四逆加人参湯は四逆湯に人参を加えた方剤で、四逆湯證に似て、疲労が甚しく、体液欠乏の状あるものに用いる。
『漢方薬の実際知識』 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
8 裏証(りしょう)Ⅱ
虚弱体質者で、裏に寒があり、新陳代謝機能の衰退して起こる各種の疾患に用いられるもので、附子(ぶし)、乾姜(かんきょう)、人参によって、陰証体質者を温補し、活力を与えるものである。
11 四逆加人参湯(しぎゃくかにんじんとう) (傷寒論)
〔四逆湯に人参二を加えたもの〕
四逆湯證で、疲労がはなはだしく、出血や体液の欠乏の状のあるものに用いられる。貧血で水分欠乏の状態となるため、下痢も膿血性下痢となる。本方と附子理中湯とをくらべると、本方には白朮が欠けているため附子理中湯證のような瘀水はなく、ただ寒が強いものである。
『明解漢方処方』 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.78
もし急性吐瀉病で体液欠乏の甚しいときは、人参二・〇を加えて、四逆加人参湯とし、もし心悸亢進するときは、更に茯苓三・〇を加えた茯苓四逆湯(四逆湯加人参茯苓)を用いる。
『類聚方広義解説(56)』 東亜医学協会理事長 矢数 道明
■四逆加人参湯
本日は四逆加人参湯(シギャクカニンジントウ)から解説を進めます。
最初に「四逆湯の証にして心下痞鞕する者を治す」と書いてあります。そして「四逆湯の方内に人参一両を加う。甘草一銭二分、乾姜九分、附子、人参各六分。右四味、煮ること四逆湯の如し」とあります。現在私たちは甘草3g、乾姜2g、白河附子0.5~1g、人参2gとして用いております。
条文は「悪寒脈微、しかしてまた利し、利止むは亡血するなり。四逆加人参湯之を主る」というものです。「また利し」というのは『医宗金鑑』には「利止まず、亡血は亡陽とすべきだ」と註をしております。その方がよく了解されると思います。また利しというのは、下痢がしばらく止んでまた下痢することで、下痢が止まなければ陽、すなわち元気が衰え滅ぶるもので、それには四逆加人参湯がよいというわけであります。
榕堂先生はこれを補足して欄外に「千金方や外台秘要にはともに人参二両としている。この方は自下利の脱症を主る。茯苓四逆湯は汗下の後の脱症を主るものである。執匕家(しつぴか)は必ずしも拘泥せず、ただ操縦自在に得ることをなせ。諸方皆然り。按ずるに、この条疑うらくは脱誤あらん」といっております。
執匕家というのは匙をとるもの、すなわち臨床家のことで、これにとらわれることなく、自由自在に方を操縦せよというわけであります。『皇漢医学』で湯本先生は「ただ操縦自在なるを得たりとなす」『医宗金鑑』では亡血は亡陽の誤りとしておりますが、亡血すなわち貧血と解釈しても差し支えないと思います。浅田宗伯の『勿誤方函口訣(ふつごほうかんくけつ)』には、「四逆加人参湯は、亡血、亡津液を目的とす」とあり、構成にては人参、附子とひと摑みにというが、仲景は、陰虚には附子を主とし、陽虚には人参を主とすといっております。有持桂里(ありもちけいり)の『方輿輗(ほうよげい)』には血脱して手足逆冷するものには、速やかに四逆加人参湯を与うべしと述べ、独参湯(ドクジントウ)(人参の一味)の煎薬は脱血の時はどんどん服用させよと、輸血に匹敵する補血の効があると推奨しております。
四逆加人参湯の治験例としては、大塚敬節先生の『漢方診療三十年』からお借りしてみますと、内臓下垂のある無力性体質の患者の治療が載っております。55才の婦人で平生から胃腸が弱い、背丈の高い痩せた方で、最近ますます痩せるというのであります。顔色は青くて、精気がなく、手足の関節が軽く痛み、臍の動悸が気になって仕方がないという。おなかは軟弱で、臍から下は膨満してガスが溜まっている。しかし圧痛はない。ひどい内臓下垂があって、小便は勢いよく出ない。大便は一日一回はあるが軟便で快通しない。脈は遅くて弱く、舌は乾燥し、食欲は普通で熱はない。初め桂枝人参湯(ケイシニンジントウ)を与えたが、腹部膨満がひどくなり、小便も出にくくなった。そこで四逆加人参湯に改めたところ、諸症状が速やかに好転し、一ヵ月後には電車に乗って来院することができ、五十日ですっかり元気になったというものです。この症例では腹部はまったく軟弱で、心下痞鞕の症はないようであります。
『漢方概論』に四逆加人参湯を総括して、次のように述べております。四逆加人参湯は、病位としては少陰と厥陰の中間の位で、いわゆる虚寒が甚だしい。脈は微弱で、おなかは軟弱である。時に心下に抵抗のあることがある。舌は湿潤しており、時に煤煙を含んだように、少し黒味を帯びていることもある(附子の証)。
目標は、四逆湯の証で、しかも脱水、亡血症状が著明で、輸血や点滴の必要のある時、すべて弛緩症状の著しいものにこれを用います。
応用としては、貧血、出血で元気が沈滞して手足が冷える時、悪寒して下痢しやすい時、体が冷えて額の上、手の甲に冷汗が出る時、胃腸が無力である、心下に動悸を訴え、四肢関節が痛む時があるという時に使われます。
『類聚方広義解説II(59)』 あきば病院院長 秋葉 哲生
通脈四逆湯・四逆加人参湯
本日はテキスト105頁から107頁、通脈四逆湯(ツウミャクシギャクトウ)および四逆加人参湯(シギャクカニンジントウ)を解説します。前回藤井先生からご解説がありましたように、この二方は四逆湯(シギャクトウ)のバリエーションの一つです。本方の前に書かれています四逆湯より一段と重いものに用いるということになっています。
(略)
■四逆加人参湯
次に四逆加人参湯です。これも四逆湯のバリエーションの一つで、四逆湯に人参一両を加えたものです。
四逆加人參湯 治四逆湯證而心下痞鞕者。
四逆加人参湯の使用目標を『実用漢方処方集』から引用しますと、乏血、悪寒、脈微、下痢などが目標になるということです。『方極』の文では「四逆湯の証にして心下痞鞕するものを治す」とあります。
四逆湯の証であって、みぞおちが自覚的につかえる、他覚的にはそこに抵抗を認めるという状態が加わったものを治すのであるということです。これは吉益東洞先生が、四逆加人参湯の性格を短いセンテンスで述べたものです。人参が加わることで心下痞鞕ということが加わっているわけですが、吉益先生はその著書『薬徴(やくちょう)』の中で、人参の薬能を「心下痞鞕を主治するものなり」と述べています。すなわち四逆湯方内に人参が加わったものが四逆加人参湯ですから、その証として心下痞鞕が加わったものと考えられたことが書かれているわけです。
於四逆湯方内。加人薓一兩。
甘草一錢二分乾薑九分附子人薓各六分
右四味。煮如四逆湯。
「四逆湯方内に人参一両を加う。甘草(一銭二分)、乾姜(九分)、附子、人参(各六分)」。
ここでは原典にある「甘草二両、附子一枚、乾姜、一両半」という量目は省略されています。藤井先生が解説されました四逆湯と同じものに、附子と等量の人参が加わっているということです。「右四味、煮ること四逆湯のごとし」です。
惡寒脈微。而復利。『利止亡血也。』
本文は、「悪寒し、脈微にして、また利す。利止み亡血なり」、ないしは「利止むは亡血なり」、あるいは「利止まば亡血なり」とも読めると思いますが、この二重カッコの部分は、意味がよく通じません。これは『傷寒論』霍乱病篇の文章で、原典にはこの下に「四逆加人参湯これを主る」と書かれています。
これは解説を要しないと思いますが、悪寒して脈があって、またさらに下痢をしてしまうような状態に四逆加人参湯を用いるわけです。
爲則按。當有心下輕病也。辨之藥徴人薓條下。
為則按ずるに、まさに心下に軽病あるべきなり。これを薬徴の人参条下に弁ず」。
吉益先生がお考えになるのに、まさに心下に軽い病があるに違いない、『方極』で心下痞鞕という証があるだろうと述べておられましたが、それと内容はおそらく共通するものであります。これを吉益先生の『薬徴』の人参を論じたところで、詳しく述べていると書いておられます。
■四逆加人参湯の頭註
頭註に移ります。頭註は尾台榕堂先生の見解です。
「千金、外台は、ともに人参二両に作る。この方は、自下の脱症を主る。茯苓四逆湯(ブクリョウシギャクトウ)は、汗下後の脱症を主る。しかれども執匕家は必ずしも拘泥せず。ただ操縦自在を得るとなせ。諸方皆しかり。按ずるにこの条疑うらくは、脱誤あらん」。
『千金方(せんきんほう)』、『外台秘要方(げだいひようほう)』は、ともに人参を二両としている。この方はおのずと下痢をし、それが進行して重篤になった状態を主るのである。一方、この後に出てきます茯苓四逆湯は、発汗したり下したりを施した後、重篤になった状態、脱症を主るのである。この二つは違いがあるというように指摘しておられます。しかしながら薬匕を執る人、すなわち医に携わる人はこれに必ずしも拘泥をしてはいけない、そしてその二つを自由自在に駆使することが必要である。この二方に限らず様々な方がすべてそうなのであるということです。考えるとこの条文には、どうも脱落した部分があって、意味が通じないところがあると付け加えてあります。
■四逆湯類の今日的な応用
通脈四逆湯と四逆加人参湯の『類聚方広義(るいじゅほうこうぎ)』の解説はここまでですが、最後に四逆湯類の今日的な応用につ感て触れておきたいと思います。
四逆湯類は条文にありますように、たいへん衰弱した状態に用いられる薬方です。今日てはこのような重篤な状態に本方が用いられる機会は少ないと考えられます。そのような場合にはたいがい現代医学的な治療が施される、多くの場合は入院をする、点滴をするといったようなことが多いだろうと思われるからであります。代わって多くなりましたのが、難治性の慢性疾患に用いられる場合です。
現在は病気の構造も単純なものではなくなったようです。かつて先輩の先生方が、陰陽錯雑、虚実混交などとお呼びになった、陽証と陰証、実証と虚証の判別に困難を覚えるような症例が増えていることが、主に古方派に属する臨床家の先生方によって指摘されるようになりました。これらの事例に、鋭い問題意識を持って取り組んだのが藤平健氏です。氏はこれらの難症には二つ以上の証が存在すること、表立った証に対しての治療だけでは十分ではない、むしろ残りの薬方証の治療こそが治療の成否を分けることを指摘されました。
多くの臨床家の報告によりますと、その鍵を握るのが冷えの存在でありまして、この冷えをまず最初に治療する必要があると述べられています。このような用い方につきましては別の機会に譲りましょう。
『勿誤薬室方函口訣(49)』 日本東洋医学会会長 寺師 睦宗
-四逆散・四逆湯・四逆加人参湯-
次は四逆加人参湯です。『方函』の条文は「即ち四逆湯方に、人参を加う」とあり、『口訣』は「此の方は亡血亡津液を目的とす。後世にては参附と一つかみに言えども、仲景、陰虚には附子(ブシ)を主とし、陽虚には人参を主とす。後世にて言うは、参は脾胃に入て脾元の気を温養し、附は下元に入て命門火の源を壮にするとの相違あって、格別のものと心得べし」とあります。
「この薬方は、貧血と体液の損乏を目的として使うもので、張仲景は附子は陰虚を主として用い、人参は陽虚を主として用いるべきとしており、後世では人参は脾胃に入って気力をつけ、附子は下焦に入って命門の火(先天の気)を盛んにするとの違いがあっても、特別の薬方と心得て使用すべきである」と『口訣』は述べています。
『橘窓書影』の治験例を一つ。「土佐侯の臣、尾池治平の娘が流感にかかり、八~九日をへて汗がすごく出て、煩躁して眠ることができない。脈は虚して頻数で、四肢が冷たくなっている。多くの医は施すすべがなく、手をあげてしまった。私が茯苓四逆湯(ブクリョウシギャクトウ)(四逆湯加人参茯苓(シギャクトウカニンジンブクリョウ))を与えたところ、一~二日で汗がやみ、煩悶は去り、足が温かくなって治った」と記述してあります。
『和漢薬方意辞典』 中村謙介著 緑書房
四逆加人参湯(しぎゃくかにんじんとう) [傷寒論]
【方意】 四逆湯証の裏の寒証と虚証に、亡津液による脱水・尿不利と、血虚による貧血等のあるもの。
《少陰病.虚証》
【自他覚症状の病態分類】
裏の寒証 | 虚証 | 亡津液 | 血虚 | |
主証 | ◎手足厥冷 ◎顔面蒼白 ◎悪寒 ◎寒がり ◎完穀下痢 | ◎疲労倦怠 | ◎脱水 ◎尿不利 | ◎貧血 |
客証 | 頭痛 身体痛 食欲不振 悪心 腹虚満 温熱を好む (四逆湯証) | 無気力 元気衰憊 (四逆湯証) | 皮膚枯燥 | 目眩 |
【脈候】 沈・沈弱・微弱。
【舌候】 湿潤して無苔。時に煤煙様の黒苔を示す。
【腹候】 腹力軟或は軟弱。心下痞硬が存在する。
【病位・虚実】 裏の寒証で虚証は少陰病である。
【構成生薬】 甘草4.0 乾姜3.0 附子a.q.(0.5) 人参2.0
【腹候】 腹力軟或は軟弱。心下痞硬が存在する。
【病位・虚実】 裏の寒証で虚証は少陰病である。
【構成生薬】 甘草4.0 乾姜3.0 附子a.q.(0.5) 人参2.0
【方解】 本方は四逆湯に人参を加えたものである。人参は津液の失われた状態を回復し、補液・補血作用を有す。更に機能の低下した中焦を調え、食物の消化吸収を活発にする。故に本方は四逆湯証の裏寒による下痢等体で体液を失い亡津液状態に陥っているもの、虚証が進み血虚の深くなったものに用いる。
【方意の幅および応用】
A 亡津液:下痢による脱水・尿不利等を目標にする場合。
四逆湯証の下痢後脱水のため尿不利に陥ったもの、
脳炎等で嘔吐・脱水・循環不全のもの、胃アトニーで心下痞硬するもの
B 血虚:貧血等を目標にする場合。 白血病に伴う諸症状、目眩し転倒する貧血
【参考】 *悪寒し、脈微にして復た利し、利止むは亡血なり、本方にて主治す。『傷寒論』
*四逆湯の証にして、心下痞硬する者を治す。『類聚方』
*本方加大黄は温脾湯という。本方の方意に便秘を伴う大黄には利尿作用もあり、慢性腎炎に用いて血中尿素窒素値の改善が報告されている(三潴忠道)。
*本方加大黄は温脾湯という。本方の方意に便秘を伴う大黄には利尿作用もあり、慢性腎炎に用いて血中尿素窒素値の改善が報告されている(三潴忠道)。
【症例】 結核性脳膜炎
男児4歳。3日前の午睡後、急に頭痛を訴え数回嘔吐した。37.3℃、食欲なく便通も2日ばかりないので浣腸したが排便はなかった。その日以後治療を受けたが漸開悪化する模様であるという。
初診の時(発病第4日)は体温37.2℃。脈拍88、緊張を缺くも不整なし。軽き咳嗽あるも胸部打診上変化を認めず。瞳孔対光反応正常。眼瞼下垂を認めず。腱反射減弱。意識も明瞭なるも無欲状。軽度の項部強直がある。ケルニヒ氏症状陽性の如くみゆる。発病の数日前より不機嫌、食欲不進、便秘等があったという。結核性脳膜炎を疑った。葛根湯を与えた。その夕方体温は急に39.6℃に上昇し、終夜38℃から39℃の間にあった。
翌朝(第5日)体温37.6℃、脈拍68(今朝は甚だ少ない)。昨夜より時折痙攣あり。意識なくほぼ昏睡状態。その夕方急変を知らせて来た。急いで往診すると全く昏睡状態に陥り顔面蒼白、口唇はチアノーゼを呈し、体温は36.2℃、脈拍不整に成て60乃至80、甚だ微弱。四肢厥冷、手足の指趾端も紫藍色を呈す。項部強直、ケルニヒ氏症状ますます著明となり、下肢は筋肉の強硬を現す。呼吸甚だしく浅表。湯タンポを以て四肢を暖め、急ぎ四逆加人参湯(附子0.2g)を作り明朝までに服用せしめるよう飲じた。
翌朝(第6日)昨夜の薬を服用してから大分具合が良さ失うだという。体温36.8℃。脈拍60不整。下肢筋の強直は残っているが四肢厥冷減少し口唇四肢のチアノーゼやや減少の様子あり、昏睡状態。よって四逆加人参湯は附子を更に0.3に増量して投与する。
翌朝(第7日)往診。体温37.2℃、脈拍76、依然として昏睡状態であるが昨日に比し緩解の模様で顔面は血色を帯び、チアノーゼ消失し、手足も温まり、極めて微弱であった脈拍も緊張してきた。下肢筋の強硬消失。この日の夜母親の乳房を当てると吸啜することができた。便通は2日前浣腸によって出たのみで便秘、尿は屢々失禁する。
第8日は体温は36.7~36.8℃で、脈拍80乃至60依然として不整。由日昏睡状態であったが一度母親の声が分かる如き態度を示した。瞳孔は依然極度に縮小。項部強直著明なるもケルニヒ氏症状はやや緩解。膝蓋およびアキレス腱反射依然消失。筋の強硬はもはら認められず、顔面口唇四肢喘等血色良し。この日重湯約1合摂取。終日なお前方を用いた。
第9日は意識がでてきた。母をみて呼ぶ。体温は平温、脈拍88なお不整あり、瞳孔はなお縮小している。腹証によって大柴胡湯に転じた。
第10日、大柴胡湯によって4回多量の排便をみた。意識はますます明瞭となり4回ほど20分から1時間位覚醒した。排尿を教えるようになった。体温が36.9℃乃至37.2℃。脈拍88、不整ほとんど消失した。瞳孔はやや開張して対光反応明かに現れた。項部強直はなお存在するがよほど緩解して来た。腱反射依然現れず。かくして大柴胡湯3日にして人参湯に変えた。投薬通計20日、何等の後遺症なく全快するを得た。
和田正系『漢方と漢薬』2・10・20
※ 三潴忠道 (みつまただみち)
福島県立医科大学 会津医療センター(福島県) 副病院長 漢方医学センター 漢方医学講座 教授
※ケルニッヒ徴候
ケルニッヒ徴候(ケルニッヒちょうこう、英: Kernig's sign, Kernig's symptom)とは神経学的所見のひとつで、項部硬直と同様に髄膜刺激症状の1つである。名前はバルト・ドイツ人神経生理学者、ヴォルデマール・ケルニッヒ(en:Woldemar Kernig)に由来する。 患者を仰臥位にさせ、一側股関節および同側の膝関節を直角に曲げた状態で膝を押さえながら下肢を他動的に伸展すると伸展制限が出る場合]、あるいは下肢を伸展させたまま挙上する (持ち上げる) と膝関節が屈曲してしまう場合にケルニッヒ徴候陽性という。これは大腿屈筋が攣縮するために起こる現象であり、通常は両側性である。また苦悶様表情を伴うこともあるが、必須ではない。すなわち疼痛が原因となって起きる現象ではない。 注意点 似ている神経学的所見にラセーグ徴候というものがあるが、こちらは疼痛が原因であり、通常一側性である。
(ウィキペディアより)