり。若し又袋の紙薄くして破れたる所あれば,吹入れたる息充たずして袋ふくるることなし,肺胃之に同じ,肺気不足すればいかほど胃の元陽を補ふても肺気充実することを得ず。黄耆は八万四千の毛竅を閉づ,皮膚腠理を閉ぢて肺気をもらさずして元気をもち充たしむるなり』と述べ,
『又甘草,升麻,柴胡の薬能は喩へば,甑に小さき孔があって,能く物を蒸すが如し,小の孔大なれば蒸気よはくして物を蒸すことなし此甘草を以て竅を大にせず其引きしめて大にせざるよりして,升麻柴胡のむしのぼす気強くしてよく升提するなり。黄耆を以て蓋をなし,人参,甘草,白朮にて甑の中にあるものをひきしむれば,蒸気のぼることを得ず故に陳皮にてひきしむる中をすかし,柴胡にて肝をひきたて升麻にて胃の元気を升せて心肺へ通ず,升麻柴胡はこしきにあなをあくるが如し,此のあな大なれば升提の勢弱きによって纔かに組入れたり』云々と,比喩よく実を伝ふるものと云ふべく,升提の意義をよく了解し得ることと思ふ。
3.脈証,腹証,舌証
(1) 脈証
補中益気湯正面の脈は,散大にして無力,にとるべきであらう。寿世保元,古今医鑑等に脈洪大にして無力とあるも,これは真の意味の洪脈ではなく,一見洪に類して散大,而も力無く,寧ろ中空にして精気虚乏による芤脈に巾広きを覚ゆるものである。往年余の親戚の者,その児引続き大病に罹り十数日不眠不休看護に従事せるの後,疲労困憊本証を発せる時,この散にして無力の実際を診してより,本方証正面の脈状を体得した。然し乍らこれは正規的に現はれた場合で,他の雑病中に現はるる時には必ずしも之のみではない。或は微細,軟弱或は数,或は濇等総べて,虚脈たることに変りない,されど余の如きは常にその脈緊なれども,脈を捨てて証を取り,その効著しい場合がある。更に先頃余は五十歳の偉大なる体格の婦人軽い右半身不随を発し,血壓二百に近く,その脈弦数とも云ふべきものに,後述する,四肢倦怠,手足が抜ける様に倦るい,食欲絶砂をを噛むが如し,といふ証を取って本方を投じ,大効ではなかったが稍々所期の効を得たこともある。脈必ず洪大にして無力と限定することは出来ないが,大抵虚状であればよいであらう。
(2) 腹証
本方の腹証を余は先づ心下虚之を按じて無力,按腹することを好み柔かにして少しく脹軍。のその大綱を定めている。然し乍ら和田東郭は,心下両脇の痞鞕を標的とし,其腹形は小柴胡湯を用ゆべき様に見ゆれども,柴胡黄芩人参半夏甘草など,組合せては今一際するどにて宜しからざる気味にて,心下胃口痞塞せるものに用ゆといひ,腹証奇覧翼にも心下両脇下に痞塞すること柴胡の証に似て一体にうすし,と述べている。されば必ずしも虚軟でなくともよく,本方が肋膜炎,腹膜炎の虚証によく用ひらるる所以である。
津田玄仙は当臍動気を強く主張しているが,余の経験によるも,臍中或は臍辺の動気は大切な目標であると思ふ。これは即ち腹壁の弛緩と脾胃虚弱の証左である。
和久田氏は本方証の皮膚は虐枝加黄耆湯の如く,皮膚潤沢なく,滑淖ならず,甚しきものは皮膚甲錯枯燥し,腠理密ならずと述べている。余は表虚即ち正気皮膚に達せず,粗白にして沢なきを目標としているが,要するに本方は肺気の虚を皮膚によって調節補正せんとするもので,皮膚の栄養強壮を企画するものである。五行説によれば肺は皮を主り,脾は肌肉を主るといふ。本方証の人は,皮肉虚弱,風邪を引き易く,その肉軟弱無力,発汗し易くして従らに精気脱漏を起し易い。即ち本方を以て脾肺を養ひ皮肉に賦活せしめんとするものである。
(3) 舌證 舌は苔なく潤ふているのが本旨である。或は微白苔あって口中燥を訴えるものもある。然し渇して水を飲まんとはせず渇するも熱飲を好むものである。時に冷水を欲するものあるも微飲に止まる。
4.応用目標
津田玄仙翁は本方の応用に長じ,その著経験筆記に之を諸病に用ふるに当っての応用目的八種を明示している。これは李氏の二著及古今医鑑を熟読すれば自ら明かなることであるが,幾多の先輩が之に賛しているから,今之に私見を加へつつ全文を掲げて見よう。
第一 手足倦怠
倦怠とは手足の落る様にかったるく,力なきを云ふ。この手足倦怠は本方運用第一の目的とすべきもので,肝要中の肝要で,次に述べる他の七症が皆揃ふても,手足倦怠の一つなければ補中益気湯必定の証とは定め難いことがある。といふている。前述せる如く,余は高血壓その脈弦数大兵肥満の婦人のこの手足が抜ける様に倦るく,食皆砂を噛む様だと訴へる二証を取って本方を用ひ,効果あ改aたことがある。然しこれは長服はさせなかった。余自身の体験に徴するに,余は往診に重患あり心身過労睡眠不足,食不定等又,その他の内傷原因あれば,即ち本方の証を発して,手足倦怠坐位堪えず,食味ひを失し,言語返答に物倦く手掌熱し,診療に耐えざるに至る。斯るとき本方を服すれば,殆んど服用を終ると同時好に,全身の毛竅粛然として緊張し脾胃の中心建立せられしものの如きを自覚し,四肢に元気漲り言語遽かに力を帯び,寔に神効立処に顕はるるを体験している。この手足倦怠は少陰病但寝んと慾すに甚だ似ている然して真武湯と本方を陰証傷寒に用ゆる場合に当ての鑑別が必要であらうが,余は未だこれを親しく試みたことがない。が本方は真武湯より一等軽きものであらう。
第二 語言軽微
語言軽微は朝夕のものいひ,かるくかすかにて,語言のたよたよといかにも力なく軽く微かにしてよわよわと聞ゆる症を云ふ。口をきくのが嫌になるものである。
第三 眼勢無力 眼力一応にみれば朝夕の如く見ゆれども,心をつけてみれば,目の見張りダラリとしていかにも力なく見ゆる。この症を検するに一つの方法ありといふ,即ち診者が患者に向って診者の顔を注視させると程なく眼勢衰へ,長く凝視すること能はざるに至るもので。病者自らも読書執筆等凝視に堪えざるものである。和漢纂言要方にては,手足倦怠を目標として本方を用ゆることは誤りあり,必ず主症を眼勢無力にとるべしと論じている。この説も大いに参考とすべきであらう。
第四 口中生白沫
白沫とは病人食を口中に入れて噛むときに,口のあたりに白沫生ずるものなり。固より脾胃虚して食も糠を噛む様に味なきを強りに其の食を咽へのみ込まんとする故口中に白沫自然と生ずるなり。此の食物の喰ひぶり一つみても益気湯の証はよく判るものなり。とあるが,思ふに食事するときのみ白沫を生ずるばかりでなく,病人口中何となく粘く,不快に思ふため,やがて白沫を生じ之を飲み込まぬ故口中に蓄まるものをも意味し人参湯の所謂喜唾の意であらう。右の言に従ひこの食ひ振り一つにて益気湯となし投与せること度々あるが,唯一の目標とはなし難いと思ふ。
第五 食失味
すべて人,無病の時に,甘き物甘く,酸きものは酸,苦きものは苦く,食て五味が口中にて皆それぞれに分る,是れ口中和すといふものにて無病の時かくの如し。それが甘きものも酸きものも,苦辛も,口中に分らず,皆糠くずなどを噛む如くにて不食する,これが爰に云ふ所の食失味と云ふものなり。傷寒雑病の類は五味が口中に分ての上に不食するなり,益気湯の不食は五味が口中にて分らず不食するなり。傷寒雑病五味がわからずして不食するならば是れ脾胃虚をかねたる傷寒雑病なり。此の時は本病を捨てて先づ此の益気湯を用ひて脾胃をとりたつべし。此れよく合点して療治あやまることあるべからず。とある。余思ふに然し乍ら補中益気湯悉く口に甘酸辛苦鹹を識別し能はざるものと限定して終ふことは応用を制限すること厳に過ぐると思ふ。口がまづい程度にてもよいと思うふ。傷寒初めより少陰に発して,手足倦怠,食失味,口中砂を噛む如く,臥すことを好み,言語軽微のものと,陽証にして然も,食失味言語軽微のものなきに非ずである。本証の如きに真武湯にて大効あるものあれば,この点内傷と外感を厳に分ち薬方を切り離す必要なきものと思ふ。補中益気湯は真武湯より一等軽き陰証の傷寒に用ひられる訳である。
第六 好熱物
脾胃虚して益気湯英応ずる証は何程熱ありとも口には煮たつたる物を好むものなり。之は脾胃虚の上に冷をかねたるもの多し,此の時は益気湯に附子を加へてよきものと知るべし。
第七 当臍動気 益気湯の応ずる脾虚の症は臍のぐるりを手を以て按じみるに,必ず動気甚しきものなり,若し動気のうすきものは脾胃の虚かるきものなり。と余思ふに実験上正に然りと思はれる。
第八 脉散大而無力
浮ては散じ,ひろがりて太くうてども,指を沈めてみれば力よわくうつを散大にして無力といふなり。とあるが前述せる如く散大而無力は本方正面の脈証にて,必ずしもこれを必要とせぬものと思ふ。
玄仙翁の口訣は以上の八条であるが,余は之に更一条を附加して置きたいと思ふ。それは,喜太息及欠呻の一条である。本方の応ずる病者は屢々太息を漏らし,又好んで欠呻する。
これは肺気の虚を物語るものである。余は,太息及欠呻に有余と不足の二つあるを提言したい。即ち本方証の欠呻,太息は虚状不足のそれであって,例へば有余の欠呻は,頭を仰ぎ天に向ひ,手を挙げ擘を張って,大声呼号して欠呻し,終れば一種の快感を覚ゆるに反し,本方証の不足の欠呻は,体位を屈して,鞠々如として,軽微殆んど発声なきものである。而も屢々虚弱なる太息を漏らす,これ即ち気虚なるものであって,欠呻太息の後更に爽快を覚えない。余はこれが主治に云ふ,気高て喘するはこの間の消息に該当するものではないかと思ふ。北尾春甫の当荘庵家方口解には,気高て喘すとは,痰有て一つ二つ咳してあとの力ら無き咳なり,痰をせき切る力らうすきに此剤を用ひてせき切る力出づ云々と述べているが,この説も大いに傾聴に価するものと思はれる。
尚ほ玄仙翁曰く。
『すべて人手足に力を入れてはたらくは脾胃の元気をよくして上へ升提するが故なり。然るに脾気の元気をよくして上へ升提す識が故なり。然るに脾気虚するときは道気が下へ下へとこけて上へのぼる勢なき故,気を手足へ配ることがなき故,気を手足へ配ることがなき故乃ち手足が倦怠力なきのみに非ず,語言軽微なるは言の倦怠なり,眼力の見張り力なきは是れ目の倦怠なり,口中生白沫是れ口の倦怠なり,食失味是れ舌の倦怠なり,当臍動気あるは是れ腹の倦怠なり脈無力是れ舌の倦怠なり,倦怠の一つを以て益気湯を用ゆる肝要目的とするなり』といふ。
之は即ち誤山甫の所謂『中気は脾復之気なり,五臓六腑百骸九竅,皆気を脾胃に受けて,而して後に治まる。故に曰く土は万物の母なり』に対照する。又『脾復一度虚すれば肺気先づ絶す』といふが過労より起る肺尖加兒答の初期は甚だ多くこの補中益気湯の証を以て始まるのを見る。この太初に於て本方を以て脾胃の気を補ひ得れば肺気旺となりて全治し得るものである。
本方弁解に,婦人男子共に虚労諸症(多く肺疾患を指す)に不拘,此の方を長服し効をとることあり。婦人に最効ありと述べている。婦人は気少く,内傷労役思慮過度なれば,甚だ気を損じ易きが故に,本方よく応ずるものである。婦人身体疲労心労の後,或は産後の虚に乗じて起る辱労症には本方の証を備へて来るものが多く,此の方を用ひてよく効を得るものである。
偖而以上の応用目標を以て,本方が如何なる方面に応用し得らるるかその臨床上最も屢々遭遇する本方の証の運用範囲を略記して置かう。(中略)
5.服用上の注意
1. 方意弁義に曰く。
『益気湯は先づ未だ食せざる時に服すべし,又昼前に用ゆる薬なり。昼後は陰旺なる故に四物湯,六味丸,八味丸の類を用ゆ。此等は薬を用ゆるの法なり。」と。
之を実際に試むるに,午前中,食前に服するとき特に効があるが如く思はる。
2. 『又本方は至真要大論の七法に於ては緩方なり,呂氏才が十剤の中にては補剤なり。故に多くは急速に効を見はさざるなり。緩方なる故,益気湯の証と見定めて之を用ひ,速かに其効を見はすとも見はさずとも,薬うけ心さへ宜ならば,百貼までも与へて其効を待つべし,速効の見はれざるに苦しんで迷ふときは却て害を求むるものなり。』と,本方長病虚証には,速効著効を期待せず,薬のうけ心さへよろしくば之を長服するがよい。特に婦人に於て然りと思ふ。余の如き一過性の本方証には僅に一貼或は二貼にて大効があるのであるが,これは稀である。
3. 経験筆記に曰く
『脈弦なるもの医王湯を服すれば,必ず瘧を発す。外邪虚に乗じて,皮肉の間に伏蔵せるもの,益気湯の升提の力に追ひ立てられて発するときに瘧状の呈し,寒熱往来することあり。小柴胡湯の戦慄を発すると同じ。
又脾気虚して湿勝つとき医王湯を服して利を発することあり。湿は水の類,下に流れて利となる。その理由はまた瘧を発すると同じことなり』と。
余等この変に遭過すること屢々であったが,多くは驚いて転方して終ふ,転方したのは予後必ず不良であった。
4.若し汗多き者には生姜を去る。生姜汗を発するが故である。
5.若し咳嗽多きは人参を去ると云ふ。或は之を減ずればよい。然もなを発熱咳嗽甚しきは禁忌である。(後略)
※羽翼(うよく)
助けること。助けとなること。また、その人。補佐。「帝王の―となる」「―の臣」
※寔に……まことに
※甑(こしき):古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。円筒形ないし鉢形の土器に複数個の蒸気孔が開けられ、すのこを嵌めて米を乗せ、水を湛えた別容器(鬲)と共に蒸気で蒸しあげる。
※纔か……僅か(わずか)
※散脈(サンミャク): 脈象の一つ。浮大無根の脈。 軽按では個々の脈拍の形態が一定でなく律動も不定で、重按すると触れなくなる。 気血が耗散し、危篤状態であることを示す。
※芤脈(こうみゃく): 脈象の一つ。芤とは葱(ネギ)のこと。軽取で浮大であるが、少し力を加えると触れなくなり、青ネギを押さえたような中空の感じを呈する脈。 出血過多・津液大傷で一過性にみられ、引き続き革脈に移行するが、散脈を呈して死に至ることもある。
※血壓:血圧(けつあつ)
※稍々:やや、しょうしょう
※滑淖
※遽かに:にわかに
物事が思いがけず、また、急におこるようす。
※和漢纂言要方(わかんさんげんようほう):下津春抱著 一七一二年(正徳二年)序 一七一五年(正徳五年)刊
※纂(さん):集めてそろえる。編集する。 編纂。
※爰に(ここに)
※欠呻(けっしん):あくび、欠伸
例)婦人蔵躁、しばしば悲傷して哭せんと欲し、かたち 神霊のなす所の如く、しばしば欠呻す。甘麦大棗湯これを主る(金匱要略)
※擘? 臂の誤植?
※兒:児の旧字
※加兒答:加答兒(加答児(カタル))の誤植
※辱労(じょくろう):産後、体質が虚弱となり、呼吸が浅く疲れやすく・悪寒発熱して瘧 のようになり・頭痛・自汗・全身の倦怠感・咳嗽・気逆・胸中のつかえ・ 腹部の絞られるような痛みや刺痛といた症状を呈するもの。
産後の肺結核。
※偖:さて
補中益気湯(ほちゅうえっきとう) (弁惑論)
〔黄耆(おうぎ)、人参(にんじん)、朮(じゅつ)各四、当帰(とうき)三、陳皮(ちんぴ)、生姜(しょうきょう)、大棗(たいそう)、柴胡(さいこ)各二、甘草(かんぞう)一・五、升麻(しょうま)一〕
本 方は医王湯ともいわれ、小柴胡湯を虚証にしたようなものであり、 柴胡剤中もっとも虚証に用いられる薬方である。本方は、中焦を補い、気を益する補剤である。胸脇苦満もほとんどみられず腹壁の弾力性を欠いている。また、 胃の機能が衰えているので食欲は減少する。そのほか、疲労倦怠感、盗汗、自汗、頭痛、ヘソ部の動悸などを目標とする。
〔応用〕
柴胡剤であるために、大柴胡湯のところで示したような疾患に、補中益気湯證を呈するものが多い。
【参考】
次に示すような疾患に、大柴胡湯證を呈するものが多い。
一 感冒、流感、気管支炎、気管支喘息、肺炎、肺結核、肋膜炎その他の呼吸器系疾患。一 腸チフス、パラチフス、マラリヤ、猩紅熱その他の急性熱性伝染病。
一 黄疸、肝硬変、胆石症、胆嚢炎その他の肝臓や胆嚢の疾患。
一 胃酸過多症、胃酸欠乏症、胃腸カタル、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、急性虫垂炎、慢性腹膜炎その他の消化器系疾患。
一 腎炎、腎盂炎、萎縮腎、腎臓結石、ネフローゼ、尿毒症、尿道炎、膀胱炎、夜尿症その他の泌尿器系疾患。
一 神経衰弱、精神分裂症、神経質、ノイローゼ、ヒステリー、気鬱症、不眠症などの精神、神経系疾患。
一 高血圧症、脳溢血、動脈硬化症、心臓弁膜症、心嚢炎、心臓性喘息その他の循環器系疾患。
一 白内障、結膜炎、フリクテン、角膜炎その他の眼科疾患。
一 急性中耳炎、耳下腺炎、耳鳴り、難聴、蓄膿症その他の耳鼻科疾患。
一 蕁麻疹、湿疹、ふけ症、脱毛症その他の皮膚疾患。
一 そのほか、関節痛、肥胖症、梅毒、不妊症、痔、糖尿病など。
『《資料》よりよい漢方治療のために 増補改訂版 重要漢方処方解説口訣集』 中日漢方研究会
黄耆4.0 人参4.0 朮4.0 当帰3.0 陳皮2.0 大棗2.0 甘草1.5 柴胡1.0 乾姜0.5
〈現代漢方治療の指針〉 薬学の友社
胃腸機能減退し,疲労倦怠感,食欲不振が著しいもの。頭痛,悪寒,盗汗,弛緩性出血などを伴うこともある。
本方は医王湯とも称せられ,疲労回復強壮剤として応用範囲は極めて広い。小柴胡湯,次に柴胡桂枝干姜湯を用いても倦怠感,食欲不振が回復しない場合に適するから,通常柴胡桂枝干姜湯を用いる状態より更に衰弱した場合によい。但し小柴胡湯で胃腸障害を起すものに柴胡桂枝干姜湯を用いずに直ちに本方を利用することもある。本方はまた当帰芍薬散を用いたが,当帰芍薬散で胃腸障害を起し易い人には好適である。本方を服用しても微熱,頭痛,悪寒がとれないもの,もしくは衰弱して咳嗽が続くものには人参養栄湯を試みるとよい。本方は平素強健な人の疲労回復には無効なことが多い。
〈漢方処方解説シリーズ〉 今西伊一郎先生
本方は肺結核,肋膜炎,手術後などの病後で,病勢が一応安定し,回復期に向っているもので,しかも衰弱のため疲労倦怠感,食欲減退,盗汗,微熱などがあって眼勢や言語に力がないものの,体力増強剤として広範に利用され,医王湯の別名が冠せられている貴重な処方である。また一方,体質が虚弱で胃腸機能が悪く,貧血の傾向があって疲労しやすく,倦怠感や脱力感などを自覚したり,あるいは毎年のように夏負け,夏ヤセがして困ると訴えるものの体力を増強する。本方は以上のように現代医学的な疲労回復剤に,栄養強壮剤的に繁用されているが,発汗時に目に汗が流れこんでしみると言う者や,体力が消耗した者には特に効果的で,食欲が増進して下腹部に力がはいるのを自覚できるほどの,すぐれた効果をもっている。特に老人や虚弱者,あるいは衰弱者の呼吸器疾患で,体力の消耗に反比例して,咳が激しくなり,発汗時発汗したり,脱力感などの愁訴ある場合,本方に麦門冬湯か半夏厚朴湯を合方して投与すると,劇的な効果を現わす。本方証に似て衰弱がはなはだしく,病勢が活動的でしかも熱状も発揚的であり,さらに発咳がひどいものには,本方よりも人参養栄湯が適応する。また本方適応症状を具備する脱肛は,そのほとんどが肛門括約筋の弛緩によるもので本方の連用により軽快することが非常に多い。
〈漢方処方応用の実際〉 山田 光胤先生
○虚証で体力が衰えて元気がなく,衰弱の傾向があり,食欲不振,倦怠,頭痛,悪寒,自汗,身熱,微熱などのあるものに用いる。
○津田玄仙は本方の目標として次の諸点をあげ,その中いくつでもあれば用いてよいといっている。(ⅰ)手足倦怠。
(ⅱ)言語に力がない。
(ⅲ)眼の光がにぶく力がない。
(ⅳ)口中に白沫を生ず。
(ⅴ)食味がない。
(ⅵ)熱い物を飲食することを好む。
(ⅶ)臍のところに動悸がある。
(ⅷ)脈散大で力ない。
○小柴胡湯証に準じて,しかも甚だしく虚したものに用いる。した社然工て胸脇苦満,往来寒熱のあることがあるがともに軽微で,全体として元気のないものが目標になる。また諸病のうち,元気が衰え,痩せて,病気が長びいて治らないものによい。
○元気が甚だしく衰え,手足厥冷し,全身の冷えるものに,本方加附子を用いるとよい。四君子湯加附子,附子理中湯などを用いてよいこともある。速効を期すときは参附湯を用い,単に元気が衰えたものには朝鮮人参一味(独参湯)がよい。これらは失血のあるときによいので,産後や切創で大出血したときにもよい。
○鼻汁の多いものに白芷,川芎を加えて用いる。
○ヘルニアによい。
○本方は内症(体内に原因ある病症)に用いる処方で,外感(外的要因による病気)に用いるのは誤りである。その区別は内症は気亢ぶって息荒く喘鳴し,身熱して煩躁し,手足がだるく,表虚悪寒する。故に外感の根本は飲食をつつしまず,脾胃(胃腸)をそこねて此症を生ずるので,症状は頭痛,発熱,悪寒する。
○一切の腫物が,膿血が出ても治らないものによい。又十全大補湯もよい。
○気虚による“眩暈”によい。感冒などで発汗剤を用いたためのめまいにもよい。房事過多による腎虚のめあいには十全大補湯,水毒による虚症のめまい,には半夏白朮天麻湯がよい。
○眼病が慢性になり,脾胃(胃腸)の弱っているものによい。
○耳鳴がする虚労のものに本方加石菖蒲がよく,火元のものには知母,黄柏を加えて用いる。
〈漢方診療の実際〉 大塚,矢数,清水 三先生
本方は小柴胡湯を用いた場合で疲労し易く,腹壁の弾力の乏しい虚証のものに用いる。一般的に脈は軟弱で手足倦怠,語言や眼勢に力が無く,或は微熱,食欲不振,盗汗,臍部に動悸の亢進等があるものによい。病勢が激しく,熱状が発揚性のものには注意を要する。 人参,白朮,陳皮,甘草は健胃強壮の効力があり,黄耆,当帰は皮膚の栄養を亢めて盗汗を治し,柴胡,升麻は解熱の効能がある。生姜,大棗は諸薬を調和し,薬力を強化する。以上の目標に従って本方は虚弱者の感冒,胸膜炎,肺結核,腹膜炎,夏痩せ,病後の衰弱,神経衰弱,脱肛,子宮脱出,瘧疾,陰萎,半身不随,多汗症等に応用される。肺結核で咳嗽のある場合は,五味子,麦門冬を加える。これを味麦益気湯と称する。慢性脱肛には赤石脂を加え,赤石脂湯と名づけて用いられる。
※用いた場合→用いたい場合の誤植
〈漢方処方解説〉 矢数 道明先生
本方は小柴胡湯を用いたいと思うような場合で,それほど胸脇苦満や寒熱往来も激しくなく,脈も腹も比較的軟弱で疲労しやすく,食欲も衰え,一般に元気のないのが目標である。津田玄仙は本方の応用にあたって8つの目標を定めた。すなわち①手足の倦怠感,②言語が軽微で ③眼に勢いがない ④口中に白沫が出る。⑤食の味がなくなる ⑥熱いものを好む ⑦臍にあたって動悸がする ⑧脈は散大で力がある。以上の8症はいわゆる虚候の目標で,そのうち1,2症があれば用いてよいといっている。
〈勿誤方函口訣〉 浅田宗伯先生
此方は元来東垣が,建中湯,十全大補湯,人参養栄湯などを差略して組立てし方なれば,後世家にて種々の口訣あれども,畢竟小柴胡湯の虚候を帯ぶる者に用ゆべし(中略) 少陽柴胡の部位にありて内傷を兼ねる者に与ふれば間違なきなり。故に婦人男子共に虚労雑症に拘はらず,此方を長服し,効を得ることあり。婦人には最も効あり。又諸痔脱肛の類,疲れ多き者に用ゆ。又此の症にして,煮たてたる熱物を好むは附子を加べし,何ほど渇すといえども附子苦しからず。
〈当荘庵家方口解〉 北尾 春甫先生
此の益気湯は,自汗,あるいは汗出で易く,表虚と云ふに功ありと知るべし,表をよく固むる剤なり,気高くして喘とあるは,痰ありと1つ2つ咳して,あとの力無き咳あり。痰をせき切る力のうすきに此剤を用いて,せき切るちから出来て咳止むなり。益気湯に限らず,人参の力なり。脈法洪大無力,或は微細軟弱,心下空虚按して力無く,按腹を好み,柔かにして少し脹る。これ皆気虚に属するなり。甚しければ則ち,附子,乾姜,肉桂を加ふ。胎前にも胎臍下にさがりて心下よはきに用ひてよし。産後子腸(子宮のこと)収まらず,或は交骨(骨盤)閉じ兼ねるにも用ゆ。婦人帯下血崩或は経水久しく止まず色蒼々気下陥するに用ゆ。何れの病にても,久しく病んで,気下陥したる升提せんと思ふて功を得ること間々あり。それも其味を好み人にはより応ずるなり。腫物潰えて後,膿も漸くうすくなり,愈々,肉をあげんと思ふときに用いるなり。肉桂を加えてよし。
〈後世要方解説〉 矢数 道明先生
本方は疲労病の治方であって,すべて道気の不足を補う強壮剤である。元来,胃腸虚弱,弛緩性体質者で,過労或は飲食不摂生,或いは感冒等により胃腸機能が減退し,為めに食欲不振,四肢倦怠,全身疲労感,口中乾燥等を発するものに用いる。時には発熱,頭痛,悪寒,自汗等もあって,或は弛緩性諸出血がやまず,或は長期間の熱性病後,或は長期間の下痢後,或は房事後,体力虚耗の際感冒に犯された等の場合に用いるものである。脈は洪大で力が無く,或は微細軟弱である。腹証も多くは虚状を呈するのである。応用範囲は頗る広い。
〈蕉窓方意解〉 和田 東郭先生
(前略)この薬全体の趣意をいう時は,心下両脇の痞鞕を標的として組立てしものなり。故にその腹形は小柴胡湯を用いるべきように見ゆれども,柴胡,黄芩,人参,半夏,甘草などと組み合わせてはいまひとつは,するどにて宣しからざる気味合いあり,これによって黄芩,半夏を除きなるなり,その故は,右の通り心下両脇痞鞕して肝,鬱滞することはなはだしく,あるいは亢極するに至れば,心下胃口ますます痞塞する故これよりして段々中気ふめぐりになり,胃中真陽の気,かじけて上達しがたきゆえ,心下の痞鞕もなおなお,はなはたしく成りて,終に飲食を思わず道気も日に衰憊するに至るなり。(中略)まず益気湯の黄耆は心下をべったりとふさぎ,飲食を思わず食わずして,胃の気を養うことなりがたきによって,胃中の真陽いよいよ薄くなり,閉塞せらるること,ますますはなはだしくして,上気の気,升降融通せざるがゆえ,それよりして胃中,必ず虚寒をたくわえれども,さながら正面に附子剤を用いるという様子にてもなきゆえ,右の通り当帰にて肝部を潤じて緩め,升麻,柴胡にて両脇心下をくつるげ,人参,甘草,当帰を伴わせて,いよいよほどよく心下両脇を,くつろぐる故,かの胃中真陽の気も,びらびらと上は心肺の部に上達するの地合いになるなり。故にかの久々閉塞せられて胃中の集りおよび,肌表に滞れる水飲を人参,黄耆にて外か肌表に発泄し下も,水道へ押し出し,白朮甘草にて消導するの意なり。ひつきよう発汗などさせるも黄耆にて水飲を外かに張り出すなり。されども黄耆ばかりにては,その具合いできざるによって,升麻,柴胡に当帰,人参,甘草と組み,心下両脇をむっくりとすかし,ゆるむゆえ黄耆の働き十分なりて上下左右,四方八隅に通達せずということなし,陳皮,生姜を用いるは,白朮に羽翼し,また升麻,柴胡にも羽翼して胃口を開き胃口をすかすの意なり。(後略)
〈古今医鑑〉 龔 信 先生
中気不足,肢体倦怠し,口乾発熱,飲食味なきを治す。或ひは飲食節を失し,労倦身熱,脈大にして虚し,或ひは頭痛,悪感,自汗,或ひは気高して喘し,身熱して煩し或ひは脈微細軟弱,自汗体倦し,或ひは飲食労倦して瘧痢を患ひ,或ひは元気虚弱にして風寒に感冒し表を発するに勝えず,或ひは房に入りて後に感冒する等を治す。
………按ずるに此方元気を補ひ,脾胃を養ひ,下陥の気を升提し,内傷を治するの要薬なり。
〈漢方と漢薬〉 第4巻 第8号
補中益気湯に就て 矢数 道明先生
1.主治
東垣の脾胃論,及弁惑論に本方の主治を論ずること詳細を極むと雖も,その全文を引用することは高遠冗長の嫌なきに非ず,今李氏の意を最もよく伝へたるものと思推されるる,龔信氏が古今医鑑に述べぶる処の主治を掲ぐれば
『中気不足肢体倦怠し,口乾き発熱し,飲食味なきを治す或は飲食節を失し,(1)労倦身熱し,脈大にして虚し,(2)或は頭痛悪寒自汗,(3)或は気高って喘し身熱して煩し,(4)或は脈微細軟弱,自汗体倦み,食少く,(5)或は中気虚弱にして血を摂すること能はず,(6)或は飲食労倦して瘧痢を患へ,(7)或は瘧痢脾胃の虚に因て愈ること能はず,(8)或は元気虚弱にして,風寒に感冒し,表を発するに勝えざるは,宜しく此を用ひて之に代ふべし,(9)或は房に入て而して後に感冒し,或は感冒して而して後に房に入る。亦此湯を用ひて急に附子を話過(10)或は瀉利腹痛には急に附子理中湯を用ゆ』とあり,龔氏は更に之に註して曰く,
『按ずるに此方は元気を補ひ,脾胃を養ひ,下陥の気を升提し内傷を治するの要薬なり』と断じている。和漢諸家本方の主治及運用を論じて以上龔氏の右に出づるものがない。
2.薬理
黄耆
脾胃虚し,肺気先づ絶するには之を用ひて以て皮毛を益して腠理を閉ぢ,自汗を止むこと。(即ち本薬は肺脾二経に入り,強壮,止汗,利尿剤にして,身体虚弱,皮膚営養不良にして,皮膚及皮下組織内の水毒を去る)
人参
上喘し,気短く元気大虚に用て以て之を補ふと。(即ち本薬は肺脾二経に入り,健胃,強壮,解熱,袪痰,利尿,止血の作用あり,胃の衰弱,新陳代謝機能減衰による,食欲不振,消化不良,嘔吐,心痛,腹痛,下利等に用ふ。)
甘草
甘温以て火熱を瀉して,脾胃の中の元気を補ふ。脾胃の中の元気を補し,脾胃急痛し,腹中急縮する者の如きは多くこれを用ゆと,(即ち本薬は脾経に入る,又肺を潤す緩和剤,矯味薬,疼痛及び種々なる急迫症状を緩急す。)
白朮
苦甘温,胃中の熱を除き,腰脊間の血を利すと。即ち本薬は脾胃二経に入り,利尿剤,身体疼痛,胃内停水,失精,眩暈下痢に用ふ,本方の白朮が脾を補ふ所以は胃内停水を去るが故である。)
柴胡
能く胃中の清気をして左旋して上達せしむ,(即ち本薬は肝胆二経に入り,胸脇苦満,寒熱往来,胸腹部,脇下痞え,且つ堅きを治するのてあるが古人が薬物に左旋右旋の説を立てたるは近代科学の先鞭をつけたるものとして,その思想に意義を認めなくてはならぬ。)
升麻
能く胃中の清気をして右よりして上遷せしむ。(肺脾大腸経に入る。)
橘皮
胸中の気を理し,又能く陽気を助けて上升し,以て滞気を散ず諸脾胃を助くるを用と為す,(本薬は肺脾二に入り利尿健胃,発汗鎮痙,鎮嘔,袪痰剤にし経て,吃逆を治し,魚毒を解す。)
当帰
之を用ひて以て血脈を和す。
(温性強壮剤,貧血性瘀血に用ゆ,鎮痛の効あり心脾胃の三経に入る。)
以上を以てすれば本方構成の薬物は所謂強壮,緩和,振興利尿,健胃,清涼の諸剤を巧に配合したるのにして,元気を補ひ,強心の作用あり,脾肺腎を養ひ,消化吸収をよくし利尿をよくし血行をよくし細胞の沈衰したる機能を振起するものである。
医方集解に之が君臣佐使を論じ,黄耆を以て君薬となし人参,甘草を以て臣薬となし,白朮,升麻,柴胡を以て佐薬となし,陳皮,生姜,大棗を以て使薬となしている。
先証奇覧の説は仲景の意を以て極めて要を尽している。曰く,
『部位は裡位にして中焦に在り,診表位に及ぶ,労役之邪心倦み神疲る,中を理め,気を滋す,功は参耆に在り』とその大綱を示し,黄耆を以て君薬となしている。岡本一抱氏は肺気の衰ふることを甚しくば黄耆を君とし,胃の元気虚すること甚しくば人参を君としべしとなっている。
和久田氏は更に『之を古に稽ふるに,李氏の本づく処,柴胡湯にありて,柴胡固より実邪に施すべくして所謂労気の人が用ひがたきを以て,内にして脾胃を温補するに人参白朮を以てするもの理中の意を以てし,外にして正気を滋張するに黄耆を以てし,以て之が君となし,加ふるに升提利気解熱和血の諸品を以てして,相共に胸脇心下の鬱結を消して,以て正気を肌表に宣暢し,方名の如く,中を補ひ気を益して邪気自ら去るやう工夫し立てたるもの,此の方の功諸薬和するところの力にあり,是の故に仲景の諸方を考へ,黄耆諸剤を用ゆるの微意を自得せば是等の方といへども運用自由ならさることなけん』と云ふている。
次の東郭の蕉窓方意解を見ると,その所謂脾胃温補の所以を次の如く説いている。
『当帰升麻柴胡と併はせて柴胡にて両脇心下をくつろげ,升麻柴胡にてきっとすかし,当帰にてむっくりと肝部をゆるめ,且つ滋潤し,甘草人参軽き甘味と相和して同じく心下の痞鞕をゆるむれば,上れみ少しくつろぐゆへ,彼の肝気にておさへ付けられたる胃中の真陽上み心肺に上達するなり。即ち東垣は此手段を指して陽気を升提すとは説かれしものなり』
親しく病者に試み,自らも服用してしの薬効を体験すれば右東郭の一文は寔に云ひ妙なりと肯定出来るものである。更に岡本一抱氏の方意弁義には実に巧妙なる譬を以て本方の作用を述べているから之を引用して見やう。
『この方喩へば紙袋の中へ息を吹き入るるが如し。此紙袋は黄耆なり,吹入るるは人参なり是を人身に喩へて云へば袋は肺なり,息は胃の元陽なりさて彼の紙袋の中へ息を吹入るるときは袋に息充ちて張るものなり。若し又袋の紙薄くして破れたる所あれば,吹入れたる息充たずして袋ふくるることなし,肺胃之に同じ,肺気不足すればいかほど胃の元陽を補ふても肺気充実することを得ず。黄耆は八万四千の毛竅を閉づ,皮膚腠理を閉ぢて肺気をもらさずして元気をもち充たしむるなり』と述べ,
『又甘草,升麻,柴胡の薬能は喩へば,甑に小さき孔があって,能く物を蒸すが如し,小の孔大なれば蒸気よはくして物を蒸すことなし此甘草を以て竅を大にせず其引きしめて大にせざるよりして,升麻柴胡のむしのぼす気強くしてよく升提するなり。黄耆を以て蓋をなし,人参,甘草,白朮にて甑の中にあるものをひきしむれば,蒸気のぼることを得ず故に陳皮にてひきしむる中をすかし,柴胡にて肝をひきたて升麻にて胃の元気を升せて心肺へ通ず,升麻柴胡はこしきにあなをあくるが如し,此のあな大なれば升提の勢弱きによって纔かに組入れたり』云々と,比喩よく実を伝ふるものと云ふべく,升提の意義をよく了解し得ることと思ふ。
3.脈証,腹証,舌証
(1) 脈証
補中益気湯正面の脈は,散大にして無力,にとるべきであらう。寿世保元,古今医鑑等に脈洪大にして無力とあるも,これは真の意味の洪脈ではなく,一見洪に類して散大,而も力無く,寧ろ中空にして精気虚乏による芤脈に巾広きを覚ゆるものである。往年余の親戚の者,その児引続き大病に罹り十数日不眠不休看護に従事せるの後,疲労困憊本証を発せる時,この散にして無力の実際を診してより,本方証正面の脈状を体得した。然し乍らこれは正規的に現はれた場合で,他の雑病中に現はるる時には必ずしも之のみではない。或は微細,軟弱或は数,或は濇等総べて,虚脈たることに変りない,されど余の如きは常にその脈緊なれども,脈を捨てて証を取り,その効著しい場合がある。更に先頃余は五十歳の偉大なる体格の婦人軽い右半身不随を発し,血壓二百に近く,その脈弦数とも云ふべきものに,後述する,四肢倦怠,手足が抜ける様に倦るい,食欲絶砂をを噛むが如し,といふ証を取って本方を投じ,大効ではなかったが稍々所期の効を得たこともある。脈必ず洪大にして無力と限定することは出来ないが,大抵虚状であればよいであらう。
(2) 腹証
本方の腹証を余は先づ心下虚之を按じて無力,按腹することを好み柔かにして少しく脹軍。のその大綱を定めている。然し乍ら和田東郭は,心下両脇の痞鞕を標的とし,其腹形は小柴胡湯を用ゆべき様に見ゆれども,柴胡黄芩人参半夏甘草など,組合せては今一際するどにて宜しからざる気味にて,心下胃口痞塞せるものに用ゆといひ,腹証奇覧翼にも心下両脇下に痞塞すること柴胡の証に似て一体にうすし,と述べている。されば必ずしも虚軟でなくともよく,本方が肋膜炎,腹膜炎の虚証によく用ひらるる所以である。
津田玄仙は当臍動気を強く主張しているが,余の経験によるも,臍中或は臍辺の動気は大切な目標であると思ふ。これは即ち腹壁の弛緩と脾胃虚弱の証左である。
和久田氏は本方証の皮膚は虐枝加黄耆湯の如く,皮膚潤沢なく,滑淖ならず,甚しきものは皮膚甲錯枯燥し,腠理密ならずと述べている。余は表虚即ち正気皮膚に達せず,粗白にして沢なきを目標としているが,要するに本方は肺気の虚を皮膚によって調節補正せんとするもので,皮膚の栄養強壮を企画するものである。五行説によれば肺は皮を主り,脾は肌肉を主るといふ。本方証の人は,皮肉虚弱,風邪を引き易く,その肉軟弱無力,発汗し易くして従らに精気脱漏を起し易い。即ち本方を以て脾肺を養ひ皮肉に賦活せしめんとするものである。
(3) 舌證 舌は苔なく潤ふているのが本旨である。或は微白苔あって口中燥を訴えるものもある。然し渇して水を飲まんとはせず渇するも熱飲を好むものである。時に冷水を欲するものあるも微飲に止まる。
4.応用目標
津田玄仙翁は本方の応用に長じ,その著経験筆記に之を諸病に用ふるに当っての応用目的八種を明示している。これは李氏の二著及古今医鑑を熟読すれば自ら明かなることであるが,幾多の先輩が之に賛しているから,今之に私見を加へつつ全文を掲げて見よう。
第一 手足倦怠
倦怠とは手足の落る様にかったるく,力なきを云ふ。この手足倦怠は本方運用第一の目的とすべきもので,肝要中の肝要で,次に述べる他の七症が皆揃ふても,手足倦怠の一つなければ補中益気湯必定の証とは定め難いことがある。といふている。前述せる如く,余は高血壓その脈弦数大兵肥満の婦人のこの手足が抜ける様に倦るく,食皆砂を噛む様だと訴へる二証を取って本方を用ひ,効果あ改aたことがある。然しこれは長服はさせなかった。余自身の体験に徴するに,余は往診に重患あり心身過労睡眠不足,食不定等又,その他の内傷原因あれば,即ち本方の証を発して,手足倦怠坐位堪えず,食味ひを失し,言語返答に物倦く手掌熱し,診療に耐えざるに至る。斯るとき本方を服すれば,殆んど服用を終ると同時好に,全身の毛竅粛然として緊張し脾胃の中心建立せられしものの如きを自覚し,四肢に元気漲り言語遽かに力を帯び,寔に神効立処に顕はるるを体験している。この手足倦怠は少陰病但寝んと慾すに甚だ似ている然して真武湯と本方を陰証傷寒に用ゆる場合に当ての鑑別が必要であらうが,余は未だこれを親しく試みたことがない。が本方は真武湯より一等軽きものであらう。
第二 語言軽微
語言軽微は朝夕のものいひ,かるくかすかにて,語言のたよたよといかにも力なく軽く微かにしてよわよわと聞ゆる症を云ふ。口をきくのが嫌になるものである。
第三 眼勢無力 眼力一応にみれば朝夕の如く見ゆれども,心をつけてみれば,目の見張りダラリとしていかにも力なく見ゆる。この症を検するに一つの方法ありといふ,即ち診者が患者に向って診者の顔を注視させると程なく眼勢衰へ,長く凝視すること能はざるに至るもので。病者自らも読書執筆等凝視に堪えざるものである。和漢纂言要方にては,手足倦怠を目標として本方を用ゆることは誤りあり,必ず主症を眼勢無力にとるべしと論じている。この説も大いに参考とすべきであらう。
第四 口中生白沫
白沫とは病人食を口中に入れて噛むときに,口のあたりに白沫生ずるものなり。固より脾胃虚して食も糠を噛む様に味なきを強りに其の食を咽へのみ込まんとする故口中に白沫自然と生ずるなり。此の食物の喰ひぶり一つみても益気湯の証はよく判るものなり。とあるが,思ふに食事するときのみ白沫を生ずるばかりでなく,病人口中何となく粘く,不快に思ふため,やがて白沫を生じ之を飲み込まぬ故口中に蓄まるものをも意味し人参湯の所謂喜唾の意であらう。右の言に従ひこの食ひ振り一つにて益気湯となし投与せること度々あるが,唯一の目標とはなし難いと思ふ。
第五 食失味
すべて人,無病の時に,甘き物甘く,酸きものは酸,苦きものは苦く,食て五味が口中にて皆それぞれに分る,是れ口中和すといふものにて無病の時かくの如し。それが甘きものも酸きものも,苦辛も,口中に分らず,皆糠くずなどを噛む如くにて不食する,これが爰に云ふ所の食失味と云ふものなり。傷寒雑病の類は五味が口中に分ての上に不食するなり,益気湯の不食は五味が口中にて分らず不食するなり。傷寒雑病五味がわからずして不食するならば是れ脾胃虚をかねたる傷寒雑病なり。此の時は本病を捨てて先づ此の益気湯を用ひて脾胃をとりたつべし。此れよく合点して療治あやまることあるべからず。とある。余思ふに然し乍ら補中益気湯悉く口に甘酸辛苦鹹を識別し能はざるものと限定して終ふことは応用を制限すること厳に過ぐると思ふ。口がまづい程度にてもよいと思うふ。傷寒初めより少陰に発して,手足倦怠,食失味,口中砂を噛む如く,臥すことを好み,言語軽微のものと,陽証にして然も,食失味言語軽微のものなきに非ずである。本証の如きに真武湯にて大効あるものあれば,この点内傷と外感を厳に分ち薬方を切り離す必要なきものと思ふ。補中益気湯は真武湯より一等軽き陰証の傷寒に用ひられる訳である。
第六 好熱物
脾胃虚して益気湯英応ずる証は何程熱ありとも口には煮たつたる物を好むものなり。之は脾胃虚の上に冷をかねたるもの多し,此の時は益気湯に附子を加へてよきものと知るべし。
第七 当臍動気 益気湯の応ずる脾虚の症は臍のぐるりを手を以て按じみるに,必ず動気甚しきものなり,若し動気のうすきものは脾胃の虚かるきものなり。と余思ふに実験上正に然りと思はれる。
第八 脉散大而無力
浮ては散じ,ひろがりて太くうてども,指を沈めてみれば力よわくうつを散大にして無力といふなり。とあるが前述せる如く散大而無力は本方正面の脈証にて,必ずしもこれを必要とせぬものと思ふ。
玄仙翁の口訣は以上の八条であるが,余は之に更一条を附加して置きたいと思ふ。それは,喜太息及欠呻の一条である。本方の応ずる病者は屢々太息を漏らし,又好んで欠呻する。
これは肺気の虚を物語るものである。余は,太息及欠呻に有余と不足の二つあるを提言したい。即ち本方証の欠呻,太息は虚状不足のそれであって,例へば有余の欠呻は,頭を仰ぎ天に向ひ,手を挙げ擘を張って,大声呼号して欠呻し,終れば一種の快感を覚ゆるに反し,本方証の不足の欠呻は,体位を屈して,鞠々如として,軽微殆んど発声なきものである。而も屢々虚弱なる太息を漏らす,これ即ち気虚なるものであって,欠呻太息の後更に爽快を覚えない。余はこれが主治に云ふ,気高て喘するはこの間の消息に該当するものではないかと思ふ。北尾春甫の当荘庵家方口解には,気高て喘すとは,痰有て一つ二つ咳してあとの力ら無き咳なり,痰をせき切る力らうすきに此剤を用ひてせき切る力出づ云々と述べているが,この説も大いに傾聴に価するものと思はれる。
尚ほ玄仙翁曰く。
『すべて人手足に力を入れてはたらくは脾胃の元気をよくして上へ升提するが故なり。然るに脾気の元気をよくして上へ升提す識が故なり。然るに脾気虚するときは道気が下へ下へとこけて上へのぼる勢なき故,気を手足へ配ることがなき故,気を手足へ配ることがなき故乃ち手足が倦怠力なきのみに非ず,語言軽微なるは言の倦怠なり,眼力の見張り力なきは是れ目の倦怠なり,口中生白沫是れ口の倦怠なり,食失味是れ舌の倦怠なり,当臍動気あるは是れ腹の倦怠なり脈無力是れ舌の倦怠なり,倦怠の一つを以て益気湯を用ゆる肝要目的とするなり』といふ。
之は即ち誤山甫の所謂『中気は脾復之気なり,五臓六腑百骸九竅,皆気を脾胃に受けて,而して後に治まる。故に曰く土は万物の母なり』に対照する。又『脾復一度虚すれば肺気先づ絶す』といふが過労より起る肺尖加兒答の初期は甚だ多くこの補中益気湯の証を以て始まるのを見る。この太初に於て本方を以て脾胃の気を補ひ得れば肺気旺となりて全治し得るものである。
本方弁解に,婦人男子共に虚労諸症(多く肺疾患を指す)に不拘,此の方を長服し効をとることあり。婦人に最効ありと述べている。婦人は気少く,内傷労役思慮過度なれば,甚だ気を損じ易きが故に,本方よく応ずるものである。婦人身体疲労心労の後,或は産後の虚に乗じて起る辱労症には本方の証を備へて来るものが多く,此の方を用ひてよく効を得るものである。
偖而以上の応用目標を以て,本方が如何なる方面に応用し得らるるかその臨床上最も屢々遭遇する本方の証の運用範囲を略記して置かう。(中略)
5.服用上の注意
1. 方意弁義に曰く。
『益気湯は先づ未だ食せざる時に服すべし,又昼前に用ゆる薬なり。昼後は陰旺なる故に四物湯,六味丸,八味丸の類を用ゆ。此等は薬を用ゆるの法なり。」と。
之を実際に試むるに,午前中,食前に服するとき特に効があるが如く思はる。
2. 『又本方は至真要大論の七法に於ては緩方なり,呂氏才が十剤の中にては補剤なり。故に多くは急速に効を見はさざるなり。緩方なる故,益気湯の証と見定めて之を用ひ,速かに其効を見はすとも見はさずとも,薬うけ心さへ宜ならば,百貼までも与へて其効を待つべし,速効の見はれざるに苦しんで迷ふときは却て害を求むるものなり。』と,本方長病虚証には,速効著効を期待せず,薬のうけ心さへよろしくば之を長服するがよい。特に婦人に於て然りと思ふ。余の如き一過性の本方証には僅に一貼或は二貼にて大効があるのであるが,これは稀である。
3. 経験筆記に曰く
『脈弦なるもの医王湯を服すれば,必ず瘧を発す。外邪虚に乗じて,皮肉の間に伏蔵せるもの,益気湯の升提の力に追ひ立てられて発するときに瘧状の呈し,寒熱往来することあり。小柴胡湯の戦慄を発すると同じ。
又脾気虚して湿勝つとき医王湯を服して利を発することあり。湿は水の類,下に流れて利となる。その理由はまた瘧を発すると同じことなり』と。
余等この変に遭過すること屢々であったが,多くは驚いて転方して終ふ,転方したのは予後必ず不良であった。
4.若し汗多き者には生姜を去る。生姜汗を発するが故である。
5.若し咳嗽多きは人参を去ると云ふ。或は之を減ずればよい。然もなを発熱咳嗽甚しきは禁忌である。(後略)
※羽翼(うよく)
助けること。助けとなること。また、その人。補佐。「帝王の―となる」「―の臣」
※寔に……まことに
※甑(こしき):古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。円筒形ないし鉢形の土器に複数個の蒸気孔が開けられ、すのこを嵌めて米を乗せ、水を湛えた別容器(鬲)と共に蒸気で蒸しあげる。
※纔か……僅か(わずか)
※散脈(サンミャク): 脈象の一つ。浮大無根の脈。 軽按では個々の脈拍の形態が一定でなく律動も不定で、重按すると触れなくなる。 気血が耗散し、危篤状態であることを示す。
※芤脈(こうみゃく): 脈象の一つ。芤とは葱(ネギ)のこと。軽取で浮大であるが、少し力を加えると触れなくなり、青ネギを押さえたような中空の感じを呈する脈。 出血過多・津液大傷で一過性にみられ、引き続き革脈に移行するが、散脈を呈して死に至ることもある。
※血壓:血圧(けつあつ)
※稍々:やや、しょうしょう
※滑淖
※遽かに:にわかに
物事が思いがけず、また、急におこるようす。
※和漢纂言要方(わかんさんげんようほう):下津春抱著 一七一二年(正徳二年)序 一七一五年(正徳五年)刊
※纂(さん):集めてそろえる。編集する。 編纂。
※爰に(ここに)
※欠呻(けっしん):あくび、欠伸
例)婦人蔵躁、しばしば悲傷して哭せんと欲し、かたち 神霊のなす所の如く、しばしば欠呻す。甘麦大棗湯これを主る(金匱要略)
※擘? 臂の誤植?
※兒:児の旧字
※加兒答:加答兒(加答児(カタル))の誤植
※辱労(じょくろう):産後、体質が虚弱となり、呼吸が浅く疲れやすく・悪寒発熱して瘧 のようになり・頭痛・自汗・全身の倦怠感・咳嗽・気逆・胸中のつかえ・ 腹部の絞られるような痛みや刺痛といた症状を呈するもの。
産後の肺結核。
※偖:さて
一 患者が手足をだるがる。 (手足倦怠)
二 言葉が聞きにくく、蚊の鳴くような小さな声で喋る。(語言軽微)
三 目に活き活きした力がない。 (眼勢無力)
四 口の中に白い泡ができて味がない。 (口中生白沫)
五 物の味がよく分からない。 (失食味)
六 熱いものを喜んで食し、冷たいものを嫌う。 (好熱物)
七 臍の所で動悸がする。 (当臍動悸)
八 脈に締まりがなくて、パッと開いたような脈をしている。
この八つのうち一つか二つあれば、必ずこの医王湯が百発百中効く。
さらにうんと熱いものを好む場合には、これに附子を加えたらよい。