少陰病、吐利、手足逆冷、煩躁欲死者、呉茱萸湯、主之。
[訳] 少陰病、吐利し、手足逆冷し、煩躁して死せんと欲する者は、呉茱萸湯、これを主る。
この条文も前と同じように煩躁欲死の次に脈沈者という句を入れると意味がはっきりする。
吐利は『講義』三六○頁に「嘔吐し且つ下利するなり」とある。手足逆冷は『入門』三六八頁に手足が「末端より中心部に向かって次第に冷却すること」とある。成本では手足厥冷となっているが意味に大きな相違はない。
煩躁は第一一条で説明したように甚だしく燥であることで、手足をしきにり動かして全身で苦しむ状態で、陽病の場合と陰病の場合とがある。いずれにしても激症で、ここでは陰病の場合である。
欲死は『講義』では「其の煩躁の激甚なるを形容せるの語に過ぎず」とある。『入門』三八三頁に「煩躁を訴えて、今にも死するが如き苦悶を覚える」と説明しているのがよい。
以上の症状を呈した場合には、傷寒論では第六○条と第六三条で示されている如く、これを厥陰病というのである。しかし脈が沈である場合には厥陰病ではなく少陰病と見てさしつかえない、という意味になる。
裏寒をもともととする少陰病で、このような症状を現わすのは何が原因になっているかについて諸説がある。
①『講義』では「陰寒激動して虚気心胸に迫り、其の病勢暴急なる者」という。しかしこの説明では厥陰病と同じになってしまう。
②『入門』では「本条」の煩躁死せんと欲するは、急性心臓衰弱のときと同様の苦悶を伴って煩躁するのであるが、これは神経性、且つ一時的のもので、真に器質的及び機能的の障害に因るのと異るから、苦悶の状は如何程甚だしく、煩躁すること狂乱の如くであっても、決して死証でない」と説明しているが、何故に神経性の激しい症状を現わすかについては考察されていない。
③『弁正』では「手足厥冷、煩躁欲死者は既に是れ厥陰病にして全く是れ四逆証なり。而して今標して少陰病と曰い、呉茱萸湯を以てする者は蓋し其の始りなり」という。はじまりならば四検湯を与えれば良いのである。
④『集成』では「其の因を原ぬれば則ち胃中虚寒にして飲水淤蓄し、陽気これが為に閉され、因って乃ち厥逆する者なり」という。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)でも「其の実は本証の重みは嘔吐に在り。下利ありと雖も必ず甚激ならず。手足逆冷と煩躁は乃ち嘔吐の繁激に因って致す所、真陽絶せんと欲する四逆の煩躁とは根本において同じからず。嘔吐は寒邪胃を犯し、胃中虚冷せるに由る。故に呉茱萸湯を用いて寒を駆い、胃を温め、逆を降し、嘔を止む」と説明している。これが正しい。
体質的に虚弱で胃内停水のある人が寒邪をうけて胃寒を引起し、下利を生じ、気が上衝して嘔吐、心煩、心悸、頭痛等を起したものである。
「呉茱萸湯は嘔吐、気逆を以て主となし、四逆湯は下利、厥逆を以て主となす」という説明が一般になされているが、区別点を教えるだけでなく、何が原因でそのような相違が生じたかを考えなければならない。
呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚擘、生姜六両。
右四味、以水七升煮、取二升、去滓、温服七合、日三服。
[訳]呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚く、生姜六両切る。
右の四味、水七升を以て煮て、二升を取り、滓を去り、七合を温服し、日に三服す。
康治本、貞元本は生姜六両となっているが、永源寺本は生姜六両切となっていて、これが正しい。
呉茱萸は温めて寒を去り、気逆、嘔吐、胃痛を治す作用をもち、人参、生姜が配合されてその作用が甚だ強化されている。『金匱要略』の乾姜人参半夏丸と同じ性格の処方である。
『傷寒論再発掘』
56 少陰病、吐利 手足逆冷 煩躁欲死者 呉茱萸湯主之。
(しょういんびょう、とり、しゅそくぎゃくれい、はんそうしせんとほっするもの、ごしゅゆとうこれをつかさどる。)
(少陰病で、嘔吐したり下痢たりし、手足は末端から冷えてきて、今にも死ぬかと思われるほど、もだえ苦しむような者は、呉茱萸湯がこれを改善するのに最適である。)
少陰病 でというのは、全体的な状態としては、歪回復力がかなり減退してい識ような状態でという意味です。
吐利 とは、嘔吐したり下痢したりという意味です。実際の臨床の経験では、下痢よりもむしろ嘔吐の方が呉茱萸湯の適応病態には多いように感じます。
手足逆冷 とは手足が末端の方から冷えてくることです。末梢の血液循環が一時的に悪化するからと思われます。
煩躁欲死者 とは今にも死ぬかと思われるほどの 甚だしい煩躁(もだえ苦しみ)の状態をこのように表現しているのです。呉茱萸湯の適応する典型的な症例に一度でも遭遇してみれば、この言葉の表現がいかにぴったりしているか、ということが良く分かる筈です。
筆者は、いかんともしがたい激烈な頭痛と甚だしい嘔吐とが、月に一~二回、発作的におきてくる患者に、呉茱萸湯を投与して、大変、よかったことを経験しましたが、この人の場合、下痢こそありませんでしたが、いかにもこの条文にぴったりであると感じたものでした。
56' 呉茱萸一升、人参二両、大棗十二枚擘 生姜六両。
右四味、以水七升煮、取二升、去滓、温服七合 日三服。
(ごしゅゆいっしょう にんじんにりょう、たいそうじゅうにまいつんざく、しょうきょうろくりょう。
みぎよんみ、みずななしょうをもってにて、にしょうをとり、かすをさり ななごうおんぷくし、ひにさんぷくす。)
この湯の形成過程は既に第13章16項で考察した如くです。すなわち、苦味の強い 呉茱萸 という生薬と、やはり少し苦味のある 人参 という生薬が、口あたりを良くし、胃におさまり易くする作用を持った(生姜大棗)基と一緒に煎じられているというのが、この呉茱萸湯の基本的な姿です。人参は嘔吐や腹痛や食欲不振などを良く改善します。従って、それが (生姜大棗) 基と一緒にせんじられるような試みがなされてもよいと思われます。一方、何らかの機会に呉茱萸が嘔吐の改善によいことが知られたとしますと、これもまた、(生姜大棗)基と一緒に煎じられるような試みがなされてもよい筈と思まれます。その後、これら二つの湯の合方が試みられるとすれば、次のようなことがおこってきます。すなわち、(呉茱萸生姜大棗)湯と(人参生姜大棗)湯とが一緒に煎じられる時は、共通生薬後置の原則(第13章2項参照)によって、(呉茱萸人参生姜大棗)湯が創製されることになります。はじめは、生姜が三両使用されていたのですが、臨床的な必要性から更に三両追加され、(呉茱萸人参生姜大棗生姜湯)というものがつくられ、伝来の条文群にはあったのでしょうが、「原始傷寒論」が著作された時、その生薬配列は呉茱萸人参大棗生姜と短かくされ、その最初の生薬の名が採用されて、呉茱萸湯と命名されたのであると推定されます。
『康治本傷寒論要略』
第56条 呉茱萸湯
「少陰病吐利手足逆冷煩躁欲死者呉茱萸湯主之」
「少陰病、 ①吐利し②手足逆冷し③煩躁して、死せんと欲する者、呉茱萸湯これを主る。」
①②③の症状は厥陰病の典型的な状態を示している。③の煩躁は熱のために苦しくなって、身体がもだえること。この人はもともと胃内停水が強かったのではないかと考えられる。少陰病は裏寒で打乗:
その寒は容易に内位に影響を与えるから胃内停水も寒水となり、内寒となる。この患者は内寒裏寒の病態となってまさに厥陰病と同じような症状を呈することになる。
宋板-11-16条:少陰病、吐利し、煩躁四逆する者は、死す。
少陰病でも、厥陰病と同じ症状を呈することがあるということは納得できる。
呉茱萸
補虚し 人参 胃を温め
胃を益する 大棗 嘔気を治す
生姜
薬理作用 | 効能・主治 | |
駆虫・抗菌・中枢神経興奮 | 呉茱萸 | 温裏・止痛・行気・胃痛・腹痛・頭痛・嘔吐・冷え症 |
中枢興奮と抑制・疲労回復促進・抗ストレス強壮・男性ホルモン増強・蛋白質・DNA・脂質生合成促進・放射線障害回復促進・心循環改善・血糖降下・脂質代謝改善・血液凝固抑制・コルチコステロン分泌促進・抗胃潰瘍・免疫増強作用 | 人参 | 滋潤止喝・健胃整腸・強壮・鎮静・鎮咳・鎮喘・煩渇・嘔吐・心下部不快感・食欲不振・下痢・全身倦怠感・煩躁及び心悸亢進・不眠・気喘・呼吸促進 |
肝臓保護作用・筋収縮力増強・抗アレルギー・補脾胃・精神安定作用 | 大棗 | 鎮静・健胃・利尿・食欲不振・腹痛・下痢・頸項の強ばり・臓躁・九竅を通じ身中の不足を補う |
発汗解表・温中止痛・解毒作用 | 生姜 | 胸満・発汗解表・温中止嘔・散寒・止咳嗽・風湿痺を逐う・健胃整腸・利水 |
臨床応用 |
①急に頭痛・嘔吐・煩躁するもの
②偏頭痛で発作時は目くらみ、手足厥冷し、冷汗出、脈沈遅のもの。
③嘔吐の癖のあるもの
④涎沫を吐く癖のあるもの
⑤食餌中毒の後、嘔気・乾嘔の止まらぬもの
⑥蛔虫症で嘔吐し、涎沫を吐くもの
⑦胃酸過多症で、呑酸・頭痛・嘔吐のあるもの
⑧尿毒症で嘔吐・煩躁するもの
⑨子癇で嘔吐・煩躁するもの
⑩吃逆
⑪脚気衝心
⑫慢性頭痛・発作的に頭痛・嘔吐・眩暈を起こすもの
その他虚脱・昏倒・脳腫瘍・薬物中毒等に応用される。
(漢方処方解説 矢数)
(コメント)
『康治本傷寒論要略』の人参の効能・主治が
滋潤止喝 となっているが、滋潤止渇の誤植か?
康治本傷寒 論の条文(全文)