健康情報: 康治本傷寒論 第二条 太陽病,発熱,汗出,悪風,脈緩者,名為中風。

2009年8月8日土曜日

康治本傷寒論 第二条 太陽病,発熱,汗出,悪風,脈緩者,名為中風。


『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発熱、汗出、悪風、脈緩者、名為中風。

[訳] 太陽病、発熱し、汗出で、悪風し、脈緩なる者、名づけて中風と為す。

 冒頭に「太陽病で」とあるのだから、第一条をうけて脈浮、頭項強痛していることはいうまでもない。しかし、一番はじめに「発熱し」とあるのは第一条の時よりさらに病気が進行して、悪寒だけでなく熱感も覚えるようになっていることを示している。しかも次の汗出、悪風という症状よりも重要であるから最初に発熱としたのだから、「太陽病の場合は発熱より悪感が大切である」というように傷寒論は書かれていないことは明らかである。
 発熱は体温の上昇を指している表現として現在使用されているが、体温計を発明したサントリオ(Santorio, 1561~1636年)は、ガリレオ(1564~1642)と同時代人であり、ガリレオの原理即ち測定をはじめて医学に導入して体温の測定を試みたのであるから、これよりもはるかに古い時代では発熱といえば自覚症状としての熱感ということになる。それだからこそ自覚症状である悪寒との対立概念として傷寒論の中で展開されたのたのである。
 「汗出で」とは汗が流れるように出ることではなく、皮膚が汗ばむことである。「悪風し」とは風にあたるとゾクゾクしていやなさむけを感ずることである。「脈緩」とは脈がゆったり打っている状態で、ここでは第一条をうけて浮緩である。そして汗出、悪風、脈緩は無汗、悪感、脈緊とちがって病状がおだやかであることを示していて、第三条と互文の関係となしている。以上の症状群をあらわすとき、それを中風(ここでは感冒)と名付けると文を結んであるのは、感冒のように軽症、良性の熱性病であるというのである。
 中風という病足は金匱要略では第五篇が中風歴節病を論じていて、この場合は「夫れ風の病たる、まさに主身不遂になるべし」とあるように脳出血のことである。中国ではこれを内風による、感冒のときを外風(外感風邪)によるとして区別している。中という字は物事の中央を上下に貫ぬいている形であるから、中風は風(風邪)に中ると読み、第三条の傷寒より軽い意味になっている。

『傷寒論再発掘』
2 太陽病、発熱、汗出、悪風、脈緩者、名為中風。
  (たいようびょう、ほつねつ、あせいで、おふう、みゃくかんのもの、なずけてちゅうふうとなす。)
  (太陽病で、発熱して、汗が出て、脈が緩の者を、名づけて、中風とする。)
 この条文は、太陽病の中の「中風」といわれる病態の定義となっている条文です。「脈緩」というのは、脈の緊張が弱く、弛んでいる感じで、このあとの条文に出てくる「緊」と反対の状態です。「悪風」というのは、風にあたると寒く感じるので、それを嫌う状態であり、その程度の甚だしいものを「悪寒」といいます。
 この条文の表現とするところからみて、かなり軽症の状態であることがわかります。同じ病にかかっても、病い場合と重い場合とがあることは、普通に体験されることです。軽い場合は、薬など使わなくても自然に治ってしまうこともしばしばですので、あまり論じられることもないでしょう。「原始傷寒論」では主として重い場合、いわゆる「傷寒」について論じられているわけですが、軽い場合についても、若干、触れられているわけです。

『康治本傷寒論解説』
第2条
【原文】  「太陽病,発熱,汗出,悪風,脈緩者名為中風.」
【和訓】  太陽病,発熱,汗出で,悪風し,脉緩なる者を名付けて中風となる.
     注:本条には,太陽中風と三陰三陽を通じての中風の二つの定義を含んでいるので,訳文をイとロに分けることにします。
【訳文】  イ太陽病で,発熱悪風し,汗が出て,(頭痛域いは項強のような表熱外証があって)脉が(浮)緩の場合を(太陽)中風という.
     注:ロの場合は,「脉緩者名為中風」に次条より「陰陽倶」の三字を借用して「脉」と「緩者」の間に挿入して訳文します。
      ロ脉が三陰三陽(太陽病,陽明病,少陽病,太陰病,少陰病,厥陰病)を通じて何れの場合でも,緩(非緊張の)脉で(緩緊証も緩証・過多排泄症候で)ある場合を,中風(緩病)という.
定義条件の分類
 ③ 緩緊脉証 緩
 ④ 緩緊証  緩証(自汗,下痢,小便自利)
【解説】  この条と次条では,急性疾病における二つの体質的な違いについて,先ず太陽中風(肌熱緩病)の定義を下し、それを二陽三陰に例しています。

康治本傷寒 論の条文(全文)