先日、強壮剤などに良く利用される反鼻(はんぴ;まむし)のことを調べておりました。
『漢方のくすり事典 -生薬・ハーブ・民間薬』(医歯薬出版刊)では、次のように書かれています。
反鼻 別名:蝮蛇・五八霜
クサリヘビ科のマムシ(㊥Agkistrodon blomhoffii,又はA.halys等)の内臓を除去した全体を用いる。
マムシは体長約50cm前後で、全体は褐色で黒褐色の円形の斑紋が少しずれて並び、
頭は小さく三角形である。日本本土に生息する唯一の毒蛇で、水辺に近い草むらに生息し、
夜行性でネズミやカエルなどを捕食する。卵を体内で孵化する卵胎性である。
中国、韓国にも分布しているが、反鼻と称されるものの中にはハブ、アオハブ、ヒメハブなども含まれている。
日本では滋賀県や九州南部が産地として有名であるが、現在ではほとんどが韓国産のマムシである。
薬材では蝮の皮を剥いで棒状にしたものを反鼻あるいは五八霜といい、
皮付きのまま蒸して円盤状にしたものを「マムシの蒸し焼き」と呼んでいる。
マムシのヘビ毒は血液毒成分と神経毒成分が含まれ、
血液循環障害や出血、壊死(えし)、浮腫(ふしゅ)などが出現する。
漢方では性味は甘温・有毒で、解毒・攻毒・強壮の効能があり、
癩病(らいびょう)や腫れ物、皮膚のしびれ、腹痛、痔疾などに用いる。
健忘症やうつ病などによる放心状態には茯苓(ぶくりょう)・香附子(こうぶし)などと配合する(反鼻交感丹(はんぴこうかんたん))。
夜尿症には丁香(ちょうこう)と配合する(香竜散(こうりゅうさん))。
日本では古くからマムシの黒焼きも有名で、
おもに伯州散(はくしゅうさん)などの解毒剤に配合されて用いられている。
マムシは明治以後には滋養・強壮剤として用いられることが多く、
今日でも栄養ドリンク剤などにハンピチンキの名前で配合されている。
また民間療法ではマムシの生き血や生胆、生きたまま漬けたまむし酒などが
疲労回復や冷え症などの治療に用いられている。
ここで気になったのは、
「健忘症やうつ病などによる放心状態には茯苓(ぶくりょう)・香附子(こうぶし)などと配合する(反鼻交感丹(はんはなこうかんたん))。」という記述です。
民間薬としては、強壮剤などに良く使われるものの、漢方薬としては余り使われず、
有名なのは、吉益東洞が良く使ったと言われる伯州散(はくしゅうさん)くらいで
その他、加味方(かみほう)として、
内托散(ないたくさん)を用いても、醸膿の力が薄弱な場合に反鼻を加えたり
苓姜朮甘湯に反鼻を加えて夜尿症(特に老人)に用いたりするくらいだと思っていました。
強壮の他は、体を暖める作用と、排膿作用が主な使い方くらいの認識でした。
それに該当しない、反鼻交感丹(はんぴこうかんたん)という聞き慣れぬ
漢方薬方に非常に興味が出てきました。
そこで調べてみようと思ったのですが、
漢方薬方を調べる時に良く使う『臨床応用漢方処方解説』 には記載されていませんでした。
『臨床応用漢方處方解説 増補改訂版』には、261もの漢方薬方、
加減方まで含めると366もの漢方薬方が収載されていて、
『臨床応用漢方處方解説 増補改訂版』に収載されていないということは、
ちょっと珍しい漢方薬方ということになります。
『皇漢醫学處方千載集』(栗原愛塔編著 皇漢薬堂版、昭和11年6月刊)には、
反鼻交感丹料(はんぴかうかんたんりやう)(本朝経験) 茯苓 莎草 反鼻 乾姜 右四味 失心及健忘證。
反鼻交感丹(はんぴかうかんたん)(醫事説約) 茯苓 反鼻 桂枝 芍薬 枳実 丁香 右六味(同上)
という記載がありますが、余り詳しくは書かれていません。
『和漢薬方意辞典』(中村謙介著 緑書房)には、比較的詳しく書かれていますが、
その前身である『漢方方意ノート』には収載されていませんでした。
さて、その『和漢薬方意辞典』の記載は、下記のとおりです。
反鼻交感丹料(はんびこうかんたんりょう)
[本朝経験(ほんちょうけいけん)]
【方意】急激な気滞による呆然自失(ぼうぜんじしつ)・健忘(けんぼう)・抑鬱気分(よくうつきぶん)・判断力低下(はんだんりょくていか)・放心(ほうしん)・失神(しっしん)のあるもの。
《太陰病.虚証》
【自他覚症状の病態分類】
気滞
主証 ◎呆然自失
◎健忘
◎抑鬱気分
客証 判断力低下
放心
失神
【脈候】記載なし
【舌候】記載なし
【腹候】記載なし
【病位・虚実】
気滞(きたい)は沈滞下向傾向を示し陰証である。
虚証であるが、寒証は著しいものではなく太陰病に相当する。
【構成生薬】
茯苓(ぶくりょう)5.0 香附子(こうぶし)3.0 反鼻(はんぴ)2.5 乾姜(かんきょう)1.5
【方解】
茯苓(ぶくりょう)は強心・利尿・鎮静作用がある。
香附子(こうぶし)は芳香健胃・鎮静作用があり理気に働く。
反鼻(はんび)は温性で強壮作用が強力である。
乾姜(かんきょう)は大熱薬で代謝を亢進させる働きがある。
以上の構成生薬の協力により、気帯を暖め動かし発散して精神症状を改善する。
【方意の幅および応用】
A 気滞:呆然自失・健忘・抑鬱気分等を目標にする。
発狂後等の放心状態、脳梅毒
以降は、
浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』からの引用、
大塚敬節の『漢方診療三十年』の治験例、
松田邦夫の『症例による漢方治療の実際』に治験例が書かれています。
『勿誤薬室方函口訣』
失心及び健忘を治す。此の方は健忘甚だしき者、或は発狂後放心して痴騃(愚鈍)になる者、また は癇鬱して心気怏々と楽しまざる者を治す。牧野侯、発狂後、心気鬱塞、語言する能はず、殆んど癡人の如し。此の方を服する一月余、一夜、東台博覧会開館の 煙火を見て始めて神気爽然、平に復す。其の他数人、此の方にて治す。反鼻、揮発の功、称賛すべし。
『橘窓書影』
館林候臣某、一日失心して狂走妄語止まず、邸医之を治してますます甚だし。余、三黄瀉心湯を与え、朱砂安神丸を兼用す。狂走やや安し、妄語止まず、罵詈、笑哭、親戚を弁ぜず。乃ち「竜骨湯」《外台秘要方》を与う。服すること月餘、精神復し、始めて親戚を弁ず。後、健妄を発し、神思黙々、終日偶人の如し。余、反鼻交感丹を湯液をして服せしむ。数日を経て全人たるを得たり。
大塚敬節『漢方医学』
反鼻交感丹料(はんぴこうかんたんりょう)
茯苓5 香附子3 反鼻2 乾姜1.5
龍野一雄(竜野一雄) 『漢方処方集』
茯苓・香附子各6.0g、反鼻・乾姜各2.0g
『漢方治療の実際』
「茯苓5、香附子3、反鼻2、乾姜1.5」
月刊 漢方療法(たにぐち書店)2010年8月号の
筍庵ひとりごと160 に反鼻交感丹 の題名で書かれています。
浅田宗伯翁の処方集・勿誤薬室方函口訣に本朝経験、反鼻交感丹(料)という薬方が記載されている。
方函(処方集)に、「知失心、及健忘。茯苓、莎草(しゃそう;香附子のこと)、反鼻、乾姜(方後の文畧)とあり。
方函口訣(解説書)に、「此の方は健忘甚しき者或いは発狂後放心して痴騃(ちがい)になる者は癇鬱して心気怏々として新しまざる者を治す。
牧野侯発狂後心気鬱塞語言する能わず殆ど癡人の如し。此方を服する一月余、一夜東台博覧会開館の煙火を見て始めて神気爽然平に復す。
其の他数人此方にて治す。反鼻揮発の功称賛すべし。」と記されてある。
以下は治験例とはいえず、唯の回想録だが、漢方薬のすごさを知ってもらおうと思って記録する。
五十年余り以前、東京医歯大精神科の研修生で、某病院へ派遣してもらった。
入院患者は殆んどが、今、統合失調症、以前精神分裂病といった患者達だった。
治療の目的で、患者を運動場に出して、日を浴びながら、体操や競技をさせた。その中で一人、運動場に出ないばかりか、終日、廊下の隅に坐っている青年がいた。昏迷気味の患者だった。 何とかしてやろうと思って、丸薬専門の会社に頼んで、反鼻交感丹を丸薬にしてもらった。大塚、矢数先生の処方集の「茯苓五・○ 香附子三・○ 反鼻二・五 乾姜一・五」の割合で、五百g作ってもらった。
これを病院へ持って行き、病棟主任の看護師長に頼んで、患者にのませてもらった。朝昼夕三食後数gずつだった。
記憶さだかでないが、一ヵ月も経たないうちに、彼の患者が運動場へ出て、他の患者と交流するようになった。そして一、二ヵ月後に退院して行った。その後のことは分からない。
昨年、金匱会診療所へ若い女性が母親に連れられて来院した。対人恐怖があって家に引きこもっている。母親から、総合失調効症で医療をうけているともいわれた。
半夏厚朴湯などを処方し、母親と同伴で、二、三週間毎に来院し、次第に顔つきが明るくなり、家庭での生活には問題がなくなった。
ほっとしていたところ、今年の早春、母親一人で来院し、患者が寝たきりになってしまったと言う。昏迷状態に悪化したらしい。これは困った。
そこで、薬局主任に協力してもらい、反鼻交感丹を使用しようと思った。
茯苓、香附子、乾姜を煎じた液に、反鼻の粉末を混和してのむようにした。念のため、反鼻を粉末にしてもらってなめてみた。しかし、臭いも味も殆どなく、のみにくくはないので安心した。
二週間分投薬し、その二週間後、なんと患者が母親に伴われて来院した。顔つきも、殊更異状がない。やれやれと思った。
その後、反鼻交感丹は、本人の希望もあって一日おきにのみ、一日おきに半夏厚朴湯などを交互に服用させた。
一月余り経て、反鼻交感丹料がのみにくいというので廃した。
そして、一、二月後の数日前、母親と同伴で来院し、顔つき、挙惜、動作全く正常だった。すると母親に、「今年の秋十五日に結婚します」と言われた。筍庵は驚き、たまげた。
【注】
騃
『学研漢和大字典』
馬部 7画 総画数 17画
第3水準 区点=9413 16進=7E2D シフトJIS=EFAB Unicode=9A03
{名詞・形容詞}愚かなこと。うすのろ。また、愚かなさま。《類義語》呆(タイ)・妨(タイ)・痴。「痴男藐女(チダンガイジョ)」。
癡
痴の旧字
疒部 14画 総画数 19画
第2水準 区点=6587 16進=6177 シフトJIS=E197 Unicode=7661
挙惜(きょそ)
意味は、「挙動(きょどう)」「立ち居振る舞い(たちいふるまい)」などと同じ。
立ったりすわったりするような日常の動作での身のこなし
挙措が美しい:日常の動作が美しい。
挙措を失う:動揺して、取り乱した振る舞いをする。
同じく、月刊 漢方療法(たにぐち書店)2010年8月号の
『方函類聚』の処方160 で、反鼻交感丹が取り上げられています。
『方函類聚』の処方160
「癲癇及び癇と諸狂失心健忘」(4)
反鼻交感丹・龍骨湯
あだち医院 足立秀樹
今回は反鼻交感丹と龍骨湯をとりあげる。これらは「狂」「失心」「健忘」などに用いられてきた処方である。
<反鼻交感丹>
健忘或は呆然恍惚の処方ということで、反鼻交感丹もみておこう。『方函』『口訣』では以下のようになっている。
●反鼻交感丹(料)(本朝経験)
茯苓、莎草、反鼻、乾姜、左四味
医事説約去莎草、加桂枝芍薬芡実丁香、名反鼻交感丹、然不如此方簡
『方函』治失心、及健忘
『口訣』此方は健忘甚しき者或は発狂後放心して痴騃になる者又は癇鬱して心気怏々と楽まざる者を治す。牧野侯発狂後気鬱塞語言する能わず殆ど癡人の如し。此方を服する一月余一夜東台博覧会開館の煙火を見て始めて神気爽然平に復す。其他数人此方にて治す。反鼻揮発の巧賞賛すべし。
やはり反鼻が主薬なのだろう。他の処方とは少し違う効き方をするようだ。
では、症例をみてみよう。
<反鼻交感丹の症例>
■症例(四巻三十七枚)大久保専福寺住僧、年三十許
心風(神経痛)を患い、数十日にわたり不眠し、頭脳が熱いような痛いような感じがし、眩暈がひどく、どんな治療も効果がなかった。わたしは『千金』温胆湯加石膏(*)をあたえた。すると痛みは大いに改善し、夜も安眠できるようになった。ある日、嘔吐を発して、飲食物を受け付けなくなり、ひどく苦しんだ。半夏乾姜人参丸料(*)をあたえ霊妙丸(*)を兼用した。すると嘔逆は止んだが、そのあと精神恍惚として白痴のようになった。反鼻交感丹料をあたえると、精神は少し回復してきた。ただ怯えて舌がうまく回らず人と話すことができなくなった。眠っていても夢に驚き又怯える。『本草彙言』治肝虚内熱方(*)をあたえると半年ほどで常人に復した。
*温胆湯(千金):半夏、枳実、甘草、竹筎、生姜、橘皮、茯苓の七味。
『方函』には「治大病後、虚煩不得眠、此胆寒故也」とあり「本無茯苓、今従三因、或加麦門冬人参、或黄連酸棗」とある。また『口訣』には「此方は、駆痰の剤也。古人淡飲のことを胆寒と云う。温胆は淡飲を温散する也。」とある。
*半夏乾姜人参丸料=乾姜人参半夏丸(料)(金匱):乾姜、人参、半夏の三味。『金匱要略』では婦人妊娠篇に「妊娠、嘔吐止まざるは乾姜人参半夏丸之を主る」と出てくる。『口訣』には「此方は本悪阻を治する丸なれども、今、料となして諸嘔吐止まずして胃気虚する者に用いて捷効あり」とある。
*霊妙丸:『方函』の丸薬のところに「霊妙丹」(局方)という霊砂一味の丸薬で出ている。「主治上盛下虚、痰涎
『橘窓書影』巻之一
館林矦臣安藤小一右衛門一日失心シテ狂走妄語止マス邸醫治之益甚シ余三黃瀉心湯ヲ與ヘ朱砂安神丸ヲ兼用ス狂走稍安シ妄語止マス詈罵笑哭親戚ヲ辨セス胸動亢リ腹虛濡小便頻數脉沉細ナリ乃外臺龍骨湯ヲ與フ服スルコト月餘精神復シ始メテ親戚ヲ辨ス後健妄ヲ發シ神思默々終日木偶人ノ如ク余反鼻交感丹ヲ湯液トシ服セシム數日ヲ經テ全人タル得タリ
外臺龍骨湯龍骨(中)茯苓(大)桂心遠志(各中)麥門冬壯蠣(中)甘草(小)生薑右八味
反鼻交感丹茯苓香附子(各大)乾薑(中)反鼻(中)以上四味
『橘窓書影』巻之四
大久保邑專福寺住僧年三十許嘗テ心風ヲ患ヒ數旬不眠頭腦熱痛甚ク諸治効ナシ余千金温膽湯加石膏ヲ與ヘ腦痛大ニ减シ夜中安眠ヲ得タリ一日大嘔吐ヲ發シ飮食口ニ入ルヲ得ス大ニ困悶ス半夏干姜人參丸料ヲ與ヘ靈砂丸ヲ兼服ソ嘔逆方ニ止後精神恍惚白痴ノ如シ反鼻交感丹料ヲ用テ精神稍復ス唯心怯舌澁人ト語言スルコトヲ得ス夢寐驚惕ス本草彚言治肝虛內熱方ヲ與フ出入半歳ニソ全ク人タルヲ得タリ
『勿誤薬室方函』
反鼻交感丹料(本朝經驗)治失心及健忘茯苓莎草反鼻乾姜右四味醫事說約去莎草加桂枝芍藥芡實丁香名反鼻交感丹然不如此方之簡
反鼻交感丹(活養醫約)治痞積胸腹痛霍亂疝眩暈諸毒諸蟲癲癎小兒疳驚風又專治痱栗園先生曰此方能治心疾難復者
莎草(四十錢)茯苓乾姜(各十錢)反鼻(三條)
右四味煉蜜
『勿誤薬室方函口訣』
此方ハ健忘甚キ者或ハ發狂後放心シテ痴騃ニナル者又ハ癇鬱ノ心氣快々ト樂マサル者ヲ治ス牧野侯發狂後心氣鬱塞語言スル能ハス殆癡人ノ如シ此方ヲ服スル一月餘一夜東台博覽會開舘ノ煙火ヲ見テ始テ神氣爽然平ニ復ス其他數人此方ニテ治ス反鼻揮發ノ功稱賛スベシ
【注】
痰涎壅盛:痰がつまる。 痰、ヨダレの分泌過多で息苦しい状態