健康情報: 康治本傷寒論 第三十二条 傷寒,結胸熱実,脈沈緊,心下痛,按之石硬者,陥胸湯主之。

2009年10月31日土曜日

康治本傷寒論 第三十二条 傷寒,結胸熱実,脈沈緊,心下痛,按之石硬者,陥胸湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、結胸、熱実、脈沈緊、心下痛、按之石硬者、陥胸湯、主之。

[訳] 傷寒、結胸、熱実、脈は沈緊、心下痛み、これを按ずるに石のごとく硬き者は、陥胸湯、これを主る。

 康治本の陥胸湯は宋板、康平本の大陥胸湯のことである。
 冒頭の傷寒という句は広義の傷寒であるから二十六条(小柴胡湯)の傷寒中風という意味に等しい。それならば(+-)型であるかというと、悪寒に言及していないから(++型)、即ち温病であり、条文中に胸と心下とあるのだから部位からみて少陽温病である。また第三一条(桃仁承気湯)が熱邪と血毒によるものであったから第三二条と第三三条は熱邪と水毒によるものについての例である。
 結胸とは、宋板に「結胸、無大熱者、此為水結在胸脇也」とあるように、水飲が胸脇部に結(堅くとりつく)ぼれた病気であるから、『入門』一八八頁に「胸部から心窩部にかけて、疼痛を訴え、呼吸短少、煩躁、心中懊憹、心下鞕等の証候複合を呈するをいうのであるが、かかる証候複合を現わす場合は肋膜炎、膿胸、気胸、肺気腫、肺炎、横膈膜下膿瘍、肝臓膿瘍、腹膜炎等である」としているが、典型的なものは脇坂憲治氏によると急性肺炎であるという(陰陽易の傷寒論、第五巻、一九六一年)。
 宋板では冒頭の句が傷寒六七日となっているように、傷寒あるいは中風の形で発病し、若干の日数を経過して悪寒がなく熱が高くなり胸痛を覚えるようになる。この状態を熱実と表現したのであり、文字通り熱邪が充満していることである。『集成』では「胃家実の実、大便不通これなり」としているが正しくない。
 これは陽病の激症であるから、脈は浮緊数のように思えるが、実際には沈緊であるというのだから、第二五条(真武湯)のように陰病か陽病か判断しかねる時に脈を診てそれを決定するやり方ではないので、脈沈緊の句は条文の中間に位置している。争は水毒の甚だしい時の脈であり、沈は普通は陰病の脈であるがここでは痛みが甚だしく気血の滞りが生じているためと見てよいであろう。
 『弁正』で「脈沈にして緊なるは則ちその陰位に在るものに似る。惟うに其の心胸に結するを以ての故に浮緊なる能わずして沈緊なるものなり」とし、喩嘉言も「脈の沈緊は胸廓内に有熱性炎衝のあるときの候」という意味のことを述べているが、宋板には「小結胸病、正在心下、按之則痛、脈浮滑者、小陥胸湯、主之」という条文があるのだから心胸に結ぼれるだけでは脈が沈緊になる根拠にならない。成無己は「今は脈浮滑、熱のいまだ深く結せざるを知る」と説明しているが、深浅だけの問題ではないように私には思える。程応旄(傷寒論後条弁)は「此処の緊脈は痛に従ってこれを得たり」とし、『講義』一五八頁では「肌沈は水邪ありて動かざるの候、緊は発勢ありて発するを得ざるの候」とし、宋板の太陽病下篇の最初の条文に結胸は「寸脈は株、関脈は沈」とあることから『入門』一九五頁では「本条の沈緊は関脈をさしていうのであろう」とし、浅田宗伯(傷寒論識)は「脈沈緊は熱裏に結ぶの候」としているように、この脈証に関して定説はない。
 心下痛は心窩、即ち俗にいうみずおちの部分が痛むと解釈するのが普通であるが、もう少し広くして胃部が痛む、または心は胸をさすとすれば心下は胸下だから胃、膵臓、肝臓、脾臓の部分の痛みと見てもさしつかえないと思う。何故心下が痛むかについては『講義』に「心下の痛みて鞕きも、亦既に胸に結実するの候なり」とあり、これだけではよくわからないが次に示す『入門』の説明はわかりやすい。「解剖学的胸腔の下部と腹腔の上部とは、神経支配からいっても、リンパ管の配置からいっても、同じ単位の内にあるから」であり、「横膈膜附近の病変のためにその疼痛を胸廓内に投影する場合の病名を現代病理学より列挙するときは、基底肋膜炎、呑気症、幽門痙攣症、心窩部ヘルニア、胃潰瘍、胃穿孔、胆嚢疾患、急性膵臓炎、脾臓梗塞等で、これらの疾病により膈内拒痛(横膈膜附近の痛むこと)する外、呼吸器、心臓及びその附属器の疾病によっても膈内は拒痛するが、これに対応して心窩部に疼痛を訴える場合は、その急性で激烈なるものは胃或は十二指腸潰瘍、壊疽性虫垂炎等の穿孔、急性膵臓炎、腸閉塞、胆嚢より発する疝痛等である云々」と。
 按之石硬者とは、按はおさえる、なでる、しらべる意であるから腹診をすることであり、自覚的には心下痛、他覚的には石の如くかたくなっているものは、結胸が下方に影響を及ぼしているのである。それを『入門』では「心窩部における疼痛は結胸の主要な証拠」であるとしているのは、第三五条の心下満、鞕痛者、為結胸および宋板の小結胸病、正在心下、按之則痛、からくる見解であるが、本条では心下痛は脈沈緊の後に置いてあること、および結胸という名称から考えると、主要なる証候は胸痛等の胸部の症状でなければならないと思う。
 以上の熱邪と水毒による病気に対して、脇坂氏によると「急に攻下すべきであると同時に、快利を得れば直ちに中止し、その後多くは小柴胡湯を殆ど無条件と言ってよいほどに用いてきた」という。これは水毒の排除を目的とする攻下だから陥胸湯という処方を用いることになる。

大黄六両酒洗、芒硝一升、甘遂一両末。   右三味、以水六升、先煮大黄、取二升、去滓、内芒硝、煮一両沸、内甘遂末、温服一升。

 [訳] 大黄六両酒にて洗う、芒硝一升、甘遂一両末。   右三味、水六升を以って、先ず大黄を煮て、二升を取り、滓を去り、芒硝を内れ、煮て一両沸し、甘遂を内れ、一升を温服す。

 大黄に芒硝という塩類性下剤を配合し、小腸から水分が吸収されるのをふせぐほか、腎臓で尿の再吸収もさまたげるようにし、その作用を一層増強するために峻下剤の甘遂末を配合する。甘遂の有効成分は樹脂性物質で水に不溶であるから粉末として用いる。


『傷寒論再発掘』
32 傷寒、結胸 熱実 脈沈緊 心下痛 按之石硬者 陥胸湯主之。
   (しょうかん、けっきょう ねつじつ みゃくちんきん しんかいたみ これをあんじてせっこうのものは かんきょうとうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、結胸し、熱実し、脈は沈緊で、心下が痛み、これをおさえてみると石の様にかたいようなものは、陥胸湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は陽病の状態で、胸部に異常な水分がたまり種々の異和状態を呈する病態を、主として胃腸管より水分を急激に排除することによって改善していくような対応策を述べた初めての条文です。
 傷寒 というのはこの場合、悪性の病気という意味ではなく、もっと一般的に軽く言う意味です。すなわち、「病にかかって」と言うほどの意味です。特に太陽病とか陽明病とか、その他あえて限定する必要のない時、このような言葉をもって、条文の始まりとしているわけです。
 結胸 とは胸に何かがむすぼれた病態を言うのでしょう。この場合は肋膜炎とか肺炎とかのように、水分が異常にたまるような病態を言うのであると思われます。
 熱実 とは熱が充実している状態を言うのであり、同じく胸部に水がたまるような病態でも、発熱状態があるような場合が陥胸湯の適応となるのでしょう。
 脈沈緊 とは肌が沈んでいて、緊張の強い、力のある脈です。多分、血管内の水分量は若干減少していて、濃縮されているような状態の血液になっているのではないでしょうか。
 心下痛 とは狭義には心窩部の痛みの事ですが、広義には胸の下の痛みすなわち肋骨弓を中心とした上下の部分の痛みをも含むと考えてよいように思われます。
 按之石硬者 とは、腹診して心窩部および肋骨弓下のあたりが、石のように硬くなっていることです。胸部の異常状態のため、多分、筋肉が反射的に硬く張っているのでしょう。
 胸部に水分が異常にたまった時、主として発汗でこれを排除するには麻黄湯があり、利尿で排除するには小柴胡湯やその他のものがあるわけですが、瀉下反応で排除していくのには、この陥胸湯や十棗湯などがあるわけです。これらの方法を通じて様々な異和状態が改善されていくのですから、誠に面白いものです。


32' 大黄六両酒洗、芒硝一升、甘遂一両末。   
   右三味、以水六升 先煮大黄 取二升 去滓 内芒硝 煮一両沸、内甘遂末、温服一升。
   (だいおうろくりょうさけにてあらう、ぼうしょういっしょう かんついいちりょうまつ、みぎさんみ みずろくしょうをもって、まずだいおうをにて、にしょうをとり、かすをさり ぼうしょうをいれ、にていちりょうふつし、かんついまつをいれ、いっしょうをおんぷくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章8項で考察した如くです。すなわち、大黄という植物性の瀉下剤に芒硝という塩類性下剤を加えて瀉下作用を強めているのに、さらに甘遂という峻下剤を追加しているわけです。よほど強力に瀉下しようとしていることがわかります。初めは「心下痛」などを大黄・芒硝で瀉下して対応していたのでしょうが、やがて、甘遂末を使用すると更に有効であることが知られて、やがて、大黄芒硝甘遂という生薬複合物の使用が固定化されたのでしょう。胸部に結ぼれた異常を破壊するという意味で、「陥」という字が採用されたようです。勿論、「原始傷寒論」が初めて書かれた時にです。


『康治本傷寒論解説』
第32条
【原文】  「傷寒,結胸熱実,脉沈緊,心下痛,按之石硬者,陥胸湯主之.」
【和訓】  傷寒, (結胸熱実し) ,脉沈緊,心下痛み,これを按ずるに石硬なる者は,陥胸湯これを主る。
【訳文】  発病して,陽明の傷寒(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) となって,心下痛み,これを按ずるときは心下石硬である場合には,陥胸湯でこれを治す.
【句解】
 石硬(セッコウ):石のように堅いことをいう..
【解説】  本条は第35条の半夏瀉心湯条との比較をすることによって心下部における痛みの相対度合で適用方剤の分類を行っています.
【処方】  大黄六両酒洗,芒硝一升,甘遂一両末,右三味以水六升先煮大黄取二升去滓内芒硝煮一両沸,内甘遂末,温服一升.
【和訓】  大黄六両を酒で洗い,芒硝一升,甘遂一両を末とし,右三味水六升をもって先ず大黄を煮て二升を取り滓を去って芒硝を入れ一両沸して,甘遂末を入れて温服すること一升す.


証構成
  範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
 ①寒熱脉証   遅
 ②寒熱証    潮熱不悪寒
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    不大便
 ⑤特異症候
   イ心下痛
   ロ心下硬(甘遂)


康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
『康治本傷寒論の研究』
横膈膜 横隔膜に同じ
拒痛(きょつう)とは拒んでも痛むこと。

程応旄(ていおうぼう) 
傷寒論後条弁(しょうかんろんごじょうべん)(清 康熙9年(1670))の著者
『傷寒論』を自己流に解析し、『傷寒論』中の自説に合う部分を張仲景の正文とし、自説に合わない部分を王叔和や後人の竄入として切り捨てる過激ともいえる学派の一人(方有執・揄嘉言ら)。

芒消 → 芒硝に訂正。

硬=石のようにかたい
鞕=革のようにかたい