健康情報: 康治本傷寒論 第二十六条 傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々不欲飲食,心煩喜嘔,或胸中煩而不嘔,或渇,或腹中痛,或脇下痞鞕,或心下悸、小便不利,或不渇、身有微熱,或咳者,小柴胡湯主之。

2009年10月18日日曜日

康治本傷寒論 第二十六条 傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々不欲飲食,心煩喜嘔,或胸中煩而不嘔,或渇,或腹中痛,或脇下痞鞕,或心下悸、小便不利,或不渇、身有微熱,或咳者,小柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、中風、①往来寒熱、胸脇苦満、嘿々不欲飲食、心煩喜嘔、②或胸中煩而不嘔、或渇、或腹中痛、或脇下痞鞕、或心下悸小便不利、或不渇身有微熱、或咳者、小柴胡湯、主之。

[訳] 傷寒、中風、①往来寒熱し、胸脇苦満し、嘿々として飲食を欲せず、心煩喜嘔す、②或いは胸中煩すれども嘔せず、或いは渇し、或いは腹中痛み、或いは脇下痞鞕し、或いは心下悸し小便不利し、或いは渇せず身に微熱あり、或いは咳する者は、小柴胡湯、これを主る。

 この条文は二段からなり、第一段は小柴胡湯の正証を述べ、第二段はその変証を示し、最後の小柴胡湯主之という句は、その両方に係るという構成になっている。そして同時に少陽病の正証を述べている。
 まず、冒頭の句について諸説がある。
①宋板では「傷寒五六日、中風」となっていて、『講義』一一一頁では「傷寒、中風と並べ挙ぐるは、其の初め、或いは麻黄湯証より、或いは桂枝湯証より進み来るを以ってなり。また傷寒と中風との間に五六日の字を挿むは、傷寒五六日、中風五六日の略文なり。五六日は概ね少陽に進むの時期なり」と説明している。『入門』一四一頁でも同じ解釈をとり、浅田宗伯の「禹貢(書経の篇名)に玄繊縞繊を節して
玄繊縞と曰い、立政(書経の篇名)に大都伯(大きな都邑)小都伯を節して大都小伯と曰うがごときも亦古文の一体なり」という説明を引用している。文法的にはこれでよいのであるが、傷寒を重病、中風を軽病と見る時は、病勢の激易緩急にかかわらず、病気の進行に変化がないこととなり、矛盾してくる。したがってこの傷寒は傷寒系列、中風は中風系列と解釈しなければつじつまがあわなくなる。その時五六日というのは第二七条の四五日に対応するものとなる。
②そこで『集成』では「劉棟(白水田良)云う、傷寒は五六日、中風は八九日にて必ず小柴胡湯証ありと。鑿てり」と主張するのであるが、宋板で八九日と表現されていない理由を見出すことはできない。
③『解説』では康平本が中風の二字を傍註としているところから、単に「傷寒五六日」として、「この証が漸次太陽病から来たことを見せている。この章は次章(第二七条)と異なり、病勢が緩慢で、傷寒にかかって五六日たってから小柴胡湯の証になったのである」と説明している。傷寒と冒頭にかかげながら、病勢の緩慢なものを基準にしたことに疑問が残る。康平本にはこのようなおかしな所があるので、私は康平本を良くないテキストであると思わないわけにゆかないのである。
④『所論に答う』では「まず傷寒五六日と冒首して、病邪が完全に少陽に転属したる意を示すと同時に、次の中風を以って、少陽の病邪が激しければ太陽中風の証を兼ね現わすことを示し(これ合病の意)、これが具体的症状を或の文字を冠して現わしたのである。故に或の文字には、初頭に太陽中風桂枝湯の変証を挙げ、この変証が少陽小柴胡湯の激化した結果として現われたものになるを示さん為に其の具体的症状を述べ、最後に再び太陽証の変証をあげて、太陽の火大と風大がきかされている有様を述べたものである」と説明している。
 第二段は確かに太陽と少陽の合病の状態を示していることは事実であるが、「口渇、腹痛、脇下痞鞕、心下悸、小便不利は何れも少陽位の火大と水大との症状が激化していることを物語る」と言うよりも、少陽病の激症であるから陽明位に影響を与えたと表現した方が良い。少陽病の激症は陽明位(併病)と太陽位(合病)に影響を与えるということが論理的であり、それを太陽と少陽の合病と表現して、少陽と陽明の併病は表現しないのが傷寒論の流儀であるからである。しかしそうであるからと言って、傷寒五六日中風という表現が太陽与少陽合病と同じ意味であると言うのは、解釈と言うよりはむしろこじつけに近い。何故ならば傷寒と中風という言葉を使った意味かなくなってしまうし、少陽と陽明の併病を包含していることがあいまいになってしまうからである。
⑤私は康治本の表現が正しいと見るものであり、その時は太陽病が傷寒系列を通って下に向って進行しても、また中風系列を通って下に向って進行しても、ある日数を経過すると同じように小柴胡湯証(少陽病)になることを示した句であると解釈する。小柴胡湯証に移るまでの日数果問題にして悪いことはないが、日数を重視することは、中風よりも傷寒の方が激症だという意識が強いからである。私のように系列という見方は病気の進行する構造を重視したことになるのである。私は傷寒論の骨骼は病気が進行する径路であるという、これまで誰も言わなかったことを証明するためにこの研究をおこなっているのだが、こじつけたりして無理にそうしようというのではなく康治本の条文を表現通りに解釈すると、それが浮び出てくるのではないかということを示しているのである。
 陽病としての桂枝湯証を表現するとき、第二条第四条のはじめに発熱をあげ、第五条で部位を示す頭痛をはじめに記してあったように、少陽病の正証を表現するときも往来寒熱という特有の熱状に続いて部位を示す胸脇苦満、嘿々不欲飲食があげられているのである。
 往来寒熱は『講義』で「熱往けば寒来り、寒往けば熱来るの意なり」といい、『入門』で「現今の弛張熱、或いは間歇熱を患者の主観より表現したる熱型」と説明しているように、太陽病の傷寒と中風で発熱と悪寒が同時に存在していたのと性格を異にしていて、発汗させても治らないものであるのでこれを区別して少陽病の熱型としているのである。
 胸脇苦満は『入門』に「胸部及び側胸部に物が填充したるが如く感じて苦しむこと」とあるように、発熱や悪寒と同じように患者の自覚症状である。浅田宗伯が「蓋し胸脇の中は手を以ってその状を認め難し。故にこれを病者に係けて苦満という」と書いているように、やむをえず自覚症状を述べたというような消極的なものではない。『集成』では「満は懣と古字は通用す。悶なり。悶に苦の字を加うるは、これを甚だしくの詞なり。なお苦病、苦痛、苦患、苦労の苦のごとし」と説明している。
 江戸時代の古方家が腹診を重視して、季肋下に抵抗と圧痛のあることとし、他覚症状に読みかえているが、これは応用として見るべきであって、肝臓と脾臓の肥大のあるときに限定することには疑問が残る。吉益東洞が薬徴に、柴胡を「胸脇苦満して寒熱往来す識者に施せば、其の応は響の如し。ただ瘧(マラリア)のみならず、百疾皆然り。胸脇苦満なき者にこれを用うるも、終に効無し」と断定し、方極で小柴胡湯の主治を「胸脇苦満し、或いは寒熱往来し、或いは嘔する者を治す」と表現し、胸脇苦満を最も重視し、往来寒熱を軽視したことは本当に正しいことであったかをもう一度検討する必要がある。私は東洞の人柄に信用できないところがあると考えているからである。
 嘿々は諸橋大漢和辞典では「だまって物言わぬさま」とし、日本語の黙々と同じ意味に解釈しているが、喩嘉言(尚論篇)は「昏々の意にして静黙にあらず」という。昏々とは「くらいさま、物の分らぬさま、またおろかなさま」だから気持ちの暗いこと。宋板では「黙々」となっているが、意味は同じである。不欲飲食は気持が暗いために食欲不振であること。
 心煩は『解説』では胸苦しいこと、『講義』では心中煩悶の意なりという。喜嘔はしばしば嘔するという訳をすべての書物で採用しているが、漢和辞典で喜の字義をしらべても、「しばしば」の意味はないのだから、少しく考察しておかなければならない。『入門』では「このんで嘔すの意、即ち嘔気の発しやすい状態をいう」としているが、嫌なことを好んでするというのもおかしなことである。『集成』では次のように論じている。「喜、善、好の三字は皆転用して数と訓ずるものあり。左伝襄公二十八年に云う、慶氏の馬は善驚すと。正義に云う。善驚と。数驚を謂うなり。古人に此の語あれども、今の人は数驚と謂う。好驚と為すも亦善の意なり。漢書の溝洫志に云う、岸が善崩すと。師古法に云う、憙で崩るを言うなりと。字典に喜の字に注して云う、憙と同じく、好なりと。」これでしばしばと訓ずるわけがわかる。
 以上が第一段であり、これが少陽病の定証であると『弁正』で表現し、これが多く使われている。正証という意味である。ところが第二段については、『弁正』では兼証といい、『集成』では「蓋し人の体たるや、虚なるあり、実なるあり、老あり、少(若いこと)あり、宿疾ある者あり、宿疾なき者あり。故に邪気の留る所同じと雖も、其兼る所のものに至っては則ち斉き能わず」といい、『解説』では「或の字以下は、あることもあり、ないこともある症状である」とし、『講義』では「兼証は各人に由って或いは現われ、或いは現われず、或いはまた二三共に現わるる者あり。然れども、皆本方を以って其の主を治すれば、各自づから消散す」という。
 以上言われているような兼証や客証ならば、すべての処方、即ちすべての条文にあてはまることになる。それにもかかわらず、今までの条文ではそのような配慮をされたものはひとつもなかったし、これより後では第五九条(真武湯)と第六○条(通脈四逆湯)の二条文にしかあらわれない。宋板にまで拡大しても小青竜湯の一条と四逆散の一条の合計二条が増加するだけである。この形式が特定の条文だけに使われていることは、それが「あることもあり、ないこともある」ような単純な意味での兼証や客証でないことを示している。即ち、或いは…或いは…と未定の接続詞を続けて用いているが、その症状が現われる必然性を読みとらなければならないのである。
 第二段に示された各種の症状が起こる原因について言及した文献は今までに『所論に答う』だけである。冒頭の句の解釈の④に引用したように、少陽病の激症であるために、太陽位に影響を及ぼしたところの太陽と少陽の合病、および同時に陽明位に影響を及ぼした少陽と陽明の併病がそれなのである。したがって『所論に答う』で「少陽の病邪が激しければ太陽中風の証を兼ね現わす」だけではないのだから、冒頭の傷寒五六日中風を太陽と少陽の合病と解釈することは明らかな間違いといわねばならない。第二段が太陽と少陽の合病を示していることは、病気の進展における法則性を適用することからわかることであって、冒頭の句でそれを示す必要はないのである。
 胸中煩而不嘔は普通「胸中煩して嘔せず」と読んでいるが、第一段の心煩喜嘔と比較する意味があるから而という接続詞は逆接にとり「胸中煩すれども嘔せず」と私は読んでいる。『所論に答う』ではこれを「明らかに少陽証ではなくて桂枝湯の変証に現われる証である。何となれば、論に、太陽病、初め桂枝湯を服し、反って煩して解せざる者、……却って桂枝湯を与うれば則ち愈ゆ、とあるからである」としている。
 渇は陽明裏位に影響を及ぼしたことを示す。
 腹中痛は陽明内位または裏位に影響を及ぼした場合である。
 脇下痞鞕は陽明裏位、心下悸し小便不利も陽明裏位、渇せず身に微熱ありは太陽外位、咳も太陽外位に影響を与えたものと理解できる。
 『弁正』ではこれらの症状に対し類似した証をもつ処方をあげている。それを『講義』では採用し、例えば渇は五苓散証、白虎湯証に類似す、としている。これは古方家が病理を考えることを放棄して専ら類証鑑別に努めた名残りと言うべきである。

柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升洗、生姜三両切、人参三両、甘草三両炙、大棗十二枚擘。 右七味、以水一斗二升、煮取六升、去滓、再煎取三升、温服一升、日三服。
[訳] 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升洗う、生姜三両切る、人参三両、甘草三両炙る、大棗十二枚擘く。
右七味、水一斗二升を以って、煮て六升を取り、滓を去り、再び煎じて三升を取り、一升を温服す、日三服す。

 柴胡と黄芩の組合わせが往来寒熱と胸脇苦満に対応し、半夏と生姜の組合わせが心煩と喜嘔に対応し、人参と甘草と大棗それに生姜が嘿々不欲飲食に対応すると考えてよい。このように康治本では薬物の組合わせがもつ薬効がはっきりわかるように薬物を配列している。
宋板・康平本 柴胡 黄芩 人参 半夏 甘草 生姜 大棗
古方要方解説 柴胡 黄芩 人参 甘草 生姜 大棗 半夏
漢方処方解説 柴胡 半夏 生姜 黄芩 大棗 人参 甘草
漢方治療百科 柴胡 半夏 生姜 黄芩 人参 大棗 甘草


 他の書物ではこの点がいかにいい加減なものであるかを表にして示してみよう(前頁)。
煎じ方について今までの処方とちがうところは再煎することである。再煎すると飲みやすくなるといわれているが、単にそれだけのために再煎するのか、あるいはもっと別の意味があるのかはわかっていない。山田正珍は傷寒考において「大小柴胡、半夏瀉心、生姜瀉心、甘草瀉心、旋覆花代赭石の諸方はみな滓去り再煎す。按ずるに以上の諸湯はみな嘔噫等の証あり。嘔家は混濁の物を欲せず。強いてこれを与乗れば必ず吐す。故に半ば煮て滓を去り、再煎し以って投ずるは、其の気全くして混濁せざるを取る。和羹調鼎の手段と謂うべし」と論じている。



『傷寒論再発掘』
26 傷寒、中風、往来寒熱 胸脇苦満 嘿々不欲飲食 心煩喜嘔。或胸中煩而 不嘔 或渇 或腹中痛 或脇下痞鞕 或心下悸 小便不利 或不渇身有微熱 或咳者、小柴胡湯主之。
   (しょうかん、ちゅうふう、おうらいかんねつ、きょうきょうくまん、もくもくとしていんしょくをほっせず、しんぱんきおうす。あるいはきょうちゅうはんしておうせず、あるいはかっし、あるいはふくちゅういたみ、あるいはきょうかひこうし、あるいはしんかきし しょうべんりせず、あるいはかっせずみにびねつあり、あるいはがいするものは、しょうさいことうこれをつかさどる。)
   (傷寒であれ中風であれ、やがて往来寒熱の熱型を呈するようになり、胸脇苦満を生じて、食欲不振の状態や胸苦しく嘔吐の起きやすい状態になるようなものは、小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。また、脳の奥が苦しくても嘔吐はしない状態、或は渇の状態、或は腹の奥が痛む状態、或は季肋下部が痞鞕する状態、或は心下が悸して小便が不利の状態、或いは渇せず身に微熱のある状態、或いは咳のある状態などのものも、小柴胡湯がこれを改善するのに最適なのである。)

 この条文は、今迄の如く、発汗や瀉下の処置では中々改善しない、一種独特な病態、すなわち少陽病と言われる病態の最も代表的な対応薬方である小柴胡湯の基本条文となっているものです。
 往来寒熱というのは、悪寒が去れば発熱が来て、熱が去れは悪寒が来るような熱型で、今日でいう、弛張熱にあたるようなものを言います。発熱と悪寒が同時にあるような病態の改善には発汗の処置が適当であり、悪寒がなく熱だけがあるような病態の改善には瀉下の処置が適当でしたが、往来寒熱の病態期は、発汗や瀉下の処置では中々改善させ難く、不適当であることが経験的に知られていったと推定されます。今日の立場で言うならばこういう時は発汗や瀉下の処置ではなく、それらの行き過ぎを改善していく方法、すなわち、体内に水分をとどめて、しかる後に利尿に至らしめる処置(和方の処置)が適当なのであり、このような病態を筆者は陽和方湯の適応する病態(陽和方湯証)と言っているのです(第14章参照)。
 胸脇苦満というのは、季肋部のあたりにものがつまったように感じて苦しむことを言います。本来は患者の自覚症状のことですが、現在の日本の臨床下は、腹診によって季肋下部に抵抗と不快感がある時、胸脇苦満があるとして、投薬の参考にしています。
喜嘔とは、しばしば嘔すると言うことであり、痞鞕とは、自覚的につかえた感じがあって、他覚的にかたい感じがあることです。
喜嘔までの症状を呈している病態が小柴胡湯の最も典型的な適応病態ですが、「或」がついたそれ以下のそれぞれの病態も小柴胡湯で改善される病態ですので、小柴胡湯が適応する病態は実に広範囲であることになります。しかし、ここに書かれた状態がすべて無条件で改善されると解釈すべきではありません。むしろ、小柴胡湯で改善されるものもあると解釈しておくべきでしょう。

26' 柴胡半斤 黄芩三両 半夏半升洗 生姜三両切 人参三両 甘草三両炙 大棗十二枚擘。
右七味 以水一斗二升 煮取六升 去滓 再煎取三升 温服一升 日三服。
(さいこはんぎん おうごんさんりょう はんげはんしょうあらう、しょうきょうさんりょうきる にんじんさんりょう かんぞうさんりょうあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく。みぎななみ、みずいっとにしょうをもって、にてろくしょうをとり、かすをさり、さいせんしさんじょうをとり いっしょうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

この湯の形成過程は既に第13章10項で論じた通りです。すなわち、黄芩加半夏生姜湯(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)の中の「芍薬」を人参に代えて、その生薬配列の前に「柴胡」を加えて、半夏生姜の位置を少し前へずらしていけば、小柴胡湯の生薬配列(柴胡黄芩半夏生姜人参甘草大棗)になるのです。
黄芩加半夏湯は「嘔吐」をも「下痢」をも改善する作用を持った湯ですが、これに、往来寒熱や胸脇苦満などを呈する病態への、柴胡の特殊な作用を追加したものが、小柴胡湯や大柴胡湯などの基本的な作用なのです。詳細を知りたい人は第13章10項を参照して下さい。
「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」などでは生薬配列の法則性が乱れてしまっているので、湯の形成過程は知ることができない状態でした。神秘のヴェールに閉ざされたままでした。しかし、幸にも、「原始傷寒論」の研究を通じて、それが明瞭になってはじめて、その方意・方用もより根本的に理解されてくると思われるからです。そして様々な法則性を知ることにより、知識は統一のとれたものになり、一を知って十を悟る能力もついてくることになるでしょう。臨床能力もそれだけ早く向上すると思われます。また、その為に役立てたいものです。



『康治本傷寒論解説』
第26条
【原文】 「傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々不欲飲食,心煩喜嘔,或胸中煩而不嘔,或渇,或腹中痛,或脇下痞鞕,或心下悸、小便不利,或不渇身有微熱,或咳者,小柴胡湯主之.」

【和訓】 傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々として飲食を欲せず,心煩喜嘔し,或いは胸中煩して嘔せず,或いは渇し,或いは腹中痛み,或いは脇下痞鞕し,或いは心下悸して小便不利し,或いは渇せず身に微熱有り,或いは咳する者は,小柴胡湯之を主る.

【訳文】 発病して,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便自利)となって,胸脇苦満し,食欲不振となり,心煩或いはしばしば嘔気を催す場合、或いは胸中煩のため嘔が認められず,或いは高熱で渇し,或いは腹中痛,或いは脇下痞鞕し,或いは小便不利のために心下悸し,或いは微熱のために渇がなく,或いは咳する場合にも,小柴胡湯でこれを治す.

【句解】
胸脇苦満(キョウキョウクマン):胸部及び側胸部に物がいっぱい詰まったような感じがして苦しむ状態をいう.
喜嘔(キオウ):しばしば嘔気を催すこと.
脇下痞鞕(キョウカヒコウ):脇腹の下が硬くなっている状態をいう.

【解説】 往来寒熱,胸脇苦満,食欲不振,心煩,喜嘔の以上五症候は,小柴胡湯の基本的な症候で,いわゆる定証であります.また或いは以下に嘔しないために胸中にまで広がった心煩の変型,渇,腹中痛(胸脇苦満の変型),脇腹のあたりの硬結,心下に動悸があるために小便不利し,微熱のために口渇がなく,また咳の以上七つの症候は兼証(従属的症候のことで,すなわち必発の証ではなく定証を治療することにより自然に緩解する)であります.

【処方】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升洗,生姜三両切,人参三両,甘草三両炙,大棗十二枚擘,右七味以水一斗二升、煮取六升去滓再煎取三升温服一升日三服.

【和訓】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升を洗い,生姜三両を切り、人参三両,甘草三両を炙り,大棗十二枚を擘く,右七味水一斗二升を以って,煮て六升を取り滓を去って,再煎して三升に取り一升を温服すること日に三服す.


証構成
  範疇 胸熱緩病(少陽中風)
   ①寒熱脉証 弦
   ②寒熱証 往来寒熱
   ③緩緊脉証 緩
   ④緩緊証 小便自利
   ⑤特異症候
    イ胸脇苦満(柴胡)
    ロ食欲不振(黄芩)
    ハ心煩或喜嘔(生姜)
    ニ不嘔(胸中煩)
    ホ心下悸(小便不利)
    ヘ渇(高熱)
    ト腹中痛
    チ咳(半夏)
    リ不渇
    ヌ脇下痞鞕




(コメント)
『康治本傷寒論解説』の【原文】で、
1.黑々となっているが、嘿々に訂正(和訓も同様に訂正)
2.脇下痞硬となっているが、脇下痞鞕に訂正(和訓・訳文・句解・証構成も同様に訂正)
3.小便不和となっているが、小便不利に訂正

同じく【処方】で黄芩三両半となっているが、三両に訂正
(次の半夏の半の字を見誤ったのでは?)

【訳文】の④緩緊証 小便自利や証構成の④緩緊証 小便自利 は、小便不利の間違いでは?

康治本傷寒論の条文(全文)