『康治本傷寒論の研究』
発汗、若下之後、煩熱、胸中窒者、梔子豉湯、主之。
[訳] 汗を発し、若しくはこれを下して後、煩熱し、胸中塞がる者は、梔子豉湯、これを主る。
後という字のあとは、それまでとすっかり状態が変っていることを示している。そこで新しい症状について考察してみると、これは少陽温病で、この症状が第六三条の気上撞心、心中疼熱に類似しているので、厥陰病との区別を認識させるためにこの位置においた条文と見ることができる。
煩熱とは身熱の状態の甚だしいこと。『解説』二五二頁では「煩して熱をなし」と解釈しているが、煩躁、煩渇と同じように、この煩は甚だしい意味にとった方がよい。胸中窒は胸がつまること。
この状態は第二四条の第1段よりは重く、第2段よりは軽い状態であるから、同じように梔子豉湯で治すことができる。
宋板では太陽病中篇にこの条文がある。
『傷寒論再発掘』
64 発汗、若下之後 煩熱 胸中窒者 梔子豉湯主之。
(はっかん、もしくはこれをくだしてのち、はんねつ きょうちゅうふさがるもの、しししとうこれをつかさどる。)
(発汗したり或いは瀉下したりしたあと、甚だしい熱感が生じ、胸がつまって苦しむようなものは、梔子豉湯がこれを改善するのに最適である。)
この条文は、もともと厥陰病の状態ではないのですが、「気上撞心、心中疼熱」に一見、似ている状態のものを挙げて、その治療を間違えないように注意している条文です。従って、厥陰病の定義条文のあとに記載されていることは誠に適切な配置であると思われます。ところが、「一般の傷寒論」になりますと、この条文は「太陽病・中篇」の梔子豉湯類の条文群の所に移し変えられてしまっています。「一般の傷寒論」についての考察は、また後に行なうことにしましょう。
煩熱 とは、熱を煩わしく感じることでしょうから、熱も甚だしくなっている筈です。従って、簡単に言えば、「煩」というのは「甚だしい」という意味にとって良いことになるでしょう。煩渇、煩躁についても同様です。
胸中窒 とは、胸がつまる感じと単純に解釈してよいでしょう。
『康治本傷寒論解説』
第64条
【原文】 「発汗,若下之後,煩熱,胸中窒者,梔子豉湯主之.」
【和 訓】 発汗,若しくはこれを下して後,煩し熱あり,胸中窒するものは,梔子豉湯これを主る.
【訳文】 太陽病を発汗し,或いは陽明病を下して後,少陽の傷寒 (①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 小便不利)となって,心煩或いは胸中窒する場合は,梔子豉湯でこれを治す.
【解説】 本条の“心煩”,“胸中窒”は梔子の特異症候であります.また厥陰病での心臓衰弱のために起こった“心中疼熱”とは異質であることに注目して下さい.
証構成
範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
①寒熱脉証 弦
②寒熱証 往来寒熱
③緩緊脉証 緊
④緩緊証 小便不利
⑤特異症候
イ心煩(梔子)
ロ胸中窒(香豉)
『康治本傷寒論要略』
第64条 梔子豉湯
「發汗若下之後煩熱胸中窒者梔子豉湯主之。」
「汗を発し、若しくはこれを下して後、煩熱し、胸中塞がる者、梔子豉湯これを主る。」
少陽病位に於ける温病の治療剤である。
体中が熱っぽくて、胸中が窒って、気の通じない感じがある、という症状。
梔子豉湯の症状では、63条厥陰病の症状に極めて似ている状態であるので、陽病と厥陰病を厳密に区別する必要があることを読者に注意するために置かれていると理解したい。
康治本傷寒 論の条文(全文)