『康治本傷寒論の研究』
陽明之為病、胃実也。
[訳] 陽明の病たる、胃実なり。
この条文は第一条と同じ体裁になっているから、『講義』二二七頁では「此の章は病因を提げて陽明病の位を論じ、以て陽明病篇の大綱と為す」といい、『解説』三五八頁でも「この章は陽明病の大綱を述べている。陽明病とせずに、陽明の病たるとしたのはそのためである」という。『入門』二六五頁では「本条は陽明病の病因を論ずる」という。私がこれらの見解に賛成できないのは二句目の解釈に問題がかかっているからである。
胃実は宋板と康平本では胃家実となっている。この「家」は助辞であって意味はないから、康治本の表現が最も端的で良い。実とは病邪が充満しているという意味である。そこで胃の概念に関して諸説に分かれるのである。
①『解説』では「この胃は現代医学でいう胃のことではなく、胃腸をさしている。そこで陽明病というのは、便秘、腹満の傾向があり、腹診によって腹部の充実を知る」という。『入門』でも「本論に於て胃と称するは現代解剖学に於いていう胃と異って、消化管一般、特に胃および腸を指していうのである」と同じ見解である。そしてそこを内と称し、「陽明病に於てはこの病原を除くために排便を除くために排便性治癒転機を起させる」というのだから、腎・膀胱は陽明の部位に入らず、白虎湯や白虎加人参湯は排便(瀉下)させないのだから陽明病の治剤ではないことになる。しかし白虎湯が陽明病の治剤であることは明白であるから、『入門』二六三頁では「陽明病に於ても専ら陽明に純なる証候複合に対しては、承気湯をもって排便性治癒転機を起させるが、少陽の証候を合併するときは、白虎湯の如く排便性治癒転機の他に、利尿性治癒転機を起させるものを処方する」としてこれを別扱いにするのである。そうであるならば、本条文は陽明病の大綱を示したものにはならないのである。
②『講義』では「胃とは汎く腹裏を指す。猶小腹を膀胱と言い、胸中を心中と言うが如し。また別に裏と呼び、内と呼び、蔵と呼ぶ者は各々其の指す所に少異ありと雖も、其の帰する所は則ち一也。今、胃を掲げて裏位の標準と為す」というが、これは傷寒論識の説そのままである。この立場では大承気湯を使用するときも、白虎湯を使用するときも含まれているので一応本条文が陽明病の大綱を示しているように見えるが、胃を掲げて腹位の標準とする根拠を何も説明していない。胃と表現して腸を指したり、腎臓を指したりする解釈は論理というよりは手品に類する。
腹診をしたとき腹部では胃と膀胱しかふれることがないから、胃という表現を使用するのだと言うのは、昔は解剖学的知識が不充分なはずだから、この程度でよいのだというわけであろう。ところが霊枢の腸胃篇には「胃は紆曲す。これを屈伸するに長さ二尺六寸、大いさ(周囲)一尺五寸、径五寸、大容三斗五升なり。小腸は後ろ脊につき、左にまわり廻周畳積す。その廻腸に注ぐものは、そと臍上につき、廻運しめぐること一六曲、大いさ四寸、径一寸強、長さ二丈一尺なり。広腸は脊に伝わりて以て廻腸を受け、左にめぐり脊の上下にたたみ、ひらいた大いさ八寸、径三寸弱、長さ二尺八寸なり。腸胃の入る所より出る所に至る長さは六丈四寸四分なり」とある。この記述を一尺=約一六センチ、一升=約二○○ミリリットルとして換算すると、驚くべきことに解剖学的事実に一致するのである。この単位の数値は秦漢以後のものではなく、先秦時代のものであることは間違いないのである。また死体から胃を取り出して、幽門部をひもでしっかりくくり、食道から水を入れると、噴門のところまでに一二○○ミリリットル入るという記述は、現代医学書による胃の容積は一○○○~一五○○ミリリットルであるから、驚くほど正確なのである。このような知識を持っている人が胃と言って腸を指したり、膀胱を指したりすることが出来るであろうか。それが出来ると考えること自体が奇怪といわねばならない。
第一条で述べたように、陽病は上から下に進行するという考え方を基本におくと、本条は胃を過ぎると陽明病の部位に入るという解釈ができて、腹部全体が陽明の部位という合理的な説明になる。胃は陽明病の上限なのである。腹部に病邪が充満したものを胃実と言うのだが、腹部でも消化管に病邪が充満した時と、腎・膀胱に病邪が充満した時とでは治療法を異にしなければならないので陽明の部位を前後に分離して内と裏という名称をつける必要が生じたのである。
したがって『解説』で「陽明病の診断には腹診が大切であることを見せんがために、脈を挙げずに胃家実といったのである」と言う勝手な解釈にも、『入門』で「本条は陽明病の病因を論ずる」とするのにも賛成できない。
また方有執が「実とは大便結して鞕満と為りて出づるを得ざるなり」というのにも賛成できないのである。
『傷寒論再発掘』
44 陽明之為病、胃実也。 (ようめいのやまいたる、いじつなり。)
(陽明の病というのは、胃に邪が充実したようなものを言う。)
この条文は「陽明病」というものを定義している条文ですが、第1条と同じく、幾何学の定義のように厳密なものではなく、むしろ、「陽明病」というものの基本的な特徴をあげて、そのおおよその姿を示しているものです。
胃実 というのは一体どういう意味であるのかということが一番問題となります。胃 というのは、胃腸管一般を指していると見てよいわけですので、結局、この場合、実 とはどういうことかということが問題になります。
既にこの「原始傷寒論」における「虚実」の解釈については、第17章2項において考察してありますので、それを参照してほしいのですが、結局、「胃」に何かが「充実」しているという意味に解釈していけば良いと思われます。
その何かにあたるものは、「飲食物」とするよりも「邪(病気の原因をなすもの)」であるとした方がより無難であると思われます。なぜならば、「飲食物」とすれば、せいぜい「便秘する状態」が基本病態であると解釈されることになりますが、「邪」であるとすれば、「便秘する状態」は勿論のこと、「胃」に熱が充実することもその他のことも含むことになるのでしょうから、解釈の幅がより広くなり得るからです。従って、筆者は、「胃実」とは「胃」に「邪」が充実することであると解釈したわけです。
邪 あるいは 邪気 (病の原因となるもの)が身体の表面すなわち皮膚を傷つければ、発熱悪寒を伴う「表証の病証態」を症するようになり、これが「太陽病」であり、その邪が身体の裏面すなわち胃腸管に取り付けば、ただ発熱のみで悪寒はなく、便秘を基本とする「裏証の病態」を呈するようになり、これが「陽明病」であるわけです。「原始傷寒論」を初めて著作した人は、このような基本的な考え方をもっていたので、「陽明病」を「胃実」と簡潔に定義したのであると思われます。
「傷寒論」は決して「神」が書いたものでも「聖人」が書いたものでもありません。「人間」が書いたものなのです。すべて古代人の試行錯誤に基づく貴重な体験的な知識が「伝来の条文」として書き残されていたのを、「原始傷寒論」を初めて著作した人が、単純素朴な三陰三陽の形式で整理しておいたわけです。しかし、何らかの理由で、この「原始傷寒論」の伝統を継承す識人達は実際には絶滅し、書物だけが残されていて、やがて後に、張仲景その他の人達によって掘りおこされ或は再整理され、更に粉飾されていったのであると推定されます。そして更に長年月がたってから、「宋板傷寒論」などが著作され、これが傷寒論の研究所の 「教科書」 になってしまったので、「傷寒論」の研究は益々、複雑なもの、難解なものになってきてしまったように思われます。更に、時代がたてばたつほど、様々な研究者が乗り出してきて、各自が勝手な着想をそれぞれ追加していきますので、ますます収拾のつかない状態になっていくようです。この原因のかなりの部分は、「教科書」の悪さにあると筆者は思っています。
しかし幸いなことに、「原始傷寒論」が日本には招来されていたのであり、実にありがたくも、発掘され、現今は、すべての人にとって、研究可能な状態になっているのです。そういう状況であるのにもかかわらず、「原始傷寒論」を研究せず、その他の 「粉飾された傷寒論」 の方のみを研究していくなどということは、誠に愚の骨頂であると思われます。「原始傷寒論」を十分に研究してから、その他の「傷寒論」の研究をしていくのなら、それはそれでよいのですが、そうでない場合は、本当にエネルギーの浪費以外の何物でもないと、断言してはばかりません。いや、今迄の研究者はもうそれでいいのですが、これからの若い研究者達のために、筆者は敢えて積極的に、このように忠告しておきたいのです。そしてもう一つ忠告しておきたいことは、あまりにも複雑に考え過ぎないことです。「原始傷寒論」は出来るだけ単純素朴に解釈していつ言た方が良いのですし、多分、正しいのです。なぜなら、それは複雑な「空論・臆論」のまだ無かった時代の、純粋経験を整理したものだからです。そこで筆者は敢えて単純素朴な解釈を提出しているわけです。枝葉末節は出来るだけ切り捨てて、「傷寒論」の本質、その精神を把握してほしいからです。「傷寒論」はその本質を日常臨床の中に実践してこそ、意味があるのです。机上の空論で解釈して、得々としていても、何の意味もないのです。いや、かえって、害毒を流すのみなのです。単純素朴な真実を複雑怪奇な空論が覆い隠すのを促進することにもなるからです。
康治本傷寒 論の条文(全文)
(コメント)
【紆曲】ウキョク
=迂曲。{紆折(ウセツ)}細長いものが曲がりくねっていること。
学研漢和大辞典