『康治本傷寒論の研究』
太陽病、項背強几几、反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯主之。
[訳] 太陽病、項背こわばること几几、反って汗出で、悪風する者は、桂枝加葛根湯これをつかさどる。
これは第五条と互文をなしていることをすでに説明した。したがって項強には頭痛を伴っていろのである。そして第一条の状態からさらに病気が進展して第五条と第六条に分裂したのであるから、第五条が中風系例(中風ではない)であるとすれば第六条は傷寒系列となる。
さて几几とは項と背が強ばることを形容した句であるが、これには二つの見解がある。
①几(しゆ)とい字を採用する説。中国でも日本でもこれを採用している書物が多い。諸橋大漢和辞典では「短い羽の鳥が飛ぶさま」と説明してある。大きな羽をもつ鳥は悠悠と大空を飛んでいる様に見えるに反して短い羽の鳥は頸と肩に力をこめて一所懸命に飛んでいる。これが筋肉の強ばりを形容することに使われているのである。藤平健氏は「几几の弁」(漢方の臨床、一六巻一二号、九四八-九五二頁、一九六九年)と題した論文で詳しくこれを論じた後に、後頭部から背中にかけて強直し、まるで一本の柱のようになっていることであるという説を紹介した。私はどちらの説でも大差はないと思っている。
②几(き)という字を採用する説。『解説』(151頁)では几は机と同じで、重くて動かしにくい意であるという。しかし几は漢和辞典では、おしまづき(ひじかけ)、祭祀に犠牲をのせてすすめる具、机、の三つの意味があるとなっている。これは皆小さくて軽いものである。机でも昔の書案(ふづくえ)、食案はどれも大きなものではない。したがって今多くの人が使用している重たい大きな机を考えて解釈することは適切ではない。もし几(き)と読むときは諸橋氏の辞典に几几は盛也、さかんなさみ、とある意味を用うべきである。
次は反について。『解説』(152頁)では「あとから出てくる葛根湯証の項背強ばること几几、汗なく悪風するに対して、汗が出るので反ってと言ったものである。あとで葛根湯を述べるための伏線ともみられる」、といい、『講義』(20頁)では「然るに葛根湯証に於ては、汗無くして悪風するを其の正証とな為す。故に茲に反って汗出でて悪風する者と言いて以って其の葛根湯証に非ざるを明らかにする也」、といい両書とも全く同じ見解である。『弁正』でも、また中国でも同じ解釈をしている。
しかし私はこのような類証鑑別式の読み方は文章の解釈だとは認めていない。第一に第一二条の葛根湯の条文と対比するにしても、反を除去してただ汗出悪風者としても一向に差し支えはないはずである。
私はこの反は第五条に対するものだと考えている。即ち第六条では項強だけでなく背強まで加わり、それがさらに几几というのであるからその程度が甚だ強くなっているのである。そして汗についての陰陽は、無汗が陽で汗出が陰である。第六条のように陽の症状が甚だしい時は、全体もそれに影響されると思っていたが、予想に反して第五条と同じように陰の症状としての汗出と悪風を伴っている、という気持を反ってと言ったのある。それで発汗作用と鎮痙作用を強化した桂枝加葛根湯を使用するのである。このように解釈すれば第一二条(葛根湯)を引出さなくても反の意味を説明することができる。
次は熱を挙げていない理由について。第五条で発熱を挙げているのだから、第六条にもそれがあってよい筈であるが、『弁正』では桂枝湯と病位を同じくしているので発熱を省略したのだと説明している。しかしこれは余り良い説明だとは思えない。
私は次のように考える。第五条は症状の述べ方が、頭痛発熱、汗出悪風、というように四字づつになっているのに対し、第六条は五字づつになっている。この間に発熱の二字を入れると文の調子をくずすことになる。そして反ってと言って陽症の強いことを示しているのだから、陽症の発熱の存在を暗示したことにもなっている。それで発熱を加えなかったのであろう。
桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両。右六味、以水一斗、先煮葛根、減二升、去上沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
[訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬三両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、葛根四両。右六味、水一斗を以って先ず葛根を煮て二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服する。
桂枝加葛根銀は桂枝湯の変方の形になっているから、ここで桂枝湯の処方構成から解析をすすめることにする。
薬物はそれが一化合物であっても、一つの臓器あるいは特定の個処にだけ作用するのではなく、身体のいろいろな所に影響を与えるものである。まして生薬のように多成分からなるものは、その作用もまた多方面にわたることは言うまでもない。それを吉益東洞のように「能(作用)は一なり」と言うような見方をしたのでは、処方の意味がわかるわけがない。それは丁度東洞が傷寒論の条文はそれぞれ独立した文章として読むべきであり、他の条文と照合比較して解釈すべきではないとした態度と一致しているのである。したがって、東洞とちがい、条文を前後の条文と関連した読み方をすることが必要であったように、処方を構成する薬物もまた前後の薬物と関連させて見る必要があるのである。この立場がビュルギが詳細に検討し、薬理学的に証明したところの薬物の共力作用(シネルギズム)というものに一致するのである。
まず個々の薬物の作用について考えるには本草綱目(一五九○年)、常用中草薬図譜(一九七○年)、臨床常用中薬手冊(一九七二年)、中薬臨床応用(一九七六年)等を利用するのが一番良い。残念ながらわが国の書物で役に立つものはない。中国の資料が良いと言っても、竜野一雄氏が「桂枝湯の構成」(漢方の臨床、一○巻一号、二二-三四頁、一九六三年)の中で「桂枝表の陽虚、衛虚、腎の陽虚、肺の陽虚を補い、それらによって生ず各種の表証、気上衝等を治す。芍薬は陰虚、栄虚を補い、また血虚によって起る筋急疼痛を治す」、と表現したような考え方に私は賛成できない。そのような解釈は思考を煩雑にするだけであまり得ではないと思うからである。右に挙げた書物から、桂枝湯の薬効を考えるのに直接関係のある作用だけをえらびだし、表にすると次のようになる(表)。
桂枝湯を構成する五つの薬物のうち、上の三つの桂枝、芍薬、甘草が主要なものであると私は考える。その中でも桂枝と甘草の組み合せは、宋板傷寒論の「発汗過多、其の人叉手して自ら心を冒い、心下悸して按ずることを得んと欲するものは桂枝甘草湯これを主る」で、気の上衝による心悸、頭痛に用いるものであり、芍薬と甘草は第十一条の「芍薬甘草湯を与えて以って其の脚を伸ばしむ」で、筋肉の攣急に用いるものである。
共力作用の存在はこれ以外にも考えられる。悪寒には辛温の性質をもち温める作用を示す桂枝と生姜があたり、発熱には辛温即ち発汗解熱の作用を示す桂枝と生姜があたる。
桂枝湯は平素からやや虚弱な体質の人に用いることが多いのだから、桂枝、芍薬、甘草は何れも補う性質をもっているうえに生姜と大棗を加えて健胃作用を増強させている。それは第四条の乾嘔のように、直接に生姜の薬効が必要なときもあるし、発汗剤を服用して胃をそこなうことを予防する意味もある。
桂枝加葛根湯は桂枝湯の変方の表現になっているが、実は主薬は葛根なのである。そのように見るべきであることは第十二条の葛根湯のところで明瞭になる。ただ変方の作り方を教えるための表現と見做すべきである。
このように処方の名称と薬物の配列順序が一致しているのは康治本と金匱玉函経であり、康平本、宋板、成本はいずれも葛根、芍薬、生姜、甘草、大棗、桂枝の順になっている。どちらが正しいかは一目して明らかである。
葛根の薬効の中でここに関係があるのは次の二つだけである。
一、散熱解表 二、潤筋解痙
そしていずれの場合も桂枝湯の薬物と共力作用の関係にあることは言うまでもない。
『傷寒論再発掘』
6 太陽病、項背強几几、反汗出、悪風者、桂枝加葛根湯主之。
(たいようびょう、こうはいこわばることしゅしゅ、かえってあせいで、おふうするもの、けいしかかっこんとうこれをつかさどる。)
(太陽病で項(うなじ)と背の強ばりが甚だしく、当然、汗は出ないはずであるのに、汗が出て悪風を感じるようなものは、桂枝加葛根湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は桂枝湯の加味方の初めての条文です。太陽病で「汗出て悪風」となれば第5条の桂枝湯の適応病態であることがまず考えられますが、ここに「項背の強ばり」が甚だしくなったものに対して、「葛根」を加味して対応することを教えているわけです。
「几几」については、「几(しゅ)」という字を採用するか、「几(き)」という字を採用するか、二つの見解があるようですが、藤平 健先生の誠に貴重な報告「几几の弁」(『漢方の臨床』第16号12号16頁)に基づいて、「しゅしゅ」と読むことにしています。これは「まっすぐに立って動かない」の意を含む言葉だそうで、「項背強几几」は、「後頭部から、背中にかけて強直し、まるで一本の柱のようになる」との意味では「しゅしゅ」と読むのが正しい、とのことです。
「項背強几几」のような状態を呈する時は、普通は「無汗」であるという認識が古代人にはあったのでしょうか。もしそうだとすれば、すでに「伝来の条文群」にもこの「反」という字があった筈です。一応、そのように解釈しておきますが、もし、「原始傷寒論」の著者のみがそのように認識していたとすれば、「反」の字はあとから追加されたものであったということになるでしょう。
6’ 桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両。右六味、以水一斗、先煮葛根、減二升、去上沫、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
(けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、かっこんよんりょう、みぎろくみ、みずいっとをもって、まずかっこんをに、にしょうをげんじ、じょうまつをさり しょやくをいれ にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)
葛根四両の前までは桂枝湯の調整法のところ(第4条文)と全く同じです。桂枝湯に葛根が入った時は、まず葛根を煮て、そこにあとから桂枝湯を構成する生薬を入れて煎じていく点が相違しています。
葛根を先に煎じていくところに何か意味があるのだと思われますが、その意味はまだ不明と言ってよいでしょう。実際には葛根とその他の生薬を一緒に煎じてもそれほど差はなさそうです。
『康治本傷寒論解説』
第6条
【原文】 「太陽病,項背強几々,反汗出,悪風者,桂枝加葛根湯主之.」
【和訓】 太陽病,項背強ばること几々(キキ),反って汗出で悪風する者には,桂枝加葛根湯これを主る。
【訳文】 太陽病(の中風)で,(脈は浮緩で) (発熱)悪風し,(葛根湯証に)反して汗が出て,項背強ばる症状がある場合には,桂枝加葛根湯でこれを治す.
【解説】 この条では,第12条(太陽病中編の冒頭に)出てくる葛根湯との違いを明らかにしています.すなわち寒熱脉証,寒熱証,表熱外証の三つの条件は共通で,相違は緩緊脉証,緩緊証にあります。その中でも緩緊証(自汗,無汗)の完全な把握を説いています。
【処方】 桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、葛根四両,右六味以水一斗先煮葛根減二升去上沫内諸薬煮取三升去滓温服一升.
【和訓】 桂枝三両皮を去り,芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざき、葛根四両,右六味,水一斗をもって先ず葛根を煮て二升を減じ,上沫を去り,諸薬を入れて煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.
証構成
範疇 肌熱緩病 (太陽中風)
①寒熱脈証 浮
②寒熱証 発熱悪寒
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 汗出(自汗)
⑤特異症候
イ項背強(葛根)
康治本傷寒 論の条文(全文)