『腎(じん)』とは、西洋医学でいう腎臓のことではなく、東洋医学では広く腎臓や生殖器を含めたものをいいます。詳しくは、「漢方の肝腎要」もご参照下さい。
ただ、海狗腎の場合の『腎』は東洋医学でいう『腎』というよりは、特に男性生殖器(睾丸、陰茎、輸精管)を指すと考えて戴ければ良いと思われます。
また、『鞭(べん)』の文字は、本来は陰茎(ペニス)を指すものですが、これも腎と同様に広く男性生殖器をさすものと考えて戴いたら良いと思います。つまり、本来は『腎』と『鞭』とは異なるものですが、一般的には区別されず、海狗腎(かいくじん)も海狗鞭(かいくべん)も同じものと考えて良い思います。(厳密に区別する場合は、『腎』は睾丸(こうがん)を、『鞭』は陰茎(いんけい、ぺにす)を指します。)
『漢方のくすり事典 -生薬・ハーブ・民間薬』(医歯薬出版刊)では、海狗腎について、次のように書かれています。
海狗腎(かいくじん)
別名:膃肭臍(おっとせい)
アシカ科のオットセイ(㊥海狗Otaria ursinusu)もしくはアザラシ科のゴマフアザラシ(㊥海豹Phoca vitulina)の雄の陰茎と睾丸を乾燥したものを用いる。オットセイは千島列島一帯に生息し、とくに中国の黄海や渤海でもみられ、ゴマフアザラシはヨーロッパの大西洋沿岸や北太平洋沿岸に生息し、渤海湾にもみられる。膃肭臍とは本来膃肭獣(おっとじゅう)の臍(ペニス)という意味であり、日本では生薬の名前がオットセイという動物の名前になっている。これらの動物は一夫多妻であり、一頭の雄が数十頭の雌を占有し、ハーレムを作ることでよく知られている。薬材は30cm前後、直径1~2cmの棒状をした茶褐色のペニスに2個の睾丸がついている。漢方では温腎・補陽の効能があり、全身疲労、精力減退、インポテンツ、足腰の萎弱などに用いる。日本にも海狗腎の配合された滋養・強壮薬が中国から輸入されている(至宝三鞭丸・海馬補腎丸)。日本の津軽藩の秘薬といわれた一粒金丹にも、アイヌ人が狩猟したオットセイのペニス(膃肭臍)が配合されていた。
以上、『漢方のくすり事典 -生薬・ハーブ・民間薬』(医歯薬出版刊)より
一夫多妻のハーレムを作ることから、その精力にあやかろうと使われたのかもしれません。
海狗腎(かいくじん)の中医学的効能は、味:鹹 性:熱 暖腎壮陽 益精補髄 帰経:肝・腎
とまとめられます。
『腎』や『鞭』を使う生薬(しょうやく)としては、この海狗腎(かいくじん)の他、鹿鞭(ろくべん)、驢鞭(ろべん)、広狗鞭(こうくべん)、虎鞭(こべん)、蛇鞭(じゃべん)、亀鞭(きべん)などがあります。
このうち、イヌ(広狗鞭)、オットセイ(海狗腎)、シカ(鹿鞭)は医薬品にしか使えません。
これらを配合した有名な中成薬として『至宝三鞭丸(しほうさんべんがん)』があります。
その名のとおり、三つの鞭、すなわち、海狗鞭、鹿鞭、広狗鞭が配合されています。
また、トラ(虎鞭)はワシントン条約により保護されていますので、現在は入手が困難です。
健康食品では、ウシやウマのものが使われたりもするようです。
類型同効論(るいけいどうこうろん)というものがあります。これは、「似たものが似たものを治す」、或いは「類をもって類を補う」という考え方で、体が弱っている部分があれば、その弱っている部分と同じ部分の食べ物を食べると良いというものです。
肝臓が弱っていればレバーを、骨が弱っていれば骨を、胃が悪ければミノを食べるとそれぞれの機能が回復するというものです。
更に形の類似から腎臓が悪い時に空豆を食べるとか、人間の脳髄に似たクルミが脳の病気に効くといったものに発展していきます。
まるで迷信のようでもありますが、全くのでたらめというわけではありません。
例えば、肝臓病には現代医学でも「肝臓加水分解物」を原料としている薬剤が汎用されています。良く考えてみますと、肝臓を分解したものには肝臓の細胞を作るのに必要な物質が全て含まれているのですから、必要な栄養を効率よく集めるために、肝臓そのものを食べるということは、納得できる話です。
それと同様に、動物の生殖器を食べれば、生殖器の栄養補給としては効率が良い、すなわちインポテンツや精力減退に良いと考えられます。
また、睾丸に含まれる男性ホルモンも、本来は消化酵素により分解されてしまいまうはずですが、全てが分解されるとは限らず、そのまま吸収されてしまうかもしれません。仮に全てが分解されてしまったとしても、男性ホルモンの合成原料としては最適なはずです。
更に男性生殖器に形の似た肉蓯蓉(にくじゅよう)やカンカ(管花肉蓯蓉(かんかにくじゅよう))、鎖陽(さよう)も同様な効果、すなわちインポテンツや精力減退に良いといわれています。もっともこれは、肉蓯蓉(にくじゅよう)などを使ってみて良かったので、後から形が似ているとこじつけたのだろうと思われます。
肉蓯蓉(にくじゅよう)については、野生馬の精液が地面に落ちてそれから生じたと思われていたとか、生薬の姿がいかにも男性のシンボルのようで、楊貴妃(ようきひ)につかえた女官が密かに愛用(?)していたとの逸話(いつわ)もあります。
このように形が似ていることから薬効が説明される生薬を同形生薬(どうけい)といいますが、先にあげたもののほか、催乳剤(さいにゅうざい)として用いるイチョウ(銀杏、公孫樹)の気根(きこん)や、ガンに使われる藤の瘤(こぶ)(生薬名:藤瘤(とうりゅう、ふじこぶ))などがあります。いずれも、形が似ているから効くというよりも、効果があったものに後から理屈づけしたものと思われます。