健康情報: 康治本傷寒論 第六十三条 厥陰之為病,消渇,気上撞心,心中疼熱,飢而不欲食,食則吐,下之利不止。

2010年7月8日木曜日

康治本傷寒論 第六十三条 厥陰之為病,消渇,気上撞心,心中疼熱,飢而不欲食,食則吐,下之利不止。

『康治本傷寒論の研究』 
厥陰之為病、消渇、気上撞心、心中疼熱、飢而不欲食、食則吐、下之、利不止。

 [訳] 厥陰の病たる、消渇し、気は上って心を撞き、心中疼熱し、飢ゆれども食を欲せず、食すれば則ち吐し、これを下せば、利は止まず。


 消渇とは糖尿病、尿崩症のように煩渇多尿のことで、一般には裏熱によって生ずるが、ここでは裏寒が原因になっているのであるから、津液亡失して、あたかも裏熱による口渇と同じ症状を現わしていることをいう。
 気上撞心は気が腹部から上に向って進み、胸をつきあげること。『講義』三八五頁と『解説』四五四頁ではこの気は「虚寒の気」とか「寒邪の気」としているが、その必要はない。『入門』四○六頁に「気上撞心は心悸亢進の甚だしきもので、心臓部の圧迫絞扼感を指す」というのが良い。
 心中疼熱は胸中の疼痛、苦悶、熱感等をいう。気上撞心によって生じた症状である。厥陰病は裏寒と内寒が一緒になった場合であるから、腹部全体が虚寒の状態になり、気が逆上して心悸や心煩という所謂上熱下寒の状態になるのである。
 飢而不欲食は『講義』に「飢ゆとは飢餓の感を謂うに非ず。胃内の空虚なるを謂うなり」とあり、『解説』でも「腹には物が入っていないのに食欲がない」という。飢は漢和辞典では腹がへることとあるのに、飢餓感をいうのではないとするのは、生飲力が沈衰しているので空腹感は生じないというのであろうか。
 食則吐は飲食をとらなければ体力がつかないと考えて無理に食べると、胃寒と胃の衰弱のために胃はそれを受けつけず、すぐ吐いてしまうということである。宋板ではこの句は食則吐蚘となっていて、蚘(蛔虫)を吐くというのだが間違いであることは明らかである。
 下之利不止は、『弁正』では食べないから大便を出ないので、それを便秘と見誤って下剤をかけると内寒のために下利が止まらなくなるとしている。それとも空腹にならないのは消化管に物がつまっているからだと考えて下剤をかけてみるのであろうか。
 この条文は心中疼熱までが裏寒による症状、それ以下が内寒による症状を示している。そして前半で上熱下寒(裏寒外熱)の現象を論じているから、これが第六○条の手足厥逆を含み、後半で消化管が完全に無力となっていることを論じているから、これが下利清穀に相当していると見ることができるので、この条文は冒頭の厥陰之為病という句で示しているように、厥陰病の大綱を示したものと言うことができる。

『傷寒論再発掘』
63 厥陰之為病、消渇 気上撞心 心中疼熱、飢而不欲食 食則吐 下之 利不止。    (けっちんのやまいたる、しょうかつし きしんにじょうとうし しんちゅうとうねつし、うえてしょくをほっせず しょくすればすなわちとし これをくだせば りやまず。)
   (厥陰の病というのは、渇が甚だしくその上に多尿となり、高度の心悸亢進と胸中の疼痛や熱感を生じ、胃内が空虚になっていながら食を欲せず、もし無理に食すれば直ちに吐し、もし下したりすれば、下痢がやまなくなるようなものを言う。)

 この条文は「厥陰病」というものを定義している条文ですが、幾何学の定義のように厳密なものではなくむしろ、「厥陰病」というものの基本的な特徴をあげて、そのおおよその姿を示しているものです。
 消渇 とは、重症な糖尿病の時によく見られるような症状で、いくら水をのんでもなお渇がやまず、しかも多尿になることです。これはよほど体内水分が減少していることを意味しているのだと思われます。
 気上撞心 とは、「気」が下からあがってきて心臓を突きあげるのであると「原始傷寒論」の著者が考えていたようなことです。多分、現代の立場でこれを考えるならば、高度の心悸亢進の状態で、胸苦しい感じを伴うものを言うのであると思われます。
 心中疼熱 とは、胸中の疼痛や熱感などの苦悶の感じを言うのであると思われます。高度の心悸亢進に伴うものとみてよいでしょう。
 飢而不欲食 とは、胃内にものが入っていなければ普通は食を欲するのに、この場合は、多分、歪回復力も減退していて、その為、食を欲しない状態になっていることを言うのです。
 下之 利不止 とは、食べられないため大便もでないような状態であるのを、無理に排便させようとしますと、たとえば、下剤をかけたり浣腸したりしますと、それ以後、下痢が中々止まらなくなったりする状態を言っているのです。
 この条文は、末期に近くなった病態の基本的な特徴をいかにも良く表現していると感じます。筆者は、癌の末期の患者で、全身に浮腫があり数時間後には亡くなられた状態でありながら、口が渇いて口内に氷片を求めていた心悸亢進の甚だしい人を見た事がありますが、いかにも「消渇、気上撞心 心中疼熱」という感じがしました。また、同じく癌の末期の患者で、食欲が全くなくなってしまって、便が出ないというので、家族の人が浣腸をしてあげたところ、係後は下痢が中々改善しなくて困った人を見たことがあります。いかにも「飢而不欲食 下之 利不止」という感じがしたものでした。
 厥陰病というのは、このような事柄から考えてみますと、かなり末期に近い病態のことを言っているのだと推定されます。「原始傷寒論」では、厥陰病を改善する薬方は挙げられていません。それほど末期になった病態を必ず改善するというような薬方はある筈がないのですから、なくても当然のことと思われます。しかし、「一般の傷寒論」になりますと、厥陰病篇には色々な薬方が記載されるようになりました。しかし、それらの中で本当に、厥陰病に適する可能性のある薬方は四逆湯か通脈四逆湯位のもののように思われます。
 すなわち、色々と数多くの条文が書かれてはいますが、結局は、後人が補入したものが大部分であると思われます。そのつもりで参考にしていけばよいでしょう。


『康治本傷寒論解説』
第63条
【原文】  「厥陰之為病,消渇,気上撞心,心中疼熱,飢而不欲食,食則吐下之利不止.」

【和訓】 厥陰の病たる,消渇,気心に上撞し,心中疼熱,飢えて食を欲せず,食すればすなわちこれを吐下し,利やまず.

【訳文】  厥陰病とは,①寒熱脉証 沈遅 ②寒熱証 手足逆冷で心中疼熱のような半表半裏寒外証(⑤特異症候)がある場合をいう.
  条件 ①寒熱脉証  沈遅
      ②寒熱証   手足逆冷
      ⑤特異症候 半表半裏寒外証

【解説】 厥陰病は,三陰の終わるところで又治法の極まるところでもあります.本病位は,内臓部位にまで寒冷化が侵攻してきて,生きていくための最後の闘病場所であります.


『康治本傷寒論要略』
第63条 厥陰病
「厥陰之為病消渇気上撞心心中疼熱飢而不欲食食則吐下之利不止」
「厥陰の病たる、消渇し、気上がって心を撞き、心中疼熱し、飢ゆれども食を欲せず。食すれば則ち吐し、これを下せば利止まず」


                    裏熱
        ①口渇                   (63条)
                   津液不足
  
 消渇    ②水を多く飲み、小便少ない者(五苓散など)


        ③水を多く飲み、小便多い者(尿崩症、糖尿病等)



厥陰病は精気がほとんど尽きようとする病態、即ち、
1.体液がなぬなってしまうこと。
2.気が上にのぼって心臓衰弱となり、胸苦しくなること。
3.食べようともしないこと。



康治本傷寒 論の条文(全文)