2009年8月16日日曜日
康治本傷寒論 第四条 太陽中風,陽浮而陰弱,陽浮者,熱自発,陰弱者,汗自出,嗇々悪寒,淅々悪風,翕々発熱,鼻鳴乾嘔者,桂枝湯主之。
『康治本傷寒論の研究』
太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者熱自発、陰弱者汗自出、嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕発熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。
[訳] 太陽の中風、陽浮にして陰弱、陽浮なる者は熱自ら発し、陰弱なる者は汗自ら出で、嗇嗇として悪寒し、淅淅として悪風し、翕翕として発熱として発熱し、鼻鳴り乾嘔する者、桂枝湯これを主る。
第三条で脈陰陽倶緊の陰陽の解釈が問題であったように、ここでもはじめの陽浮而陰弱の解釈が一番むつかしい。
太陽の中風という書きだしは第二条を承けていることを示している。
陽浮而陰弱については脈の陰陽ととる立場でも、陰脈を寸口の脈とし、陽脈を人迎の脈、または趺陽の脈とするように場所のちがう脈だとする見方と、『解説』(143頁)の「軽按して陽の脈を診し、重按して陰の脈をみる」、とあるように同一の場所の脈とする見方がある。第三条で述べたようにこのような解釈は役に立たない。また『解説』ではその次の「陽浮者熱自発、陰弱者汗自出」を後人の註文であり、原文ではないとして削除している。『集成』では第四条全部を「王叔和の攙入の文にして仲景氏の語に非ざる也」、として無視している。乱暴な話である。
『講義』(15頁)では陽病として進展するときは脈が浮で、陰病として進展するときは脈が弱であり、太陽中風といえども、陰陽転変することがあることを示したと論じている。大体においてこの解釈に賛成できるが、陰陽に転変するという表現は、『文章』の陰陽二途にわたって進展するという表現と同じように、読者に正確なイメージを伝えない中途半端な表現である。私はこれを分裂と表現したい。
次の陽浮者熱自発、陰弱者汗自出を『講義』(16頁)では「陽における浮は、「陽における浮は、斯に熱自づから発するを知り、陰における弱は、斯に汗自づから出づるを知る」、と解釈しているのはこれを註文と見做すことと同じである。「自」という副詞は「それ自身の在り方として出て来る関係の意」と広辞苑に説明してあるように、ここは脈が弱であればあとで自然に汗ばむ、と解釈する方が良いと思う。
嗇嗇悪寒より以下の句はすべての註釈書、解説書では陽病の症状として解釈している。それだからその中に悪寒と悪風の両方がでていることに当惑して、『弁正』では「或は悪寒し、或は悪風し」という意味だとし、『解説』(144頁)では「悪風と悪寒とを同時に挙げているが、この両者はいつでも併存しているのではない。どちらか一つがあればよい」、とし、『講義』(16頁)でも全く同じ意味のことを述べている。また『解説』(144頁)では「太陽の中風は単純な表証で、裏の変化を伴わないということを第二章で述べておきながら、ここに裏の変化のあることを思わせる乾嘔(からえずき)を挙げているのは、どうしたことであろう」、と論じている。以上のような解釈をするのであれば、『集成』のように「此の条の仲景氏の言に非ざること、また弁をまたずして得」、と言ってしゃあしゃあとしている方が良い位だ。
文中に接続詞に「而」があるときには、その役割りをよく考えなければならないことを第一条で説明した。第四条では条文のはじめの方にこれが使用されているのだからなおさらである。陽浮而陰弱で陽病と陰病に分裂することを示し、しかも而を間に入れて対等に取扱われている。そしてそれに続く句ははじめ陽症、次に陰症のことを述べている。したがって第四条全体が陰陽を対等に扱っていると見做すと、その後もまた陽症、陰症、陽症、陰症と交互に句が続いている筈である。この見方で第四条の構成を示すと次のようになる。
陽浮-熱自発-嗇嗇悪寒-翕翕発熱
太陽中風 而 桂枝湯主之
陰弱-汗自出-淅淅悪風-鼻鳴乾嘔
こうすると今迄苦労した悪寒と悪風の問題はきれいに解決される。乾嘔も納得できる位置に納まっている。そして而という接続詞が非常に良く効いていることがわかる。
ここまできてはじめて『講義』で陰陽転変という表現を使用した意味がわかる。即ち陰証が現われる場合のあることを述べた部分は陽浮而陰弱であり、それに続く句は全部陽証のことにしているのだから、陰証のことは附記する程度の認識にすぎないからである。
嗇嗇は悪寒を形容する語で、語源的には嗇は倉に取入れた穀物を大事にして出しおしむことである。けちのことを吝嗇というのはそのためである。出しおしむ姿はふところに抱きかかえる形である。これが寒がっている時の姿に似ているわけである。
悪風を形容した淅淅は、析は分析と同じく分ける意味であり、淅は米を水に浸けて夾雑物を分けることである。そこで水に浸けられたようにしょんぼりして、元気なく寒がるという意味になる。
発熱を形容する翕翕は、羽を合わせるという構成の字であるから、短い羽の鳥が飛立とうとするとき、羽を合わせて力を込めるようにするところから、あわす、集める、盛んなさま等の意味を生ずる。そこで熱がパッと出ることを示したのである。陽浮なる者は熱自ら発す、という句が前にあるのだから、その熱の出方をここで説明したことになる。
鼻鳴乾嘔はこれを陽症とみるか陰症とみるかによって大変なちがいになる。『講義』では「鼻腔狭まりて気息に陰症とみなせば水鼻が出てズルズル音がすることになる。乾嘔は『解説』ではからえずきで、吐きそうにするが物の出ない状態をいうとある。さらに「平素、胃腸の弱い人は、感冒にかかっても、しばしばからえずきを訴えることがある」と述べている。これが陰証のことなのである。
末尾の桂枝湯主之は「これをつかさどる」と読み、主は掌握することだから適応症であるという意味になる。語源的には主は灯火が燭台の上でジッと立って燃えるさまを示した象形文字であるという。そこで一定の場所にジッと立っているという意味から住、柱、駐という字がつくられた。傷寒論の場合はこれこれの症状のあるうちは桂枝湯がいつでも使用できるという意味になり、適応症という解釈が成立つ。
『入門』(42頁)では「この湯を与うることが最も適切なる方法であるという意味」、と説明しているが、最も適切という表現は過大である。『講義』(16頁)では「与うる二物無し。即ち之を主として、他に用う可き薬方無しとの謂なり」、と説明しているが、これはさらに誇大された表現である。薬物の性質を良く研究すれば、他の処方でも使えるようになるのであるから、唯一無二の処方だというように過大に解釈することは間違っている。
第四条ではじめて処方が指示されているが、第一条の陽病の発病時から、第二条の良性の太陽中風の初期状態、さらに第四条のように分裂して陰病に進展してもその初期状態であればひとしく桂枝湯を使用できる、と読めるのである。
また太陽中風が陰病に分裂することを第二条でなく第四条で説明しているのは、形式上、第三条の太陽傷寒の方が陰病に分裂する可能性が大きいことを示したものである。このように解釈すれば第一条から第四条までが太陽病の基本問題を論じていることになるのである。
桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。右五味、㕮咀三味、以水七升、微火煮、取三升、去滓、適寒、温服一升。
『傷寒論再発掘』
4 太陽中風、陽浮而陰弱、陽浮者熱自発、陰弱者汗自出、嗇嗇悪寒、淅淅悪風、翕翕発熱、鼻鳴乾嘔者、桂枝湯主之。
(たいようのちゅうふう、ようふにしていんじゃく、ようふのものはねつおのずからはっし、いんじゃくのものはあせおのずからいず、しょくしょくとしておかんし、せきせきとしておふうし、きゅうきゅうとしてほつねつし、びめいかんおうするものは、けいしとうこれをつかさどる。)
(太陽病の中風のものでは、陽病にとどまるまるものは脈が浮であり、陰病に進むものは脈が弱である。陽病で脈が浮の者は熱がおのずから発するものであり、陰病で脈が弱の者は汗がおのずから出るものである。嗇嗇として悪風し、淅淅として悪風し、翕翕として発熱し、鼻が鳴り、からえずきするものは、桂枝湯がこれを改善するのに最適である。)
嗇嗇は悪寒を形容する言葉、淅淅は悪風を形容する言葉、翕翕は発熱を形容する言葉です。条文の本質的な内容とは関係がありませんので成書を参考にしてください。
この条文の解釈で、悪寒と発熱は陽病の時の症状であり、悪風と鼻鳴乾嘔は陰病の時の症状である、とする見方もあります。しかし、筆者は、太陽中風という言葉も、陰病という言葉もなかったと思われる時代の経験が既にあって、伝来の条文群になったと考えているものですので、悪寒も悪風も発熱も鼻鳴乾嘔も条文として、もともとあったものと見ています。そこでそのまま単純に解釈していっていいと思っています。また、鼻鳴と乾嘔があるとすぐそれが「陰病」であるというのは、少し無理なのではないかと思われますので、あまり、ひねくらずに素直に解釈しておきます。
4’ 桂枝三両去皮、芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。右五味、㕮咀三味、以水七升、微火煮、取三升、去滓、適寒温、服一升。
(けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、みぎごみ、さんみをふしょし、みずななしょうをもって、びかにてにて、さんじょうをとり、かすをさり、かんおんにかなえ、いっしょうをふくす。)
『康治本傷寒論解説』
第4条
【原文】 「太陽中風,陽浮而陰弱,陽浮者熱自発,陰弱者汗自出,嗇々悪寒,淅々悪風,翕々発熱,鼻鳴乾嘔者,桂枝湯主之.」
【和訓】 太陽中風、陽は浮にして陰は弱なり,陽浮なる者は熱自ずから発し、陰弱なる者は汗自ずから出で、嗇々として悪寒し、淅々として悪風し、翕々として発熱し、鼻鳴乾嘔する者は、桂枝湯之を主る.
注:康平傷寒論では,「陽浮者熱自出,陰弱者汗自出」の12字は補註となっており、また示旧傷寒論では,「太陽中風」以下の28字が欠字となっており28字の□印がおかれています.また4字以外はすべて「傍注」となっています。脉に陰陽を冠することはないのでこれを除き、脉の弱を緩の言い換えであるとして「脉緩」に改めて,これを傷寒論の一般条文構成に従って改文すると,次のようになります。
【改文】 「太陽中風,脉浮緩 汗自出 嗇々悪寒 淅々悪風 翕々発熱 鼻鳴乾嘔者桂枝湯主之.」(32字) [章平傷寒論]
【訳文】 太陽の中風で,脉は浮緩で,悪寒発熱或いは悪風発熱して,鼻鳴,乾嘔の症候のある場合は,桂枝銀でこれを治す.
【句解】
嗇々(ショクショク):身がまさに縮まんとする意で,この場合悪寒の形容として用いられている.
淅々(セキセキ):身に水をそそがれるが如き状態をいい、この場合悪風の形容として用いられている.
翕々(キュウキュウ):発熱が軽微であることの形容.
鼻鳴(ビメイ):鼻がつまって呼吸音が聞こえること.
乾嘔(カンオウ):からえずきの意.
【解説】 第2条を受けて太陽中風の桂枝湯の変証を先に述べています.
【処方】 桂枝三両去皮,芍薬三両,甘草二両炙※1,生姜三両切、大棗十二枚擘※2,右五味、父咀三味以水七升微火煮取三升去滓適寒温※3服一升.
【和訓】 桂枝三両皮(コルク層)を去り,芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚をつんざく.右五味,三味を父咀(細切)して水七升を以て微火に煮て三升を取り,滓を去って寒温に適し温服すること一升す.
※1:炭火に近付けて炙る(採りたての時は炙る必要があるが,使用するまでの間に乾燥してしまった場合には炙る必要はない[章平])
※2:読みは「つんざく」で,さくことを意味している.
※3:熱からず冷たからずの温度のこと.飲みごろの温度の意.
処方構成
緩 緊
気 水 水 血
桂 生 大
熱 肌
枝 姜 棗
甘 芍
寒 部
草 薬
ケイシトウ
証構成
範疇 肌熱緩病(太陽中風)
①寒熱脉証 浮
②寒熱証 発熱悪寒
(悪風発熱)
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 汗自出(自汗)
⑤特異症絡 (表熱外証)
イ鼻鳴(桂枝)
ロ乾嘔(生姜)
康治本傷寒 論の条文(全文)