『類聚方広義解説(69)』 日本東洋医学会会長 山田 光胤
次に小半夏湯を読みます。東洞先生のコメントは「吐して渇せざる者を治す」です。小半夏湯は『金匱要略』の痰飲・欬嗽病篇に出ている処方です。処方の内容は「半夏一升、生姜半斤」です。生姜は生のショウガです。その作り方は「右二味、水七升を以て、煮て一升半を取り、分かち温めて再服す」です。水七升で煎じ、一升半に煮詰めて、二回に分けて温かいのを飲むというわけです。しかし、この飲み方について少しコメントをしたいと思います。嘔気の強いときは、これらの煎剤を冷やして少しずつのむ方がよいのです。
次は本文です。「嘔家、本渇す。渇する者は解せんと欲すとなすなり」。嘔家は吐き気のある人、あるいは嘔吐をする人で、こういう人は元来はのどが乾くものであるが、渇する者は病気が治ろうとしているのであるというのです。この「渇する者は」のところは註釈文で、のちの人が挿入したもので本文ではありません。
次の条文は「黄疸の病は、小便の色変ぜず。自利せんと欲し、腹満して喘し、熱除くべからず。熱除けば必ず噦す。噦する者は小半夏湯之を主る」と読みますと意味が通じます。要するに黄疸で熱が下がらないでいた人が、熱が下がった時に、からえずき(吐きそうになる)の状態になった時に、その吐き気を止めるものは小半夏湯であるということです。
ここで「小便の色変せず。自利せんと欲し、腹満して喘し」という部分を考えますと意味がよく通じません。黄疸の時は小便の色が濃くなって、黄褐色になるのが普通ですから、これは矛盾している文章です。これを頭註で榕堂先生が説明しております。
読みますと「諸病嘔吐甚だしく、あるいは病人湯薬を悪み、嘔吐悪心し、対症の方を服す能わざる者、皆この方を兼用して宜し」とあります。嘔吐がはなはだしくて、病人が煎じ薬を飲むのもいやがり、嘔吐をしたり、吐き気がしたりするのは、基本的な証に随う処方を使うのがいい英であるが、その時に小半夏湯を兼用するとよろしいという意味です。
次は「この方嘔吐の主薬なり。もし嘔吐して渇し、飲みてまた嘔吐し、嘔・渇ともに甚だしき者はこの方の主治にあらざるなり。小半夏加茯苓湯(ショウハンゲカブクリョウトウ)、五苓散(ゴレイサン)、茯苓沢瀉湯(ブクリョウタクシャトウ)等を撰用すべし」とあります。これは嘔吐したり、のどが乾いたりするのは小半夏湯ではない、小半夏加茯苓湯、五苓散、茯苓沢瀉湯などを選んで使いなさいというわけです。
次は「嘔家、本渇す云々は、この条千金に、嘔家渇せず、渇する者は解せんと欲すとなす。本渇し、今かえって渇せざる者は、心下に支飲あるなり。小半夏加茯苓湯之を主る。是なり」とあり、嘔家云々のところは『千金方』には、嘔家から渇せずから以下のようになっておりまして、それが意味の通じる文章でありますよというわけです。
次は「黄疸より必ず噦に至る、という六句二十三字は是論なり。特に噦する者の二字は小半夏湯の症に関係があるが、小便以下の三句は矩域ならざる者で筆受者の誤なり」とあります。黄疸から噦に至る文はよいのだが、特に噦する者の二字は小半夏湯の証に関係があるが、小便以下の三句(先ほど私が申し上げた小便の色云々のところ)は、ここに入るものではなく、筆写した人が誤って書いてしまったものであろうと尾台先生が解釈しているわけであります。頭註はもう少し続きますが、あまり重要でありませんので、省略いたします。
小半夏湯は吐き気を止める処方ですが、実際には次に出てきます小半夏加茯苓湯がよく使われるものであります。
『類聚方広義解説II(74)』 日本漢方医学研究所常務理事 山田 光胤
-小半夏湯・小半夏加茯苓湯・大半夏湯-
■小半夏湯
本日の解説は小半夏湯(ショウハンゲトウ)からです。小半夏湯は『金匱要略(きんきようりゃく)』の薬方です。
小半夏湯 治吐而不渴者。
半夏一升二錢四分生薑半斤一錢六分
右二味。以水七升。煮取一升半。分溫再服。以水二合八勺。煮取六勺
「小半夏湯。吐して渇せざるものを治す」。
これは吉益東洞先生のコメントで、『方極(ほうきょく)』の記載です。嘔吐をして喉が渇かないものは小半夏湯の主治である、ということです。
薬方の内容は、「半夏(ハンゲ)一升(二銭四分)、生姜(ショウキョウ)半斤(一銭六分)」とあり、小さい字で書いてあるのは一回分で、尾台榕堂(おだいようどう)先生の書き加えたものです。現代の分量では7gくらいずつになります。生姜は生のショウガです。
作り方は、「右二味、水七升をもって、煮て一升半を取り、分かち温めて再服す」とあります。
半夏と生姜を七升(現在の七合)の水で煮て、一升半に煮詰めて、二回分に分けて、温かいものを内服する、ということです。
次は『金匱要略』太陰咳嗽篇の条文です。
嘔家本渴。渴者爲慾解。今反不渴。心下有『支飮』
故也。
「嘔家本(もと)渇す。渇するものは解せんと欲すとなす。今かえって渇せざるものは、心下に支飲あるが故なり」。
文章そのままの意味は、盛んに嘔吐をする病人は、元来は体内の水分が欠乏するから喉が渇くはずである。喉が渇くようになると、病気が治ろうとしているのである。それなのに今は喉が渇かないのは、心下(みぞおち)に水飲があるからである。水分が胃のところに停滞しているから、嘔吐をしていても喉が渇かないのである、ということです。
このことは、頭註に訂正がありますから、後で読んでみます。この条文では、嘔吐をして喉が渇かないのは小半夏湯の適応にあたる、といっているわけです。
○『黃疸病」。小便色不變。慾自利。腹滿而喘。
『不可除熱。熱除必噦』。噦者。○諸嘔吐。穀不得
下者。
「黄疸の病、小便の色変わらず、自利せんと欲し、腹満して喘するは、熱を除くべからず。熱を除けば必ず噦す。噦するものは、(小半夏湯これを主る)」。
黄疸の出ている病人は、普通は小便の色が濃い茶褐茶に変わるはずです。小便の量も減少して出が悪くなります。小便の色が変わらずに、小便がたくさん出る、その上におなかが張って咳が出たり、息切れ(喘)がするのは、熱証でなく寒証である。体内に寒があるために腹満も喘も起こるのです。裏に寒があるから小便の色が変わらないし、たくさん出るのである。こういう時は熱を攻めるような薬を使ってはいけないのです。人参湯(ニンジントウ)、小建中湯(ショウケンチュウトウ)などで、裏を温めると自然に治ります。したがって「熱を除くべからず」といっていて、たとえば茵蔯蒿湯(インチンコウトウ)などを使って裏の熱を攻めてはいけない、熱を除くと必ずしゃっくりが出ます。これは病気が重くなったことを意味します。しゃっくりが出たような時は小半夏銀で主治しなさい、ということです。
この条文は『金匱要略』の黄疸病篇にあります。
「諸々の嘔吐にして、穀下るを得ざるものは、(小半夏湯これを主る)」。
いろいろな原因で嘔吐が起きて、食べ物が胃に下がらないで吐いてしまうものは、小半夏湯で治しなさい、ということです。『金匱要略』嘔吐噦下利病篇の条文です。
以上のようなことで、小半夏湯は嘔吐をする場合の代表的な薬方であることがわかります。
■小半夏湯の頭註
頭註は尾台榕堂先生の説明ですが、読んでいきます。
「諸(もろもろ)の病、嘔吐はなはだしく、あるいな病人湯薬を悪(にく)み、嘔吐悪心し、対症の方を服すること能わざるものは、皆よろしくこの方を兼用すべし」。
いろいろな病気の場合で、嘔吐が激しくて、病人は煎じ薬を飲むことを嫌がり、嘔吐をしたり、吐き気もして、適応している薬も飲むことができないという時は、適応した処方を飲ませながら、小半夏湯を兼用するとよろしい、という解説になります。
「この方は、嘔吐の主薬なり。もし嘔吐して渇して、飲んでまた嘔吐し、嘔渇ともにはなはだしきものは、この方の主治にあらざるなり。小半夏湯加茯苓湯(ショウハンゲカブクリョウトウ)、五苓散(ゴレイサン)、茯苓沢瀉湯(ブクリョウタクシャトウ)を撰用すべし」。
嘔吐と喉の渇きのどちらも激しく、それが繰り返される場合は、小半夏湯の適応症ではない。小半夏加茯苓湯、五苓散、茯苓沢瀉湯を選びなさい、ということです。
小半夏加茯苓湯は次に出てきます。五苓散は、吐き気があって嘔吐が激しくて、かつ喉の渇き、口渇も激しく、盛んに湯茶を飲みたがる、飲ませると間もなく激しい嘔吐を起こし、小便がよく出ない(尿不利)場合の薬です。茯苓沢瀉湯は、食物を食べると少したって嘔吐をする、喉も渇く、しかし激しい喉の渇きではありません。茯苓沢瀉湯の患者は、だいたい亜急性か慢性の胃の疾患、五苓散は主として急性の病気で、消化器型の感冒などに現れる証です。
「嘔家、本渇し云々。この条千金は、嘔家渇せず、渇するものは解せんと欲すとなす、本渇し、今かえって渇せざるものは、心下に支飲あるなり、小半夏加茯苓湯これを主るに作る。是なり」。
『千金方(せんきんほう)』には、最初の「金匱要略』の条文は、盛んに嘔吐をする病人で、喉が渇かないで、渇くようになると治るのであるとしてあります。もともと喉が渇いて、今病気になって逆に喉が渇かなくなったのは、心下に水が溜まっているからである。こういう時は小半夏加茯苓湯がこれを主るといっているが、是なり、というわけです。
これは『金匱要略』の条文ではよく意味がわかりませんが、『千金方』の条文では意味がわかりやすいわけです。
「黄疸必ず噦するに至るの六句二十三字(金匱要略黄疸病篇の条文)は是論なり。とくに噦するものの二字は、小半夏湯の症に係り、小便以下の三句は、矩域ならず。おそらく筆受者の誤りなり」。
「是論」は正しい論旨ということ、「矩」は差し金とか正しいとかいうことで、「矩域ならず」とは正しくないということです。先生の講議を筆記した人が誤って書いたのであろう、というわけです。
「この方は能く噦を治す。しかれども傷寒大熱、讝語、煩躁、先満、便閉の諸症、いまだ退かざるものは、まさにそと主症を治すべし。主症治すれば、噦おのずから止む」。
しゃっくりが激しくとも、高い熱が出て、うわ言をいって、体が苦しがって悶え、おなかが張って、大便秘結などの諸症状(陽明病の症状)がまだ退かない時は、その主症を治しなさい。主症が治ればしゃっくりも自然に治るのである。
「もし噦はなはだしきものは兼用してまた好し。説は小承気湯(ショウジョウキトウ)の標に詳らかなり」。
しゃっくりがあまりひどい時は小半夏湯を兼用したらよろしい。小承気湯の解説に詳しく述べている、ということです。
小承気湯の頭註に、「傷寒噦逆の症は、熱閉邪実に属するものであり、寒飲精虚に属するものあり。また回虫によるものあり。よろしく精診し甄弁(けんべん)して、方を措くべし」とあります。
熱症の激しい場合のしゃっくりと、寒と水飲が一緒になったために精気が衰えた時のしゃっくり、また回虫のためにしゃっくりが起こることがある。そういうことを土分けて適切な処置をしなさい、といっています。
※甄:ものの優劣を見わける
『勿誤薬室方函口訣(61)』 日本東洋医学会評議員 柴田 良治
-小半夏湯・小半夏加茯苓島・小檳榔湯・升麻鼈甲湯・升陽散加湯-
本日は、小半夏湯(ショウハンゲトウ)、小半夏加茯苓湯(ショウハンゲカブクリョウトウ)、小檳榔湯(ショウビンロウトウ)、升麻鱉甲湯(ショウマベッコウトウ)、升陽散火湯(ショウヨウサンカトウ)について、お話しいたします。
小半夏湯
小半夏湯(ショウハンゲトウ)は『金匱要略』にある薬ですから、先の『類聚方広義』の時にお話があったはずですが、『金匱』の条文を読んでみます。「嘔家はもと渇す。渇する者は解せんと欲す。今反て渇せざるは、心下に支飲あるが故なり。小半夏湯之を主る」とあります。
これを森田幸門先生は、『金匱要略入門』に次のようにいっております。「嘔気の習慣のある人は、本来渇を訴える。渇する場合は、嘔気が治癒しようとしている。しかるに、予想に反して渇を訴えないのは、心窩部に循環障害があるからである。この時は、小半夏湯の主治である」。
そしてまた、次のように解説しております。「本条は慢性胃炎、あるいは門脈系のうっ血によって、胃粘膜に循環障害があるために、反射的に嘔気を訴える時の療法を論ずる。嘔気は胃内容を吐出せんとする場合に起こる感覚であるが、胃内容が口より吐出されるか:あるいは腸内に移行する時は胃内腔は空虚になるために嘔気はやむが、胃内に水分がなくなるから急に渇を覚える。しかるに内腔が空虚になっても胃粘膜にうっ血がある時は、粘膜下の血管内の水分が十分にあるために嘔はやまない。しかし、渇を覚えずして嘔気を訴える場合は、小半夏湯の本格主治である」といい、また張路玉は「嘔はもと痰あり。嘔がつきて痰去りて、渇するものを解せんと欲すと為す。『傷寒論』に、小青竜湯(ショウセイリュウトウ)を服し已って渇するものは寒去り解せんと欲すと義を同じうす。今反て渇せざるはこれ積飲はなおとどまる。これを去るにいまだつきず。故に半夏(ハンゲ)を用い、結を散じ、湿に勝ち、生姜(ショウキョウ)は気を散じ、嘔をとる」といっております。
また次に、『金匱要略』に「もろもろの嘔にて穀下ること得ざるものは小半夏湯之を主る」とあります。諸種の原因による嘔吐の中で、食物が胃の中に入ることができない場合は小半夏湯の主治であるという意味です。
森田先生は、「『傷寒論』と『金匱要略』では嘔吐を三種に区別している。『傷寒論』に寒格として食が口に入る時すなわち吐する場合、もし食し已る時はすなわち吐する場合、および本条の”穀の下るを得ざる場合”である。すなわち第一の場合は、胃腸の機能がほとんど麻痺状態にあるから、食が口に入っただけで喉を通過せずして嘔吐するのであり、第二の場合は、食物は一度は胃に入るのであるが、腸内に停滞している内容が多量なために進むことができない場動:第三は、食物は喉を通過することはできるが、胃中に停飲があるために胃に入ることができない場合である。すなわち、第一は胃寒、第二は胃熱、第三は胃の寒熱錯雑するものである」といっております。
ですからすでに黄樹曽という人は「嘔吐し、穀下るを得ざると、食が口に入る時すなわち嘔吐するとは同じからず、食し已る時吐するとも異なる。けだし、食が口に入る時すなわち吐するは、すなわち食がわずかに口に入り、まだ咽に及ばずしてすなわち吐出するなり。嘔吐し、穀が下るを得ざるは、もし咽に入り下るあたわざるなり。食し已ってすなわち吐するは、食はすでに胃に入ってしかもとどまるあたわざるなり。三者は、一つは寒熱相がかわり、内外こもごも戦うにかかる故に機に応じて病を発す。一つは停飲が内にあるにかかわる。内方に盛満(胃気があって満ちている)なるをもって、物をおさめる時はすなわちあふるる故に入るべくして下らない。一つは下脘が壅塞し、伝化に従うなきにかかわる。故にとどまるあたわずして反て出ずるなり。これ一つは乾姜黄芩黄連湯(カンキョウオウレンオウゴントウ)を用い、寒熱を除き、格拒を開き、一つは小半夏湯を用いて滌飲降送し、一つは大黄甘草湯(ダイオウカンゾウトウ)を用いてその下脘を通じて胃の陰を養う所以なりという」といっております。
また『金匱要略』には、「黄疸にて小便の色は変ぜず、自利せんと欲し、腹は満ちて端する時は熱を除くべからず。熱除く時は必ず噦す。噦するものは小半夏湯之を主る」とあります。これは「黄疸で小便の色は平素のごとく、大便は下痢の傾向があって、腹は膨満し、そのために呼吸が喘息のようになる時は消炎剤を与えてはならない。消炎剤を与えると必ずしゃっくりを発する。この場合は小半夏湯の主治である」ということであります。
森田先生は、「本条は虚証の黄疸の証治を論ずる。黄疸で慢性になった場合、たとえば肝硬変、膵臓、あるいは胆道の悪性腫瘍などによって黄疸を起こしている時は、尿の色は赤褐ならず、腹は腹水のため膨満し、そのために呼吸は喘息様となるが、かかる場合は苦寒の消炎剤は禁忌で、茵蔯附子乾姜湯(インチンブシカンキョウトウ)、理中湯加茵蔯(リチュウトウカインチン)、真武湯加茵蔯(シンブトウカインチン)のごとき興奮賦活剤の指示となる。しかるにこの禁を犯して消炎剤を投与するならば横隔膜の痙攣を起こしてしゃっくりを発する。この場合は小半夏湯の指示である」といっておりま功。
また、尤在涇という人は「便清自利する時は内に微熱なし。すなわち腹満は裏実にあらず。喘は気盛にあらず。癉熱ありといえどもまた寒薬をもってこれを攻むべからず。熱気除くといえども陽気はすなわち傷なわれ、必ず噦をなす」といっております。
「小半夏湯方、半夏(ハンゲ)15g、生姜(ショウキョウ)7.5g、以上二味、水700mLをもって煮て150mLとなし、75mLずつ二回に温服せよ。半夏は味は辛、性は燥、辛はむすぼりを散ずべく、燥はよく飲を蠲(のぞ)く。 生姜は半夏の悍を制し、かつもって逆を散じ嘔を止む」といい、喜多村栲窓は「この方は大半夏湯(ダイハンゲトウ)に対して名を立つるもの、半夏は痰飲を滌(はら)い、生姜は逆気を降す。気は降り、飲は消え、ここに支飲嘔逆の聖剤となす。後人は用いて嘔吐、痰飲の諸症を治し、殊に効する」といっております。
『口訣』を読みます。「此方は嘔家の聖剤なり。其内水飲の嘔吐は極めて宜し。水飲の症は心下痞鞕し、背七八推の処手掌大の如き程に限りて冷る者なり。此等の証を目的として此方を用いるときは百発百中也。又胃虚嘔吐して穀下るを得ざる者は先ず此方を服せしめ、愈ざる者は大半夏湯を与う。是大小の弁なり」とあります。
「嘔気のある人にはもつともよい薬である。そのうちでも水飲といって肺、胃腸の水である痰飲、水気が上ってきて嘔吐するものにきわめてよい。この水飲の症は心窩部につかえがあって、硬く触れ、背中の胸椎の七番、八番のところに手掌くらいの大きさの冷えるものがある。これらを目標としてこの薬を用いる時は百発百中である。嘔吐が激しくて食物が下らないものにはこの薬を与え、なお治らないものには大半湯を与える」といっております。
大半夏湯は半夏、人参(ニンジン)、蜜(ミツ)からなる薬で、食道の通りをよくする作用があり、『類聚方広義』に「諸病にて嘔吐はなはだしき時は、あるいは病人湯薬を憎み、嘔吐悪心して薬をのむことができないものによい」といっております。
以上から、小半夏湯は嘔吐の薬ということで、妊娠のつわり、急性の食道炎、胃・小腸炎・膵炎などに即効があります。京都大学病院の約束処方に、伏竜肝煎(ブクリュウカンセン)という薬がありました。これは素焼きの”かわらけた”を焼いて湯に浸し、この液で半夏を煎じたもので、つわりの嘔吐の薬ということになっておりますが、これは小半夏湯が基になっております。嘔吐をとりあえずとめるという時は、この薬しかないようであります。食道癌のような食道の狭窄による嘔吐に使われる利膈湯(リカクトウ)は、この薬に梔子(シシ)と附子(ブシ)を加えたものであります。
※尤在涇(ゆうざいけい)
清代 (?-1749)
傷寒貫珠集(1729)の著者
別名:尤怡(ユウイ)、拙吾(セツゴ)
誌上漢方講座 症状と治療
生薬の配剤から見た漢方処方解説(3) 村上光太郎
3、半夏について
生薬の薬効の発見には種々の方法があり初期の段階では、たまたま病気のときに食べたら効いたので(たとえば、マタタビの果実を強壮剤として使用することを始めたのは旅人が疲れて動けなくなったとき、丁度そこにあったマタタビの果実を食べたら元気になり、再びタビができたので使用するようになった。)とか、動物が疾病を癒やすために、あるいは他の目的で本能的に用いるのを見て(たとえば、イカリソウを強壮、強精剤として使用を始めたのは、中国に淫羊という動物がいて、その中の雄の淫羊は非常に精力が強く、多くの雌の淫羊を従えていたが、それはこの植物を食べていたからであった。そこで、この植物を淫羊藿〔インヨウカク〕となづけて強壮、強精剤として使用するようになった)使用を始めたのがほとんどであった。しかし、そのようにして、多くの生薬が集まり始めると、次第に理由をつけて生薬を探し始めた。その理由づけとして使用された主なものは、
①同形生薬(病気になっている状態と同じ形の生薬は、その病気に効くとか、希望の形、望まれる形に生薬なら効果があるという考え方で使用され識ようになった生薬、たとえば藤のコブ(瘤)は形が人の癌に似ているので、癌に効くのではないかとか、イチョウの気根は人の乳に似ているのではないかとか、タンポポを切ると白汁が多く出るので、乳汁不足に効くのではないかと考えて使用したり、同じ朝鮮人参でも、人間の形、特に男性に使用する場合は女性に似た形を、女性に使用する場合は男性に似た形の人参を好んで使用するなどのようなもの)。
②同色生薬(同じ色をしたものは、その色の病気に効くという考えで使用されるようになった生薬。たとえば、サフランのメシベやアカネの根は色が赤いので血液の病気、すなわち婦人病などに効くとか、熟地黄は色が黒いので腎臓病などになり、顔色がドス黒くなったものに与えるなどのようなもの、これらの考え方は発展して五行説の中の五色〔肝臓、胆のうは青。心臓、小腸は赤。脾臓、胃は黄。肺、大腸は白。腎臓、膀胱は黒〕に取り入れられている)。
③同効生薬(ある生薬を服用して起こる症状と同じ症状が病気のときに起こったならば、その生薬を服用すれば治るという考えて使用されるようになった生薬)
の三つの形態があげられる。半夏は最後の同効生薬の考え方で作られた生薬である。すなわち、半夏をかんで服用、あるいは煎じて服用すれば、咽が痛くなり、あるいは胃がムカムカしてくる。これは非常に明瞭に現われる症状であるから、各自が服用して見れば生薬英効果が非常に理解しやすくかると思う。しかし、胃内停水があったり、その他の水毒の症状の激しい人や、風邪などをひいてもとより咽の痛い人が服用したときには、それほど強い症状は現われてこないか、もとより症状のない方(胃のムカムカ、咽喉痛のいずれか)の症状が現われてくるか、まったくそのような症状は現われない。
ところが半夏を生姜とともに煎じるか半夏を生姜とともに煮て作った姜半夏を用いた場合には、たとえ症状がない人が用いても咽喉が痛くなったり、胃がムカムカしたりすることはなく、反対にそのような症状があれば治すことができるようになる。ところで、このように半夏の有害な作用を消し、薬効のみを引き出すことができるのは生姜だけかというとそうではなく、半夏に大棗と甘草を加えても薬効を引きだすことができる。ただ半夏に生姜を加えた場合には鎮嘔作用(方向変換、相殺作用)の方が強く現われ、半夏に甘草と大棗を加えた場合には鎮痛作用(方向変換、相殺作用)の方が強く現われるようになる。
これを実際に薬方にあてて見ると、更に明瞭になる。すなわち、小半夏湯(半夏、生姜)は胃がムカムカし、嘔吐となったり、咽喉部に痛みを感じる人に用いるが、半夏と生姜の組み合わせであるため、嘔吐が主体であることはいうまでもない。この小半夏湯のような症状を呈する人がもし胃内停水が強く現われているならば、どうすればよいであろうか。生姜の薬効の一つに胃内停水を除く作用があるので、胃内停水が弱い場合には小半夏湯のままでよいのであるが、今症状が強く現われているので、その作用を助けてやらなければならない。
したがって、駆水作用のある茯苓(極端に胃内停水が強ければ茯苓とともに白朮も加えなければならないが、この場合は、茯苓のみに止めた)を加えた小半夏加茯苓湯を与えることになる。もし、この小半夏加茯苓湯のように胃内停水があるが、嘔吐として出てこず、かえって胃内停水が気の上衝とともに昇ってきて、咽部で止まり、そこに水の停滞が起き、気の停滞とともに咽部の異常感(軽いときは咽がかれるような感じから、酷くなると、咽がつまる感じまである)を覚えるようになった人には、原因となる胃内停水を治すとともに気が留まるのを除くよう残考えれば治るのであるから、胃内停水を除く小半夏加茯苓湯に気が留るのを治功厚朴、蘇葉を加えた半夏厚朴湯を与えればよいことがわかる。 このことは、薬味の組み合わせを知らす、半夏厚朴湯の効薬を気の症状ばかりを重視して、咽中炙肉感があり、神経症状の特異な人に用いるものであると考えている傾向があるが、その基本となる小半夏加茯苓湯の効果を忘れてはならないことを意味している。