『康治本傷寒論の研究』
太陰病、腹満而吐、食不下、自利益甚、時腹自痛者、桂枝加芍薬湯、主之、②大実痛者、桂枝加芍薬大黄湯、主之。
[訳] 太陰病、腹満して吐し、食下らず、自利ますます甚だしく、時に腹自ら痛む者は、桂枝加芍薬湯、これを主る。②大いに実し痛む者は、桂枝加芍薬大黄湯、これを主る。
腹満而吐は第四九条と同じ句であるが、ここでは而を順接に読んでもよい。食不下は食べたものが胃に収まらないということだから結局は吐いてしまうのである。しかし吐くことに重点が置かれているのではなく、次の自利益甚の意味を明らかにするために必要な句なのである。『講義』三二五頁に「陽証の下利は飲食少なければ利も亦自ら少なく、飲食多ければ利もまた自ら多し。陰証の下利は飲食咽を下らずと雖も利反って益々甚だし。これ陰陽の区別なり」と述べているのがそれである。
『講義』では食不下は「其の裏に寒がありて、消化の機能衰うるが故なり」とある。この裏は「消化器のあたりを指す」という同じ著者の定義があるから、私のいう内にほかならない。もっと正確に言えば食不下に関しては胃寒によるものである。したがって自利益甚まで含めて内寒のために起きた症状ということができる。
ところが自利益甚という句だけを分離して考えると、少陰病では下利、自下利という表現した使われていないのと比較して、少陰病の下利よりも悪性の下利という印象を与える。そこで『集成』では「自利益甚は少陰の自利甚しからずを承けてこれを言う。若し太陰病を以てこれを陽明を承けるの病となし、或は陰病の始めとなせば則ち自利益甚の一語は遂に読むべからず」とし、「太陰なる者は少陰の邪の裏に転入せる者を謂うなり」という結論を導きだすことになる。
また『弁正』のように、「益甚の二字は穏ならざるに似たり。医宗金鑑を按ずるに、呉人駒の説を引いて云う、自利益甚の四字はまさに胸下結鞕の下に在るべし云々と、この説は是なるに近し」とすることになる。宋板では時腹自痛の次に若下之必体下結鞕の八字が入り、そこで条文は終りとなっている。自利益甚の者に対してまたこれを下すことはありえないということが根拠になっている。
いずれにしても自利益甚の句はおかしいというわけであるが、食不下と切離して考えるからこのような解釈になるのである。
時腹自痛は『集成』では「時ありて自ら痛みを謂う。時とは何ぞや。寒を得れば則ち痛み、緩を得れば則ち止むを以てなり。自らとは何ぞや。内に燥屎なきを以てなり。蓋し陽明の腹満して痛むは内に燥屎あるに由る。故に寒を得ざれども発し、緩を得ずして止む。同じからざる所以なり」と論じているが、前半の解釈は正しくない。『入門』三五七頁で時に間歇的にと解釈し、『講義』で時々の意なりと説明しているのが正しい。しかし腹痛は内寒によって起ったのであるから、治療は温補と鎮痛を目的とした処方を用いる。
第2段の大実痛には次の諸説がある。
①『講義』三三二頁では「大便実して痛むの謂なり。裏気急迫の者、さらに結ぼれて裏実の証に変ぜるなり。是れ所謂寒実の一証なり。故に承気湯の与かる所に非ず。また桂枝加芍薬湯の及ぶ所に非ず」という。『入門』と『弁正』も同じ意見である。
②『解説』四○九頁では「実は充実の実で、裏がつまって大いに腹痛するの意、陽明病に属する」という。『集成』では「これ表邪熾盛に其の裏を併せ、以て陽明胃実を作る。乃ち太陽陽明の併病なり」という。いずれも大黄を用いているから陽明病なのだというわけである。
①『再び問う』では「私の経験によると、俗に云う渋り腹の状態で、軟便が頻数して快通せず、腹がキリキリと痛む者によく奏効するから、桂枝加芍薬大黄湯が太陰証となることは断じて疑いがない」という。ここでは実を病邪の実と解釈しているのである。
要するに実の理解の仕方によって三通りの解釈がされたのである。私は③の解釈に賛成する。
宋板ではこの条文の後半が別条になっている。
本太陽病、医反下之、因爾腹満時痛者、桂枝加芍薬湯、主之。大実痛者、桂枝加大黄、主之。
成本では大実痛者以下がさらに別条になっている。康治本の文章が一番良い。それは処方名についても言えることで、宋板、成本、康平本はいずれも桂枝加大黄湯であるが、康治本のように桂枝加芍薬大黄湯でなければおかしいのである。
桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘。
右五味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、大黄二両酒洗。
右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
[訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬六両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く。
右の五味、水七升を以て煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。
桂枝三両皮を去る、芍薬六両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、大黄二両酒にて洗う。
右の六味、水七升を以て煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。
桂枝湯の芍薬の量を倍に増加した処方名となっているが、主薬は芍薬である。芍薬の鎮痛、鎮痙作用を桂枝、甘草、大棗が助け、芍薬の強壮作用を桂枝、甘草、生姜、大棗が助け、その他に温める作用は桂枝、生姜による。この場合消化管を温めるだけであるから、この程度の薬物で治すことができるのである。
桂枝湯を基本とした形になっているからと言って、『集成』のように「二証倶に表の未だ解せざるあり。故に皆桂枝を以て主と為す」として桂枝加芍薬湯を太陽太陰併病の治剤とし桂枝加芍薬大黄湯を太陽陽明併病の治剤とするのは間違いである。
『傷寒論再発掘』
50 太陰病、腹満而吐 食不下 自利益甚 時腹自痛者 桂枝加芍薬湯主之。
大実痛者 桂枝加芍薬大黄湯主之。
(たいいんびょう、ふくまんしてとし しょくくだらず じりますますはなはだしく ときにはらみずからいたむもの けいしかしゃくやくとうこれをつかさどる。
だいじっつうのもの、けいしかしゃくやくだいおうとうこれをつかさどる。)
(太陰病で 腹満し嘔吐し、飲食は咽を下らないのに、自ずからなる下痢はかえって益々はなはだしく、時には腹が自ずから痛むようなものは、桂枝加芍薬湯がこれを改善するのに最適である。便が快通せず大いに痛むようなものは、桂枝加芍薬大黄湯がこれを改善するのに最適である。)
同じく「腹満」という字句があっても、陽明病の時のものは、胃腸管内に内容物がつまっている、いわゆる「実満」であるのに対して、太陰病の時のそれは内容物ではなく、ガスなどが主であり、いわゆる「虚満」であると思われます。また、同じく「吐」であっても、陽明病の「吐」は既に胃の中にある内容物を嘔吐するのであるのに対して、太陰病のそれは食べると嘔吐するのであり、食べなければ必ずしも嘔吐することはないのであると思われます。すなわち、太陰病の場合はすでに胃腸の機能が弱っているからであると思われます。したがって、飲食物もなかなか咽を下り難く(食不下)、胃にもおさまり難いのでしょう。また、胃腸管内に内容物がそれほどなくても、下りやすい(自利益甚)のだと推定されます。
「自利益甚」の句は、その上の「食不下」と一緒にして考察すれば、飲食物が咽を下らないのにもかかわらずかえって下痢の方は多い、というように穏当な解釈が可能になるのですが、「自利益甚」という句だけを切り離して考察しますと、大変に甚だしい下痢の病態と解釈されやすくなり、太陰病の病態にふさわきくない感じもしてきたり、その他、色々と問題がおきてくる可能性があります。
「時腹自痛」は間歇的に腹が自ずから痛むというように素朴に解釈してよいでしょう。
以上のような病態に対しては、桂枝湯に芍薬を増量しただけの薬方である、桂枝加芍薬湯がよいのですが、この薬方は桂枝湯の中の芍薬甘草湯の作用のうち、芍薬の作用(第16章10項参照)、特に「腹痛および腹満改善作用」を増強したものであると推定されます。
次に、同様な病態にあるけれども、「大実痛」する場合には、桂枝加芍薬湯に大黄を追加した薬方、桂枝加芍薬大黄湯が適応することを述べていますが、「大実痛」という字句が色々と問題になりそうです。
大便が充実して(つまって)痛むことであるという見解もありますが、もし、そうだとすると、太陰病の定義の「自利也」に合致しない病態になりそうです。その他、どんな解釈であろうとも、「実」の意味を内容物の「充実」した状態と解釈するならば、太陰病の定義に合致しなくなりそうです。
そこで、定義に矛盾しないようにするためには、この「実」の意味を「邪」が充実していると解釈して(第17章2項参照)、軟便が頻繁に出て、快便が出ない「渋り腹」の状態を意味すると理解した方が良いようです。もし、そうだとすれば、「実痛」はこの場合、軟便が頻繁に出て腹痛があることであり、「大実痛」は、その痛みの解度が大きいという意味になるでしょう。太陰病の定義条文(第49条)と関連して考察する限り、このように解釈していかざるを得ないと思われます。
実際の臨床上の立場では、体力のあまりない、弱々しい人の便秘に対して、桂枝加芍薬大黄湯が使用されることもありますが、それだからと言って、この条文の解釈を「便秘」のみに限定してしまうことは、決して正しい解釈とは言えないでしょう、この条文は、むしろ、「しぶり腹」の状態の時に使用するものと解釈しておくのが正しく、「便秘」の時に使用するのは、その一つの応用であると筆者は解釈しておきます。
因みに、古方の臨床の大家であった尾台榕堂先生の臨床経験を記述してあるものとして有名な『類聚方広義』の頭註には、「痢疾、発熱悪風、腹痛裏急後重 の者を治す」、と書かれています。便が頻繁に出て、快便が出ず、腹痛する者にも使用されているわけです。
50’ 桂枝三両去皮 芍薬六両 甘草二両炙 生姜三両切 大棗十二枚擘。
右五味 以水七升 取三升 去滓 温服一升。
桂枝三両去皮 芍薬六両 甘草二両炙 生姜三両切 大棗十二枚擘 大黄二両酒洗。
右六味 以水七升煮 取三升 去滓 温服一升。
(けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくろくりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく。
みぎごみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。
けいしさんりょうかわをさる、しゃくやくろくりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、だいおうにりょうさけにてあらう。
みぎろくみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)
この湯の形成過程については、既に第13章13項で考察しておいた如くです。すなわち、桂枝湯にはすでに芍薬が三両入っているのですが、さらに芍薬を三両増量し、六両にして、桂枝加芍薬湯をつくっています。平滑筋の攣急にもとづく腹痛を改善する作用をもった芍薬甘草湯が桂枝湯の中にすでに入っていますので、桂草湯だけでも腹痛を改善する作用はあるのですが、芍薬を増量するすることによって、腹満および腹痛改善作用を強めているわけです。はじめは、軽度の腹満や腹痛に対して創製されたものであったのでしょうが、色々と使われているうちに、嘔吐や下痢のある病態にも活用され得ることが知られていったのだと推定されます。更に 裏急後重 があって、便が快通せず、腹痛があるような場合には、大黄を加えることによって、排便がうながされ、腹痛も改善さたることが経験されていったのであり、この経験が固定化されて、桂枝加芍薬大黄湯が湯として認知されるようになったのであると推定されます。
なお、「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、桂枝加芍薬大黄湯となるべきところが、桂枝加大黄湯となっていて、湯名として正しくないだけでなく、その生薬配列を見ると、桂枝、大黄、芍薬、生姜、甘草、大棗というように、湯名と生薬配列との間の法則性が全く崩されてしまっています。これもまた、「原始傷寒論」からこれらの「傷寒論」が形成される間の時代に介在した、愚かな後人達のなせる業と言うことが出来るでしょう。
『康治本傷寒論解説』
第50条
【原文】 「太陰病,腹満而吐,食不下,自利益甚,時腹自痛者,桂枝加芍薬湯主之.大実痛者,桂枝加芍薬大黄湯主之.」
【和訓】 太陰病,腹満して吐し,食下らず,自利益々甚だしく,時に腹自ずから痛む者は,桂枝加芍薬湯これを主る.大実痛する者は,桂枝加芍薬大黄湯これを主る.
【訳文】 太陰の中風(①寒熱脉証 沈 ②寒熱証 腸寒手足温 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 自利或いは寒冷性の小便不利による吐がある)で,腹満と腹痛のような腸寒外証(⑤特異症候)のある場合は,桂枝加芍薬銀でこれを治す.もし太陰の傷寒(①寒熱脉証 沈 ②寒熱証 腸寒手足温 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便)で,腹痛のような腸寒外証のある場合は,桂枝加芍薬大黄湯でこれを治す.
【句 解】
大実痛(ダイジツツウ):不大便,腹痛のあることを意味する.
【解説】 本条は,太陰病の中風,傷寒の方剤をこの条で一度に述べています。腹満は甘草の薬性である“排ガス作用(寒気剤)”により緩解が見られ,吐はこの場合寒冷性の小便不利に伴う上部腸管への波及によるものを意味しています.
【処方】 桂枝三両去皮,芍薬六両,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘,右五味以水七升,煮取三升去滓温服一升.
桂枝三両去皮, 芍薬六両,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘,大黄二両酒洗,右六味以水七升,煮取三升去滓温服一升.
【和訓】 桂枝三両皮を去り,芍薬六両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚を擘く,右五味水七升をもって,煮て三升を取り滓を去って一升を温服す.
桂枝三両皮を去り,芍薬六両,甘草二両を炙り,生姜三両を切り,大棗十二枚を擘く,大黄二両を酒で洗う,右六味水七升をもって,煮て三升を取り滓を去って一升を温服す.
証構成
桂枝加芍薬湯
ケイシカシャクヤクトウ
範疇 腸寒緩病(太陰中風)
①寒熱脉証 沈
②寒熱証 腸寒手足温
③緩緊脉証 緩
④緩緊証 下利
⑤特異症候
イ腹満(甘草)
ロ腹痛(芍薬)
桂枝加芍薬大黄湯
ケイシカシャクヤクダイオウトウ
範疇 腸寒緊病(太陰傷寒)
①寒熱脉証 沈
②寒熱証 腸寒手足温
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 不大便
⑤特異症候
イ腹痛(芍薬)
第48~50条まての総括
太陰病は,寒冷化の初発部位(腸管部位)です.本傷寒論では,これを論じるに定義条文を入れて僅か二条で終わっています.このことは,太陰病での治法は桂枝加芍薬湯,桂枝加芍薬大黄湯と先に出てきている膠飴が配合された小建中湯の三方剤で論じ尽くしています.
康治本傷寒 論の条文(全文)
(コメント)
【熾盛】シセイ・シジョウ
物事の勢いなどが非常に盛んなこと。「人民熾盛、牛馬布野=人民熾盛、牛馬野に布す」〔漢書・匈奴〕