健康情報: 康治本傷寒論 第三十九条 傷寒,胸中有熱,胃中有邪気,腹中痛,欲嘔吐者,黄連湯主之。

2010年1月19日火曜日

康治本傷寒論 第三十九条 傷寒,胸中有熱,胃中有邪気,腹中痛,欲嘔吐者,黄連湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、胸中有熱、胃中有邪気、腹中痛、欲嘔吐者、黄連湯、主之。


 [訳] 傷寒、胸中に熱あり、胃中に邪気あり、腹中痛んで、嘔吐せんと欲する者は、黄連湯、これを主る。

 冒頭の傷寒は広義に用いている。しかし二句目と三句目に抽象的表現があり、色々な解釈が可能であるために、この条文は短いが反って問題が多い。
 胸中有熱を胸中に熱邪があると解釈すれば、胸脇苦満、心煩、結胸、を指すこととなり、小柴胡湯柴胡桂枝乾姜湯、陥胸湯、半夏瀉心湯、甘草瀉心湯との関係が問題になる。また胃中有邪気を胃中に邪気(寒熱の邪気)があると解釈すれば、心下痞、心下悸、心下急、心下痛、心下満、胃中不和、を指すことになり、これまた前述の諸処との関係が問題になる。
 そこで、『集成』では「上に因を挙げ、下に証を説き、形影声響す」として、胸中有熱は五句目の欲嘔吐にかかり、胃中有邪気は四句目の腹中痛にかかるとする。『解説』、『講義』、『弁正』、成無己、医宗金鑑、傷寒論識(浅田宗伯)等は皆同じ解釈をしている。このような解釈をする立場は、二句目と三句目が互文の関係にあると見ることであるが、ここでは解釈が四通りに分かれる。
①「熱とは少陽位の熱を謂い、邪気とは寒邪を謂う」と『講義』二一三頁では言う。互文だから一方が熱なら他方は寒だというのである。「胃中に寒邪あれば冷ゆる状態にあり。故に腹中痛む」と合理的に説明できるという。
成無己、医宗金鑑、『漢方入門講座』(竜野一雄)、『集成』がこの解釈を採用している。この場合、上が熱で、下が寒であり性格が異なるから別の原因によると考えなければならなくなる。そのことを『集成』では「是れ外より入るは邪熱にして、而して其腹中痛むは固有の宿寒に係る。一因に非ざるなり」、といい、『講義』では「胸中に熱あり、同時に胃中に邪気ありと言うなり」という。他の書物ではそこまで議論をしていない。
②「熱と曰い、邪気と曰うは、互にしてこれを言う」と『弁正』で言うのは邪気も熱という意味だということである。「建中湯に腹中急痛すと曰い、桂枝加芍薬湯に腹満時に痛むと曰う。此の二者は皆寒に因る。故に太陰に属す。……小柴胡湯の心煩喜嘔あるいは腹中痛むと曰い、今は腹中痛み嘔吐せんと欲すと曰う。此の二者は皆熱に因る。故に少陽に属す、」といい、小柴胡湯の場合は「熱が胸中より胃中に及び、勢が心下に逼りて痛を為す」のに対し、黄連湯の場合は「胸中に熱あり、胃中に邪気あり、とし、且つ一つ吐の字を加う」としている点がちがうという。「有」とはその症状がただあるという意味でなく、もともと持っている、とか、別々にある、という意味に用いていることを指摘した点は正しいが、その他は賛成できない。
③浅田宗伯は「胸中にも亦邪気あり、胃中にも亦熱あり」と解釈している。これは正しい。しかし「胸中熱ありと曰うは、傷寒の発熱、転じて胸中にあり。未だ太陽の位を離れざるなり。また未だ苦満に至らざれば則ち柴胡に非ず。邪胃中に在ると雖も而も未だ腹満に至らざれば則ち承気に非ず。乃ち陽明と少陽との合病なり、」というのだから全体としては三陽の合病だということである。後半は何を言うためなのかさっぱりわからない。
④次に全く別の解釈をした『入門』二四七頁では「胸中、胃中、腹中」と続けて読み、「実は胃中に邪気あることだけが原因であって、胸中に熱ありは嘔吐せんと欲するために胸中に覚える熱感である。……腹中痛むは胃中に病変があるためで、胃というときは、現今の解剖学よりすれば、胃は勿論十二指腸、小腸、大腸より直腸までも総括していうのであるが、本条の場合は胃および隣接せる腸を指すようである。だから胃および十二指腸、および空腸の上部と解すべし。この部分に病変のあるときには腹痛を訴えることを本条では胃中邪気あり腹中痛むと記載している。……黄連湯の薬味を考うるに、寒性の黄芩を去り、辛熱の桂枝を以てせるを観るときは、胃中の邪気なるものは寒性の如くである。……強いて命名するならば少陽と太陽との合病と称すべきか」、論じている。この論では「嘔吐の原因も、腹痛の原因も共に胃中の邪気」であることを指摘したことが正しいだけであって、他は採用できない。
 ①、②、③では嘔吐の原因は胸中有熱であるという見解であるから、これは明らかに誤っている。以上の考察から、胸中有熱と示中有邪気は互文になっているから、胸と胃には熱邪も寒邪(水毒)もあるとすべきであり、腹中痛欲嘔吐は胃中有邪気による症状と見做す以外に合理的に説明できないことがわかる。そうすると、胸中に邪気があるということは熱邪と水毒があることだから胸痛、煩悸という症状を指していることになる。それ以外の熱症状であるならば柴胡剤や三黄瀉心湯を使用することになるからである。


黄連三両、人参三両、乾姜三両、桂枝三両去皮、甘草三両炙、大棗十二枚擘、半夏半升洗。  右七味、以水一斗煮、取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 黄連三両、人参三両、乾姜三両、桂枝三両皮を去る、甘草三両炙る、大棗十二枚擘く、半夏半升洗う。
 右七味、水一斗を以て煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。

 胸痛には黄連、半夏、煩悸には黄連、桂枝、嘔吐には半夏人参乾姜湯、腹中痛には乾姜、桂枝、甘草、大棗が関係していると見ることができる。
 黄連湯という処方は半夏瀉心湯に極めてよく似た所があり、黄芩三両の代りに桂枝三両にすれば黄連湯になる。したがって胸中有熱という句の解釈によっては黄連、黄芩の組合わせである瀉心湯が必要になるが、三瀉心湯のように下痢がないために黄芩を必要としないと考えてよいだろう。これが黄連瀉心湯と名付けない理由である。
 三瀉心湯の場合と同じく、半薬は黄連と半夏の組合わせ、および半夏人参乾姜湯のふたつであることは、半夏の用量が半夏瀉心湯の場合と同じであることからわかる。



『傷寒論再発掘』
39 傷寒、胸中有熱、胃中有邪気、腹中痛、欲嘔吐者、黄連湯主之。
    (しょうかん、きょうちゅうねつあり いちゅうじゃきあり ふくちゅういたみ、おうとせんとほっするもの おうれんとうこれをつかさどる)
    (傷寒で、胸中に熱があり、胃中にその原因があり(邪気)があり、腹が痛んで、嘔吐しようとするものは、黄連湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は陽病の状態で、発汗や瀉下の処置を経たためではなく、もともと、胸中に熱があり、胃に病の原因(邪気)があるために、腹が痛んで、嘔吐しようとするような病態の改善策を述べたものです(第17章4項参照)。
 古代人の原始体験としては、発汗や瀉下の処置を経ないで、はじめから、腹痛があり、嘔吐しようとする病態の一つが、半夏瀉心湯の黄芩を桂枝に代えた生薬複合物(黄連湯)で良く改善されることを、何らかの機会に知たのでしょう。多分、半夏瀉心湯を使用すべき病態に似た面がありながら、下痢が全くなく、腹痛が強い上に、下から上につきあがってきて嘔吐しようとする感じが特に強いような病態であったのでしょう。それ故、下痢を改善する作用のある 黄芩 (第16章11項参照)を去り、腹痛や上衝を改善する作用のある 桂枝 (第16章4項参照)を加えて使用してみたところ、大変に具合が良く、以後、そのような生薬複合物が使わ罪るようになったのだと推定されます。したがって、伝来の条文は、C-20:腹中痛欲嘔吐者、黄連人参乾姜桂枝甘草大棗半夏湯半之(第15章参照)のようなものであったと推定されます。
 「原始傷寒論」を著作した人が、この伝来の条文に対して、この病の基本的な姿は、陽病であり(胸中有熱)胃中にもその原因(邪気)があるからである(胃中有邪気)と考えて、その説明を追加し、更に、傷寒という言葉を追加し、湯名も生薬名の黄連を使用して、文章を整えたのであると推定されます(第13章2項参照)。
 傷寒 というのはこの場合も、「病にかかって」というほどの軽い意味です。第18章11項を参照して下さい。
 胸中有熱、胃中邪気 という部分の解説につ感ては、従来の研究者はすべて、いかなる 意味 かの解釈をしているだけでした。その 由来 を考察している人は、一人もいませんでした。したがって、その解釈には各人各様のものが生じてしまい、統一見解には達成得ない状態です。「原始傷寒論」の著者の見解が伝来の条文に追加されたのであるという観点に立てば、あまり複雑に考える必要もなくなるわけですし、色々な理屈をこねていく気もしなくなることでしょう。その方が良いのだと思います。「傷寒論」の中に包含されている治療学上の真実を本当に臨床的に活かすには、「空論臆説」は出来るだけ避けた方が良いのですが、「研究」すればするほど、「空論臆説」したくなるのかも知れません。筆者は出来るだけ、単純素朴に解釈していこうと努力しています。大切なことは「傷寒論」の精神を本当に臨床に役立てることだからです。



39' 黄連三両、人参三両、乾姜三両、桂枝三両去皮、甘草三両炙、大棗十二枚擘、半夏半升洗。
   右七味、以水一斗煮、取三升、去滓、温服一升。
   (おうれんさんりょう、にんじんさんりょう、かんきょうさんりょう、けいしさんりょうかわをさる、かんぞうさんりょうあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく、はんげはんしょうあらう。みぎななみ、みずいっとをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 この湯の形成過程は既に第13章12項で述べた如くですし、上述した如くでもありますので、この生薬配列の意味するところを生薬の作用の面から見てみましょう。胸中の熱感あるいは熱に基づく症状と腹痛に対してまず(黄連)を配し、食欲不振、嘔吐、腹痛などに対して(人参乾姜)基を配し、上につきあがってくる異和状態(上衝)に対して(桂枝甘草)基を配し、胃腸粘膜の保護作用に(大棗)を、鎮嘔作用に(半夏)を配したとすれば、これがそのまま、この黄連湯の生薬配列になるわけです。黄連湯の作用を理解するにはこのように見ていけばよいでしょうが、実際に黄連湯が形成された過程としては、むしろ、既に述べた如く、半夏瀉心湯から直接由来したと考えた方が簡単であり、自然であると思われます。





康治本傷寒論の条文(全文)


(コメント)
『康治本傷論の研究』では、医宗金艦となっているが、医宗金鑑へ訂正
医宗金鑑(いそうきんかん):清代 呉謙(ごけん)

三瀉心湯:半夏瀉心湯、生姜瀉心湯、甘草瀉心湯
       三黄瀉心湯(金匱要略)や瀉心湯(大黄黄連瀉心湯)(傷寒論)のことではない。


『傷寒論再発掘』で、
「欲嘔吐者」の読みが、「おうどせんとほっするもの」となっているが、
「おうとせんとほっするもの」に訂正。