健康情報: 康治本傷寒論 第二十七条 傷寒,身熱,悪風,頸項強,脅下満,手足温而渇者,小柴胡湯主之。

2009年10月20日火曜日

康治本傷寒論 第二十七条 傷寒,身熱,悪風,頸項強,脅下満,手足温而渇者,小柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、身熱悪風、頸項強,脇下満、手足温、而渇者、小柴胡湯、主之。

[訳] 傷寒、身熱悪風し、頸項強ばり、脇下満し、手足温にして渇する者は、小柴胡湯、これを主る。

冒頭の傷寒という句は、すべての註釈書で太陽病激症の葛根湯証から進んで来たものを示していると解釈している。また宋板では傷寒四五日となっていて、第二六条の傷寒五六日中風よりも日数が少ないから邪の進むことが速いのだという。
狭義の傷寒は邪の進み方が速いというのならば、第二六条の冒頭の句を傷寒五六日、中風五六日の略と読むこと自体がおかしいものになってくる。私はこの傷寒を広義に解釈しているから、この条文を先輩諸氏とは全くちがう読み方をすることになるのである。
『解説』二六五頁では「傷寒と冒頭しているから、その邪が表裏にまたがっていることを知る」というが、表裏にまたがっていることはこの条文を読んでゆけばわかることであって、それを冒頭で示す必要は何もない。そういう暗示をかけることは誤読のもとになるから傷寒論の著者はもっと慎重に言葉を使っているという立場で私は傷寒論を聞んでいる。第二六条で傷寒中風と言ったのだから、第二七条の傷寒は前者とまるでちがうことを言おうとしていると読まなければならない。
『集成』では「太陽病は三日を以って期と為す。今は乃ち四五日なれば少陽病たることを知るべし。蓋し此の条の証は太陽葛根証より転し来るものなり。故に仍お身熱悪風して頸項強ばるなり。脇下痞鞕し、或いは身に微熱あり、或いは渇する、これなり。往来寒熱、胸脇苦満、黙黙として飲食を欲せず、心煩喜嘔等の正証なしと雖も、然れども其の少陽部位に転入せるを以って、故に柴胡を用いてこれを治するなり」という。冒頭の短い句に多くのことを語らせると誤読のもとになる例がここにある。ここで説明成ている内容は第二六条の第二段と同じことだから小柴胡湯を用いるのだということである。不親切な傷寒論の著者が二回も同じことを繰返す筈がないということがどうしてわからないのであろうか。
『弁正』では『集成』と大体同じことを述べているが、ただ脇下満は少陽病だという所だけがちがう。そして両者とも、頸項強は太陽証だとし、その症状が第二六条に表現されていないのに、小柴胡湯で治せるとして深く触れることを避けている。
『入門』一四八頁では「悪風、頸項強ばるは太陽葛根湯の証、脇下満は少陽の証、身熱、手足温にして渇するは陽明の証で、これらの証候が発病と同時に現われているから三陽の合病で、その治法として太陽、或いは陽明の証候を顧慮せずに、少陽の証候を基準として治療するのが基本法則である」、というが、こんな基本法則は傷寒論のどこにも書いてない。『解説』にも三陽の合病だと書いてあるが、少陽病の正証に属する症状がひとつもないのに、それを少陽病だという根拠は、実に傷寒四五日という句しかないのである。
このように先輩の諸説を検討してみると、この条文の解釈に苦労していることがよくわかる。
身熱は少陽病にも陽明病にも現われる熱状で、微熱と表現することもあるが、悪風が同時に存在すれば太陽病と区別がつきにくい。即ちこの場合は少なくとも太陽病と少陽病にまたがった状態のように思えるのである。
頸項強は項強が太陽病であり、頸強が少陽病であることを示しているから、前の予想は間違っていないとしてよい。頸とは胸鎖乳突筋を指していて、これが強ばることは少陽病であることの特長なのである。喩喜言、強璐、山田正珍、森田幸門、中西深斎氏等が頸項強を葛根湯証としているのは間違いである。『講義』一一五頁で「頸は前面、項は後面。これ葛根湯証の項背強ばるよりは更に深し。実は脇下満ちて上に実するにに因って起れる徴候にほかならず」と説明しているが、これもおかしい。
脇下満はわきばらが重苦しいことであるから、陽明位の症状である。『講義』の胸脇苦満の変態という解釈は不明確な表現である。
手足温は張志聰(清)の「手足の熱なり。乃ち病人自ら其の熱を覚ゆ。按じてこれを得るにあらざるなり。身発熱成て手足温和を謂う者あり。非なり」という説明が一番良い。これも陽明の症状である。
而渇はすべての註釈書が而を単純な接続詞と解釈している。私はこれを第一五条(麻黄湯)の而喘と同じように、ひどくなって陽明裏位の症状であるとはっきりわかる口渇が起ったと解釈している。
即ち太陽、少陽、陽明にわたる症状が存在しているので、これは三陽の併病と見做すことができる。併病ならば、それぞれの病位に対する薬物や処方が加味合方されるのが原則であるのに、この場合小柴胡湯という処方を使うという合病のときに似た方法がとられていることは次のように考えなければならない。
まず太陽の症状は極めて少ないから一応無視してさしつかえないが、陽明の症状は無視できない。脇下満と渇は第二六条の第二段に列記されている症状であるから、小柴胡湯で治せる範囲にある。しかし手足温はそこに表現されていない。この時に而渇の解釈が問題になるのであって、症状が激しくなって生じた渇という症状が治癒範囲に入っている以上、それほど激しくなくない手足温は当然治癒範囲に入れてよいというように私は解釈するのである。
多くの注釈書でこれを三陽の合病と見做しているのに、私が三陽の併病であると主張するもうひとつ別の理由がある。それは次に記すように、宋板にはこれに類似した条文が三つあるからである。
①傷寒六七日、発熱微悪寒、支節煩疼、微嘔、心下支結、外証未去者、柴胡桂枝湯、主之。
②太陽与少陽併病、頭項強痛、或眩冒、時如結胸、心下痞鞕者、当刺大椎第一間、肺兪、肝兪、慎不可発汗……。
③太陽与少陽併病、心下鞕、頸項強、而眩者、当刺大椎、肺兪、肝兪、慎勿下之。
竜野一雄氏編の新校宋板傷寒論および和訓傷寒論に記入されている条文の条文の番号によると、①は二六八条、②は二六四条、③は二九三条、そして第二七条は二一八条であるから、私が説明しやすいように順序を入れかえている。太陽病の症状に、少陽病の症状が次第に多く混入する順序にならべたのである。
①について『集成』では明確に「是れ即ち太陽と少陽の併病なり」と論じている。これに対して『講義』一七五頁では「一種太陽少陽の併病に似たる証」とか「これ即ち太陽少陽の併病に似たる者にして、二陽互に相兼発せる証なり」とか「太陽少陽の兼病」というように奥歯に物が挟まったような不明確な表現に終始している。木村博昭氏に至っては「太陽少陽合併病の変証」という奇妙な術語を発明している。『弁正』と『解説』三一三頁では表現することを避けている。その理由は恐らく、第二七条を三陽の合病という立場をとれば、①は太陽少陽の合病といわざるを得なくなるのに、使う処方は桂枝湯と小柴胡湯を合方した柴胡桂枝湯となっていて説明がつかなくなるからであろう。
②については私のしらべた限りでは、使用すべき処方名をあげた書物はひとつもない。私は①と同じように柴胡桂枝湯を使うべきだと思う。『弁正』では「合併病の治例には凡そ二道あり。太陽陽明の如きは則ち太陽を先にして陽明を後にす。此れ其の一なり。太陽少陽の如きは則ち太陽を措いて少陽を救う。此れ其の二なり」とう驚くべき見解を述べているのに、これを「入門」二○六頁および木村博昭氏はそのまま引用している。その理由は②の最後に慎不可発汗とあるからだと言うに至っては返す言葉を知らない。①は太陽と少陽の併病であるのに、太陽を措いて少陽を救っているのではないことは明らかではないか。
③については、『集成』では太陽と少陽の併病であるから、柴胡桂枝湯証に属するが、第二七条と比較してみると、これもまた小柴胡湯証である、と的確な結論を下している。『入門』二四四頁では「太陽少陽の合病及び併病は共に少陽に従って利尿性治癒転機を起させるべき」であると論じて、この場合は小さい胡湯を使うとしているが、治療法が同じなら合病と併病を区別する必要はなくなってしまうではないか。
第二七条は②あるいは③からさらに陽明の部位に影響が及んだものであるが、小柴胡湯を構成する七種の薬物に中に陽明位に作用する薬物が多いから、小柴胡湯で処理できるのである。少陽の処方で治療するのが原則であるなどと考えてはいけないのであ識。
一般に合病と併病の概念が大変混乱していることが、以上の考察でわかるであろう。


『傷寒論再発掘』
27 傷寒、身熱悪風 頸項強 脇下満 手足温而 渇者 小柴胡湯主之。
(しょうかん しんねつおふう けいこうこわばり きょうかみち、しゅそくあたたまりて かっするものは しょうさいことうこれをつかさどる。)
(傷寒で、微熱があって軽い寒気がして、首の全体がこわばり、わきばらがはって、手足があたたまり、渇するようなものは、小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)

この条文は、発汗に適した病態や瀉下に適した病態と大変まぎらわしい一種独特な病態を挙げて、これもまた小柴胡湯で改善できることを述べた条文です。
身熱悪風は、発熱悪風とは違うのですが、大変似ている状態です。頸項強は項背強とは違うのですが、やはり大変似ています。すなわち、葛根湯や桂枝加葛根湯の適応病態と似ています。また、手足温而渇第23条の「但熱」や第42条の「但熱時時悪風大渇」にも似ています。すなわち、調胃承気湯や白虎加人参湯の適応病態に似ている部分があるわけです。しかし、脇下満という病態の一変態と経考えられますので、小柴胡湯の適応病態と見てよいものです。以上、部分的には小柴胡湯以外の湯の適応病態と大変まぎらわしい面もありますが、結局は小柴胡湯が最も適当である病態の一種について触れている条文ということになります。
頸というのは首の前面であり、項というのは首の後面です。したがって、頸項強というのは、首の前面から首の後面にかけて全体にこわばることになります。項背強と感うのは首の後面から背部にかけてこわばることになります。こわばる筋肉の分布が異なることになるかもしれません。


『康治本傷寒論解説』
第27条
【原文】  「傷寒,身熱悪風,頸項強,脇下満,手足温而渇者,小柴胡湯主之.」
【和訓】  傷寒,身熱,悪風,頸項強り,脇下満し,手足温にして渇する者は,小柴胡湯之を主る.
注:手足温の三字は、補注としてこれを除く〔章平〕.
【訳 文】  発病して,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便自利) となっ て,頸項強り,脇下満し,更に渇する場合には,小柴胡湯でこれを治す.
【解説】  本条での頸項強は,胸脇苦満の変型が側頸部に緊張や疼痛として現れた場合のことで、前条にその基本的な形を述べ,この条で胸脇苦満の変型が上部に出現した場合を述べています.


証構成
範疇 胸熱緩病(少陽中風)
①寒熱脉証   弦
②寒熱証    往来寒熱
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    小便塚利
⑤特異症候
イ頸項強
ロ脇下満
ハ渇(身熱,高熱)




(コメント)
「頸」と「頚」は異体字

「脅」は「脇」の異体字([月]+[劦]で「峯/峰」と同様の関係)
「脅」は“わき”のほかに“おびやかす”という意味にも使うが、ここではその意味は無い。
戸上重較の康治本傷寒論では、脅を使用している。

康治本傷寒論の条文(全文)