『康治本傷寒論の研究』
太陰之為病、腹満、而吐、自利也。
[訳] 太陰の病たる、腹満すれども、吐し、自利するなり。
わが国ではこの条文の而という接続詞をいつも順接として、「腹満して吐し」、または「腹満し而して吐し」と読んでいる。しかし私がこれを逆接として読んでいるのは、腹満という症状は陽の症状であり、また陽明病の基本症であるのに、吐と自利は陰の症状であるからである。
また吐と自利は消化管における症状であるから、『入門』三五一頁に「体力が微弱で病原体の侵入に対する防御、併びに治癒活動の鈍麻せるとき、消化器に病変を起した場合には太陰の証候複合を以て反応し、太陰病として経過する。だから太陰と陽明とは病的反応の現われる部位が同一で、単に寒熱、虚実を異にするのみである」と述べている。しかしさらに正確に表現すると、太陰病の症状の現われる部位は陽明内位と同一なのである。陽明裏位はこれと関係はない。
そこでこの条文は腹満と感って陽明病と同一の部位であることを示し、他方相違点のあることを次に示したのであるから、而を逆接として読む必要があるのである。そしてその相違とは陰陽である。『解説』四○七頁では「ともに腹満という症状はあるが、太陽病は虚満で、陽明病は実満である」というように陰陽でなく虚実で把握している。これは区別を重視しているのであり、私は関連を重視する。
また『漢方治療百科』(荒木正胤著)では「三陽病は病邪の位置がきわめて明瞭ですが、三陰病は病邪の位置はもはや問題ではなく、病邪の性質の差違にあることを銘記しなけらばなりません」と論じている。『講義』三二五頁でも「三陰の各々、其の緩急を異にすと雖も、其の位は皆裏の一途にして、彼の三陽病の如くに、表、表裏間、及び裏の区別無きを以てなり」といい、『弁正』でも「三陰は皆内に具わりて三部位はこれ隠然として見るべからざるなり」、「三陰は寒の緩急なり」といい、『漢方診療の実際』一四頁でも「三陰病は三陽病とは異なり、太陰病、少陰病、厥陰病ともにその治療法には温補あるのみである。それ故診断にあたってはこの三病を厳格に分けることなく、陰病であることを知るだけで充分である場合が多い」といい、いずれも三陰は部位で分けるのでなく、緩急で分ける立場を明らかにしている。
ところがこの条文では内寒によって吐、自利が生ずるように、内(消化管)という部位が明らかにされていて、陰病に関する一般的定義とくいちがっている。それだけでなく私は少陰病篇で少陰病と厥陰病にも部位に区別があることを明らかにしようとしているのである。
これと同じ条文は宋板にも康平本にもなく、ただ次の第五○条と一緒になった条文になっている。即ち、太陰之為病、腹満而吐、食不下、自利益々甚、時腹自痛、若下之、必拡下結鞕。これで解釈できないことはないが、康治本の方がスッキリしている。康治本は江戸時代の医者がこしらえた偽書だという人がいるが、宋板のこの条文から、康治本の第四九条をつくり出すことはどんなにえらい学者であっても不可能なことである。
『傷寒論再発掘』
48 太陰之為病、腹満而吐 自利也。
(たいいんのやまいたる、ふくまんしてとし じりするなり。)
(太陰の病というのは、腹満して嘔吐したり自利したりするようなものを言う。)
この条文「太陰病」というものを定義している条文ですが、第1条や第44条や第48条などと同じく、幾何学の定義のように厳密なものではなく、むしろ「太陰病」というものの基本的な特徴をあげて、そのおおよその姿を示しているものです。
「腹満而吐」の症状にもし便秘の症状があるならば、「陽明病」の時に見られる症状群となる筈ですが、「便秘」ではなく「自利(下剤を用いずに自ずから下痢すること)」ですので、これは「陽明病」の時とは異なることが分かります。熱も「陽明病」の時のような高い持続熱などはないような状態であればこそ、「陰病」の一種である「太陰病」という名を与えられるのであ識と思われます。
「腹満」も「吐」も「自利」も、胃腸管に関連した症状ですので、いわゆる「裏」に関連した症状ということが出来ますが、病態としては「陽明病」と正反対のようなものを言うのであると思われます。
すなわち、「太陰病」というのは、「消極性徴候をもって反応する時期」の病の、初期の状態であって、その基本的な特徴は、腹満して、吐したり、自ずから下痢をしたりするような状態なのである、ということになると思われます。
「原始傷寒論」の著者の考えでは、多分、「邪気(病の原因となるもの)」が身体の外から侵入してきて、身体の表面、皮膚のあたりを犯している時期が「太陽病」であり、邪気が身体の裏面、胃腸管のあたりにまで侵入した時期が「陽明病」であり、その中間の時期が「少陽病」である、としていたのではないかと思われます。そして、たとえ、邪気が胃腸管にとりついたとしても、身体に十分な歪回復力(体力あるいは抵抗力)がある間は、生体は「積極性徴候」を以て反応するのであり、それが高い持続熱や便秘となってあらわれてくるのであり、この状態が「陽明病」であるのに対して、身体に十分な歪回復力が無い場合や無くなってきた場合には、生体は「消極性徴候」を以て反応するのであり、それが無熱や下痢となってあらわれてくるのであり、この状態が「太陰病」なのである、ということになるでしょう。
病気についての考え方としては、誠に単純素朴に過ぎると思われるかもしれませんが、筆者はそれで良いのだと思います。なぜなら病気の 性質 を論じるのな社目的ではなく、むしろ、病気という異和状態を 改善 するのが目的ですから、その異和状態の基本的は特徴を治療という方法論の面から整理していけばよいからです。もし簡潔で、しかも役立つ分類があるならば、簡潔であればあるほど良い筈です。「原始傷寒論」はあくまでも、治療を中心としてまとめられている、実学の書 なのです。臨床上の上で読んでいってこそ、本当に読める書なのです。この事は決して忘れないで読んでほしいもので空¥
なお、この「太陰病」の定義条文は、「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、次の第50条と一緒になったかのような大変冗長な条文になってしまっています。すなわち、「太陰之為病腹満而吐食不下自利益甚時腹自痛若下之必胸下結鞕」というようなものです。愚かな後人どものなせる業と言ってよいでしょう。なぜなら、「原始傷寒論」の定義条文は簡潔なものである方がそれに相応しいからです。
『康治本傷寒論解説』
第49条
【原文】 「太陰之為病,腹満而吐,自利也.」
【和訓】 太陰の病たる,腹満し吐し,自利するなり.
【訳文】 太陰病とは,寒熱脉証は沈,寒熱証は腸寒手足温で,腹満の上に吐すが,腹満と自利のごとき腸寒外証(特異症候)のある場合をいう.
条件 ①寒熱脉証 沈
②特異症候 腹満して吐す
腹満して自利す
【句解】
腸寒手足温(チョウカンシュソクオン):手足が温かいわけではなく,腸管と比較して相対的に手足の方が温かいということ(抽象語),いわゆる腸管の冷えの訴えのある場合をいっています.
【解説】 寒証での病期の順序は,熱証のそれと比較して少し違ったタイプです。そこで,セリエのストレス学説を傷寒論の各病期に投影してみると,三熱病(太陽病,陽明病,少陽病)が抵抗期に該当し,そして三寒病(太陰病,少陰病,厥陰病)が敗退期に該当するもののようであることがわかります.すなわち寒証においては,先ず内の皮(腸管部位)から敗退(冷え)が始まっていくといういわゆる“冷え”の程度でもって論じているのが寒病の場であります。
康治本傷寒 論の条文(全文)