健康情報: 康治本傷寒論 第三十四条 傷寒,発汗而復下之後,胸脇満微結,小便不利,渇而不嘔,但頭汗出,往来寒熱,心煩者,柴胡桂枝乾姜湯主之。

2009年11月6日金曜日

康治本傷寒論 第三十四条 傷寒,発汗而復下之後,胸脇満微結,小便不利,渇而不嘔,但頭汗出,往来寒熱,心煩者,柴胡桂枝乾姜湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、発汗而復下之後、胸脇満微結、小便不利、渇而不嘔、但頭汗出、往来寒熱、心煩者、柴胡桂枝乾姜湯、主之。
 [訳] 傷寒、汗を発し而して復たこれを下して後,胸脇満し微結し、小便利せず、渇して嘔せず、但だ頭に汗出で、往来寒熱し、心煩する者は,柴胡桂枝乾姜湯、之を主る。

 冒頭の傷寒という句は第三二条と同じく傷寒中風という意味にとるべきであり、次の発汗而復下之後は傷寒中風という表現が最初に第二六条(小柴胡湯)の変証、すれは陽病だから一層下方へ病邪が進んだ変証であることを示すためのものである。
 胸脇満は『解説』三一五頁で胸脇苦満の軽症としているのが正しい。苦は第二六条で説明した如く甚しくの意にとった方が良いからである。『入門』二一二頁、『講義』一七七頁のように胸脇苦満の略とするのは正しくない。微結は胸脇について言っているのだから結胸の微なるものの意にとった方がよい。即ち胸脇に水毒が少しく存在することである。『入門』、『講義』でそれを心下支結の微(軽度)なる者の意にして心下微結の省文なり、とするのは文章上おかしい。心下という部位を省略する理由が何もないからである。『解説』では胸脇微結の意味にとったのは良いが、「胸脇が少しばかり硬くなり」と説明しているのは具体的にどういう症状なのかわからない。
 小便不利は裏熱のために生じた症状と見るべきである。陽邪が下方に進んだことを示したものである。ところが『講義』では「此れまた津液を失えるに因る」と解釈して、はじめの発汗而復下之に結びつけている。『解説』、『入門』、『集成』も同じ説であるが、私はこのような解釈には賛成できない。
 而不嘔は胃内停水がないから嘔は無いという意味であり、ここまでの症状を第二六条小柴胡湯症と比較してみると大層良く似ているが、嘔はないというのだから、而を逆接にとって「渇すれども嘔せず」と読んだ方が良いのかもしれない。感無己は「小便不利して渇する者は汗下の後、津液を亡い、内燥くなり。もし熱にて津液を消し、小便不利して渇せしめる者は其の人必ず嘔す。今は渇而不嘔、裏熱に非ざるを知るなり」と間違った解釈をしているが、『講義』一七七頁では「胸脇苦満成、嘔する者はこれを小柴胡湯の正証と為す。故に嘔せずを挙げて其の正証に非ざるを明らかにす」ともっと悪い解釈をしている。これは類証鑑別にすぎない。渇の生ずる原因については「液分欠乏す。故に渇証有り、」というが、そうならば而は順接になり、このような接続詞の使い方は古文では考えられない。しかも「此の病は邪気、停水を挟みて而も結胸を致すに至らざる者」とか「水気心下に激動して気逆上衝を発する証」とか説明しているのだから、胃内停水があることを認めている。それならば渇も不嘔も起らない筈である。浅田宗伯もまた「小便利せず、渇して嘔せず、は停飲を挟みて気逆するが故なり」という。この矛盾にどうして気が付かないのであろうか。不可解と言わねばならない。
 但頭汗出はからだが弱って、気が上衝気味であることを示している。
 『講義』に「身体に汗無く、頭のみ微汗あり。但とは身体に対して頭のみを指すの辞なり」とあるのでよい。
 往来寒熱心煩はなお少陽病の正証に近いことを示している。


柴胡半斤、黄芩三両、牡蠣二両熬、括蔞根三両、桂枝三両去皮、甘草二両炙、乾姜一両。   右七味、以水一斗二升煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。

 [訳] 柴胡半斤、黄芩三両、牡蛎二両熬る、括蔞根三両皮を去る、甘草二両炙る、乾姜一両。
    右の七味、水一斗二升を以て煮て、六升を取り、滓を去り、再び煎じ、三升を取り、一升を温服す、日に三服す。

 熱状からみて依然として少陽病であるから柴胡と黄芩の組合わせは必要である。しかし胃内停水がなく、嘔もないのだから、小柴胡湯のように半夏と生姜を用いる必要はない。そして小便不利と渇があるのだから牡蛎と括蔞根の組合わせを用いる。
 金匱要略の百合病篇(第三編)に百合病、渇不差者、括蔞牡蛎散、主之、とあり、括蔞根と牡蛎を等分、細末とし、一方寸七を服すとあることに相当している。百合病とは『漢方医語辞典』に「「重篤なる病の恢復期に現われる神経衰弱様の疾患をいう」とあり、金匱要略にはからだが弱っていてその脈は微数とある。牡蛎は身熱、動悸を治し、括蔞根は裏熱、消渇、口渇を治すことがここでは問題になる。
 桂枝と甘草の組合わせは気の上衝を治すためである。鎮静という意味では牡蛎もまた関与する。乾姜を少量用いているのはからだが弱っている時の陽の回復するためであろう。甘草乾姜湯よりもはるかに少い量であることから、悪寒と心煩を治すものであろう。
 宋板の小柴胡湯の方後に記されている加減法の中に、若し渇する者は半夏を去り、人参、括蔞根を加う、とあるのも参考になる。
 『集成』では薬物の用い方からみて王叔和のつくるところだとし、方名もまた例外的なつけ方であるから、この処方を除くべし、といい、頭汗出という症状を除けば小柴胡湯を使用すればよい、と述べているが、これには賛成できない。
 宋板では括蔞根四両、乾姜二両となっている。どちらが良いかは正確にはきめがたい。ただ薬物の配列が柴胡、桂枝、乾姜、括蔞根、黄芩、牡蛎、甘草の順になっているのは良くない。これに対し康治本では一連の柴胡剤は整然と配列されていることに注目すべきである。

小柴胡湯 柴胡・黄芩 半夏・生姜 人参・甘草・大棗
大柴胡湯 柴胡・黄芩 半夏・生姜 芍薬・枳実・大棗
柴胡桂枝乾姜湯 柴胡・黄芩 牡蛎・括蔞根 桂枝・甘草・乾姜


『傷寒論再発掘』
34 傷寒、発汗而復下之後 胸脇満微結 小便不利 渇而不嘔 但頭汗出 往来寒熱 心煩者 柴胡桂枝乾姜湯主之。
   (しょうかん、発刊ししこうしてまたこれをくだしてのち きょうきょうまんびけつ、しょうべんふり かっしておうせず、ただずかんいで おうらいかんねつ、しんぱんするもの、さいこけいしかんきょうとうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、発汗させ、更にまたこれを瀉下させたりしたあと、胸脇満し、微結し、小便不利し、渇して、嘔せず、ただ頭汗が出て、往来寒熱し、心煩するようなものは、柴胡桂枝乾姜湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、発汗や瀉下したあとの病態で、まだ陽病の状態であるもののうち、柴胡桂枝乾姜湯の適応する病態について述べた条文です。
 傷寒 とは、第33条の時と同じように、「病にかかって」というほどの意味です。
 胸脇満とは、胸脇の部分に何かが満ちた感じを言うのでしょうから、胸脇苦満の軽い状態とみて良いのではないでしょうか。
 微結とは、結胸の微なるものをみる見方と心下支結の微なるものとの見方があるようですが、すくなくとも、この「原始傷寒論」の中では、柴胡加桂枝湯なる湯はまだ存在せず、従って、「心下支結」なる用語もまた存在していなかったわけですので、後者の見方は間違いと言ってよいでしょう。すなわち、結胸の微なるものとみた方が良いと思われます。
 この柴胡桂枝乾姜湯を古代人がどのようにして創生していったのかは既に第13章10項で考察した如くです。まず、小柴胡湯の原型である柴胡黄芩半夏生姜人参甘草大棗湯から導かれたと考えれば、往来寒熱や胸脇満微結に対して(柴胡黄芩基を残し、渇而不嘔に対しては、その正反対の病態(嘔して渇せじ)を改善する(半夏生姜基)不用となるので、これを除き、渇に対して(括蔞根)と(牡蛎)を加え、但頭汗出に対して、(人参)の代わりに(桂枝)を加えて(桂枝甘草)基の働きを期待し、心煩に対して(大棗)の代わりに(乾姜)を加えて、(甘草乾姜)基の働きを期待したとすれば、柴胡桂枝乾姜湯の生薬構成が出来上がることになります。そして、(柴胡黄芩)基はこの湯の一つの大きな特徴を表現することになりますので、生薬配列では、当然、最初にくることになります。(桂枝甘草)+(甘草乾姜)は甘草を中間において深い関連があり、条文との関係から(甘草乾姜)は最後に位置した方がよいでしょうから、結局、(桂枝甘草乾姜)が生薬配列の最後に書かれることになったようです。その結果(牡蛎括蔞根)は(半夏生姜)の位置にくるようになり、柴胡黄芩牡蛎括蔞根桂枝甘草乾姜というような生薬配列を持った注、すなわち、柴胡桂枝乾姜湯が形成されていったのだと思われます。小柴胡湯を基準として理解しておくと、了解し易いと思われます。


34' 柴胡半斤、黄芩三両 牡蛎二両熬 括蔞根三両 桂枝三両去皮、甘草二両炙 乾姜一両。
右七味 以水一斗二升煮 取六升 去滓 再煎 取三升 温服一升 日三服。
   (さいこはんぎん、おうごんさんりょう ぼれいにりょういる かろこんさんりょう けいしさんりょうかわをさる かんぞうにりょうあぶる かんきょういちりょう。みぎななみ みずいっとにしょうをもってにて、ろくしょうをとり、かすをさり、さいせんし、さんじょうをとり、いっしょうをおんぷくす、ににさんぷくす。)

 この湯の形成過程については既に第13章10項で考察した如くです。すなわち、ここに出ている生薬配列の結合基に分けてみますと、(柴胡黄芩)+牡蛎+括蔞根+(桂枝甘草)+(甘草乾姜)となります。この三種の結合基のうちの代表的な生薬、すなわち、柴胡、桂枝、乾姜をそのまま並べると、この湯名が出来るわけです。伝来の条文群から「原始傷寒論」が初めて書かれる時、柴胡黄芩牡蛎括蔞根桂枝甘草乾姜湯という長い湯名を省略して、最初と中間と最後の生薬名をとって、柴胡桂枝乾姜湯という湯名がつくられたようです。
 「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この湯の生薬配列は、柴胡桂枝乾姜括蔞根黄芩牡蛎甘草となっています。湯名の最初の三つの生薬名を取ってきて名づけたように見えますが、そういう名づけ方には統一性がないことは既に第9章(湯名と生薬配列)で論じておいた如くです。すなわち、「宋板傷寒論」でも「康平傷寒論」でも黄連阿膠湯の生薬配列は、黄連黄芩芍薬鶏子黄阿膠となっていて、湯名はその配列の最初と最後の生薬名を取ってきているのであって、初めの二つや三つの生薬名を取ってくるわけではないのです。「原始傷寒論」のみに、単純素朴な形成過程が了解できるようになっているのです。すなわち、胸脇満微結や往来寒熱に対して(柴胡黄芩)を必要とし、但頭汗出に対して(桂枝甘草)を考え、心煩に対して(甘草乾姜)と牡蛎を考え、小便不利と渇に対して、括蔞根や(桂枝甘草)や(甘草乾姜)を対応させたとすれば、条文にそった形式で結合基を並べていけば、だいたい「原始傷寒論」での柴胡桂枝乾姜湯の生薬配列が得られるわけです。
 「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」での生薬配列では、湯の形成過程を推測することは誠に困難になってしまっているのです。後人が勝手に変更してしまったからです。


『康治本傷寒論解説』
第34条
【原文】  「傷寒,発汗而復下之後,胸脇満,微結,小便不利,渇而不嘔,但頭汗出,往来寒熱,心煩者,柴胡桂枝乾姜湯主之.」
【和訓】  傷寒,発汗して復これを下して後,胸脇満,微結し,小便不利し,渇して嘔せず,ただ頭汗出で,往来寒熱し,心煩する者は,柴胡桂枝乾姜湯これを主る.
【訳文】  発病して,大陽病を発汗しすぎ(過発汗),或いはまた陽明病を下しすぎ(過瀉下)て後,壊病(①寒熱脉証 弦 〔ノイローゼ性〕  ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便不利) となって,軽い胸脇苦満の証があらわれ,渇して嘔はなく,ただ更に頭汗があり,心煩する者は,柴胡桂枝乾姜湯でこれを治す.
【解説】  本条は,十二範疇分類表中の少陽病位から飛び出して壊病〔ノイローゼ〕となった場合の治法を述べています.
【処方】  柴胡半斤,黄芩三両,牡蛎二両熬、栝楼根三両,桂枝三両去皮,甘草二両炙,乾姜一両,右七味以水一斗二升煮取六升,去滓再煎,取三升温服一升日三服.
【和訓】  柴胡半斤,黄芩三両,牡蛎二両を炒り,栝楼根三両,桂枝三両皮を去り,甘草二両を炙り,乾姜一両,右七味以水一斗二升をもって煮て六升を取り,滓を去って再煎して,三升を取り一升を温服すること日に三服す.


証構成
  範疇 壊病
 ①寒熱脉証   弦〔ノイローゼ性〕
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
   イ胸脇満
   ロ頭汗出(小便不利)
   ハ渇(栝楼根)
   ニ心煩(牡蛎)



康治本傷寒論の条文(全文)


(コメント)
かろこん(かろうこん)の表記
括楼根 栝楼根 括蔞根 瓜呂根……

括(手偏)と栝(木偏)と瓜(うり)とが使われている。
楼と蔞と呂とが使われている。

ぼれい(牡蛎と牡蠣)
蛎と蠣とは、異体字
『康治本傷寒論標註 』(戸上重較)は牡蠣を使用。