一般用漢方製剤承認基準
21.白朮附子湯(びゃくじゅつぶしとう)
〔成分・分量〕 白朮2-4、加工ブシ0.3-1、甘草1-2、生姜0.5-1(ヒネショウガを用いる場合1.5-3)、大棗2-4
〔用法・用量〕 湯
〔効能・効果〕 体力虚弱で、手足が冷え、ときに頻尿があるものの次の諸症:
筋肉痛、関節のはれや痛み、神経痛、しびれ、めまい、感冒
『和訓 類聚方広義 重校薬徴』 吉益東洞原著 尾台榕堂校註 西山英雄訓訳
一五、桂枝附子去桂枝加朮湯56
桂枝附子湯証にして、大便鞕く、小便自利し、上衝せざる者を治す。
桂枝附子湯の方内に於て、桂枝を去り、朮四両を加う。
朮(八分) 附子(六分) 甘草(四分) 大棗生姜(各六分)
右五味、水三升を以て、煮て一升を取り、滓を去り、分け温めて三服す。
(煮ること桂枝附子湯の如し。)一服して身痺することを覚ゆ。半日許りにして再服し、三服都く尽す。其の人冒状の如し。怪しむ勿れ。即ち是れ朮附竝んで皮中を走り、水気を逐うて、未だ除くことを得ざるのみ。
○「傷寒八九日、風湿相搏り、」身体疼煩し、自ら転側する能わず。嘔せず満せず。「脈浮にして濇なる者は、」桂枝附子湯之を主る。若し其の人大便鞕にして、小便自利する者は57(本方にて主治す。)
為則按ずるに、桂枝附子湯の証にして衝逆なき者なり。
頭註
56、此の方は脈経、玉函、千金翼の皆、朮附子湯と名づく。古義を失わざるに似る。金匱には白朮附子湯と名づく。外台には附子白朮湯と名づく。而して金匱には其量を半折す。倶に古に非らざるなり。朮の蒼と白に分つは陶弘景以後の説のみ。
按ずるに、金匱の白朮附子湯は其の量、桂枝附子湯に半折し而して朮二両を加う。故に水三升を以て煮て一升を取るなり。今桂枝附子湯の全方中に朮四両を加えるときは則ち煎法まさに水六升を以て煮て二升を取るべし。此れ中村亨の校讎(校正)の粗なり。
57、小便自利は猶お不禁と曰うごとし。朮、附子、茯苓は皆小便不利、自利を治す。猶お桂、麻の無汗、自汗を治すが如し。
※都く(ことごとく)
『傷寒論演習』 藤平健講師 中村謙介編 緑書房刊
一八一 傷寒。八九日。風湿相搏。身体疼煩。不能自転側。不嘔。不渇。脈浮虚而濇者。桂枝附子湯主之。若其人大便硬。小便自利者。去桂枝加白朮湯主之。
傷寒、八九日、風湿相搏り、身体疼煩して、自ら転側すること能はず、嘔せず、渇せず、脈浮虚にして濇なる者は、桂枝附子湯之を主る。若し其の人大便硬く、小便自利する者は、去桂枝加白朮湯之を主る。
藤平 「傷寒。八九日」となりますと少陽から陽明の時期です。その頃に外来の風邪と内在していた湿邪とが相からみ合って、身体が疼き痛む。そのため自分で体位を変えることができない。
「不嘔」で少陽の証を否定し、「不渇」で陽明でもないといっているわけです。そして脈は浮いていて力がない。「濇」はなめらかでなくしぶる様子をいいますが、そのような脈の場合は桂枝附子湯の主るところである。
桂枝附子湯は一般に大便軟で小便不利であるのに、もし大便硬くて、小便が出すぎるほどである場合には、桂枝を去って白朮を加えた桂枝附子湯去桂加白朮湯がよろしいというのです。
傷寒八九日 この章は、第一一二章の「傷寒八九日、云々」を承け、且前二章に於ける胸腹の証に対し、更に水気の変を現はせる者を挙げ、以て桂枝附子湯の主治を論じ、而して傍ら其の去加方に及ぶなり。
風湿相搏 風とは中風の熱、即ち風熱なり。湿とは湿邪也。搏は薄に古字通用す。即ち迫るの意、或は又搏撃の義に解する者もあり。
藤平 湿は水毒と同じです。「搏り(せまり)」とルビをうっていますが、奥田先生はいつも「アイウチ」と読んでおられたと思います。
身体疼煩 身体疼み、且煩するの意なり。
不能自転側 転側とは動き倚るの義なり。凡そ太陽に於ける疼痛に在りては、其の甚しき者と雖も、未だ自ら転側する能はざるには至らず。今、他人の扶助を得ざれば自由にならざると言ふは、漸く其の陰位に陥れるを示すなり。
藤平 疼痛の程度で病位が決まるとはあまりいいませんがね。本条の疼痛は水毒と風によってひき起こされたものと考えられます。
不嘔 不渇 此の証、傷寒八九日と言ふ。八九日は通常少陽位以後の日数也。故に嘔せずと言ひて先ず柴胡湯の証を否定す。又身体疼煩すと言ふ。故に渇せずと言ひて又白虎湯証を否定す。
脈浮賦而濇者 脈沈ならずして浮、実ならずして虚、滑ならずして濇也。此れ陰陽両位に渉る者、即ち所謂風湿相搏る者にして、発熱有りと雖も又頗る湿邪多き証也。之を桂枝附子湯の主治と為す。故に、
桂枝附子湯主之 と言ふなり。此の章に拠れば、桂枝附子湯は、能く外邪を解し、湿水を逐ひ、身体疼煩を治するの能ありと謂ふべく、而して是亦双解の治法なり。
補 此の証は、太陽の裏虚を挟める者にして、即ち表熱裏虚相混じ相兼ぬる証なり。故に又兼治の法に従ひ、分治の法に従はず。
若其人大便硬 小便自利者 元来桂枝附子湯証は、大便軟にして小便不利也。今、小便自利の証を挙ぐ。故に若しと言ふ。凡そ小便自利する者は、内の津液乾燥し、大便をして硬からしむ。今大便硬きは、其の小便自利の致す所なり。故に本方中の桂枝を去り、朮を加へてその主治と為す。是桂枝は上部及び表に向つて汗を散ず。汗を散ずれば内益々乾燥するが故なり。又朮を加ふるは、其尿利を調へんが為なり。之を桂枝加白朮湯の主治と為す。依つて、
去桂枝加白朮湯主之 と言ふなり。此れ其の本方に就きて、更に去加の方略を示せるなり。
桂枝附子湯方 桂枝四両 附子三枚 生姜三両 甘草二両 大棗十二枚
右五味。以水六升。煮取二升。去滓。分温三服。
桂枝附子去桂加白朮湯は、金匱要略に出ず。金匱に白朮附子湯と名づくる者是也。
藤平 ここで桂枝を去っているのは桂枝去桂加茯苓白湯の場合と似ています。 桂枝去桂加茯苓朮湯証は裏に水毒があ改aて起きるものですから、茯苓と朮を加えて尿から水毒を取り去ろうとするのです。その場合に桂枝が一緒にありますと他の生薬の働きを上半身にひきつけますので、茯苓、朮の下半身から利尿させる働きが半減されると考えられているのです。それと同じ理由でここでも桂枝を去っているのですね。
桂枝湯の君薬である桂枝を去るということは考えられないと江戸時代の人も議論のあったところです。さすがの尾台榕堂先生も、『類聚方広義』の桂枝去桂加茯苓朮湯の個所で「桂枝を去るはずがない。これは桂枝去芍薬加茯苓朮湯の誤りである」という意味のことを頭註に書かれています。しかしそれは尾台先生の誤りであろうと思います。
桂枝附子湯を奥田先生は「而して是亦双解の治法なり」といわれています。まァ併病と解釈したほうが説明しやすいでしょうね。
「不能自転側」とありますから、よほど強い疼痛でなければ使えないのではないかと考えられますが、それほどでなくても使ってよいのです。慢性関節リウマチ、神経痛等に有効です。
会員A 奥田先生は「脈沈ならずして浮、実ならずして虚、滑ならずして濇弧。此れ陰陽両位に渉る者」と説明されています。ここで浮虚を陽とするのはよいのですが、濇を陰とされているようです。濇は虚を意味すると思いますが、陰も示唆するのでしょうか。
藤平 いやー虚ですね。虚証を意味し、陰とはならないと思いますよ。
会員A 以前から私は『傷寒論』で白虎加人参湯、黄芩湯、黄連湯と進んだ後に桂枝附子湯の本条が出てくる点、非常に唐突に感じていたのです。最近こんなふうに考えて一人で納得しているのですが。
つまり大塚敬節先生は『傷寒論解説』の中で、桂枝附子湯証の「身体疼煩。不能自転側」は、第一一二条の「一身尽重。不可転側者」の柴胡加竜骨牡蛎湯証と、第二二八条の「身重。難以転側」の三陽合病の白虎湯証によく似ているといわれています。
一般的に、桂枝附子湯証と柴胡湯類、白虎湯類とでは類似しているとは思えません。それを「不嘔。不渇」と鑑別してみても意味をなしません。しかし大塚先生のいわれるように桂枝附子湯証と柴胡加竜骨牡蛎湯証と三陽の合病の白虎湯証では類似することがあるとなると、この「不嘔。不渇」は明瞭な意味を持ってきます。単に茫洋としてあまり関係のなさろうな少陽柴胡湯、陽明白虎湯を否定したのではなく、明確に第一一二条の柴胡加竜骨牡蛎湯証と、第二二八条の白浜湯証は本条の状態によく似ているので鑑別しているとする大塚先生の説は説得力があります。
本条が白虎加人参湯にひき続いて『傷寒論』で述べられる理由がここにあると思うのです。この後に甘草附子湯、そしてまた白虎湯と続きます。この一連の並びが首尾一貫すると思うのです。
藤平 なるほどそうですね。おっしゃる通り本条の桂枝附子湯証は第一一二条の柴胡加竜骨牡蛎湯証と第二二八条の白虎湯証と似ていますね。「不嘔」でその柴胡加竜骨牡蛎湯を、そして「不渇」でその白虎湯を否定したと考えるのが正しいようですね。